はてなキーワード: 行政とは
昨日、氷河期世代やゆとり世代の中年層の若い時になぜ「新自由主義」が流行ったのかってトピックが上がってたけど
例えば、よくあったのが「中年の働かないおじさんをリストラして若い氷河期世代の奴を雇え」ってやつ
労働者の権利を蔑ろにしろみたいな言説がマジで氷河期世代やゆとり世代の中で流行ってたわ
中年の働かないおじさんやおばさんにも家族がいて人生があることもわからずに、解雇規制を緩和しろみたいな言説が
むっっっっっっっっっちゃ多かったわ
伝統的な日本型雇用では新卒で失敗したらそのまま底辺なのは仕方ないんだから、
(もちろん底辺でも努力して大企業や行政の下請けの社長ポジションになるってルートもあるが)
我慢して生きるしかないのに日本型雇用を壊そうとする意見が多かったんだわ
(昨日の投稿は放送大学の坂井先生のテキストから持って来たようだけど、
そういえば放送大学の貧困論のテキストですら、当時はそういった日本型雇用がおかしいって意見があったわ)
実際、当時の世論調査でも、中年層をリストラして若年世代に雇用を創出するって政策の是非について世代別に聞かれたこともあったけど
Z世代や後世の人に伝えておくけど、氷河期世代やゆとり世代の間で新自由主義言説が流行ったってのは事実だから覚えておいてくれ
4月8日月曜日に東京地裁民事2部Cb係から特別送達郵便が戻って来たのでまた送りますよという回答があったが、14日になっても不在票すら入っていない。
返信として、ないありませんの繰り返しだが、若い者にやらせている中央行政の演算装置に支障があると困るから、ありません、ないと繰り返していることが明らか。
自分に都合のいい記録を書いていて、それがずれて記録できなくなることを、界隈では、ずらされた、と呼んでいる。 記録対象者が故意をもってずらしてなくても自分が困ると
令和6年4月12日 記録
主からスーパーで買っているものの領収証の提出があった。同じような弁当類を買っている様子。 ※ 正確には弁当は買っていないが、出来合いのそばが商品名に入っているときに弁当と
書いたものだと思う。
野田省治、須佐医局長、健康管理の小島とも一致して、平成24年の偽計業務妨害有罪判決で黒羽刑務所に行ったという点に固執している。
あれは子供が間違って書いたものである意見は福祉事務所でも決して出ない。 荒川河川敷における拡声器使用による騒音で迷惑をしている人がいる・・・・
という点をデータに入れており お前警察に使わせようとしとんのやろ。 正確には荒川河川敷は非常に広域一帯にわたっているが、 舟渡2丁目にある、 荒川緑道である・・・
そこには確たる名称はついていない。 平成23年9月から供用開始した中央行政のスーパーコンピュータに入れたくない事実に関しては執拗に記録しない姿勢が強く、
極めて醜悪で悪質。
「女さん」
妄想。
男がそんなもんにビビるわけねえじゃんwww
バカにしてる。
別に効かす必要なんてない。こうやって自分から「僕たちは悪魔です」と自白していくことで
クレジットカード会社や大手プラットフォーマーが先導して、連中を増長させるものをゾーニングしてくれるようになった。最近は公営プールのルール整備で行政も味方になってくれてる。
現行法では親権者の同意無しに虐待家庭に行政が介入するのが難しいんだよ
司法による審査が必要になるし、十分な証拠が無ければ後から担当者が責任を問われることになりかねず、そうした懸念から対応が遅れる事例が多い
家庭裁判所が正しくない判断をすることで虐待親に単独親権が行くケースがあり、現行法では行政が家庭に介入するのはかなりハードルが高いので、一人親が虐待するとほとんど手が打てない
あれはただの行政ハックなんだよなあ
本当は共同親権導入しなくても適切な親権の判定ができればこういうケースは救えたはずなんだよね。
親権を得る主たる監護者の条件が本当に単純に子どもと接してる時間がどっちが長いか、直接的に世話してる時間がどっちが長いかだけで、それがおおよそ等しいくらいだと母親に親権がいく。
これの問題点は経済力皆無の母親(まれに反対のケースもあるだろうけど)が親権を持ってしまうことで、監護者の役割として収入を得て家庭を維持することをまったく考慮してないのが終わってる。
その条件で親権を認定するなら母子家庭なり父子家庭の貧困にならないように政府が全額面倒みろよ。
それができないんだから主たる監護者の役割として経済面も考慮しろよ。
それだけで社会的役割に引っ張られて親権が女性偏重になることもないし、母子家庭父子家庭の貧困率も多少なりとも改善するのに。
経済力の無い親に子供を引き取らせることが子供に対する経済的DVを引き起こしてるのにそれを無視し続けてる法と行政あまりに酷い。
すでに暗数レベルでは女性のDVは相当数に上ることがわかってる。
ただ、それを表面化することは社会に残る非常に根強い男性差別のため躊躇う男性が多かった。
けど、親権が取れるとなればこれらのDVはまったく別の意味を持ち始める。
制度の穴的な状況が一番都合がいいからって、その状態のキープを狙うのは作戦が悪かったのでは
対応が必要なことを認めつつ問題点を指摘して、その対策を求めるべきだった
(そういう動きもあったようだが反対クラスタには見えていない?)
押方彰一というのは宮崎県の校長だが、その校長が算数の授業をしたら、子供が逃げた、そういう感じの夢は見ましたが、私の予想では、よかれと思って製作しているわけではない。
宮崎県教育委員会のクソガキが自分のやりたいようにするために霞が関が製作しただけだろうと思います。逆に学校に来なくていい、ではなくて、体育と部活動はしっかりやりこんでいるので、
このクズが、ということで、やりたいことはちゃっかりやっておいて、やりたくないことを排除するための通信映像制作を大量にやっているのがここ最近の中央行政の実行であると思う。
はっきり言ってそれ以外のものは存在していない。それを鑑みても、私が、平成20年11月30日に殺したことは、快哉だったという他ない。
北九州予備校、河合塾、駿台、代ゼミは、よく分からない。 田辺先生(数学)、三川先生(英語)、 里見先生(数学)など色々な先生がいて、出て来いと命令したが出て来ること
はない。 里見先生は、糞でババアで、数学なんて何回も微分しないといけないから難しいんだよおといった映像を作成して睡眠中に流す。
岩坪昭夫は、平成11年の延岡工業高校の校長だが、出て来いと命令しても出て来ないので非常に怪しい。では、23年前当時、延岡工業高校はどんな感じだったか?廃れ果てた
廃屋で、若者は、そもそも誰も行かない感じ。 最近の裁判官や裁判所職員にとっては、予想だが、来てもらわないと困ると思っていると思う。
岩坪昭夫、 吉崎佳弥、岩坪朗彦といえば、 23年前は、国と言う、ボロクソ会社の事務方、程度に認識されていて、とんでもない悪人であると思われていたが、その事務方が、
裁判所は夫婦間で暴力があろうとも親子関係とは別問題だから面会させろって言うぞ
面会の場で被害に遭う人もいるんだよ
親の安全とか考えちゃくれないのは知ってるからDV被害者が慌ててる
別れた配偶者や子へのストーカー、ストーカー殺人、面会交流中の子殺しは世界でも続いてるし日本でも起きていて極端な例ではない
養育費については請求できますとかぬるいこと言ってないで国がやれよって話
支払い率が低いことを把握していながらいつまで善意や請求をベースにし続けるのか
義務があって公正証書があって行政が介入しても払われてない人もいる
子供の権利なのに払われてる子と払われてない子の差ができてしまう
共同親権のある国は養育費に関する法律や罰則もあるのに共同親権だけ取り入れて強制徴収や罰則を取り入れないなら今後改善する見込みはないだろう
子供のためになるように練り直すべきだわ
ネット上では議論が白熱しているが、感情的なものが多く見受けられる
反対している方の意見や、挙げられている海外での被害例はかなり極端なものが多いと感じており、
これを根拠に議論をするべきではないのでは、というのが個人的な意見だ
そもそも、この制度は「共同親権を強制する」というものではなく、「共同親権という選択肢を作る」ものではないのか
たしかに、「片方の親が拒否した場合、裁判所が親権を決める」という点は疑問が残る
しかし、よく考えてみればこれは現行の単独親権でも同様で、両親がそれぞれ親権を主張した場合、最終的な決定は裁判所にゆだねられる
養育費の面も問題として挙げられることが多いが、これはそもそも共同親権とは分けられて議論されるべきである
共同親権であろうと単独親権であろうと、別居親は養育費を支払う義務があり、それが支払われなければ司法や行政が介入する必要がある
共同親権になったら別居親の収入も合算されて社会保障が計算されるので子どもの権利を阻害する、という反対意見には賛同できるが、
一方で同時に導入が議論されているはずの「法定養育費制度」にはほぼ触れていないのはアンフェアだと感じる
この「法定養育費制度」が適切に機能し、子どもが別居親の収入の恩恵を十分に得られるのであれば、
社会保障の計算に別居親の収入が合算されるのは大きな問題ではないと感じる
また、別居親による連れ去りや、それに伴う虐待被害などは、単独親権でも十分起こり得ることであり、
逆に共同親権が有無で急激に件数が増減する、という根拠はないと考えている
したがって、これを理由に共同親権に反対する、という意見には賛同しかねる
私自身、両親が離婚しているのだが、そのときに母から言われたことがある
「お父さんとお母さんは夫婦ではなくなるけど、お父さんは一生あなたのお父さんだからね」
親権があろうとなかろうと、物心のついた子どもにとっては親は親なのだ
共同親権の考え方は、11歳で両親の離婚を経験した私にとっては、自身の感覚に沿った制度であり、頭ごなしに否定する必要性を感じないものである
最後に、この共同親権に反対する人々が、「夫からひどい扱いを受けて離婚して親権をとった(とりたい)母親」視点にしか立てていないことに関する問題提起をしておく
とくに幼い子どもの場合、離婚事由(不倫など)が母親にあっても、親権は母親になる可能性が非常に高い
母親の再婚相手や、ひどい場合は母親自身から虐待を受ける子どもにとって、共同親権制度が導入されることで、子どもを守る可能性が生まれる
法的には原作者は作品に対して超強力な権利を持っていて、アニメ化するなら個別の契約でアニメ制作会社は裁量権を与えてもらうという形になる。
どうしてそうなっているのかというと「そうは言っても原作者の立場は弱いから」というシンプルな理由がある。
労働者の権利だとか国民主権だとか言っても労働者は企業に逆らえないし、国民は行政の決定に逆らうのは難しい。
法的に有利にすることでバランスを取ってんの。
もっとわかりやすい例を出すなら自動車と歩行者なら歩行者有利の制度になってる。
法的に有利だろうがなんだろうが自動車と歩行者がぶつかったら自動車のほうが圧倒的に強い。
歩行者が自動車を打倒するために法制度を決めているわけではなく、ぶつからないためのインセンティブ・抑止力としての制度なわけ。
作品の原作者の権利が強く定めているのもそれと同じことで、原作者がアニメを自由にするためではなくアニメ制作会社が原作を尊重するための抑止力なんだよ。