はてなキーワード: 児童文学とは
●ラノベしか読まない?他の小説は読む?それは何故?どこに魅力を感じている?
もともとは児童文学から大人版ルパンや明智小五郎、ホームズを読むようになりミステリ・新本格・SFへ。そこからコバルト文庫~ラノベまで。
ラノベで好きなのは「ホライゾン」とか「され竜」「Dクラ」。別格で「ゼロ使」。
●ラノベファンはラノベを一般娯楽小説(定義付けのために一般と称しているだけ)と同じだと思っている?
違うものでしょう。
●ラノベで、パロディ要素が殆どを占めるようなものはどう思っている?
おもしろければいい。
●ラノベは何故ジャンル分けされない?ライトノベルという呼称は既に不要ではないか?
ラノベも単なるジャンルの1つで、元増田が思っているような特別なものではない。
ジャンルと言うのは読む側が選ぶための指標として存在している(こういう内容が読みたいと思った時に選ぶ指標)のだから
SFがサイエンスフィクションならファンタジーから青春チックなもの、宇宙の興亡を扱ったハードなものまで含むのと同様、
ラノベがイラストを楽しめる気軽な内容であることを意味してるだけなのでは。
先日、子供が通っている某N塾の国語の問題を見てみたら、いかにも「自己啓発」本な内容が文章題として取り上げられていた。
こういう文章題って、本来なら「日本の文豪の作品」とか「日本の児童文学の作品」とか「一流の随筆」から出題されるもんだと
思い込んでいたが、この前見た文章は、「発売数か月で、ブックオフにジャンクで並びそうな」スカスカの自己啓発本っぽかった。
まあ、こういう自己啓発本のテクニックで、比喩の使い方が「一流」っぽかったので、それで「国語のテスト材料にいい」とN塾が判断したのかも。
あと、確か谷川俊太郎あたりが、「受験産業が俺の作品を無断で国語試験題材に使うのはまかりならん」と
以前塾業界を訴えていた記憶があるので、「著作権的に、文豪の作品は使いづらい」時代になっちゃったのかもしれない。
塾の国語担当あたりが、「何か国語のテストに使える題材、ないかなあ・・・」として、自己啓発本コーナーやコンビニ文庫を
買いあさるシーンを想像すると、なんだか笑えてくる。
欧米だけだろというコメントもあるので北京も加えて考察してみたい。東京は東と西では文化が違うのでそれも別だな。米は言ったことないのと欧で大都市はパリしか知らないけど、個人的な感覚としてはどっか不親切な部分はあるけど、どっかしら親切、表出の仕方は文化の差としか思えなかった。
東京東:よく見かける。
東京西:よく見かける。ただまぁ嫌な顔してどかないなどして邪魔する人も時々いる
パリ:割と見かけるが、バスなどに乗る場合はたいていカップルで移動しているので、どちらかがやっている。いない時は(関係ない)おばちゃんが指令を出して若い人にやらせたりする。終わった後ににっこりしあうのはマナーで特に意味は無い
北京:あんまりベビーカーを見かけないが、基本的にカップルまたは家族で移動しているので誰かが抱いている
東京東:基本無反応かな。下町を歩いていると声をかけられることもあるが、知り合いでないとねぇ
東京西:レジとかでよく話しかけてるの見かける。多分レジのパートに日本人が多いせい。眼差しは無関心を体現した感じ
パリ:基本的に目が合うとにっこりするのがマナーというだけで別段あたたかいわけではない。そのかわり騒いでいても気にしない
北京:ぐずってる幼児に席譲ってあげる若い子をよく見かける。というか基本的にまったく知らない人でも隣にいると急に話しかけ始めたりするので優しさというわけではなく、そういうものだと思ってるぽい
東京東:まわりにいる人による
パリ:弱者(外国人観光客ふくめ)が基本的優先+ママが周りを気にしていないので特になにが変わるわけではない。和むかどうかは本人のひとがらによる
東京西:知り合いになるほど厳しい
パリ:厳しくないが適当といったほうが適切。他人はどうでもいい。他人が嫌なことしてると黙ってそっと距離を取る
北京:何かアクションがあるまで他人がいることに気づかない。自分優先。他人がイライラしていても気づかない(イライラしてる方もイライラする前に口に出す
東京東:基本安全なのでそういうことはないが、千葉・茨城側に行くと一部地域ではあぶない
東京西:基本危ない
パリ:かなり危ない
北京:よっぽどのことがない限りない。ボッタクリはあるかもしれんが
東京東:良い意味で人種差別的なものはある。外国人相手にはどんなときでもたいてい親切
東京西:かなり嫌な顔をする人の割合が多い。人種差別はないかな
パリ:白人なら嫌な顔はされない。ほかは乗ってきた時点でされる。何人でも子供が泣き叫ぶことに関しては無関心。バスの中とか走り回ってても気にしない
北京:そもそも大人がうるさい。言葉が通じない相手には親切(というかおせっかい)
東京東・西:豊か
パリ:少ない印象はある
北京:豊か
東京東:まぁ多い
東京西:多すぎ
パリ:朝はかなり満員。押さなくて入らなくて良い程度。ストライキがあったら埼京線並み
北京:バスも地下鉄も路線によっては常にかなり混んでいる。日本の通勤時間帯なみになることも
東京西:つねになる
パリ:ならない
北京:ならない
北京:基本的にカップルで移動。ママが子供を抱いているがパパがちょっかい出しまくっている
東京西:周囲に無関心
パリ:当然という態度
北京:周囲に無関心だが席譲られたりしたら一応お礼は言ってる
言葉通じるという点で日本が一番楽ですね。個人的には東京の西側よりは東・北側の下町が楽だと思います。ほんと。田舎のほうが厳しい印象はあるなー。あと大人のネットワークがめんどくさい。
元増田です。トラバありがとうございます。
児童文学を上げる方がいらっしゃって驚きました。
そういえば、そうでしたね。
青い鳥文庫といえば、はやみねかおるさんの夢水清志郎シリーズを
幼少のころ繰り返し読んだのをよく覚えています。
(今懐かしくなって調べたら、いつのまに髪の毛の色が黒から赤に
変わってて衝撃でした。歳がばれそうです)
確かに安心して読めそうですね。
顔がほてる程度でいいのですけど、小説の方が筆走ってる感じはありますね。
アシモフは「夜来たる」(中篇)しか読んだことがございませんが、
タイトルと簡単なあらすじから想像される童話のような世界とは裏腹に、
「夜が来る」ことを信じる考古学者や科学者とそれを信じようとしない人たちの間に
どろどろの係争を最後まで繰り広げて夜を迎えるお話だったのを覚えてます。
増田さんがおすすめしていたのは「神々自身」でしょうか。逆に気になって読んでみたくなりました。
幼いころ喘息を患っていた。息苦しくて眠れない夜が続くこともよくあった。呼吸の不調は胸を凹ませ背筋を曲げ、手足をこわばらせて頭を地につけさせる。寝床に張り付く一匹の団子虫のような姿勢にならざるおえなくなる。
発作が軽いときは本にしがみつくようにして児童文学の本を読むこともできたが、本当に酷いときは何もできず弦楽器のような自分の奇妙な呼吸を聴くことしかできなくなる。
そんなときには時折、目覚めながらにして夢を見ることもある。
私の意識は身体から地面へと染み出して、地中へと徐々に降りてゆく。身体は変形して一匹の鯨となり鳴き声を挙げる。息苦しさは夜空の雲に頭痛は星の瞬きに変わる。宙空にはこれまでに読んだ本の主人公が馬を駆って旅をするのがみえる。そうしてゆくうちに私の意識は地中奥深くの地下水脈のようなものにつきあたり、徐々に五感が遠のいていく。
そうなるともう安らかな眠りにつけるようになる。
ぜんそくに悩まされることがなくなって随分経つが、その夢は未だにおぼえている。
「ファンタジーは非現実的」などという批判を誰が認めているのか。ファンタジー作家は皆、「非現実的なことを書いてごめんなさい、どうしてもこの物語を書きたいので見逃してください」などという懊悩を無意識にでも抱えながら、ファンタジーを書いているとでも言うのか。
SF作家の数多い自嘲台詞を引用せずとも、ファンタジーが非現実的であるという批判から逃れられると思っている作家などいない。
あ、批判って言うのは感情的に責め立てることじゃなくて、「欠陥」の指摘のことね。
感情的に責められると基本的に「ごめんなさい」一辺倒になっちゃうじゃん。
だから、そのエクスキューズとして「これはファンタジーですよ」っていうジャンル確立があるわけ。
たとえば児童文学に対しては「大人になって社会に出てみればこんな綺麗事は通じない」といった批判がなされるが、それは「大人をないがしろにするな」という批判にならないのか。
ならない。
大人をないがしろにするっていうのは例えば、「この局面でこんな言動する大人いねーよ!」という大人を出すという事だ。
適当なこというけど、スーパーのガムを黙って持ってきたという盗みを白状したらその場で激昂して子どもを絞め殺そうとする親の話、とか?
親は子どもの叱り方に気を配るもんだ。そんな過剰な叱り方をしたら子どもは反省を経て立ち直ることができない。やりすぎだ、不当で不快な本だ、という事になる。
逆にそんな親の元子どもが育っていく話ならそれはそれで親の興味を引くだろうが、「子どもに読ます本じゃない」という扱いになるだろう。
ついでに言うと、「この物語に比べたら今の社会の方がよっぽどきれいごとで動いてる面が多いんじゃないか」と思えるくらい過酷な児童文学は存在する。個人的な感覚ではグスコーブドリとか童話物語かな。
子供のために大人の現実を改変しているんだぜ。…もちろん「児童文学は大人をないがしろにしていない」。それは「現実をないがしろにしてでも描きたい物語がある」からではなく「現実に準拠する必要などなく、また準拠しないからと言って蔑ろにしているわけではない」からだ。
子どもの(理解)のために大人の現実を改変(=噛み砕いて表現)してはいるな。
ゆがめてはいない。
児童文学が現実に準拠する必要が無いとか舐めすぎなので死ぬといい。
そう、そこには違いがない。
違いがあるのは、「ファンタジーや児童文学は非現実的なだけだが、『私モテ』は作者の身勝手で書かれた物語を正当化するために非現実的である」という点だ。
幼児のやわ肌と大人の皮膚とにどんな違いがあるのか。大人になればナイフは跳ね返せるはずとでも思うのか。人間は大人になっても簡単に傷つく生き物なのだがひょっとしてお前はサイかゾウか何かなのか。
「ファンタジーは非現実的」などという批判を誰が認めているのか。ファンタジー作家は皆、「非現実的なことを書いてごめんなさい、どうしてもこの物語を書きたいので見逃してください」などという懊悩を無意識にでも抱えながら、ファンタジーを書いているとでも言うのか。
たとえば児童文学に対しては「大人になって社会に出てみればこんな綺麗事は通じない」といった批判がなされるが、それは「大人をないがしろにするな」という批判にならないのか。子供のために大人の現実を改変しているんだぜ。…もちろん「児童文学は大人をないがしろにしていない」。それは「現実をないがしろにしてでも描きたい物語がある」からではなく「現実に準拠する必要などなく、また準拠しないからと言って蔑ろにしているわけではない」からだ。
「ファンタジーは非現実的」と「児童文学は非現実的」と「『私モテ』は非現実的」はそれぞれ何の違いもない。違いと言えば、喪女さんたちが幼児の柔肌のようにデリケートだってことだけだろ。
たとえば「児童文学は児童を喜ばせる方向に動いていて大人を蔑ろにしているから不当だ」や「日本の漫画は日本人を喜ばせる方向に動いていてアフリカ諸国民を蔑ろにしているから不当だ」といった主張は常識的には認められないでしょうな。
そら認められないでしょうな。なぜなら児童文学は大人をないがしろにしていないし、日本の事を描いた漫画は海外の人間をないがしろにしていないからだ。
ごんぎつね然り銀河鉄道しかりクレヨン王国に至るまで、大体の児童文学において大人はないがしろにされてなどいない。登場人物としてもそうだし、読み手としてもある程度は想定されている。
子どもに与える本を選ぶために大人が目を通すなんて当たり前だもの。そこで大人目線から「不当故に不快」と判断されたら買ってもらえない。
ドラえもんのアニメに某国人が「日本の事ばかり描いていて某国の事を考えていない」ってクレーム付けたというデマのようだがマジらしいニュースがかなり前に話題になったが、それは一般的に言って日本において展開される物語を描いているだけでその某国を不当に貶めないがしろにしているとは考えられないのでいちゃもん扱いされていた。
「ある作品が特定の読者を対象としている」と「ある作品が(抗議が認められるほど)対象読者以外の人間を蔑ろにしている」がイコールだというのは自明ではな
い、まさにそういうわけでお前が出した例は全て不適当なんだ。
反論する側のくせに俺の論理を補強してどうすんだよ間抜けw
これが例えば魔法の出てくる話だったら、素手の手のひらに火の玉乗せて平気とか既存の物理法則まる無視だろう火傷しないとかオカシイ、「現実をないがしろにしている」という批判は成立する。
その批判は正しい。そして、「その通り現実をないがしろにしているが、そうしてでも描きたい物語、表現したいものがあるのだ」という動機が、「これはファンタジーなので、そういう世界なので」というエクスキューズを「ファンタジー」なる物語ジャンル立ち上げと共に用意させる。
それでも批判を免れたことにはならない。「ファンタジーは非現実的」という指摘を跳ね返すことはできない。
そして、特に性的な欲望の物語に顕著なのだが、ある種の物語はそういった「非現実的」という指摘に対するエクスキューズの他に、もうひとつ言い訳を必要とする。その「表現したいもの」の自己中心性、自分の欲望を満たし肯定するために全てが動いている世界を描くことにガンガンツッコミが入ってくるからだ。
性的欲望の物語であっても葛藤や決裂を含むものはそれほどこの手の突っ込みはきつくない。
「のうりん」はかなりエッジの効いた作品だから初心者にはおすすめしない。
「キノの旅」は紀行物ではなくて風刺の効いた連作短編集という感じ。児童文学っぽい。
「東京レイヴンズ」は現代の陰陽師養成学校を舞台にした異能バトル物。
が、そもそもバトル物が駄目っぽいな。
それとも、あえてラノベに挑戦するというくらいだから、毛色の違う作品でも受け入れてくれるのだろうか。
食事描写といえば「ベン・トー」なんだけどこれも駄目っぽいな。
石田衣良が好きなら「神様のメモ帳」はどうか。池袋ウエストゲートパークみたいな話なんだけど。
あとは、やっぱり成田良悟かね。
うまくいかないというよりは、必ずしも賞賛されない理由といったところか。
まず、映像化するのはすばらしいことだという誤解がある。
小説という文字だけで表現された物語を映画のような大迫力の映像メディアにすると、なんだか「進化した」ような気がする。
これが実は違う。映像化は、どちらかといえば退化だ。
なぜ退化かと言えば、人間の想像力を阻害する度合いが大きくなってしまうから。
視覚による情報というのは、たとえどんなにそれが洗練されていったとしても、想像力によって表現される無限の表現と比べたらカスのようなものだ。
もちろん、文字から想起されるものというのも制限は多い。火と書けばそれだけで想像できる範囲は狭まってしまう。
しかし、実際に火の映像を見せられるのと火という文字から火を想像するのは大きな違いがある。
それは、火の映像は映像を作った人間の「火」を映像化したものであり、しかも不完全(完全には想像したものを変換できていない)であり、
火の想像は想像している本人にとって「完璧な」火の表現を完璧に受け取ることが出来るからだ。
しかし、多くの人が映像の洪水に飲み込まれた結果、想像する力が衰えていき、自分の想像力よりも他人の想像したものの不完全な具現化のほうをすばらしいと思い込むようになった。
ハリーポッターの映画が大成功したのは、ファンタジーという異質な世界観であることで想像力を働かせにくいことと、そもそも原作が売れていることの二点があると思う。
しかし、ハリーポッターが児童文学であることを考えれば、想像力を働かせにくいというよりそもそも文章がその点に重点を置いていない可能性が考えられる。
ハリーポッターはストーリーが面白いと言われるので、ストーリーさえしっかりしていれば魔法の表現などはある程度適当でもいいと作者は考えているのかもしれない。
そうすると、原作によってストーリーを熟知したファンが映画によって映像面を補強することが出来るようになったので「二度美味しく」楽しめるようになった。
だから、これほどまでにヒットしたのかもと考えられる。
★★★☆☆☆☆☆☆☆
空回り感が否めないファンタジィ
気合が空回りしているのかとにかく冗長。この程度の内容で2時間超えはないだろう。
そのへんからして「子どものための」「良心的な」作品という皮をかぶった大人の慰みものの匂いもしなくはない。
テンプレ通りの「田舎の夏休み」「ピュアな子どもたち」もアレだが、特に脚本には問題が多く、中盤のダレはもちろん、
終盤の安っぽい説教も完全に足を引っ張っている。背伸びして児童文学気取る前に、アニメで非日常を構築することの意味を考え直すべき。
★★★☆☆☆☆☆☆☆
いろいろ不合格......
同じ舛成監督と倉田英之脚本による『かみちゅ!』では、神道的想像力とジュブナイルがスマートにミックスされていたのに対し、
最高の人材と手間暇と予算が投入された今回は、いまひとつ何を目指したのかがわからない。
主題として非常に似通っている『サマーウォーズ』が(成功しているかどうかはともかく)
SFとして、近未来のテクノロジーと人間の在り方を正面から扱っていたことに比較すれば、特筆すべき試みはひとつもなかった。
★★☆☆☆☆☆☆☆☆
これで「宇宙」はちょっとムリ
小惑星探査機「はやぶさ」の帰還などで盛り上がった天文ブームと軌を一にして、異界としての宇宙の魅力を奔放なイメージで再生......し損ねた凡作。
少女への性欲ダダ漏れのキャラデザには目をつぶるにしても、擬似ディズニーランド級に宇宙を貶めた映像演出、
快楽を欠いた活劇、クソ寒い説教と、正しい"子供騙し"のお手本。これでは宇宙にロマンの復権を求めるメンタリティの退行性を疑わせるばかりでは?
★★★★★☆☆☆☆☆
ほほえましい独り相撲の記録
とにかく不用意な作品で、脚本も作画もぐだぐだ。いつもの陳腐なトラウマ
描写と、結局「男の子の生きがいのため、かわいそうな女の子が都合よく必
要です」的な弱めの肉食系ナルシシズム構築に回収しちゃう絶望的な底の浅
さは擁護しようがない(笑)。ウェルメイドな空気系の時代に、手持ちの古い武器(セカイ系センス)で戦いたかったのだろうが、
結果は独り相撲の挙げ句惨敗、むしろ敵の強大さを証明した作品だが、その稚拙な突撃はある意味ほほえましい。
★★★★★★★☆☆☆
あからさまに近年のヒットアニメを彷彿とさせる設定をふんだんに導入して
いるせいで、麻枝シナリオの要である家族愛やトラウマすら、ただのガジェッ
トのように見えてくる。が、それでも物語全体に漂う「ガチ」な空気は、さすがKey&麻枝准というべきか。
さらに、Key原作だというだけで制作のP.A.ワークスの演出が「京アニ化」している現象は非常に興味深い。真似られる
★★★★☆☆☆☆☆☆
説明台詞偏重のアンバランスな演出や超展開を、美少女ノベルゲーム的な文
脈へのリテラシーで深読みできるか否かで見方は変わるが、連続アニメとし
てはやはり破綻。それを割り引いても、終わりなき学園的日常への執着と生
の一回性との葛藤を描くゲーム発のコアなオタク文芸特有の主題に、何か新しい展開を示せたとも言い難い
(例えばゆりの抵抗にはもっと別の掘り下げができそうだが......)。美少女ゲーム的想像力の枠組み自体が、もはや限界か。
アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトに由来する、シュタイフ社などが製作するクマのぬいぐるみの総称。
おおぐま座になったギリシャ神話のニンフと、こぐま座になったその息子。
1980年開催モスクワオリンピックのマスコットキャラクター。
あずまきよひこ作『よつばと!』で、小岩井よつばが所有するクマのぬいぐるみ。
あずまきよひこ作『よつばと!』で、綾瀬恵那が所有するクマのぬいぐるみ。(3体)
2006年にベルリン動物園で生まれたホッキョクグマ。母熊が育児放棄したため、飼育係により育てれた。
ドン・フリーマンによって書かれた絵本の主人公のクマのぬいぐるみ。緑色のズボンをはき、デパートで誰かが買ってくれるのを待っている。
あいはらひろゆき作・あだちなみ絵による『くまのがっこう』の主人公のクマ。
マイケル・ボンドによって書かれた児童文学の主人公のクマ。彼が発見されたイギリスの駅名が名前としてつけられた。
イラストレーター森チャックが描くクマのキャラクター。爪が強調され、しばしば血まみれとなっている。
A・A・ミルンによって書かれた童話の主人公のクマのぬいぐるみ。
A・A・ミルンの息子が持っていたクマのぬいぐるみの名前の由来となった、実在のアメリカグマ。ロンドン動物園に
て飼育されていた。
日本ホールマークが展開する「ベアーズ・ウィッシュ」シリーズのクマ。
地上デジタルテレビジョン放送を推進するキャラクター「地デジカ」に対抗して、アスキーアートの「クマー」をモチーフに作られたキャラクター。
ユニリーバ・ジャパンからニッサン石鹸へ受け継がれた柔軟剤のマスコット。アメリカでの商品名はSnuggle。
セガサターン用ゲームソフトなどで展開した『サクラ対戦』シリーズで、アイリス(イリス)・シャトーブリアンが所有するクマのぬいぐるみ。
グリーティングカードの絵柄として誕生したクマのぬいぐるみのシリーズ。個体により色がことなり、腹部に虹やクローバーなどが描かれている。
神沢利子によって書かれた童話の主人公のクマ。以前は教科書に採用されていた。
スージー・スパッフォードが描くクマのぬいぐるみのキャラクター。腹部に赤いハートがついている。
トルストイ翻案・ヴァスネツォフ絵による『3びきのくま』に登場するクマ。(3匹)
合併前の住友銀行のマスコットキャラクター。「おはようございマグ」などのグッズが製作された。
アメリカのバンドGrateful Deadのキャラクターのぬいぐるみ。
ラドヤード・キプリング作『ジャングル・ブック』に登場するナマケグマ。
コンドウアキによってデザインされたクマのきぐるみのキャラクター。好物は団子。
当初は「ディズニーベア」としてディズニーシーに登場したクマのぬいぐるみのキャラクター。顔・足の肉球がミッキーマウスのシルエットになっている。
http://anond.hatelabo.jp/20091108230020
最初にテーマとして、最近殺人事件多いよねーと思い、人を殺す理由みたいなものを考えた。
人間、追い詰められると思慮が狭くなる。どうして殺しちゃったのかなってニュースも多い。そう思ってまず書き出しを書いた。
男の名前はすぐ思いついた。だけど、与作につりあう女の名前がなかなか思いつかない。なんとなくイメージで元お天気キャスターの皆藤愛子さんを思い浮かべて、愛子とした。そうしたら逆に男の名前を変えたくなったけど、どうにもいまいちだったので、そのまま続けた。
それから「なんで愛子は帰ってこないんだ!」のところまで書いて、依然オチが思いつかない。ドアの向こうにいるのは、愛子でいいのか。それとも別の誰かか。
ここから第三者を出すのは面倒くさいのでたぶん愛子だろうということにして、与作の行動はどうすればいいのか。朝まで待たせる? ドアを開けさせる?
最初の書き出しのところを考えると、一度、与作の気持ちを変えさせる必要があるのかなと思って、与作の想定外の展開にするため、愛子にドアを開けさせる。
この時点でまだオチが思いつかない。
愛子が「わかってる」と言う、与作が訪ねてきた理由って何? 別れ話か? もっと別の話か? 愛子の性格も全然考えてないので、どうとでもなりそう。
この辺で、愛子に「酷い」って言わせたくなった。
だから愛子が「酷い」って言いそうな展開に持っていく。愛子が「酷い」って言ったところでオレの気持ちは満足した。
別に最後、愛子は殺されたなくなって良かったんだ。子供はおろしてないことにしてもよかった。二人は幸せになってもよかった。だけど、早くオチをつけたかったオレの都合で、そういうことになった。
とまあ、ずいぶん行き当たりばったり。でも、今回の話は、オレは気に入ってる。いろいろ考えすぎると気に入った文が書けないことが多い。
こんなんじゃ長文は書けそうもないのかなとは思うけど。
本当は、オレはハリーポッターみたいな児童文学が好きなんだよね。だから、いつか子供に夢を与えるような話が書きたいなって思ってるんだ。
tonbo tonbo 読書会で、その「限界」に言及したけど、「ラノベの限界」の解釈のニュアンスがずれてるんだよなあ。ブクマコメント見るとさらにズレて解釈されてる。もどかしい。商業的な限界を言いたかったんだが……。 2009/09/23
あえて商業に話を限定して言うけど、クオリアに限らず今のラノベでSF分を増やせば増やすほど読者は加速度的に減少していくというでっかい現実がある。これは詳細までよく練られていようが、理論的な整合性がきちんととれているかどうか、とかはあまり関係がない。
もちろん、いくつか例外はあるけどそれはあくまで「例外」なのであって、SF分を一定以上に濃くした物語で損益分岐点を越えようとすると、特に大手のレーベルのような初版が多いところにはバクチ要素がかなり強くなる。
さすが、ライトノベル感想サイト大手の中でも指折りのスイーツ(笑)脳の持ち主、極楽トンボ御大でございますな。
自分のジャンル小説リテラシーのなさ(SFもミステリもファンタジーも本当に読めませんよね、この人)をライトノベル読者全体の問題であるかのように語らないでいただきたいものです。
小・中学生でも、《涼宮ハルヒ》シリーズを単なるキャラ萌え小説として読んでいる読者ばかりでもないし、SFよりもある意味でハードルの高いファンタジーでも、『精霊の守り人』みたいな、リテラシーが要求される児童文学作品を普通に読んでいる(《守り人》シリーズは下手なラノベよりよっぽど売れてるし、学校図書館の貸し出しランキングでも上位に入る率が高い)。そういうものは全部「例外」ですか?
トンボ御大やラ管連の大勢は、そろそろ自分たちが「一般的なライトノベル読者」ではなくて、「まともな知性も向上心もないライトノベル読者」という少数派の代表であることを悟っていただきたいものである。この人たちの声が大きいことって、害悪でしかないと思うよ。
そういう価値観の人はそれなりにいるのだろうとは思うのだけど
現実味を帯びてないってのはラノベへの入口が一般に中学前後で(漢字の量、小遣い額的な意味で)それを中学中に卒業するほど読むのかって疑問を心の中にもってるからじゃないだろうか。
少なくとも自分が中学でラノベを読むのは卒業したって話を聞かされても少なくとも上のような疑問から単に肌に会わなかっただけじゃないのかという窺った見方しか出来ない。
あとはそう言ういい方をする人間の多くが行く先がなぜか昭和文学なのもある。
三島とか川端とかそこらへんなんだけどはっきり言ってそこにどうやったら行きつくのか読書の遍歴が見えないんだ。はっきり言ってしまうと国語教師とかの影響で単にかぶれてるだけのようにしか見えなかったりする
自分の場合児童文学の影響でルパンやホームズからクリスティとかまで行ってその流れでシェイクスピアやウッドハウス等英国出身の作家を漁ったりした。
なら三島や川端等に行くのはどういう遍歴なのか少なくとも自分にはその遍歴の流れがよめないんだよな。そこに行きつく流れに少し興味がある。
http://anond.hatelabo.jp/20081221032005でネット小説サイトの紹介がありましたが
もっと二次創作SS(サイドストーリー)の話を取り上げて欲しい、と思ったので書いてみました。
記憶違い、観測範囲の限界があるのでトラバやブコメで突っ込みを入れて下さい。
好きな作品のサイドストーリーを書くということは同人誌・パソコン通信といった媒体上で昔から活発でありました。
私が二次創作SSを読み始めたのはパソコン通信からネットへの過渡期だったと思います。
そのころはセーラームーンのFF(SSと呼ばずにFF、ファンフィクションと呼んでいたことが多かった)が流行しており、
書かれるジャンルとしては、まさしくファンフィクションとして好きなキャラを活躍させたり、ギャグストーリーが中心となっていました。
ネット時代の始まりはエヴァから始まった、と言ってもいいでしょう。
今から考えれば単なる投げっ放しですが、アニメ・劇場版と謎が謎を呼び、考察系サイトでは真剣に議論が交わされていました。
当然SSの題材としても大人気でしたが、主人公のシンジ君の性格がいろんな作者を引き付けてしまったようで新しいジャンルのSSが広まりました。
主人公がとにかく最強になっています。エヴァSSでは使途を素手で倒したりと強けりゃいいという。
中二病患者が好んで読みあさり、さらには作者になる患者まで。いい年して最強SS書いても楽しいからいいよね!という雰囲気でした。
この最強主人公はこれから幅広い作品・ジャンルに組み合わされて普及していきます。
ミサトヘイト・ゲンドウヘイト・アスカヘイトなど各作者の嫌な思い出を投影しているようなジャンルでした。
エヴァ以降はそこまで憎むようなキャラが現れなかったようで、あまり広まらず。
世界が終わったり、死んだキャラが記憶等を引き継いでストーリーをもう一回なぞるジャンルです。
何故か神の力を引き継いでいる主人公が好き放題する最強系も入ったSSなどあり、今も人気です。
アニメと劇場版の差に驚いたファンも多かったですが、劇場版ストーリー(ヒロインと結ばれた主人公が妻を誘拐され復讐の鬼と化す)は
中二病な人にとってれ琴線に触れるものがあったようです。
時間移動できる技術設定が作中に存在したのもあって、逆行最強SSが人気でした。
Actionで掲載された、逆行ハーレム最強主人公系SS「時の流れに」が大人気となり
その設定を使って様々な三次創作SSが生まれました。今でもActionなどのサイトで日々更新されるなど人気の息が長いのが特徴です。
いわゆる性転換物です。性転換なのでMtF・FtM両方あるのが普通ですが、美少女を活躍させたいのか
男主人公が女性になって活躍するSSが大部分を占めます。性差による葛藤なんてスルーです。
同じくActionで掲載された「ROSE BLOOD」が代表作でしょうか。
大人気となった美少女ゲームですが、何故か二次SS界ではバトル物SSの土台とされてしまうことが多々ありました。
主人公 相沢祐一は元々強いわけではないのですが、SSでは作者によって異様に強化されて神のような存在にされていることもしばしば。
あんまりに強化された祐一はもう祐一ではなく「U-1」だ、と表記を変えて説明されている場合もあります。
他の作品と組み合わせて書かれるクロスオーバーSSですが、これ自体は以前から書かれていました。
しかしKanonではあまりに強化され作者と同一化した主人公が、その強さを示すため組み合わせた先のキャラを踏み台としていく作品が多く書かれました。
主人公が他作品のヒロインに微笑んだだけで相手が惚れるというシーンの多さから「ニコポ」なんて呼ばれた場合もありました。
同人ソフトから人気が出たTYPE-MOON、設定などが作者に人気でバトル物という元のジャンルもあってSSも大流行しました。
最強主人公・クロスオーバーといったジャンルが特に人気でした。
Fateは主人公がサーヴァントと呼ばれる過去の英雄を召喚して戦っていくストーリーなのですが、
この仕組みを借りて自分の好きな他作品のキャラを呼び出していくSSが広く書かれました。
クロスオーバーの一種ではあるのですが、話の整合性を保つのが面倒な通常のクロスオーバーに比べ
元作品のシナリオで行っていることをなぞればいい召喚物は書きやすいというメリットがあります。
ラブひなとハリーポッターを合わせたような本作ですが、「ネギまのベル」や「風牙亭」といった大手投稿サイトにSSが多く投稿されました。
また登場するヒロインの数が非常に多かったため、作者が好きなヒロインを主人公(時には特殊能力をプラス)したスピンオフ的なSSも多かったです。
投稿サイトは揉め事(盗作・コメント欄での批評・中傷)が多いため閉鎖の割合が高いという印象があります。
異世界に現代人の主人公が召喚されて使い魔となるストーリーなのですが
SS元としては現在、自分の好きなキャラクターを中世ファンタジー風魔法世界で活躍させるためのフレームワークと化しています。
あの作品のキャラがルイズに召喚されました @ ウィキ - トップページでは
仮面ライダーからプロアクションリプレイまで、様々なキャラや物が召喚されています。
また、今までの人手での更新ではまとめることが不可能だった量のSSをWikiの本格的な活用により、手間をかけずまとめているのが特徴です。
召喚物以外のSSももちろんあるのですが、少々影が薄くなっています。
同人ゲームから人気が出て、ニコニコ動画で人気が加速した東方ですが、二次創作界隈では他の作品とは違った空気が流れています。
公式設定、または長い時間をかけて東方サークル間で共通認識となった二次設定以外の設定を持ち出すことを二次創作界隈の人々は非常に嫌います。
空気を読まずクロスオーバーSSを投稿してコメント欄でボコボコに叩かれるケースが多々ありました。
この界隈の雰囲気を読んだ人はブログを開いてそこでクロスオーバーSSなどを連載しているケースが多いようです。
一周してネット以前のファンフィクションのような雰囲気を感じます。
ちょっとそれますが、興味深いジャンルなので。
女性向け二次創作SSで特徴的なドリーム小説(主人公の名前を変更できる小説)サイトは
物凄く排他的で
など非常に探しにくいので、まとめるのが大変難しいです。
があると思いますが、何が流行しているか正直分かりません。
ハリーポッターといった児童文学が何故か強いのが面白いところです。
またドリーム小説の特徴として、登録制の検索サイトが繋がりのメインという所があります。
投稿サイトに投稿するよりは、自サイトを作りそこにドリーム小説を連載していく傾向があります。
登録制の検索サイトの興味深い点としては、検索条件を非常に細かく指定できる場合が多いことです。
例としてDreaming REBORN! > サイト検索では多くの条件がチェックボックス式で指定でき、
また各条件がそれぞれカテゴリとなっています。
今は下火となっているディレクトリ型検索エンジンが、登録制検索サイトでは主流となっています。
手動登録のメリットを生かしている、注目すべき例です。真似できる場合は少ないでしょうけど。
長々と書いてみましたが、「この作品は流れを紹介する上で入れるべき」という作品もあると思われますが、
ちょっと読んでいないので、補足していただけるとありがたいです。(GS美神・FFサモンナイト等のPSゲーム等)
Leafも多かったですね。正統派から葉鍵ロワイヤルというお祭りまでありました。
上手いことこの移り変わりの中に入れられませんでした、ごめんなさい。
これはもっともだと思ったので、タイトル変更しました。
ブコメでも指摘があった(今は消えている)のですが、ドリーム小説入れておいてその他の女性向けを入れないのは良くなかったですね
コーエーの女性向けゲームというジャンルもあるようです。知らなかった。
観測範囲って難しい。私では無理。
「世間には、悪い人ではないが、
弱いばかりに、
自分にも他人にも余計な不幸を招いている人が決して少なくない。」
高校時代の私だー!!!
優柔不断であったり、意志が弱かったり。
悪意はないんだけれども、周りに迷惑をかけてしまうことが多かった。
「○○はいい人なんだけれどねー。(悪い人じゃないんだけど、抜けてるところが多いのよねー)」
って言われるのは日常茶飯事。
「(都合の)いい人よねー」って言うのとはまた違ったベクトルでダメ人間だ。
だって、役立たずだしw
幸い周りには「弱いものいじめはしない」という武士道精神(?)溢れた人に恵まれたので、いじめられなかったけれど、
あのまま「このままじゃダメだ!」と奮起せず、向上心なくウジウジ育ってたらどうなっていたんだろうか?
無知なことが罪作りだと同じように、
弱いままじゃダメなときがあるよね。
できるできる!
やれるやれる!
本好きなら人に聞く前に、自分でいろいろ読んでみればいいのにと思う女ラノベ読み。
女性向けラノベなら、コバルトとCノベルスが豊富なのでチェックしてみたらどうだろう。
増田に多分ヒットするのが
・多崎礼の全冊
・デルフィニア戦記(→スカーレットウィザード→クラッシュ・ブレイズ)
他、非萌なら
・マルタ・サギーは探偵ですか? (野梨原花南)←すごく女性向けラノベ。自分は好き
・図書館戦争(有村浩) 「海の底」→「くじらの彼」からでもいいかも
・BACCANO! -バッカーノ(成田良悟)
・文学少女シリーズ(野村美月) ←主人公がちょっとうじうじしてるので微妙?
・されど罪人は竜と踊る(浅井ラボ) ←グロ注意報だがおもしろい。女性読者率高い
・プリンセス・ダイアリー(メグ・キャボット) ←児童文学寄り
微妙かもしれないあたり
・ROOM NO.1301(新井輝)←エロと見せかけた青春もの
・とある魔術の禁書目録(鎌池和馬)←超能力バトルもの 一方通行か主人公かに燃えられる
・伝説の勇者の伝説(鏡貴也) ←読んだことないがロードスっぽい
例に挙がってた川上稔は全部読んでるが、増田には合わないと思う。あれは結局キャラ萌、世界萌だから。
あと、意外に合いそうかもしれないのがドラゴンブック。
フォーチュンクエスト読んでれば問題ないと思われる。
・新ソード・ワールドRPGリプレイ集(秋田みやび)
これ以外は無理そうだけど。お好きなのドーゾ