はてなキーワード: 検察庁とは
なんかこう、ある話題について ネット上で多数の声が上がったり あるいは炎上したりすることが、政治家やメディアに「世論」と受け取られることが明らかに増えたよな。昔はネット民がいくら騒ごうが見向きもされなかったのに。
例えば #検察庁法改正案に抗議します の件がその典型。ちょっと前のことだと、保育園落ちた日本死ねとか。あと昨日、ナイナイ岡村さんの炎上を受けて、チコちゃんの番組のエンディングで NHK が謝罪テロップ出したりとかしてたけど、NHK がネットで盛り上がったの声に対して声明を出すとか、一昔前では考えられただろうか。
僕はネットに住んでる側の人間だから、自分に近い人々の意見が政治家やメディアに汲み取られるようになったのは 個人的には有り難いんだけどさ、日本全体で見たときに 果たしてそれって良いことなんかね。(反語でなく素直に分からぬ。)
ネット民達の声 ≠ 日本全体の民意の縮図 であるのは、ネット上で支持されてる政党と実際に選挙結果の違いを見れば明らかなわけでさ。
検察庁法改正の件で、「検察が暴走したらどうするんだ」とか言っている人は、何を言っているのか分からないのだけど、あれはどういうつもりなの? ネタなのか。
内閣の気分で定年“延長”の決定ができるようになることの、どの部分が「検察の暴走」の抑止に寄与するの。
「ワシに良くしてくれたら良いポスト用意したるわ。けど、反抗したら明日からお前の仕事無くすこともできるんやで」っていう恫喝で、内閣が検察を抱き込めるようにしたい、としか読めないんだけども。
自分の選挙区を代表する衆議院議員が、この件に関してどういう意見を持っていてどのように投票するのか知りたい。
そして、この法改正に反対して欲しい、と言う自分の意見をできれば伝えたい。
どうすればいいの?
https://i.imgur.com/xR1Chib.jpg
まさにこういうのが民主主義を潰そうとする勢力との戦いなんやな
俺らは今生で見ている
「コロナで大変な時期に検察庁法改正案を通すな」の意味が全く分からない。法案の問題点というのは、今がコロナで大変だろうがなかろうが不変なはずで、時期は関係ない。今じゃなかったらいいのか?
この「今やるな論法」が嫌い。
「今やるな論法」に既視感があると思ったら、原発事故の後もあった。脱原発派の一部には、「福島の事故がまだ収束していないこと」を脱原発の理由に挙げる人間がいた。福島の事故が収束したらお前は原発を容認するのか?
「国民が監視を行い、問題があれば、当該政権への非難を行えば」と書いてるが、そもそもあなた自身が監視するつもりがないように見える。
それとこれと何か関係がある?
司法制度改革はそれが必要と思われたから改革したのであって、今回「検察庁とりわけ前任の検事総長の意見を尊重」することが問題視されたわけじゃないよね?
関係ないところで慣例を変えるなら、その意図は何なのか気にならない?
この過程に疑問を抱かないのはびっくりする。
どういう判断基準で定年延長する人を決めるか全然決まってない内から改定案強行採決されそうだけどね。
そういう検事総長が誕生したとして、検察官は知らんが国民がそれを見抜いて何かできることはあるの?
そういう検事総長が誕生し得る法改定がされそうだと見抜いて、今国民が声を上げてるんじゃないの?
まぁ、個人的には黒川氏が検事総長になる確率は極めて低いとは思うけど、あの安倍が、この時期に(コロナもそうだけど、黒川氏が在任中というのも大きい)強行採決しようするのはきな臭いものしか感じない。
まず自分は、今回の検事長法改正案は(少なくともタイミングという点において)問題があると思っているし、法改正以前に定年変更を押し通したのは大問題だと思っている。その上で、今回の件に限らない「著名人が政治的スタンスについて表明すること」の是非については、(政治的スタンスが同様の)多くの人たちと考え方が違うのだなと思って、ここで思考を整理させてほしい。(あるいは、いっそのこと論破してくれたら嬉しい)
当たり前だが、個々人の政治的信条とは、右も左もどちらかが一方的に正しい/間違っているのではなく、スタンスが違うことがほとんだと思っている。どちらかが一方的に正しいわけではない、ということは、今回の件とは真逆の政治的思想を著名人が表明しても、表明すること自体は受け入れるべきだと思っている。(あんまり自分の中でダブルスタンダードを許容したくないタチだ)
一方で、正直な気持ちとしては、自分の推しがある日、自分の政治的スタンスとは逆の立場を表明したらすごく悲しい。たとえば、あなたの推しが「検察庁法改正案に興味ありません」ハッシュタグを使い出したらどうだろう?あなたの推しは「確実に自分が好きになるような人だから、自分と同じ政治的スタンスだろう」って言い切れるような人だろうか?
あるいは、近年のゆずにがっかりしたことはなかった?自分は「夏色」や「さよならバス」まで色褪せていくように思えてしまった。
(参考: https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55216 )
別に自分の考えと逆のスタンス表明されるのだけが嫌なわけじゃなくて、結局いつだって、間違っているわけではない逆の立場の人達が、こういう思いをするんでしょって思ってる。
自分の推しに恋人がいるかどうか知りたくないのと同様、自分の推しの政治的スタンスなんて知りたくない。恋人いることを表明しながらデビューするような手法をとってくれればいいのかな。それともファンが、政治的スタンスと、その人を推したい気持ちを、切り離して考えていけるようになるべきだろうか。政治発言の多いアメリカの有名人ファンとかどうやってんだろ。
別の観点として「"不勉強なことを語るな"と言うべきでない」という風潮もあるけど、たとえば、不勉強なまま医療についての発言をされるのは完全に害悪では?それは命が関わるからだろうか。ただ、政治だって(少なくとも)中長期的には自分たちの命を左右するものでは。というわけで不勉強を自覚するのならば、下手に影響力ある人が政治を語るのは正直やめてほしいと思っている。
確かに「政治を語るな」を個人に押し付けるのは良くないと思う。というわけでなるべく誰かに押し付けずに済むよう、ここに書きにきてしまった。また、「政治を語ってほしくない」というこの文章も、結果として一つの政治観を語ってしまってるのだが、自分の人格と切り離してそれを語れるこの場所があってよかった。きゃりーぱみゅぱみゅも増田に書けばよかったのにねって思っちゃう。
学生の頃からネット上の付き合いがある人がいて、10代の頃はご飯食べに行ったりとか好きな音楽繋がりの仲だったのでライブ行ったりとかしてた。
社会人になって会うことはなくなったけどツイッターではちょいちょい話したりとかしていて話す事も日常の些細な事や、飼ってる猫の話ばっかだった。
コロナが流行り出してマスク二枚配るって政府が言い出した時余りにも自分の中でお粗末に感じてやべーな、おもしれーってツイートしたらその友達が空リプで怒涛のマスク擁護を始め出してちょっと怖くなった。
ちょっと皮肉屋なところがあるやつだから冗談なのかな?と思ってスルーした。
そんでこないだの検察庁法改正の件ではてなでもホッテントリに入ってた抗議した人がどれだけ居たのか詳しく調べたnote、あれが自分のTLの感じとも大体一致してたから納得できるわ〜みたいに呟いたら今度はbotとスパムは徹底的に通報!!プロパガンダに乗せられるな!!!みたいな空リプめちゃくちゃされてすげー怖くなってきた。
しかもその日からいつも自分がしてるくだらん日常ツイートにもいちいち突っかかる様になってきて他のツイートも陰謀論とか民主政権の頃を思い出せ!!とかすごい呟く様になっちゃってなんか疲れてブロックしちゃった。
ていうか今までお互い全然政治的な話とかした事なかったから向こうが何を支持してたとかも知らんし自分は特別どこを支持するとかも無かったのになんかめちゃくちゃ攻撃されてこんなんなら猫の画像だけあげてりゃよかったんかなとか思ったりもした。あーー寝よ
検察庁法改正案の問題点は、「内閣にとって都合の良い役職検察官の定年延長は認め、それ以外は認めないという事態が起きる可能性が排除できない」ということだと思う。
たしかに、その時の内閣が悪用する可能性があるわけで、慎重に議論して、廃案にしてもいいかもしれない。
一方で、そういえば、最近、似たような話を聞いたなと思っていたが、ちょうど今日気づいた。
韓国は、検察の力が強すぎるため、それを弱めるため立法措置をしている。日本とは事情が異なるが、検察に介入したのは同じと言える。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/67016?page=2
検察庁法改正案賛成派を寝返らせる方法は、ずばり「日本が韓国と同じになってしまうぞ」と主張することだ。
賛成派のうち一定の層には効くと思う。
一方、反対派にとっても、韓国と同じになってしまうことは「むしろ望ましい」と考える層が多そうだから、比較的受け入れやすいのではいか。
アニメ業界、政治的発言はするなよ、という無言の圧力を感じます。みんなはっきりとは言わないけどね。クソくらえ。— 水島努 (@tsuki_akari) May 13, 2020
ガルパンで有名な監督さんも検察庁法改正法案に抗議されています。
オタウヨの嫌がらせやクソリプは避けられないでしょうが、あんな卑怯な連中の同調圧力に負けないでください。ネトウヨのデマなんて弾き飛ばしてやりましょう!
http://blog.livedoor.jp/tokyolaw/archives/1077404701.html
ネットにおける検察庁法改正案反対運動の動きは目覚ましいものがあり、どうでもいい問題と思っていた私としても意見を変えつつある。世間の状態や政権不信があると、こういう技術的なものに近い話が、特に興味を持たない、何となく怖いと思っているだけの人々をここまで大きく動かせるのだと、率直に恐怖に近い感情を覚えた。専門家からの指摘についても、良いものもあるが、上記の東京法律事務所の記事は法案反対・現政権批判という色が強く、ややバランスを欠いているように見える。
この件については、既にバズっているとんふぃ氏のまとめが比較的中立でわかりやすいが、少し専門性が強く読みづらいかもしれない。ちなみに、別にとんふぃ氏は改正賛成はではなく、どちらかというと反対に近いように見えるが、本当の問題がどこにあるのか、という点から、網羅的・中立的にまとめておられる。
https://note.com/tonfi/n/n95a2265c6273
また、慶應義塾大学大屋雄裕教授のTwitterも参考になる。
https://twitter.com/takehiroohya?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor
こういった良情報があり、注目を集めてもいる状況がありながら、東京法律事務所の記事が分かりやすいと賛同を得る状況を見るに、内容面への理解というよりは、現政権はおかしい!何か危ういことをしようとしている!というスタンス・危機感に合っているかどうかが重要視されるようになっているのではないかと感じている。
こういうときに、上のお二人には到底及ばないが、少しでも落ち着いて考えるように促す投稿が別途あっても良いかもしれない、というのがこの投稿を書いている動機である。
本改正案は、細かいところを捨象すると、①検察官全体の定年を63歳から65歳に引き上げる、②一定の役職については役職としての定年を63歳(現行法の通常の検察官の定年と同じ)にする(=その後は平の検察官に戻る)、③一定の事由がある場合、内閣によって②の役職の定年や①の検察官としての定年を延長することができる、という3段階の制度を設けていることは広く知られていると思う(ただ、ここは、役職等により色々な条項が入り乱れており、ざっくりまとめれていることがほとんどであるため、理解をしにくくしている点かもしれない。)。
このうち、問題視されている③について、私は、特段必要性がないと思っていることが反対の理由である。三権分立というような大上段の話ではない。
①については、公務員全体の定年引上げという中で、そこと揃えるのであるから、特に反対する理由は思いつかない。ここについては、東京法律事務所も問題ないとしているので、特に取り上げない。
②についてであるが、高齢化社会において定年の延長という社会全体の趨勢があるとしても、トップやそれに近い要職に高齢者が就いているという事はあまり好ましいものではないと考えており、私としては問題がないものと考えている。ここも、東京法律事務所の記事で特に反論されていないのでこれ以上は触れない。
③については、例えば民間企業等において、優秀なトップに引き続き職責を務めてもらいたい、というような理由で高齢の方が一般の定年年齢を過ぎた後も働くということは往々にしてあると思われ、規定の趣旨としては理解できるものである。ただ、そのような能力があると言えるかどうかの検証は困難であると思われ、実際には、政治力等々、様々な事情の絡んでくる話になるだろう。とすれば、②の趣旨を貫徹し、一律新しい風を吹き込むべきであるというのが私の見解である。この辺りは、各人に考えの違いがあるのではないか。ただ、それは、定年という制度への考え方についての話であり、三権分立がどうとか、現政権の陰謀というような話にはならないだろうし、これほど世間が大きく盛り上がるような話でもないと考える。
2.三権分立について
何故、私が、今回の件について三権分立と関係しないと考えているかという点だが、これも散々に指摘されているところではあるが、そもそも、現行検察庁法上、「検事総長、次長検事及び各検事長は一級とし、その任免は、内閣が行」うものとされていることから明らかなとおり、内閣に一定役職の任免権があるからである。
最も恣意的な関与を及ぼしやすい場面の一つである任命について内閣にその権限があるのに、定年を伸ばすという「出口」だけを殊更問題視することで、いったいどれほど政権の恣意の排除ができるのだろうか。
この点について、東京法律事務所の記事は「歴代の自民党政権は、検察庁とりわけ前任の検事総長の意見を尊重し、これに介入しないという慣例がありました」として、任命権があるからと言って時の政権の自由にできたわけではないことを挙げているが、まさか、この慣例に反することが違法だという趣旨ではないだろう。そうだとすると、検察庁法の立て付けとして、任命については、精々政権が慣例に配慮することを望むことはあるかもしれないが、内閣に任せても三権分立は維持できるということになっている。ならば、定年延長についても個別事例においてきちんと国民が監視を行い、問題があれば、当該政権への非難を行えば十分であるだろう。余談だが、先述の慣例を無条件に守るべきであると考えているのであれば、昨今(というほど最近でもないが)の司法制度改革を通じ、一種「象牙の塔」と化していた法曹界に国民との間での双方向性を入れてきた流れとは、ずいぶん異なるようにも思う。
結局、この法改正があろうがなかろうが、適正な三権分立の維持のためには国民の不断の監視こそが重要であることは、若干文脈が異なるがとんふぃ氏の指摘するとおりである。三権分立の点から批判するのであれば、せめて、任命についても含めて、より大きな視点からの制度設計を描かない限り、説得的ではないのではないか。
(ここからは全くの邪推だが、定年を伸ばせる程度では大したことはできないだろうという見解に対し、任命の問題と別の大問題だという見方をする方の背後には、桜を見る会やモリカケ、あるいは、それこそ黒川氏の定年延長問題など、様々な問題についての現政権批判が結局は世論に届いてこなかったという無力感や怒りがあるように感じることがある。結局、国民が監視し、意見するということの力は、大したことがないのだと。ただ、本当にそれは大したことがない力しかないのだろうか。)
正直に言えば、黒川氏の定年延長については私の興味の外に近い。既に内閣の見解として、検察庁法に関わらず定年延長可能という解釈が示されている以上、今回の改正と絡めて邪推をするよりも、個別に法解釈上の問題を争うとともに、個別の妥当性についても問題にすべきだろう。事後的に定年延長を正当化するものであり、政権の不当な解釈変更を事後的に承認しかねないものだという見解も多く見られるが、国会において適法に成立した法に則り、適切なプロセスを経て定年延長をすることが仮に可能なのであれば、それはそれで問題が無いのではないか。こういうのもなんだが、そもそも、わいろというのは見える場所でやり取りする物だろうか。丸見えのわいろに従って忖度した判断をする検事総長等々の判断に反抗しないほど個々の検察官は軟弱で、国民は見抜けない程阿呆なのだろうか。
ただ、結局、この問題と絡めたおかしな邪推がしやすいような状況で、改正を推し進めた結果が国民からの不信を高める結果を助長したのは間違いがなく、改正法は成立になっても不成立になっても禍根を残すだろう。非常に悲しく、恐ろしい状態になってしまったなと感じる。
4.今回の反対運動について
まとめであるここの項が、一番言いたいことであり、また、一番の放言であるのだが、Twitterのハッシュタグでの拡散による反対運動が一定の成功を収めたように見えることは、非常に怖いことであると感じた。今回の件について、きゃりーぱみゅぱみゅ氏が炎上してしまったことは大変悲しいことであると思うし、個々人が、自身の理解の中である政治的問題への意見を表明すること自体は悪いことであろうはずもない。ただ、Twitterという短文投稿の場で、ハッシュタグの拡散を行うという安易さは、民主主義の基礎たる議論となじむものなのだろうか。そこにあるのは、何となくの不安や恐怖に対する共感が主であり、相互理解のための議論があるとはどうしても思えないというのが私の意見である。そういった共感による多数を作ることが民主主義なのだとしたら、全体主義はそのすぐ隣にいるのではないだろうか。
Twitterでネトウヨ的な発言をしたり、検察庁法改正案反対運動を揶揄してたりするアカウントを見ると、結構な確率で猫のアイコン画像を使ってるんだよね。アニメアイコンとか日の丸アイコンなら分かるんだけど、なんで猫アイコンが人気なのか不思議。犬じゃなくて猫。