はてなキーワード: トイザらスとは
2024年の現在から過去数十年を振り返った際の重要なイベントやトレンドに関してまとめてみた。筆者の出自(旧来側の小売企業に所属)によって、記載の濃淡がどうしても出てしまうが、その点は容赦いただきたい。
大型店舗の新規出店に対して規制をしていた「大規模小売店舗法」が1991年に緩和され
2000年に廃止された。経緯としては、日米間の貿易摩擦に対する折衝の中で日本の国内産業障壁の一つとして指摘されたことによるもので、大店法緩和の象徴として日本に進出したのがトイザらスである。しかし、大店法の緩和と廃止によって生じたのは米国企業の進出ではなく、商店街などの中小小売業の衰退とロードサイド化である。我々が日本の各地で目にしている、寂れた中心市街地と画一化されたロードサイド店舗が並ぶ郊外の風景は、これによってもたらされた。
楽天市場のサービス提供が1996年、Yahoo!ショッピングが翌年の1997年である。小売の各セグメントにおいて、Eコマースは食品スーパー、コンビニ等を抑えて堂々の一位にある。あまり詳しくないので記載はこの程度。
岡田卓也が社長を務める岡田屋ほか3社が合併し、ジャスコ株式会社が誕生。
大店法緩和以降(第1位参照)の小売業の郊外進出の時流に乗って積極的に出店と企業統合および業態の拡張を行い、イオンへの屋号変更を経て、日本最大の小売グループと成長していく。
米サウスランド社から前年にライセンスを取得したイトーヨーカドーが国内第1号店として、東京都江東区豊洲の酒屋を改装しオープンした。大店法緩和以降の、中心街および市街地における店舗フォーマットとして、フランチャイズにおける小型店舗という、毀誉褒貶の伴うビジネスモデルを確立した。国内初のコンビニに関しては実は諸説あるらしいが、いずれにせよ豊洲店が現在まで続く流れの中で最も重要な存在であることは間違いがない。なお、豊洲店は今なお営業しており、従業員に国内初のコンビニであることを尋ねると、嬉しそうな反応が返ってくる(何年か前の話)。
2000年にフランスの大手スーパーマーケットのカルフールが日本に進出し千葉県幕張市に店舗をオープン。また2002年には経営不振に陥っていた西友を買収する形でウォルマートが日本に進出した。しかしカルフールは2005年にイオンに売却され、ウォルマートも2018年に西友の経営から手を引いた。
両社の進出当時には、EDLP(エブリデーロープライス 特売に頼らない一定の値付け)や卸などの日本的商習慣の打破に対する期待もあった。両社の撤退後、国内のリアルの小売業は日本資本が担っていくという流れが決定的となった。一方で、川上側の流通構造の変化については、イオンやユニクロ等が手をつけていくことになったのだが、そこに海外大手の進出の影響があったのかもしれない。知らんけど。
ユニクロがフリースを目玉商品として原宿に出店した。ロードサイド型のフォーマットは、レンガを基調にしたオールドユニクロファンには懐かしい店舗スタイルで1985年にすでに最初の店舗をオープンしていた。地方発祥の一量販店に過ぎなかったユニクロが、原宿のオープン時に社会現象と言われるまでのニュースになり、以後は全国的なブランドとなっていった。またフリースから始まったユニクロオリジナル商品はジーンズなどの数々のヒット商品を経て、単なるアパレルショップという業態からSPA(製造小売)という別のビジネスモデルへの転換へと繋がっていった。今では想像もできないが、昔はユニクロでもリーバイスのジーンズとか売っていたのだ。
スマートフォン発売当初は、国内ではいわゆるガラケーと呼ばれた従来型携帯電話が主体であったが、2010年のiPhone4あたりから潮目が変わり始めて、スマホの普及が加速した。これに伴い、ECの担い手も従来のPCからモバイルへと変化していった。
今となっては想像もできないが、当時はECで買い物をするときには、PCの前に移動してブラウザを立ち上げてから買い物をすることが必要であった。
ネットとリアルの統合とかそういったことがこの頃から言われるようになった。リアル店舗における買い物体験については、モバイル化によって、当時期待していたほどに変化したとは言えないが、今後も続く大きな流れではある。
また、このモバイル化とほぼ同じタイミングで東日本大震災(2011年)があったのは、巣篭もり含む社会情勢変化の中で間接的な影響はあったのではないかと個人的に思う。
小売業界以外の人にはほぼ知られておらず、業界内でもペガサスクラブのことを知らない人が多い。読売新聞の記者であった渥美俊一氏によって設立された、研究機関ないし互助機関である。高度経済成長期以降、アメリカの小売業をモデルとした、日本の小売業の組織化と大規模化に、ペガサスクラブの「チェーンストア理論」は大きな影響を与えたとされる。
松下(現在のパナソニック)製のテレビを、ダイエーがメーカー設定を下回る価格で販売したことによる対立。大きくは流通業界全体における主導権を製造側が握るか小売側が握るかという点での争いである。より消費者に近い川下側が主体となって流通全体の効率化と変革を進めていく考えが流通革命であり、1962年に同名で出版された著書がある。
大丸と松坂屋の統合によるJ.フロント リテイリング、阪急百貨店と阪神百貨店によるエイチ・ツー・オー リテイリングの発足がともに2007年で、翌年の2008年には三越と伊勢丹が経営統合した。この一連のイベントは、統合そのものよりも、百貨店業界全体の不振として捉えたい。
今となっては信じられないが、かつては小売業の中での業態別の首位は百貨店であったが、売上高としては1991年の12兆円をピークとして現在まで半減している。
永野&くるまのひっかかりニーチェに寄せられた「芸人がよく言う『大人に怒られて』にひっかかる」という投稿
これ、すごく判る
「気持ちわりい言い方だなあ」って常々思ってた
世間的には老人に近い様な年齢の芸能人が現場の人間のことを「大人」とか言ってて、反吐が出るわ
何言ってんだお前
「マイルドな悪口」というよりも中年ピーターパンがなんか言ってる感が強い
そこには「偉い人≒大人」っていう婉曲性ではなく、「俺らいつまでも若造ですからー」みたいな部分が見え隠れしとる
うぜえ
ロッカーなら別にいいのよ。豊かな金髪巻毛が汚らしい白髪になってもforever youngで
でもそれ以外のひねこびた人間が、人のことを「大人」呼ばわりして揶揄する態度は痛々しいんだよ
無理な若作りの方が笑い取れる分なんぼかマシなんだよ
ワイの近所にトイザらスあるやで…😟
最後の最後に「ここが俺のホームなんだよ」と紹介できるような場所。
もうどこにもない場所というわけでもなく、最初からどこにもないんだよ。
物心ついた辺りからずっとマンガとゲームばっかりでさ、リアルでの思い出が希薄なんだよ。
ふと思い出せる場所といえば、今はもう潰れたトイザらスのあったビルぐらいだ。
科学博物館みたいなのが併設されて、親がよく連れてってくれた。
コースの最後に食べるアイスが好きでさ、店の自家製だったのか外国から取り寄せてるのか、ちょっと変わった味がするんだ。
ある程度大きくなった後は一人でも行ったけど、下のゲームショップでデモ筐体を遊んでばかりいた気がする。
ビルは残ってるけどもうあの頃の店は全部潰れてる。
3階ぐらいの所に庭みたいな空間があってさ、実際には2階建て駐車場の屋上庭園なんだろうけど、そこにマックがあったんだけどさ、今そのビルに行くとポールだけが残っていて廃墟感が凄いんだわ。
まあそこも少しずつ店が戻ってきてるし、空いたスペースは都市開発失敗のケツモチなのか役所が事務所代わりに使ってるんだけどさ。
昔レストランがあった辺りに今はサバゲーショップが出来てたりして、なんかもう空気が違いすぎて行っても寂しくなるだけだからもうずっと行ってないし全然変わってるかも。
結構覚えてるじゃんって話なんだが、でも俺にとってここはホームって感じじゃないんだよ。
ホームにできそうだったけど寂れていくことを止められず、気づいたら思い出ごと追い出されてしまった場所なんだ。
新しい人生を再スタートするとき、最後の戦いを終えたあと、ここに帰ってきた所で俺はもう何も出来ないんだよ。
骨を埋める気にもなれないし、希望の未来に向かって階段を駆け上がろうとも思えない。
故郷の町のどこにもないんだな。
私はWEB広告屋の端くれで、広告とはジョン E ケネディがいう「Advertising is salesmanship in print」精神でいる。しかしこのような態度では文化の一端を担う広告を作ることは到底不可能だということを私は知っている。
個人的には大成建設の「地図に残る仕事」のCM・コピーは大好きだ。最高だ。直近では湖池屋ポテトチップスのCMなんかも心にグッと残るものがある。
「子供でいたい ずっとトイザらスキッズ」や「オブラディオブラダがかかったホンダ ステップワゴンのCM」なんかも良い。楽しさが伝わる。
「おーいお茶」のネーミングなんか最高じゃないか。亭主関白な昭和の頑固親父が母ちゃんに向かって「おーいお茶」と言ってる姿、あるいは、部長など偉い人がOLに向かって「おーいお茶」と言ってる姿が容易に想像できる(今だとパワハラ・モラハラになりそうだ)
パワハラでいえばリゲインの「24時間 戦えますか」はバブル時代を一言で凝縮した伝説級のコピーだろう。他にも「そうだ京都、いこう。」「まずい!もう一杯!」「ピッカピカの1年生」「すぐおいしい、すごくおいしい」「生きろ。」など挙げたらキリがない。
これらが文化かどうかは知らないが、私の脳裏にこびりついて離れない。私のようなWEB広告屋の端くれには、このような(文化的価値がある)広告は到底作れない。