はてなキーワード: 存在意義とは
オリンピック委員会は月200万貰えるからだらだらやっていて開催が現実的に無理と思っていても自ら中止なんて言い出さないのだ、という趣旨でひろゆきが言ってた。
月200万貰い続けるためになんとなく続けているというのは、違うかなと感じる。委員会メンバーからすれば、月200万って非常に些細な金額であって単純に報酬金額へのこだわりでだらだらやってるというわけじゃないと思うんだよね。
委員会メンバーとしての仕事力(様々な利害関係者との調整力、推進力、発信力)の無さが、存在意義の無さや批判につながっているわけで。現実的には開催は不可能に近くきっと中止になると皆思っていて、オリンピック関係者から中止って言葉を出せば多くの批判を受ける事になるのは目に見えているだけに動けないだけ。
個人的には、一度しか使わない箱物をいっぱいつくってスポンサーが儲かって潤っている部分はあるのだが、オリンピック自体にはもともと関心が無い。東京に外国人が多く流入して通勤とか大変になりそうだな、と思って早々とオリンピック前に東京を脱出した。現実的には無理なのものを誰が中止だと言い出して、発表してその後決着していくのだろうというのが気にはなる。まあどうでもいいっす。
コロナ禍ということもあり、今年はデパートのおもちゃ売り場は人が少ないのでしょうか。
外に出ないので全く様子がわからんです。
PS5は本体の売り上げに対してソフトが3分の1しか売れていないのだとか...
よく転売屋を批判する人に対して、転売は真っ当なビジネスだとか、小売だって値段を上乗せして販売しているじゃないか、
いやそれは違うだろと思いつつもうまく反論する言葉が思い付かないのが悔しかったので
このモヤモヤとした無念を晴らすべく自分なりに考えを整理してまとめてみました。
物を仕入れて値段を上乗せして商売をするという点で「小売業も転売屋と同じじゃないか」と言われますが、ハッキリ言って小売業と転売屋は 全くもって異なります。
メーカー各社から大量に商品を仕入れ、全国各地に流通経路を整備し、多くの人々に物が効率的に行き渡るように整備する報酬として手数料を得ているのが小売業の仕事です。
一方で、転売屋は小売業がせっせと築いた流通経路を買い占めによって遮断し、需要と供給のバランスを著しく破壊することで発生する利益で儲けを得ているのが転売屋の仕事です。
いわば、多くの人々の手に渡るハズだった物を略奪し、人々の手の届かないところへ持ち去ってしまうのが、転売屋のやっている行為です。
たくさんの人々に物を売らんとする小売業とは全く性質が異なることがお分かりになるかと思います。
そして転売屋が嫌われ、批判される多くの理由がここにあると思っています。
また、インターネットの発達により小売の存在意義について問う意見も少なからずありますが、もし仮に小売業がなくなればメーカーは自分たちで物を売らなくてはなりません。
当然、メーカーがそれぞれ別のプラットフォームで販売をすれば我々消費者にとっても物を揃えるには大変効率が悪くなります。
さらに個人への直販では小売へ卸していたときよりも卸値が上がります。
何故か。
対個人では一回の取引で大量に販売する事が出来ないので、規模の経済が働きません。
さらに在庫の管理費用、ECや店舗などの販売所の立ち上げや管理にかかる費用などが加わってくると結局小売店で販売する値段とそれほど大差なくなってきます。
ですから在庫を抱えるリスクを背負い、ロット単位の大量の販売ができ、お店で陳列してくれる小売業の存在は、メーカーにとっても都合が良いのです。
だからこそ、これだけITが発達し、技術的にも従来より比較的簡単にネットで直販をすることが可能になっても小売業は無くならないですし、社会にとっても必要不可欠な存在なのです。
しかし転売には一部が儲けを得るだけの商売でしかなく、小売業のような社会的役割もありません。
そんな商売が果たして「真っ当なビジネス」と言えるでしょうか?
長々と書きましたが、つまり転売屋はさっさとくたばれってことを言いたかったでした。
おわり
従来100%の場合は200%、500%の場合は1000%にする。そうするだけで、従来の2倍の高さの建物が建てられるようになる。
建築費も高くなればなるほど非効率に向上していくが、もともと土地が高い23区に絞れば、大多数の大家は目一杯の高さまで建てそうな気がする。
銀行も土地を担保に金を貸すだろうし、建築をはじめとする各種産業にも金が流れ込み、景気も良くなるだろう。
仕事がいくらでもあれば、23区に流れ込む人もさらに増加するに違いない。
一戸あたりの建築費が下がるので、それにつられて家賃も下がる。人口増と過剰供給のつり合いもあるが、少なくとも現状よりは安くなるだろう。
人口が増えれば自治体の税収も上がり、育児や教育、交通などの環境も向上する。
従来、住むところではないと言われている港区や千代田区にも手ごろな価格の中層マンションが増えれば、職住接近で満員電車で通勤することも少なくなるだろう。
一方、割を食うのは、東京都下やそれ以外の地方だろう。都心への人口流出は拡大するが、ますます過疎化が進むに違いない。
だが、既に最低賃金ギリギリの給与や技能実習生頼みでまっとうな産業も維持できず、東京等の企業・市民が稼いだ地方交付税交付金でギリギリ存続している地方に存在意義はあるのだろうか。
そう言うと、「食料自給率がー」と批判されるが、農業に必須な原油を輸入に頼っている時点で食料自給率など意味がない(それか、単なるポーズ)。
大都市の足を引っ張って大都市、そして日本全体を国際競争で負けさせるのではなく、いくつかの大都市に集約することで、国際競争力を高めなければならないと思う。
私立大学理工系で4科目入試を課すのは早慶のみ。ほとんどの私立大学理工系は入試で3科目しか要求されません。国語や社会科(日本史、世界史、倫理、政治経済、乃至現代社会)のような文系科目がないだけではなく、理科もたった1科目を選択するだけでよいのです。ですから、合格するためにはあまり学力は必要ないのだといえましょう。
一方、私立大学の理工系に入学してくる生徒はこれまで専門科目は何も学習していないし、実習の授業も受けたことなければレポートを書いたこともない。
このように学力でも専門科目でも高専に勝るものが何一つない私大理工系に、一体何の価値があるんでしょうかね。
駄文失礼。
なんか書いておかないと寝れない気がするので備忘録として殴り書きをしておきたい。
ついでに何回か回して、今日同時に実装された別のレアキャラを引いた。
なんか調子いいな今日、スロットでも行こうかなと思いつつ、オタク向けのアカウントで引いたぞーってツイートをした。
それが良くなかった。引いたそのキャラを推してる人間から「自分は引けなかったのにそれを見せつける神経が理解できない」と言われてしまった。
「神経が理解できない」と言われて目の前が真っ暗になった。というよりかはそれが何を意味するのか理解が何もできなかった。
もしかしたら自分は他人を傷つけてしまったのではないか?そう思うと自分の存在意義まで考えだしてしまった。
今はだいぶ落ち着いたが、未だに心のモヤモヤは取れていない。
どうしてこんな深刻に考えてしまったのだろうか、と考えたときに、今まで押し殺してきた感情が出てきていることに気付いた。
自分は小学校のころにいじめにあっていた。今では誰が悪いとも思っていないし、当時もそこまで深刻に考えてはいなかった。
傷ついたことのある人間にしかわからない(と思うけど)、絶望感なのか何なのかよくわからないもの。
自分は小学校のそれ以来、人に同じような感情を味わわせないように生きてきたつもりではある。
以上を勘案すると、おそらくそれを否定するような言葉を言われたからなのかもしれない。
別にそれを言った人を否定する気はさらさらないし、今回の件はただ自分のしてしまったことに絶望しているだけ。
じゃあ自分が同じようなことをやられたらどうするのだろう。
多分スルーしていたと思う。
相手は自分より1つ年上。だがネット歴はおそらく自分の方が深い(と思う)。
少なくとも、ネットで嫌な物見てもスルーしろ、という自分の中でのルールがあるし、ネットを触り初めた当初はみんなそんなことを言っていた(気がする)。
今まで惰性でみんなこうするやろと思って、それを元にネットをやっていた。
きっと他人がされて嫌なことをやらない、というのを徹底していればこんなことにはならなかったはずなのに。
今は正直穴があったら入りたい。
差別を無くそうと努力する人もいるけど、差別が無くなることはない。
なぜなら差別や格差は人類が己の存在価値を擬似的に作り上げるための機能だからだ。
人類は単純な「生きる意味」=「食ったり食われたり食物連鎖の中で生きること」から離れてしまったために自分たちで「生きる意味」をでっち上げないといけなくなった。
差別や格差はでっち上げた擬似的な食物連鎖なのだ。底辺には底辺の役割、頂点には頂点の役割を持たせ、人類それぞれに生きる意味を与えるための機能だ。
人類それぞれに生きる意味を与えている差別や格差=社会をどうして人類が自ら破棄することができよう。
そして、人類が必死に作り守っているその「生きる意味」は地球にとっては無用の長物だ。
そもそも、人類は地球上の食物連鎖から離れた時点で少なくとも地球上では存在意義など皆無、要らない物になったのだ。
なのに無理やり社会などという虚像を作り上げ、自分たちは必要な存在なのだと言い聞かせて続けている。
その虚像は王政であったり、民主主義であったり、幾度となく姿を変えてきたが、全て虚像でありママごとに過ぎない。
今人類が一斉に取り組んでいるママごとは資本主義という名で呼ばれている。
そのママごとは生産性を上げなければ競争には勝てず、存在意義を他者に奪われるというかなり過激な遊びだ。
ただそこで生産する物自体は存在意義の無い人類に対しての物がほとんどのため、存在意義は無い。
なのに生産し続けないと存在意義が奪われるのでその競争に必死にしがみつかないといけないという冷静に考えると頭がおかしくなりそうな状況だ。
今はまだ格差により少子化が進んでいる程度の認識が普通だが、本当は違う。
人類が資本主義というとんでもないストレスに晒されたことで無意識に存在意義を考え始めた結果、自分たちに存在意義など無いことに気づき、この無駄なママごとに終止符を打つために人類の生産をやめ始めたのだ。