はてなキーワード: ユダヤ教とは
>横だけど、西洋人が驚くところって鯨食いよりも、日本人の大半が無神論・無宗教ってところだと思う。
えっ? オレが留学してた時は、日本は仏教、儒教、神道の国って思われてたよ。だからオレは言ってやったんだ、「日本人だって大半の人は、この国と同じ、無神論・無宗教だよ」って。そしたら「へーっ、日本人もそうなのか」って驚いてた。
合衆国に非営利調査機関でピュー・リサーチ・センターって組織があるけど、そこでアメリカ人の宗教観の詳細なデータが調査され、ウェブサイトで公開されてる。それによると、アメリカ人の大半が無神論・無宗教で、キリスト教徒はたったの14%。
1位 特定の宗教・思想なし 35%
4位 キリスト教 14%
カトリック 5%
その他のプロテスタント 1%
ユダヤ教 4%
その他の宗教 4%
仏教 3%
6位 不明/回答拒否 2%
352 :ソーゾー君:2013/02/17(日) 16:00:10 ID:NTB/f8po
現秩序の破棄の為の演出だと言ってるだろ?
欧州の銀行家がキリスト・イスラム・ユダヤの三大宗教を乗っ取り
内容を歪解して信者に広めた理由は演出の為だ?
世界が危機的状況に陥ったときに=約50億人~56億人ほど人口が減った時
にメシアが来ると洗脳してるんだぜ?たった十億人でアフリカや日本だけ人口が減っただけでは
現秩序の破棄にはならず逆に現秩序=信仰が強固になる。
世界が危機的状況に陥った時=飢餓、疫病で世界の人口が10億人以下4億人以上に減った時
↑つまり週末が訪れた時にメシアは来ると洗脳してるが来ないんだぜ?
この演出の準備の為にキリスト・イスラム・ユダヤ教を乗っ取り教えを歪解させて世界にばらまき洗脳している。
ウルトマラン♂仮面マライダー♂もカルトベースの洗脳番組なんだよ?
彼知我知だよ?
俺は徹底的に調べて根拠があって「キリスト・イスラム・ユダヤ教を乗っ取られ内容を歪解させられて洗脳されてる
欧州の銀行家は信仰などしておらず宗教を利用している。」と言ってるんだよ?
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1341367879/l50
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1353851390/l50
201 ソーゾー君 [] 2011/09/03(土) 17:49:57 ID:dO/Ik/0oO Be:
ロスチャイルドが手柄をあげて仲間入りした組織の悪事を考えたら
一番の悪事は↓これ
「人の金を預かり利子付きで貸す」
キリスト教が出来て欧州の宗教になった後、起きた戦争・紛争・内乱・革命は
100%こいつ等が関わっている…欧州にキリスト教を広めたのもこいつ等…
こいつ等はユダヤ教もイスラム教も信者を装い入り込んで乗っ取っている。
ユダヤ教(サンヘドリン)は二千年以上前にイスラム教はイスラムが分断され欧州の
植民地になった頃に乗っ取っている。
金貸しで元老院を乗っ取りローマに囁いてイスラエルを滅ぼしたのもこいつ等
その後、欧州にキリスト教を広めてユダヤ教徒を迫害してマラノになるように勧めたのもこいつ等
ロスチャイルドはハザール汗国出身の偽ユダヤ=ハザール人である。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1329613996/
201 ソーゾー君 [] 2011/09/03(土) 17:49:57 ID:dO/Ik/0oO Be:
ロスチャイルドが手柄をあげて仲間入りした組織の悪事を考えたら
一番の悪事は↓これ
「人の金を預かり利子付きで貸す」
キリスト教が出来て欧州の宗教になった後、起きた戦争・紛争・内乱・革命は
100%こいつ等が関わっている…欧州にキリスト教を広めたのもこいつ等…
こいつ等はユダヤ教もイスラム教も信者を装い入り込んで乗っ取っている。
ユダヤ教(サンヘドリン)は二千年以上前にイスラム教はイスラムが分断され欧州の
植民地になった頃に乗っ取っている。
金貸しで元老院を乗っ取りローマに囁いてイスラエルを滅ぼしたのもこいつ等
その後、欧州にキリスト教を広めてユダヤ教徒を迫害してマラノになるように勧めたのもこいつ等
ロスチャイルドはハザール汗国出身の偽ユダヤ=ハザール人である。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1329613996/
人々は、銀行にお金を預けていれば盗まれる心配が無いので、安心している。
しかし、銀行屋は、人々から預かったお金を勝手に横領し、それを他の人々に
高利で貸し付けて儲けている。
「銀行屋も利益が無ければ生活できないので、仕方が無いんじゃないの?」と
私は思っていた。
当然国家も動かす事は出来ない。
世の中が不景気になり、不良債権が増えても最後は公的資金注入という形で、
結局尻を拭くのは一般の人々である。
国というのはつまり我々一人一人の事であり、どちらに転んでも結局は
回りまわって税金という形で我々のお金が銀行屋に搾取され続けているのである。
別に銀行で働いている人達が悪いというのではなく、「利子」という発想が問題なのである。
「キリスト教」や「イスラム教」では、「利子」を取る事を禁止していた。
「利子」を取ると、必ず椅子取りゲームになって、「勝ち組」・「負け組」が発生し、
効率化を追求し過ぎるあまり、環境破壊、戦争へとつながってしまう。
「ユダヤ人以外の他の民族からは「利子」を取ってよい」とされた。
システムを作る思想が間違っていれば、必ず問題が発生する。
ミヒャエル・エンデ作の「モモ」という物語では、灰色の男達が「時間貯蓄銀行」なるもの
を作り出し、人々から心の余裕を奪い、奪った時間を葉巻にし、それを吸って生きていた。
ここで、灰色の男達は、「我々のおこなっている事は絶対人々に知られてはならない。」と
言っていた。今の資本社会システムを作り出した思想が知られてはまずいという事なの
である。
モモは、灰色の男達に対抗するため、マイスター・ホラとカシオペイヤの力を借り、
少しの間だけ時間を止め、(つまりは銀行券(お金)を無効化して)
いきなりお金を紙くず化すれば、世界は大混乱してしまうので、この本の著者が
提言しているように、地域通貨を流通させ、今出回っている銀行券なるものの価値を
徐々に下げていくというのは、理にかなっていると思う。
また、経済を成長型の陽経済(銀行券)と非成長型の陰経済(地域通貨)に分けて
マスコミは大元のスポンサーである銀行にとって都合の悪い事を公開できないからである。
従って、マスコミが垂れ流す新聞やテレビ、ネットからの情報は的外れな事ばかりで、
(たとえ理解しているとしても)的を射た本質的な問題をズバリ指摘したりはしないで
あろう。
今の金融システムは、一部の人間達が「利子」という名目で多くの人々から
巧妙に富を吸い上げ、その富の力によって世界を支配するための手段になって
しまっている。そのために戦争が起きようが、環境破壊が進もうが、
彼らにとっては関係無いのである。しかし、ほとんどの人達にとってこれは
無視できないことである。
http://umiurimasu.exblog.jp/12210453
この記事のブクマ(http://b.hatena.ne.jp/entry/umiurimasu.exblog.jp/12210453/)が300を超えたので、逆張りというか、疑問に思った2点、『アメリカ人は本当にタコが嫌いなのか?』『「怖い」という感情に「一神教」と「多神教」は関係あるのか?』ということについて、考えてみる。
ブログ主のumiurimasuさんに対する反論というよりかは、ブックマークコメントの傾向に対する反論である。
1
>>ちなみに、魚介類を食べるのがあたりまえな島国文化圏の人からすると、アメリカ人のタコ嫌いというのは、それこそ冒涜的なまでに理解を絶する感覚ですね。
イタリア、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、韓国……などの国々は島国ではなく半島国だが、タコを食べる。中国でも食べる。
また、アメリカには昔からイタリア系、スペイン系、ギリシャ系、中国系の移民は多かったし、ポルトガル系や韓国系も少なからずいた。彼らはアメリカでも昔からタコを食べる。
しかも、いまでは寿司や日本料理、イタリア料理やスペイン料理、ギリシャ料理や中国料理はすっかりアメリカ全土に定着した。だから、イギリス系やアフリカ系のアメリカ人でもタコを食べる人は多い。
なので、これは「アメリカ人のタコ嫌い」ではなく「ラヴクラフトのタコ嫌い」にするべきではないか。
「昔のWASP(白人、アングロサクソン、プロテスタント)のタコ嫌い」にしてもいいような気もするが、やはり、「食べない」からって「嫌い」には直結しない。
タコが全面的に禁忌(「食べてはいけない」)とされているのはユダヤ教であり、キリスト教では一部の宗派のみ。
そもそも、「アメリカ人(あるいは、欧米人)はタコを悪魔の使いとして忌み嫌っている(忌み嫌ってきた)」という説は日本に広く流布されているが、本当なのだろうか。
この説の傍証は、タコは英語で「devil fish」と言われること、および、「クトゥルフ神話」や「宇宙戦争」などでタコが人間に敵対する悪役として描かれているから、ということである。
まず、「devil fish」であるが、現代のアメリカでタコを示す言葉のうち、一般的に使用されるものは「octopus」である。
「devil fish」でgoogleの画像検索をすると、真っ先に表示されるのはエイの画像で、タコが出てくるのは10番目以降である。
さらに、「devil fish」だからといって「タコ=悪魔」だと思っているとは限らない。
すくなくとも、エンゼルフィッシュを天使だと思っている人はいないだろう。
クトゥルーにタコが出てくるのはラヴクラフトが(個人的に)タコが嫌いだったから。
「宇宙戦争」の火星人がタコなのは、原作者のウェルズがタコを怖がっているからではなく、「火星は重力が少ないから頭が大きくなって手足が退化して、タコになる!」という疑似科学的な理論のため。
「インデペンデンス・デイ」などの宇宙人映画でも宇宙人はタコとして描かれていることがあるが、それは「宇宙戦争」(と、もしかしたら「クトゥルー神話」)へのオマージュのためではないか。
というわけで、「アメリカ人のタコ嫌い」という言葉は、「伝統的なアメリカ人」と「最近のアメリカ人」、「主流派(WASP)のアメリカ人」と「少数派のアメリカ人」のタコに対する態度の違いなどを考えたうえで使うべきであると思う。
アメリカ人が日本人に対して間違ったイメージ(「忍者、ゲイシャ」「エコノミックアニマル」「イエローモンキー」)を抱いていることが多いが、それと同様に、日本人がアメリカ人に対して抱いているイメージも、その多くは間違っている可能性がある。
さらに、「アメリカ人」という言葉が文化論において使われるときは、WASPを指すことが多く、黒人や黄色人種、アフリカ系アメリカ人や先住アメリカ人、カソリックのヨーロッパ系アメリカ人などを無視する場合が多い。
たしかに、一面では、アメリカの主流文化はWASPの文化であるが、マイノリティの文化の一部が主流になることも多いし、WASPの文化とマイノリティの文化が影響しあってできた新しい文化が主流になることもある。
だから、「アメリカ人」という言葉をつかうときは、その言葉はいったい何を指し示しているのか、自覚的になるべきである。
このような問題(主流文化とは何なのか?「〜人」は何なのか?)は、移民国家である「アメリカ」を論ずるときには特に注意されるべきだと思うが、日本やイタリア、中国やブラジルや南アフリカ共和国など、どこの国を論ずるときでも、注意したほうがいいことである。
2
ブログの記事内では、『ともあれ、そうした文化的理由でクトゥルー神話を本来あるべきように怖く感じられないのだとしたら、やはりちょっと残念です。アメリカ人はほんとうに、日本人よりも怖さを感じているのだろうか。それとも「いや別に、全然怖くねーよ」という感覚なのか。アメリカ人に直接聞いてみないことにはどうにも。』や『こういった反応、恐怖の感じ方がひどく違うことについて、どこまでが個人の感性でどこまでが文化の差異によるものか、きちんと切り分けができたら面白かろうなあ、と思いながら読んでいます。』と書かれていて、慎重な姿勢が保たれている。
しかし、ブックマークコメントでは、「キリスト教文化圏では、何を考えるにも常にキリスト教の神を超越者・絶対的存在としていちばん上に置くというものの見方が根底にある」や「日本人の場合、神も仏も混ぜこぜに、かつあいまいに信じていて、絶対的な何かを世界観のよりどころにしていないからでしょうか」という文章ばかり注目されている。
そもそも、欧米の文化や芸術作品・物語が紹介されるときには、「キリスト教的」「一神教世界観」などのマジックワードを持ち出し、日本の「多神教的世界観」と対比させて論ずることが多い(そして、往々にして、「多神教的世界観」の方が寛容で複雑で高度なもの、と優劣をつける場合が多い)。
しかし、例えば日本の文化や芸術作品・物語についても、「神道的」「仏教的」「多神教的世界観」だけでは論ずることはできないだろう。
文化や芸術作品の成立には、もちろん宗教や世界観も大きく関わるが、それだけではなく、自然環境・経済的環境・歴史・政治・偶然など、様々な要素が関わっているはずである。
また、フィクションに対して「怖がる」という反応は、宗教よりも時代と個人的な経験に左右されるものである。
ホラー小説の「人を怖がらせる」技術は年月を重ねるにつれて蓄積されるものであり、現代のホラー小説は過去のホラー小説より「怖い」、ということは一般論として言える。
スティーヴン・キングの作品は、ラヴクラフトの作品と同じくアメリカ人の作家によって書かれた、キリスト教的世界観の影響の強い作品であるが、日本の読者でもスティーヴン・キングの作品を「怖い」と思う人は多い。
「雨月物語」は過去の日本人作家によって書かれた作品であるが、そこに収録されている「吉備津の釜」は江戸時代の日本人が読んでも「怖い」と感じたであろうし、現代の日本人が読んでも「怖い」と感じる人は多い。
しかし、現代の日本人である鈴木光司によって書かれた「リング」は、おそらく「雨月物語」よりも多くの日本人読者を怖がらせると思う。
だが、スティーヴン・キングの「シャイニング」や「クジョー」と鈴木光司の「リング」のどれが一番「怖い」か、ということは、現代の日本人でも読者によってそれぞれ違う。
さらに、「リング」はアメリカ人が読んでも「怖い」という評価を得ている。
ここにラヴクラフトを代入すれば、ラヴクラフトが「雨月物語」よりも怖いと思う日本人もいれば、「リング」がラヴクラフトよりも怖いと思うアメリカ人もいるだろう。
彼らの「怖い」という感情には、多少は「一神教的世界観」「多神教的世界観」が関与しているかもしれないが、それよりも個人的な趣味や感性(「ホラーに慣れているかどうか、じわじわとくる恐怖に弱いかびっくりさせるような恐怖に弱いか」「日常的な恐怖に弱いか、非日常的な恐怖に弱いか」などなど)の方が強く関与しているだろう。
つまり、ホラー小説の話題で、「キリスト教の世界観」「多神教の世界観」にばかり注目するのは、適切ではない。
また、ホラー小説の話題に限らず、欧米の文化や芸術作品・物語について考えるときに、「キリスト教」「一神教的世界観」に還元させるのは適切ではない。キリスト教の影響はあるかもしれないないかもしれない。あったとしても、強いかもしれないし、弱いかもしれない。
「一神教的世界観」というマジックワードで説明されることで、安易に「理解した」と思いこむのではなく、宗教や世界観以外の、他の側面からも考えることが必要である。
答え
「何でもできる」とか「全知全能」の定義によるが、いわゆるキリスト教/イスラム教/ユダヤ教の神様の話なら、あの神様は「自分で持ち上げられないほど重い石」は作れない。あの神様は「どんな重い石でも持ち上げることができる」から、自分で石をいくら重くしても結局持ち上げることができてしまう。
「『自分で持ち上げられないほど重い石』が作れないなら『なんでもできる』なんて嘘じゃん!』」と信者の人にいっても
「『どんな重い石でも作れる。しかもどんなに重い石を作っても自分で持ち上げられる』方が、『どんなに重い石でも作れるが、あまりに重くすると自分で持ち上げられなくなる』ってのより凄いじゃん。やっぱ俺っちの崇めてる神様は後者っていうより前者だと思うぜ俺は」
と言われて終わる。
立憲主義とは権力の制約のあり方の話で、絶対主義と対置されるべき物である。
民主主義とは権力の所在の話で、君主主義と対置されるべき物である。
立憲主義と民主主義は、絶対王政から市民の多数派へと権力を移行させる過程で発展して来た。
王権神授説を前提とする絶対王政に対し、貴族達が、立憲主義により王権を制約した。
立憲主義により弱体化した王・貴族から、市民が、民主主義によって権力を奪取した。
そういうわけで、今は立憲民主主義が多くの国で採用されるところとなっている。
立憲主義はいかなる権力であれ制約するので、民主的権力に対しても制約的に働くからだ。
立憲主義がもとより王や貴族から権力を奪うための手段に過ぎないと考えるならば、民主化が達成された今日では、もはや立憲主義は廃止すべきとの考え方もあるだろう。
しかし、民主主義体勢下の権力にも抑制が必要であると考えるならば、なお立憲主義は必要な枷といえる。
さて、民主主義というのは全国民による統治を理念として掲げているが、実際には多数派による統治に過ぎない。
「最大多数の最大幸福」は、最大多数に含まれない物の存在を前提としている。
一人の王、数百人の貴族による統治に比べれば、国民の半数以上による統治が「大幸福」を導くことは明らかであろう。
多数決原理よりも多数に権力を行使させうる現実的な手段が見つからない以上、多数決こそが「最」大多数の「最」大幸福を実現する手段である。
しかし、そうであるならば、民主主義によっても少数者の幸福は実現されない。
多数派が行う少数者への配慮などというのは、国王や貴族が国民に対し道徳的(あるいは自益的)見地から善政を布くことと原理的に相違ない。
立憲的でない民主主義体勢下の少数派は、絶対王政下の国民が善き王を期待するのと同程度にしか、幸福を期待できない。
多数派がひとたび牙を剥けば、少数の共産主義者やユダヤ教徒は迫害され国外に逃亡する他なくなるのである。
民主主義は、少数派の犠牲の元に多数派の幸福を実現する危険を孕む。
多数派の幸福のみならず、社会全体の幸福さえも、少数派の犠牲によって増大しうる。
「社会全体の利益のためには、一部の人々が犠牲になっても良い」と考えるならば民主主義を採れば良い。
そう考えないならば、立憲民主主義を採れば良い。
こういうときっとまた誤解されるんだろうけど、爆弾というのとは多分、違う。
爆発音がした場合、ああ、それね、というのはあるけど、それは本当に爆発したわけでなくて、
もっとドロドロとしたもの、というか、ベタに絶望みたいなものかもしれない。
私はこのまま爆発せずに死ぬのだろう、みたいなイメージは意識の中にあるのだけど、イデオロギーとか信仰とかではない。
まあ、意外と爆弾は爆発しませんよ、というか、そのあたりは26くらいのままで止まっているような気がする。
masuda1 finalvent, これはひどい,お前が言うな 2009/05/09 何言ってんだこのおっさん?爆発と爆発音の関係はとっくに否定されてるはず。
ああ、やっぱり伝わってないですよ。爆発音があった、というのと爆発はもともと
全く関係がなかったんだけど、批判とかではなくて、このあたり、日本のブロガーはあまり関心がないっぽい。
ユダヤ教の発展とかみると、意外とそうでもなくて、爆発がヘブライ語から英訳された時に
爆発音が抜け落ちたとか、よく見るとなんじゃこれ、みたいな。
海外だとこれとかこれが参考になるかも。
masuda2 finalvent, 歴史,いい話,人生,哲学,GTD 2009/05/09 そういえば爆発した時、自分は恋愛してたけど、そういうことかな。
これはそう。若いときはけっこう、というか、毎日爆発がある人もいる。
もうちょっというと、年をとるとおセックスとかにもほとんど興味がなくなってくる。
爆発より爆弾の方がもっと大事ですよ、というか。
http://anond.hatelabo.jp/20090121144441
(M)先人がミサイルや戦車を使うのみならず、信念と確固たる同盟をもってファシズムや共産主義に勇敢に立ち向かったことを思い出そう。
(A)先人たちがファシズムと共産主義を屈服させたのは、ミサイルや戦車によってだけではなく、頼もしい同盟国と強固な信念によってでもあることを思い起こしてほしい。
(Y)前の世代は、ファシズムや共産主義と、ミサイルや戦車だけではなく、強固な同盟と強い信念を持って対峙(たいじ)したことを思い出してほしい。
(M)先人は軍事力だけが我々を守るのではないことや、またそれを好き勝手に使えないことを知っていた。
(A)彼らは自らの力だけが自分たちを守ったのではないことも、その力が、自分たちが好きなように振る舞う資格を与えたのでもないことを理解していた。
(Y)彼らは、我々の力だけでは我々を守れず、好きに振る舞う資格を得たのではないことも理解していた。
(M)代わりに、彼らは慎重にそれを使うことで力が増し、安全は目的の正しさや、他国の手本となる振る舞い、謙虚さや自制心から発することを知っていた。
(A)その代わりに先人たちは、自らの力は慎重に使うことで増大し、自らの安全は、大義の正しさ、模範を示す力、謙虚さと自制心から生まれると知っていた。
(Y)代わりに、慎重に使うことで力が増すことを理解していた。我々の安全は、大義の正当性や模範を示す力、謙虚さ、自制心からいずるものだ。
(M)我々はこの遺産を引き継ぐ。
(A)私たちはその遺産の継承者だ。
(Y)我々は、この遺産の番人だ。
(M)これらの原理に再び導かれ、解決により一層の努力が求められる新しい脅威に対抗できる。
(A)いま一度こうした原理に導かれることにより、私たちはより厳しい努力、つまり、より強固な国際的協力と理解を必要とする新たな脅威にも立ち向かうことができる。
(Y)こうした原則にもう一度導かれることで、我々は、一層の努力や、国家間の一層の協力や理解が求められる新たな脅威に立ち向かうことができる。
(M)我々は責任を持ってイラクから撤退し始め、イラク人に国を任せる。そしてアフガンでの平和を取り戻す。
(A)私たちは、責任ある形でイラクをその国民の手に委ねる過程を開始し、アフガニスタンの平和構築を始める。
(Y)我々は、責任ある形で、イラクをイラク国民に委ね、苦労しながらもアフガニスタンに平和を築き始めるだろう。
(M)古くからの友人とかつての敵と共に、核の脅威を減らすために絶えず努力し、さらに地球の温暖化とも戦う。
(A)また古くからの友好国とかつての敵対国とともに、核の脅威を減らし、地球温暖化の恐れを巻き戻す不断の努力を行う。
(Y)古くからの友やかつての敵とともに、核の脅威を減らし、地球温暖化を食い止めるためたゆまず努力するだろう。
(M)我々の生き方について言い訳はしないし、それを断固として守る。
(A)私たちは、私たちの生き方を曲げることはなく、それを守ることに迷いもしない。
(Y)我々は、我々の生き方について謝らないし、それを守ることを躊躇(ちゅうちょ)しない。
(M)無実な人々を殺したり、脅迫で自己の目的の実現を図る者に対し、告げる。
(A)自分たちの目的を進めるためにテロを引き起こし、罪のない人々を虐殺しようとする者に対し、私たちは言おう。
(Y)テロを引き起こし、罪のない人を殺すことで目的の推進を図る人々よ、我々は言う。
(M)我々の意思の方が強く、我々の意思を曲げることはできない。
(A)いま私たちの精神は一層強固であり、くじけることはない。
(Y)我々の精神は今、より強固であり、壊すことはできないと。
(M)我々の方が長く生き、そして打ち負かす。
(A)先に倒れるのは君たちだ。私たちは君たちを打ち負かす。
(Y)あなたたちは、我々より長く生きることはできない。我々は、あなたたちを打ち破るだろう。
(M)我々の多様な出自は強みであり、弱みではない。
(A)なぜなら、私たちの多様性という遺産は、強みであり、弱点ではないからだ。
(Y)我々のつぎはぎ細工の遺産は強みであって、弱みではない。
(M)キリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンズー教徒、そして無宗教者の国だ。
(A)私たちの国はキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンドゥー教徒、そして無宗教者からなる国家だ。
(Y)我々は、キリスト教徒やイスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンズー教徒、それに神を信じない人による国家だ。
(M)地球上の津々浦々から来たあらゆる言語と文化で形作られている。
(A)世界のあらゆる所から集められたすべての言語と文化に形作られたのが私たちだ。
(Y)我々は、あらゆる言語や文化で形作られ、地球上のあらゆる場所から集まっている。
(M)内戦(南北戦争)や人種差別という苦い経験もしたが、その暗い時代をへて、我々はより強くなり、きずなも深くなった。
(A)私たちは、南北戦争と人種隔離という苦い経験をし、その暗い歴史の一章から、より強く、より結束した形で抜け出した。
(Y)我々には、南北戦争や人種隔離の苦い経験があり、その暗い時代から出てきて、より強く、より団結するようになった。
(M)かつての憎しみはいずれ消え、我々を分け隔てた壁はいずれ消える。
(A)それがゆえに、我々は信じる。古い憎悪はいつか過ぎ去ることを。種族的な境界は間もなく消え去ることを。
(Y)我々は信じている。古くからある憎しみはいつかなくなり、民族を隔てる線も消えると。
(M)世界が小さくなるにつれ、我々が共通に持つ人類愛が出現する。
(A)世界がより小さくなるにつれて、共通の人間性が姿を現すことを。
(Y)世界が小さくなる中で、我々に共通の人間愛が現れることになると。
(M)そしてアメリカは平和の時代をもたらす役割を果たさねばならない。
・「オタクが嫌いなYHWです。特に女オタクが嫌いです。なんでそんなにホモが好きなんですか。」みたいな理由で街を滅ぼした。
・意地悪か天然か、道案内して数十年さまよわせる
・「ほら、私写真写り悪いから。像とか作らないでね。」
・豚が嫌い、だって私のご飯食べたから
・牛が嫌い、だってみんなが私を牛と勘違いしたから
・「私が新世界の神になる」
・「右の頬を打ったら左の頬も打ちたくなった。」
・「ご飯食べるのも良いけど私の話も聞いてね。」
・お酒を飲む人は嫌い
・でも、女ったらしや浮気性には結構おおらか
・無利子でお金を貸すよ!
・おおらか
・仏に軒下を貸したら母屋を取られた
・でも、すぐ慣れてそのまま一緒に暮らした
・でも一回キレた
・そしたら今度はキリスト教に怒られた
・「いーい?私の方が偉いんだから」
・「一発は一発だからね」
・「また生まれ変わっても……」
・マゾ
・煙が好き
・薬が好き
・ラリってる?
・「他人に優しくしないと怒るよ!」
・「借りた物は返しなさい!」
・「ちゃんとお礼を言いなさい!」
善行・徳を積めば神様が救ってくれるという考えはキリスト教の教義からして間違っているという話を聞いた
1,神は絶対である
2,神は何事も予定されている
もし人間が良いことをしてそれに神が哀れみを持ち、救うとしたら
それは人間が神に影響したということである
人間は神に影響できない。神は絶対である。従って善行を積んでも神は人間を救わない。
(そもそも何が善行なのかどうかというのは人間にはわからない)
ユダヤ教には「神の名前をみだりに唱えてはならぬ」っていう教義があるが
おそらくどうすれば「みだりに」ならないのか人間にはわからないため
今のように厳格に神の名を唱えないようにしたのであろう
つまり人間はなにもわからぬということである。終末のそのときまでは。
seventh heavenっていう言葉があってたしかライブハウス名とか曲名とかに使われていたが、7番目の天国って何のこっちゃと思っとったんだ。
どっかのろくに歌詞を吟味することもない阿呆な歌手が適当に、語呂の良さだけで作った造語だろうとずっと思っていた。
だが調べたんだが、どうやらユダヤ教や、昔の宇宙観に由来する、れっきとした言葉だった。
現在は天にも昇るような気持ちを表現するが、元々は7階層ある天国の最上界であり神と天使が集うところを表す言葉だとか。
7階層ではなく9階層と考えられていた時代OR理論?もあったとか。
まだ調査中。
追記;
宇宙観というか天文学か。しかし中世なんかは、星をそのまま天:神の世界のものと考えていたり、いまでもheavenly bodyといえば天体を表すし、当時にしてみれば似たようなものなのか。
用例:I'm in seventh heaven.
ちなみに
I'm on cloud nine.
でも無上の幸福を表す。由来は同じ感じ。