はてなキーワード: イタリアとは
日本は女性の社会進出後進国なのに少子化が凄まじいのは知っているよね
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/1500.html
このグラフを見れば解るように、25から30中盤にかけ急激に女性の労働力が下がる韓国と日本は、女性が出産で仕事を辞めて育児に専念し、数年後安い給料でパート労働にならなければいけない社会で、それが少子化の原因の一つ。
不景気で金がなくて子供を産めない、夫婦共働きじゃないとやっていけないのに子供を産んだら仕事が続けられない、子供を産めない状況に若者が追い込まれているから産めないんだよ。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/syussyo06/syussyo4.html
財政的に大きな問題を抱える日本は、今後どのような道が残されているのでしょうか。
組織や構造を変革するには、一度クラッシュしてしまった方がよいという意見もありますが、これは絶対に防がなくてはなりません。
クラッシュするということは、国民が持っている定期預金や生命保険、信託、郵貯など、全部がぶっ飛んでしまうということです。
そうなると皆さんはクラッシュした後、生き残れるでしょうか。
例えばアメリカでは国債を外国人に買わせて、国内で買っている人は少ないので、国民は生き残れるでしょう。
しかし、日本の場合は、国債のほとんどを国民が知らずに持っているわけです。
ギリシャでは国債がクラッシュし、ギリシャ人ではなく、ドイツやフランス、イタリアの銀行が救済を求めています。
日本の場合は、金融機関が倒産の危機に陥った場合、そこに預けているのは国民なのです。
その国民のお金が1400兆円あり、それがすべてひっくり返ることになったら、多くの人は生きていけなくなります。
戦争が終わった後、戦時国債が全てデフォルトしましたが、ハイパーインフレが起こり、100分の1にデノミをしました。
当時のような事態を乗り越えられる準備をしている国民はいません。
安心して、郵貯を買ったり、定期預金をしたりしているものがぶっ飛んでしまうわけですから、日本人は生活できなくなるのは分かりきっています。
私は「国を信用するな」、「市場が暴力装置だ」と叫んできましたが、まさにそういうことなのです。
クラッシュした方がいいという議論をする人が識者の中にもいますが(池田信夫など)、どうかしていると思います。
一度そういう事態になればみんな目が覚めるのでは、などと言う、その本人は大丈夫なのかと聞きたいです。
そういう事態になったときには、アメリカなど諸外国も危機に陥るでしょうが、
次々複数の女を食いまくりーの渡り歩きまくりーのの男を肉食系と言うのはどうなの
それはただのヤリチンでしょ。
それは少女漫画的観点っすね。 男性観点だと一緒じゃないかな。
少女漫画だと明確にヤリチンと肉食系って分けれてるよね。 そういうファンタジー、大好きですw 西炯子「娚の一生」とかね
肉食系だってたったひとりの女を熱烈にアプローチの末ゲットして死ぬまでその女の肉だけを飽きずにずっと食っとくことは可能なはずだ
そういう男性もいるとは思うけど、そうじゃない男性もまぁいる訳で。そういう男性にも有用性ってあるものですよ。と思います。
サーバ室は携帯の電波が届きにくく、最低限の仕事上の連絡以外は誰とも連絡を取らなかった。
ただただ、作業に集中した。何も考えず。
病院と家との往復。帰宅したら、疲れて眠るだけだった。食べることすら忘れていた。
彼の事を忘れたいわけではもちろんなかった。
でも彼の事を思い出すと、どうしても後悔の底に落ちて這い上がってこれなかった。
そんな生活を2ヶ月続けて、私の心は壊れそうになっていた。
「例の彼とはどうなったの?」」と聞かれるのが怖かったから。
壊れていたのは心だけではなく、体もだった。
1年前に普通に着ていたはずの服が、ぶかぶかで着られなくなっていた。
5年間使っていた金属バンドの腕時計も、コマを詰めなければいけない程になっていた。
会う人会う人に「痩せたね」と言われ、そのうち「大丈夫?」と心配されるようになっていた。
着られる服は全くなく、買いに行ってもサイズが合わないような状態だった。
もう、限界だった。
仕事に没頭する事で彼の事を考えないようにしていたはずなのに、
仕事に集中できず、彼の事ばかり考えるようになっていた。
それまで私は、夏休みを1週間取る以外で長期休暇を取ったことは一度もなかった。
そんなに仕事が好きだったわけではないけれど、
盆・暮れ・GWが書き入れ時の医療SEは、簡単に長期休暇は取れなかった。
それに自分の仕事には責任を持ちたかったので、あえて休暇を願い出ることもしなかった。
そんな私が、初めての長期休暇を上司に申し出た。
激務が数ヶ月続いていたこともあり、休暇はあっさり認められた。
少し心と体を休めようと思った。
私のスケジュールが突然「休暇」になった事を心配した別の部の同期から、電話がかかってきた。
「大丈夫だよー。ちょっと忙しくて疲れたから休んでる。すぐ戻るよ」
そう言ってごまかした。本当の事が言えるわけもなかった。
当時私がいた部は、元々希望していた配属先とは違っていたし
仕事内容自体も、どうしても好きにはなれなかった。
プログラミングができない、サーバの知識もない、そもそも大学は文系の私に
SEなんて務まるわけもなかった。
配属されて初めてのプロジェクトでは、仕事がきつすぎて毎日泣いていた。
何かうまくいかないことがある度に、辞めたい辞めたいばかり言っていた。
実際、その年の頭には、転職活動を始めようとしていた。
そんな私に、彼がこんな事を言ったことがあった。
舞ちゃんがいつも頑張ってるの知ってるよ。
どんなに夜遅くなっても、自分の仕事に責任持って最後まできっちりやってること知ってるから。
そういうのちゃんと見てるから、辛いのは分かるけど、でも簡単に辞めればいいなんて言えないよ。
彼にそう言われてから、私は辞めたいと言わなくなっていた。
彼は仕事ができる人だった。だから彼に少しでも追いつきたくて必死で勉強して、プログラミングアレルギーも克服した。
今の私を彼が見たらどう思うかな…。
そして私は、当初の予定を1週間延ばしたものの、3週間で職場に復帰した。
復帰後は、少しでも負担の少ない仕事を、という上司のはからいで、
同じ部内で別のグループに移って、全く違う仕事をすることになった。
(というか無理矢理食べさせようとしたんだろうが)
でも、彼とよく会っていた福岡にはどうしても行きたくなかった。
福岡だけでなく、彼と一緒に行った場所を私は避けるようになっていた。
ただ、九州支社はその年の5月に別の場所にできた新しいビルに移転していて、
いつもなら、空港内にある有名なクロワッサン屋でクロワッサンを買う。
彼に「美味しいから一度買ってみなよ」と言われて買ってからお気に入りだった。
もう、クロワッサンを買う気ににもならない。
仕方なく、売店でお土産を買って時間を潰して搭乗時間を待った。
羽田で福岡行きの飛行機を待っていたら、偶然同じ便で福岡に向かおうとしていた彼に会ったこともある。
博多駅から九州支社に向かう途中の道、彼と電話しながら歩いたこと。
色んな事を思い出しすぎて潰れそうだった。
結局その日は、ほとんど眠ることもできず朝になった。
翌日は土曜日で、午後から横浜に行く用があったものの、他にする事がなかった。
ふと、ある男友達の事を思い出した。
その人は会社の同期ではあるものの、職種が違うため仕事での関わりが全くなく、勤務地も違っていた。
それでも入社してすぐの研修で同じクラスになって仲良くなってから、
定期的に二人で飲みに行っていた。彼と付き合っていた時も月1程度で会っていた。
私にとっては完全に「友達」で、恋愛対象として見たことは一度もなかったし、
それは相手も同じで、私を女として見ることはなかった。
だから、二人で会っても大丈夫だと思っていたし、彼に対して、悪いことをしている気持ちには当然ならなかった。
その友達に彼のことは話した事は一度もなかったし、
私の色恋沙汰について何か聞いてくることもほとんどなかった。
ちょうどいいや…。
さすがに当日に連絡しても空いてないだろうなー、と思いつつ、メールをした。
いるー!
その日は横浜で待ち合わせをし、東急ハンズで買い物をして、飲みに行った。
それからの週末はしょっちゅう旅行に行き、家にいることはほとんどなかった。
そして、旅行のお土産だとか色々理由をつけて、その男友達と頻繁に飲みに行った。
色々深く聞いてこないその友達が、一番都合がよかった。
そしてその人と一緒にいると、不思議と気持ちが落ちついた。
前年の年末は、彼がリーダーをしていた病院で正月にシステム本稼動があり、彼は当然仕事をしていて、一緒にいられなかった。
来年は一緒にいられたらいいね、と言っていた。だから、日本にいる事すら嫌だった。
そうやって、現実から目を逸らすことで、どうにか自分を保っていた。
F1が好きだった彼と私は、いつも月曜日にF1の話をしていた。
這い上がれなくなるので、私は見るのをやめた。
二人とも読書が好きだったので、会うとよく読んでいる本の話をした。
仕事が早く終わった時はいつも本屋に行って本を買っていたのに、本屋に近づくことすらできなくなっていた。
以下はショッピングカートに入れておいたけど買わずに削除することにした作品一覧。(☆はAmazonじゃなく書店で買った本)
◆社会
第三の波 (中公文庫 M 178-3)
富の未来 上巻
レクサスとオリーブの木―グローバリゼーションの正体〈上〉
余震(アフターショック) そして中間層がいなくなる
いま〈アジア〉をどう語るか
☆困ってるひと
西洋哲学史 1―古代より現代に至る政治的・社会的諸条件との関連における哲学史 (1)
チーム・ファシリテーション 最強の組織をつくる12のステップ -
チーム・ビルディング―人と人を「つなぐ」技法 (ファシリテーション・スキルズ) - 堀 公俊
白熱教室の対話術
ご機嫌な職場
ゲームストーミング ―会議、チーム、プロジェクトを成功へと導く87のゲーム
ロジカル・ディスカッション
☆ディシジョン・メイキング―賢慮と納得の意思決定術
☆話し方入門 新装版
◆マネジメント論
なぜリーダーは「失敗」を認められないのか―現実に向き合うための8の教訓
◆人事・モチベーション論
「見せかけの勤勉」の正体
モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか
図解 きほんからわかる「モチベーション」理論 (East Press Business)
人を伸ばす力―内発と自律のすすめ
リーダーの値打ち 日本ではなぜバカだけが出世するのか? (アスキー新書)
「働きたくない」というあなたへ
日本人事 NIPPON JINJI~人事のプロから働く人たちへ。時代を生き抜くメッセージ~
会社は変われる! ドコモ1000日の挑戦
働きながら、社会を変える。――ビジネスパーソン「子どもの貧困」に挑む
「発達の最近接領域」の理論―教授・学習過程における子どもの発達
心の仕組み~人間関係にどう関わるか〈上〉
☆わたし、公僕でがんばってました。
◆自分の演出
あなたの魅力を演出するちょっとしたヒント (講談社文庫) -
対話のレッスン
演技と演出 (講談社現代新書)
見城徹 編集者魂の戦士―別冊課外授業ようこそ先輩
「しがらみ」を科学する: 高校生からの社会心理学入門 (ちくまプリマー新書)
パブリック―開かれたネットの価値を最大化せよ - ジェフ・ジャービス; 単行本
「ヒットする」のゲームデザイン ―ユーザーモデルによるマーケット主導型デザイン
◆その他
幸福優位7つの法則 仕事も人生も充実させるハーバード式最新成功理論
残念な人の仕事の中身 ~世界中の調査からわかった「組織で評価されない人」の共通点
ベスト・パートナーになるために―男と女が知っておくべき「分かち愛」のルール
新・絶望に効く薬
千の顔をもつ英雄〈上〉
はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内 (PHP文庫)
☆料理の四面体 (中公文庫)
結ぼれ - R.D. レイン
あるヨギの自叙伝
◆読み物
☆ダイナミックフィギュア〈上〉
☆ひとびとの跫音〈上〉 (中公文庫)
MOTHER(マザー)―The Original Story (新潮文庫)
☆空の都の神々は (ハヤカワ文庫FT)
ゼウスガーデン衰亡史
生贄のジレンマ
Carver's dozen―レイモンド・カーヴァー傑作選 (中公文庫)
塩壷の匙 (新潮文庫)
☆姫椿 (文春文庫)
☆お家さん〈上〉 (新潮文庫)
ストレンジ・プラス 1 (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)
聖なる血 (扶桑社ミステリー) - トマス・F. モンテルオーニ
スノウブラインド - 倉野 憲比古
少年の国―MYSTERY OF NEW RELIGION
ソドムの百二十日
悲惨物語
ドイツのメルケル首相が「欧州の政治統合を深めるための条約改正」を提唱し、波紋を広げています。
ユーロゾーンには、たとえばマーストリヒト条約で定めた「国家財政赤字はGDPの3%以内」「累積債務はGDPの60%以内」という約束を守れない国がたくさんあります。
これまでは「赤信号、みんなで渡ればなんとやら」で罰則の適用も曖昧にされてきましたが、今後はそういう国に対して、何らかのペナルティーを課そうではないか、ということです。
ペナルティーには、法的手段に訴えてでも借金を返済させるとか、あるいはいっそユーロゾーンから離脱させるとかいった一種強権的な措置も視野に入れます。
ユーロゾーンは通貨同盟であり、加盟国の経済・財政の一元化はしていない。特に通貨の発行に関しては勝手なことをさせないが、国債の発行に関しては規律が緩かった。
したがって実質的には各国がそれぞれ国内経済の舵取りをしている。
その結果が今日のユーロ危機の原因のひとつになったのだから、今後は通貨のみならず経済・財政も一元化し、ユーロゾーンの統合をより強固なものにする狙いだ。
確かにユーロゾーン内での統一基準をもって各国政府の「放漫経営」を戒めれば債務危機などのリスクをかなり減らすことはできるだろう。
だが、私は「ユーロゾーンが経済・財政を一元化するのは至難の業だ」と考えている。なぜなら、それは各国が個別に予算案を作るのを禁止するということであり、内政干渉にも等しい。
もともと「社員」という身分だけが共通していて「目的」や「仕事」のあり方について意思疎通の仕組みを十分に構築せず、
空気に頼った放漫経営を行なっていた職場では、多様化した若者とのコミュニケーションの断絶に対し、
「飲みニケーション」を強化し、職場での統合をより強固なものにする狙いだ。
最近は「飲みニケーション」の概念化、半強制化、楽しめない奴は村八分にするなどの社会的制裁をちらつかせて、
むりやり「飲みニケーション」の維持や、チームとしての連帯を名目上維持しようとする動きが見られる。
たしかに規則や執拗なチェックで締め付ければ一時的には問題児は減り、「形だけは」結びつきが強くなるだろう。
飲みニケーションに限らず、すでに企業の「内部統制」や、学校の教育などで同じような徴候が見られている。
しかし、これは至難の業だと考えている。なぜならそれは、個々人の自由を制限するということであり、サービス残業にも等しい。
私はむしろ、ユーロ加盟国それぞれに自国の通貨発行を一部認めていくべきだと考える。
ユーロ17カ国では現在、ユーロの流通は当然ながら100%になっている。
これを段階的に90%、80%と2割程度まで減らしていき、その代わりにそれぞれの国に独自通貨を発行させる。
そして、独自通貨の加重平均はユーロと連動させた、いわゆるバスケット通貨(ユーロ導入前のECUと同じ原理)とする。
こうすれば当然、独自通貨を発行し過ぎた国の貨幣価値は下落する。しかし、それはそれで構わない。
こぼれ落ちる国も出てこようが、そういう国にはユーロから離脱していただく。
すると最終的には「本当に強い」7~8カ国が残るだろう。これらの国々でユーロ加盟国を再構築してから、落ちこぼれた国にも再出発できる機会を与えるのだ。
こうした根本的なプロセスを踏まなければ経済・財政一元化の道筋も見えてこない。
逆にいえば、こういう発想を持たないまま、やれギリシャの救済だ、それルール違反を犯した国にはペナルティーだとしているのは、まったく場当たり的な対策である。それではユーロの再建はおぼつかない。
マーストリヒト条約ではユーロ加盟の条件を決めたが、離脱の方法に関しては決めていなかった。そういう不備がここに来て一斉に露呈した。
私はむしろ、まず飲みニケーションの参加を自由意志に任せるべきだと考える。
というか、まずそんなに飲みにケーションが素晴らしいというなら、
まずは好きな奴らだけでも「楽しい」だけじゃいその素晴らしさを体現して、若者から「私も参加したい」と思わせるくらい魅力的になってみせやがれ、と。
飲みニケーションについて、ただ昔からやってるから、とか俺は楽しかったから、とかを根拠にしてゼロベースで考えなおすこともせず、
やれあいつは付き合いが悪いとか、こんなことでは出世できないとか、制裁とか言ってるのは全くの的外れである。それでは飲みニケーションの再建はおぼつかない。
飲みニケーションは形にこだわりすぎて、楽しくなくなったときどう自分を変えていくか、という点が全く考慮されていない。その不備が居間一斉に露呈している。
どの国も「仲間に入りたい」と言ってユーロゾーンに入ったはいいのですが、そこから離脱するとなると、地獄が待ち構えています。
各国政府から見れば、ユーロに加入した途端に通貨の自主的な発行権を奪われ、それはユーロをやめようが何をしようが、事実上は通貨の発行権は戻ってこなくなってしまうのと一緒です。
飲みニケーションが自然発生的に起こって、みんながそれに参加してたのしむ、という間は良かった。
しかし今では旨みがヘっているにもかからず「抜けようとすれば村八分」という制裁だけが残ったペナルティ装置になっている。
↓
男要らなくね?百合でよくね?けいおんでよくね?東方でよくね?
↓
でもエロ同人の需要が。エロだけは男の需要が。というか○○コの需要が。
ふた○り嫌いな客多いし・・。初音○クみたいなPモノでも一応男がいる設定だし。
↓
適当に男出してNTRにしとけばよくね?ドリームクラブ方式でよくね?
みたいな感じか?
人によってはノーマルでも他の人にとったらNTRになるのかね。
でももう原作関係ないよね。
ポーランドとか、性転換させられた挙句に輪姦とかされてて意味分からん。
もう国を擬人化してもええんや、だってヘタリアがやってるもん、くらいの感覚だよね。
しかもそこの絵がやたらうまくて抜けるというこれは一体どうしたことだ。
どうでもいいけどたくましいイタリアとかやかましいわ。
書き込みレス一覧
猫ひろし、カンボジア国籍を取得しカンボジア人になるwwwwwwwwwwwww
214 :名無しさん@涙目です。(愛知県)[]:2011/11/10(木) 06:36:15.22 ID:BunNMIv10
出来の悪さでは圧倒的な77年世代
ジャニーズも一人もいない
先発投手もいない 最高は中継ぎの2勝
なぜこうも77年世代はダメなのか
430 :名無しさん@涙目です。(愛知県)[]:2011/11/10(木) 06:37:44.88 ID:BunNMIv10
韓国料理店
猫ひろし、カンボジア国籍を取得しカンボジア人になるwwwwwwwwwwwww
230 :名無しさん@涙目です。(愛知県)[]:2011/11/10(木) 06:41:41.82 ID:BunNMIv10
出来の悪さでは圧倒的な77年世代
ジャニーズも一人もいない
先発投手もいない 最高は中継ぎの2勝
なぜこうも77年世代はダメなのか
猫ひろし、カンボジア国籍を取得しカンボジア人になるwwwwwwwwwwwww
262 :名無しさん@涙目です。(愛知県)[]:2011/11/10(木) 06:57:41.73 ID:BunNMIv10
最弱世代め
608 :名無しさん@涙目です。(愛知県)[]:2011/11/10(木) 07:28:33.54 ID:BunNMIv10
( `八´)「地元独自の観光地の魅力がないから日本には行きたくないアル」
11 :名無しさん@涙目です。(愛知県)[]:2011/11/10(木) 07:40:28.61 ID:BunNMIv10
誰が何と言おうと野田首相はTPP交渉参加を表明するつもりらしい
645 :名無しさん@涙目です。(愛知県)[]:2011/11/10(木) 08:20:21.08 ID:BunNMIv10
猫ひろし、カンボジア国籍を取得しカンボジア人になるwwwwwwwwwwwww
362 :名無しさん@涙目です。(愛知県)[]:2011/11/10(木) 08:37:34.07 ID:BunNMIv10
出来の悪さでは圧倒的な77年世代
ジャニーズも一人もいない
先発投手もいない 最高は中継ぎの2勝
なぜこうも77年世代はダメなのか
笑わせてくれるねえ
【画像あり】AKB峯岸みなみ(18)の号泣が可愛すぎると話題
116 :名無しさん@涙目です。(愛知県)[]:2011/11/10(木) 08:57:43.82 ID:BunNMIv10
http://itaientame.up.seesaa.net/image/ogiyahagi2.jpg
峯岸にそっくりな人
武田邦彦「日本兵は世界最強。全世界が恐れ、日本を侵略する国はない。日本兵>>>>核兵器」
85 :名無しさん@涙目です。(愛知県)[]:2011/11/10(木) 10:22:26.32 ID:BunNMIv10
【画像あり】AKB峯岸みなみ(18)の号泣が可愛すぎると話題
129 :名無しさん@涙目です。(愛知県)[]:2011/11/10(木) 10:29:16.87 ID:BunNMIv10
なんだ整形か
http://anond.hatelabo.jp/20111011200303
が興味深かったので、ファンは対象外なのかな、と思いながらあえて読んだ。
上の書評はネタとしては面白いけれど、書評としては不適切なのではないかと思う。
この本はとてもシンプルに「小説のルネサンス」を主張していると思う。カジュアルに言うなら松岡修造の「お米食べろ」と同じノリだ。
「小説の読み方の教科書」では、小説の面白さの源流のようなものを求めて古きを探る。
そして、ドン・キホーテとハックルベリーの冒険という作品にいきあたり、世の中にはこんなに素晴らしい小説があったのだと興奮する。
さらに、現代は大衆がこの素晴らしい小説の持っていた力を失っている。そもそもその存在すら忘れ去れれていると嘆く。
もっとこれらの古き時代に学び、これらの良さを取り戻そうと誓う。(自分でやろう、とするところが個人的には好きだ)
そしてそのためには読者がこれらの小説を楽しむ力を取り戻すことが必要だ、と考える。
そこで、まずこの2つの小説を作者なりに読み解く姿を披露することで、読者と面白さを共有し、読書の楽しみを体験させる。
そして、こういう面白い小説を取り戻そう。「小説を読んで、心のそこから面白いと思う感覺」を養おう、と主張している。
NHKスペシャルの歴史ドキュメンタリーを松岡修造が担当しているような、そんな熱くて小気味良いノリは読んでいて楽しかった。
「小説の読み方」についてはおまけ程度の分量しか書かれていないが、ここでも
ストーリーの筋をおいかけるのではなく味わうことを中心に考えよう、と思い切ったことを主張している。
そのためだったら、あらすじは最初から知った上で読んでも構わないだろう、と言い切っている。
「ネタバレ」を食らったくらいで楽しめなくなる本を読むことは読書ではない、などと勇ましい限りだ。
実際私も、一度読んだ本でも本当に面白いものは何度読み返しても面白いと感じるし、
他の人の書評などで「別の読み方」を見つけた時などに嬉しく思うことがあるので言わんとすることは何となく分かる。
論理的には粗だらけだが、非常にシンプルかつ力強いメッセージのある本だと思う。
こういう本を書ける作者の小説はさぞ面白いのだろうかな、と期待させられる。
なんとなく「夢をかなえるゾウ」の二番煎じだろう、みたいに思って敬遠している内にタイミングを逸してしまい、
ドラッカーブームも長続きしなかったため、今更読んでもな、とは思っていたが、今からでも読んでみようか。
ただし全面的にほめられるかというとそうでもない。
構成と文章はかなりいただけない。
まず冒頭から特定の人物に向けての非難のようなものが始まり、ソレについての正当化のような文章が続く。
経緯を知らない私には心底どうでもいい話であり、蛇足以外の何者でもない。サービス精神の真逆である。
始めは作者にネガティブなイメージを持ち、立ち読みだったらこの時点で読むのをやめていただろう。
また、この読者批判?のようなものは、その後の文章でもちょくちょく顔を出し、そのたびに嫌な気分にさせられる。
どうしてこんなに前向きな主張をする人が、些細なことでネチネチと文句を言っているのだろうと不思議になった。
作者の主張とテキストの間に一貫性を感じないのは気持ち悪さを感じて非常にマイナスだった。
上の記事が「ファン向け」と言われたのもわかる気がする。上の記事で言うところの
は確かにあり、私にはこの部分は非常に読んでいて邪魔臭く感じた。シンプルな話をややこしくして何がしたいんだろう。
小説ではこのようなことがないようにお願いしたい。
イタリア語版Wikipediaのプロテストによって日本のネットでも話題になった「通信傍受法」の改正案問題について、誤解が大きいので、簡単にまとめておきたい。というのも、TechCrunch の次の記事「イタリアのWikipedia、『ネット傍受法案』に抗議して自主的に閉鎖」があまりにも極端で、また一般にイタリアが誤解されたままでいることにも耐えがたかったからだ。
http://jp.techcrunch.com/archives/20111006italian-wikipedia-shuts-down-in-protest-of-proposed-law/
前もって断りを入れておくと、イタリアの法制度はもちろん、法律の専門家ではないので、間違いがあれば喜んで指摘を受けたい。また、訳のまずさについてはご寛容願いたい。
さて前段として、話題の法案DDL Intercettazioni(ちなみに、DDLとは”Disegno di legge”の略語で、英語に直訳すると”Design of law”、日本語では単に「法案」と訳すのが適当) で問題になったのは、ネットの規制に関する部分よりも、傍受された通信記録の公開に関する変更についてだった。これまでは裁判前であっても当局と弁護人の合意のもとで通信記録を公開できたものが、裁判中、また事件に関わる部分のみの公開とすることに限定されるというものである。当然、各メディアともこれには批判的な論調を取っているようだ。
最近では、ベルルスコーニが売春婦を政府専用機に乗せていたというニュースが日本の報道でもあり覚えておられる方もいると思うが、これらのことについて話された会話はすべて新聞紙上に掲載された。傍受された通信記録が公開されることの是非についてはひとまず置いておくとしても、こういう背景があることを指摘しておきたい。
そのうえでイタリア語版Wikipediaなどによって、日本でも話題になった部分は次の第29条(24ペ-ジ)であった。
同条の冒頭部分を見れば分かるように、この条文は次の法律の改正だということが分かる。すなわち、Legge 8 febbraio 1948, n. 47 Disposizioni sulla stampa の第8条の改正がこれである。
http://www.mcreporter.info/normativa/l48_47.htm#8
ここでいうstampaとは「出版を目的とするあらゆる様態の、機械的あるいは物理-化学的手段を用いて印刷され、あるいは獲得される複製物」と、ようするに平たく言えば、出版物や新聞等メディア・報道などなどのことを指すのでしょう。たとえば、第5条においては新聞・定期刊行物は裁判所の書記課に登録することなしに出版してはならないとあり、この法律がどういう法律かなんとなくでも分かると思う。
そこで問題の第8条は、一言で言ってしまうと、「訂正請求」”Richiesta di rettifica” を受けた場合、責任のある者は定められた期限内に定められたように訂正を発表すべし、というものだ。
そもそもこの条文の目的は、次のようなものだと理解している。つまり、考えを表現することの自由は、時に、憲法によって保障された他の権利と衝突し、あるいは侵害することもありうる。そのような場合に、速やかに権利を回復することができるようにするためのものである。したがって、客観的な真実性は問題ではなく、当事者にとっての主観的な真実性が問題になると。すなわち、趣旨としてはメディアによる暴力から権利を守ることを狙いにしていることがうかがえる。
http://www.giuffre.it/age_files/dir_tutti/archivio/santalucia_1004.html
これが出版物のみならず、テレビやラジオにも適用されるよう改正されて現在にいたっているのだけれども、ここで注意してもらいたいのは、こう書いてしまうとえらく危ない条文に見えるけれども、実際には1948年以来60年以上も運用されており、メディアがそれで委縮するとか、「メディアが死ぬ」ということは全くないということ。まして第8条の乱用悪用によるメディアの弾圧というものは見られない。
常識的に考えれば、そのようなことがもしあれば、それこそ「表現の自由」の侵害になるはずなので、つまり運用の問題になってくるのだと思うけれども、残念ながら具体的にどのような運用がされているのか僕には分からない(「訂正請求」がどのようなものかは検索すればすぐ出てくる)。ただ、第8条そのものにはたいした問題はないように見えるという点を指摘することしかできない。
そこで、今回騒ぎとなった改正部分は、次の部分であると思う。「訂正請求」の対象となるものとして、
"i siti informatici, ivi compresi i giornali quotidiani e periodici diffusi per via telematica,"
すなわち、データ通信を経由して流布される日刊または定期刊行紙を含む「情報サイト」”i siti informatici” となっているが、はたして「情報サイト」の範囲はどこまでなのだろうか、と。この法律の趣旨や文脈からすれば、例示されているように新聞やテレビニュースなどなどのプロフェッショナルのサイトのことにも読めるけれども、素人のブログはどうなるかはっきりしない。
事実、当初は素人のサイトやブログもこの適用範囲内にしようとしたらしい。たとえば訂正期限を訂正請求後10日以内に延長するとか、罰金を引き下げようといった案も出されていた。
http://www.rainews24.rai.it/it/news.php?newsid=156864
結局どうなったか結論だけ言うと、先述の第5条によって定められている、登録済みのプロフェッショナルによるサイトに対象を限定することで与野党合意となり、落着した。
以下、個人的な感想を書くと、まず仮に与野党合意がなくても、これまで同様の運用がなされるのであれば、それほど心配するような改正ではなかったのではないかという点で、「ブログ殺し」条項とイタリアのネットではあだ名されたようだけれども、そんなことにはまずならなかっただろうと思う。
また、TechCrunchの記事がいかに間違っているか、これでよく分かってもらえたはずだ。第8条を使ってなんでもかんでも訂正請求できるというのは非現実的な妄想ではあるまいか。特に追記部分の、
法案は「正式な報道機関の記事」のみを対象とするよう修正されたもようだ。これがなんらかの改善になっているかはきわめて疑わしい。
http://jp.techcrunch.com/archives/20111006italian-wikipedia-shuts-down-in-protest-of-proposed-law/
というところは、何の根拠があって「きわめて疑わしい」と言えるのだろうか。
なによりこの問題を見ていて思ったのは、これだけインターネットが普及してしまってもなお、「表現の自由」だけを金看板にできるのかという問題についてもっとよく慎重に考えられるべきではないかということ。確かにこの法改正はベルルスコーニ絡みなので微妙なところがあるとはいえ、しかしながらごくごく一般的に考えれば、いくら「本当」であっても「知られたくない流布されたくない事実」というものは誰にでもあるはずであって、よほど悪質であったり問題性の高い場合、第8条が規定するような処置があるいは何らかの助けになることもあるかもしれない。
もちろん、素人目にもこの第8条をインターネットに広く適用しようとするのは筋悪に見えるし、与野党合意で適用範囲をはっきりさせたことは結構なことだと思うわけだけれども、仮にもっとちゃんとした、インターネットを対象とする法律が出された場合、ネットの住民たちはどういう反応を示すだろうか。「表現の自由」の金看板だけではかばいきれない部分があるのではないかと、正直言って思う。
その意味で、イタリア語版Wikipediaの声明は難しい部分があるのではないだろうか。ごく一般的なサイトならまだしも、これだけ有名かつ頻繁に利用されるWikipediaのようなサイトになると、それなりに記述に責任が持たれるべきなのは当然だという意見もあってしかるべきであって、あの声明を肯定しているだけで本当にいいのかどうか。ネットで言われているほど、また信じられているほど簡単な問題ではないのではないか。
お祭り好きのイタリア人のネットにおける「ショーぺロ(ストライキ)」の言い分を鵜呑みにして、その流れに乗っかってしまう前に、色々考えることがありそうに思うのだが。
http://it.wikipedia.org/ (http://it.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:Comunicato_4_ottobre_2011) より
読者の皆様
ウィキペディア・イタリア語版は長年に渡って有用なサービスを提供してきました。
皆様もそれを期待してここに来られたことと思いますが、
このたびウィキペディア・イタリア語版は閉鎖を余儀なくされる可能性がでてきました。
現在のところは、お求めのページは隠蔽されているだけの状態にあります。
この10年間、ウィキペディアは中立的で自由で、そして独立した知識源として、
数百万人のインターネットユーザーの皆様の生活の一部となってきました。
本日、誠に残念ながら、ウィキペディアを支える柱である中立性・自由・検証可能性が大きく損なわれる懸念が強くなりました。
その原因はDDL intercettazioni、通称「通信傍受法」として知られる法案の第29段落にあります。
この法案に関して、イタリア議会は現在様々な観点から議論をしていますが、
なかでももっとも重要なのは、当事者が自らの名誉を傷つけると判断したコンテンツについて、
どんなウェブサイトも48時間以内に訂正を公表しなければならない、という事項です。
法案では、当事者の主張を第三者が検証することは残念ながら求められておらず、
名誉が傷つけられるという意見さえあれば、訂正が強要されることになっています。
したがって、ブログ、ネットニュース、ウィキペディアで公表されたコンテンツから不快感を感じた人は誰でも、
問題のコンテンツおよびその情報源の内容が真実であったとしても、
「訂正版」の公表を要求することができるようになります。
ウィキペディアの利用者(ご存知のとおり、ウィキペディアには編集責任者はいません)たちは、長年に渡って、
コンテンツへの異論があったとき、プロジェクトの中立性と独立性を尊重しながらも、必要に応じて調査と修正を続けてきました。
ごくまれに、意見を踏まえて項目として成立させられなくなった場合にページそのものを削除することもありました。
訂正要求を議論と検証なしにそのままサイト上に掲載しなければならないという第29段落の要請は、
ウィキペディアの自由と独立性にとって受け入れがたい制約となります。
自由な百科事典としての基本原則を曲げることになり、
私たちが知る「水平」な編集の仕組みを停止させることになります。
あらゆる当事者の名誉と名声を守ることは私たちにとって言うまでもなく重要なことです。
しかし、イタリア市民はすでに刑法595条によって名誉毀損から守られていることも事実です。
今回の声明で、私たちは読者の皆様に対して、あらゆる当事者が自らの名誉についての性急な保護をみだりに強要できるようになることから生まれる危険について、注意を喚起したいと思います。
そうした制約を受ければ、「面倒を回避する」ため、インターネットユーザーは特定の話題や人々に触れることを控えるようになるでしょう。
私たちは、自由で誰にでも開かれた百科事典を提供し続けたいと思います。
私たちの記事は皆さまの記事でもあり、だからこそウィキペディアは中立です。
なぜそれを止めなければならないのでしょうか?
ウィキペディア利用者一同
関連リンク:
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2011/09/post-346.php
フジ子・ヘミングについて冷泉彰彦が書いた文章を「いまさら」見たので,わたしの雑感を書く.
私が聞いた時,彼女の調子が悪かったのかもしれないが,彼女の「音」にはまったく感慨を覚えなかった.個人的に感想としては,演奏が始まる前,調律師が調律していた音の方が,よっぽど「ブリリアント」であった.おまえはなぜヨーロッパのオーケストラを聞くのか,と問われたら,こう答えるだろう.「音が違うから」と.それだけ,日本のオーケストラとヨーロッパのオーケストラでは,音がちがう.ピアノ演奏はあまり聞いたことがないが,少なくとも一人立体的な音を出している人はしっている.アルゼンチン出身の女性が出していた音は,立体的でたいへん美しかった.
たしかに,フジコの演奏を予断なく聴いて感動している人に水を差すようなことはしない.しかし,朝日新聞に出ているような広告をみたり,フジコがそういった過去を持っていることと彼女の演奏を結びつけたりといったことが過剰であると見受けられるためにクラシックファンに批判されているのではないか.
クラシックの音楽を解釈するために,人生観そして世界観に絡めて理解するというのは理解できる.しかし,それは立ち現われている音と「わたしの」人生観,「わたしの」世界観を絡めて解釈する行為であって,演奏者個人の来歴はさほど関係ない.演奏者個人の来歴が関係してくるのは,演奏に対しての価値判断が行われる場所においてであろう.つまり,フジコの演奏を聴いて,「天涯孤独だから」演奏に感動するというのはあまりよろしい態度ではないとわたしは思う.よって,「ブレンデル引退コンサートに巨匠の人生が凝縮されている」とわたしは述べない.「ブレンデルはさすがに引退か」とは思うが,そことは離れた場所で演奏を聴き判断する.そして演奏を判断するためのものとして,「音」「技術」「技巧」というものがあるのである.どんない偉大な経歴であったとしても,その場で聞いてしっくりこなかったのであれば,しっくりこなかった感動したのであれば,感動したと思えばよい.その場所に,「フジコの半生はこんなで」とか「ブレンデルの引退コンサートだから人生が云々」という話は関係ないのである.そういった話を引きはなして,演奏を聴かないがためにフジコファンは「耳がない」と馬鹿にされるのである.(フジコの弟が大声でブラボーと曲毎に叫ぶのも興ざめ)
物語を作って,物語の登場人物をステージにのせ,半生を聴衆に回顧させ,お涙頂戴芸をやっているから,フジコは批判される.それにわたしから言わせてもらうと,最初にフジコなんぞの演奏を聴いてしまった方がかわいそうである(フジコの演奏をすべて私は否定したいのではない,最初に出したアルバムは良いと思う.その後は練習不足がたたってか,年なのかしらないが全然ダメだと思っている).
ピアノの演奏には,お涙頂戴芸以上に素晴らしい芸術がある.それの根幹となっているのが各人が出す音である.フジコは全くそこができていない(というよりも年で,もうまともな音が出ないのではないか.長年鍛錬してきた他の老ピアニストと違って彼女にはブランクがある).その点から,フジコはさっさとお涙頂戴芸をやめるべきだし,フジコの演奏を非難しているのは,頭の固い日本の馬鹿クラシックファンだという発言をするのもやめていただきたい.
あとCDだといくらでもごまかせるので,実演聞いて判断するべき.
わたしのおすすめのピアニストは,ハンガリー出身でいまはイタリアに住んでるおじさんとか,ルーマニア出身で最近日本に演奏に来たのにおなかが痛くなって残念ながら帰ってしまったおじさんとか,アルゼンチン出身で体調不良でコンサートをキャンセルしてしまったおばあさんとか,もっといろいろいるがこの辺で.
イタリアとかクッソ景気悪いけどな…