はてなキーワード: 関東大震災とは
まず、自説については、さも客観的な言い方で、「全く無根拠なことではない」とか言っておく。
もちろん、そこにエビデンスは何一つなくても。
それから、相手の提示してきた客観的に正しいエビデンスに対しては、さも偏った研究結果からばかり引用してきたかのような言い方をして、「それに関しては、より広範な研究結果が求められるだろう」とか言っておく。
最後には、相手の提示したエビデンスも、「ちょっとは認めてやる」みたいな言い方をして、「自分は、反対論者のエビデンスを無根拠に否定する反科学主義者ではない」というスタンスを取りながら、結局、全否定された自説を変えることは頑迷に抵抗することだ。
なぜ言論の自由は前進と後退を繰り返すのか──『ソクラテスからSNS: 「言論の自由」全史』
https://huyukiitoichi.hatenadiary.jp/entry/2024/04/12/080000#fn-3a907ef9
フェイスブックやツイッターはアルゴリズムによるコンテンツモデレーションを行っているし、それはグローバルサービスが避けては通れない国家権力の圧力を受けてのものだ。
当然、そうした規制も無根拠なものではない。人種差別、扇動にプロパガンダ、あらゆる表現が世に溢れる。2018年のMITの調査によると、虚偽のニュースは正しいニュースよりも70%もリツイートされやすいという。ソーシャルメディアにおいては、虚偽やネガティブ、誇張され、感情をかきたてられる特徴を持つコンテンツは速く、広く拡散されるが、事実に即した話、理路整然とした話は拡散されない。
では、どうすべきなのか? 著者は、SNS上でのヘイトスピーチは想像以上に少なく(全体の0.1%から0.3%)、言論の抑制はヘイトスピーチを減らすよりもむしろ増幅する効果をもたらし得るとフェイクニュースも含めいくつかの研究を引きながら書いているが、ヘイトスピーチやフェイクニュースの反乱にたいしてどのように対抗していくべきかについては、より広範な研究が求められる部分だろう。
言論の自由に負の側面があることは間違いないが、同時にそれがどれほどの発展を促し、言論以外の自由の防塁として機能してしてきたのかを思えば、言論の自由を死守する意義が、本書を読めばよくわかるはずだ。
この文章の素晴らしい点は、言論の自由に負の側面があるどころか、ヘイトスピーチを減らすなど、好の影響しかなく、逆に規制は逆効果にしかならないことしか、エビデンスで証明されてないにも関わらず、「規制も無根拠なものではない」だの「言論の自由に負の側面があることは間違いない」だのと、のうのうと言ってのけている点だ。
自分たちが出している根拠は、MITの「虚偽のニュースは正しいニュースよりも70%もリツイートされやすい」という研究たった一つだけだが、これは、「言論規制は逆効果で、ヘイトスピーチを増やす」という不都合な真実を否定していない。
むしろ、言論を規制すればするほど、MITの研究通りに、虚偽のニュースがより拡散されやすくなるということが、この二つの研究結果から見えてくる。
これが、言論の自由ではなく、例えば自然保護などで、あらゆる結果から、逆効果にしかならないとわかっている政策などだったら、それが逆効果でしかないとエビデンスで証明されているにも関わらず、「広範な研究が待たれる。」だの「環境破壊は深刻で、このような措置も無根拠ではない。」だとか喚いて、逆効果な自然破壊行為を続けていたら、「環境破壊してる元凶はテメーなんじゃボケ」と、真っ当な突込みが飛んでくるだろう。
なお、こうした言論テクニックは、実際に林野庁などが、スギ植林を自己正当化して、日本人を花粉症で苦しめながら、日本の景観を破壊し続けていることに利用している。
ほかにも、同じ言論テクニックは、官僚たちの怪しい政策が、真っ当な科学的根拠によって否定されても、おそらく別の思惑によって、その逆効果な政策を続けようとする場合に、いくらでも見ることができるだろう。
そうした官僚の拙い杓子定規な使い方は、真っ当な人間に官僚不信を呼び起こすだけだが、昨今のネット叩きと、表現や言論の自由が憎くて憎くて仕方ない勢力の影響下にあるネットでは、同じ噴飯ものの反知性的言論テクニックが、拍手喝采で迎えられはしなくとも、されるべき突っ込みが起こらないというところに、最悪のポピュリズムが極まった感がある。
規制するほどヘイトスピーチが広まるのは、規制の網を掻い潜ることに長けたマスコミが、規制によって、有効な反論がされ難くなったことを良いことに暴走しているからとしか思えないが、そのマスコミが扇動すれば、こないだのイギリスのように、関東大震災朝鮮人虐殺事件を彷彿とさせるような暴動が、簡単に惹き起こされかねない状態になっているように思える。
「朝鮮人が井戸に毒を!」デマも、全ての火付け役は、マスコミだったことを忘れてはならない。
まとめブログ全盛期の頃の、悪質な大手サイトも、実際は、個人ではなく広告代理店が運営していたのだ。
マスコミの作った日本ファクトチェックセンターは、まさに「我々マスコミは事実を報道しようと努力しているので対象にしませーん」と平気でのたまって活動している連中だが、規制によってネットの一般人のファクトチェック機能が弱体化し、そうしたマスコミ製ファクトチェック機関しか残らなくなれば、また「朝鮮人が飲料水に毒を!」というデマをマスコミが拡散しても、それをファクトチェックする者はどこにも残ってはいないだろう。
マスコミが、まず在日外国人などを味方に付けるように、逆差別的な報道を繰り返すのも、明らかにこの思惑があるからだ。
「将来的には、衆愚を煽ってお前らを自由に虐殺できるように整えるけど、それまでは味方だと思わせて協力させたるわw馬鹿ネトウヨは、ただ扇動して殺し合いしてもらうだけのブタだけど、最終的には朝鮮人憎しで俺らの味方になるしなwww」
というわけだ。
実際にネトウヨが憎むべきは、逆差別的報道を繰り返したマスゴミで、朝鮮人ではないのだが、未だにマスゴミ工作員の扇動にまんまと乗せられている嫌韓ネトウヨを見ていると、彼らの工作はまんまと成功しているように見える。
一.
ワイフもらって 嬉しかったが
何時も出てくる 副食物(おかず)はコロッケ
これじゃ年がら年中コロッケ
こりゃ可笑し(おかし)
二.
開けて見たらば金貨が
株を買おうか 地所を買おうか
思案最中に 眼が覚めた
こりゃ可笑し
三.
芸者が嫌なら 身受けしてやろ
帶も買ってやろ
ダイヤもやろう やろう
いふて呉れるやうな客がない
こりゃ可笑し
四.
亭主もらって 嬉れしかったが
何時も出て行っちや滅多に
帰らない 帰らない
これじゃ年がら年中 留守居番
こりゃ可笑し
NHKドラマ「おしん」のなかで、大正12年9月1日、田倉商会の新しい工場の開業祝いの準備中に子守を任された源じいが歌っていたのが、このコロッケの唄(大正6年版)。wikipediaによるとコロッケの唄は、その後、昭和37年に浜口庫之助(五月みどり)版、平成版、令和へとなんどかリメイクされて歌い継がれてきたようだ。
大正時代のコロッケは、現代と違って、手ごろなお惣菜ではなく、東京などの洋食店でしか食べられない高級食品。この夫婦が富裕層であることがわかる。二番以降もあわせてみると、大戦後の好景気を反映し、一般投資家が増大した世相を色濃く映した、興味深い唄だ。
それはおしんの番外編。1983年放送当時の8月、おしんを演じていた田中裕子が過労静養のため撮影を中断せざるを得なくなった事態になって、急遽制作され、放送時間帯に15分ずつ6日にわたって放送された番外編「もうひとりのおしん」だ。これは、おしんと同時代を生きた山形や東京の女性に当時の話を聞くという番組。関東大震災前、おしんはラシャ問屋がつぶれたあと、子供服の店を田倉と始める。同番組では当時、日本橋横山町で子供服を始めたというおばあちゃん(放送当時90歳)の話を聞く場面がある。まさにこういう話を聞きたくて、わざわざDVDまで購入したのだが、見てよかった。
それまで和服に日本髪というのが当たり前だった日本人の服装が、洋服に変わっていったのは、関東大震災の後だといわれる。
このおばあちゃんはインタビューで「大震災があったでしょ、それからみんな裸になっちゃいましたから。それからだいぶん、服が変わっちゃいました」と答えている。この簡潔な一言に歴史のダイナミズムが凝縮されている。
おしんの物語では、田倉商会が時代を先取りする形で安価な既製服商品としての子供服のポテンシャルを見抜き、田倉の再起を賭けた。そのドラマの展開にリアリティを与えるインタビューだった。
もっとも、おしんは当初、夫である田倉竜三の羅紗問屋の事業失敗に懲りていて、大して商才もないのに夢ばかり大きい夫の行動が不安で仕方がなく、本当は手堅く地固めをしたい。子供服作業場の拡張には反対していた。だがやがて夫を信じようと思いなおし、夫の夢に賭けるようになる。
おしんのドラマは、10年に一度くらい再放送で目に留まって数話くらいずつ散発的にみていたのだが、今回、腰を据えて全297話をみていると、ドラマの演出がなかなか面白いことにも気が付いた。例えば、夫に商売の才能がない部分を自分の働きで夫婦の稼ぎをカバーしようと自分なりの仕事を始めて成功してしまう場面。プライドを傷つけられた旦那は「髪結いの亭主」さながら飲み歩くだけの怠け者になってしまう。夫を堕落させたのは自分だと気が付いたおしんは、あえて自ら稼ぐことをやめ、夫を立て夫がいつかまじめに稼いでくれるのを信じることにした。その結果、やがて今日明日の米に困るほど夫婦は追い詰められてしまう。田倉はようやく目が覚めて商人の道を諦め、勤め人として働きだすようになった。その様子をみて安心したおしんは、田倉商会の将来的な再興を目指して、子供服の商売のための子供服のデザインなどこつこつと準備を始める。おしんのデザインをみた田倉はおしんの才能を知り、いったんは勤め人として手堅く暮らそうとしていたのに、勤め人をやめて子供服の商売にまた再起を賭けようと夢を語り始めた。おしんに相談もせず勝手にミシンを購入したり、ひとを雇ったりとおしんを戸惑わせた。あげくは事業拡大のために借金をして工場建設をすると鼻息荒くしていう。
そんななか、ドラマの背景で、東京の街中で流れてくるのは「船頭小唄」。おしんの不安を象徴させる、にくい演出だと思った。
そして、大震災当日の朝、順風満帆で工場開業の祝賀を催す準備のさなか、田倉竜三の子供のころからのお目付け役である源じいが歌っていたのが冒頭の「コロッケの唄」だ。源じいは昼に発生した地震で亡くなってしまうので、源じいが幸せだった最後の瞬間だったといえる。その浮かれた雰囲気を、その時代の空気とともに、この歌はとてもよく演出している。
その後のドラマの展開は、田倉の本家である佐賀へ舞台をうつし、橋田壽賀子お得意の嫁姑地獄が待っている。
イギリスで、X上で人種差別的なデマ・煽動的言辞をもちいて暴動を煽ったとして、男が禁錮三年の実刑判決を受けた。
ずいぶんスピード判決なことも含め心情的にはグッジョブといいたいが、何罪で?
イギリスのことは何も知らないし英語も苦手だ。イギリスには純粋な扇動罪があるのか?
アメリカにはあるよな。トランプが扇動罪に問われた弾劾裁判はしかし無罪になった。
じっさい「トランプだから」慎重な判断になったのか扇動罪の運用はぜひとも慎重にしたかったのか、それは知らない。
まあ日本にもヘイトスピーチ規制法とか額面上は使えそうなものはあるが絶対に司法当局はそんな貧弱な武器で火中の栗を拾わないだろう。
そして不特定多数に対する扇動じゃなくて特定個人への中傷じゃないと警察もタッチできませーんみたいなへっぴり姿勢を堅持しそう。
そりゃね?憎悪扇動で逮捕・有罪の先例なんかおっかなくてよう作らんよなあ。
小池都知事が関東大震災での朝鮮人虐殺についてノーコメントを決め込んでいることについて小池個人を叩くより、次また似たようなこと起きそうな時にどうするのか?という話を国政レベルで本当はしなければならない。
イギリスが果断なのではなくあっちでは移民・人種間軋轢がもはやのっぴきならない状況なのだということだろう。
しかし日本はのんびりしていられるかというとそんなわけはなく、イギリスやEUやアメリカのようなそういう状況のミニチュア版は既に局所的に起きている。
予報の精度だって今はまだ10秒ぐらいだけど、金と時間と実践の追加投入で1分前、10分前とドンドン良くなる気がするんだよね。
「10分後に地震が来ますから車を手近な駐車場に停めて下さい」とか「バスや電車から降りて近くの公園に向かって下さい」とかそういった放送がされるようになったらもう全然生存率が変わるよ。
復興についてもいざ地震が起きてからやっと法整備やら自衛隊の運用方針やらが進歩していってるじゃん?
関東大震災まであと何年猶予があるのか知らんけど、それまでのチュートリアルとして人口密度がもっとずっと低い所でバンバン地震が起きて研究が進んでほしいね。
と心のなかで思ってるくせに、口にさえ出さなきゃバレないと思っている関東民の卑劣さが憎い。
お前らの本性はとっくの昔に知ってんだよカスが。