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小野ほりでい氏の非モテ論が話題になって、小野氏の理論にリベラル、フェミニスト、元非モテの環 (id:fuyu77)氏が反論している。
各人の主張を簡単にまとめるとこうだ。
小野氏「ジェンダーなど社会的規範に囚われてる人は機械人間だ。よってモテに束縛される非モテは不幸」
https://note.com/onoholiday/n/n9ac24b2ef32e
環氏「非モテが社会規範を作ってるわけじゃない。望んでないのに非モテに脱規範しろと要請するのは押し付け」
https://fuyu.hatenablog.com/entry/2020/10/05/002610#fn-c625b784
二人の非モテ論を楽しく読ませてもらったが、人間の身体性からの視点が語られてないと感じたので、増田に書かせてもらう。
二人の議論の前提として、異性から好かれたい欲求はジェンダーや家族規範からくる欲望だとしている。
その上で、小野氏は非モテは社会規範から脱却を図ることが非モテの呪いを解く鍵だとし、環氏は脱規範的生き方を望んでいない非モテにそのような生き方を要求するのは酷だと論じている。
しかし異性から好かれたいという欲求は、本当に社会規範だけで説明できるものなのだろうか。
社会規範も当然異性から好かれたいという欲求に影響を及ぼしているだろうが、生来的な欲望、つまり生物的な本能も多大な影響を及ぼしていると私には思える。
言わば食欲と同じようなもので、欲望を抑えろと言われても中々抑えられるものではない。
「人間は食欲という社会規範に囚われすぎている。食欲に束縛される人は呪われていて不幸だ」
と言い換えると、小野氏の主張が多くの人間に支持されるのは難しい主張であると分かるだろう。
無論人間は食欲を抑えることはできる。
歴史上何人もの僧侶が即身仏になった事からもそれが可能であることが分かる。
同じように異性から好かれたい欲求から逃れることは、特に若い人間にとっては困難な選択だろう。
食欲を消せないように、人間は異性から好かれたい欲求とも上手く付き合っていくしかないのだ。
環氏は「恋愛、家族主義は広く世間一般に強固に支持されてる。非モテが恋愛、家族主義を形成してきたわけではない。家族主義の解体は現実味がない」と論じているが、私はその現実味がない理由として、異性から好かれて自分の子孫を残していきたい欲求は生物が生まれつき持っている本能だからだと考えている。
自由恋愛主義が明治時代に海外から持ち込まれた主義だとしても、異性から好かれたい欲求や子孫を持ちたい欲求は生来的な欲求であろう。
世界的な統計データでは「独身者は既婚者より10年平均寿命が短い」そうだ。
生来的な欲求を変えることは困難であるから、非モテが異性から好かれたい欲求を持つことは呪いだ、自分で自分を楽しませろ主張は、非モテでストレスを感じ寿命が短くなっても我慢しろと言ってるのと変わらなく、非倫理的だ。
もっとも、結婚後離婚した男性は独身男性より寿命が短いのだが。なお女性は離婚しても独身女性より平均的に長生きなので女性は強い。
(本文では"モテる"という言葉は使わず"異性から好かれる"という言葉を多用しました。"モテる"は多数の異性から好かれると言う意味と、少数の異性から好かれると言う2つの意味で使われる事があり、紛らわしいからです。)
続き的なもの書いたで
https://konkatsu-no-mikata.com/103198
以下引用
ボードレールは1821~1867年、フランスで生活していました。詩人として多くの作品を残し、中でも「悪の華」(1857年)は人気となり、代表作です。当時フランスでは、梅毒が流行していました。その頃はまだ、治療法が見つかっていなかったため死に至る不治の病として恐れられていました。
この状況に憂いたボードレールは、「誰彼かまわず性交する自由恋愛はやめなさい。生をまっとうするなら、まずは体を清めること。そして、墓のある教会で貴方が愛した唯一の人と結婚しなさい。」という言葉を残したのです。
この言葉の最後の部分「墓のある教会で貴方が愛した唯一の人と結婚しなさい。」の部分が当時日本語に訳された際「結婚は人生の墓場」となってしまったというわけです。本来の意味はその言葉通り、教会で唯一の愛する人と生涯を誓い、人生を全うしなさいということです。
まず1つ謝罪しておく.以下の文章は単に非モテが夜中のテンションで,半泣きになりながら書き殴ったものだ.だから大した収穫はないし,きついなあやめたいなあ,で終わる.
僕のスペックは22歳男性(異性愛,体の性は男性)大学生である.留年を1度経験した.これまで恋愛に全く縁のない暮らしをしてきたが,それゆえに渇望している.
だが生憎僕は出っ歯で一重でエラが出てて,そのうえニキビがひどい.プロ○クティ○を買って試したこともあったけども,あれは少しでもやめるとすぐに戻ったし,効果だって覿面ではなかった.
とても恋愛なんて望めるスペックじゃない.頭だってあんまりよくない(中の下).教養も知識もないし,女性を喜ばせるためのトークスキルだってたぶんない.
ウジウジしててごめん.でもこうするしかないんだ.僕がかろうじて人間としての心を保つためには,たまに文章で発散するしかないんだ.
そしてそんな僕が
https://ch.nicovideo.jp/hosirin/blomaga/ar1936473
を読んだ.ニコニコ動画のブログマガジンというものらしい?初めて知ったので驚いている.こういうプラットフォームもあるのだな.
そんな感じで書かれたものらしいが.
自分も恋人が欲しい、恋人とセックスがしたい、なのに恋人が出来ない、セックスできない、という欲求不満が、憎悪や憤懣と現状合理化がない混ざになって醜い言論を生み出す。
見た限り、この手の弱者は理屈に走りやすい傾向がある。そういう人は立場は弱者であっても頭の中はなぜかマッチョなので、屁理屈もりもりのマッチョマンになっていく。
ミソジニスト(だったっけ)の多くがインセルになる理由に,この人は恋人がほしいのにセックスしたいのにできないというのを挙げているようだ.
なるほどそれは僕も否定できないところがある.さすがにTwitter垢を取得するほどにミソジニストということはない.しかし欲求不満が醜い言論をと言わても否定すること能わず.
とあるtwitterアカウントで「レイプ男の方が恋愛競争において有利というのは妥当性の高いファクト」とツイートしてる奴がいて
○○も氏と思う.統計資料やレポートをもとに,女性に対する啓蒙活動?女性は男性にあんまり夢を見ないでほしい,と述べているからだ.僕はそれについてどうとも思わない.
「誠実に生きていればパートナーは見つかる」というのが私の持論
誠実に,ってのの定義があんまり頭に入ってこなかったんだけど,これってつまり僕ら非モテにパートナーがいないのって誠実でないから,ってことなのか?それとも僕が言い訳をしているから?
もしかしてこの発想が既にミソジニストってことかい.それなら確かに救いはないんだろうな,って思ってしまう気持ちが,僕には否定できない.
それでここらへんでこの文が僕にとってnot for meであると気付いてしまった.これはいわゆる,恋愛しようと思えば,まあ3ヵ月ぐらいでできちゃいます(アプリとかあるからね)って人向けのものなのか,と.
恋愛経験は全くないけども,僕にだってうーん,何となくそれぐらいはわかる.たぶん多くの人(この言葉あんま好きじゃないゴメンね)は僕のように,告白されたと思って喜び勇んで帰宅してから『ゴメンあれ罰ゲームだよ笑笑信じたやろう❕笑』ってラインを受け取ったこともないんだろうな.それでお風呂で泣いてたらお母さんがやってきて男なら泣くなって言ってきたこともないんだろうな(これ関係ないか).
大学に入って,頑張ってアプリを始めて,2ヵ月で彼女ができた友人に聞いて,色々アドバイス貰って自己紹介文とか写真とか工夫して,普段行かない美容室に行って,恥をしのんで店先のマネキンと同じ服をセットで買ったりして・・・それでようやく3ヵ月の「イイネ」が2だったみたいなこともないんだろうな.また泣いて泣きながら自転車漕いでたらスリップして前歯一本欠けたこともないんだろうな.
みんなが恋愛の入り口に入っていくのに僕にはその入り口が見えないんだ.
僕はこの人のように誠実に努力していただろうか.それとも結果を伴わなければ誠実さなんて評価されないんだろうか.
こうやって夜中に書いてるのが不誠実なのだろうか.この人はいいよなぁ僕みたいな容姿を持ったことがないからわからないのかなぁとか色んなこと考えちゃって.
でもムカつくんだよなやっぱり反論できないし.この人が言ってること正しいもん全部.こうやって拗らせてっと手遅れなるぞってことなんしょ.そりゃ手遅れだよわかってるって.わかってるってば.
でも手遅れな僕は一体どうやって恋愛すればいいのか.僕だって恋愛がしたいのに.クリスマスにUSJを歩いて寒いねって言って,彼女のコートの中で手をつないで幸せを育てたいよ.ラインで喧嘩した後のデートで思いきり謝罪して,その後喫茶店でパフェ奢りたいよ「○○怒らせちゃったから俺が全部出すよ出させて」とか言いたいよ.
こんな妄想丸出しでごめん.でもこの人の正論を僕は跳ね返せないかもしれない.そのうち僕は自己なきインセルへと吸収されていって,有象無象の女性蔑視発言のうちの幾らかを担うようになるんだろう.
それじゃいけないってわかってる.全て自己責任なんだろ?
就職してから出会いなんかないし、何より6連敗中であり、自由恋愛で結婚まで行く自信がなかったので、ぼちぼち結婚相談所に登録して婚活しようと思っていた(コロナのせいで先伸ばしにしている)。
相手は、入社したときから1人際立って気にはなっていたが、自分は惚れっぽいと気づいていたので何もしなかった。
ちょうど1年後に少しだけ一緒に仕事をすることになり、そのときにめちゃくちゃ意識してしまった。とはいえその仕事が終われば相手がまた別の事業所に戻るので、何もしなかった。
その1年後、今度は自分と同じ部署に来ることになった。最初に異動の話を聞いたとき、正直気が狂うかと思った。席も相手と向かい合わせなので、意識してしまう相手と顔を合わせて仕事をすると考えると、正気が保てる自信がなかった。
とはいえ仕事は仕事なので、LINEを送ってみたら、どうでもいい話でも1週間くらい続いたので、いけるかもしれないと勘違いしてしまった。相手も自分と共通点をたくさん持っていて(数えると4つだった)、とても親近感を持つようになった。「社内恋愛は煩わしいが、1ヶ月くらい様子を見てアプローチしてみよう。自由恋愛は最後にして、ダメなら婚活しよう」と思った。
配属後、上司を交えてくだけた話をする場があった。上司はオープンな人なので彼氏彼女の話題を振ってきて、そのとき彼女に彼氏がいることが発覚した。やけになって浴びるほど酒を飲んで酔っぱらって帰ってきた(今ここ)。