はてなキーワード: ストーカー規制法とは
なにかいいことだとおもったりおもしろいことだと自分がおもってることをする人ってなにをどう注意してもダメだとおもうんだよね
冷蔵庫に入ったらダメっていったら冷凍庫ならいいのかとかおでんのスープならいいのかとかそういうのがダメだっていってんのわかんないのかなってとこあるよね
というかむしろしてないこととかダメなことをしてもいいんじゃないかって思考になってそう
そういうのを斬新なアイデアとかおもっちゃってるとこってまともなことをどこまでも教え続けてもそのたびに「そうじゃなかったらオモシロイんじゃない?」とかいいだすよね
それをほんとうにボーダーこえたところだけダメだって折檻してもそれはそれってまた違うところでやらかしそうなのは想像に難くないよね
極端な話だけどさ
手足をもいで五感をうばってもたぶんそういう気持ちってなくならないんじゃないのかなっておもうんだよね
そういうのって人権とかいうものって感じするけどその人権そのものから迷惑行為が発生してるってこともいえなくもなくないよね
人権があるとか人であることがそういう創造的な行動をしてるみたいな
大義名分としては文字として聞こえはいいけどひどく迷惑な話だよね
実際に手足をもぐとか物理的に攻撃とかあからさまにダメージをうける部分を狙っての攻撃とかそういうのは無理筋だよね
だときれいな言葉でダサいとか受け入れられないとかいいとおもったかもしれないけど私たち一般としては全面的に受け入れられない否定するしかない最低の考えだったとか間接的にこっちが突っぱねるのがいいよね
五体が満足でも心が折れたらその人権のなんとかみたいな行動がなにもできなくなるよね
その迷惑行為をやめさせたいっていもってるその目的はきれいに達成できるんじゃないのかな
そうじゃなかったらほっとくと絶対またどこかで迷惑行為するでしょ
そうなるの見逃せってそうなったらそうなったで被害者が発生したらそのとき考えようってそれストーカー規制法ができる前の警察の対処じゃんね
実際に物理的な被害が発生してからはじめて調査をしましょうっていうのよい文化だったか考えたいよね
いまもその文化を残して継承していこうってなってるか考えてみたいよね
再犯するのが放置されてるのってもう教師による未成年者への変態行為くらいだよね
あれも実際に子供が被害届だしてないと人権とか問題なしなんだからいいっていうならいいとおもうんだけどそうなのか考えたいよね
それをやめさせるのに手足がなくてもあきらめないっていうのはもう実際にそういう人がいるのでわかるよね
じゃあそうできる体があるのにしない人やできない人がいないのかっていったらいるよね
そういう人になってもらいたいからそうなるように攻撃するんじゃないのかな
攻撃がダメだって言うならそういう迷惑な行為をする人に首輪をつけて監視をする人をつけてくれるのかな
その人が再犯する前にとめてくれる人が常についててくれるなら今回はしょうがないって次回はその監視役の人に責任をとってもらうってことでもいいかもしれないね
いまのところやっぱり被害者を減らすためにはそういう根本的に歪んでる人をまっすぐできないなら折ってしまわないとほかの人たちが折られていくのを容認してるのと同じことになるんじゃないのかな
なるほど、という気持ち。
非常に勉強になった。
一般的にフェミニストたちは感情が先行して結論だけ書くことが多いので、当人がどのような思考回路でその結論に至ったか外側からではよくわからないことが多い。
その結果アウトプットが支離滅裂であることもあり、これがいわゆる「お気持ち案件」が嘲笑される一つの原因なのではないかと思われる。
その点、この元増田は冷静に思考の流れを書いていてくれるので、彼女たちがどうやってその結論に至ったのかがかなり伝わりやすい。
その上で、個人的に感じた元増田の論理の飛躍を以下に数点指摘していきつつ、日本赤十字の擁護をしていこうと思う。
A.) 「誰かに許可なくジロジロ見られない権利」はあるのか?
その人権の中には、
や、
や、
などが含まれる。
さて、人権は非常にデリケートな問題だ。この一点をもってしてもかなりの議論が必要になる。
誰かに何かをされない権利の存在は、本質的に誰かに何かをする権利の規制になるからだ。
「誰かに許可なく触られない権利」の存在は「誰かに許可なく触れる権利の規制」であり、暴行罪の存在がこの規制をしていると言えなくもないかもしれない。
しかし、誰かを許可なくジロジロ見ることを規制する法律は、少なくとも現時点では存在しない。
ストーカー規制法が近い役割を持っているかもしれないが、今回想定されているシチュエーションは間違いなく異なるだろう。
だからと言って街中で誰かが目に入ることを規制するというのは社会が活動を行う以上ありえないことは自明である。
今回想定されるのは「偶然目に入る」以上「ストーカー行為」以下の「ジロジロ見る」という新しい概念の提唱と、その規制だ。
そして誰かの権利を規制したいときは、規制側に「なぜこの権利を規制すべきか」の立証責任がある。
しかし多くのフェミニストたちが、自分たちが不愉快におもう権利は規制されるべきであると考え、それが自明であるかのように振る舞う。
今回であるならば元増田に、少なくとも「ジロジロ見る」の定義を行い、それが規制されるべき理由を示す義務が存在するが、それすら飛ばされていきなり自明のものとして扱われている。
「萌え絵」とは、エロゲーをルーツに持ち、人間の身体的な特徴をディフォルメし、大げさに描くことで、独特の雰囲気を持つイラスト、とここでは定義する。
そして、そのディフォルメの目的は明らかに、身体を魅力的に描くことであり、さらには、それを見る人の目を楽しませ、性的な興奮を呼び起こさせることである。
「宇崎ちゃん」は、一般的な定義(例えば、Wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/萌え絵)による解説に当てはまるかどうか)でいえば、確かに萌え絵だ。
しかし、ここでの「萌え絵」の定義は二、三行目に記されており、これに従うと一見正しく見えた一行目に疑問が湧いてくる。
試しに、以下のように書き換えてみよう。
「萌え絵」とは、エロゲーをルーツに持ち、人間の身体的な特徴をディフォルメし、大げさに描くことで、独特の雰囲気を持つイラスト、とここでは定義する。
そして、そのディフォルメの目的は明らかに、身体を魅力的に描くことであり、さらには、それを見る人の目を楽しませ、性的な興奮を呼び起こさせることである。
単純に文章の順番を入れ替えただけだ。そしてこれこそ、本来書くべき文章の順序だ。議論のもととなる定義は最初に示すべきである。
「宇崎ちゃん」が元増田定義の「萌え絵」にあてはまる理由の説明がなされていないのだ。
今回の定義の「萌え絵」が一般的な定義の萌え絵を全て内包しているのであれば、
2. 一般的な定義の萌え絵は、全て今回の「萌え絵」でもある。
3. よって「宇崎ちゃん」は今回の定義上も「萌え絵」である。
となるのだが、残念ながらこれは偽である。
一般に萌え絵やアニメキャラがかわいい理由は、それが人間の赤ちゃんに似た特徴を持つからであり(https://www.dplay.jp/article/0000017682)、性的に興奮させられるからではない。
としているが、それなら河出書房新社が発刊する絵本が好きな子供はかなり気色の悪い状態であるということになる。
しかし実際、こうした絵柄が子供達からも人気であることは同社のTwitterアカウントが 2018年11月8日に言及している。
このことからも単純に一般的な萌え絵と今回の「萌え絵」を結びつけ、「宇崎ちゃん」のイラストを「人の目を性的に楽しませる」趣旨であると断定することは軽々にはできない。
C.) 「意図しない隠れたメッセージ」を抽出することは妥当か?
ここまで読んでくださったみなさんには、きっと分かってくださることと思うが、メッセージはときに、発信者の意図しない隠れたメッセージを伝えてしまう。
一般論として、これは正しい。
権力者や公共の場に限らずとも、なんらかのメッセージを発するものは、そこに「誤解」がしばしば発生する可能性には注意するべきである。
それはこの文章を書く私も、元増田も同様であり、「匿名の掲示板だから誤解を招くような不完全な文章を書いてもいいや」とはなるべきではない。
しかしそれは、あくまでも誤解を招くことに注意するべきである、ということだ。
「意図しない隠れたメッセージ」の抽出には誤解以上の「曲解」が入ることも多々ある。
そしてその線引きもまた、簡単ではない。
その気になれば誰かの言葉から「意図しない隠れたメッセージ」を抽出することなどとても簡単だし、それを規制したり撤回させようものなら言論封殺も容易に行える。
力あるものが、公共の場で発信するときに、意図としないメッセージを汲み取って、それを批判する。
これを無秩序に行うことを可能とした場合、例えば以下のような芸当も可能となる。
"""
③フォロワーの多いTwitterアカウントを使って
以上、①②③④の全てが揃ったことにより、太田啓子弁護士は「全てのオタクはセクハラの加害者であり、その人権を規制するべきである」という「隠れたメッセージ」を発信した。
これは明らかなる人権侵害であり、太田啓子弁護士は今回の日赤ポスターの件に関して謝罪して撤回するべきである。
"""
以上の命題が真であるならば、日本赤十字の表現を問題視する声をあげることはできない。
このような奇妙な状態が生まれてしまう以上、「意図しない隠れたメッセージ」の抽出には慎重になるべきだし、誤解と曲解の間にもある程度の区別は設けるべきだ。
それをやらずして、この議論を推し進めていくことはかなり難しい。
仮に上記までの問題をすべて受け入れ、あるいは譲ったとしよう。
なるほど、人には「ジロジロ見られない権利」もあるし、「宇崎ちゃん」は今回の定義上も「萌え絵」だし、「意図しない隠れたメッセージ」を日本赤十字はばらまいたとしよう。
そのメッセージがある空間、そしてそのメッセージが許される社会で、「すべての人には人権があり、その人の体は、その人だけのものである」という意識を、みんなに持ってもらうのが難しくなる。
と元増田はしているが、仮に「誰かの身体を許可なく性的な目で見ることは人権侵害」である世界であったところで、それはあくまで、「誰かの身体を許可なく性的な目で見た」人間が悪いのではないだろうか?
まず罰し、規制するべきは「誰かの身体を許可なく性的な目で見た人間」であり、日本赤十字のポスターではない。
そもそも論として、こうしたポスターが存在することにより人権意識が希薄になってしまうということがすでに論理の飛躍だ。
それを示すデータはどこにもないし、数字には見えないなどといって逃げることも許されるべきではない。
オタクコンテンツは昔から、「ゲームをするとゲーム脳になる」「ひぐらしのなく頃には暴力事件を誘発する」などとあらぬ批判を受けてきた。
だからこそオタクは、何の証拠もなくそのコンテンツを規制されることに大きな抵抗を覚える。
真に人権意識を改善し、適切に規制を行いたいのであるならば、こうしたエビデンスを示していくことが規制派に課せられた義務である。
以上、ざっと目に止まったところを書き出してみた。
AKS側の第三者委員会が発足して、AKSの記者会見が行われたが、結局は不十分な説明と対応が露呈した。
第三者委員会のやり直しの意見が出たが、AKSとしてはそれは無理な話である。
そうすると別な第三者委員会を立ち上げるとするなら、メンバー側での労働組合、任意団体たいな形で出来なかったものかと思う。
無論、年長者で二十歳そこそこである。しかし未成年者が居ることを考えれば保護者達が強く介入できたのではと思う。
メンバーにしても、黒側、白側、そもそも無関係又は、厄介ファンと手を切った等、立場はいろいろであろう。
だからこそ、弁護士だけではなくカウンセラーのような立場の人も入れる事で、犯行Gとの接触があったメンバーに対しても、処分の落とし所が作れたのではないかと思う。
まず、犯行後逃走せずに公園に移動し話し合いに応じたこと。また罪に関しても全面的に認めている
犯行Gマンション内の部屋を借りていたことで、ご近所トラブル程度に収めようとした?AKSの管理が行き届いてないじゃない?的な警察の判断。
示談書は作成されてないが、今村氏が取り調べで犯行Gに「よく言い聞かせる」メンバーにも「注意する、再発防止対策をする」事件のイメージを表に出させないよう、穏便に済ませたい証言をしたのでは?
又、犯人は初犯であり今後も続くようなら、ストーカー規制法を適用するとの警察の判断(今村メール最初は暴行・強盗・傷害 その後のメールでストーカ規制法で対応)
初犯で起訴、結果執行猶予でもストーカー規制法で、逮捕歴有りで実刑?でも大差ないからなのか?
NGTをやめるとの決断は尊重したい。ただ心配なのは、活動について今後AKSの圧力とかがなければ良いなと思う。
秋元氏と話が付き今後の活動が、不利にならないよう約束されていればいいけど。
民事裁判に証人として出ることもできるが、ある程度の円満というかファンが今後を期待しているだけに、これ以上の泥沼化は必要か?とも思ってしまう。
犯行Gからの慰謝料より、ファンからの温かい思いをたくさん受けてほしいと思う。
テレビや新聞などで、たまにではあるけど若い女が男に殺されたりするニュースを目にする。
この数日、新潟や大阪でも似たような事件があるし、犯人もすぐに逮捕されるだろう。
男は一人でどこへでも行けるし、夜中にフラフラしても特に何も問題ない。
そこで、女が男に殺されるパターンを考えてみた。
1.通り魔型
2004年の広島・廿日市女子高生殺人事件など。若い女には、暴漢に襲われても逆襲する手段が無いので襲われやすい。
2.痴情のもつれ型
男女間の色恋における関係が紛糾してうまくいかなくなることから暴力事件や殺人事件に発展する形。上手な別れ方に失敗するとこうなりやすい。男側から別れを切り出すと女側が引き下がるが、逆だと衝突しやすい。
3.ストーカー型
今回の大阪の事件がこれに当たりそう。警察は、けが人や死人が出ないと動かない(動けない)ので、女性自身で解決することが求められる。近年ではストーカー規制法で警告・逮捕なども出来るようになった。
4.その他
面会や交際の要求をしただけでストーカーとか世の中ストーカーだらけじゃん。
昔俺も交際と面会を要求しただけでストーカー呼ばわりされたことあるんだけど。
何度も付き合ってって言っても付き合ってくれないから友達でいいよって言ったし、何度誘っても遊んでくれないから会いたくないなら1回だけでいいって言ってんのにそれだけでストーカー呼ばわりとか失礼すぎる。
1回会って満足するストーカーなんかいないのに1回会いたいってだけの俺のどこがストーカーなんだよ。
告白したり遊びに誘っただけで簡単にストーカー呼ばわりされるなんてさ、もう恋愛とかどうやってすればいいのかわからないじゃん。
もう告白とか誘うの以前に話しかけるだけで怖がられそうで何もできない。
どうしてくれんだよ。
私は、相変わらず同じ片思いで悩んでいて、新しい悩みといえば仕事がうまくいなかいこと。
学生時代、人間関係がうまくいかなくて、友達も少ない私の会話相手になってくれていた時と大差ない悩みかもしれない。
本当は直接お話ししたいけれど、どこに行ったらいいかわからない。
いや、本当はどうすれば会えるのかわかっているけど、怖くてここまでできない。
今の時代、ストーカー規制法とかいろいろあるけど、それ以前の問題。
まだ生きているのかなって。
もう一回り以上なのに、すぐに泣いて、ヒステリックになって、たまに男に冷たくてその話がすごく面白かった。
もう受け身じゃなくていいのかな。会いに行っていいのかなあ。
会いたいよ、話したいよ。