はてなキーワード: 楽天家とは
そこを叩いてるわけじゃないでしょ。
少子化しても移民を拒んでも「みんなが平等に」「必ず衰退」しなければならないわけじゃない。
社会全体でも、個々人でも、幸せになる努力や、発展する努力は可能だし、していこうという決意は個々人の自由だよ。その自由意志を、一部の絶望したひと(この場合上野)に外部から勝手に決められたくはないわけ。
今回の上野千鶴子さんは著名な社会学者であり思想家であるところが非常に大きな問題だったわけだけど、Webみれば(はてなブックマークなんかでもすごく多いけれど)「日本はもう終わった。滅亡だ。楽天家はアタマが悪い死ね」系のコメントが山のように見つかる。日本が不景気で低成長で最悪の国家なら、世界の殆どの国は治安も経済も日本以下だ。100点じゃなきゃ0点でも同じだってのは程度の低い絶望であって、それはほとんど日本に対するネガキャンなんだよ。
そもそも、いまAIや医療を始めとした「ひとが少なくなっても社会を豊かにする技術」が研究されているし、その成果は出つつある。そういう方向に従事しているひとも期待している人もいる。鈍感なひとが無視しているだけで、一般的な職場だって省力化がどんどんすすんでいる。技術ではなく、社会体制に至っては、国民間の合意で変えられるのが政策なわけだ。ネガキャンに関わっていては「今よりまし」を目指せないわけ。
「未来は変えられる」んだよ。それを「気楽だ」「現実を見ていない」という人間は、歴史を学んでないだけだ。たかが一世代まえにはスマホはなく、二世代遡れば個人用PCすらないようなのが地球の歴史なんだから。
たしかに今日本は、厭世的な、悲観的な空気が蔓延しているかもしれないよ。でもだからといって、頑張ってるひとや、希望を持ってるひとを、叩いていい理由にはならないんだ。
イジメによる子供の自殺が問題になってる件で、「自殺するくらいなら不登校になればいい」とコメントされるのをよく見かける。
理由はさまざまあるだろうけど、私は親が不登校を許さないからじゃないかと思ってる。
皆が皆そうとは絶対言わないけど、私はそうだった。
自分の親はむしろ「いじめられるお前が悪い」と言い捨てるくらいだったから、不登校になんかなれないし、ましてや転校させてもらえるなんて夢のまた夢。
いじめられる子に「どうして親や家族に相談しないのか」と不思議に思う人は、世の中には子供がいじめられてると知ったら「お前の性格が悪いからいじめられるんだ、どうして普通に出来ないんだ」と子を叩く親が居るのだと知ってほしい。
それでも世間は「どんな親でも敬うべき」という風潮がまだまだ根強い。
残業が多いので先に帰ったほうがご飯を作ったり、
協力して楽しく過ごしていた。
意見をしたこともあったけど、そういう時は必ず
「なんで俺を否定するんだ」か、
「感覚だしそこまで考えてない」のどちらかで話にならなかった。
考えてないと言われた時点でダメだと思ったが、
私にはどうすることもできなかった。
彼の腕はどんどん落ちていった。
希望するようなところには入れず、かなり不満があるようだった。
大変だけどやりがいもあるし同僚や部下にも恵まれて毎日がとても楽しい。
すると夫は私に張り合ってくるようになった。
などと言えたりしたのだろうか?
と言っていたのを思い出した。
わかりすぎるは良くないのかもしれない。
東京新聞:戸惑う自衛隊員 集団的自衛権 議論を注視:政治(TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014052590070215.html
「そんなケースが今まであっただろうか? 極端な事例で、今後も考えられない」と切り捨てる。
東日本大震災まで、「原発事故が今まであっただろうか? 極端な事例で、今後も考えられない」というのがまかり通っていた。新幹線では、今まで重大な人身事故は起こっていない。しかし、今後も事故のことを全く考えなくて良いわけではあるまい。
日本人は、東日本大震災で「想定外」を持つことの恐ろしさを知ったはずだが、ある種の楽天家は例外のようだ。
反対するのは自由だが、その反対理由は「デメリット」などを中心にすべきであり、「そんな極端なことは怒らないから考えるだけ無駄」というのは単なる思考停止、いや思考放棄でしかない。
現在24歳。高2の頃に学校に行けなくなった。うつ病と診断された。高校に紹介された精神科に通うようになった。
それから引きこもったり、バイトをしては無断欠勤を繰り返したり、
一か月に一度は「トイレ以外でベッドから一歩も出られず、食事も一切採れない日」が2日~3日続いたりして、
まあ当然バイトをクビになって、「私はどこに行っても使い物にならないポンコツのゴミ、死ぬしかない」と大量服薬して吐いたり、
3か月間くらい一切家から一歩も出られなくなって引きこもったり、またバイト探したり…と散々だったけど、
名刺交換も最初は震えながらしていたし、頭が真っ白になって相手の言っていることが何もわからなくなったりもしたけど、
最近ではそういう場にも慣れた。以前の自分を取り戻したな、という感じがする。
そして、学校に行かなくなって6年目のあたりから、勤怠と対人能力が安定しだして、回復を実感するようになった。
私は以前、自分をストレス耐性の強い楽天家だと認識していて、かかっている負荷を"無かったこと"にしていて一度潰れた。
負荷には、今後の成長に繋がるものと、何の発展性もなくただ人を潰すだけのものがあると思う。
(ブラック企業の話にもつながるところ。激務でも高給を与え、成長しやすい環境を与え、
元従業員が起業したり転職したりで成功している人が多い企業は叩かれないが、
低い給料で従業員を酷使し、自殺者や精神病の患者を生み出している企業は「人材の使い捨て」と叩かれる)
つまり生きていくためには、負荷の種類に自覚的になり、自分の状態を客観視して、
できるだけ「自分をすり減らしながら耐えている期間」を長引かせないことが大事なんじゃないか。
その期間が長ければ長いほど、回復にも時間がかかり、大事な時間を無駄にすることになる。
今思うのは、メンタルの調子を既に崩している人のケアだけでなく、一見普通だし、ストレスに無自覚な人へのケアの重要性。
スキルス性うつ病とでもいうか。早期発見が重要なので、メンタルの定期健康診断とかあるといいんじゃないかな。
形骸化するかな~。
普段は、mixiなどに引きこもっているのですが
ここだと、いろんな人の意見が聞ける&発信出来るということで、
書き残そうと思います。
とりあえず俺のことを簡単に書きます。
ぶっちゃけ1年前までは棒人間すらまともに描いたことありませんでした。
が、売れない。
何を血迷ったのか専業作家へ。
が、売れない。
そんな折、とある知り合いの方がエロ漫画家としてプロになったと聞きました。
彼が
「3年やれば誰でもプロになれる可能性があるよ」
といった言葉を言いまして。
「このままじゃ俺もジリ貧だ。
そして人生再出発。
まぁ、当然ですが絵を描いたことのない人間が絵を描くとこうなります。
俺の記念すべき?一日目の絵↓
※FC2は直リンだと画像見れないのでURL貼り付けでとんでください;
http://blog-imgs-47-origin.fc2.com/d/e/z/dezidouzin/20120219185526f91.jpg
まず線がまともにかけないことに驚く。
描ける気がしない。
ですが、まぁ、俺は楽天家なので
当時は絶対いけると思ってました。
そして一年経った今の絵です(一応、裸婦なので未成年は見るのを控えて下さい)
http://blog-imgs-51.fc2.com/d/e/z/dezidouzin/wewe32.png
http://blog-imgs-51-origin.fc2.com/d/e/z/dezidouzin/mosdsds.jpg
怪しい部分満載ですが、なんとか人間に見えるようにはなりました。
絵を描けるようになって、同人ゲームなど、自分のイラストで制作しています。
DL数はちょこちょこ出ているので、足を引っ張ってはいますが、
なんとかユーザーから見放されないレベルにはなったとは思います。
この一年、家に引きこもり美術書や指南書を読んで書いて真似して、
「上手くならん。もうやだ」とか「俺には向いてないかも…」と
何度も挫折と逃亡の危機はありましたが
それでも、続けたことによって、俺の右手に少しだけ光が灯ったような気がします。
もし、エロ漫画家になりたい人がいて、けれど一年でどれくらい成長するのか
気になってる人がいたら、参考になれば幸いです。
ちなみに練習時間はまちまちですが、受験生の勉強時間よりかは少ないと思います。
練習方法は、ジャックハムとかルーミスとか漫画デッサンを学ぶ系の指南書を読んでかいたり
好きな作家の模写したりを繰り返しました。学校とかはいってないで独学です。
ブログの更新回数を見ればわかりますが、30日毎日描いてることもあれば
一ヶ月逃亡してる時期もあるので…汗
http://dezidouzin.blog.fc2.com/
いつか、目標となった彼に追いつくよう、今日も俺はエロい女の子を書き続けます。
目指せ、エロ漫画家!
(親には言えない叫び)
住宅街におけるネズミの増加が深刻だ。どこで深刻かというと我が家だ。
昨晩日も暮れ雨戸を閉めようとしたところ戸袋に隠れていたねずみが驚いてそのまま家の中に入ってきた。
部屋を密閉して家族総出で1時間以上探したが見つけられない。もうどこかに行ってしまったものと諦めつつもねずみ取りシートを設置し、部屋を後にしたら小一時間して超巨大なねずみがかかっていた。コレほどの巨躯なものがいったいどの隙間に隠れていたというのだろうか。なんという罰ゲームなのか。ネズミシートをパタンと畳んで新聞紙でくるんでビニール袋へぶっこんで燃えるゴミへ。なんだこれは。命とはなんなのか。
2~3年ほど前からネズミが屋根裏を歩くようになり、まもなくして家への侵入を許した。ネズミのダニは酷く噛まれるととてつもなく痒いうえ数ヶ月消えない跡になる。最初に異変に気がついたのはダニに噛まれたせいである。
天井に埋め込んでいる照明に通風口があり、そこから落ちてきたものと推測される。トタトタと歩く音に気が付き、これはもしやネズミなのではないかと気がついた。部屋に黒い紡錘状のちいさな糞をみかけたのと時期を違わず、まもなく食害にあった。ネズミにより齧られたビニール袋を見ればいかな楽天家でも対応をせざるを得まい。
天井の埋め込みライトを数十万かけて工事してもらい侵入口を家の周りに探したが僅かな隙間もみつけられなかった。木造建築ではない家の隙間を探すことは人間には難しい。ネズミ一匹とはいうが、きっと下水あたりのトラップを食い破って経路をつくったのか、もしかしたら屋根側の通風口からはいってくるのかもしれない。木造ではない建築がかえって対応を困難にさせる。ビルにも出るというので個人宅の努力など柄杓で海を救うが如くなのやも。
祖父母の代からこの地域に住まっているが、ついぞねずみなどというものを見掛けたこともなかった。しかし近隣に10階以上のビルも増え住宅の密集度があがったことが原因か、我物顔で庭を歩くネズミを見かけるようにもなってしまった。日中に道路を横切るねずみを見かける。わずか数年でだ。どこぞで殺鼠剤でも食ったであろうネズミが庭先で死んでいることもあった。いったいなんだこれは。
都内の地下鉄の線路の上をねずみが優雅に歩いているのを見かけるようになったのは10年ほど前だろうか、朝早くにはJRの線路でも見るようになったと思ったら、いつの間にか我が家にまでご来場されてしまった。フリーパスなど発行した覚えはない。他人ごとと思っているかもしれないが、都市化が進む以上、時間の問題だ。ゴミの夜間集積などでカラスがいなくなったと思ったら今度はネズミがやってくる。
色々試したが、有効な対策方法は駆除以外にない。粘着シートが一番だ。
殺鼠剤はダメだ、どこかで嗅いだこともないような匂いがすると思ったら徹底的に探せ。どっかの誰かが殺鼠剤を食わせた死骸があるはずだ。死骸からダニが広がる。早めに見つけて殺虫剤をまいておけ。天井裏や床下で死なれないよう万全を期して天に祈れ。
ネズミ忌避剤は人間にも香りが強い。しかも、すぐもどってくる。
超音波の装置は2~3個買った。「クマネズミとドブネズミに対する超音波防鼠器の効力試験」を読んだのは最近だ。数万円を投じた身には寂しいことが書いてあった。なんという。
ネズミの家族が引っ越してくるたびに捕獲をする。家に入られるまえに庭先のスノコの下などで捕獲する。滅ぼしても滅ぼしても半年ぐらいするといずれかの場所で増えてきてまたやってくる。全滅しても王様のもとに戻るだけだとか教会があって復活させてくれるのかもしれない。いったいトムの相手のねずみは何代目だというのだ。青いタヌキがネズミ相手に地球破壊爆弾を使いたくなる気持ちもわかろうってもんだよ。
この1ヶ月で3匹捕まえた。これを捕まえておかないと1ヶ月後に況や不逞の10匹を攻防戦を繰り広げ斃すことになる。我軍の被害も甚大だ。地域ぐるみで共同戦線を張らないといけないのだが都市部ではネズミの波状攻撃がヒトの連携を上回る。これではねずみごっこである。
1970年以前はほとんどがドブネズミであったものは現代はクマネズミであるそうだ。
クマネズミの商業地域から住宅地域への分散が1990年半ばより急増し2000年ごろをピークに相談件数が減っている。
http://www.city.meguro.tokyo.jp/kurashi/hoken_eisei/eisei/nezumi_gaichu/nezumi/index.html
しかし、確実にその勢力範囲は広がっているのだ。
ねずみはいつかやってくる。
覚えて置いて欲しい。やられる前にやっつけろ。君の大事な耳を齧られる前に。
多くの若者が会社を立ち上げ、明日のザッカバーグの夢を見ている。
(その夢の姿は往々にして『ソーシャル・ネットワーク』そのままだ。)
だがきっとその夢は一生叶うことはない。残念ながら。
グレアムの言葉にしたがって楽天家を演じている日本人起業家の皆さんは
私に向かってこう言うだろう。「どうして君はそんなこと言うんだ?
俺たちは世界を変えるんだ。大変かもしれないがそれは不可能ではない。Facebookを見ろ。」
オーケー、オーケー、確かに起業家は世界を変える力を持つ。それはすばらしいことだ。
自問してみよう。残念ながら違うことに気づく筈だ。あんた方はただの”タレント”だ。
それはこう言い表せる。
”変質的なまでの人物志向、つーかプロダクトなんてクソ食らえ!!”
日本のスタートアップ環境は、企業の評価を人物のみで行う。その人が有名であるか否かでだ。
有名人がプロダクトをリリースすれば、クソみたいなプロダクトでも盛んにRTされ、絶賛される。誰も使わないが。
一方、無名の人が素晴らしいプロダクトをリリースした場合、それはほとんどフックアップされない。
さっきRTしてた連中は、TechCrunchに取り上げられるまでは自分から面白いサービスを見つけようとしないし、
そもそも面倒くさがっている。うーん、話が見えづらいかもしれない。つまり、こういうことだ。
アメリカ「このFacebookってサイトはCoolだね。誰が作ったんだ?ザッカバーグか。すごいな。」
日本「あのザッカバーグがプロダクトリリースしたぞ!!すごい!すごい!さすがザッカバーグ!で、何てプロダクトだっけ?」
圧倒的なまでの人物本位。プロダクトは二の次。プロダクトを生み出すのが起業家なのに!!
「でも、その人物に実績があれば良いじゃないか。僕はジョブズが何か新しいことをすると聞けば
ワクワクするよ。彼はいつも素晴らしいプロダクトを生み出してきた実績がある。」
オーケー、確かにその通りだ。それは認める。僕だってiPhone5には期待している。
だが実績の面でも日本のスタートアップは何かがおかしい。例えば日本では、
”学生”というだけで起業家が評価される。まだプロダクトもリリースしていないのに!!
(そして、実際リリースされるプロダクトもだいたい・・・だ。悪いけど。)
実績評価においても日本のスタートアップ環境は”プロダクトなんてクソ食らえ”を貫いているわけだ。
涙が出るね。いやほんと。
こんな状況で今恐ろしい事態が起こっている。素晴らしいプロダクトを生み出す人よりも、
Blogで名前を売るのが得意な人のほうに注目が集まっているんだ!!彼らはBlogに時間をかけて、
”いかにも起業家でござい”というようなことをしきりに書く。読者に”この人はすごそうだし、何かやるぞ”と思わせるわけだ。
そして注目が集まった時点で起業する。あとは、さっき言った通りクソみたいなプロダクトがでて、RTされて、誰も使わず終わる。
でもカンファレンスとかに呼ばれて、”僕は起業家だ。”というどうでもいいプレゼンをする。彼らは残念ながら、
”自分を売り込んで偽装する才能”はあるが”起業家としての才能”はない。
まだ信じられない人がいるかもしれない。だが見てみろ。Twitterでは、
自分のプロダクトが流行っていないのに、自分の考え方を熱心に説いてる自称起業家がいっぱいいる。
彼らはタレントだ。当てにするな、耳を塞げ。ほらあっちにも起業家だ。
Blogでは良い事ばっか書いてるが、リリースされたプロダクトはクソだ。あれもタレントだ。
残念ながら、この状況で日本からGoogleやFacebookを生み出すことを期待するのはよした方が良い。
日本のスタートアップ環境は、薄暗い部屋でコードを書き続け、未来を作っている薄汚いギークよりも、
世間の空気に媚びへつらい、自分を偽装するのがうまいタレントを欲している。ジョブズは何で有名になった?
Macという素晴らしいプロダクトだ。ページとブリンは?Googleという素晴らしいプロダクトだ。家入一真は?
ロリポップという素晴らしいプロダクトだ。決して、人物から有名になったわけではない。今の状態が続けば、
素晴らしいプロダクトは生み出せないが起業家ぶるのが上手い人物だけがのさばることになる。
そこに渦巻くのは自己欺瞞だけだ。”世界を変える”なんていうのも、陳腐なパフォーマンスに成り下がる。
もし、この記事を呼んで状況を変えたいと思う人がいるのであれば、
代わり映えのしないBlogやTwitterをたたんで、雑音を閉ざし、
そのプロダクトを誰がやっているのかは関係ない。ただただ素晴らしければ、
力になってあげれば良いんだ。プロダクトのみが自己表現。そんな人だけを見つけよう。
PS.
この記事を読んだ”優秀なタレント”の皆さんは、その能力をフルに生かして、
上手く”自分はタレントでなく、起業家だ”と偽装することに成功するだろう。
今からでも想像できる。例えば、「僕はこうならないように気をつけている。毎日。RT...」
みたいな感じでだ。クソ食らえだ。文を書くのを辞めろ。プロダクトだけで自分を語れ。
http://anond.hatelabo.jp/20110308212302
元エントリーは「よくない」ばっかりで、「悩んでる人はそんなこととっくにしってるよ!それができないから悩んでるんじゃないかお!」だと思うので、できるだけ「それをどうすればつまらなくならないのか」を具体的に書いてみる。
この考え方は、誰にでも合うわけじゃないと思う。エニアグラムで言えば、5(研究者)のタイプに向いてる考え方で、5の得意なことを生かしながら、7(楽天家)の要素を取り入れていい感じにしようって事かも。エニアグラムはツリー読んでてさっき知ったばっかりだけど、自分で診断したら 5と7が突出してるタイプだったので参考までに。追記: 指摘を頂きました。エニアグラムでは5に7が合わさると良くないらしいです。書き終わってからエニアグラムというものがツリーにあるのを気づいて診断したので、以下の内容にエニアグラムは一切関係ありません。内容が心理学的に崩壊してるのかは俺には判断できません。安易に心理学の用語を使ったことをお詫びします。あくまで俺の経験に基づくやり方であって、心理学等の体系的な学問に基づくものではないということを念頭において読んで下さい。
元ネタに合わせてタイトルつけたけどいまいちだった。あなたの人生はつまらないって言い方、それこそだるい。考えてるときも、やってしまってからそれを見直してるときも、つまらないなんて感じた事は無いし。本心としては「沢山考えて生きる人の考え方」にしたい。
これはあらゆることを、自分の経験や知識にしようとすることなんだ。
一つの事実に対して、様々な角度から思考実験をし、客観性の高い見方や自分自身にあった見方に繋がる可能性が深い思考にはある。ステレオタイプな見方や決めつけにはまらず、リテラシーや認識力を育てるために深い思考は役立つ。
一つの見方に固執して深く掘り下げるのではなく、一つの事実に対して様々な角度から掘り下げるられるようになればいい。そうすれば、一見関係ない事実の裏にも他の経験とリンクする部分があることに気づき、経験や知識の応用が利くようになる。物事の共通点を見出せるのは大きな武器になる。これは、物事の表面だけ見て思考停止しているのでは得られないことだ。
大体、深読み思考という呼び名が「だからネガティブッ」って感じで命名がよくないと思う。思考してる=ネガティブ=よくない、なんて短絡だ。深読み思考の良い呼び名を考えたかったんだけどスーパー認識タイムとか変なのしか思いつかない。
極度の反省で悪循環に陥らないために必要なのは、「自分が良いのか悪いのか」に拘らない事。「自分がそのとき良いと思ってやったこと」についてあとから「良いと思ったこと自体」に対して反省してもたいして得るものはないよ。それどころか周りから見ると、被害妄想や自己中やかまってちゃんに見られてしまうから注意だ。(追記: 反省とお詫びをしっかりわけてやろう)
例えばバグのあるプログラムを作ってしまったとしよう。バグを作ってしまったことを悪い悪いと反省していても何の解決にもならないし、経験にもならないよね。まずはデバッグしないといけないし、そこからバグの出にくいプログラミングを学ばなければならない。
反省が生きるのは、「自分が何をしたか」「それによってどんな影響がまわりにあったか」「そしてどういう結果になったか」を自分だけの視点でなく、様々な角度から再体験したときだ。それは経験のデバッグとも言える行為だ。デバッグを繰り返すことで、バグの出にくいプログラミングが身についていく。
反省は、過去の過ちを許してもらう為にするんじゃない。成長する余地があるからすることなんだ。沢山反省してしまうのは、沢山成長したいことの裏返しなんだよ。だから、これからの為に反省すればいい。
実際よくあることだけど、
これ真に受けてたら、思考×反省タイプの人は前に進めない。だからネガティブだと言われても真に受けるな。
反省してると「あんたってほんとネガティブだよね!」→反省は経験を無駄にしないために、次にいくために、成長するために必要なこと。上でも書いた通り、「自分が悪い悪い」の反省にはたいした意味はないけど、ちゃんと経験を検証する反省なら次に繋がる。先の為に反省してんだよ。過去を無駄にしないために反省してんだよ。これのどこがネガティブだっていうんだ。
諦めて見直してやり直そうとしてると、「あんたってほんとネガティブだよね!なんですぐ諦めるの!」→先に行くために諦め=決断と効率の良い見直し=反省は必要なんだよ。途中で諦めてもちゃんと見直し=反省して次に生かすつもりなんだから、ネガティブじゃないよ。むしろ、失敗を認めず、まずいまずい無理だーと思いつつやり直せないでぐだぐだに成長せず続ける方がネガティブかもしれない。まあそれを世間では頑張りなんて言うので、そこはうまく結果出して認めさせるしかない。
先の反省と繋がるんだけど、反省を前向きにできるようになるとリスキーな選択でも決断できるようになるから、同時に優柔不断さは収まっていくのだと思う。
優柔不断を改善するのに必要なのは、生きてる時間は有限なんだって考えること。すっごい単純だけど、人があれこれ考えて途中で思考を打ち切る時って、殆どが「考える時間と見合わせて結果でペイできないから」なんだよ。生きてる時間も考える精神力も有限だし、真の答えではなく、近似的な答えでどっかで計算を打ち切らないといけないなんてことはしょっちゅうある。
「考える時間と見合わせて結果でペイできないから」をもうちょっと説明してみる。
ずっと考えてる→いつまでたっても実行できない→実行されないから反省の機会がない→反省(デバッグ)の経験値があがらない→経験値があがらないから思考精度があがらない→思考精度があがらないからずっと考えてる→ループ
時間が勿体無いから思考を途中で切り上げてとりあえずやってみる→実行→反省(デバッグ)の経験値があがる→経験値があがるから思考精度があがる→思考精度があがるから、少ない時間で思考を切り上げて実行に移せるようになる→ループ
投げやりですまないけど、時間は有限だからとりあえずやってみるというのがとにかく必要だってことだよ。
成功体験。成功の味を知ること。逆からいうと負け癖をつけないってことなんだけど、そういう言い方すると反省するのがいけないとか失敗がいけないって思う人いるからそう考えないで。とにかく、成功の味を一度は知らないと、人はそのためにリスキーな選択や冒険をしようとはなかなか思えないんだ。
自分で、成功の味を味わうのが難しかったら、だれかからおすそ分けしてもらうのでもいい。成功する人の応援をする、手伝うとかで、少しずつでも成功するということがどんなに気持ちいいことなのか味わえばいい。
だいたいこんな感じだと思うんだけど、
4つの思考のうち、先の二つを磨くことで、あとの二つを変化できるってことになったよ。ってことは、もともと二つが軸なのかもしれないね。
そしてそれは"直す"ようなものでもなく、生かせるように磨いていけばいいんじゃないかな。
(ちょっと上級者向け: もっと言えば、深読み思考は事実の認識、反省は経験の認識でどちらも認識をどうするかという一つの問題になるんだ。そして、そのどちらも「一つの事実に対して様々な角度から掘り下げる」という所を磨けばいい。深読み思考の所に書いたことも、反省の所に書いたことも、結局同じ事な気がするよ)
仕事って、二つの側面があると思うんです。
求人広告なんかでよく、「やりがいのある会社です!」書いてあるけど、対価はどうなんだろ。
対価とやりがいは、8:2くらいの割合で対価に重きを置くバランスが適切。
やりがいはあるけど給料は安いより、給料は高いけどやりがいはないという方が割り切れると思うのです。
で、たまにやりがいと対価の区別がない人がいます。
誰かの役に立とうとしたら、成功していたという感じの人。
金儲けをしようと頑張っていたら、誰かを助けていた人。
これは、究極だと思うんです。
やる事がはっきりしているというか、自己証明だけに向き合えるというか。
どうしたらこの状態に入れるのかなぁという事なんですが、何も考えない事だけなんじゃないかと。
やりがいと対価を別々の価値観として提示されてきたので、どうしてもそこを考えてしまいます。
でも、そういう事を何も考えずに集中して出来ると、いい結果はあとから付いてくると思います。
楽天家というのは、ある意味才能なので、超多忙にする事がやりやすいと思います。
急ぎの用事は忙しい人に頼め的な言葉がありますが、まぁ、そういう事です。
http://anond.hatelabo.jp/20100717014653
苦労しているのは本当だろうし、それに「頑張れ」なんて無意味な励ましはしたくないから言わないけど、一つだけ言っておくと「修士課程は辛いのがデフォルト」だということ。逆に言えば、それを乗り越えることに価値があるので、辞めることはお勧めできない。多かれ少なかれ、大抵の人は辛さを感じているものだし、逆に辛いと思わない人は運がよいか何か重要なものをやりすごしてしまっているかのどちらかだよ。いずれにせよここで辛い目に遭っておくと今後の人生の糧になるので、そう思ってなんとか凌いで欲しい。
以下は散発的なアドバイス。これで問題が片付くというよりも、ひょっとしたらなんかのヒントになるかもしれない程度に読んでほしい。
周囲が優秀に見えるのがデフォルトです。見えない人は本当にすごく優秀か、余程の楽天家か、でなきゃアホです。どっちにしても、一つ言えることは普通の修士の学生は、他人の能力を評価できるほどの経験を積んでいないので自分のレベルが下だとか上だとか評価できる域に達してません。他人が自分より上に見えるとしたら、「自分のできないことをできる他人がいる」ということを自覚しているからこそで、そしてそれは当たり前のことです。そうやってお互いを見習いあって一通りの能力を身につけていこうとすることこそが大切なんです。
英語は「訳」してはダメです。というか、訳なんてしてたら読めるわけないよ。だって同じ分量の文章を書く労力がいるわけだし、読むときに一切のごまかしがきかないでしょ。むしろ、重要なところにだけ食らいつき、どうでもいいところは読み飛ばすという斜め読み能力が重要。そういうわけで「訳」は百害あって一利なしと思うべき。
さて、リクナビでも見るか。
就活は騙されたと思ってOBや指導教官を利用すべき。あなたの専門が何かしらないけど、それらの人はあなたの専門が生きる就職先を知っている確率が一番高い人ではあるよ。
http://anond.hatelabo.jp/20080727184654
原因は夫のDV。
といっても、直接的な暴力はそれほど回数は多くなく、どちらかといえば
「家計を入れない」
「必要以上に私を監視する」
「私の行動や態度に逐一ダメ出しをする」
ということが続いて、精神的に参ってしまったから、という方が強い。
これも立派なDVということで。
で、私は現在、自分でも自分がイヤになるくらいめっちゃ短気だ。
些細なことで怒りすぎだと自覚はしてる。
すぐ子供を叱りたくなる。
いや、ちょっと前はホントにすぐに叱ってた。
手も出た。
結構ひどい言葉を言ってた。あれは暴言だったな、と反省するくらい。
でも最近はだいぶ落ち着いた。
というのも、去年、実の母に「あんた最近すごい短気だね、どうしたの?」と言われて我に返ったから。
確かに、昔はここまで苛立ちやすい性格じゃなかった。
のんきだったとは思わないけど、こんなに毎日カリカリしてなかった。
いつからこんなに短気になったんだろう、と自分を振り返ってみて、やっぱりあの結婚生活にあったなあと、そう思う。
責任転嫁とかじゃなくて。
DVは、どっちにどんな原因があるとかじゃなくて、大抵の場合はお互いに些細な原因を作っていて、それがすれ違ったままどんどん溝を深くしていって、気が付いたら他人同然になっていた、ってパターンだろうと思う。
その途中に、どこかで何かを踏み外して、一方の直接的な暴力などが始まってしまう感じ。
だから、どこかで悪循環を断つすべはきっと私にもあったんだろうなと思うから、まったく私に責任がないとは言わないよ。
それでも暴力はいけないことだけど。
暴力だけは、絶対にいけないことだけど。
話が逸れた。
つまり、夫から抑圧的な日々を強いられる中で、私は小さなことでもマイナスに捉えるようになっていたし、すごくどうでも良いことでもすぐに子供を叱るようになってたんだ。
なんでもないことでめそめそ泣いたりしたし、鬱っぽくなったりしたし(鬱病ではない、あくまでも「鬱っぽい」)、とにかく感情の起伏がやたら激しかった。
躁鬱ってこういう感じ? なったことないから詳しくないけど。
やっとの思いで離婚して、子供を引き取って私が育てることになってからも、この気の短さと感情の起伏の激しさは、しばらく治らなかった。
恐怖に怯える日々からは解放されて安堵はあったけど、条件反射ともいえる感情表現の部分は、すぐには戻らなかった。
ちょっとしたことで子供にあたる。
どうでもいいことで泣く。
なのに突然、機嫌が良くなったりする。
怒るとなると、徹底的にヒステリック。
うん。
だから増田の言うことは理解できる。
元DV被害者が、言葉のDV加害者っていう見方も、分からなくはないよ。
DVって、すごく根が深いと思う。
私はそんなに自分が傷付いたとは思ってこなかったし、ただただ、夫にひどい嫌悪感があって逃げたかったから逃げただけで、だから「私は被害者なの! すごく傷付いたの!」なんて主張をしようとは思わないけど、でも楽天家の私ですら引きずっていることは幾つかあるんだ。私以外の被害者だったら、どれほどなんだろう。
ただ簡単に、「暴力ふるわれた! 傷付いた!」とか、それだけの問題じゃないんだよ。
だから、
「DV被害者は、言葉のDV加害者になりやすい傾向があるのかもしれない」
という仮説だけ、ここに置いていく。
DVの連鎖、って言うよね。
そこに含まれるのかな。
どこかでもう誰かが、検証するべくデータを集めてるかもしれないね。
趣味でパロディ絵を描いて、ピクシブ、個人ブログで発表している者です。
そんな私がパクリ被害にあいました。
結構嫌な思いしたので、気持ちの整理も兼ねてこちらで吐き出させていただきます。
内容については、相手がゆとり(笑)だし、晒しあげても仕方ないので仮名で書きました。
それから、愚痴に二次創作を使うのは嫌なので、元絵の雰囲気に似せた絵を説明に利用させていただきます。
二次創作もパクリと変わらない、と考える方も多いと思うので、このようなタイトルにしました。私は元となる作品がなければ絵が描けないなんちゃって趣味絵描きです。
数か月前、開設したての手書きブログ。
ユーザーがまだ少なかったせいか、描くとちょこちょこコメントがついた。
そんな中、cさんという人がよくコメントをしてくれた。私もcさんの手ブロにちょくちょくコメントをした。
しばらくすると、cさんはピクシブにある私のページを見つけてメッセージを送ってくれた。
友達のいない私は喜んでマイピク申請をし、cさんとマイピクになり、cさんのブログにもリンクを貼った。
それから間もなく、個人的な事情で、私はしばらくネ落ちすることにした。
それでも真性オタクなので、たまに絵をかいて、ネットカフェでアップしていた。
この間に、cさんはHNを「R」と改名して、ブログも引っ越したのか、見つからなくなっていた。
cさんにもいろいろあるんだろうと思い、とくに気にしなかった。
そんな時期にアップした落書きを、仮に図1とする。
このとき、図1はまだ線画で、色がついていなかった。
http://www2.uploda.org/uporg1525790.jpg.html
注:この画像は、この事案を説明す(愚痴)るために私が描いた画像であり、実際のものとは異なります。
http://uproda.2ch-library.com/src/lib031330.jpg
↑この絵の人と同一人物ですか?
| 匿名 |
http://www.uploader.jp/user/sample/images/sample_uljp00099.jpg
1番目のURLは、すでに落ちていて見れなかった。しかし2番目のURLは見れた(図2)。
http://www2.uploda.org/uporg1525790.jpg.html
注:この画像は、この事案を説明す(愚痴)るために私が描いた画像であり、実際のものとは異なります。
ちょっと驚いたが、特に犯人探しはしなかった。
パクって一番恥ずかしいのは本人である。
2chのアップローダーで晒されてるあたり、たぶん既に晒し叩きに遭ってるんだろう。これに懲りて反省するだろう。
楽天家な私は、そう考えていた。
線画だった図1を仕上げて、色を塗ってアップした。
この画に関する自作コメントは、仮にこんなかんじだったとする。
それからしばらくたって、ピクシブで画像あさりを楽しんでいると、見慣れた絵を発見した(図3)。
http://www2.uploda.org/uporg1525790.jpg.html
注:この画像は、この事案を説明す(愚痴)るために私が描いた画像で(略)
この絵をアップしていたのはOさん。そのコメントには、
>>「
Rさんの線画を塗らせていただきました!????」
<<
と書いてあった。
私は、さすがにこれはまずいだろと思った。似すぎている。そこで初めて、危機感をおぼえた。
「放っておいたら私がパクリ扱いされるんじゃないか?!」
悲しいことに、パクリ塗り絵は私の描いた絵よりヒット数もコメントも多かったのだ。
(前略)
Oさんのアップされているこちらの画像
(URL)
が私の描いた画像
(URL)
と構図がよく似ているため、気になって連絡いたしました。
たいへんお手数なのですが、削除していただくことはできないでしょうか。
本当なら線画を描かれた方にお願いするべきなのですが、線画の作者がわからなかったため、大変失礼とは思いますが、Oさんへ連絡させていただきました。
善処いただければと思います。
(後略)
次の日、返事がきた。
(前略)
現在線画を描いた方に連絡を取らせていただいてますので少々お待ちください。
決まり次第こちらから連絡させていただきます。
それでは、失礼しました。
そわそわしつつ、返事を待つことにした。
さすがにこの辺になると、私は数少ない友達(というか1人)に相談するようになった。
そんな中、あるURLを知る。
それはcさんの新しいHPだった。入口はパスワード式だったが、そのジャンルを知っていればわりとすぐにわかるものだ。
中のギャラリーを見て、驚いた。あのパクリ線画に、色がついてのっけてある。(図4)
http://www2.uploda.org/uporg1525790.jpg.html
注:この画像は、この事案を説明す(愚痴)るために私が描いた(略)
しかも、コメントを仮に表現するならば
天使様の国
といったかんじになっている。これについては、パクリなのか、被ったのかわからない。
そこで、ようやっと、自分がこけにされているのではないか、と考え始めた。
ヒット数も評価数も少ないから、バレないだろうと思ってやっているにちがいない。
しかし、手描きブログにおけるcさんとの交流は表面的だったかもしれないが、楽しいものだった。
もしかしたら、oさんのメールを通して謝罪してくるかもしれない。反省しているかもしれない。
返事が来るまでは信じていたかった。
しばらくして、oさんからメッセージが来た。
件 名:お待たせしました。
話し合いの結果、例のイラストを削除させていただきましたのでご報告いたします。
それでは、簡単ではありますがこれで失礼します。
報告が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。
全文。一切略などしていない。
ここで私は気づいた。相手は、バレてないのをいいことに逃げおおせたつもりなんだと。
怒りが込み上げてきた。
お久しぶりです。
昨日、とある方に教えていただいて、cさんの新しいHPを知りました。
単刀直入に言わせていただきますが、
(URL)
(URL)
ととてもよく似ているので、ページ上で謝罪したうえで削除していただけませんか?
すでにご存じのこととは思いますが、先日、oさんのアップされていた塗り絵に関してメールをいたしました。oさんは、私の要望どおり線画の作者と話し合いの結果削除してくれました。しかし、線画の制作者が誰か触れませんでしたし、製作者からは間接的な謝罪すらありませんでした。
それでこのメールを書いています。
私は、この件について、悪意がないものだと思っていたため、意図的にパクリという言葉は使いませんでした。けれど、この誠意のない対応、いまだにパス式ページの中に自分が考えて描いたように画像を掲載している事実には怒りを覚えます。
パクリという行為自体、悲しい嫌なことです。しかし、絵を描くのが好きで上を目指していらっしゃる…と思っていた方に裏切られた事実が、私には非常に堪えがたいことでした。
手書きブログでの交流は、そちらにとってはもうどうでもいいことかもしれませんが、私は楽しかったです。けれど、パクリに関して全く反省もされていないようですし、もともと私が人を見る目がなかったということで、一方的ではありますがマイピク解除させていただきますね。
繰り返しますが、私は、cさんに、この件に関してきっちりとページ上かつメッセージで謝罪していただきたいと思っています。
正直申し上げますと、今までずっと黙っていらっしゃったあなたが、このメールを最後まできちんと読んでくださるか不安です。ろくに読まずに、ページを削除したり、パス変更して終わらせてしまうのではないか、とも思います。そのような結果でしたら、私はあなたのことをさらに不快に思います。
とにかく、もう二度と同じ行為を繰り返さないでください。萌えがあるなら、あなた自身の思い入れを、自分の手段で表現してください。パクラレる人は面倒な目にあう上、悲しむし、腹が立ちます。
それでは、さようなら。
で、連絡はなく、cさんののブックマークもブログも通常通り更新されていて、もちろん私が要求したパクリ画の削除・謝罪も実行されてません。
前者は、言うまでもなく一般的に言う二次創作、同人活動、といったものです。
各人ごとに信条は異なると思いますが、パクリはパクリでもそれなりに創意工夫をこらしてアレンジしたパクリです。
これは、上で言う、「原作への愛に基づいた創意工夫をこらしてアレンジしたパクリ」のさらにパクリです。
パクリに関して考えるとき、私の思考は、「そんなものに意味はないよな」ここで行き止まりでした。
しかし今回は、考えざるをえなくなりました。何しろ相手は、私のらくがきをわざわざ二度もパクって、人に塗り絵までさせているのです。4種類参考画像描くの面倒でしたもん。あ、cさんのパクリ画はもっとうまかったですよ!私が飽きてきて適当に描いただけです(笑)
今回パクられた理由で考えられるものは、
2:線多くないから楽にマネできそう
3:自分が描いたほうがこの構図は良くなるはず
このへんでしょうか。理解できないのは、「バレなければパクって自分の絵だと言い張ってもいい」という思考回路です。そうしてできた絵は自分の考えや主張でなく、パクられ側の考えや主張の劣化コピーでしかありません。どんなにパクリがわが上手くても、劣化コピーです(たぶん)と思わないとピコ絵描きはやってけません。
1・自分がパクり画描きだと思われたかもしれないこと
2・ちょっとでも交流があった人がセコいパクりをやらかしてきたこと
3・何度も堅苦しいメールをしなければならなかったこと
4・自分の常識と相手の常識がかけはなれすぎていて、いちから説明しないとならないうえ、説明してもシカトされてるっぽいこと
5・相手が反省してないこと
対策
1については、もっと絵がうまくなれば絶対に疑われるわけもないはずなので、努力していきます。
2は、出会った人を誰でも信用するのはやめようとおもいます。
3は、解決するためには仕方ないことでした。
4は、もっと話し方がうまくなればいいのでしょうか。ゆとりでもわかるパクリは恥ずかしいよ講座を誰か開いてくれませんかね??
5は、相手がろくな人間にならないだけなんで、しかたありませんね。
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1209051796/
【中国】AK47やレミントンを持った暴徒が繰り返しホテルを襲撃 香港資本家も撤退を決める
1 : Free Tibet!(しうまい) :2008/04/25(金) 00:43:16.26 ID:RecBNeOR0 ?BRZ(11600) 株主優待
汕尾市、暴徒が香港資本のホテルを銃撃 度重なるAK47を持っての包囲攻撃 香港商人も撤退を決める
広東省汕尾市の陸豊市甲子鎮では最近、暴徒らが公然と銃を片手にして
今週火曜日(22日)の早朝、香港商人の劉樹が投資している「甲子鎮金海大酒店」が、
発砲されたことにより営業ができなくなってしまった。
陸豊市に本籍を置く劉樹によると、今年1月のプレオープンの際にも、
数度にわたって武器を持った数百人の集団に包囲攻撃されたとのことで、
今ではもう資本の撤退を決めているという。
現地の治安状況は劣悪で、今年1月12日の白昼に発生した数百名による暴動では、
自動小銃AK47などの銃器、雷管、なた、三叉戟などの武器を手にして
政府の建物を襲撃したりする事件が発生している。
南方都市報によると、劉樹は05年に5,000万元を投資して金海大酒店を建設し、
今年1月3日にプレオープンしたが、数百名の暴徒に襲われて営業できなくなってしまったという。
それから3ヶ月あまりが経過し、「テロ事件」は再び発生した。
22日の午前3時半ころ、ヘルメットをかぶった2人の男がオートバイでホテルの玄関に乗りつけ、
レミントンを取り出してホテル外壁のガラスや柱に2発発砲し、停めてあった客の車にも発砲した。
この事件で負傷者はいなかったものの、ホテルは営業を停止せざるを得なくなってしまった。
現地の警察は2つの事件の後、捜査員を送り調査を行っているが、
劉樹は陸豊市の治安は悪いと語り、既に投資を引き上げることを決めようとしているという。
ホテルのスタッフも「あいつらはとても凶悪で残忍だ。なんでも出してきやがる」と話している。
http://www.mingpaonews.com/20080424/caa1.htm (中国語・繁体字)
★ 画像。
ttp://www.mingpaonews.com/20080424/_24CA001_.jpg (今年1月の暴動にて)
ttp://www.mingpaonews.com/20080424/_24CA007_.jpg (今年1月の暴動にて)
(出来ると考えているならば、かなりの楽天家か、自信家だと思いますが)
福沢翁がアジアの団結を断念した理由も分かる気がします。
横レス。
この考え方もどうかと思うよ。
だって日本人自身っていったって国債を購入した人=国民全員じゃーない。
儲かる人は国債を買った人や法人だけど、損する人はそれを負担する国民全員だ。
それは一律に日本人と談じていい性質ものじゃないとおもうがな。
それにね、国債を単純な貸し借りで考えるのもどうかなとおもうんだ。
貸してるという考え方がよくないよ。
金利をつけて返すことを前提に政府が国債を「売ってる」わけじゃない。
みんな政府を信用して国債を買うわけだけど、この信用は「買っていただいた国債は利子をつけて弁済しますよ」ちゅう契約のもとに成り立っているわけじゃない。
だから「誰に」貸した借りたという話しはさほど重用じゃなくって売った以上、国債は償還する必要があるわけ。
日本人が日本人に借りてるんだから大丈夫だとかそんな論点ではないわけよ。
だから必ず返す必要がある。
右から借りて左に返すんでもいいから返さなくちゃね。
だけどね、今の日本はその返済のための金利も集めた税金では賄えない状態にまで悪化してしちゃってるの。
利払いのために国債を発行しなきゃいけないわけ。
利払いのために国債発行なんてばからしいよね?
でも現実は税収が50兆ぐらいの国なのに国債費が20兆円あるわけよ。
国債の利払いが20兆円。
利息分を支払うだけで20兆円。
わかる?この状況。
本当はさ、お金を前借りしてまで先行投資することにより、将来にもっと稼げるようになろう!というのが投資じゃない。
これは悪くない。いいこと。いい事なんだけど……。
投資先をしくじると負担以外の何者でもないとおもうんだ。
この10年日本が投資してきたものは、道路とか箱ものとか補助金とかなわけですよ。
これがそのまま価値を生み出してくれればよかった。問題なかった!
でも、道路をつくったおかげで経済効果がでてそれだけ国民の生活を豊かになっにしたかといったら、そうじゃないんだよね。
逆にいらんものをつくったせいで将来にわたって、そのたいして経済的価値がないものをメンテナンスしつづけなくてはいけないという、ランニングコストの増大を招いたちゃった。あちゃーーっていう感じ。
信号機設置しまくって維持費だけあがって、既得権益者を肥やしただけみたいな。
国民の生産性の向上に寄与しない浪費は将来の負担以外のなにものでもないとおもうわけよ。
そりゃあれば便利かもしれないけど、公益性と効果対費用はちゃんと考慮しなきゃ。
結果論かもしれないけどね。
毎年利払いだけで20兆になるほどお金つかっておいて、この日本の状況はないだろうと。
もっといいことできたんじゃないかって思うわけよ。
利払いももう税金じゃ賄いきれないからがんがん国債出しているけど、そういうのも含めて国債発行してまで集めたお金の使われ方そのものが将来日本を担う子供達のためになってるとは思えないんだよね。
この10年でさ、10年後に日本が先進国であるために国際社会に立ち向かえる産業をちゃんと育成できてる?
そこにどれだけ国策としてお金落としたのよ。
いまお金落としているところって10、20年後社会にでてくる子供達の食い扶持になる産業?
ほんと負担だけ押し付けてない?大丈夫??
はあぁ・・・。ため息でちゃうよ。
国債を償還することを前提にしたらインフレにせざるをえないよね。
そうすると資産の目減りは避けられない。
ローンを組んでいればインフレはラッキーだけど、既に日本はあるていど成熟した国。
年率10%成長なんていうのは無いから80年代のような賃金上昇は無理。
結果国民はものすごく困窮することになる。
だからできるだけ国債発行額はさげて少なくしていかないと。
今やって少しでも減らしておかないと将来偉いことになる。((すでにこのタイミングを逸した気もしなくもないけど。))
だから国債は返さなくてもいいなんてバカなことはいって欲しくないな。
国債発行額を増やしつづけても日本がいけるってなら、そういうシナリオ書いてくれよ。
残念ながら自分の想像力では中国並みの成長をとげながらインフレを受け入れるか、デフォルトするかぐらいしか思いつかないわ。
10年で給与所得が倍になるような前提で話せるほど楽天家じゃないもんよ。
参考までに。
これ今年可決された予算案な。日本人で大人ならこの国がどうなってるのかはみておいたほうがいいきがする。