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はてなキーワード: 公理とは

2014-12-28

http://anond.hatelabo.jp/20141228171644

ルールは変わっても事実は変わらない」これを公理だと思って「事実」の定義について考えてみるといい

(一応言っておくと、そういうもの存在するかどうか、つまり公理を認めるかどうかは、俺が言った哲学問題であり思想問題にもつながる)

2014-12-27

http://anond.hatelabo.jp/20141226100757

ヒョロ川がブコメで叩かれてるのが可哀想なんで彼の言い分を無理矢理引き伸ばすと、

「世の中には無限を完結した単体として扱う実無限教科書)、

無限手続きとして扱う可能無限キューキュー)の

つの考え方があるんです。

から、可能無限立場に立って手続きをいくら繰り返してもイチにはならないだろう、という君はある意味正しい。

ただし、可能無限立場に立つと数学公理系は殆ど広がらなくなってしまうので、

高校大学それ以降で付き合うことになる現代数学殆どは実無限立場に立っています。だからそんな事考えんでもええ」

2014-11-28

http://anond.hatelabo.jp/20141128141948

いや 

全ての 2 よりも大きな偶数は二つの素数の和として表すことができる だったと仮定しても

すべての素数の積とは何の関係もないし

そもそも 大雑把に言うと

すべての素数の積が偶数かどうかは 公理系の問題から まずどの公理を選択するのか?という事を決めないとしょうがないという問題であって証明できないわけじゃない。

すべての三角形内積の和が180度であるかどうかは、リーマン平面上の話とするか、という公理を選択しないと答えがない。というだけで

いわゆる一般的な平面上の話しなら、内積の和は180度だし、特殊な平面上を扱っていいなら内積の和は180度じゃない。

 

もう少し別な話で言うなら 2つの物体を落とした時に、質量が落下速度に影響するか?という話で 空気抵抗を無視するか?しないか?という事を選択しないといけないけど

 

地球上で起きる現実の話をするなら 空気抵抗は無視できないし

論理上の話をするなら、空気抵抗は無視して話をする

まり、どうしたいか?という事を先に言わないと 答えが出ない。

 

無限を扱わない、数学なら 偶数だし

無限を扱う数学なら 2を含む無限の集合は 偶数でも奇数でもない。

 

というふうになるだろうし・・・そこから先は僕にもよくわからない。

 

2014-10-12

http://anond.hatelabo.jp/20141012112519

そういうレベルの低い煽りは話が進まなくなるだけだからやめてくれ。

もちろんニートではないし既婚だしそこそこ羨まれるような仕事してるよ。

まあ、幸福というのは諦めからまれものであって、諦めて今手の中にあるもの幸福だと認識し、それ以上を求めず、それに違和感を持たないようになるのが幸福になる道である

それは仏陀あたりが「幸福」をそう定義したんだよね。公理みたいなもんであって、その公理系が全てというわけではない(と思う)。別に違う公理系で違う論理体系を立ててもいいわけだ。

幸福」とか簡単に言うけどその幸福ってなんなのかわかってんの?お前が欲しいものは本当にそれなの?って話。

2014-09-16

http://anond.hatelabo.jp/20140916181927

宗教って、その宗教基本的前提(「すべては空である」とか「愛は幸福をもたらす」とか)を認められない時点でその人にとってはゴミ以下の価値しかなくなるよね。

公理を認めない時点でそれ以降の数学議論が全部意味なくなるのと全く同じ。

からなんだっつーわけじゃないけど。

2014-07-13

http://anond.hatelabo.jp/20140713002117

この遺伝子を持った人のルーツは、こういう流れだよね、というのは作れるけど、そもそもどこでどう生き物を分類するべきか、っていうのはそれ自体が難問だし、とりあえずこういうことにします、って分類は作れるけど、ぶっちゃけとりあえずそうしたら共同で認識するのに便利、意思疎通や共有に便利だから、という理由でしかない。

そもそも数学でさえ、公理をとりあえずこういうことにします、と根拠なしに決めてその上に組み立てているものだ。

学問ってそもそもそういうものだよ。それはそもそも人間認識が、分類を脳内で作り上げていくものからだ。

2014-07-08

http://anond.hatelabo.jp/20140708013434

公理論理なんてもんは脳がうまく物事を理解するために編み出された手法かもしれないってこと。

人間とはまったく異なる脳の構造、もしくは思考することができるものがあったと仮定するなら、またそれにあった公理なんかが必要になるんじゃないかな。

まあ、人間自分の中に無い概念をそうそ理解できるもんじゃないから、それが具体的にどういうものか?ってのは俺もよく分からんけど。

もし答えられたら歴史に名を残すくらいの哲学者になるかもね。もしくは変人として相手にされないか。

http://anond.hatelabo.jp/20140708012832

何が言いたいのか分かりそうで分からん

公理が同じなら」が幻想ってどういうことだ?

公理が同じってグッと砕けた言い方をすれば

スタート地点とルールが同じってことだろ?

だったらぜんぜん違う概念もクソもないんじゃなかろうか

http://anond.hatelabo.jp/20140708012434

普通人間だったらね。

公理が同じなら」っていうのは、もしかしたら人間の脳が作り出した幻想かもしれないだろ。

しかしたら全然違う概念をもった存在もこの世にあるかもしれないってことだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20140708011539

公理が同じならどんな場所で誰がどう考えたって同じ結果になるんじゃなかったっけ?

2014-02-23

1+1=2、を叩き込む重要

1+1は、当たり前の話だが、2である

我々は小学校一年から、1+1=2、とずっと教え込まれる。

それを散々叩き込まれているから、例えば高校時代

「1+1を、3にも4にもする」という比喩表現は、比喩であることがわかる。

社会人になってから、「チームワークで、1+1を3にも4にもするように」という比喩を、部下にもするようになる。

それは自身も部下も、1+1=2であることを公理として知っているから、比喩が重みをもっている。

でも、ネット世界では、1+1=2のような「極めて当たり前のこと」は、GoogleSEOでは、「当たり前すぎて」上位に来ない。

割と上位に来るのは、1+1=3とか1+1=100のような、極めて異常な方が、かえって上に来やすい。

もし、1+1=2、という「予備知識」を持たない子供が、1+1=3、というGoogle上位エントリを見たら、どう思うか?

「ああ、1+1は、3なんだ」と、そのまま記憶してしまうだろう。

今回、比喩で1+1の話をしたが、例えば「アンネの日記は、偽書だった」というネタを、予備知識がない子供

Google上位で見てしまうと、そのまま信じてしま危険性がある。

の子供はネットリテラシーが高いから中学生、いや小学生高学年で、それなりに検索してしまう。

教育が1+1=2を中学3年で教えるつもりだったのが、先に中一の時点で1+1=3、というのを見てしまうと、その修正に時間がかかってしまう。

中には「教育では1+1=2と教えてもらったけど、実は1+1=3じゃないか?」と教育のものに疑義を持ってしまう。

自分たちの世代は、子供の頃はネットなんてなかったから、1+1=2、2×2=4、と正規に教育されている。

でも、今の子供の世代は、ネット上に上位に来る「1+1=3」「2×2=8」のような誤答を、先に認知してしまう。

アンネの日記偽書だった」のようなネット上の「1+1=3」は、全面削除しととは言わないが、Google検索結果のベスト10に表示されないように

対抗言論を強化しないと、子供たちへの影響が心配である

2014-02-03

逃亡

これが私に起因する問題なのか

彼らにも共通するものなのか

それは定かではない

言語に、論理に、より上の階層俯瞰しよう、俯瞰することを正当化しよう、という働きは、日常を紡ぐことからの逃亡なのだ

どちらが本質なのか、という問題は、両者の側が自身の陣営擁護という形でそれぞれによって、論理の解れがないほどに、厳しく規格化されている。出自とする公理の源泉が対極に位置するのだからそれは現状仕方のないことだ。

しかしながら、しかしながら、我々は既存世界から教育を、影響を受けた存在であるにも関わらず、既存世界での"正しさ"を知っている存在なのにもかかわらず、その"正しさ"の本質を問おうとする。

"正しさ"に則って明日の生きる糧を作るはずであるのに、答えを保留にして逃亡するのだ。

早いことが正義である。即答できることがこの世界の"正しさ"である

にもかかわらず、その本質を問うのだ。

既存の体系の中で自由になれるだけの力がないから、体系自身に難癖をつけるのだ。

問題解決の本質抽象化し、難解なものである、という合意を取り付けることによって、結論が出ない、出せないことに対する論理的根拠にするのだ。

自分の正しさが"ここ"で承認されないのであれば、自身こそが正しさの根源である、と解釈すれば良い、と考えるのだ。

2014-02-01

http://anond.hatelabo.jp/20140201215434

そういう公理系上では、「ソクラテスにんじんである」ようなこともまかり通るし、

うーん、物凄く詳しい人かとおもいきや、公理って言葉すら知らない人間だったのかな?

普通に0の逆数が無限大になる群は存在するし作れるし、

ソクラテスにんじんレベルの話ではないんだけども。

なんか、こういう偉そうに小難しいことをさも正しい気な感じを醸しだしながら嘘を垂れ流すってのがネットの最大の悪いところだよね。

それみてへーって思っちゃう人のが多いんだから

2013-12-19

鏡について、そして写真に写ることを嫌う理由

鏡に苦手意識を持っている人は多いと思う。

昔、鏡が左右が逆の光景を映していると知って怖くなった。

怖いと思った理由は

  1. 左右が逆なので鏡に映っている僕は僕ではない
  2. だけどこの世で僕に最も似ている人だ(多分鏡に映る像を人に見せたら僕だと判断されるだろう)
  3. なんか本能的に怖い

それでずっと鏡やガラスを避けてきたんだけど、ふと、じゃあ鏡に映っているのは僕なのか僕ではないのかと考えた。

普通の人は、鏡を自分の姿形がそのまま反映されていると考える。

すなわち鏡の中に自分を見る。

だけど僕は鏡の中に自分を見ることができない。

もし鏡に映るのが自分だと認めてしまうと、理由1に反してしまう。

自分のホクロは右手にあるのに、鏡の中では左手にあるのだ。

生理的にこの矛盾に耐えられない。

では鏡に映る人間自分ではないと決めると、理由2に引っかかる。

この世で最も僕に似ている人、違いは左右が入れ替わっているだけ。

この考えも受け入れることができない。

今までは映っているのは僕じゃないから直視しなかった。

特に顔は人間の最も特徴的な部分だから絶対に見なかった。

本当はそうじゃなくて、もしかしたら、鏡の中にいるのが誰かという判断を先延ばしにしたかったためかもしれない。

そう考えると、写真に写るのが嫌いな理由は、そこに写っているのが誰かを考えたくないからかもしれない。



思春期コンプレックスを解消しないまま成人するとこうなる。

こうなりたくないな人は、ちゃんと鏡を見て自我を形成しましょう。

追記(2014/2/19)

いろいろ掘り下げが足りんとしかられましたが、僕は基本的ヒュームが好きなので公理として心象から始めてみました

貰ったコメントの中ではtoru-nakataさんのコメント"四次元で回転させれば、鏡像は原物に一致するので気にせんでもよい。"が一番すっきりしました

そうか、四次元で考えたら鏡像は自分と同等なのか

まり自己と鏡像は四次元では区別がつかないのか

アイデンティティに苦しむことが無いわけだ、四次元では

......しかしそうすると鏡(像)が四次元に属するのか気になるのであった

2013-10-19

元アイドル合コンしてきた

友人のコネ20代後半の元グラビアアイドル合コンしてきた。

合コンというか、男女2対2の食事会という感じでな

俺の友人の女の子舞台などに出ている奴で、そいつにはちょっとした貸しがあり、

礼をしたいと言うので、兼ねてから頼んでいた元アイドルとの合コンを設定してもらったという流れ

当方は某大手企業勤務の研究職二人で、年収は1000に届かない程度

開成から東大へと進んだ俺にとっては、あのレベルの女に会うなんてことまずなくて

まりの可愛さに震えが止まらなかったw

顔は俺の顔の半分くらいしかないんじゃ?ってくらい小さいのに目がすげーデカイw

その上に体は細いと感じるのに、太ももとか知りの肉付きが絶妙で胸もあって

見てるだけで起ちそうになってしまうほどにエロくてたまらんかった

まさにアニメキャラかよって感じの非の打ち所がない見た目

これで性格悪いんだろ?ってなりがちだろうけど

性格なんかも凄くいい、聞き上手でどんな話でも楽しそうに聞いてくれて

その笑顔にやられちゃって、こちらのスペック以上の何かを引き出されちゃうんだよ

かと思えば、アイドル時代逸話や今の話も努力してきた形跡があり、聞いててかえって刺激を受けるほど

で、飲み物が空になったら何も言わずとも店員を自然に呼んでくれたり、

さっきと同じものでいいんですか?とかって飲んだものも覚えてるんだから驚く

料理を取り分けてくれたり、皿を片付けてくれたりなんて序の口で

極め付きには、出る時に自分のだけではなく俺らの上着まで取って着せてくれんのw

あり得んよなw

あんな可愛い子に上着を着るのを手伝ってもらうなんて、もう生きてる間はないわw

正直ね

向こうからしたら俺なんて、相手にする価値もないレベルのつまらん男だったと思うんだ

もちろん無駄努力はするけどなw

彼女にとってはつまらない会だったはずなのに、あれ程の気遣いを示してもらって感動してしまった

いい女って、何から何までが完璧なんだな、という当たり前のことを思い知ったよ

あれだけ可愛ければ幼い頃から皆に大事にされ愛されてきただろうし、育ちが自然と良くなる

金のある男やいい男が集まってくるから、酷く傷ついたりせず、金を使ってもらって色んな経験もしている

そらそうなるわって話ですよ

いか当方がその子にとってはクソみたいな男だったとしても、俺にもこれまで全力で生きてきた誇りがある

勉強研究に全てを注ぎ込んで必至にやってきた。最高の女でなければダメだと言うほどじゃないけど、

ブスだけは選んだら負けだと、改めて思い知った

普通以上に可愛い子は、それこそ見た目から性格なんて分からない部分も大きいんだけど

美人には地雷は極度に少ないが、ブスの核地雷っぷりは尋常じゃない、というのは公理と言っていいレベルからなぁ

まぁ普通に幸せになりたい。いいもの見てしまって、むしろ遠のいた気はするんだけどw

2013-09-18

http://anond.hatelabo.jp/20130918225026

横だけど、

別に政治的なとか文化的なとか、さら公理がどうこうとか、ちょっと落ち着け

経済なんかでもそうだけど、取り敢えず、これまでの動き等をみて、適当な「モデル」を作るんだよ。

簡単に言えば、これまでの動きを適当方程式に当てはめる。

勿論、それで全てを完璧記述できるわけではないけど、ある範囲でその方程式に値を入れると特定の状態の数値を出してくれるようになる。

これが「モデリング」の基本で言ってしまえば素粒子理論ですらこの域を超えない。それこそ全てを司る方程式、みたいな話になっちゃうから

でそれらが本当に全てをきちんと予測するかの保証はない。

特に経済政治関連の数値はモデルを作るための参考にするのが過去データしかなく、数が少ない上に

さら現在との状況は大きく違う。

からモデルが失敗することはよくあるしそれだけ難しい。


だけど、取り敢えずモデル化して、現在の状況を数値的にどうなってるか、それこそ微分して上昇してる、さらに二階微分して上昇が加速してるのか、減速してるのか、

見ることは出来る。



ただ、こんな所でそんな話をいきなり持ってきて、「二階微分( ・´ー・`)どや」と言うのはどうかと思うし、

仮に上昇が緩やかになってるよね、と言う話をした場面があったとしも、

例え理系出身でも、二階微分、なんて言葉がそう簡単に日常会話に出てくることは無い。

数学科人間なら冗談でそういう言葉を使うならもっと違う言葉を使うし、この程度の言葉だと逆に冗談にもならない。

他の分野でも同じ。

よって、こんな言葉日常生活で使う人なんて居ない。

居るとすると、なんかコンプレックスを持ってて、「二階微分( ・´ー・`)どや」したい人。

http://anond.hatelabo.jp/20130918224827

いやまて、そもそも文化インターネット社会学政治的な話で、

それを無理やり、微分だなんだと数学的に処理しようとして

数学的と言っても公理が立たないといえば

いや、政治的な話じゃなく数学的にわ!っていや もともと政治社会の話だろうが。

文化的な問題を政治と切り離せないだろ。 切り離して処理できるなら最初から問題になってない。

http://anond.hatelabo.jp/20130918223232

数学と違って、公理系が合意されない事が目に見えてる。

どこの国も自国に有利な公理系を求めるに決まってる。

2013-08-09

http://anond.hatelabo.jp/20130809124900

確かに黒寄りのグレーだけどさ、それがわかってる人なんて(教師でそれを強調して教えられる人も)ごくごく一部だと思うよ。

リンク:教師「虚数をiと表します。」俺「ほう」教師「i^2は-1になります」俺「…」 - 発声練習 http://d.hatena.ne.jp/next49/20130809/p1

そもそもこの人も過去そうであったように、「数学人間おいた仮定(公理という)から人間のつくりだした論理的集積物(定理のあつまり)であって、数学が真理を体現しているかはわからない」ということがわかってないのよ。多くの人は。

発声練習の人も確か工学大学教員でしょ?そんな人ですら「私は高校大学にかけて「定義」、「公理」、「定理」の区別がついていなかった。」というくらいだから、この問題は相当根深いのよね。

複素数を理解するのに何が難しいかって「虚数って本当に存在するの?」っていう疑問を(数学教師も含めて)真剣に考えたことのない人が大半だからで、むしろ今の日本学校教育はそういった素朴で根本的で(世界がひっくり返ってしまう可能性を持つという意味で)ラディカルな質問を封じ込めているんだよね。そういった疑問を抱かずにお上の言うことに盲従する人間再生産され、そういった人間が教師になるという不幸な再生システムがあるのよね。だから教育は難しいんだけど。

あと、この疑問を徹底的に考えると「じゃあ、数学なんて現実世界となんの関係もない、記号遊びにをやっているだけだな。だから、僕には必要ないな」というように、シニシズムに陥いりがちでそういった方向に思考させないことも必要だし、それに陥った人をうまく掬い上げなきゃいけない。

この増田エントリーも含めて、「虚数って本当に存在するの?」っていう疑問から目をそむけずに考え続ける人が増えてほしいと切に思う。

http://anond.hatelabo.jp/20130809025733

そもそも空間内積が入ってるというのは、内積から自然に誘導されるノルムや距離や位相がある空間だということだ。

ノルム、距離、位相だけでは記述できない、内積によって規定される構造というのは、角度であり特に重要なのは直交という概念だね。

直交性というのは、その(線形空間の中である意味「お互いに独立」な要素を決める。

n次元ユークリッド空間なら、n本の直交ベクトル定義することができて、空間中の点はそれぞれのベクトルの方向に、「他のベクトルの方向には影響を与えず」独立に動かすことができる。

逆に、平行なベクトル同士では、互いに完全に影響を与え合う形でしか動かすことができない。平行性も内積によって定義される性質であり、これを従属と言う。

n本以下の平行でない適当ベクトルの組を持ってきたときに、内積を使って直交したベクトルの組を得ることもできる。グラムシュミットの直交化とかで。

空間中の直交ベクトルの組を見出すということは、空間の性質をかなり詳しく知るということになっていて、そのための演算として空間定義された内積は超重要

ベクトルに関する操作は、和、スカラー倍、ノルム、そして内積くらいしか高校では使っていない。内積という操作を禁止すると何ができなくなるかを考えてみるといい。

ちなみに内積は標準内積と呼ばれる高校で習う定義に限るものではなくて、内積公理を満たす演算ならなんでもいい。

これは逆に空間にどういう構造を入れるか?というユーザの意思や物理要請から決まるもの内積定義が各点で変わるような空間もあって、これは空間が曲がっているということに対応する。

ユークリッド空間みたいに平坦で内積が一様な空間というのは特別な空間ということだな。

また、線形空間という概念は実はユークリッド空間に限ったものでもなくて、空間の元に対して和やスカラー倍、単位元や逆元が定義されていて、いくつかの性質を満たせばよい。

これは例えば関数をたくさん集めてきた関数空間についても成り立つことがあって、そこに内積定義することでユークリッド空間ベクトルの議論と完全に同じ話をすることができる。

互いに直交関数達を見出して、それらの「独立な」線形和でその空間内の任意関数表現できたりするわけだ。

2013-07-22

宗教の無矛盾性と、ゲーデル不完全性定理

 親鸞仏教にたいして、矛盾を感じ、無矛盾な体系を持つ浄土真宗を作った。

 しかし、無矛盾であることは、完全であることではない。とはゲーデル不完全性定理の言い分。

 キリスト教おいても、バイブル解釈を複雑化させることで、無矛盾を編み出そうとしているが。

 神の無矛盾性を人間認識しようとするならば、完全かどうかはわからない。

 結局、宗教というのは、無矛盾公理を求める作業であり、無矛盾があれば人間精神が救われると思った。 無矛盾なら完全だからという直観があったから。

 しかし、無矛盾からと完全かはわからないという現実を突きつけた時に、

 「人が作った宗教というものは、人間人間をすくいたいために無矛盾を作っただけです。」

 ということにはならないだろうか?

2013-06-30

低学歴化ねぇ…

http://anond.hatelabo.jp/20130629204133

今までであれば、「若者高学歴化は、当然必要な政策・望ましい政策である」という

「疑いようがない公理」があって、「受入側こそ、高学歴を使いこなせるよう、職種の高次化を

進めるべきだ」との論調が主流であった。

そろそろ、「大学進学率が高いほど、望ましい社会だ」という「社会学者政治家常識」を

疑ってかかってはどうか?

それは、いつの時代のどこの常識やねん。

高学歴化のよるモラトリアム化とか、

少子化高学歴関係とか、

悲惨ポスドク1万人計画とか、

意味のない高学歴化に対する批判なんて、有り余るほどあったと思うけど。

しろ、「大学進学は、社会的意味がある」ということを立証しようというサイドの人のほうが

大変そうに見えるけどねえ

 

 

 

http://anond.hatelabo.jp/20130630010055

日本社会の”低学歴化”はメリットのほうが多い

特に女性低学歴化は急務。

低学歴化によって、少子化の歯止め効果が生まれうる、という話はもちろん

多少は頭のまわる政策関係者だったら、そりゃ理解はしてるとは思うけど、

その話には、ざっと5つぐらいの問題があると思われる。

1.差別

 

 女性低学歴化を強いるとか、男女平等じゃなさすぎてやばいっつーか、勘弁してくれって思う

 (おれも、そんな前時代的な政策が打ち出せれたらこの国を捨てるわ。女性手帳どころの騒ぎじゃない)

   

2.総論賛成各論反対になりやす構造

 

 全体にとっては高学歴化のデメリットが大きくても、個々人にとっては、高学歴化したほうがメリットは圧倒的に大きい。(就職が有利)

 なので、たとえ「高学歴化を止めよう」という話をしても、確実に総論賛成各論反対に陥りやすい。

 具体的な個々人や、個々の組織にとってのメリットが小さすぎる話なので、

 政策としてゴリ押しを非常にしにくい

 つーか、OECD諸国で、低学歴化した国なんてなくね?

 ※低学歴人間のほうが、経済的・社会的に有利な職業漫画家とか?)が、増えるとか。

  そういうことが前提として存在してないと、低学歴社会にはなだれ込みにくいだろうねぇ。

  中小企業にとって、大卒オーバースペックといったところで、

  お断りされるケースより、受け入れられるケースのほうが、確率としては高い現状でしょう。

  そこが逆転するところまで言ったら、高学歴化が高止まりするとは思うけれども。

  「高学歴の有利性は逆転してます」ってのを、就職マーケット統計データとして、

  誰かがはっきりと信頼性のあるデータとして提示し、

  かつ、それが一般に広まるみたいな、ことが起こらないとダメなんじゃね。

   

   

3.証拠不十分

 低学歴化と高学歴化のメリットデメリットについて、定量的・国際比較した社会科学者による信頼出来るデータというのが

 あまり見たことがない。

  

4.よりよい政策の可能性

 少子化政策を、低学歴化≒個々人にメリットうすい方向によって解決するというよりは、

 フランスのように、婚外子シングルマザー等を手厚く保護する政策などで少子化を解決するという方向に話をもっていけたほうが

 まあ、ごく普通にハッピーなんじゃないか

  

5.中小企業が多いのは日本に限った話じゃない

 だいたいの国は、大企業より中小企業の占める比率のほうが圧倒的に高い。

   

2013-06-29

大学進学率は、中小企業が多い日本社会にはオーバースペック

  京都出版会社社長京大卒)がツィッター上で

  「東大卒早稲田法科大学院卒の入社希望者をエントリーシート段階で落としてやった、少し優越感」と

書いて「炎上」したらしい。

  しかし、中小企業などでは、「あなたはウチに来るには、あまりにも高学歴過ぎる」と

  「おことわり」するケースは、案外多いらしい。

  思うに、日本の「中小企業が多い産業構造」に対して、「あまりにも大学を作りすぎ」てしまい、

  「社会必要とする学歴比率」に対して「オーバースペックなまでに社会高学歴化してしまった」

  ということはないのか?

  今までであれば、「若者高学歴化は、当然必要な政策・望ましい政策である」という

  「疑いようがない公理」があって、「受入側こそ、高学歴を使いこなせるよう、職種の高次化を

  進めるべきだ」との論調が主流であった。

  しかし、逆の発想として、「職種の高次化がなかなか進まないのであれば、若者の『行き過ぎた』

  高学歴化の方を抑える」方が、現実に即した政策にならないのか?

  高卒比率が増えると、一見年収が低く抑えられて「不利」に見えるが、

  生涯勤労年数は「大卒比で4年は増える」(1割増える)ので、実は生涯トータルで見れば大差ないのでは?

  加えて、年金加入年数も増えるので、その点でも有利。

  また、実質的に親が負担している大学教育コストも「不要」になるので、「親子連結家計」で見れば、

  まずます高卒化した方が有利」になる。

  なによりも、第一子の親になる年齢が30代⇒20代と若くなるので、

  「子育てに携わる体力・精神力」の面で有利である

  大卒だと「30代で第一子作り⇒体力・精神的に参ってしまって、子供は1人だけ」

  のようなところが、高卒だと「20代で第一子作り⇒体力・精神的に余裕があるので第2子も」

  となり易い。

  そろそろ、「大学進学率が高いほど、望ましい社会だ」という「社会学者政治家常識」を

  疑ってかかってはどうか?

2013-06-20

スニッカーズすげーよ

なんか「うまくいかないなあ」と思ってしまとき、考えつく原因は、

人間関係とか、積み上がってる仕事だったりするかと思うんですが、

そういう外部要因というよりも内部に原因がある場合のほうが多いと思います

なぜなら「うまくいかないなあ」の発生源は内部というか自分なんす。

自分が死んだらその気分も消えますよね多分。

自分の気分を変えると「うまくいかないなあ」は消えます

「こうすりゃいいかも」とか「まーそんなにたいしたことない」とかに出来たら消える。

問題はどうすれば気分を変えれるかなんですが、

個人的な意見ですけど、いつでもどこでも出来て簡単なのは

なにか高カロリーもの食うことだと思います

ほんとは運動が一番ブチキめれるんですけど、職場とかじゃ無理だし。

なんか食べましょう、おなかすいてなくても。

おなかすいてるとイライラしがちなのと一緒で、

エネルギーが減ると人間精神衛生は悪化しま

なんで残エネルギーを増やすと良化しま

以上から

「うまくいかないな」とかで気持ちがあがらんとき

僕はスニッカーズを食えばいいと思ってます

スニッカーズは油と糖分のかたまり(な感じがする)ので

めっちゃ熱量がゲットできます。スゲー!

食うと元気になるんで、[公理:元気があれば何でも出来る]より

かなり無敵ですね。良かったですね。

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