はてなキーワード: 正論とは
実際に診断書は出ていないけど問診の結果、適応障害っぽいねという評価を医者からもらって、抗不安剤を半年間くらい服用していた。
以前勤めていた会社では、私へのパワハラとしか思えないことが常態化していた(主観)。言われていることは正論だったので言い返せず、周りも特に干渉してこなかった。毎日自分を責め続けた結果、自分の責務内は言われたことをやるが、それ以上のことを拒否るようになり、最終的に戦力外通告みたいな感じで実質解雇のような形で半ば強制的に辞めることになった。
働いていた時は、ここで耐えないと他の会社でも同じことが起きると思っていたので踏ん張っていた。
離職票を見ると、私の自己都合で退職扱いとなっていてさらに腹が立った。しかし、自分は前から個人事業主として収入があったので、失業保険適用外であることはほぼ確定していたため、異議申し立てはしなかった。
なお、その会社は、広報活動で「俺らイケイケっす〜〜〜」みたいなことをドヤっていて本当に腹が立つ。事業が潰れて全員不幸になってほしい。(ガソリンは撒きません。)
面白い点1
建前は当然SDGs的な話、本音は新しい食材でブームを作って儲けようという話なんだけど
こういうの、大抵は受け入れられるんだよね、ちょっと苦いけど体にいいからとか、面倒くさい行為だけど環境のためだとか
でも今回はそれが効かなかった、正論パンチされて、支持者ですら結局「建前のところはともかく、個人の自由じゃん」と言うしかなかった
これ面白い
でも敢えてツッコまずにいてくれてるだけなんだ、いざとなればツッコむ
面白い点2
実は我々に食の自由はない
例えばコンビニやスーパーの商品が徐々に昆虫食に置き換わった時、食べない自由を行使するには狭い選択肢の中から選んでいかなければならない
今は一部のアレルギーや偏食の人でなければ8割9割の商品の中から選べるが、それが減っていく
自分は変わっていないのに世の中が変わることでヴィーガンになったかのような生活になる可能性だってある
そういう、自分の幅広い自由は社会の方向性と合致してるからこそ成り立っているんだということに気づくことができた
決して「食べるのも食べないのも自由」ではない、専門店ができるならともかく、いつも使っている小売店の限られた売り場面積を支配するのはそれだけで影響が大きい
面白い点3
国が関わると本当に皆警戒するということ
陰謀論と言ったら変な意味になるが、国が良かれと思って推進した時点で物事が進まなくなることもある
これは日本人だけなのかどうかわからんが、本当に思うように動いてくれない
なんだろうこの感情は、親の言うことを聞きたくないみたいな感じに似てる
面白い点4
少し考えたらコオロギ食に乗り出すのは今じゃなくても良いってわからないだろうか
まだブームにすら成っていない
面白い点5
いつもならこういうのは推進派vs反対派で殴り合って、仕掛けた側は高みの見物なんだけど
今回は推進派、つまり「コオロギ最高!」っていう奴らが全然居ないこと
居ないのに、企業側がノリノリなこと
これ結構珍しくない?
まあどうせその場にいても何もできないだろうからここで屁理屈垂れ流すくらい許してやったら
こいつもそうやって見捨てられてきたんだろうしそう言う奴にはどんなに正論言ったって無理だろ
ChatGPTはかなり制限されているので、起こりそうにないが、キャラクター性を持たせるような試みは多くされている。
アニメのキャラクター性を持たせるような方向はおそらく問題ない。
ネトウヨっぽい発言をする、といったのも、一定の人々には届くだろうが、万人受けではないだろう。
「それってあなたの感想ですよね」というのをエビデンス付きで付けまくるようなのが出てきたらどうだろうか。
今はChatGPTもそれぽいことを言うが嘘を混ざっているが、正しくなり、正論で常に叩くように調整されたものだ。
https://twitter.com/chosakukenho/status/1635779685593546752
@chosakukenho
家事育児負担が女性に偏っているという内容に対し、家計を維持するための労働が男性に偏っているという批判を認めない場合、家計を維持するための労働が男性に偏ったまま家事育児負担を男女均等にすることとなり、男性が過労死することになります。
津野 香奈美 | Kanami Tsuno, PhD, MPH
@KanamiTsuno
Whataboutism: 自分の問題点を指摘されたと感じた時に「あなたはどうなの?」と相手の欠点を指摘することで本来の自分の問題点に関する議論を避け、相手を攻撃すること。
例)家事育児負担が女性に偏ってるという内容に対し、家事育児していない男性が「女は力仕事できないじゃないか!」と言う
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全く浅薄です。
フェミニストは有識者どころか思考能力がない。だから失敗するのです。
だがまだもっとすごい。
ジグザグ
@dennokoziguzagu
返信先:
@chosakukenho
さん
有馬とかもそうなのだが、「著作権法コンメンタールの執筆者」、「ペギっ子」とかの身内で論争して完全「論破」してからネットに這い出てきてくれないかなあって。
ジグザグ
@dennokoziguzagu
·
返信先:
@chosakukenho
さん
他の「著作権法コンメンタールの執筆者」や「ペギっ子」は見て見ぬ振りだろうから、「オグリン」の方からしつこく絡んで「討論」を仕掛けないと乗ってくれないからじゃね?ハーバードでは学生、教授陣が率先してラムザイヤーボコるが、早稲田では望むべくもないから有馬から突撃せんかいという理屈。
@chosakukenho
·
返信先:
@dennokoziguzagu
さん
著作権法コンメンタールと全く別の話題を表現する際に、著作権法コンメンタールの執筆者と前もって討論する必然性が全くみえてこないのですが。あなた、自分が属する集団と前もって議論した上でその投稿をしているんですか?
ジグザグ
@dennokoziguzagu
·
返信先:
@chosakukenho
さん
おや、プロフで「著作権法コンメンタール」の看板掲げながらまったく別の「政治活動」に熱心な「オグリン」さんじゃないですかあ。
@chosakukenho
·
返信先:
@dennokoziguzagu
さん
ジグザグ
@dennokoziguzagu
·
返信先:
@chosakukenho
さん
ならこっちの提案も「別に何の問題もないですよね。」ということですね。
@chosakukenho
·
返信先:
@dennokoziguzagu
さん
ジグザグ
@dennokoziguzagu
·
返信先:
@chosakukenho
さん
そうそう、そういう感じでリアルで法曹関係に突撃してて欲しい。看板で掲げてるくせに「著作権法コンメンタールの執筆者」に限定されたくないというなら裁量を認めるのは吝かではないので
近年のドラマとマンガに物凄く多い相手方に明らかに間違った主張を言わせて主人公に論破させて主人公を美化したり持ち上げるマウント系創作物がとにかく嫌い。
相手の主張が一理ある物だったり主人公に考えさせる余地があったりするとストーリーとして面白いし主人公がその主張を打ち破るカタルシスがあるがそれがないからつまらない。
逃げるは恥だが役に立つのテレビスペシャルのヒラマサが女が劣化がどうたらこうたら~を論破するシーンとか作者がヒラマサを操ってるピアノ線が丸見えで恥ずかしくて堪らなくてチャンネル変えた。
女性は劣化する云々の思想が間違った物であるのは自明だがいくら正論でもそれをわざわざ全国ネットで論破してドヤアを見せつけるのがキツい。
スカッとジャパンとかツイッターのスルメロックのマンガとか見せられてる感覚。
誤読されそうなので言っておくが別に女性作家が悪いと言いたいのでは無い。
鋼の錬金術師とかそこら辺を物凄く書けていて感動した。
他にもKAKERU作品とか美味しんぼとか深夜のダメ恋図鑑とかクロエの流儀とかテロール教授とかスルメロックとか男性向け・女性向け・一般向け・オタク向け問わずこういう異常な作品が出回っていて本当に見る度に不快になる。
子供向けアニメのザンボット3やGガンダムですら対立する二つの正論とその乗り越えを描いてるんだぞ。
嫌なら見るなって言われそうだけどダメ恋やテロールみたいな見えてる地雷はともかくKAKERU作品や逃げ恥みたく途中でいきなりぶちこまれたら対処のしようがないから。
「君の言っていることはすべて正しいけど、面白くない。」
何年か前に読んだ雑誌のコピーで、当時かなりの衝撃を受けたことを覚えている。
今でもたまにこのコピーを思い出してドキッとすることがある。
エンジニアという職業では特に、論理的に考えることが必須なスキルとなる。
エンジニアの仕事は、正しい方向へ向かうための判断を繰り返すことに他ならない。
ビジネスのためにどのようなシステムを作るべきか?アーキテクチャの選定はビジネス課題の解決になっているか?アプリケーションの実装はビジネスが意図した動作をするか?
職業病かどうかわからないが、日常生活でも無意識に論理的に考えることが増えたように思う。
エンジニアの仕事では論理的思考は役に立つが、日常生活ではむしろ邪魔になることがある。
日常生活で正しさが求められるシーンは限られている。
正しいことが他の何よりも優先されるのかといえば、当然そんなことはない。
正しさがある程度証明されたからといって、それが何になるんだろうか?
共感を求めている人に正論を叩きつけたり、別のコンテキストに立つ人間同士が正論を言い合ったりすることは、ほとんど無価値だし、むしろ憎悪の原因にしかならない。
エンジニアの仕事でさえも、論理的思考が邪魔になる場面があると思う。
論理的に考えることは、ある程度の時間がかかる。正しさの判断をするために時間をかける必要がない場面は、無限にある気がする。
正しい判断が求められず、速攻で理由もなく決めてしまえばいいようなトピックに関しては、論理的思考がコストにしかなっていない。
つまり、合理的でないが論理的に判断をしてしまうケースはよくある。
それでいても論理的に考えたくなってしまうのは、論理的思考がすべてを解決してくれるように見えるからだ。
もしかしたら人は根源的に、自分が正しいことの保証を求めるのかもしれない。
夢の中でさえ論理的に思考していることがある。もはや論理的思考に操られているのかもしれないと思う。
論理的思考に操られないためには、「正しさの判断が必要か」を考えることだ。
論理的思考はすべてを解決するわけじゃなく、正しさの判断にしかならない。
「感覚で考えること」と「正しくないこと」の両方を肯定する必要がある。
まず、感覚で考えることは、論理的に考えることの真逆というわけでもない。
それに、もし考えが論理的に正しくなかったとしても「別にそれでいいじゃん」と思える寛容さや「間違ってるけど面白いね」と思える柔軟さを大切にしたい。
「君の言っていることはすべて正しいけど、面白くない。」
何年か前に読んだ雑誌のコピーで、当時かなりの衝撃を受けたことを覚えている。
今でもたまにこのコピーを思い出してドキッとすることがある。
エンジニアという職業では特に、論理的に考えることが必須なスキルとなる。
エンジニアの仕事は、正しい方向へ向かうための判断を繰り返すことに他ならない。
ビジネスのためにどのようなシステムを作るべきか?アーキテクチャの選定はビジネス課題の解決になっているか?アプリケーションの実装はビジネスが意図した動作をするか?
職業病かどうかわからないが、日常生活でも無意識に論理的に考えることが増えたように思う。
エンジニアの仕事では論理的思考は役に立つが、日常生活ではむしろ邪魔になることがある。
日常生活で正しさが求められるシーンは限られている。
正しいことが他の何よりも優先されるのかといえば、当然そんなことはない。
正しさがある程度証明されたからといって、それが何になるんだろうか?
共感を求めている人に正論を叩きつけたり、別のコンテキストに立つ人間同士が正論を言い合ったりすることは、ほとんど無価値だし、むしろ憎悪の原因にしかならない。
エンジニアの仕事でさえも、論理的思考が邪魔になる場面があると思う。
論理的に考えることは、ある程度の時間がかかる。正しさの判断をするために時間をかける必要がない場面は、無限にある気がする。
正しい判断が求められず、速攻で理由もなく決めてしまえばいいようなトピックに関しては、論理的思考がコストにしかなっていない。
つまり、合理的でないが論理的に判断をしてしまうケースはよくある。
それでいても論理的に考えたくなってしまうのは、論理的思考がすべてを解決してくれるように見えるからだ。
もしかしたら人は根源的に、自分が正しいことの保証を求めるのかもしれない。
夢の中でさえ論理的に思考していることがある。もはや論理的思考に操られているのかもしれないと思う。
論理的思考に操られないためには、「正しさの判断が必要か」を考えることだ。
論理的思考はすべてを解決するわけじゃなく、正しさの判断にしかならない。
「感覚で考えること」と「正しくないこと」の両方を肯定する必要がある。
まず、感覚で考えることは、論理的に考えることの真逆というわけでもない。
それに、もし考えが論理的に正しくなかったとしても「別にそれでいいじゃん」と思える寛容さや「間違ってるけど面白いね」と思える柔軟さを大切にしたい。
「君の言っていることはすべて正しいけど、面白くない。」
何年か前に読んだ雑誌のコピーで、当時かなりの衝撃を受けたことを覚えている。
今でもたまにこのコピーを思い出してドキッとすることがある。
エンジニアという職業では特に、論理的に考えることが必須なスキルとなる。
エンジニアの仕事は、正しい方向へ向かうための判断を繰り返すことに他ならない。
ビジネスのためにどのようなシステムを作るべきか?アーキテクチャの選定はビジネス課題の解決になっているか?アプリケーションの実装はビジネスが意図した動作をするか?
職業病かどうかわからないが、日常生活でも無意識に論理的に考えることが増えたように思う。
エンジニアの仕事では論理的思考は役に立つが、日常生活ではむしろ邪魔になることがある。
日常生活で正しさが求められるシーンは限られている。
正しいことが他の何よりも優先されるのかといえば、当然そんなことはない。
正しさがある程度証明されたからといって、それが何になるんだろうか?
共感を求めている人に正論を叩きつけたり、別のコンテキストに立つ人間同士が正論を言い合ったりすることは、ほとんど無価値だし、むしろ憎悪の原因にしかならない。
エンジニアの仕事でさえも、論理的思考が邪魔になる場面があると思う。
論理的に考えることは、ある程度の時間がかかる。正しさの判断をするために時間をかける必要がない場面は、無限にある気がする。
正しい判断が求められず、速攻で理由もなく決めてしまえばいいようなトピックに関しては、論理的思考がコストにしかなっていない。
つまり、合理的でないが論理的に判断をしてしまうケースはよくある。
それでいても論理的に考えたくなってしまうのは、論理的思考がすべてを解決してくれるように見えるからだ。
もしかしたら人は根源的に、自分が正しいことの保証を求めるのかもしれない。
夢の中でさえ論理的に思考していることがある。もはや論理的思考に操られているのかもしれないと思う。
論理的思考に操られないためには、「正しさの判断が必要か」を考えることだ。
論理的思考はすべてを解決するわけじゃなく、正しさの判断にしかならない。
「感覚で考えること」と「正しくないこと」の両方を肯定する必要がある。
まず、感覚で考えることは、論理的に考えることの真逆というわけでもない。
それに、もし考えが論理的に正しくなかったとしても「別にそれでいいじゃん」と思える寛容さや「間違ってるけど面白いね」と思える柔軟さを大切にしたい。
最近ChatGPTとかBingちゃんがあまりにもポンコツなこと言ってくるとつい感情的になって人間相手だったら言わない(言えない)ようなことを半ばストレス解消のように書いてしまう。そんなことわざわざ入力するくらいならさっさと新しい会話始めるか自力で探した方が建設的なはずなのに、わざわざ悪態をついてしまう。
ちょっと賢いだけの子ども相手に全力で正論で殴ってるみたいな罪悪感がある。いつか自分がぶつけた罵詈雑言が黒背景に赤い字でばーっと出てきたりしそうで怖い。
bing に聞いてみた
独身の中年男性に必要なセルフケアとは、自分の健康や幸せを大切にするために、日々の食事や運動、睡眠などの生活習慣を見直し、自分に合った方法でストレスを解消することです。例えば、以下のようなことが挙げられます。
- 早食いや揚げ物やお酒を控える1。
- たっぷり野菜をとる1。
- ゆっくりとよく噛んで食べる1。
- 外食時でも野菜を取り入れるための工夫をする1。
- メタボや肥満の予防に必要な運動量や方法を知る2。
- 睡眠不足や不規則な睡眠を改善する2。
- ちょっといい食器や家具などで「ていねいな暮らし」を楽しむ3。
- ちょっとだけ凝った自炊をする3。
- 趣味や友人との交流などでストレスを発散する2。
これらのセルフケアは、自分自身の心身の健康だけでなく、仕事や人間関係にも良い影響を与えると考えられます。独身の中年男性は、生活習慣が乱れやすく、また改善の機会も少なくなりがちなので、一層生活習慣の見直しを意識しておくことが大切です2。