はてなキーワード: らするとは
なんだかみんなすごい。
みんな生きてて本当に偉いなーと思う。
今ワイは700円のナポリタンを食って、すべき事も何もせず無為にスマホをいじるみたいな日常を年明けまではとりあえず送るつもりで、でもワイが惰眠をむさぼるに等しい生活を送ってる間にみんな生きてる。
辛い感情表に出さずに押し込めて、苦しいけど笑ってる奴。
誰かの悪口にも実はあいつ本当は優しい奴なんだよって言いたいけど言えない奴。
愚痴ツイとか見てると、自分は何のうのうと生きてんだって気持ちになる。
でもやる気は出ないんだよな。
なんでかわからんけど、一度やる気が出ない状態になると全くやる気が出ない。
本当はやりたいはずなのに、ずーっと頭にもやがかかったみたいな状態になって、無目的にふらふらする。
その間生きてるって感覚が全くしないから、有象無象たちの生命力みたいなもんを吸収したくなって、近所の治安の悪いエリアをぶらついたりホラー小説とか映画を観まくる。
でもやる気なんて出てこなくて、やる気なんてやってから出るものだよっていう誰かの言葉をワイは知ってるけど、そのやりたいことをするためのやる気が出ない。
つまりやる気を出すためのやる気が出ない。
恐らくワイが学生でとりあえずは自分でまだ金を稼がなくてもいいという恵まれた身分にいるからなんだろうけど。
だが、自分は今やらなきゃ明日死にますよぐらいのひっ迫した状態にならんとやる気が出ないんだろうな。
言いたいのは、やる気を出さなきゃいけないのにぎりぎりまでやる気を出さないワイみたいなクズがいるので、画面の前の貴方が自分頑張れてないなって悲観してたらそれは大丈夫ってこと。
おまえさん、生きてるだけで頑張ってるで。
うーん、やる気が出ない。
フォロワーにブロ解されてた。
そこそこ付き合いが長くて、そこそこ仲がいいと思ってたフォロワーだった。リアルで遊んだり飲みに行ったりしたこともある。
まあTwitterをやるうえでブロックだのブロ解だのリムだのなんだのはよくあることなので、ショックは受けたけどしょうがないかなと思って流していた。
なんか嫌なこと言っちゃったのかもしれないし。
そのフォロワーとは複数のアカウントで繋がっていて、メインで使ってたのとその裏垢みたいな鍵垢とか諸々、全部で3つのアカウントがブロ解されていた。フォロワーはお気持ちも何もせず普段通りにツイートしている。
そっかーと思いつつもう1つ繋がっていた鍵垢を見に行ったら、まだフォロワーのままだった。もちろんこちらからのフォローもしている状態。
わかんねーーーーーーーーーーーーーーーーー。
普通全部ブロ解しない?俺ならする。本当にこいつ嫌だなと思ったら全部ブロ解して関係切る。
もしくは1つのアカウントだけが嫌ならそれだけブロ解するかもしれない。
でも3つブロ解してもう1つのはブロ解しないの、なんで?
ブロ解し忘れた可能性もあるけど、明らかにブロ解されてないアカウントの方がツイートが多かったしお互い身内ノリ用だったからフォロワーも少なかった。
(この勢力は何万兵士がいるから…とか、そんなこと頭の中でシミュレーションすることに意味ある?
自分はそんな不確実で十分でないデータを検証することにひとかけらも意味があるとは思えない。)
そういうのではなくて、もう少し歴史というもの、戦国だけでなくて日本史だけでなくて
世界史なんかも眺めつつ、だいたい歴史ってこういう流れになるよな、
さらに日本の中世を加味して考えると…とかって視点で考えれないかな。
まあ、なんやかんや言い合いしたところで結論なんて出ないからする気は全く無い。
ただ自分は日本の中世を終わらせたのが秀吉の天下統一事業であると考えているのだけど
増田の場合には信長の登場の時点で中世が完全に終わっていると捉えているんだと思う。
それが正しければ、秀吉の事業を過小評価しているのはむしろ増田の方では?
地方都市在住、近所にスタバが出来た。満を持して行ってみるとする。
事前にチェックしておいた新作のフラペチーノはとても美味しそうだった
寒い日に温かいお洒落な店内で飲むホワイトチョコレートのフラペチーノ、きっと幸せな時間になるだろう。
店のドアにはマスク着用と消毒を要するという表示。
感染症対策の認証店にもなっているらしく安心してドアを開けた。
満員である。
舌打ちが出そうになる。
正確にいえば1,2席は空いているが、前に並ぶ彼らが座ればもう席はなくなるだろう。
どこか空かないか観察しながら並ぶが、いっこうに空きそうにもない。
レジカウンター前の対面の長テーブルをアクリル板で1席ずつ区切った10席ほど。
しゃれたソファ席に座らせてくれとはもう言わない、一人客だしその固そうな椅子でいいから空かないか。
空かないのである。
高校生か大学生か知らないが教科書やら参考書やらを広げ、ノートの広げ、蛍光ペンを放り出し、狭い個人用スペースの端に申し訳程度に飲みかけのラテが置いてある。
ノートPCで作業している奴1名、ただスマホをいじっているやつ1名、
友達同士で来ているのかアクリル板をよけてたまに会話している奴もいる
なんなら教科書を広げながらたまにLINE漫画開いてるい奴もいる。せめて勉強しろ
長テーブルだけでない、カウンターやソファ席にもちらほらいる、「勉強するヤツ」。
少なくとも1時間以上はそこにいる、ひどければ3~4時間我が物顔で勉強するヤツ、あれ
だってどう見ても店内は満員じゃん、レジには長い列じゃん、でも「おっと混んできたなそろそろ帰るか」とはならないじゃん、そこが自分ちのように勉強し続けるじゃん。マジで頭に入るの?満員のスタバでザワザワしてて時に私のような客に憎悪を向けられながらする勉強は身につくのか?その一杯で何時間粘るんだ?店員さんはどう思ってるの?家じゃダメなの?塾とか学校の自習室とか図書館とかダメ?コワーキングスペースとかもあるじゃん?スタバでしかダメなの?なんで?
ノパソパチパチとかスマホいじるとか打ち合わせらしきものをしてるとか、
そういうものにはあまり感じないのになぜか勉強しているヤツには腹が立つ。
私の前の人が店内利用か持ち帰りか聞かれている。
「店内無理ですよね?持ち帰りにします」
店員さんが頭を下げる。
私の後ろに並んだおばちゃん二人組が会話している。
「これは…座れないね」
「私、席とっておこうかな」
「じゃあ私が注文しておくね。何にする?」
「えーっと、カフェオレの中くらいのやつ?」
「うんうん、わかった」
スターバックスラテのトールではない、カフェオレの中くらいのやつと言ってしまう。
そんなおばちゃんを、冷えのつらい年齢のおばちゃんを外に座らせてまでスタバでする勉強は君たちのためになるのか?
レジで私の番が来た。
「今、店内利用厳しいですよね…」
「申し訳ございません、テラス席ならご利用になれるかもしれませんが…」
楽しみにしていた気持ちはすっかりしぼんでしまったが、コーヒーくらいは飲みたかった。
さっきのおばちゃん二人組が前の席に座っている。
夫婦の夫のほうが上着を脱いでベビーカーの赤ちゃんにかけてやる。
私はガラス張りの店内を見つめる。
器用貧乏で、何やっても大成功はしないが、少成功ならするタイプ。
せどりによる副業もやっぱり半年で本業の半分くらいの収益に達した。
合わせて月15万くらいか。
1000万プレイヤーがごろごろいる増田では鼻で笑われるだろうが、
底辺が仕事の合間にやる副業としては失敗まではしてないと思う。
その他、ネットで調べれば出てくることなら、それを真似してそれなりにこなせる。
そりゃソースは見るに堪えないスパゲッティだがバグなく動くものは作れた。
何のエキスパートにもなれないが、最低限、あくまで最低限は取り繕える程度にはそれなりにこなせる。
ただ、絵だけは、絵を描くことだけは本当に全く、何の芽もない程に駄目だった。
絵は昔から好きだ。妄想体質であり、自分の妄想を形にするのが好きだ。
しかし私が描くりんごはナスになり、動物を描けばSAN値を削るクリーチャーになる。
デッサン教室、各種オンライン講座、対人・無人問わず。本も大量に買った。
社会人になって使える金が増えて、トータルで5年200万は自己投資しただろう。
そこに存在しているものを写し取ると言う基本的な作業ができない。
同じサイズ、同じ形で隣に描くことすらままならなかった。
本人は完璧に写し取っているつもりなのだが、できあがってから重ねると、
重なるところがないくらいにまったく別の形になる。
ある意味で才能がマイナスに振り切った結果、新たな価値を生み出しているが、
なんで真円を写し取ってるのに、できあがったものは角張った楕円なのか。
本当にどうしようもない苦笑いしながら言った、その講師の言葉は心をえぐった。
これからも、私は大成はせず、細かな少成功の積み重ねで生きていくのだろう。
別にうまくなくてもいい。人なら人、犬なら犬と認識できるレベルの絵で良かったのだ。
しかし私にはその才能がなかった。
「世の中で語られてる『モテない男がモテない理由』の大半は、暴力性を身に着けた途端に『モテる理由』に早変わりする気がするんだよな。」
ってやつ、
女性達のアンケート結果で第一印象の良い男性の特徴が「にこやかな笑顔」「親しげに話しかけてくる」などで
第一印象の悪い男性の特徴が「ニヤニヤした顔」「なれなれしく話しかけてくる」などになってて
モテたいならする事は「暴力性を身に着ける」じゃなくて「暴力性を捨てる」だろ
暴力性を捨てれば「ニヤニヤした顔」が「にこやかな顔」になり、「なれなれしく話しかけてくる」が「親しげに話しかけてくる」になるんだよ、逆じゃねーよ
なんで女性のアンケートの結果を素直に見れば暴力性を捨てた方がモテると分かるのに明らかな逆をやろうとしてるんだよ
それともライバルを減らしたくてわざと嘘を振りまいてんの?
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/89010?media=frau]
この記事を読んで自分は今、ずいぶん前に振った恋人に、ようやく失恋したらしい。
そして、「佐藤との時間に面白味を感じられなかったのかもしれません。新しいインプットが佐藤からはもらえなかったというか」。
この言葉が頭に流れ込んできた瞬間、脳みそ溶けそうなくらい泣いた。なんでかはわからなかった。
でも、ちょっとずつ、言葉に、カタチになってきたので、このネットの隅っこに書き残させてもらいたい。
生まれて初めての、両想いの恋人だった。大好きだった……と思う。
就活をして、社会人と話して自分の人生の在り方を考えているうち、相手の世間知らずさにいらいらすることが増えた。
増えた、と言うか、今まで見て見ぬふりをしていたものが噴き出しはじめたのだと思う。
自分に尽くしてくれる良い人だと思っていた。自分の夢を応援してくれる人だと思っていた。でも、あの人の夢を、自分は知らない。
あの人は、この一度きりの人生で、いったいなにをしたいんだろう?
あの人の生き方に疑問をもった瞬間、急激に気持ちがさめた。気の迷いかもしれないと思って数カ月は耐えた。
でも、無理だった。このまま一緒にいるのはお互いの時間の無駄だ、と思ってさようならをした。
よくある別れ方だと思う。
数日間はさすがにかなり落ち込んだ。(振った側のくせに勝手なものだが。)
最後の日の、元恋人が泣く情けない姿も声も、言われたイタイ言葉も、ぜんぶ脳裏に焼き付いて離れなかった。
自分がわるかったのか? しんどかった。
でも、その次の週、今めちゃくちゃに好きな推しをテレビで見つけてしまった。
行った場所、たべたもの、思ったこと。なにげないことを報告できた人がいなくなって、からっぽになったぶんを埋めるように、推し活にのめりこんだ。
それから今までずっとずっと、「別れてすっきりした」「推ししか勝たん」と、自分にも、周りにも言い聞かせるようにして過ごしてきた。
実際、別れてからというもの急に就活が上手くいきだしたり、勉強に集中できるようになったり、良い事の方が多かった。
共通の知り合いから、あの人が「理詰めで振られた」と話していたと聞いた。
「あの程度で理詰めと思うなんて、社会舐めてるw」そう思った。
ほかにもたくさん、あいつがくすぶって、ダサい生き方をして、おもんないツイートをしていることを聞いた。なんなら見た。(バカすぎ。しにてえ。)
ダサすぎて、不器用でしょうもなくて、面白みがなくて、逆に笑っちゃった。でも、笑った後は、いつも虚しい。
Googleフォトのハイライトに表示される3年前の自分が、もらったアクセサリーを身につけた笑顔の自分が、
そういうところが好きだったんじゃなかったの? と、問いかけてくる気がした。
別れの理由が、「世間知らずだから」とか「一緒にいても得るものがないと思った」とか。
自分でも なんて最低なんだ、と思った。そういうところも受け止めるのが「愛」だと思っていたはずだったから。
あの人を愛していたはずの自分が、"悪者"で"酷い人間"になるのがつらくてしょうがなくて、理論で武装して、自分を正当化した。
「理詰めで振られた」、本当にそうだった。今なら元恋人の言い分を認められる。
あの人の心に傷を残してしまった(かどうかはわからんが…)自分のことを、何よりも自分自身が一番許せなかったんだと思う。
別れたことで今自分は幸せなんだ、自分は正しかったんだ、と思いたくて。
そんな自分と、そんな醜い自分の心を悲しむ自分が、ずっと戦っていたんだと思う。
そんな風に、ぐちゃぐちゃともつれた糸みたいな思いを抱える日々がダラダラと続いていたが、今日、冒頭に紹介したこの記事に出会った。
伊藤沙莉の演じたかおりと自分は、記事を読む限り、少し似ているように思う。
「普通」がイヤだったのだ。いろんなことに首を突っ込んで、少しでも周りと違う自分でいたかった。
あの人は「その向上心が好き」と言って後ろから見守ってくれていた。
「佐藤との時間に面白味を感じられなかったのかもしれません。新しいインプットが佐藤からはもらえなかったというか。」
これだ、と思った。この言葉が身につまされすぎて、涙が止まらなくなった。
自分の抱えていた思いは、これだった。
消費者でしかいられないあの人に、面白みを感じなくなったのだ。
出会った頃のあの人は、不器用だけれど必死に考えて、ものづくりをして、独自の世界を表現しようともがいていて。そこが好きで、尊敬していたのに。
いつのまにか消費者の立場に甘んじるようになったあの人が醸す「きみ"は"すごい」という空気が、限りなく居心地悪かった。
そして、それに続く伊藤沙莉のもうひとつのことばが、自分に"赦し"をくれた。
「佐藤と一緒にいて、アウトプットばかりすることに疲れてしまったのではないでしょうか。」
疲れてしまった。ああ、そうだ。そうなんだ。
自分は、疲れていたんだ。
やっと、「面白みを感じない」のは「疲れる」んだって気づけた。一緒にいて疲れる。それは十分に別れる理由になると思う。
とんだ最低で薄情な人間だ と、心のどこかで自分を責め続けていたけれど、ほかのひとも抱えうる気持ちなんだと知った瞬間肩の力が抜けた。
これも、さよならするための十分な理由にしていいんだ、と思えた。
めっちゃくちゃ泣いた。ようやく、「自分はこれでよかったんだ」と心から思った。
「別れた方が楽しい」とかいう、自分を正当化するための逆張り感情ではなく。
Googleフォトでアーカイブに入れて目に入らないようにしていた元恋人の写真や、LINEのスクショ。
それらを一枚一枚手に取って、眺めて、ひとつひとつ噛みしめながらゴミ箱へ移動させた。思ったよりも枚数が少なかった。
3年、ながいようで、みじかかった。キラキラしてた。ようやく、あの人のことが好きだった自分のことも、認められた気がした。
60日後の自動削除を待たず、ゴミ箱を空にした。めちゃくちゃ泣いた。
長かった。別れてから結構経って、ようやくじわじわと傷ついて、悲しんで、懐かしんで、「今までありがとう」を心から言えた。
半年分くらいは出たんじゃないかってくらいの涙に乗って、あの人を嗤ったどす黒い自分も流れ落ちていった気がした。
ポジティブな意味で、あの人のことがどうでも良くなっていった。
あの人に「大口叩いて別れたくせに大した人間になってないじゃん」と思われるのが怖くて、デキる人間でいようと気を張っていたけれど、それもどうでもよくなった。
そして、「女々しい」だの「味しねえ」だの文句を垂れた推しの失恋ソングを聴いて、泣いた。
今まで自分は"失恋を"していなかったから、歌詞の気持ちがわかんなかったんだなあ。
そんなわけで、別れを告げてかなりの時間を経て。伊藤沙莉のことばのおかげで、私は失恋した。
ようやく、後ろを振り返らずに、前だけを向いて歩いていける気がする。
ここまで付き合ってくれたみなさん、ありがとう。
私と同じように自分を責めているひとに届くことを、願ってます。