はてなキーワード: 羽生とは
なんで電話してる場面がテレビで流れるんだよ。個人的に番号知ってるならプライベートで電話して祝福しろよ。
パシュートではやめろよ。うん?もう電話かけたのか?いやまだかもしれないが、だとしたらあとで掛けるんだろうなー。金メダリスト2人に掛けて、続く3組目には掛けないってのもないだろうしな。
まあ俺があの首相にいいイメージ無いからこういう風に思う部分もあるかもしれんが、ほかの人間であったとしても首相ポジションの人は温かく見守るだけでいてほしいわ。
練習中、その後、分からないことはすぐ聞くようにしている(天心)
勝った時も負けた時も、その後はその余韻に浸らず、すぐ忘れるようにしている。(羽生)
※負けた後はすぐ忘れるっていうのは前に聞いたことがあるが、勝った時もそうなんだーって思った
男子フィギュアは体格が大いに関係あるんじゃないかと思ってる。
羽生結弦が、身長171cmと見映えよくなおかつ高過ぎず、二十歳を超えてもまだ少年っぽさの残る線の細さを維持出来てる事は彼の優秀な成績に大いに関係しているのではないだろうか。
一方、羽生選手の憧れの人エフゲニー・プルシェンコは、物凄い才能と高い技術を持っていたが、背が伸び筋肉が着いて大人の体格になってからは、ジャンプの精度を維持するのに身体に重い負担をかけ、実際何度も身体を壊し、幾度にわたる手術でもはやサイボーグの域に達している。身体の故障を補完する為に筋肉が必要で、筋肉がつくことにより更に自重が増しまた無理が必要になり、しまいには肉襦袢無しでもセッボンな、なんか色々大変そうなおじさんになった。
乱文失礼します。
男子フィギュアスケート日本代表選手の皆様、おめでとうございます。私も氷上の踊りを見るのは大好きなのです。心から祝福させて下さい。
でも私は世間に対してちょっと気に食わないことがあります。「羽生選手も宇野選手もゲームやアニメが好き」「宇野選手はガチゲーマー、携帯ゲームでは課金も」という報道です。どこか、まとめサイトかニュースサイトだったと思うのですが、はっきり覚えてなくてごめんなさい。
私は宇野選手が「ゲーマー」「ガチゲーマー」と読んで心が踊りました。私も生粋のゲーム好きでしたから。
しかし宇野選手が遊んでいるゲームとして挙げられたのは「ベイングローリー」「シャドウバース」「荒野行動」と言ったスマホゲーム。私はこれらを見てちょっと落胆してしまいました。その記事に「携帯ゲーム『では』」と書いてあっただけにスマホゲームしか紹介されていなかったのもえ〜っ…てなります。
まず「ベイングローリー」はMOBAと呼ばれるジャンルの戦略シミュレーションゲームアプリで、競技性の高さが人気のいいゲームなのですがスマートフォン向けということで少しだけカジュアルな作りになっています。というのも元々MOBAはパソコン発のジャンルであり、基本的に画面の小さなスマホでパソコンゲームのフォロワータイトルを開発しようにも少しずつ要素をオミットすることが必要なのです。実際ベイングローリーは人気PCゲーム「LOL」「DOTA2」に似ている面もあり、どうせ「ガチ」ならPCゲームを挙げて欲しかったです。ベイングローリーは確かに良いゲームですが、スマートフォン向けのゲームで「ガチ」などとまるでコアゲーマーであるかのように報道されるのには疑問符が付きます。まあ「もっと本格的なゲームが、素晴らしいものがあるから注目してほしい」という感情的なものからでた言葉に過ぎませんが。
また「荒野行動」。これは2017年に空前絶後の大ヒットを記録したPC/TVゲーム「PUBG」のフォロワーです。「PUBG」は「100人で撃ち合い、残った一人が優勝」という、ゲームとしては本当に面白いルールの銃撃戦ゲームなのですが、中国のスマホアプリ「荒野行動」はこれをパクったものです。ゲーム性はもちろんのことグラフィックやインターフェースまで酷似している完璧な丸パクリゲームなのですが、スマホゲーマーには馴染みの薄い銃撃戦ゲームということ、スペックの低い端末でも動作するということ、そもそもスマホゲームプレイヤーはPCゲームなど知らないということなどが重なりこちらも日本で大ヒット。「荒野行動」は今一番流行っているアプリの1つなのではないでしょうか。
私も「荒野行動」を遊んでみたのですが、やはり「PUBG」のパクリだけあって面白いです。
ただPUBGは実写映画顔負けのグラフィックだったのに対して荒野行動はハリボテ感満載の「これ10年は前のゲームだよね…」という…
またスマホゲームということで指で画面が隠れて没入感や競技性、操作性は低くなっているし、やはり「荒野行動」は「本格!ガチ!」と騒がれるのは違うかな…と思いました。それに中国の十八番、パクリですよ。なのに擁護する日本人が多くいるのは驚きです。中国版ドラえもんなどは叩くのに、「荒野行動」は自分がやっているから叩かないのですね。都合が良すぎる。
いや、確かに宇野選手はゲーマーです。全然良いんですよ。ゲームを遊ばない方やスマホゲームしかしない方もたくさんいらっしゃるのは承知です。
ただスマホの(簡易的な)ゲームを遊んでいて硬派だ本格だ言われると、私の思う「本当のゲーム」、また「本当のゲームファン」が蔑ろにされている気がしてなりません。「ゲームといえばアプリ!」な時代になってきているのも分かります。アプリゲームもとても楽しいです。ただ、もっと素晴らしく、もっと文化的で、もっとたのしい、PCゲームを知ってほしい。「ニーアオートマタ」を知ってほしい。「風ノ旅ビト」を知ってほしい。「ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド」を知ってほしい。
他の記事には負けず嫌い・ゲーム好きの象徴としてか「大乱闘スマッシュブラザーズ」や「モンスターハンター」関連のお話も載っていました。知らない人向けの記事っぽかったのですが、これらは100万本以上を売り上げる、かなりメジャーな、小学生も遊ぶようなゲームです。
ツイッター民「フィギュアスケート選手がモンハン好きのゲーマー!オタク歓喜だろ!」
いや…そうなのか?もし仮にあなたが「モンハン」「スマブラ」をやっているだけでドヤ顔して「ゲームオタク」を名乗るのであれば、今すぐにでも飛んでいって様々なゲームを買ってあげたいです。
もう1つ。宇野選手の「課金は強くなるための手段」と言う発言が話題になり、私含めスマホゲーム課金者はちょっと嬉しい気分になっていますね。ただそこには何があるのか?「携帯ゲームには課金も」とあたかも携帯ゲームに課金するのが特殊であるかのような見出しもありました。
アプリストアやSNSへの書き込みを見ていると「たかがゲームに1000円も払うか!w」「課金してないから○千円のアプリは高いよ、無料にして…」という意見が驚くほど多くあります。これはゲームを遊ぶ立場として、たとえ無課金だとしても書き込むべきことなのでしょうか?ましてや、開発者の目にも触れるであろうアプリストアレビュー欄に。
娯楽を享受するには基本的に生産者がいます。テレビやウェブサイトではそれを広告の形で、遊園地ならば入園料の形で、無料ゲームならば課金の形で。
ゲームというものは開発者が汗水垂らして徹夜で限られた時間とお金のなかプランニングし、プログラムを書き、音楽を作り、絵やアニメを描き、3Dグラフィックを作り、インターフェースを調整し、デバッグし、プロモーションし、…
たとえスマホゲームであれ開発者たちの魂がこもった作品であることは確かなのです。そしてそれを娯楽としてプレイヤーが享受しています。
それに対して「課金!?」と言うような書き方はアレやなあと思いました。
…また、正直「たかがゲーム」「無料にしてくれ」などは無礼極まりないと思います。
宇野選手の発言はある意味正しいです。そしてそれが我々課金者を盛り上げてくれています。ただの楽しい話です。
ただそれによってこれまでスマホゲームユーザーの多くが貫いてきた課金はしないという姿勢は少し目立ったと思ったのです。そのような考えの人には、ちょっと考えを改めてほしい。
無課金でもいい、楽しんでいるならいい。でもみんなを楽しませようと思って作ったものを「たかがゲーム」「無料にしろ」はやめてくれ。
この気持ち悪いオタクを装って書いた文章が何かの手違いで人に読まれ、フィギュアスケート選手やゲーム及びゲームファンのイメージダウンに繋がりませんように。
元増田です。
高校球児の未来については例としてプロ野球云々とは書いたけど、一般労働者の例を出していることからも分かってもらえるとは思うが、その後の数十年の人生も念頭にあるよ。
羽生選手については繰り返すが置かれているステージがそんじょそこらの一般人とはまったく違う。本人の意志を尊重する以外にないだろう。歩けなくなる可能性があるほどの怪我だったとして、当然その辺のリスクは説明があるはずで、その上で出場を選んだなら誰が止められるのかという話だよ。ブコメでも書いてる人がいたが「余計なお世話」。
普通、「高校球児の未来を考えて…」と言うときの「未来」とは、プロ野球のことじゃなくて、
彼らが野球をやめたあとの60年間のことだし、羽生について言う「未来」も同じ意味だろう。
そこにすごいズレを感じる。
羽生も高校球児も「歩けなくなってもいい」「腕が使えなくなってもいい」と言うかもしれないけど、
だとしても社会的には若者がそんな危険をみすみす犯すことを許容はできないよ。
この記事(http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2018/02/post-4b9b.html)については筆者だけでなく、ブコメでの反応を見ても本来混ぜるべきでないものを混ぜて考えている人も多く危惧を抱いたので私の考えを簡単に記しておきたい。
氏の主張としては「怪我が悪そうなので回復を第一に考えて出場しないほうがよかったのでは?」というものだ。そこそこのボリュームの記事なのでほかにも色々書いているが、煎じ詰めるとこの一言であろう。しかし決定的に間違っているのがこの「回復を第一に考えるなら」という前提の部分である。一見正しそうだし、実際多くの場合正しいのでたちが悪い。多くのブクマもこの一見正しそうなマジックワードに騙されている。
「回復を第一に考えるなら」という前提の何が間違っているのか。ここではこれを「回復してどうするの?」という問いに対する答えを考えてみることで説明してみたい。
本題に入る前に最初におことわり。以下に私は「回復を第一に考える必要などない」旨を書こうとしているが、それは「羽生選手が痛み止めを使えば金メダルの可能性がある程度には飛べる」程度には回復していることを前提にしている。実際その程度の回復具合だったことが明らかになった今では不要な断り書きかもしれないが、たとえば「どう考えても滑れないしジャンプも飛べないのに正常な判断力を失って<出場>を主張している」ケースなどはまた別の話というか、普通に出場すべきでないことは明白であり本稿では考慮しない。
それでは本題に入る。
いきなり結論を書くが、回復したとして羽生選手にとってオリンピックでの金メダル以上のモチベーションはおそらくない。これが1年に何度もあるGPシリーズのうちのひとつ、あるいは毎年あるGPファイナルや世界選手権なら「回復して次の機会に頑張ろう」という理屈も成り立つし、仮に本人が出たがっていても周囲が無理にでも止めさせるという判断はあろう。しかし4年に一度のオリンピック、それも金メダルが狙える状況で止めさせるのは、あまりに酷である。
「そうは言っても23歳の未来ある若者なんだし」的なブコメも散見されたが男子フィギュアにおいて23歳は「未来ある若者」ではない。むしろラストチャンスの可能性もあり、頑張れば金メダルをとれるかもしれないのなら「出たい」と考えるのは自然なことだ。最悪選手生命を絶たれたとしても悔いはないというくらいの計算も働かせたのではと推察するが、その上での出場判断をいったい誰が止められようか。繰り返すが出ても出なくてもこれが最後かもしれないなら出る、当たり前でシンプルな結論である。
これで最後かもという部分は反論が予想される。4年後の27歳でも十分に一線級で戦えるかもしれないからだ。銅メダルのハビエル・フェルナンデスは26歳である。ただ信じられないほどジャンプの難易度がインフレしている男子フィギュアでは、4年という時間と27歳という年齢はプラスよりマイナスに作用する可能性が高い。実際もう30年以上25歳以上の金メダリストは出ていない。回復しても27歳の一発勝負で金メダルをとるのは難しいなら、そして痛み止めさえ飲めばジャンプできるなら、多少の無理は押して目の前の金メダルをとりに行こうというのは決して分の悪い勝負ではない。最悪メダルもとれず怪我が悪化し今後の選手生命が断たれたとしても悔いがないと思えるくらいの年齢が男子フィギュアにおける23歳という年齢である。
この点が一部ブコメにも見られた「甲子園での高校球児の酷使」問題と混同してはいけない点である。高校球児、とくに卒業後プロを目指そうというレベルの投手は文字通り「未来ある若者」である。本人がどんなに連投を望んだとしても、無理にでも大人がストップをかけることに一定の合理性がある。もっと大きな舞台でもっと大きな成果を挙げるチャンスを、若者特有の好ましくも危うい一時の情熱にまかせて摘み取ってはいけない。
私が冒頭で「回復を第一に考えるなら」という前提は「多くの場合正しい」と書いたのはこういうケースである。無理せず回復を待って次のチャンス、次の飛躍へつなげよう!というのは高校球児をはじめとした多くのティーンエイジャーには当てはまるし、ハードワークを強いられ心身が疲弊している一般労働者にも当てはまる。世の中の99.99%の人にとって正しいのが「回復を第一に考える」ことである。
翻って羽生選手の場合はどうか?オリンピックよりもっと大きな舞台があるのか?金メダルよりもっと大きな成果があるのか?たぶん答えは「NO」だし、仮に「YES」だとしても「YES」と言えるのは羽生選手だけである。「回復を第一に考えて」というのは彼の身体を気遣った大人の分別ある意見のように一見思えるが、実際には、世界最高の舞台で世界最高の輝きを放つチャンスを永久に奪い去る暴挙に等しい。幾人かはコメントで指摘していたが羽生選手や彼の決断に対する敬意を欠く行為でもある。
Finalvent氏および氏に賛同した人たちにあらためて問いたい。「回復してどうするの?」。
さすがにこじらせ過ぎだろ
いちいち主語の範囲を限定するような修飾語つけて物事語ってたら
長ったらしくてしょうがない
日本人は、って語る時もすべての日本人なんて意味で語ることなんかほとんどない
東北高校時代に周囲からうけているいやがらせのニュース、少し掘ればでてくる。
これやってた人たち、いまどういう生活してんのかな。
羽生くんは「元気でいてくれたらそれでいいです」
と悪魔的な微笑みをしそうだけど。
「はぎゅう」もあながち間違いではない
https://ejje.weblio.jp/content/%E7%BE%BD%E7%94%9F
羽生 うい
羽生 うず
(女性名) Uzu
羽生 うもう
(姓) Umou
羽生 にわ
(姓) Niwa
(姓) Haiku
羽生 はう
(姓) Hau
羽生 はお
(姓) Hao
羽生 はおう
(姓) Haou
羽生 はぎゅう
(姓) Hagyuu
羽生 はしゅう
(姓) Hashuu
羽生 はしょう
(姓) Hashou
羽生 はせ
(姓) Hase
羽生 はにう
(姓) Haniu
羽生 はにゅ
(姓) Hanyu
羽生 はにゅう
(地名、姓) Hanyuu
(地名、姓) Haniyuu
羽生 はにょう
(姓) Hanyou
羽生 はねう
(姓) Haneu
羽生 はねお
(姓) Haneo
羽生 はぶ
(姓) Habu
羽生 はも
(姓) Hamo
(姓) Haryou
羽生 ばう
(女性名) Bau