善行・徳を積めば神様が救ってくれるという考えはキリスト教の教義からして間違っているという話を聞いた
1,神は絶対である
2,神は何事も予定されている
もし人間が良いことをしてそれに神が哀れみを持ち、救うとしたら
それは人間が神に影響したということである
人間は神に影響できない。神は絶対である。従って善行を積んでも神は人間を救わない。
(そもそも何が善行なのかどうかというのは人間にはわからない)
ユダヤ教には「神の名前をみだりに唱えてはならぬ」っていう教義があるが
おそらくどうすれば「みだりに」ならないのか人間にはわからないため
今のように厳格に神の名を唱えないようにしたのであろう
つまり人間はなにもわからぬということである。終末のそのときまでは。