はてなキーワード: タブーとは
「れいわ新選組に入れた?ヤベー、こいつに関わってはいけない…」
1990年代までは日本の政治では、政治家や政党を批判することはあっても、選挙で投票する有権者を批判するのは左右問わずタブーだった気がする。
そのタブーがタブーでなくなってきたのは、小泉政権が誕生してからだと思うがどうだろうか。
小泉政権が誕生した当時の政権支持率は70%を超えていて、その時は国民の熱気というものを肌身で感じた。
小泉政権を支持していたのが、それまで政治に関心を持っていなかった無党派層であるが、2000年代初期から政治に熱狂する無党派層を揶揄する声や報道がなされている。
「B層」という、それまで聞いたことも無かった言葉が生まれたのも小泉政権が誕生してからである。
2005年の郵政選挙と2009年の政権交代で、有権者批判の流れは更に加速して来ている。
そして、今回2021年の総選挙では有権者批判の声は普通に聞こえるようになっている。
流石に政治家や政党は言わないにしても、匿名のネットでは上記の煽りが普通に流れていて、この20年間で日本の民主主義は変質したよね。
恥ずかしながら、30歳くらいだけど、選挙でどこ入れたらいいかよく分からない。
政策も、まとめサイトで比較するくらいでしか理解できないし、それを頼りに好みで入れてる。
これまでの政治的な変遷とかを加味したり、結果どうなったかとか考えるまでに至らないし。
質問項目みてさ、じゃあ辺野古基地は進めるべきかどうかとか、憲法改正すべきであるとか言われても、どっちが正しいかなんて分からないし。
恥ずかしながら、現状維持でっていう考えになっちゃうんだよね。分かんないから。
こうやって30代になっていいのか?ってすごい不安だよ。
あと、つるむ友人によっても意識が違う。
大学くらいまでの仲間は投票に行くのからまず、当たり前って思ってる人が多いから、色々話せる。
高校までの仲間は、そもそも政治の話なんかよりタブーだし、なんか意識高い系に見られてしまうようで話づらい。
みんなどのくらいの意識持っていってるの?
性がタブーとして扱われる風潮の中でタブーであることと性的興奮が結びついてしまったからっていざやったら馬鹿馬鹿しいだけだろ?
俺は他人のを3回ぐらい飲んだけど味が薄すぎて単にしょっぱいだけでつまらんかったぞ。
その後自分のを10回ぐらい飲んで研究した結果、濃すぎたら濃すぎたで別に性的に興奮しないことが判明した。
瞑想の中でのべ100回ぐらいそのことがチラついたことがあるがその中である日答えが見えたよ。
オシッコをさせる、飲む、飲ませると行った行為によって相手の行動を支配する力があると自分と相手にアピールしたいだけだ。
小学生が大人に一方的に殴られることで失った自己効力感をいじめられっ子への暴力によって回復するのと大差が無いんだ。
なんのことはねえ自分は本来トイレですべきオシッコをベッドでさせることができるし自分のしたオシッコを相手の口にシュート出来るという単なる儀式だ。
簡単だ。
ぶちまけたんだよ。
オシッコを俺達の頭の上にな。
100円で買ったものに10分で加工をして1分でツイッターに投稿するのじゃ意味はない。
奴らがオシッコをぶちまけることで興奮しているのは1億人から叩かれるリスクがあるからだろ?
なあそのリスクをタダ取りされるなんてムカツかねえか?
ちゃんと払わせてやろうぜ
苛ついてきただろ?
こないだの総裁選で岸田さんの当選が決まった時、地元の広島はそれなりに盛り上がった感を演出してたわけよ。
それなりだけどねあくまで。
俺なんか地元民なのに、あの人に対する印象なんか、それこそプラスもマイナスも全然なかったし。
それでどっかのニュース番組が「新総理に期待すること」みたいなのを街頭アンケートしててさ。
ああいうのにありがちな、円形のシールをみんなでペタペタ貼っていくやつだったんだけど、その中で「核廃絶」には数えるほどしか入ってなかったの。
シールが貼られてたのは「コロナ」とか「景気対策」とか「社会保障」とか、そういうのばっかり。
まあ当たり前っちゃ当たり前だけど、これが現実なんですよ。
もちろんね、「この際日本も核武装しましょう」とか、別にそういうわけじゃないの。
今でも広島で「あなたは核廃絶に賛成ですか?」って聞いたら、たぶん他県出身者含めても8~9割は行くよ賛成。
そりゃそうなるよ。みんなそうだから。もうタブー化してるから。
でもそれは単に上の世代から信仰とタブーを形だけ受け継いだからそうなってるだけで、お経の具体的な中身なんか割とどうでもいいわけ。
たまーにそんな空気に異論挟もうとする奴がいて、そういうのは今でも結構ボコボコにされるんだけど、
それだって自分の感情を込めてるというよりは「みんなそうしてるから」「ローカルルールに違反したから」「和を乱したから」みたいな理由でしかなくて、みんな無心で無表情でそいつ殴ってんの。
怖いよね。
当面捨てるつもりはないし、表向きはそりゃもう大事にしてるんだけど、本当のところ強い思い入れなんか持ってなくて、優先順位で言ったら相当下の方でしかない。
そのうちモノホンの仏壇みたいに、親が死んだらいよいよ持て余して、今の憲法と一緒に捨てることになるかもしれない。
だから当事者の生き残りが今でも必死になるのはよくわかるんだけど、例えばあのICANとかああいう人らって、まあよほど生活に困ってねえんだろうな。
一般庶民のレベルだと、他に気になること心配することが多すぎて、そこまで考えてらんねえもん。
うらやましいわ正直。
「容姿批判や言及がタブーな社会になっても、容姿を気にせずに生きられるような価値観は生まれなかったよね。」
これはどんな新作映画・ドラマにもゲイ・レズのベッドシーンを当たり前にいれられるようになったアメリカも頑張ってて
例えば太ってるキャラが周りを気にして痩せようとすると、そんな愚かな選択やめろ!!と周りが止める→痩せなきゃ魅力的なんておかしい、今の私がサイコー(周り拍手)
みたいなのをすごく頑張ってる
その代わりに台頭したのが「自己研磨しないやつはクソ」という価値観
渡辺直美がかっこいいといわれインスタのトップにいるのは自己研磨を評価されているからだと考えている。
「気にせずに生きられる」のことを、さぼっても褒められる、って意味でいってるならそれはありえない。残念ながら。
頑張らないやつが報われず、頑張ったやつは報われる、そう悪いことじゃないと思う
どんな国にあてはめても、そこそこいい結果になると思うけどね
容姿イジリがタブーした一方、恋愛や結婚の相手には美男美女を選びたいという本心はそのまま。
この二つが悪魔合体した結果「容姿ではなく中身で選んでいるという建前を掲げつつ美男美女を選ぶ」ことになり、「選ばれれない奴は中身が悪いから選ばれない」ということになる。
一層ブスの肩身が狭くなってると思うよ
最近、いわゆる「見た目イジリ」みたいなものを始めとした相手の容姿に言及するコミニュケーションが徐々に淘汰されていってて、それ自体はとてもいいことだと思うんだけど
一方で、芸能人から街行く人まで、求められる容姿や身だしなみのレベルはどんどん上がってるような感じもするんだよね。
アイドルとかも今とんでもなく綺麗な子ばっかで、10年前のAKBとか(あくまで一例です)が流行ってた頃や、さらにそれ以前と全然違う。
芸能人じゃなくても男女問わず30代以下(書いてから思ったけど女性だともっと上か…?)くらいの世代から高校生まで皆すご〜く身だしなみキレイにしてる。
もちろんあの頃みたいな「ブスイジリ」「ダサいイジリ」は行われないし
という体でみんな色んなことを話すんだけど
「とはいえ綺麗な方がいいな」「ちゃんとしてなきゃ相手にされないな」的な内心はみんな昔より強くなってて、その抑圧がめちゃくちゃ強く存在してるというか。
インスタやtiktokで「あくまで自分のためにやってる」という形で日々突きつけられてるというか。
※追記
雑にダーって書いちゃったんだけど、アイドルの話とかは少しズレてたかもしれんし、容姿/身だしなみの区別もぼやんとしてたわ(とはいえなかなか区別できない部分もある気はするが)
とりあえずコメントにある
ある自殺者の親の文章が目に入った。息子がうつ病だなんて全然知らなかった、助けを求めてほしかった、話を聞いてあげたかった、という。胸が締め付けられる一方で、親にそんなこと言えるわけがない、と思う自分がいた。
私は小学校低学年くらいから、親に悩みを打ち明けることができなくなった。きっかけをよく覚えている。学校でいじわるをされた、という話をしたら、親が泣き出したのだ。ギョッとした。いじわるをされたことでどれくらい傷ついたのかは覚えていない。親が泣いたことの方がインパクトが強かった。親が私の悲しみを共有してくれたというよりは、私がそれを伝えたことが親を傷つけた、というように感じられた。この時の心の冷える感じが、私は未だにおそろしいのだ。
この嫌な感じを分解してみると、一つには親が私のことを完全に自分自身のように思っているらしい、という恐怖がある。自分のことのように悲しんでくれる、と言えば聞こえはいいけれど、私の悲しみや怒りを受け止めてほしいような時に、相手の方が全く同じように傷ついてしまったら困るのである。そんな人危なくて頼れないし、だいたい不気味である。
もう一つには、そうやって親が自分のように思っている私、というのが、全然私自身じゃない、という気持ち悪さだ。今日いじわるをされた、と言っただけで、詳しく状況を説明したり、私がどんな気持ちになったかを言う前に親は泣き出した。そんな反応は私自身の事実とは何も関係がない。この人はこの人の中で勝手に作り上げた私について泣いている、そう思うとこっちは悲しいというより、引く。
こういう体験を一度すると、自分の悩みを親に伝えても何にもいいことがない、と学んでしまう。感情のケアをしてもらえるわけでも、建設的な意見をもらえるわけでもなく、私が親をただ傷つけた、という痛みだけが残るのだから。誇張じゃなく、親のからだに刃物を突き立てるのと同じくらい、タブーに感じる。
それから20年以上、私は親に悩みを打ち明けなかった。表面的な話はするけれど、何を考えてるのかは絶対に知らせない。いきなり結論だけ報告することで、私はあなたとは別の個体だからね、とアピールし続ける。そういうやり方で通してきた。
私も20になってからずっとうつ病だし、しょっちゅう死にたいと思っているけれど、親にそんなことを言ったことは一度もない。元気なふりしかしてない。元気じゃない時は怠惰なふりをしている。親の心を傷つけるのが怖いからだ。
いきなり死なれるショックよりは、死にたいと打ち明けられるショックの方が軽いことくらいわかっている。わかっていても、打ち明けるよりは死ぬ方が簡単というか、現実的なように思える。だって自分が死んだ後のことなんか想像しづらい。自分が死んだことによる親の悲しみは私に返ってこないけど、死にたいって打ち明けた場合のそれは返ってくる。そっちの方が現実的にしんどい。
それでも、自分が死んだことによる親の悲しみを想像して今の私に返ってくるしんどさで、死なないことを今は選べている。でもうつが重くなって視界が狭まってきたらその想像もきっとうまくできなくなるんだろう。そうなったら死んじゃうかもしれない。
子どもがなんのサインもなく逝ってしまった親はかわいそうだし、相談してほしかったと思うのは当たり前だと思う。でもね、小さい頃からそれができなくなるように育てられたんだよ。いざ死にたくなるほど追い詰められてからそれまでと違うことなんかできないんだよ。
私は死んでないし、親も死んでない。でもここから関係が変わって、もっと心を開いて関われるようになる日が来るとはとても思えないし、そうなってるのを想像することもできないんだよな。