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はてなキーワード: 社会秩序とは

2014-11-09

http://anond.hatelabo.jp/20141109215749

別に顔真っ赤にして書いてるわけじゃないつもりだけど、よくわからんなあ。

(善良な警官には従うべきだが)見た目警官でも本当に警官とは限らない。本当に警官でも善良とは限らない。だから一見警官に見える人物に従うべきではない、っていう主張なの?やっぱりおれにはエキセントリックに聞こえる。

道路で知らない警官に呼び止められたら判断できないよね。無視しちゃっていいのか。みんながそうしはじめたら、社会秩序が維持できないのではないか。

それに、実際問題としてして現代日本自転車に乗っていてニセ警官心配をする必要あるの?あるいは、悪徳警官自転車泥棒捏造しようなどということがありうるの?

公道警官の格好しただけで警察沙汰だと思うけど。そして、警官が点数稼ぎをするときは普段取り締まっていない些細な犯罪を取り締まるもので、わざわざ盗んでいない自転車を盗んだものとするなんてことは非効率的なのでしないと思うけど。

ここまで書いて思ったけど、まさかとは思い増田

2014-09-05

http://anond.hatelabo.jp/20140905192321

それは法治というのがどういうことかわかってない。

刑罰報復代行であるかのように考えてはいけないんだ。

もちろん、被害者感情考慮すべき要素のひとつではある。

でも、法は社会秩序のための「システム」だ。

被害者感情を刑に反映する方法をとったとして、それで社会秩序が維持されると本当に思うのかな?

2014-06-27

オリンピック移民政策外人犯罪増えそうだよね

http://anond.hatelabo.jp/20140627003807

こんな痴漢の話題があるけど、日本人以上に、外国人の方が、痴漢性犯罪が多そう

日テレビのニュースで見たけど、最近日本人の応募が少ないから外国人バイトを増やす店が増えてきているらしい

テレビで見た限りは、日本人と同等かそれ以上に働けていたと思う

彼らのように、優秀な人材も沢山いる一方で、どうしても社会秩序を守れない外人も増え社会問題化してきそう

今後の治安対策をどのように考えているのか

オリンピック開催中は電車もかなり混むだろうし、いろいろ問題が起きそう

2014-06-15

http://anond.hatelabo.jp/20140615140230

GHQ統治されてから労災保険年金法だがビッチリ整備されて、戦争に負けてない頃の日本労働環境はタコ部屋と野麦峠世界だったんだが。

儒教文化圏から現場レベル社会秩序はしっかりしてても、統治階層モラルハザード

韓国を笑えないくらい酷くて不正と情実人事にまみれて誰も責任を取らない。

アメリカ様という「上司」が居るからまともな国になったんやろがぇ!

日本パシリ民族であるべきだ。

福島第一原発事故当時の東京電力経営陣だとか東大御用学者だとか政治家が支配する日本なんておぞましい!

また大日本帝国大本営発表だらけになるじゃないですかー やだー!

2014-04-21

http://anond.hatelabo.jp/20140421151208

マジレスすると、そもそも一部のエリート以外は適当に働いて税金払って子育てとか社会秩序維持とかの無償労働提供してくれる奴隷であってくれればいいわけで、

そういう奴隷候補たちの教育はそんなに大した問題ではないので責任は重くない。

エリート候補たちは私学で高給取りのハイレベルな教師から別枠の教育を受けている。

2014-03-23

男女差別感情論になりがちな理由

男女差別の問題を論じると、必ず感情的に男は女を下に見ているとか不毛な議論がわき起こる。

男女平等とは、当然のことながら機会の平等であって結果の平等ではない。

だが20世紀の遺物のような共産主義者が未だ力を持つ日本においては、結果の平等まで求めて逆差別が生まれている。

左翼集団は少しずつ時代に取り残されていて、やがては消えることが分かっているわけであるけれど。

それにつけても、男女差別の議論は感情論になりやすい。

なぜかと言えば、男と女生物学的に違うものなのだという科学的な事実を、どうしても飲み込めない人達一定いるからだ。

女より男の方が優れていると思っている女が、少なからいるからだ。

そして自分は女で、男ではないことを受け入れられないからだ。

だって女の方が優れているとか、女になりたいと思うことはあるだろう。

しかし男の場合は、それは恋愛感情や人としての崇拝に化ける。

女の場合嫉妬に化ける。

そして感情論を振りかざして、私を男として扱えと主張する。

ここに左翼ジェンダーフリー、家庭崩壊計画、社会秩序破壊計画が合わさると、結果の平等を求めた男女平等議論が通ってしまうわけだ。

2014-02-24

http://anond.hatelabo.jp/20140224220720

市民には社会秩序の維持のために犯罪を見つけたら速やかに通報する義務がある。

痴漢泣き寝入りする女性義務果たしていないのだよ。

2013-11-30

http://anond.hatelabo.jp/20131130222125

道徳社会秩序を保つのに役立つから価値があるのであって、その内容自体に価値があるわけじゃない。

まり、バレずに道徳を守るフリをするのが大事なのであって、人間としては道徳を破って浮気不倫二股乱交してる方が魅力的に決まってるじゃん。

もちろんバレてしまう奴は社会秩序を乱しているか軽蔑されるけどね。

2013-10-24

ガッチャマンクラウズ正義の構想

http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20131015/1381840117

 2013年9月でテレビアニメガッチャマンクラウズ』は終了したが、それに絡めて(上記URL)書かれたガッチャマンクラウズの描像に違和感を覚えたので、それをきっかけにして『ガッチャマンクラウズ』について私が考えたことを記しておきたい。尚、本稿は読者が『ガッチャマンクラウズ』を最後まで観ていることを前提に書かれている。

 さて、上述したブログの筆者(以下Rootport氏)の見解一言でまとめるなら、『ガッチャマンクラウズ』とは「社会秩序を守るタイプヒーローが、秩序の破壊と変化を受け入れる物語」ということになるだろう。だが私は、寧ろそうでなかったからこそ『ガッチャマンクラウズ』は面白かったのであり、現代日本ヒーロー像を書くことに成功したのではないかと考えている。つまり、『ガッチャマンクラウズ』に登場するヒーローたちは元々が「社会秩序を守るタイプヒーロー」ではないのではないかということだ。Gメンバーは一ノ瀬はじめが加入するまで確かに襲来する宇宙人から密かに地球を守っていたが、それは単にJ.Jの指揮下で仕事をこなしていただけであり、奉仕していたのは地球とは文字通次元の異った高度な秩序である社会秩序に「人間の理解すら及ばない高度な秩序」は含まないだろう。地球ガッチャマンたちがやらされていたのは全貌を見渡すことのできない「大きな」仕事の一部でしかない。それは結果として地球を守っていたのかもしれないが、積極的に「地球を守る」こととは明らかに違う。『ウルトラマン』が全宇宙的な秩序を守ると言いつつ地球準拠の正義に隷属しているのとは対称的だ。

 だが、はじめが加入したことで、ガッチャマンの内実は明らかにそれまでとは異ったものとなる。敵として認識されていたMESSは無害化され、「本来は手出ししない」はずのローカルな事件へ次々と関与していくこととなるのだ。その中でGALAX開発者:爾乃美家 類と出会いベルク・カッツェとも関わってゆくこととなる。はじめは何を変えたのか?ガッチャマンたちの「社会秩序を守る」という規範意識か?いや、違う。彼女が齎したのは、そもそも彼らが持っていなかった視座、即ちJ.Jが体現する高度な秩序から離れたローカルな秩序への眼差しである。はじめはそれまでのGメンバーの誰もが実は見ていなかった足元に、持ち前の強引さと直観で目を向けさせた。はじめの出現とベルク・カッツェの暗躍を通して初めて彼らはローカルな秩序と結びついたのである。端的に言って、『ガッチャマンクラウズ』は「社会秩序を守るタイプヒーローが、秩序の破壊と変化を受け入れる物語」ではない。変化を受け容れるのは神々の視座に安穏としていたヒーローたちの方で、ローカル社会秩序ネットはGALAXによって既に変化をはじめていた。自分たちの変化を受け容れたヒーローは、受け容れて初めてローカル社会の変化を知りその実感を得るのである自分が大したことないヤツだと思い知らされたからといって不貞腐れている場合ではない、自分能力に怯えてうつうつしてる場合ではないと気づき、彼らはようやく立ち上がった。

 はじめとベルク・カッツェは真逆の方向からそのことをGメンバーに知らしめる役目を負っていた。彼らはインターネットの正負両側面をそれぞれが体現していたのだ。はじめは世代職業を越えた人々と繋がりが生むポジティヴ連帯を、ベルク・カッツェは猜疑心加虐性無限に増幅させて破壊を生み続けるネガティヴ連帯象徴し、各々自らがその先頭に立つことで「流れ」を引き込もうとする。この両者は、決してバランスのとれた均衡の上で争っているのではない。はじめがネットツール:GALAXに依拠しながらもあくまで立川市内という極ローカル連帯を核にしている一方、ベルク・カッツェはネット上にありふれた不満と破壊衝動をほんの少しつついてやるだけで、姿を見せることなく、文字通り「どこからでも」破滅種子をばら撒くことができた。彼(彼女)が立川に拘ったのは、まさに憎むべきガッチャマンたちがそこを拠点としているからでしかない。この圧倒的に不利で不均衡に思える状況の中で、劇中唯一元来の意味ヒーロー活躍をしていたのがはじめだ。彼女は一切ブレることのない精神の有り様でローカルな視座から遊離していたガッチャマンたちの視線を「足下」に惹きつけ、ネットの向こう側に存在する人々と結びつけた。これに対し、ベルク・カッツェは爾乃美家 類の能力:クラウズを奪ってネット内で辛うじて留まっていた憎悪と欲望を直接現実世界へと送り込んだ。両者が別々の形でネット現実接続させ、物語クライマックスを迎える…

 正体を明かし、それまで触れることのなかった他者を知ったガッチャマンたちは、その時はじめてヒーローになった。はじめて守りたいものを思い浮かべ、傷つきながら戦い、己の無力さを痛感するヒーロー入り口に立ったのだ。それまでの彼らは、与えられた力で全貌の知れない「高度な秩序」に奉仕するだけの傀儡だったとも言えよう。だが、各々の意志翼を広げて立ち上がった彼らは、従うべき規範を越え、ローカルな秩序を守ることに全力を尽くす。しかし、立川防衛するという一見ローカルな戦いは、爾乃美家類によってGALAXを通したグローバルなゲームと直接接続された。そのことによって、ローカルグローバルな舞台となり、グローバルな力がローカルに及ぶ。暴走するクラウズとの戦闘に、Gメンバーゲーム参加者達は勝利する…皮肉にも、そしてある意味当たり前のことだが、これはベルク・カッツェが行ったことと表裏一体である。いや、同じことだと言ってもいいだろう。彼が先に仕掛けたのは、まさに類が提案したゲームであり、参加の動機付けけが異なっていたに過ぎない。だからこそはじめは「正義ってなんなんスかね~」と戦いの後で口遊む。彼女は理解しているのだ。理解しているからこそ、ベルク・カッツェとの対話を試みる。

 ネットだけでも、人智を越えた力だけでもダメなのだ。戦いを終え、ようやく彼らは入り口に立った。ゲーミフィケーション世界を救ったようでいて、実は違う。GALAXは、単体では無色透明なツールでしかない。そこに参加する者達がどのような動機を持っているのかによって、はじめにもカッツェにも成り得る。目指すべきは秩序を根底から覆す変革ではなく、既にある秩序の漸進的な「アップデートなのだ

蛇足

 『ガッチャマンクラウズ』は「ヒーローは最早必要なく、世界は我々の手に委ねられている」なんて呑気な話ではない。少し長く引用するが、Rootport氏によれば

 『ガッチャマンクラウズ』では、誰もがスーパーヒーローに準ずるような力を手にした。『キックアス』のように「ヒーローになれるわけがない」と笑い飛ばすのではなく、ほんとうにヒーローにしてしまう。これは現実世界メタファーと見なせるだろう。ネットが一般化して20年あまり私たちは実際に、英雄に準ずるような力を手に入れてしまった。

 世界を変えるのに、肩書きも立場もいらない。

 名も無き個人でも、世界に影響を与えられる。匿名のままでも、世界に向けて発信できる。

ということらしい…言いたいことが沢山ある。まず、Rootport氏が言及している映画版キック・アス』は「ヒーローになれるわけがない」と笑い飛ばしてなんかいない。力(スーパーパワーや金)のない者が現実ヒーローになろうとした時にどれだけの代償を払うのかを冷酷に示して見せている作品だ。勿論、コメディ的要素も色濃く入っているが、本質的には「力がなければ正義をなさなくても良いのか?」という問いに否を突きつけようとして、血塗れになる物語である。そして、コミック版の『キック・アス』は映画版を超え、ヒーローをある種の病気として扱い、その行き着く悲惨さと哀しさを描いてみせた。どちらもアメリカ特有のヴィジランテ文化立脚したヒーロー解体し尽くしても尚、何が残るのかを問うている…大いに話が逸れた。話を戻すが、私達は一般化したネットによって「英雄に準じるような力」を手に入れてなんかいない。決していない。手に入れているのなら、ガッチャマンたちは必要なかっただろう。お役目御免で、そもそも出てこない。人々は手に入れた「英雄に準じるような力」でさっさとカッツェを撃退してしまえばよかったのだ。だが、それはできなかった。代わりに見せつけられたのは、匿名のままでは、名も無き個人のままではダメだということ。匿名でない誰かがインセンティブを与え、ゲーム動機付けを行わなければ動かない現実だ。匿名の誰かによって動かされたゲーム暴走し、手が付けられなくなる様だ。これは何も特別なことがわかったわけではない。ただ、ネットというツールの「当たり前」を見せられただけなのだから。『ガッチャマンクラウズ』は、寧ろ我々が「英雄に準じるような力」を手に入れたわけではないと戒めるような作品だと思っていたのだが…Rootport氏は「世界アップデートする」をただのキャッチーな標語かなにかとして受け取ったのだろうか?

蛇足蛇足 

 Rootport氏は細かい点(その実重要な)について気にしないのか気づかないのか、とにかくざっくりした区分けで語る傾向がある。ヒーローの系譜を何故か『マトリックスから始め、『X-MEN』『スパイダーマン』『V for Vendetta』『まおゆう』『キック・アス』『ダークナイト』『タイガーバニー』『サイコパス』を辿っていく。日本なの?アメリカなの?どっちなんだ。アメコミの方は何故映画ばかりで原作に言及しないのか。日本アニメに触れるなら、何故大元の『科学忍者隊ガッチャマン』含めたヒーローアニメの系譜に触れないのか。ライダー戦隊には何故触れないのか。その辺りが謎である特にローカルヒーローモノに触れないのは、『ガッチャマンクラウズ』が描いてみせた「現代日本ヒーロー像」がそれまでのものとどのように違うのかを明らかにできない点で致命的だ。寧ろ『ガッチャマンクラウズ』が彼の言うような作品なのだとしたら、『東のエデン』にこそ触れて比較すべきではないのか?…このRootport氏が諸作品を引用した部分について言いたいことはまだまだ山ほどあるのだが、虚しくなってきたのでこの辺にしておく。

2013-06-25

http://anond.hatelabo.jp/20130625183432

第三者に聞かれるようなシチュエーションの時点で公だし、

あなた「公私を判定するという観点からすれば」どちらも公だ、と言っているのと同じじゃないですか。

いやいや同じじゃないよ、断じて同じじゃないよ、とんでもない。

繰り返しますが「公私を判定するという観点からすれば」「公私を判定するという観点からすれば」「公私を判定するという観点からすれば」同じです。

あなたが述べている違いは全て与える影響の規模・発生確率にすぎず、公開性を基準にするならばどちらも常に「公」ですし、立場などを基準にするならばどちらも等しく「私」でありえます

 

逆に言えば、それが免罪符になるのであれば、どんな誹謗中傷殺人予告、虚偽、脅迫に値する書き込みであっても「個人的なやりとりですー」で済まされることになる。そんなことが許されるわけがない。

不特定多数の目に触れて被害を発生させているのであれば「個人的なやりとり」でも罰せられます

個人的なやりとりであれば罰せられない、という命題が偽です。

 

私的会話なら、社会秩序や他者の権利を傷つける言動でも問題ないはずだけど?

私的なことならどんなことをしても問題ないとは、恐ろしい考え方ですね。

http://anond.hatelabo.jp/20130625181534

公私を判定するという観点からすれば、同じですよ。

いやいや同じじゃないよ、断じて同じじゃないよ、とんでもない。

家の中や隣の人にしか聞こえない会話と、全世界から見られるインターネット上の会話が同じなんてとんでもない。他の人も言ってるけど、第三者に聞かれるようなシチュエーションの時点で公だし、その上インターネットは「隣に聞こえるか聞こえないか」というレベルの話じゃない。

たとえば仲間内で、有名人政治家名前をあげて「◯◯はろくでもないことばっかりしてる、いつかぶっ殺してやる」とか、「なんかいらつくから◯◯駅爆破してやる」とかって言っても冗談で済むけど、ネット上でたとえ個人的なやり取りだったとしても、誰からでも見られる場所で同じ発言をするのが、同じなわけがない。

逆に言えば、それが免罪符になるのであれば、どんな誹謗中傷殺人予告、虚偽、脅迫に値する書き込みであっても「個人的なやりとりですー」で済まされることになる。そんなことが許されるわけがない。

行為が私的なものであろうが公的なものであろうが、社会秩序や他者の権利を傷つけるなら取り締まらます

私的会話なら、社会秩序や他者の権利を傷つける言動でも問題ないはずだけど?

どっちなの?

http://anond.hatelabo.jp/20130625180329

近くにいる数人に聞こえるか聞こえないかのその場限りの会話と、いつでも誰でもどこからでも見られるネット上の会話が同じだと本気で思っているの?

公私を判定するという観点からすれば、同じですよ。

「都合のいい喩え」とレッテル貼りで済まそうとする行為こそ具の骨頂だと思いますが。

「ありとあらゆるどんな観点から見ても同じ」と主張しているかのように見せかけるその発言こそ、ちょっと議論の仕方として問題があります

 

たとえば屋内から、ある個人を誹謗中傷する発言を(たとえば◯◯の家の娘はアダルトビデオに出てるという嘘とかを)外に聞こえるような大声で発言し、それを近所の人が聞いて大問題になった、としても家の中で発言したのだから問題ない、とでも?

何か勘違いしているようですが、別にわたしは「問題ない」などとは一切言っていませんよ。

問題があろうがなかろうが、行為自体は私的なものでもありえます行為が私的なものであろうが公的なものであろうが、社会秩序や他者の権利を傷つけるなら取り締まらます

2013-06-15

レイプ犯に科せられる刑は現状でも重すぎる

http://anond.hatelabo.jp/20130615144356

レイプ犯を極刑に、などという主張は正気の沙汰とは思えない。

レイプ卑劣犯罪であり罰せられるべきであることは言うまでもないが、被害は性的自由の侵害にとどまり、命まで取られるわけではない。

被害者が「死ぬよりも辛い」などと述べるのは一種の比喩か、または個人の主観としてはそうだというにとどまるのであって、公平に見た場合レイプは命を奪うような犯罪に比べれば軽微な罪であると言わざるを得ないだろう。

したがって、レイプ犯に命まで奪われたようなケースについて強姦致死や殺人として重く罰することはあるにせよ、レイプそれ自体に対して「心と身体への疑似殺人」だから極刑に、などという主張は馬鹿げているというほかない。

それどころか、これはあくまでも個人的な印象に過ぎないが、現状でさえ性的自由が過度に重視されレイプ犯に科せられる刑は重くなりすぎているように思う。

数年前、強姦致傷で懲役50年という判決が話題になったが、そこまで極端でなくとも強姦致傷で20年超の懲役刑が言い渡されることもあるし、10年超の懲役刑などは珍しくもない。

他方、傷害致死などは生命侵害という重大な結果を生じさせているにもかかわらず、3、4年程度の懲役で済むケースも多い。自動車運転過失致死に至っては、最高刑でさえ7年以下という呆れるような軽さである

殺意がない」ことを考慮するにせよ、これはあまりにひどい。

数度のセックスが何十年もの懲役に値する重罪か。生命侵害は3、4年程度の軽微な罪か。数度のセックスより人の生命は軽いというのか、と毒づきたくもなるというものである

罪に対する適正な罰は、社会秩序を維持するうえで欠かせないものである他人事と思わず、この増田を読んだ全員に一度しっかりと考えてもらいたい。

2013-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20130608015720

今の反対派の論理だと、一応は社会秩序の役に立ってるという意味で、

どうにかして「健全文化」の枠に収めないとムリがある。

でも、フケンゼンじゃなかったら文化じゃないよーな。

2013-05-20

http://anond.hatelabo.jp/20130520142859

「**が憎いから殺して良い」

と同等の事言ってる自覚あるの?

生物としての本能社会秩序を保つため、理性によって抑制されて当然

それができない奴は猿

2013-05-13

http://anond.hatelabo.jp/20130513013305

釣りなのか本音なのか済まないがわからなくなってきた。

とりあえず最後に、

1、そんなつまらない宗教観は捨てろ。

そもそも親告罪は恨みを原動力になどしていない。

あくまで原動力は社会秩序の維持。

2、警察がこの手の件であまり役に立たないことは事実なので

おそらくこういう件だと弁護士使ってプロバイダに公開請求して

相手を特定しそいつに賠償請求したほうが早いし確実。

あんたが言ってることが事実なら判例的にもほぼ確定的に勝ちが取れる事例で

確かに手間と労力がかかるが全然ギャンブルじゃない。

それができないというのなら正直もう俺的にさじを投げるしかない。

後はご自由に。寝るので。

2013-04-07

http://anond.hatelabo.jp/20130407121856

対象外ってのは無意味だよね。これからは対象にしようと言われたら終わり。対象するかどうかという前提や立場が違うと言っているだけ。前提や立場が違う人を説得できてない。

2行目も、現代ではそれを社会秩序に反するものと扱ってはならないという合意が作られている、という立場を取っているだけ。合意していない人にとっては意味のないことを言っている。

社会秩序に反するものと扱うべきである考える人にとっては、社会秩序に反する行動である

http://anond.hatelabo.jp/20130406175115

まず、種の保存についてどうこういうのは精神医学の対象外なのでは。悪名高き優生学範疇でしょ

そして、同性での合意のある性行為に関して、現代ではそれを社会秩序に反するものと扱ってはならないという合意が作られている

社会秩序に反する行動でない以上、精神障害と認められない

2013-02-24

http://anond.hatelabo.jp/20130223215401

その4つとも重要ではない。刑罰に期待されるのは、威嚇によって犯罪を未然に防ぎ、一般市民が法を信頼するようにして、社会秩序を維持することでしょ

過去死刑を廃止した国で、死刑を廃止したことで犯罪が増加したというデータはない

少なくともカナダでは殺人に対する死刑を廃止する前は1.5/10万人を下回っていたが、廃止後は1.5/10万人を下回った年はない

http://www.geocities.jp/aphros67/090620.htm

2012-09-23

http://anond.hatelabo.jp/20120923230311

まぁ、警察としては、「社会秩序の維持(に対する労働効率性)」で動くから、(よく知られており、また多数存在するであろうことが明らかな)万引については一罰百戒で動くけど、こういう話になると、「店ぐるみの犯行」を証明するのに苦労することが明らかだから、証拠が揃うまでは動けないだろうなぁ。

はいえ、被害届けを出したら受理を拒否はできないことになってるので、一応被害届けは出しておくのが良い、ということになってる筈。あとは弁護士無料相談かねぇ。

被害者」が今回の件で数名以上名乗り出たら、風向きは変わるかもしれん。

しかし、日本も日々暮らしづらくなってきたね。これが没落ってことか。

2012-08-09

http://anond.hatelabo.jp/20120809021718

仙台地裁石巻支部昭和62年2月18日判決ですね。

この裁判例は、先の最高裁判例が承諾の動機、目的、手段、方法、損傷の部位・程度などを考慮して承諾の有効性を判断するべきとしたことを前提にしていると考えられています

で、当該事件ではヤクザが不義理のけじめをつけることを目的としたわけですが、ヤクザという反社会的暴力集団において指つめは、組織の維持や(反社会行為の)指揮命令を徹底する装置として働く面があり、動機、目的において、処罰の必要性が高いと考えられたのでしょう。

(この件に限らず、暴力団絡みの事件では裁判所はかなり厳しい(暴力団にも理論的にも)判決を出す傾向があります。)

いま想定しているのは、(私学の)高校生が(某私立高校場合と異なり)自ら喜んで根性焼きを行っているような場合ですので、ヤクザと違って社会秩序への影響は無いといえます。もちろん、その高校生犯罪集団所属している等の特殊事情があれば話は別ですが。

ここでは個人の自由と部外者の嫌悪感が対立しているに過ぎず、個人の自由を尊重すべき場面だと思います

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