はてなキーワード: あがり症とは
昔から極度のあがり症なのと、大きな音や人前に立つことに酷くストレスを感じ、口頭でのやりとりが苦手過ぎて発話能力が壊死してるのもあって壊滅的に人前で喋るのが苦手だ。喋ろうとすると頭が真っ白になる。
一ヶ月前から発表の予定が入るとその事で頭がいっぱいになり廃人のようになる。俺はそれで仕事を数回飛んだ。内容証明で退職届を書き失踪した。社会人として失格なのは重々承知しているし最低な行為だと思うが、本当にいっぱいいっぱいになってしまう。
コミュ障にプログラマが薦められていたのをネットで見たのと、ルーチン業務をVBAで自動化させたのが楽しかったのがきっかけでプログラマとして就職が決まったが、人前で喋る機会が余りにも多くて、研修期間中に飛んだこともあった。
俺みたいな人前で話すのが苦手すぎる人はどんな仕事をしてるんだろう。どんな対策をしてるんだろう。皆なんであんなに普通に人前で振る舞えるのか俺にはわからない。皆1ヶ月ぐらい悪夢に魘されたりご飯が喉に通らなかったり茫然自失になりノイローゼ気味になりながらもなんとか頑張ってるんだろうか。だとしたら俺には無理だ。
俺のぼっち歴は相当なもので、プライベートで遊ぶ関係を友達と勘定するならばたぶん中学一年生ぐらいの頃に映画を見に行ったのが最後だ。(クラスで映画を観に行く話をしてるところに俺が空気を読まずに“自分も行っていいか”と訊ねたことでついていく運びになった。今にして思えば、彼らにとっていい迷惑だった)
大学生の頃同じゼミのやつからマクドナルドに呼び出されたことはあるが、どうだろう……友達だろうか…友達ではないな。
なんなら映画を観に行ったときも、俺は観てすぐ帰ったので(楽しくなかったのではなく、普通に映画を観て満足したらすぐ帰りたくなった)そのあとなんやかんやでそのことを突っつかれ、俺はやるせない気持ちになった。「帰るわ!」と言って、特に引き止められずに「ああそう?じゃあまた」と言われたのだからそりゃ帰るよ。
俺は高校も大学も友達と呼べる人間が一人も出来ないまま過ごし、わけのわからぬまま人生の一番自由な時期を、イヤホンが耳に刺さったまま一人で過ごした。
サークルは一時期落語研究会に属していたが、裏方だけやろうと思っていたのに字が汚すぎて題目の名前を書いた紙すら満足に書けず、あがり症のおかげで「時そば」を、客ではなく先輩の前で練習することすら出来ない始末。(なぜか、“枕”という、噺の前にやる些細な無駄話だけは少しだけ達者に話すことができた。20分ほど)どうしたものかと悩んでいたが、ちょうどそのとき部内の人間関係でトラブルが生じ、同級生が一人、先輩が二人やめたところで俺も便乗して辞めた。
暇なときはイヤホンで外界の情報を遮断してなんかしらの曲を聞きながらキャンパス内を徘徊し、たまに構内を出て無意味に一時間ほど歩き通してみたりした。
これで偏差値の高い大学に通っていたとかなら人と違う視点を持ったがゆえの孤立とか格好がつくのだろうが、普通に偏差値の低い大学に通っていたので、俺はぼっちで、しかもバカなだけだった。
どれぐらい偏差値が低い大学かというと、ここを出た某作家が著者略歴にうちの大学ではなく、所属していた他大学のサークルの名前を書いてしまうぐらい偏差値が低い。
とは言え、何も本当に音楽聞きながら歩くだけの学生生活だったわけではない。たまにラーメン屋巡りとかしてたし、ちょいと小銭があるときは雀荘に立ち寄ったり、また、本当に本当~~~に暇なときは、ネットに小説をチョロッッッッッとだけ書いたりしていた。半年に、ほんの六、七行ずつみたいなペースで。
そうしてある日、気付いたことがある。
俺は意外と、少なくとも感想文みたいなレポートを提出して怒られていた同級生よりかは、文というヤツが書けるのでは?と。
それまでは星新一とズッコケ三人組ぐらいしか読んだことが無く、他にはエブリスタでクソみたいな異世界転生系小説を読んであざ笑うというカス以下の習慣しかなかったのだが、それが思いのほか文章力の向上に繋がっていたのだろうか。「こういう文章を書かない」という手本は意外と役に立った。気がする。
エブリスタで小さい賞を取ってアマギフを三千円ぶんぐらいもらったりして調子づいた俺はもうちょっと色々書いてみようと思い、半年に一度ペースで書いていた小説で人と人がどうのこうのするパートに差し掛かり、そこを頑張って、ウィットとエスプリの利いた小気味良い会話文を作ろうとした。
出来なかった。
どうやっても平面的な、話している人間の人格が反映されない、ただの「文」にしかならなかった。読んでいて不気味だった。作品に思い入れのない声優が「あのキャラやってみて」と頼まれ、とりあえず声だけ出してみた。みたいな。あるいは同じ作品で共演する声優同士に、台本なしでそのキャラを即興で演じてみてくれ。と頼んだ時の会話のような…
とにかく形容しがたい、薄っぺらさが隠せない会話になってしまう。
要するに、三人称視点の文はてんでダメだった。『楽しそうな会話』が書けない。
反対に、一人称視点だとけっこう書けた。なのでレポートや論文はヒョイヒョイ書けた。あれは一人称視点で書く文章だからだ。だが小説は別だ。いくら一人称でも話の途中で主人公が人と会話をしなくてはならないときがある。これが本当にできない。
相手がどういう感情で主人公に話しかけているかを考え、主人公の受け答えでどう気持ちが動いて、気持ちに応じてどう対応が変わるかを考えてセリフを作る。すると、何を考えているかわかっている俺から見ればそれに気付かず喋っている主人公が妙にマヌケに思えてきて、そうなるとそのマヌケの一人称視点で綴られている他の文もマヌケな文に見えてくる。そしてどっと気が萎える。
なんのことはない。俺が普段人の感情の機微について推し量るような機会とほとんど出くわさず、機会があっても推し量る能力がないマヌケであり、そのマヌケぶりが主人公に伝染していただけのことだった。
好機を逃さず利用することを中国の故事で『奇貨居くべし』と言うらしいが、機会を利用する能力を養う方法まで故事は面倒を見てくれないらしい。(きかい。と打とうとして“きかお”とタイポしたら予測変換に出てきたので、意味を調べた後使いたくなった)
…とはいえ書かないと続きに進めないので、そこら辺のコミュニケーションパートはなあなあに、サッと流して次に進むのだった。
いろいろな作家の言では、脳内でキャラクター像をしっかり組めばストーリーと舞台の範疇で、頭の中で勝手に動いてくれるそうだが、俺の脳内に居るキャラクター達は揃いも揃ってマネキンばかりだ。俺の思い通りのポーズはとるが、決して動き出さない。
仕方なくマネキンのポーズを手作業でちょっとずつズラして、それを繰り返したものを描写して連続した動きを表現しようと試みるも、そうして出来上がったものは生きた人間の動きとは言い難い、不自然なものに仕上がる。どれだけ細かく刻んだストップモーションアニメも、自立して動く現実の映像のように滑らかにはなってくれないのと同じだ。どうしてもギクシャクする。
ごちうさの3期が終わり、『ゆるキャン』と『のんのんびより』へと続く。これから少なくとも3ヶ月先は移住先を探すこともない安泰な日々が続く。
しかし、ここから先はどうなるのか。さらに先に『まちカドまぞく』の2期があるが、1期より作風が変わると聞く。ひょっとすれば、『NEW GAME!』のようにいざこざの多い作品に変わっていくかもしれない。日常系アニメの新作がないかと不安になっている人がいるはずだ。
そういえば、アニメ化が発表されたきらら原作漫画は『球詠』だったよな。この作品を最後にアニメ化の発表がされた作品が現れなくなって1年半も経つ。
しかしながら、これからアニメ化の発表がされるきらら原作漫画が増えていくだろう。だが、それと同時にきらら原作アニメに対して「自分が期待していたものと違う!」という批判が急増していくと思う。
なぜなら、まんがタイムきららからきらら系と呼べるような日常系が減ってきているからだ。
私は日常系アニメが大好きできららの雑誌を読んでいる身だ。未来の日常系アニメが出てくることを楽しみにしていた。
しかし、私は、2018年ぐらいから、きららの編集部は日常系を冷遇するようになったと感じた。
そして、きらら編集長のインタビューを読んで、まんがタイムきららから日常系がなくなるのは確実だと確信した。
ただ、最初に『ひだまりスケッチ』がアニメ化し、『けいおん!』、『GA 芸術科アートデザインクラス』と続いていって、きららといえば女子高生4・5人の学園ものという印象が我々の想像以上に強くなってしまった。もっと4コマに多様性を見出そうと思って企画したきららが、いつの間にか多様性のなさの象徴みたいになってしまっていたんですね。どこかで一度その固定観念を壊して、新しいきららの形を作らなければいけないと思い、2011年に「まんがタイムきららミラク」を創刊しました。
芳文社創立70周年を迎えて。「まんがタイムきらら」編集長が考える“これからの日常系”の形
やはり、「きららといえば日常系」という風潮に対して、きらら編集部は好ましくないと思っていたようだ。
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では、まんがタイムきららについて振り返ってみよう。
2011年に『あっちこっち』、2012年に『夢喰いメリー』のアニメが放送された。「まんがタイムきららは日常系だけではない」とアピールする機会になり得たが、いずれも成功したとはお世辞にも言い難かった。特に『夢喰いメリー』は原作ファンから酷評をされている。
2013年に『ゆゆ式』のアニメが放送し、『きんいろモザイク』『ご注文はうさぎですか?』へと続いた。この頃に「まんがタイムきららといえば日常系」というブランドイメージが確立された印象だ。
きららに対するイメージが確立された後も、日常系ではないきらら原作漫画がアニメ化して放送されたが、そういったアニメが日常系アニメに比べたらヒットしているとは言い難い。
一方、編集部から大きな期待が寄せられたまんがタイムきららミラクだが、けいおんやゆゆ式のような大ヒット作が現れず、2017年12月号を最後に休刊してしまった。
そして、ミラクの末期の頃から、既存のきらら系列雑誌の作風が変わっていった。
まず、2018年から2019年前半ぐらいかけて、まんがタイムきららMAX連載の未アニメ化作品が、2~3巻分の短期で、次々に連載終了していった。特に『どうして私が美術科に!?』の連載終了はきららの読者に大きな衝撃を与えた。元々、きららMAXは、前衛的な作風やマニアックなネタを扱う作品が多かったが、ミラク創刊の影響で、きららMAXは萌え要素が多い作品が増えた。ミラク休刊を期に、尖った作品が増えてきた。
さらに、『ななどなどなど』のような和気あいあいとは言い難い作品や、『RPG不動産』のようなファンタジー系の作品が増え、『奥さまは新妻ちゃん』『一畳間まんきつ暮らし!』『メイドさんの下着は特別です』のような男性読者に媚びたお色気要素が強い作品も出てきた。
そんな中で編集部からプッシュされていた印象が強いのは、きらら本誌で連載していた『甘えたい日にはそばにいて。』である。この作品は『幸腹グラフィティ』の作者、川井マコトが送る小説家の少年とアンドロイドの少女の恋愛を描いたシリアスな作品だ。
きらら作家としてそこそこ知名度があるとはいえ、アニメ化されていない作品としては破格の待遇で編集から猛プッシュされていた。3回連続でセンターカラー連載したし、1巻発売当時、アニメが放送していた『スロウスタート』との合同フェアを行った。
しかし、鳴り物入りで連載されていたにも関わらず、アニメ化されることなく3巻で終わってしまった。
そんな長期に渡る試行錯誤だったが、きらら編集部の期待に応える傑作がようやく現れた。それは『ぼっち・ざ・ろっく』である。
『ぼっち・ざ・ろっく』は、これからのまんがタイムきららを語る上で絶対に外せない作品である。
この漫画は、タイトルが示す通り、陰キャな主人公がバンドに加入してロックスターを目指す王道のロック漫画である。間違えても『けいおん!』と同じようなものを期待して見るものではない。むしろ、『けいおん!』が嫌いだった人が見るものだ。個人的には、この作品が売りにしている主人公の顔芸と陰キャネタが生理的に受け付けない嫌いな作品だ。
『ぼっち・ざ・ろっく』はとにかくすごい。単行本1巻発売日直後に重版がかかり、LINEスタンプが発売された。そして、「次にくるマンガ大賞 2019」で8位にランクインした。
おかげで、きららでは陰キャ主人公モノブームが巻き起こっている。そのブームは、荒井チェリーというきららの創刊期から連載作品を持つベテラン作家ですら巻き込んでいる。列挙すればこんな感じだ。
そんな『ぼっち・ざ・ろっく』にアニメ化の話が来てもおかしくない状況だと言える。では、肝心の出来はどうなるのか。制作会社ガチャと呼ばれる風潮が強いが、それに関しては心配する必要はないだろう。
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ここからは、個人的な妄想。内情を知らないので、今後どうなっていくかは、まだ分からないことだということに留意してもらいたい。
テレビアニメ『ぼっち・ざ・ろっく』は、アニプレックスが間違いなく神アニメにしてくれるはずだ。きららの切り札である以上、粗末に扱われることは絶対にないだろう。作画に関してはしっかりした制作会社を選ぶし、脚本だって原作ファンからの高評価であふれかえっているので十分保証できるだろう。
それで、なぜ『ぼっち・ざ・ろっく』の話にアニプレックスを出すのか?
その大きな理由はソーシャルゲーム『きららファンタジア』にある。このゲームはアニプレックスがパブリッシャー(配信元)でドリコムがディベロッパー(開発元)である。
『ぼっち・ざ・ろっく』の連載が始まる頃は、きららファンタジアの販促に力を入れていた時期だった。それを象徴するアニメは、2017年秋季に放送された『ブレンド・S』と、2018年冬季に放送された『スロウスタート』である。この2作品は、アニプレックスとドリコム、そして芳文社が製作委員会に名を連ねている。
この頃のきらら編集部はアニプレックスを強く意識していたんじゃないのかな。特に『ぼっち・ざ・ろっく』の場合、その傾向が強く表れていると感じる。主要人物の名前は、ASIAN KANG-FU GENERATION(アジカン)のメンバーが由来だ。アジカンは、アニプレックスの親会社、ソニー・ミュージックエンタテインメント所属である。ここから、作者と編集は、構想の段階でアニプレックスを意識していたのだろうと推測している。
『タイムパラドクスゴーストライター』というジャンプの打ち切り漫画には、「実は(アニメ化の)オファーだけなら、早い作品だと1話目の次点で、もう来るんだよ」というネタ画像がある。ひょっとすれば、『ぼっち・ざ・ろっく』は、比較的早い段階でアニプレックスからオファーが来ているのかも知れない。逆に、芳文社からアニプレックスにアプローチしていたのかも知れない。それだけ芳文社とアニプレックスの距離感が近いはずだ。『きららファンタジア』が配信されたばかりの頃は特に。
そういえば、こんなTwitterアカウントがあるけど、遅くてもこのアカウントが作られる前からアニメ化が決まっていたんじゃいないのかね。主人公が演奏動画の投稿をきっかけにSNSを始めるエピソードだけど、このアカウントの初ツイートが2019年8月16日、このエピソードが掲載されているきららMAX発売日は2019年08月19日である。早すぎないか。
ファンがやるにしても、フラゲでもできないだろう。最新のツイートあたりに、音楽が流れる一枚絵があるけど、この絵は作者が描いたものじゃないよね。ひょっとしたら、アニメの作画担当が描いたものかも知れない。ちなみに、Twitterは、YouTubeやニコニコ動画とは違って、JASRACと許諾契約をしてないから気をつけてね。
『きららファンタジア』は、リリース開始期に多くのトラブルに見舞われて短命で終わるとささやかれていた。しかし、そんな悲観的な予測を超えて、2020年の12月にリリース3周年を迎えた。それを記念してメインクエスト第2部がリリースされた。これから、またアニプレックスのきらら原作アニメが増えていくのだろう。そのトップバッターは『ぼっち・ざ・ろっく』になるに違いない。
ビジネスは出だしが肝心だ。アニプレックスと芳文社は『ぼっち・ざ・ろっく』にまんがタイムきららときららファンタジアの命運を賭けるつもりでいるに違いない。それ故に、アニメスタッフは錚々たる顔ぶれがそろうし、宣伝にもかなり力を入れるはずだ。
具体的には、『鬼滅の刃』のプロデューサーを担当した高橋祐馬、『紅蓮華』を作曲した草野華余子、「チカっとチカ千花っ」で大きな反響を読んだ中山直哉が名を連ねることになるだろう。ロック界の重鎮たちも出てくるんだろうね。アニメーション制作はufotableが最有力になると考えている。次点は、A-1 PicturesとCloverWorksだ。
ぶっちゃけ、このアニメに鬼滅の刃のスタッフが集うことすらあり得ると思う。宣伝映像の冒頭に「鬼滅の刃のスタッフが送る」というナレーションを添えるだけで、誰もが飛びつくに違いない。まさに鬼に金棒。
テレビアニメ『ぼっち・ざ・ろっく』はアニメファンはおろか一般人ですら唸らせる出来になり、アニプレックスと芳文社が望んだ通り大ヒットするに違いない。そして、「きららといえば中身のない日常系」というネガティブイメージを抜本的に改善していくだろう。
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これがどれくらい当たるのか。答え合わせは2021年1月19日から始まるだろう。まんがタイムきららMAXの発売日だ。その次の月の2月25日は『ぼっち・ざ・ろっく』の単行本3巻が発売される。その間に、重大なニュースがやって来るはずだ。
いずれにせよ、きらら編集部にとって『ぼっち・ざ・ろっく』はまんがタイムきららを変える大きな存在だということには間違いない。
実際、ごちうさ3期に放送されたきららMAXのCMで紹介された作品は、ごちうさときんモザとこの作品だけだった。新型コロナウイルスのせいかもしれないが、はっきり言って、きららMAXの未アニメ化作品は「『ぼっち・ざ・ろっく』以外は雑魚」という扱いなんだなと感じた。それだけ、『ぼっち・ざ・ろっく』の注目を集めるのに必死なのだろう。
私はきららの雑誌を読んでいて、日常系が減ってきていると感じていた。
きらら編集長のインタビューを読んで、きららから日常系が消えていくのは確実だと痛感した。
きらら編集部は『ひだまりスケッチ』や『けいおん!』がヒットしたときから、「きららといえば日常系」のイメージに危機感を持っていたのだ。
きららの編集長はインタビューで「多様性」という言葉を使っていたが、我々が持つきららに対するイメージに対して、作者も編集もプライドが許さないのも大きな理由の一つなのだろう。そりゃそうだよな。自分たちで一生懸命作って世に出した作品を、きららというだけで、萌え日常系と言うだけで「中身が無い」とか「低俗だ」とかと酷評されたら誰だって傷つく。そんなイメージを払拭したくなるのは当然の話だよね。
10年以上前から受けてきた屈辱を晴らそうと、長期に渡る試行錯誤の結果、『ぼっち・ざ・ろっく』という今後のきららにふさわしい作品が表れた。あとは、大ヒットを目指してアニメや宣伝に力を入れていけばいい。そして、『ぼっち・ざ・ろっく』に続く「中身のある作品」を出していけばいい。そうすれば、まんがタイムきららから「中身のない日常系」は駆逐されていくだろう。
だから、私は言いたい。
なんというか少なくともここ数代、全員パッとせんやん
そら流石にチョー大馬鹿ってことはないと思うんだ 日本の政界のトップについてるわけだし、多少のキレはあるはず
でもあんまそうは見えんというか、喋ってる姿が賢そうじゃねえんだよな
なんだったら、俺が言ってた偏差値55とかの高校の生徒会長のほうが賢そうだったぞ
ほんで、実質の身分制度みたいなものがあるとはいえ、少なくとも建前上は(皇族でもなければ)総理になれる
もっとこう明らかに賢いやつ、カリスマあるやつが総理になったっておかしくねえじゃん
実務はあがり症だけどメチャ賢い腹心がやるみたいな形にもできるわけだし、表面上のキレがあるやつを総理として表に出すってわけにはいかんのか
トルドーちゃんとかすげえいい感じだし、なんならトランプちゃんもパワーはあったじゃん
もっとシャンとしたやつを出してくれや!
色んな思い出がよみがえってきて本当に楽しくてアイマス最高!って言いたかったけど、本アカウントではちょっと恥ずかしいのでこちらで。
なんでこんなに楽しいんだろう、なんでこんなにはまったのだろう、と自分なりに振り返ってみた。
きっと私はアイマスでおじさんを楽しんでいるんだろうと思う。
(女性Pがどうアイマスを楽しんでいるかは、ほんと~~~に人それぞれの楽しみ方がある。これはその沢山ある方法のひとつでしかないことは先に言っておく)
恋愛対象は男性だ。あがり症だからキラキラしたステージとは程遠い。裏方の方が落ち着くタイプだ。
今回、同い年くらいの声優さんが「アイマスに出たくて声優を志した」というメッセージをよく見かけた。
でも私はアイドルになれるような人間ではないし、別にそこに悔しさは感じない。淡々と現実を受け止めている。
そんな自分が、普段の事を忘れて思いっきり「おじさん」ができるのがアイドルマスターなのだ。
がんばってる姿を見て、全力でサポートする。
悩んでることがあれば、一緒に話を聞いて悩んであげる。
流行りの言葉をまねて挨拶して、アイドルから白い目で見られる。
アイドルが気持ちを打ち明けてくれたら、それは恋愛じゃなくて信頼だよとそっと静かに修正する。
でもちょっと、自分も同じ気持ちを抱いていることに気づいてどぎまぎしてしまう。
仲のいいアイドル同士で仲良くしているのを、微笑みながら見守る。
そういった、日常ではできない楽しみをアイドルマスターは提供してくれるのだ。
特に、徐々にお互いを知って距離を縮めて、仕事をちょっとはみ出した信頼を得て、お互いに恋のドキドキと錯覚してしまうあの甘酸っぱさが溜まらない。
その後にステージで輝く姿を見て、やっぱり恋愛じゃなくて、人として仕事としてこの子を輝かせたい、と思うまでがセットだ。
この感情は、上手く言えないが、私の日常だったり、私の仕事仲間に対してはなかなか味わえない。だからこそ尊いのだ。
(余談だが、sideMではおじさんになれないのでは、女性扱いされてしまうのでは、と不安を感じていた。
そんなことは全然なく、1stライブで完璧だけど未完成な姿を見せてくれた後に「プロデュース、よろしくな!」と言われた時点でおじさんは目が離せなくなってしまった。柏木翼くんのおじさんです)
私はいろんなジャンルで提示されている「イケメンの恋人」でもなく「お姫様候補の女の子」でもなく「おじさん」になれることに心地よさを感じている。
ちょっとは「おいおい…」と思うこともあるが、おじさんだから乗り越えていける。
生きてる意味ってなんだ?意味を探して生きれば生きるほど段々年老いて、転職市場でも需要がないし、今いる会社でも存在意義を見出せない。発表苦手、会議苦手、相談苦手。あがり症で3人以上の会議になると、自分が何話してるか分からない。
家族にも叱られてばかり。片付けやトイレの仕方、洗い物のやり方を正しくないと指摘される。私生活も仕事も感謝されたことがないなら、生きる意味あるのか?
生きる意味を探すために生きるとかただの地獄じゃん。みんなこの地獄をどうやって過ごしているんだ?
何年か前、精神の病を患った。死のうと思って道具を購入したりベランダから飛び降りようとしてみたが、都度家族に止められ死ねなかった。泣いて止められた時に「ああ、自分を大切に想ってくれる人がいる。もう少し頑張ってみよう」なんて思ったけど、今思うとしんどい時間が長引いただけだったのかもしれない。
病院に通い治療を経て、なんとか外を歩けるようになり、当時勤めていた会社を逃げるように辞めて転職活動。奇跡的に転職先を見つけて社会復帰を果たした。
なのにまたこれだ、死にたくて仕方がない。
今死んだら葬式とか、家賃の支払いとか、職場への連絡とかを家族がしなきゃならないのか。めっちゃ迷惑かけちゃうな、自分なんかと一緒に生活しているせいで本当にごめんなさい。申し訳なさだけで生き延びて、1日1日をやり過ごしてる。もし我慢できずに死んでも、許して欲しいと思いながら。
コロナ、内閣、不謹慎発言、検査数、不要不急に世の中のみんなが意識むけている中、自分だけが自分のことばかりを考えている気がする。ほんとごめん。
新型コロナの対応はクソ以下の無能の極みでとっととやめてください何でもしますから!と言いたいが、喋り方とかで非難すべきではない。
しかし、喋り方がブツブツ途切れがちで聞き取りづらいとか、活舌が良くないとか、討論ができないとか、そんなことで非難すべきではない。
暗記が苦手な人、あがり症で公の場でしゃべるのが苦手な人だっている。
討論だって思考の瞬発力がある程度必要で、それを持ってない人は政治家になれないということになってしまう。
もちろんそれらを持っていればより優れた政治家であるのは間違いない。
だが、それらを持っていないからと言って劣った政治家として非難するのは間違っている。
政治家として最も重要なのは政策で、次がそれを実行する能力だ。
国民に目を向けて、大多数が支持できる政策を粛々と実行できる能力があれば、人前に出る仕事は全部官房長官とかに丸投げで十分やっていけるだろう。
もちろんこれらの能力がないことは政策の推進をより困難にするだろうが。
昨日のニュースでは小池知事のしゃべりが丁寧で聞き取りやすい、それに比べて安倍はなどというコメントがはてブでもツイッターでもそれなりに見受けられた。
その点をもって安倍総理に首相、政治家の資質なしと断じるのは絶対に間違っている。
まぁそれはそれとしてアベノミクスや改憲などの自身の政策を断固として実行できるだけの意思も能力も人望もなく、それ以外の政策も全く国民に目を向けてなくて、新型コロナの対応も国民の生命の観点ではなく経済対策の目線でしか語れない安倍総理はまったく首相、政治家として不適切なのでとっとと議員辞職してどうぞ。
私としては、人の喋り方の特徴をいじってることがサムイなと感じるんですけど、h歴ではスタジオお茶の間大爆笑でその価値観のギャップがつらいですね。
自分がおかしいのか気になってるんですけど、テレビで明らかなあがり症の人間が突然引っ張り出されて吃音になってる姿っておもしろいんですかね?
令和にもなって、あがり症の人を「カミカミやんけ!」といって、周りがそれを大爆笑するというストーリーをみせられ混乱している。あれがおもしろい?吃音は滑稽でゆかいな話か?「天才的な話術で人を笑わせられる」キャラクター?
価値観大丈夫?今回のドラパのあの人はは「天才的な話術で人を嗤うことができる」の間違いじゃない?
「カミカミやんけ!」とつっこんだキャラクターは、個人曲では「なに?あがり症?気にすんな。俺らが組めば一丁上がりしょ!」とあがり症から気をそらせるようにして相方の実力を引き出していった。
今回のドラマパートで、噛むことをつっこんで笑うことになんの意図があった?生放送で自分の相方がまだ舞台に上がれないのか、もう大丈夫なのか確認する必要あった?テレビで見てた高校生は本当にそれが面白かった?
兄弟愛の強いキャラに向かって身内のディスを言うのは本気を出させたい目的があるし、「気乗りせん」という前提のもとに発してる言葉だと理解できた。
じゃあ、あの生放送のシーンは素でやったんだなぁと思った。そして、h歴は人前で特徴的な喋り方になる人をおもしろいと捉える価値観なんだなとも思いました。
虚無虚無プリン
はいエドテン
タイトルままだ。
オオサカディビジョンのラップチーム「どついたれ本舗」の白膠木簓に信じられない程ハマった。
白膠木簓はヒプノシスマイクというなんか男性声優がラップするのがコンセプトとして始まったドラマCD企画のキャラクターである。
最近はゲームや舞台やコミックスなどに手を広げ、「男性声優ラッププロジェクトじゃなかったんですか!」などと荒れているのを
こわ、近寄らんとこ………と思って遠目に見ていた。
10/30、オオサカディビジョン どついたれ本舗ニューシングル『あゝオオサカdreamin´night』発売。
は?馬鹿上手いんだが?!!ラップうま、曲めちゃめちゃいい。ナニコレ、ナニコレって思ってたところに
躑躅森盧笙のあれ。ラップバトル中にあがって「え、ヤバいどうしよ」って言わせるの天才過ぎない?
私が「このキャラはあがり症です」ってキャラ案貰ったら「あがり症?そんなん克服するで!」みたいにラップするだけだわ。
限られた時間内であんだけリアルにテンパって「ごめん」って謝らせるのなんなん?
そしたらその後テンパった躑躅森に
ぼくらの!オオサカディビジョン「どついたれ本舗」リーダー!超人気芸人!白膠木簓が!
そんでさっきまで誤ることしかできなかった躑躅森がめっちゃ元気にライム刻む。
は?なんだこれ。なん……なんだ?
お笑い芸人苦手、糸目苦手、関西弁苦手で一度もハマったことない。
ていうかビジュアル別に好きじゃない。声も知らない。公式でイケメンって言われてないと嫌。
その後のソロなんなんだよ。
糸目の関西人がコテコテにラップしてる筈なのにずっと心臓がどきどきする!!!
ホンワカパッパでときめきを覚えさせるな!!なんなんだよ。
私が好きなのは悪までオオサカディビジョンどついたれ本舗!!の!!音楽!!お前になんて、おま、お前なんていいたないわ白膠木簓くん……
あーーーーーーーー
「ただいま~、って誰もおらんからなんも返ってこんけど」
から始めるのやめて貰ってもいいですか?
え?本気?かわいい。
そ、そんな愛らしい声でお話するの?え?
(暗黒微笑)しないの?
キミ、なに、め、めちゃめちゃいいやつやん……………(おちた音)
と、いうのを認められるまで10/30のリリースから毎日まじで本当に毎日白膠木簓くんの声を聴いていてやっと今日本当にしっかりと認められたので記念カキコです。
なんかもう本当に好きなので、世界中のひと、白膠木簓くんにハマってください。
糸目も関西弁もお笑い芸人も苦手だったので、今白膠木簓君の総てがわからなくて泣いています。
白膠木簓くんがステージで何をやっているのか、誰を参考にすればいいのか見当もつきません。
助けて。
この世界の白膠木簓くんは誰。
上野入谷口。そこは、かつて北国へのターミナルであり、いまのぼくには天国へのターミナルであった。
夏の暑い日、ぼくは前日に続いてソープへ予約確認の電話を入れていた。道行く人なんて誰も電話の内容なんて聞いていないはずなのに恥ずかしかった。
逡巡があり、すべてを予定通りに進めたいと伝えた。重度のあがり症なので、予定外のことは避けたい。
予定時間になった。就職面接、プレゼン、上司の説教、そのどれよりも緊張していた。
お店に着いて、手続きを済ませると待った。内科病院の待合室よりは緊張感があり、精神科病院よりはリラックスしている集団がいた。
10分待った。一緒の車で来た同志が消えた。
20分待った。みんないなくなった。
30分待った。次の送迎が来て、また消えていった。
40分待った。大丈夫だろうか、忘れられていないだろうかと心配になってきた。
結局、予約時間に来てから一時間近く待って、ソープ嬢とご対面であった。
ネット調査は完ぺきだったはず。複数の口コミを見て高評価なはずだった。
しかし、愛想がいい、接客が丁寧、優しい、そんな御託はすべて嘘だった。
全ては滞りなく進んだ。お姉さんのつっけんどんな態度とむすっとした表情を除いて。
なぜだろう、特に会話をすることもできなかった。彼女はずっとあくびをしていた。
挙句の果てに、スマホ見ていい?なんて言ってずっとLINEを見ていた。
おかげて、スマホをじっと見ている女性を至近距離でじっと見ているプレイをする羽目になった。
なぜか寿司食べたいと連呼していた。お茶も出してくれなかったのは、どういうわけなんだろう。
帰り際、早く帰れのオーラを感じて扉の前に立った。彼女は鏡を見やると、「あ、つけまつげ忘れてた」とつぶやいていた。
扉を開けた瞬間、変わった。
「ありがとうございました~!」というオクターブ高い声でニコッと笑ってお見送りだった。視線の先には店員さんがいた。
あがり症なのかもしれない。
何故か発表系が苦手になってしまった。
人前に出ると凄く緊張して
「人が見ていない」状況、後を向いてくれていれば上手くプレゼンできると思う。
頭の中や、事前練習では「ここのとこ、どうですかAさん!」
「え?朝ごはんはチャーハン?すごいですね。」とか変な事も言える気満々なんだけどね。
人の目がダメだ。異常に緊張するし、何故か失敗してはいけないという考えになっちゃうんだ。
甘ちゃんで、友達や身内以外に電話をかけたことなんて無かった。
営業電話に出てしまい「息子さんですか?」と聞かれたのが話のネタにはなるけど微妙な気持ちにさせられた。
電話に出るときに声を変えないといけないとか誰が決めたんだ…。
テレビの影響で「出たら必ず怒鳴られる」という意識もあったから、入社して1年電話に出れなかった。
出よう出ようと思っても、どうしても出れなかった。どうしても怖くて仕方なかった。
目の前にいる先輩が「じゃぁ、俺がかけるから取って」と言って電話を取り練習した後、すんなり取れるようになった。
電話をかけてくる人は基本的に社内の人達なので、良い人ばかりだった。
人に教えることも多々ある部署なんだけれど、発表は未だに苦手。
週例会というものがあり、毎週「先週の出来事」について発表する。
発表して話しているうちに頭がどんどん真っ白になっていき、結局何を言いたいのか、どこまで言ったのか分からなくなり
勝手に途中で話を終わらせてしまう。たぶん大丈夫だろう、という意識も少しある。
この、頭が真っ白になっていく感覚が凄く嫌いだ。
大丈夫だろうか。
数年前、転職を機に、自分が極度のあがり症である事に気づかされた。
振替えって見ると、高校生くらいに本読みをさせられた時のドキドキとか、
テストの前のドキドキとか、いろんな思い出が断片的に蘇ってくるのだけど、
新しい職場の朝礼で本読みをさせられるまでは、「ここまでヒドイのか。」と思ってなかった。
割と何事も平気だと思ってたが、朝礼で震えが止まらない事に驚いて、
すぐにあがり症に効く薬をくれた。
ついでに、「新しい職場で集中しなきゃいけないのに、邪念が湧いてきて、そこかしこの声を耳で拾う。そうすると集中できなくてツライ」
そんな事を相談した。
あがり症の薬とは別の薬も処方してもらった。
心がリラックスするらしい。
あがり症の薬は効果覿面で、少しダルくなる以外は、生活に支障はない。
次第に仕事がない日も飲むようになった。
今は、その薬がないと、調子が悪い。
ぼーっとできない。
常にあれこれ考える。
信号待ちでも、お風呂の中でも、常に思考が渦を巻いてるイメージ。
ネガティブな事も考えるし、「あれは何だった?」と、ふと思い出して思考に揺さぶられる。
ぼーっとできない事は、私の今までの人生の大半だったはず。
それなのに、このぼーっとできない感覚が年々辛くなってきた。
だからすかさず薬を飲むようになった。
薬に依存し始めてる気がしなくもないけど、
副作用はないようだし、これでいいのかな?と思う。
悪い妄想や、目の前の雑音をどうやって消化してるのかな?
私も今までは、どうにかして消化してたはずなんだけど、思い出せない。