はてなキーワード: 親学とは
アラフォーに入ったばかりの生涯非婚男がテキトーに放言してみる。
文章にまとまりも何もないので注意。
まず、私はATMしてあげられるほどのお金はない。いわゆる平均収入レベル。モテはしない。
後、性欲も最近だんだんなくなってきた。常時賢者モード。いわゆる手遅れ(笑)。
私はなぜ生涯結婚しなかった(確定事項)のだろう?
多分一番大きな理由は簡単でやる理由がなかった。
朝起きる→仕事に行く→寝る。
休みの日は朝起きる→テキトーに散策して楽しむ→寝る。たまに勉強かゲーム。
たまに一人旅でのんびり楽しむ。どう考えてもそこに相方は必要なかった。正直今も必要はない。
まあ、他にも理由はあるが(あんま子供好きじゃないとか)話がずれるので語らない。
今の生活はそれなりに楽しいのでこれを変えようとか一切思わない。
でも問題は一つある。これを(もし変えたくなっても)変えるわけにはいかないということだ。
なぜならこの国は自己責任がきつい。
その割にセーフティーネットも薄くレールを踏み外すと大変だ。
落ちたが最後そこから復活できても結構な労力を要するOR出来ない。
あの時はまだ若かったからどうにかなったが、今踏み外したらもうだめな気がする。
こういうのが行き過ぎるとどうなるか。
今の私みたいに一度平穏なレールに乗ったが最後余計なことはしないってのが一番賢い生き方になる。
私生活にしても私はせっかく一人でお気楽生活のレールを引いたのだ。今更異分子を入れるとか考えられない。
レールは引いたら最後、簡単には引きなおせない。
そしてレールの多くは結婚が金銭的に検討可能になるころは大体引き終わっているのだ。
つまり今の日本では(最初のレールで視野に入らない時点で)結婚育児はレールの外側にある事象と言うことになる。
延長線上にすらないのだ。
こうなると結婚はレールを踏み外し無理やり捻じ曲げる行為になる。
でも捻じ曲げてまで結婚したとしてそこから失敗しないためのサポートはほぼない。
結婚をする以上当たり前だろって言われるのかもしれないが、
やらない以上責任を取らないというレール(最初に結婚を視野に入れないレールの延長線上)の方がはるかにリスクはないんだから。
その辺の理解がない若いうちの方が結婚しやすいってのは確かなのだろう。
そういう人は深くは考えないし最初のレールの上に結婚があるかもしれないし。
強いて結婚する人しない人の差を言うとすると
最初のレールで結婚を視野に入れたか入れなかったかの差だと私は思う。
いれずに結局後悔しないままなら非婚な私、後悔すると婚活…なのかな?
昔はそういう私みたいなのを見合いでどうにかしていたのだろうが
そういうのは今はないし(まあ私はあっても断ると思う。)
この国レールから落ちたら浮上が難しい。
(解雇しやすくするだの議論されてたっけ。セーフティーネットが先じゃね?)
新しいレールが敷きやすくなっているようでもない。
ましてやこの年じゃ落ちたら終わりだってのは自覚してる。
身軽じゃないとしたら子供が成人する20年後はおろか3年後もやばそうだ。
身軽だったら多分今落ちたとしても10年は何とかなる。そっから先は知らんけど。
でもやっぱりなるべくある程度固まった自分がある以上そこから落ちない努力をするのが基本系。
リスクを取ってもらいたいのならまずリスクを取りやすい社会制度にしないとダメだろうけどねえ。
親学政治家には結婚育児がリスキーって物言い自体が理解できないだろうが。
ま、それ以前に私は手遅れ(でいいよ別に)なので若い人に今後の子作りを託すことにしようと思うけど。
若い人が最初のレールで結婚恋愛を考えるようにすればどうにかなるって。
現実対策を考える気はないけどね、みんな頑張れ。
・飽きっぽい
ってでてきて、工エエェェ(´д`)ェェエエ工な気分に。
平均的な熱中度を定義して、そこからちょっとでも飽きっぽかったり、熱中したりすれば、それだけでADHDのレッテルを貼れてしまうじゃん。
ADHDの医学的なあり方に疑問を持つ専門家も多く、アメリカではADHDに関する論争(英語版)が盛んである。
原因は2007年現在、解明に向けて進んでいるがまだすべてが理解されてはいない。
抑制や自制に関する脳の神経回路が発達の段階で損なわれているという点までは、確からしいが、その特定の部位・機能が損なわれる機序は仮説の域を出ない
だそうな。
これを聞くと「親学」の信奉者達の考えも理解はできる。納得はしないけど。
伝統的な子育て(いわゆる家父長制的鉄拳制裁な教育)であれば、確かに、ADHDだろうとなかろうとその境界だろうと、子供らを家畜のように従わせることが可能だから。
だけど私はそんな世界は嫌だね。
(2013/1/7 22:22追記しました)
13歳の息子へ、新しいiPhoneと使用契約書です。愛を込めて。母より
http://blogos.com/article/53423/
を読んだ。
ブクマが400を超えていて勿論この契約内容をぶっ叩く方向だろうと思ったら
これを愛と勘違いしている人をブコメで散見して震えてる。ツイッターをみると更に絶望的だ。
itog
genkimagic
おぉ…これは素晴らしい。
Memeo
13の子供にiphone与えるのにこの程度の規則を設けるのをまっとうだと思わない人がいるんだ。子供に関して幾ばくかの責任を持つ親なら普通に考えることだと思うが。
この程度で束縛とかコントロールとか言い出す人間にはホントびっくりだわ。月50ドル程度?出してポルノ等に繋げられる物を与えて釘の一つも刺さない女親はいないだろうに。
lazytruth
媒体を問わずネットユーザ全員が心がけるべきことだと思う。自制すること、face to faceなつながりが一番大事なんだということだね。この文章には愛が溢れてると思う。本当、お母さんって偉大だね。
oyaxperia
母の愛を感じます!
yaorozuonline
否定的なコメント多いけど、ホストファミリーの14歳の子供とか見てるとこれくらいの条件必要だと思うよ。シングルでも頑張って育てている英語の分からない親に向かって平気でstupidとかいうからなぁ、子供は…
tanzmuzik
素晴らしい。ただその一言に尽きる。高校の入学祝いにスマホをプレゼントする親御さんが増えてるが、是非こういった取り組みを。
tweakk
厳しいけどとてもいいね
haraddress
goddess905
north_god
我が子への愛のメッセージだね
この契約書は言葉の形をとっているが紛れもなく暴力だ。躾などではない。
これほど支配欲溢れる文章をブログに上げて賞賛されようとする精神構造は狂ってる。
自己愛の塊だよ。支配と愛情を混同しているよ。この母が愛しているのは自分自身であって、子ではない。
Janellは「息子を”健康で豊かな人間性を持った、現代のテクノロジーをうまく活用していける大人”に育てようとする自分」に酔っているだけだ。
契約書の一行目
”これは私の携帯です。私が払いました。あなたに貸しているものです。私ってやさしいでしょ?”
”It is my phone. I bought it. I pay for it. I am loaning it to you. Aren’t I the greatest?”
私、私、私。
この一文を読んで背筋が寒くなった。これさ、携帯だけじゃないよね。
お前の服も
お前の食べている食事も
お前の部屋も
お前の読む本も
お前の命も
お前の人生も
”私”のものです。だから”私”の思い通りに育ち、考え、働き、結婚し、生きなさい。
そういう意識が透けて見える。醜悪だろこんなの。恐ろしいよ。
息子の人生は自分のものだから息子の人生をコントロールする権利が自分にあると勘違いした結果が加藤智大じゃないか。
加藤智大の母は本を買うにも何を買うかのチェックを入れ、いちいち感想文を書かせた。全てに母の許可が必要だった。
”これは私の本です。私が払いました。あなたに貸しているものです。私ってやさしいでしょ?”
パスワードを母に教えなくてはいけない、ということもありえない。
もうこの子が可哀想で涙が出てくる。
例えばさ、ある親が子供の成長を見守るのは親の義務で愛情だから、といって毎日子供を裸にして写真を取って、
挙句の果てに体を正しく洗ってるか確認するために恥垢が溜まってないかまでチェックし
その撮影の手順を自慢気にネットで公開していたらどう思う?おかしいと思うだろ?狂ってるだろ?
でも今回の契約書の件はこの例と大して変わらんよ。
ポルノガーとか言ってる脳味噌ピンクの思考停止がいるがそんなのフィルター設定すればいいだろ。
それでもくぐり抜けられるのが嫌ならiphoneじゃなくて通話機能とメール機能をもったガラケーを与えて
ネットは家族共用のパソコンで、とか解決法はある。にも関わらずこんな歪な契約書を使う必要はないよ。
友人と繋がらせてあげろよ。好きなデータを保存させてあげなよ。
iphoneを毎日夜7時30分に取り上げて、この子が夜中急に頭を銃で撃ち抜きたくなった時誰にどうやって相談したらいい?
母親に相談すればいい?バカ言え。むしろ元凶になる可能性のほうが高いしこんな契約書を書く親が助けになるとは思えん。
この母は契約書のことでツイッターで非難されたら「息子は満足してますから!」と返している人だからな。無理だろ。
子供には自分だけのものや場所が親の庇護下にいる限りとても少ない。子は親から逃げられない。だからこそ子供のプライバシーは大事にしなきゃいけない。
こんな逃げ道を片っ端から潰していくような真似はすべきじゃないんだ。
無制限に好き勝手させろって意味じゃない。ただ一線は引いてあげなくてはいけない。
此処から先は貴方に命の危険や人生を大きく左右することが起きない限り、絶対親が干渉しない、という領域を作ってあげるべきだ。
私が何言っているのか全くわからないなら子供作らないでくれ。お願いだから。本当に。誰も、誰一人として幸せにならない。
契約書の記事で感動してしまう感性をもった人達のうち、一人でもいいからもしかして自分の考えはまずいんじゃないか、と思い直して欲しくてこの記事を書いた。
99.9%には伝わらないだろうと諦めている。でも書かずにはいられなかった。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。
多くのブクマ、ツイート、トラックバック等ありがとうございます。
お陰で、誰か一人ぐらいにはこの記事が伝えたかったことが届いたかもしれません。
いろいろ思うところがあるのでコメントに返事を書かせて貰おうと思います。
←発動予告とは珍しいw
同じタグがついている過去記事に目を通しました。妖怪モトマスダに碌な人いないですね。
その1人になるのは残念な気もしますが返事は書きたいのでこのまま続けます。
Memeo
アホかホントに。この契約に対して親子で協議したりこの契約で禁止されたことに関して
iphone以外の手を使う努力をすることの方がiphoneより大事に決まってるじゃねーか。
そんな想像力もないのか?
元記事にも言及してましたね。”ポルノガーとか言ってる脳味噌ピンクの思考停止”はあなたを想定して書きました。
sasahira
むしろ親学を支持するような人のほうが元記事を絶賛しますよ。親学をググってちょっと調べて見て下さい。
blueboy
親の躾ができていないと、こういう駄目人間ができる、という見本ですかね。
爆笑しました。はてなでのidなんて2chのコテハンと大差ないですよ。
あなたのブログhttp://openblog.meblog.biz/へのリンクがないんですけどなんでですか?匿名の影に隠れているつもりかもしれませんがお尻見えてますよ。
Domino-R
やはり伝わらない…元記事を読んで「なんて素晴らしい!我が家でも導入しよう。」と考える親が私の拙い文を読んでも親のエゴの力がどれほど強力で危険か
考え直してくれないだろう、という意味で99.9%と書いた。別に私が99.9%と違う感性を持っている特別な存在だ、なんて書いてない。
kaolu_euphony
興味深い。一つ言えることは、論理的思考を停止し、物事を吟味せず、
上部のイメージと先入観だけで全てを把握したつもりでいて且疑問をもたず、
矛盾した虚言を攻撃的に平然と発信する人が、実はかなりいるという事。
あなたのブコメとツイッター見ましたがなんか意識が高まりきらなかった大学生って感じでとても微笑ましかったです。サイトの音楽は良かったです。
ruletheworld
下等生物, 脳の病気 まぁこういった、まともな教育を受けなかったせいで増田で毒づいているこれに親になる資格はないので欠陥品の再生産は間違ってもしないようにwwww
タグのセンスが劣化型Midas閣下。もうすこしがんばりましょう。
今書きなおすなら
■iPhoneの使用契約書の記事とそれを手放しで褒める人が嫌いだ。
あたり。親の資格、という不必要に強い言葉を使ってしまったせいでこの記事のタイトルを見ただけで反発されてしまったし無駄な論点を増やした。
親になる資格などない、というのは本音だが隠しておけばよかった。
SiTube
批判されて当然の物であっても、あまりに見苦しい罵り方をすると、批判対象にすら劣って見える場合もあるんだなと思った。毒舌は要らない。
ごもっともです。SiTubeさんにこう言われて地味にダメージ大きいです。
へこんでます。他にも煽りがきつい、という指摘が多かったですね。
ninosan
私がブログを持っておらず、ツイッターやはてブでは文字数制限がきついからです。
1.これはジョークだろ、流せよ
などの批判がある。
でもそのジョークがどういう意識下で書かれたか、ということを問題にしています。
例えば
アメリカには1億5000万人の人間と1億人の黒人が住んでいる。
というのはジョークです。
私はこの契約書の一行目が気にくわない。
英語で書かれた原文とyoutubeの動画をみたうえで書いています。
加藤智大は母が子を徹底的にコントロールし、支配しようとすると何処かで破綻する例として出した。
躾と虐待の線引は難しく程度問題だ。Janellと加藤智大の母は距離はあっても同一直線上にある。
子育てについて話し合うことや話題に出すことを禁止しろ、と言っているのではない。
観測範囲の問題かもしれんが経験論と印象論ばかり目に付く。
わが子が可愛いのはわかる。
ただまるで自分のペットがいかによく調教されているかを自慢するかのように子の写真や文章を自身のブログに上げる精神が憎い。
正直な話件の動画での母子を見て吐き気がした。犬の去勢手術が脳裏によぎった。
上下関係のある人が力を行使するなら、もっと慎重にならなきゃいけない。
親が子に与える影響力を過小評価している。
ルールは破るもの、抜け道を探すもの、という前提で生きている人間がこれほど多くいるとは思わなかった。どおりで私が生きづらいわけだ。
反抗するならまだいいよ。でもあれを全て守る子だったら?
私が契約を字面通り受け取り過ぎならあなた達は子供の反抗心を信用し過ぎだ。
あんなのをブログにあげる理由なんてない。
仮に本人に伝えるにしてもブログになんて公開するなよ。
息子さんが周りにバカにされないといいけど。
口約束ではなくiphoneのペアレンタルコントロールでガチガチに制限することで技術的にネットの悪意から守るべきです。
13歳ならOK高校生なら駄目と言う意見があるけどこれは逆では…。
どうも私が子供にiphoneをそのまま渡せ、という意見をもっていると
勘違いしている人がいるようだ。子供を野放しにしろとは思っていない。
ただ親は子に絶大な力を行使することができることを自覚してほしい。
だが過剰な手段を主張している人がいて、それを美談として絶賛し、是非我が子にも!と褒める
集団が一定数いる。それに対し検索しても100字以上の反論が見当たらなかった。
この記事を褒める集団を諌める目的で書いたのだが言葉が必要なところでは足りず、不必要な点で多すぎた。そこは反省している。
こんな追記まで読んでくれた方、ありがとうございます。
ブログで言及した方、ありがとうございます。
これを機会に1人でも親子関係を見直した方がいれば嬉しいです。
東京の維新が都議会で「賛成」した「大日本帝国憲法復活決議案」って、
元は南出弁護士が出した議案らしい。
南出弁護士、どっかで聞いたことあるなあ・・・と思っていたら、
思い出した、「子宮頸ガンワクチンは日本民族絶滅の陰謀だ!」と医学の足を
思い切り引っ張ってる御仁じゃないか。
で思ったのだが、この南出弁護士、まともな弁護士活動は、ちゃんとしているのかしらん?
「負けることは承知のうえで提起する」場合、
「もっともらしい言説を裁判所で陳述する」のに、この弁護士の言説が、役に立つのかもしれない。
右翼言説のロジカル化、「法的にもっともらしく見せかける」のに、
南出弁護士の弁護士資格が、威力を発揮する、そんなところじゃないか?
本人も、敗訴することは最初から承知の上で、「法廷で右翼言説して、それを世間に広める」ことが
自己目的化しているんだろうなあ。
ところで、安倍総裁って、子宮頸ガンワクチンについてどう思っているのか、いっぺん確認してみたい。
親学とか水伝とかトンデモに染まっているので、「子宮頸ガンワクチンは危険だから接種差し控える」と
言い出しても、全然驚かない。
PARANOIA(パラノイア)というTRPGがあります。1984年出版。ジョージ・オーウェルの『1984年』で描かれた年です。
狂ったコンピュータに管理されたアルファ・コンプレックスというディストピアが舞台のSF。共産主義(過剰)批判を風刺する内容で、詳しくはググってリプレイなどを読んだり見たりするといいでしょう。
パラノイア(RPG)とは (パラノイアとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
パラノイアの最も有名なセリフに、コンピュータ様または人間の最高権力者ウルトラヴァイオレット様の「市民、幸福は義務です」があります。アルファ・コンプレックスにおいては言葉通り「幸福は義務」なのです。
今年に入って、立て続けにこの「市民、幸福は義務です」あるいは「hoge、fugaは義務です」と言いたくなるような事案が発生しているので、それをまとめてみました。
Twitter / @watanabe_miki: 労災認定の件、大変残念です。四年前のこと 昨日のこと ...
Google様は全てにおいて最高です! - 村上福之の誠にデジタルな話
朝日新聞デジタル:「飲みニケーション」脚光再び 飲み代補助、義務化も - 就職・転職
国民の「幸福度」、高齢ほど低下 内閣府が初の意識調査 - 47NEWS(よんななニュース)
日本国憲法改正草案 | 政策トピックス | 政策 | 自由民主党
大阪市・家庭教育支援条例 (案) ――― 全条文 (前文、1~23条)
電力需給:「節電」新料金で不足2.6%改善 関電提示- 毎日jp(毎日新聞)
なお、この日記のセキュリティクリアランスは全体がウルトラヴァイオレット、タイトル部分がブルーです。もし見たレッドのクズがいたら自害しろ。
大阪の「維新の会」が親学押し付け条例を画策し、世論の猛反発で引っ込めるようだが、
そもそも「昔の伝統的子育てでは、児童虐待なんてなかった」というのは、一種の「神話」ではないのか?
「現代は、児童虐待が増えている」というのが「社会の常識」となっているのには、
2つの「要因」があると思う。
1.は、例えば発達障害なんかが典型例だが、
「医学の側、行政の側の検査体制が充実してきた結果、従来だと見落とされてきた症例の把握率・捕捉率が上昇してきた」
というもの。
発達障害などは、かつては検査体制が未整備だったので、認知件数も少なかったが、
最近では行政側の検査体制が整ってきている上、市民の側も「大人の発達障害」なんて本などの影響で、
症例の認知度が高まってきているので、検査に出向く市民・親が増える、そういうことで認知件数が増える、という関係にある。
これを「児童虐待」に当てはめると、
「数十年前に比べて、児童虐待を把握する行政の体制が整備されてきていて」、
その上
「市民の側にも、児童虐待を社会問題として認識するようになってきている」ので、
「市民の通報も増え、行政の認知も増える」という関係になっている。
2.は、「マスコミがニュースのネタに取り上げると、今まで顕在化していなかった社会問題も可視化されて顕在化する」という話。
例えば以前から「パワハラ」「アルハラ」なんてのは社会に存在していたが、
マスコミの方が「それは問題だ」としてこなかったから、問題が可視化されなかった。
しかし、マスコミや社会学者が「問題だ」と問題提起(=アジェンダセッティング)することによって、
もっと平たく言えば、
「児童虐待は、数十年前にはアジェンダセッティングされていなかった」ということ。
問題としては存在していたが、マスコミが報じなかったため、それが可視化されなかっただけではないのか?
・・・ということで、例えば「3丁目の夕日がまだ明るかった」昭和30年代と、現代とで、
「虐待発生度合いを定量的に比較する」というのは相当に難しい作業ではないか?
行政データも、報道データも、比較母データとしては不適だから。
それでも聞き取り調査とか、医学的データとかから、強引に定量比較してみたら、
「実は昭和30年代の方が、児童虐待は酷かった」という結果が、出そうな気がする。
社会において実質的に機能している「学歴主義」って、会社の書類選考上のスクリーニングだけでしょう。
面接過程にはいったら、学歴よりももっと生の情報がたくさんあるんだから、人事担当者が合理的であるかぎりは、非学歴的な情報のほうが重要視されるものとおもわれます。でなければ、そんな会社はすぐにつぶれてしまう。
いわんや入社後のキャリアをや。「能力がないのに学歴だけはあるひとばかりが昇進していく」というのはルサンチマンゆえそれが目につくだけで、それが大勢であるとはとてもおもわれません。でなければ、やはり、そんな会社はつぶれてしまうでしょう。
商売人というものをあまりなめないほうがいい。
学歴のことでいじめられた、とか、そういう話もあるかもしれませんが、そういう社会意識上の対立はミクロな政治的対決によって乗り越えていくしかないわけで、ここでは、給料やポストといった客観的地位を決める上で学歴というものが効いているかどうか、ということだけを考慮にいれます。
ついでにいうと、それが学歴によって決まっているとしても、それだけでは問題になりません。問題となるのは、そうした選抜が、社会的に見て非効率であったり、不公平であったりする場合のみです。
ここでは「社会において実質的に機能している『学歴主義』って、会社の書類選考上のスクリーニングだけ」だということにして、この点についてのみ考えてみましょう。これ以外の場合については今回は考慮しません(たんなる予想ですが、これ以外の問題はすべてルサンチマンによる色眼鏡でしょうね)。
この場合、学歴主義批判の第一答弁はつぎのようなものになるはずです:書類選考上のたんなるシグナルにすぎない学歴で候補者を切り捨てるなんてけしからん!
この主張に対する反対答弁はこうなるでしょう:入社時にシグナルとして使われていることなんてはじめからわかってるんだから、そのシグナルを身につけられるようにがんばっておけばよかったじゃない。
話をイメージしやすくするため、ここでは「書類選考上有利なシグナルを身につける」=「良い大学にはいる」ということにしておきましょう。
この反対答弁を生き延びられる学歴主義批判はほとんど存在しないと思います。「学歴が重要だなんてことははじめからわかりきっていたことなのに、なんでそれを手に入れておかなかったの」。そうではないですか?
この反対答弁を生き延びることのできる学歴主義批判はふたつだけだと思います:(1)入試で必要なスキルと社会人に必要なスキルはちがうのに、入試で人々を選抜するなんて、社会的に見て非効率だ、(2)お金のある家庭のひとほどいい教育を受けられて、いい大学にすすめる。これは不公平だ。
問題は、かくして、「良い大学にはいる上で社会的な非効率性や不公平は生じているか?」という問いへと移ることになります。
現行の大学入試は社会人になって役立つスキルをもった人間を選抜するうえで役に立たない?そこには社会的な非効率性が存在している?
それは正直わかりません。もしかしたらそうかもしれないし、そうでないかもしれません。そんなの、誰にもわからないでしょう。
とりうる方策は、大学教育の目的(ここでは「よい会社にはいれること」になってしまうわけですが)の達成スコアがその大学への入学の難易度に反映するような仕組みをつくることだけでしょう。実際の具体的な選抜の方法は各大学が試行錯誤のうえ見いだしていくしかありません。
結局は各大学の目的達成スコアの歴史がその大学のブランドを決定し、その大学への入学難易度を決めるのです。そう考えれば、すでに何十年ものモニタリングをへて形成されてきた大学のブランドには、おおむね一定の有効性がある考えるのが妥当でしょう。学校教育の成績と社会でのスキルがまったく相関していないとすれば、この制度が何十年にもわたって存続しえたはずがありません。
もちろん、「もっとよい制度」はありうるとおもいます。それは否定しません。事実、世界の選抜システムが日本とおなじわけではありません。しかし、そうした批判は、(1)「もっとよい制度」を具体的にデザインして、(2)その制度が優れたものとなりうる根拠を論理的にしめしたうえで、(3)何年、年十年かそのシステムを走らせることによって実績をつみかさねる、ことによってしか現行の制度にかわることはできないでしょう。そんな途方もない!と思われる方は、現行の選抜制度はこのプロセスを生き延びてきた制度なのだということを忘れるべきではないでしょう。
現行の選抜制度の非効率性についての結論はこの通りです:非効率かもしれないけど、非効率じゃないかもしれない。すくなくとも何十年も存続しているんだから、そんなに悪くはないんだろう。文句があるなら、もっといい制度をデザインしてからにしてくださいよ。
最後に、もっとも重要な点ですが:お金のある家庭のひとほどいい教育を受けられて、いい大学にすすめる、というようは不公平は存在しているのでしょうか?もしこれが本当だとすれば、学歴主義は間違いなくけしからん制度です。機会の平等という、近代社会の基本原則に抵触します。
この文脈でよく引き合いにだされるのが「東大進学者の両親の平均年収は1000万円をこえている」というはなしです。Presidentなんかでもよくみるはなしです。
この話を聞いたときにいつも思うのが次のようなことです:それって疑似相関なんじゃないの?ほんとの要因は遺伝で決まる能力なんじゃない?「親の能力高い→親の年収高い」、「親の能力高い→子供の能力高い→子供の学歴高い」、という因果関係が存在しているだけで、「親の年収高い→子供の学歴高い」というのは疑似相関であって、因果関係ではないんじゃないの?(疑似相関の意味がわからない人はググって下さい)
だから、被説明変数を「大学志願率」として、その決定要因を探りたいのであれば、最低限、「親の年収」にくわえ、「親の学歴」をいれるべきでしょう。このモデルで「親の学歴」が有意で影響大となる一方、「親の年収」の影響力が下がるのであれば、その結果は、「子供の学歴を決めるのは親の年収だ」という主張があやまりであることを支持するものになります。
また、「親の年収が高いほど子供の教育にお金がかけられるのでいい大学に行けるようになる」と主張したいのであれば、そのままずばり「○○時点教育投資額」のような変数も決定要因にいれてみればよいのです。
「お金のある家庭のひとほどいい教育を受けられて、いい大学にすすめるのは不公平だ」と主張したいのであれば、最低限これぐらいの論拠はしめしてほしいものです。
そんな論文ないものかな?と思い、google scholarで「教育 学歴 年収」といれてみたところ、そのままずばり、次のようなレポートがでてきました。
(1) 自分が大学に進学するとどれぐらいのリターンがあると考えているか(主観的ベネフィット)
(3) 保護者が子供の進学にかかる資金を負担できると保護者が考えているかどうか(主観的資金調達能力:保護者)
(4) 保護者が子供の進学にかかる資金を負担できると子供側が考えているかどうか(主観的資金調達能力:高校生)
(5) 中三時点までにどれだけの教育投資を行ったか(中三時点既出教育投資額)
(7) 性別
結果は次のようなものだったようです:「すべての経済変数が、大学進学希望に関して予想される形で影響を及ぼしていることを意味している。また同時に、親学歴を含めると大学進学行動の予測を7割強の確率で行えることを表している。また、標準化したロジスティック偏回帰係数に注目すると、進学行動を強く規定しているのは、保護者最終学歴(父親)、主観的資金調達能力(保護者)、性別、主観的資金調達能力(高校生)、主観的ベネフィット、中三時点既出教育投資額、客観的資金調達能力の順となっている」
要するに、父親の学歴と、親が資金を負担できると考えているかどうかという主観的評価の影響がもっとも大きく、中三までにどれだけの教育への投資が行われたか、親が客観的にみてどれだけの資金負担能力をもっているかは、もっとも影響が小さかった、という結果になったわけです。
この結果をうのみにするわけではありませんが、これを見る限り、「お金のある家庭のひとほどいい教育を受けられて、いい大学にすすめるのは不公平だ」、という主張はかなり論拠があやういということになります。
今回はまず、対象の範囲を「社会において実質的に機能している『学歴主義』って、会社の書類選考上のスクリーニングだけだ」という風に限定しました。つぎに、「書類選考上のたんなるシグナルにすぎない学歴で候補者を切り捨てるなんてけしからん!」という「学歴主義批判派の主張」を、「入社時にシグナルとして使われていることなんてはじめからわかってるんだから、そのシグナルを身につけられるようにがんばっておけばよかったじゃない」というリーズナブルな批判にさらすことで「良い大学にはいる上で社会的な非効率性や不公平は生じているか?」という問いに変換しました。そのうえで、「現行の大学入試制度は非効率か?」「現行の大学入試制度は不公平か?」という点についての若干の考察を加えた結果、「おそらく、非効率でもなければ不公平でもないだろう」という暫定的な結論がみちびかれました。
多くの点で不十分ではありますが、すくなくとも理にかなった論旨の展開にはできたのではないでしょうか?