はてなキーワード: 歯車とは
疑問持たない末端歯車ヤバw
何年も悩まされていた謎の皮膚炎も治った。
次の一ヶ月は少し落ち込んだ。
みんなが働きに出て静まった頃に起き始める。
シーンとした中に一人だけ置いてけぼりにされたようで怖くなる。
また一ヶ月が経って、焦り始める。
このままでいいのか?ってずっと誰かに言われてる気がする。
転職サイトで何件か応募してみる。
どれも返事は来なかった。
そして今、もう一ヶ月が過ぎようとしている。
死にたいという気持ちになったことは今までの人生で一度もないのに、そう思うことが増えた。
死んだら何も出来なくなるけれど、このまま生きていくほうがつらいと思った。
贅沢な悩みだなとも思った。もっとつらくてしんどくて苦しい人はいっぱいいる。そう思えば思うほど、死にたいと感じた。
働きたいわけじゃないけど、働きたくないわけでもないんだと気づいた。
すごい仕事がしたいなんてこともない。
それでも書類は通らない。連絡は遅い。その間に他の仕事が無くなっていく。
次の一ヶ月を迎えることはできるんだろうか。
治ったはずの皮膚炎がぶり返してきている。
平日の起きてる時間の60%~80%、休日でも場合によっては出勤の必要あり。
気に食わないアホとも付き合わなきゃいけないし、拒否するのも簡単じゃないからすぐにデスマになる。
そんな中でやってくならやっぱある程度好きじゃないと無理だな。
まあ俺もここまでこの仕事が好きになれないとは最初思わなかったんだよな。
もっと自分の手を動かして問題解決できると思ったのに、俺が一番やりたくなかった「とにかく口出ししてケツたたきとダメ出しするのが役割の人」をやらされるとは。
俺なんぞよりよっぽどその業務に詳しい人達が、面倒だからってゴニョゴニョってしようとしたところに「駄目ですよ。ちゃんとやってください。あとで大問題になったら大変ですよ」と言って回るのが仕事なのしんどすぎる。
しかもウチの会社完全にその路線に進んじゃったから手を自分で動かす仕事はもう回ってこなそうだし。
品質管理してるってほどでもなく、本当にただ「ズルして誤魔化そうとしてないか、締切ぶっちしてメンゴメンゴで済まそうとしてないか、そういったことのお守りをするだけ」なんだよ。
しんどい~~~。
全く何も分かってないと誤魔化されるから勉強は必要で、でも勉強したことが社会の役に立っているかという実感はまったくない。
俺自身はデカイ流れの中ではみ出てるものがないか管理してるだけなので全体の管理をしてる感じでもなく、手を動かしてるわけでもなく、だから完成品が出ても俺に達成感がないんだよなあ。
とにかく一山乗り越えたしかない。
大学の頃にやってたバイトと同じような「とにかく今日という一日の中で変なトラブルで居残りにならないように乗り切れればそれでいい」という感覚でしか向き合いようがないわこの仕事。
辛い。
やりがい搾取って言葉あるけど、実際やりがいがあると頑張れる量ってだいぶ変わると思うわ。
つうかウチラの立場って、やりがいを他所に搾取されることを労力とバーターで取引することでお金に変えてるみたいな所あるわ。
逆やりがい搾取は違っちゃうから、「やりがい捧げ」とでも言やいいのかな。
これはこれでキツいよ。
結局トラブル起きたら監督責任という形でこっちにガンガン責任が振ってくるからストレスは普通にあるしさ。
ストレスと引き換えに給料を得ている形の業務形態だから実質的にテレアポスタッフなんだよな今の状況。
辛いわ。
秋も深い10月の第1週に、日本は予選突破をかけて南米の強豪アルゼンチンと対戦する。
予選リーグラウンドは今週が最終週だが、これまでにほとんどのプール突破の2チームが決定しているような状況で、まだ2位が確定していないプールCでも、勝ち点計算としては順位の変動がありうるが、実力差を勘案すればほとんど逆転はないという状況になっている。
そんな中、今日行われる日本 vs アルゼンチンは勝敗の帰趨が予測しづらい一戦で、最終週の試合としてはもっとも注目度と緊張感の高い試合と言える。
アルゼンチンといえば、国際リーグ、スーパーラグビーに代表のクローンチームを送り込む手法で強化を図ったチームの草分け的存在であり、参戦チームのハグアレスは参加当初こそ南半球最強リーグで苦戦していたが、2020シーズンにはファイナルに進出するほどに成長。
自分が見るアルゼンチンはボールを持った時の選択肢がサモアより豊富だ。
ランもあるしエリアを取るキックもあるしアタッキングキックもある。
日本としては、ボールを持たれたら裏へのキックのリスク承知で早いディフェンスでアタックを潰して切り返すより攻めに転じる機会が無いように思う。
前進から始められるので原則として有利な自ボールのキックオフ時でも一筋縄では行かなそうだ。
キックオフからボールの保持をやりとりして、相手陣まで入っての自ボールセットプレーまで落ち着けられたらしめたものだけど、そこにたどり着くまでに手前に蹴っても奥に蹴ってもアルゼンチンはコンテストキックやカウンターのランを仕掛けてきそうだ。
「この攻め方がハマれば相手を封じられる」というような戦略が立てづらく、常にリスクをとってチャンスを掴みに行かないといけない。
日本代表は今大会、キックを主体とした戦術で試合を組み立てている。
日本が蹴るキックはオールドファンに批判が多いが、現代ラグビーではディフェンスが整備されていて、突破のきっかけを見出せないままボールをもってフェイズを重ねすぎても、相手からのプレッシャーを受けてボールを失うリスクが高くなる。
とはいえ、アルゼンチンとしては日本のキックからのカウンターを狙っていることだろう。
日本代表はPL稲垣が侍の生死をかける抜刀にこの一戦を例えたが、まさに緊張感を表したような発言だと思う。
ところで全くの余談だが、アルゼンチンのHCを務めるマイケル・チェイカ氏がファッションビジネスで大成功を収めたビジネスマンであることは国際ラグビーファンの間では有名な話で、このことについて、チェイカ氏は「お金のことを考えずに意欲だけで仕事ができるのが自分の強みだ」とコメントしている。
なんとなく余裕を感じないでもない発言だが、南米の強豪の代表監督ともなれば、成果が振るわなかった時の批判は想像を絶するものであろうことを思うと、お金の心配どころではないもっとヤバめの心配が別にあるのかもしれない。
とはいえ生活資金で追い詰められる心配をすることなく、名誉と使命感と情熱だけで勝敗が全てを決する世界に臨めるのは、職業人として羨ましい限りである。
選手たちもまた、激しい衝突を恐れることなく、その腕の中に使命をしっかりと握りしめて戦う。
国歌斉唱では姫野は涙を流し、アルゼンチンの選手は周囲の気温が上がるような闘志を発している。
情熱的な空気の中、アルゼンチンのキックオフで試合は始まった。
アルゼンチンは自ボールのキックオフから松田の返しのキックを蹴らせて、日本陣内のラインアウト獲得でリスタート。
この冒頭にとった非常に有利な展開で、日本は一度攻めをストップさせたものの、モールを組まれて崩された後に、抜けだしたサンティアゴ・チョコバレスに2分で先制トライを許してしまった。
日本のキックオフでのリスタート、蹴らせたキックでラインアウトを獲得したのはアルゼンチンと同じ展開だったが、ここでのラインアウトを日本FWは確保できず、アルゼンチンのボールとなってしまった。
攻撃のチャンスはそう簡単にこないので最大限に活かしたいが、ラインアウトは日本代表がW杯に入っても修正が間に合わなかったポイントで、貴重な機会が安定していないのが痛い。
この展開で日本は22m付近まで侵入を許した位置でスクラムになったが、こちらは素晴らしいスクラムとなり、組み勝った日本がPKで陣地を挽回した。
スクラムは結果によってラインアウトにつながる可能性がある重要なセットプレーなので、優位性が見えるのは大きい。
再び攻め込んでくるアルゼンチンに対し、日本は粘り強くディフェンスをする。
何度かお互いに小さな反則を獲得しながら、日本が齊藤のスペシャルプレー、背面に向いてのハイパントから敵陣深く侵入し、トライ目前まで迫るがノックオンでトライならず。
引き続き、ボールを回して攻める。
14分にアルゼンチンボールのスクラムから日本が切り返し、リーチがラインブレイク、このボールを繋いだロックのファカタバがまさかのチップキックとキャッチからの快走をみせトライ!
アルゼンチンとしてはすぐさまキックオフからやり返したいが、せっかくの有利なシチュエーションでノックオン。
また、エリアをとりにきたキックもミスになり、日本に攻撃を継続させてしまう。
前半20分というのはここでどちらが取るかで、中盤までの試合の流れが大きく動く時間帯だ。
22分、日本はディフェンスでピーター”ラピース”ラブスカフニの頭が当たってしまい、イエローカードとなる。
日本に攻められ続けて乗り切れなかったので、まずスコアを狙うのは良い判断のように思えたが、これをボフェリが外してしまう。
アルゼンチンは歯車がずれたような感じで、リズムを掴み切れなくなってきた。
相手が調子を出せない間に畳み掛けたい日本だが、攻撃の中で蹴ったキックがクレメルのチャージにあい、ボールを取り返したアルゼンチンに一気にゴールラインを越えられた。
アルゼンチンはボフェリのキックが当たっていないので、コンバージョンで突き放し切れない。
日本が1人少ないのは絶好の得点チャンスなのに、5点しか取れないというのはアルゼンチンとしては納得できない結果だが、ラピースが帰ってくる直前にやっとボフェリのPGがきまり、苦労しながら1トライ差以上に突き放す8点差とした
それでも均衡は簡単に崩れない。
日本はライリー、フィフィタと繋いだボールを齊藤が受け、これこそが彼のアビリティといえるフォローランで前半も残り少ない37分にトライ!
日本 14-15 アルゼンチン とし、決定的な優位を見せられないアルゼンチンに日本が食らいつく形で前半が終了した
前半のスタッツ は
日本はこの一戦でもキックを使っているもの今までの3戦と比較するとやや少なく、ランで前進できている。
逆に数字が似通っているアルゼンチンはボールを持っての攻めがディフェンスに捕まったり、ミスで停滞している印象を受け、結果日本の攻撃時間が長くなっている。
ハイボ、ラインアウトで機会が取れない日本と、単調な攻撃やミスで決定機を掴めないアルゼンチン。
どちらがより上手に修正して後半を自分達の形にできるのだろうか。
ほとんど点差がない中でなんとか後半最初の得点で相手にプレッシャーをかけたい。
長い攻防でお互いスコアできない時間帯が続くが、アルゼンチンは試合冒頭で優位性を見せたものの、使っていなかったモールで日本を押し込み、45分にトライ。
自分達の強みに立ち戻ろうとするようなプレーで、単なる7点以上に大きな影響を感じさせるものだった。
離されたくない日本は49分にアルゼンチンのキックミスで深く侵入しての松田のショットで追い縋り、日本 17-22 アルゼンチン。
国際映像2度目の登場となるラグビー芸人しんやのガッツポーズがフランスからシーソーゲームの熱気を伝える。
後半に入ってからも、アルゼンチンはボールを持ってのランでなかなか前進できない。
日本のディフェンスがいいのか、アルゼンチンがまだ自分達の強みを発見しきれてないのか、どうも両方のように見える。
アルゼンチンが未だ調子を掴み切れない中、56分にはレメキが意表をつくドロップゴールを決め、日本 20-22 アルゼンチン。勝敗の帰趨がまだ全く見えてこない。
しかし、ここでアルゼンチンのキックオフは、キャッチ時に正面の日光が目に入った姫野がノックオン。
22mセンター、絶好の位置で獲得したスクラムから、59分にアルゼンチンがチャンスを生かしてトライ。
60分は非常に重要な時間帯だ、ここでどちらが加点できるかで試合が終わるか、終盤までもつれるか決まる。
少しでも点差を詰めたい状況で日本がペナルティキックを獲得する。
3点でもあとワントライで逆転までの点差内にとらえるが、トライを狙いに行く日本。
このリスクをとった選択があたり、65分にタップキックからの攻撃で交代出場のナイカブラがゴール右隅に飛び込んでトライ!
松田が脅威の正確性で難しい角度のコンバージョンキックも決めて、日本 27-29アルゼンチン。
残り時間は15分、こんな時間になってまでまだ勝敗が朧げにも見えてこないのは全く驚きだ。
ここでアルゼンチンがキックオフから今まで結果としてつながっていなかったランでの崩しがついに成功し、トライ。
70分をすぎても終盤まで続くペース争い、80分がすぎてもボールがつながっている間はプレーが続くラグビーにあって、9点差は未だ逆転の可能性がある点数だ。
しかし残り時間が刻々とすぎていく中で、点差の意味が徐々に変わっていく。
しかし勝利を確実にしたいアルゼンチンが75分についにPGを獲得、1トライ1ゴール1PGでも追いつけない12点差をつけることに成功した。
78分、2分で2トライというほとんど不可能にも見える可能性をまだ捨てず、相手陣深く侵入する日本。
ここでトライできるかどうかは勝利への最後のチャンスと言っていいが、無情にもアルゼンチンがこのボールを取り返す。
張り詰めた80分の末、勝利は青と白のジャージの選手たちが掴んだ。
試合後、SNSのタイムラインには「やはりアルゼンチンは強かった、差があった」という感想が踊った。
確かにアルゼンチンの圧力は強く、点差も1トライ以上離されたが、では内容までアルゼンチンが圧倒していたかというと、実態は全然違う。
日本代表の戦いぶりは素晴らしく、アルゼンチンは終盤までペースを掴めていなかった。
最後の瞬間まで日本が勝利の可能性を追い、アルゼンチンが突き放すために死力を尽くすという、見る側にまで強度を要求するようなゲームだった。
試合の細かい点をふりかえると、アルゼンチンは試合冒頭ではモールの優位性を見せた割に、前半をランの単調な攻めに固執してペースを掴み損ねていたものの、後半になってから思い出したようにモール、パントを織り交ぜた攻めを見せてきて、そこから日本は失点した。
不調時にあって見事な修正力が効いた形になったように思う。
日本としてはラインアウトが悪かったのは、試合を支配できなかった大きな要因だと思う。
数字上では8/9で1本しか失っていないが、プレッシャーにさらされクリーンに攻めにつなげられた機会は少なかった。
この点はW杯前に完成度の粗が指摘されていた面でもあり、予選の最終盤でそれが結果として跳ね返ってきてしまった。
同じく心配されていたスクラムが完璧に近い形で修正に成功していただけに悔まれるポイントだった。
8年前、日本代表は世界最強のチームの一つである南アフリカを破って、日本中、ラグビーファン以外にまで広がるインパクトを届けた。
4年前には自国開催のW杯で欧州の強豪を次々と破って史上初となる予選リーグ突破を成し遂げた。
一時のピークなのではないか、自国開催が実力以上のパフォーマンスを出させたのではないか。
今大会は強化への道のりも平坦ではなく、遠いフランスへの遠征で地の利もない。
3敗、4敗があったとしても不思議ではないとさえ感じていた。
しかし、初出場の勇敢なチリを降し、前評判の高かったサモアをプランが見えるような試合で封じ込めた。
負けた対イングランド、アルゼンチン戦でも、流れに入っていけず一蹴されたような試合ではなく、むしろ少し違っていれば勝てるかもしれないというような見事な内容だった。
礎を作ったエディー・ジョーンズと今回で勇退するジェイミー・ジョセフは、日本を真に強いチームに押し上げた。
そして、日本代表の選手たちは強豪国の選手というのにふさわしい戦いぶりを見せてくれた。
すばらしい1ヶ月、そして10年以上にも及ぶ戦いだった。
これで日本代表の2023年W杯は終わり、大会を去ることになる。
日本中を巻き込むようなインパクトの再来がならずとなったのは残念だ。
でも、今大会で日本が見せてくれたたしかな軌跡は、4年後にも確実につながっていくことになるだろうと思う。
4年前、南アフリカに敗れて流は泣き、今日、アルゼンチンに敗れて松田が泣いた。
また4年後涙が流れるかもしれない、でもその涙が、次の日本代表の戦士の喜びの涙となると、僕は信じている。
父親が家におらず、母と姉妹と育ってきたからだろうか。女性にあまり過度な期待をしないようになってしまった。
姉、特に5歳ぐらい歳の離れた姉がいる人はわかるかもしれないが、中学生になり、第二次性徴期をむかえるまでは、圧倒的に女性の方が体も大きいし、学年も上なので、体力的な喧嘩でも、口喧嘩でも負けるのが当たり前だった。子供の頃の2〜3年の歳の差というのは、結構大きいと思う。そのうえ家に女性しかいないので、家族の中でも、たった一人の男である自分に、絶対的な味方はいないという状態だった。僕に可愛げがあったらよかったのだろうけれど、残念ながら可愛がられるような性格ではなかったのも災いした。もちろん母は母なりの愛情を注いでくれていたのは理解していたが、根本的なところで断絶も感じていた。ものすごく乱暴にいうと、女性の嫌な面を見過ぎてしまったのだと思う。
そういう家庭環境で育ったものだから女性に期待が持てなかった。学校で同じクラスやクラブにいる女子も、容姿や性格に惹かれることはあっても、付き合いたいとか、二人きりで出かけたいとか、手をつなぎたいとか、そういう感情は起き上がってこなかった。「あの子は可愛い」とは思うけれど、「一皮剥けば、嫌な面も当然あるだろうな」とも思っていたから、「あの子とどうしたい」とか「どうなりたい」とか考えもしなかった。水槽の中で泳ぐグッピーを見て、可愛いなぁと思っている状態が近いかもしれない。本当に見ているだけで満足だった。今から考えると、死んだグッピーの処理をしたがる子供がいないように、わざわざ近づいて嫌な面を見ること自体が怖かったのだろうと思う。
だから他人の恋愛話などにも興味が持てなかったし、告白できずに悩む友人に、周りが親身になっている意味もわからなかった。僕にとっては、そういう関係になるなんていうのは、コミックや映画の中のお話と、大差がなかったのだと思う。遠くから見てたら楽しいので、友人が彼女と言い争いしているところなどを目にすると憂鬱だった。
そういう性格だったから、友達も少なく、ましてや恋人などいない状況が続いていたのだけれど、高校生のある時分、なぜか告白されるという事態に直面することになる。
とりあえず目の前にいて、自分のことを好きだと言ってくる女性がまずわからなかった。地方の小さな学校だったから、同じクラスだったこともあり、知っていたし話す機会もあった。ただ自分を好きだという彼女のことが理解できなかった。だからよくわからない返事をして、よくわからないまま付き合って、よくわからない理由で別れた。よくわからないなりに考えてみたが、おそらく彼女が僕に求めていたことを、僕が理解できず、理解していても実行できなかったからだと思う。彼女が笑っていた時、それをみていた僕も楽しかったことを思い出す。
それから程なくして、同じように自分のことを好きだと言ってくれる人が出てきた。一度目のことがあったので、なんで自分みたいな人間を好きになるのか、不思議な人だと思った。以前の別れ方がよくなかったので、正直に僕は、君が何を求めているかよくわからないし、多分、君の求めるところは満たされないと伝えたのだけれど、なぜか付き合うことになった。そして程なくして別れた。理由はわからなかった。彼女が「こんなはずじゃなかった」と口にしたことは覚えている。僕は僕なりに彼女のことを大事にしてきたつもりだったのだが、どうもまた間違えていたらしい。
それから数人と付き合ったり別れたりしたけれど、いつも相手から好きだと言われて、相手から別れ話がでた。僕自身はなんとか関係を継続しようと頑張ってはいたつもりだけど、何か歯車が噛み合わないような状態でいつも別れ話となった。「こんなはずじゃなかった」「こんな人とは思わなかった」ということは何度も言われた。彼女たちがどういう未来を描いていたのかはわからないけれど、どうも僕は期待はずれだったようだ。
僕が彼女たちに期待したことは、毎日風呂に入って、洗濯された清潔で体にあった服を着て、真っ直ぐ歩いて、ご飯を美味しく食べてほしいぐらいのことだ。いわゆる家庭的であって欲しいと願ったこともないし、勉強や仕事でバリバリと活躍してほしいとも思っていなかった。もちろんそれは僕自身への期待と同じだった。ちゃんと生活ができるようになりたいと思っていたから、ローンで資格学校に行きながら、なんとか士業の資格も取ったりしていた。頭が悪いなりに、なんとかまじめに生きて行く方法を考えていたら、隣で一緒に歩いていた人が、いつの間にか去っていくという感じだった。
僕は今、幼少の時に近所に住んでいた女の子と付き合っている。いわゆる幼馴染というやつだ。社会人になってからしばらくした頃、久しぶりに出会って、一緒にご飯を食べて、ということを半年ほど続けていたら、そういう関係になっていた。ある時、僕と一緒にいる理由を聞いてみたら、「そういう人だと昔から知っているから」とだけ返ってきた。全く答えになっていないと思うけれども、僕も本当のところを知りたいわけでもないので、なにも聞かずに一緒にいる。
40代前半になり、管理職を意識した仕事の進め方(実務中心→マネジメントへ)を検討しはじめた頃だった。ずっと同じ部署で働いていたわけではないが、新卒からほぼずっと法人課税一本だった。
そんな折、数個年上の同僚のひとりであるN君が「今年度いっぱいで辞めて転職するから」と言ってきた(ビットコインの件で苦しんでいた人だ)。職場の飲み会の帰りで、飲み直しで別の店に入った時だった。少しばかり仕事で縁のあった会計コンサルの内定を得たという。
「なんで辞めるの?」と聞くと、「昨年課長にはなったけど、どこまでいっても組織の歯車で、それだったらまだいいけど……国民のために役に立っているとは思えない。だったら民間の方がいい。自分の仕事力は、広く社会のために使いたい」といった答えが返ってきた。「上司と人事には退職の旨を話してある」という。
私は、そこまで高邁なことを考えるタイプではない。どこか仕事から引いたところがあって、上から60点の成果を求められた時、80を出せる時でもあえて70の成果を出す。残り10の余力は、いざという時のためにとっておく。そういうタイプだった。
できるなら上の方まで昇進したいとは考えていたが、審議官とか、次長とか、長官とか、そういう地位はむしろ遠慮したかったし、私の学歴だと奇跡が起きても難しい。職務自体は好きだったから、できれば長い間やりたいとは思っていたが。
そのN君は、私などよりも公僕に向いている。いつも全力だからだ。そういう人だった。今回、自分の力を社会のために役立てたいという想いを聞いたが、嘘偽りはないと感じた。
数か月後、私は「絶対にここを辞めてやる」と決意することになった。N君の退職が認められなかったからだ。それで結局、N君は内定先を辞退することになった。伝聞での話になるが、N君の内定先には「霞が関の事情を説明する」という名目での情報共有(という名の転職妨害)が入ったのだという。
民間の方には事情がわかりにくいと思う。まずは次の規則を読んでほしい。
(辞職)
第五十一条 任命権者は、職員から書面をもって辞職の申出があったときは、特に支障のない限り、これを承認するものとする。
公務員の任免というのは、民法上の雇用契約が基底にある。そのうえで、国家公務員法や人事院規則により公法上の契約関係を構成する。ざっくりいうと、行政事務職の公務員≒サラリーマンということだ。労基法が適用されないからといって、隔絶した存在ではない。現業職の公務員だと、よりサラリーマンに近い扱いになる(団結権があるなど)。
上の人事院規則は、公務員のみならず民間業界をも拘束する。当規則が国家公務員法(国会で議決)から委任を受けているからだ。
N君の例だと、別の内規により人事院規則第51条が課長補佐以上には厳しく適用されるのに加え、「再就職に関する規制」に該当するおそれがあったのだろう。それゆえ、転職を目的としての辞職が認められなかった。
結局、N君はどうしたのかというと……私が辞める時点では在職していたが……少し述べると、あれからも転職活動をしたが失敗に終わったらしい。40代半ばで、国家公務員としての経験しかないN君は転職市場では必然不利になる。
N君に興味のある会社があったとして、N君からすれば入りたい会社ではなかったという。とはいえ、税務や会計の会社を選ぶとまた転職できない可能性がある。かくして、N君は今でも霞が関のどこかで働いている。どうか幸せでいてほしい。
「こいつらクソだな」と思った。たかだか数年前に1回契約したっきりのコンサルに移るくらい、認めてやってもいいじゃないか。厳密にいうと再就職の規制にかかってしまうのかもしれないが、それでもいいだろう。仲間なんだから。
当時は怒りでいっぱいだった。今はとうに収まっているが。所詮は、その程度の仲間意識しか持てない連中の集まりだったのだ――と今では達観している。
繰り返すが、四十前半であれば課長(管理職)になってもおかしくはない。平均的には43,44ほどで課長に昇進するイメージがあった。早くミッションを遂行しなければならない。
転職活動を始めることにした。この時、妻はすでに亡くなっていた。子どもはふたりいたが、先ほど書いたとおり、霞が関の一人親に子育ては不可能であるため実家に預けている。妻が存命だったなら、転職活動自体していなかったかもしれない。
この時は、リクナビも有名になっていた。転職エージェントもネットで探せる時代になっていた。さっそく求人を探していくも、自分に合った仕事は見つかりそうにない。リクルートエージェントにも登録して、毎日少ない自由時間を使って求人を確かめていき、平行して求人応募に最低限必要なドキュメントを作っていった。
転職活動スタートから三ヶ月ほど経った頃は、こんな状況だった。希望条件には、就業場所や入社時期や休業制度や、もっと細かい事項もあったが省略する。
二 職務内容に拘らない
ア どんな仕事でもやっていれば好きになる
イ それよりもどんな人と働けるかが大事
イ 全体向けに説明した後、現場レベルに立脚した観点で是非を整理
※この箇所は、文字ばかりで窮屈~というエージェントからの指摘あり
ア 息子と娘を遊園地などに連れていきたい
ウ この年になるとゆっくりしたいのもある
二 風通しがいいこと
イ 怒鳴ったり急に泣き出したり、負の感情を吐き出す社員はいないか?
ア 前の職場が不明確だったので。データによらずに上司が決めるなど。
イ ずっと続けられる好きな仕事にしていきたい
イ 子がいるので額面700万はほしい。今の年収△200万円までOK。
とまあ、いろいろ考えはしたが……結局、税務コンサルにした。スキルを活かせるうえに、さらに磨くこともできる。そのうえ、応募に必要な資格である税理士免許もある。応募要項には「事業会社での税務実務経験5年以上」とか「同業界でリーダーシップを発揮された経験3年以上」とか「M&A、組織再編、事業統合、事業再生等の案件に対する税務コンサルティング経験」とか、該当していない要件があった。
だが一方では、「上場企業、外資系企業などに対する税務申告書作成業務」など、こちらの十八番(ルールを作ったり審査する側)とも言える要件もあった。当てはまるかもしれない。
こちらの日系大手の税務コンサルを受けたいと転職エージェントに告げたところ、「要件については、体感6割でいいので。ほかにも何社か受けた方がいいですね。増田さんの場合は、最低15社は受けましょう」とアドバイスをもらった。
言いたいことはわかったが、こういうのは絞るべきだと感じた。一気に15社受けるのではなく、3社を5回に分けるなど、そういうやり方がいいと思った。※よく考えると、転職エージェントと転職希望者は利益背反の関係にある。転職エージェントとしては、ほどほど短い期間で離職しそうな会社を勧めるのがメリットだからだ。
かくして、税務コンサルのうち、外資系大手・日系大手・日系準大手の3つにエントリーした。うち2社が書類選考を通過し、一緒に働くであろう仲間との数度の面接を経た後に、幹部社員とも話をさせてもらい、最終的に2社の内定を得た。
決め手として、一番好感があった会社を選んだ。やはり、一緒に働く仲間――これがマストだった。上の3つでいうと日系準大手になる。
こちらの会社は、昔仕事でお世話になったことがあった。直接契約を交わしたことはないのだが。とある相談案件を通じて、互いの知見を高めることができた……とこちらは認識していた。その会社は、国税庁を不当課税処分で訴えたことがあったのが気になったが、今さら大した問題ではない。
次は、どうやって上司に転職を伝えるか考える必要がある。まともにやってしまうと、N君の時のように無理筋なことをされる可能性がある。公務員の退職にあたっての厳密な許可制や再就職の規制は、当時の私の役職(課長補佐)だとばっちり適用される。※20代とかの若手だと、基準を緩めてもらえるらしい。
「年度末で退職します」と告げた時の直属の上司の顔を覚えている。諦めと怨嗟が混じったような顔つきだった。一応遺留は受けたものの、上司もわかっていたようで、最後には「これまでお疲れ様。次のところでもうまくやれるように。ただ、辞職が認められたらいいけどな。俺は無条件に認めるけど」と言っていた。後は、人事による退職ヒアリングを残すのみだ。
思案した結果、退職ヒアリングにおいては、内定を得ていた会社のうち辞退するところを転職先として告げることにした。入社予定の日系準大手は、一応これまでの取引先には当たらないが、関係先に該当すると見做されるおそれがあった。N君の二の舞だけは御免だった。絶対に避けたい。今ここで、今ここで就職しておきたい。絶対に!!
証拠書類として、第二志望だった外資系大手のオファーレターの写しを人事ヒアリングで提出したところ、それから約一週間ほどか、何事もなかったように辞職の許可が下りた。そこから、残りの約二ヶ月半の間で引継資料を作り、3月の初め頃には仕事を引き受ける人に業務の説明をして、懸念事項の対処方法の素案を示して、最後に職場内で気を付けるべきことを述べて……それから数日後、私は職場を跡にした。
転職に成功した。一度下った辞職許可である、春先になって覆されることはない。覆そうにも、4月の時点ですでに民間企業との雇用契約が成立している。どうしようもない。私は管理職ではないからして、そこまで大事にならないはずだ。
実際、春先になってすぐ、雇用保険や健康保険の手続きの関係で、私の勤め先は元職場に知られることになったろう。それでも、私に元職場から電話がかかってくることはなかった――転職に成功したのだ。
新しくスタートした税務コンサルティングの仕事は、私にピッタリ合っていた。最初の1年間は、向こうの会社でいうところの雑巾がけ(企業の予定納税額の調べ、特定の申告方法の可否の問い合わせ、税制改正の動向調査)に当たる仕事だった。これまでの経験が活かせる、いい仕事に出会うことができた。
定時退社が実現し、給与は少しだけ上がり、休暇日数も増えて、福利厚生も十分だった。何より、一緒に働く仲間だ。自然な話し合いができる。暴言を吐く者や、怒りや悲しみの感情をぶちまける者や、不貞腐れる者もいない。言いたいことを言い合える。
反対意見に弱い人達じゃなくて、なんというか、「精神的に健康」というか。自分と考えの違う人の反論に耳を傾けることができる。それでいて、自分の意見として昇華できる。そんな人達だ。
いい職場に移ることができた。運がよかった。太陽が昇っている時間に家に帰れるなど、私にとっては夢のひとつだった。夕焼けは近かったものの、まだ青空が残っている部分を見上げると、子どもの頃に読んだ児童作品を思い出した。少し前にも思い出そうとしていたっけ。きっかけは忘れたが。
タイトルは、『ちいちゃんのかげぶんしん』だった。時代背景は、太平洋戦争の末期だ。ネタバレは避けるけれども、ちいちゃんという女の子が家族と一緒にやった『かげおくり』という遊びを通して、戦争反対を訴えるものだ。
かげおくりというのは、地面に映った影法師をしばらく見てから青空に目をやると、網膜に焼き付いた影の残像が空に映ってみえるというものだ。未成年だった頃の私の心にドスンときた作品だった。増田民にも是非おすすめする。
晴れ晴れとした気分だった。それからはマイホームで羽をのばした。なにしろ、毎日が定時帰りなのだから。子どもを実家から引き取るまでの間、家でゴロゴロしたり、趣味に勤しんだり、妻の遺品を整理したり、平穏な日々を過ごした。
暇な時間を使って、『犬神さんと猫山さん』のBlu-rayディスクを購入して観た。やはり、何も考えずに見られる。1話がCM込みで5分なのもいい。最終回は、花火大会だった。今まで出てきたキャラクターがみんな登場して、最後はふたりで花火を見上げながら手を繋いだところでエンドだった。
ネット掲示板を読んだところ、原作漫画(※記念に1巻を購入)の方は、残念ながら打ち切りのような結果だったらしい。作者も若い人だから、いろいろと苦労があったのかもしれない。でも、あの作品を面白いと思った人がたくさんいるのだと――作者に知ってもらえたら幸いだ。
私のようなおじさんが楽しめたのだから、若い人だったらもっと楽しめる。面白い作品に違いない。できれば15分枠のアニメだったらよかった。
たった三ヶ月の間だったが、思い出に残るアニメだった。ありがとうございました。
ここまで書き終えて、今は自室にあるパソコン机の前で一息ついている。携帯電話の通知を見ようか、それともコーヒーを飲もうか、ボーッとするのもいいかなと、いろいろ考えている。
税務官僚だった頃に比べると、今は幸せだ。そのうち慣れるとは思っていたが、あの辛かった日々を思い出すと、しみじみ幸せに思えてくる。不思議かな、辛かった日々であればあるほど、思い出す時に幸せな気分になる。なぜだろうか。
そんな思いに捉われて、ふと携帯電話を拾い上げた私は、デリヘルでも呼ぼうかと思い、アドレス帳を開いた。お気に入りの子が脳裏に浮かんでくる。
ここで思い留まった。そうだ、先日誓ったばかりじゃないか。もう風俗店を利用するのは辞めようと。昔はよくソープに行ったり、デリヘルを呼んだりしていたけれども、もうしない。そういう店は利用しないと決めていた。
長い日記になった。ゆっくり読んでもらえばいいし、わかりにくいところや、興味のないところは飛ばしてもたぶん理解できる。
今回、昔のことを振り返ることができてよかった。書いている最中、じんわりとした幸せが込み上げてきた。この幸運に感謝したい。
(追伸)
上で挙げたN君だが、半年前に話をする機会があった。今でも彼は、どうにか転職ができないか模索しているらしかった。裏技を使おうかとも言っていた。さすがにここでは言えないが。
N君の転職活動が成功する未来を祈っている。彼は独身だから、私よりは選ぶ会社の自由が利くだろう。彼の多幸を願って日記の結びとする。
カウンセリングに3回行った。毎回泣いてしまった。自分の内面を言葉にして出すと涙が出る。ずっと見ないようにしてきた感情の蓋を開けて言語化しても、全部が伝えられない、歪んだ自意識と貧弱な語彙に耐えられない。言葉に出して定義をするのは無理なのに、言葉にしなければならない。口から出したらそれになってしまう。 違う 言いたいことはそうじゃない 言葉じゃ感情のひだを全部掬えない 苦しい
今のこれがどれだけの症状なのかわからない、でも激やせも激太りもしていないからはた目には何もわからない でも頭の中はずっと変な回転をしていて歯車がかみ合わないまま空回りを続けているような感覚だけがある。
朝の五時半に目覚めて支度をして10分で家を出る。
仕事を終え19時すぎに帰宅をすれば、夕食と入浴で21時半を過ぎて就寝をする。
平日はそれで5日が終わり、週末は午前中に溜まっていた洗濯物と掃除で終わる。お昼に飲酒をし酔い潰れて寝てしまえば、もう休みは終わり月曜日だ。
はたして私は本当に生きているのか。
『誰か僕の眠つてゐるうちにそつと絞め殺してくれるものはないか?』
はたして私は本当に生きていると言えるのか
自分のやった自分に何を齎してくれるかが見えてないと人はやる気になんてなれない。
そこに何の利益もないし、下手にキラキラして「いい1日だった。きっと社員も元気になっただろうし今度から毎月やろう」となったら大変だからだよ。
頑張った結果自分に不利益が返ってくるリスクがあると人間は頑張れなくなる。
仕事のやる気が一番なくなるのは徹夜して何とか滑り込ませた納期に対して「ダメ元だったけど間に合ってよかったです。次からもこの納期で行けそうですね」って言われること。
ジャニーは頑張れば頑張るほど知名度が伸びて若い子が入ってくるし、社内における自分の影響力が強まれば「黙って掘られてろよ」という圧はより強くなってレイプもしやすい。
頑張って働くことが、自分の人生に潤いをもたらすことに確信を持てれば、世界と自分が歯車でガッチリ噛み合って凄い力が出せる。
もしも「権力があるからって未成年レイプはアウトですよ。キスや握手も辞めた方がいいです」なんて言われたらジャニーはここまで結果は出せなかっただろう。
アイドル事務所は畳んでホストクラブかなんかの経営に力を注いだか、普通のオッサンとして枯れていったかのどっちかだと思う。
未成年をレイプすることに燃えるジャニーの執念がジャニーズをここまで大きくしたのなら、ジャニーズ事務所がレイプのことから逃げるのはやっぱ無理なんだよ。
不正会計をしていたことが会社を大きくしていたとか、政治家に裏金を握らせて工場誘致を無理やり成立させたことで会社が食えてたとか、そういうのと同じなんだ。
会社経営と切り離せない形で行われていた不正義に対しての始末は、やっていた人間が消えたら終わりではなく、会社全部で責任を取る必要がある。