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はてなキーワード: 原始仏教とは

2024-06-11

anond:20240611174951

うん知ってる。これでも原始仏教から学んだんでね。そこは主題ではない

2024-05-16

もしかして原始仏教って

非モテ集団隔離カルトだったのでは

男性のみが入教を許され、女は女に生まれた時点で全員地獄行きになるという教えなんて弱男を慰めるために思いついたとしか思えない

インドなんて未だにカーストレイプ上等の国だもんな、一国の王子国民堕落を憂いて弱男を矯正するプログラムに生涯をかけたって言われたって納得する

2024-04-04

anond:20240404113122

ダンマパダ、スッタニパータ読みなよ

悪に染まるな近付くなっていうのも仏教の教えの一つだよ

禅と原始仏教は違うもの

2023-12-25

anond:20231224205347

フィクションオカルトスピリチュアルを受け付けない人向けに、いつからかは知らないが仏教は歩み寄っていて、そういう宗派が生まれている。

というか、ブッダは神や呪術否定していたし、仏教のコアの部分はほぼ哲学なので、原点回帰しているともいえる。

日本仏教は、日本に伝わってくるまでに、古代インド流行っていたバラモン教信者にあわせたり、中国思想にあわせたり、日本神道にあわせたりした結果、原型をとどめていないフィクションスピリチュアルもりもりになってしまった。

仏教は、相手にあわせて教えを説く「対機説法」というやり方をしているので、そうなるのはしかたなかった。)

で、仏教のコアの部分というのは「悟りをひらこう」というだけであり、これはスピリチュアル意味ではない。

自分とは何か?(自分というもの構成する必須要素とは?無くなったり変わったりしたら自分ではなくなる要素は?)」という疑問を突き詰めると、肉体や脳みそ意識記憶自分ではないと考えるしかなくなり、「本当の自分」とは「〇〇ではない存在」としか説明できない何かであるという結論にたどり着く。

この「本当の自分」のことを専門用語で「真我」とか「アートマン」とかいう。

で、哲学を突き詰めると「真我」という概念を、言葉としては説明できるという状態には、多少頭が良ければ誰でもなれる。

ただし、その状態ではそれを体験知識にできていない。「真我」というものを実際に見たり感じたりはできていない。

例えば、生まれつき目が見えない人でも光や色について勉強して言葉説明できるようにはなる。しかし、体験として光や色を見るという経験を積んでいない状態では、それを真に理解しているとはいえない。

「真我」についても、言葉説明できるようになっただけでは、真に理解しているとは言えない。体験知識にする必要がある。

悟りをひらくとは、真我を体験知識として理解するという意味である

悟りをひらくと何がうれしいかというと、絶対に苦しみを経験しなくなる。「苦しみを感じている肉体や意識」は「本当の自分」ではないから。

(ここらへん、にわか知識で間違った理解をすると離人症という精神病になるという話があったりなかったりするので、手を出すならちゃんとした専門機関、つまりお寺で教えを受けましょう。)

今苦しんでいる人に仏教必要である

今苦しんでいなくても、ほとんどの人はいつかは年老い病院のベッドの上か独居している自宅で苦しんで死ぬことになるので、それまでには仏教必要である

まあ安楽死する人や一瞬で苦しむ間もなく死ぬ人には必要いかもね。

ところで、オウム真理教って原始仏教勉強をしようという口実で人を集めていたらしいね

2023-03-16

原始仏教を学ぼう

仏教関連の話が上がってたので便乗。

仏教一口に言っても地域宗派でぜんっぜん違うというのは最近増田でも書かれてたかと思う。

全ては柔軟性というか仏陀本人が口伝しかさなかったこと、弟子が集まって何度も会議しても分裂してしまたことが現在の形に繋がっている。

そのせいで仏典ありすぎてキリスト教イスラム教みたいに聖書たるもの確立していない。宗派による。

その中で日本人ぼんやり宗教に抱く胡散臭さみたいな、ファンタジー要素は原始仏教には極力存在しない。

よくある輪廻転生天国地獄は元々はバラモン教の考えで仏陀バラモン教から抜け出すために仏教を作っているので採用していなかったが、後に合流してしまった。

さら偶像崇拝的に神様を崇めるなと教えてた。そんな仏陀が後に仏像を作られ他の神と変わらない崇拝を受けるのだから皮肉な話だ。

バラモン教が幅を利かせていた時代仙人になるための宗教なども他に勃興する中でよりよく生きようと考え広めたのが仏陀にすぎない。

どちらが良いかみたいな話ではないけれど、各地に広まり日本でも多数の宗派のある現代仏教大海に流れ海の水となった川の水のようなもので、原始仏教は山の中の湧き水のようなものだと思ってほしい。

膨大な歴史の中で多種多様宗派や考えが形成された仏教からこそ、その源流(とされる)原始仏教を、仏教歴史という視点でもって勉強しようぜ。

研究者中村元さんの著書から学べるのでお勧めだ。

anond:20230315201641

まぁ、だいたいは仰る通りやと思う。

現代仏教はクソだし今日日の寺がやってるのは全部金儲け儀式だよ。葬式説教すらマトモに出来んカス坊主ばっかりやし。

原始仏教もなんだあれ、なんであれを集団でやるんだって感じ

徒党を組まずに1人でやるか、せめてサークルみたいに軽くやれよと思うわ

1人でやらんのは間違った考えに陥った時に他の人がベリファイするためやね。友達おらん奴はすぐ思考蛸壺化してヤバくなるやろ。あれを防ぐためや。

まぁ現代人は2500年前のクソカス土人共と違って十分に「仏の教えが染み渡ってる」状態なので、出家とかせんでも仏教できるやろね。サークルとかSNSで問答するだけで十分や。

2023-03-15

anond:20230315193730

から仏教嫌いなんだよな

脅しなんだよな。そして語ってる奴がたいていウエメセ

「私は知っている」という立場で話すから

「俺、この世の仕組み見抜いちゃってるんで」って奴

から説法垂れたり、掲示板言葉書いちゃったりする

座禅で肩を棒で殴ったりもする

なんなんあの人たち

世の中の役に立ってる面もあるけど、証明できないものを信じてる時点でヤバい奴らなんだよな

そんなのに頼ってどうすんだって感じ

仏教をほわっと信じてる奴が多い日本で言ってもたたかれるだけなんだけどさ

仏教害悪だと思ってるよ

49日なんてないよ、根拠ないじゃん

戒名意味不明

原始仏教もなんだあれ、なんであれを集団でやるんだって感じ

徒党を組まずに1人でやるか、せめてサークルみたいに軽くやれよと思うわ

俺も自分の中に仏教的な教えが小さい頃に組み込まれちまってるから大人になっても困ってるんだわ

洗脳だよこれ

宗教二世どころか、宗教30世くらいかもっとか?

因果応報」とかさ、悪いことしたら悪いことが返ってくるとか、地獄に落ちるとか

輪廻だの悟りだの、お経読めば救われるだの、なんなんあれ

呪いじゃん

葬式も暗すぎて低い声でお経聞いてたらそりゃ沈むわ

そのくせ坊さんは肉も魚も食べるし結婚して子供作ってるし、普通人間じゃん

とにかく仏教嫌いなんだわ

統一教会みたいに取り締まって消してくれ

2023-01-02

anond:20230102002224

すいません、やや質問に対する解答がずれていたので

禅宗原始仏教に近いとは言われます

最初仏教と他の宗教の違い

宗教は神を信じるものだけど、最初仏教は究極の真理は自分自身で見れるから見てみという方法

戒・瞑想布施の果てに何を得るかの違いだけど、宗教は神を信じ、場合によっては瞑想中に神を見るがそれは薬による変性意識と同じ作用であって

神を一度見たとしてもいずれ凡に還る一時的ものに過ぎない

原始仏教は戒や瞑想の果てに一時的悟りを得る

それは神ではなく自身に対する完全な理解であり、傍観者としての意識であり、自分があるという見方消滅である(有身見の消滅

自分は無いという事が、思考でも感情でもなく言葉では表せない深い部分で納得してしま

神を崇める宗教と違うのは一度悟りを開いたら凡の価値観に戻ることが不可能な事

この不還こそが悟りの証であり、預流果という輝かしき門になる らしい

というわけで皆宗教やるならぜひ原始仏教やりましょう

2022-08-31

anond:20220830225149

平たく言うと従来のキリスト教人間から脱却して

合理的人間観とその公理論理の構築を目指し、それが後に実存主義として100年近く風靡したからすごいと言われる

仏陀などのインド哲学に触発されているのは確かだし、一致する見解も持つが

原始仏教実存主義であるように仏陀や他の哲学者と完全一致しているわけではない

2022-07-10

anond:20220710145140

カルト宗教含めたカルト依存させて金をむさぶ存在である以上、カルト宗教に頼る必要はないな。

悪いやつほど、一部良い面を見せて騙すのは知ってる。言っただろ?俺カルト宗教2世だって。そのカルト宗教原始仏教阿含経担い手を名乗る宗教だったか自分で調べてみておかしいと、親をカルトからやめさせるために色々勉強したわ。

もう親と絶縁したが。

2022-04-16

anond:20220415163053

自分が人の役に立っている感覚が無いと、人は一瞬で壊れる。

根本的に、それが真理なんだもの。それが悟りに達したということよ。

生きることは手段であって、それ自体目標にならないんや。

真理に達すると壊れてしまう弱い人間は、やっぱ仕事してたほうがいいな。

 

人生意味なんてないし、生きることに価値は与えられていない。

から自分で「人生目標」を立て、自分自身で意味を与えて生きていかないといけないという。

いつ悟りに達しても大丈夫なように、原始仏教を学ぼうぜ。

2021-04-29

自分のなりたいもの

原始仏教では犀の角にたとえられたが、夏目漱石は牛にたとえたもの

2021-04-02

anond:20210402183107

なんかとりあえず出家を優先してみましたって次元でもなさそうなんだよな。

ブッダはなぜ女嫌いになったのかって本の説明文がなかなか酷い。

ブッダとは「悟った人」の意味だが、その悟りへの歩みは、生後間もない息子に「ラーフラ(=邪魔者)」と名付け、妻子を置き去りにして出奔することから始まった。「人とかかわるな、交わるな」と説いたブッダは、「女の究極目標相手を縛り支配すること」と断じ、女の出家最後まで難色を示し続けた。ようやく尼僧を許可した後も、女の存在仏法を駄目にすると愚痴って弟子を悩ませる。この徹底した女性への警戒心、恐怖感はどこからきたのか。原始仏教経典精緻に読み込むことで見えた、生みの母、育ての母、妻との愛に苦悩する、知られざるブッダの姿。

2020-10-17

仏教は単に当たり前のことを言っているに過ぎない

こないだ、増田見てたら「私は悟った」みたいなことを言っていた人がいた。

単純に、非常に失礼だが、「馬鹿だな」と思った。

悪いけど、悟るなんてことはない。悟りを開くとか、生きて仏になるとか、そんな人はいない。

それは単に、仏教思想というか古代仏教思想の説いたことを誤って理解してしまったがためにそんな解釈を生んでしまったのだろうと思っている。

 

根本的に誤っているのは、原始仏教が生まれた背景をものの見事にみんな無視するからである

考え方がまるで逆で、当時の世間に流布していた思想からの脱却を、悟りを開いたとか、覚ったとか、多分そんな風に言ったのであろう。

要するに「輪廻転生」に象徴される、人は定まった運命の中でしか生きられないという、あの現代にも続くインドカースト的な考え方からの脱却に他ならなかっだ。

一切は空なりとは、つまり輪廻転生であるとか、そんな迷妄な考え方・思想には実体などない、そういう意味なのである

そんなの言ってたら、永久に人は苦しみから逃れられないと言っているようなものじゃないか、とゴータマは覚ったのである。これこそがほんとの悟り・覚りなのだ

から釈迦牟尼世尊の超絶的な苦行の話が逸話として出てくるのである、そうした苦行には意味がないのである

 

ところが、馬鹿無知民衆は、あの四苦、すなわち生老病死の「生」を「生きる苦しみ」と解釈してしまったのである。あるいは一切皆苦という言葉をこの世には苦しみしかない、などと全くの誤解をしてしまったのだ。

生老病死は、これは「死」は別なのである。これは四つではなく三つの苦しみ説く言葉であり、生・老・病の三つとも解決不能な苦しみのことを例としてあげたのである

この言葉は、人は、生まれてはすぐ死に、病んではすぐ死に、老いてはすぐ死ぬ、ということを意味する。

考えてみたらわかる。原始仏教は今から2500年前の劣悪環境インドで生じた思想である。人は生まれたら大半がすぐ死んだのである乳児死亡率は今とは比較にならない。病んだって、その多くは治療方法すらなく死んでしまうし、老いたって病院介護など期待できる世の中ではなかったのだ。

 

ブッダ達が言ったのは、古代インド思想輪廻転生などのそれ以前の問題として、解決不能の苦しみ(生老病死)があるってみんな知ってるじゃないか、だったらせめて解決可能な苦しみをどうにか解決していこうではないか、というコロンブス的な発想の大転換だったのである

 

このように考えれば、仏教はアホほど簡単なことしか言っていないことがわかる。

一切皆苦とは、修行者らに対するテーマのようなものである現実問題のみを解決していこうという超現実志向を表す言葉である

一切皆空とは、この世には実体みたいな、どうにも出来ないものなどないと見よ、という極めて強い教えなのである

諸行無常とは、輪廻転生みたいな、永久に変わらぬ事柄などない、という希望を与える言葉なのである

諸法無我とは、神のような存在意思に頼るのではなく、物事に対する法を見出し、その法に従って問題解決していこうじゃないかという、当たり前のことなである

 

こんなの、実際はすでに現代社会常識しかない。

みんな世の中に出て、例えば大人仕事という問題解決にあたっているはずであろう。

例え、どうにもならん問題があっても、ストレス発散くらいするはずだ。

少なくとも人権主義思想は、すべての人にとって平等社会の実現の根本思想になっている。

そして、私たちは、法律であったり、科学であれば法則であったり、マナーだったり、様々なルールだったり、あらゆる物事に対して法を実際に使っている。

 

まり、とっくの昔に、仏教など不要社会になってしまっているのだ。

私たちにとって、仏教は本当に単なる当たり前のことを言っていただけなのである、2500年も前に、だ。

から、悟った・覚ったとか無意味なことを言っても何の意味もないのである

 

但し、変な思想とか妄想に取り憑かれていてそこから脱出したのなら別だけどなw

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