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はてなキーワード: ユダヤ教とは

2008-06-24

http://anond.hatelabo.jp/20080624010451

ユダヤ教では食に関するタブーが数多くあったけど、キリストの登場でその戒律が要らなくなった、とかそういう感じの教理。

2008-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20080527005213

庶民じゃないところにはあった概念なわけでしょ?

ということはそういう概念誕生の芽みたいなものがあったとも考えられるわけだ。

そして重要なのはキリスト教イスラム教の元になったユダヤ教には処女という概念がなかったということ。

さらにクリスマスが実はヨーロッパ土着宗教祭りキリスト教布教以後にキリスト教のフリをして残ったってのは

有名だけど、そういう風にキリスト教イスラム教ってのは土着宗教の色が実はすごく強くて、

ユダヤ教由来のものよりもそっちの方が大きいくらいで。

つまりキリスト教イスラム教ユダヤ教を通じて関連づけるのは適切じゃないんじゃないかと。

そう考えると儒教の問題や古代ギリシャの問題も都市文化というくくりでなんとかなりそうな感じだし、

単純にインド農村文化だったんじゃないかと。

2008-05-19

http://anond.hatelabo.jp/20080519020909

ユダヤ教のほうが世界を支配していると思う、ってユダヤ陰謀論ってやつですか。悪いけどそんなオカルトを真に受けてるのも相当気持ち悪いよ。

それとそんなに排他的なのはやっぱり一部じゃないかなぁ。他の宗教でも排他的な方々は一部存在すると思うけど、宗教一般でなくキリスト教が特別そうだと思うのかな。まあ元増田さんがお会いになったのがキリスト教徒なんで他は知ったこっちゃないのかもしれませんが…。

あと「自由経済」が「キリスト教文化圏にある西洋を中心に発展し」はダウトじゃないかい?「西洋を中心に発展し」はそうかもしれないけど金融ルーツはまさにユダヤにあると言われてますし(それこそユダヤ陰謀論ルーツの一つ?)。ま陰謀論を否定しておきながら自分も勉強不足なんでその辺うかつな事は言えないんだけどさ。

気持ち悪い

最近キリスト教徒と会話することが多いんだけど、その経験を通してキリスト教徒ってのはわたしの中でちょっと気持ち悪い存在になった。

わたしが会ったキリスト教徒が熱心な信者ってこともあるかもしれないんだが、とにかくキリスト教世界を支配しているという認識が強すぎる。

実際にはユダヤ教のほうが支配していると思うんだけど、まあとにかくそんなのお構いなし。

彼等は今わたし達が生きている世界を取り巻く環境民主主義自由経済など―がキリスト教世界から誕生したことを重視していて、それをちょっと学問的な話をする度に強調していた。

確かに、そのような概念キリスト教文化圏にある西洋を中心に発展し、西洋イデオロギーがその後世界に拡散していったのは事実だろう。

わたしが気になったのは、それをキリスト教が優れた宗教・文化である根拠として、他の宗教や文化を見下していたこと。

非常に排他的なのだ。

もちろん、そんな考えを抱いているのはわたしが会ったごく一部のキリスト教徒に過ぎないのかもしれない。

だけど、彼等の印象が強すぎてちょっとキリスト教偏見を持ってる状態です。

何だか増田キリスト教徒を批判するのも嫌なんだけど、とにかく気持ち悪かった。

普通キリスト教徒の方。すみません。

2008-03-24

http://anond.hatelabo.jp/20080323225126

多神教だからといって異教と対立しないわけじゃないからね。

たとえばローマ帝国多神教だったわけだけど、キリスト教徒ユダヤ教徒と衝突してるし、人死にも出している。

ローマ帝国は、異教徒に、当時の水準で言えば十分に寛容だったろうが、ローマ帝国が弾圧を加えたこと自体は事実だ。

また、「神のものは神に、カエサルのものはカエサルに」ってのは、信仰とは切り離しての政治的な妥協を認める格言だ。キリスト教だって頭が固いばかりではないよ。

あと、日本仏教でも天台宗から批判されて(原因はそれだけじゃないにしても)幕府から浄土宗が弾圧されたりしてるし。日蓮宗は他宗派を激しく批判してるし。

2008-03-23

一神教を信じれば救われるなんて、妄想だ。

こうあるべきとする、たった一つの価値観を信じさせようとする行為も危うい。

イスラム教キリスト教ユダヤ教。根は同じ宗教なのに、

信仰する神様が変わってしまったから、

その一神教信者同士が喧嘩して、世界じゃ何度も戦争が起こったし、

今も戦争・紛争の火種になってる。

唯一、ほとんどの人が生まれながらに備えている価値観は、

「死にたくない」と「苦しみたくない」「気持ちよくありたい」であって、

一神教を信じれば救われる」も、「こうあるべき」も、

そのための手段に過ぎない。価値観じゃない。

手段には、目的に到達しやすいかどうかで、正解不正解があるといってもいいだろう。

そして、状況次第で、正解が変わるものだ。

ならば、一神教や画一的な「価値観」の押し付けは、

多くの人を死に至らしめ続け、苦しませ続けるという意味で、正しくない。

2008-02-21

お前は勘違いをしている

あの質問主は頭がおかしいわけでも何でも無い。宗教なんだよ。地下活動しているので知らなくても当然だが。

唯一神「ありがとう」をあがめるありがとう教の信者は、基本的には紹介制になっていて、近所の教会に飛び込みで入信するってわけにはいかない。というか、教会は持っていない。「この人は正しく倫理的で正義感にあふれ、礼の心を持ち合わせた強き人です」と既存信者に紹介してもらって、初めて入信の扉を叩くことができる。宗教と言うよりフリーメーソン型の結社と言っていい。

「ありがとう」は神の御名であり、軽々しく口にする事は冒涜に当たる。同様なケースはユダヤ教にも見られ、教徒は恐れ多い神の名(ヤーウェとも、ヤハベ、エホバとも)を日常口にするのを忌避し、その頭文字であるユッド(あるいはヨッド)で神の事を話す。この手の言霊信仰に近い考え方は世界各地に見られる。

ありがとう教において、唯一にして絶対の神の名は、正しい時と場所で、清らかなる心の元に発するものであり、軽々しく口にする事は万死に値する。一方で、基本的に地下組織的であるこの教団は、表立って「ありがとうを正しい心で」と布教できないため、信者は自分が選ばれたものであると言う自負と、愚民への怒りの間でさいなまされる事になる。

「ありがとう」という秘儀がこのように公の場で語られることは珍しい。だが、それに正しく応じているものがいることは、これが単なる怒りの発露ではなく秘密の通信の一部であることをにおわせる。たぶん「チチキトク・スグカエレ」で麻薬取引の合図とするような、何らかの取り決めがあったのだろう。

それにしてもうかつだっのではないか。意図ぬこととは言え、これほど一般から注目を浴びてしまっては、教団内部での地位が危ないのではないか。モーツアルトフリーメーソンの秘儀をオペラ魔笛」の中で漏らしたために殺されたとも言われている。この二人にどのような運命が待ち構えているのか、深く考えるのは避けておく。

ちなみに、ありがとう教のほかにも、おはよう教、しんせつ教、すみません教といった、秘密教団があってそれぞれ活動している。ぐぐっても引っかからないが、公安マークしているし、時々民俗学雑誌で話題になっている事がある。

http://anond.hatelabo.jp/20080221105632

2008-02-05

ん?おれはすでに実行してるよ

http://anond.hatelabo.jp/20080204225725

いや、人類大虐殺計画wじゃないけど、アフリカ子供たちのために募金したことも、阪神淡路大震災被害者を救う義捐金を払ったことも全くない。

ネパール子供たちに学校をとか、小児心臓病のxxちゃんの移植手術のための寄付を、なんてのも一度も協力したことない。

ユダヤ教徒とイスラム教徒が殺しあったり、キリスト教徒イスラム教徒テロ戦争が起きたりしても、愚かだなあとは思うが心痛めることもあまりない。

2007-11-18

ホロコーストがあったのかなかったのか。

色々調べたが、私にはそれを確かにどちらかといえる情報は見つからなかった。

ユダヤ人は他の民族よりは差別されていたし。ユダヤ人ってのはユダヤ教信仰する人と家族だから実は民族じゃないけど。

ゲットー押し込められたり、刑務所に入れられたりを強制されていた。それは事実らしい。

そしてアンネフランクチフスになって、ナチス治療された。でも死んだ。オットーフランク治療のかいがあって戦後までいきていた。それも事実らしい。

つまりそう言うことなのかな。

2007-11-17

宗教が嫌いだ

ユダヤ教キリスト教イスラム教はどれも戦争殺戮を生み出すキチガイ集団にしか見えない。

神道仏教については特にどうとも思わないが、戦前神道とか今の創価は狂ってると思うので、単に目立つかどうかの問題なのかもしれない。

日本人はまともな宗教教育を受けていないからオウムみたいなのに騙されるのだ」と偉そうに語りながら、選挙の時に同性愛妊娠中絶の是非ばかり気にするアメリカ人には心底「お前が言うな」と思う。

そういえばイギリス人もそんなことを言っていた気がする。お前が言うな。

特にカルト宗教を含む新宗教(というかほとんどすべての新宗教カルト的に見える。少なくともwikipedia新宗教カテゴリに含まれるものは全部気が狂っているように見える)は馬鹿らしい。

知っている限りの宗教はすべて功罪両方あるが罪の方が多く、全人類宗教など捨ててしまえば少しはマシな世界になるのではないかと常々思う。でも白人は宗教がないと無差別に隣人を殺し始めるのかもしれない。

オウムの時に「最近若者勉強ができても頭が悪いのでオウムなんかに引っかかるのだ」とさんざん言われたが、昔の若者のほうがよほど頭が悪かったのでキリスト教イスラム教が普及したのだろう。

それでも、もし選挙に「すべての宗教を禁止します! あれは阿片だから!」と言って出馬する議員がいたら顔をしかめて罵倒するだろう。「今どきアカかよ」「阿片って麻薬って意味じゃないんだぜ! Wikipediaに書いてあったから知ってる!」くらいのことは言う。思想の自由は大切だ。弾圧とかするべきではない。

願わくばすべての宗教自然消滅しますように。

2007-08-08

善い自分と悪い自分の戦った結果だよ(善悪二元論)

http://anond.hatelabo.jp/20070808133311

「心の中の“善い自分”と“悪い自分”が戦っている」というのも、ここでいう「動機」のうちに入るかな? 一元論じゃなくて二元論だけど。

・善い自分が勝てば、勤勉とか誠実とか謙遜とか慈愛とか自制といった結果につながる。

・悪い自分が勝てば、怠惰とか不誠実とか傲慢とか憎しみとか貪欲といった結果につながる。

人間行動は、この“善い自分”と“悪い自分”が戦った結果として表れるもの。

といった感じのもの。

この説の信奉者は、哲学者心理学者よりも宗教家に多いかも。特にキリスト教。元ユダヤ教ファリサイ派だったパウロ言葉とか。

人間が善悪二面を持つのは、「人間は神の像に造られたので本質的に善だが、後にアダムとイヴが禁断の木の実を食べた時に悪の心が入った」とか、そんな感じだったっけ。

#これもやや単純化しているきらいはあるけど……

あと、「性欲だよ」と「死への恐怖だよ」はコインの裏表、という説もあるかも。生への欲求と、死の嫌悪。

2007-06-21

http://anond.hatelabo.jp/20070621024329

はじめに言っておくと、宗教を擁護する立場じゃないよ。個人的にはあらゆる宗教に対して全く逆の立場だよ。神やら仏やらがいるって立場からの説教まじうざい。たいてい、信じてない言うとキレるし。

本題。極端な話、頭ではたとえ嘘(というか、「私が神である」って言うのと同じくらいにありえないナンセンス)とわかっていても宗教をやっていることに価値はあると思うよ。宗教そのものから何の利益が得られなくても、むしろ損害を与えられるとしても、それでも価値はあるかもしれないと思う。

例えば、やめようとする信者に対して、うんざりするような超長時間にわたって説得をしたあげくいざやめたら嫌がらせするとか、そういうカルトがあったとする。すると、このカルトから抜けることによって人災を蒙るわけだ。なら、やる気のない一信者でいた方が得かもしれない。

例えば、ある宗教の信者の中には、やめた信者に対して、宗教に対する敵対と思いこんで凶行に及ぶ狂信者がいるかもしれない。極めて無神論に近い思想で知られる哲学者スピノザは、ユダヤ教を破門された際に襲われていたりするし、現代でも、悪魔の詩の作者ルシュディとその関係者はイスラム教徒によって抹殺されたり、されかけた。

上記ほど凄惨なことにはならなくとも、なお人間関係などにさまざまな影響が及んでしまうのは避けられないだろうし。もちろん、抜ける場合だけではなくて、新たに入る場合にも人間関係に大きな影響があるだろうけれども。人間関係のためにやめられないって人間は多いと思うよ。入信したが最後、人間関係以外の点で面倒なことになってしまうこともあるし。多くの人はあえて面倒なごたごたをしてまで檀家やめようとは思わないでしょう?

もちろん、宗教が無ければこんな面倒は無かったって意見もあるのだろうけれど、既に存在しちゃってるのだからしょうがないじゃない。大型家電の廃棄に金掛かりますというなら、持っててもいいやってなる人がいるのも頷ける話でしょう?

余談だけれど、宗教は消えて欲しくても宗教建築物なんかは残して欲しい。個人的なところとしては、神社好きだし。

2007-06-20

http://anond.hatelabo.jp/20070620001103

今の状態でエホ証やめちゃったら、家族関係その他どうなるかな?

きっと害があるんじゃないかな?

やめたことで害があるなら、やめるべきじゃないんじゃないかな。

やめるのは、害があると判断してからでいいんじゃないかな。

ユダヤ人として育てられ、いまでも自分の伝統に対する忠誠心から安息日やその他のユダヤ教習慣を守っている私の友人は、(中略)神を、歯の妖精子供の抜けた歯を金に換えてくれるといわれる妖精)よりも実在する見込みが高いものとはみなしていない。

――リチャード・ドーキンス 『神は妄想である』

あ、でも、勧誘来ても断るよ。

2007-06-16

Re:anond:20070616131605

ユダヤ教安息日はそうだね。でもあれ土曜日の終わりまでじゃなかったっけ。キリスト教だと復活の7日目なんで日曜日

日付フォーマットであるISO 8601では月曜日からカウントアップするので、データフォーマットでは月曜始まりを基本にして切り替えられる様にしてあるのが

カレンダーソフトなんかには多い。

2007-04-30

休日とは本来宗教意味がある

http://anond.hatelabo.jp/20070430183954

休日とは、元々は宗教意味のあるもの。

宗教儀式のための祭日が祝日になっている事も多いし、

日曜日休日なのは、一週間のうち一日は仕事を休んで、神様の崇拝のために取り分けておくユダヤ教の教えに影響を受けたもの。

なので、何もすることのない人は、あなたの信じている神様に日頃の感謝のお祈りをしてみましょう。

えっ? アイ・アム・ゴッドだって? まあ好きになさい。

2007-03-21

そうはいってもだ

http://anond.hatelabo.jp/20070321150102

人間生きていればつきあいってものがあるからねぇ。私は宗教なんて信じないから、って、社葬に行かなかったり、赤い服着ていったり、手を合わせなかったりしたら、社内コミュニケーションがとれなくなるでしょ。茶碗のごはんにお箸を突き刺してると、同じテーブルについてる仏教の信者がすごく嫌な思いをするんじゃないかね。ユダヤ教信者の前で卍マークをちらつかせないよう配慮することだって、広い意味でいえば宗教行為といえるよね。アラブの国に旅行に行けば、空港降りたときにアッサラームアライクムってよびかけられて、こっちもアッサラームって答えるんじゃないかと思うよ。富士登山するじゃない、そうすると山道のラスト、山頂入口には鳥居があって、それくぐりたくないから鳥居をよけるってそれもどうなのかなー。サッカーでも野球でもグラウンドに礼とかするの、他のみんなが揃ってやってるのにひとりだけ頭下げないってできるのかなぁ…?

なんとも思ってなくても、親のため、子のため、会社のため、あいつのために、頭も下げるし手も合わせる、それが人生だと思うし、その行為で無信心っていう信念が汚されるわけでもないんじゃないかと思うが、どうだろ。

2007-02-18

http://anond.hatelabo.jp/20070216194832

少なくとも自分と同じ世代(20代半ば)では、キリスト教ユダヤ教でも、
生活と宗教が密着しているという人にお目にかかったことはない。

生活と宗教が切り離せないというのは、教義に従うかどうかというよりは、
自分の社会属性を表明するときに宗教を用いているという意味でのことだと思う。

日本人が「宗教に走ったら負けかなと思ってる」のは、
それが宗教に参加するというよりは、別の宗教への改宗だからじゃないのか。

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