はてなキーワード: 責任転嫁とは
・一見おとなしそうでマジメという印象を持たれている。本人はそれを好印象と思っているが、他人には変な人、挙動不審な人としか認識されていない。
・謙虚なのは最初だけで、気を許すと途端に攻撃的になる。会話が苦手なだけで、本当の性格は短気で傲慢、他人を見下している。そのため人間関係が長続きしない。
・プライドが高く「本当の自分はこんなはずじゃない」と常に鬱屈した感情を持っている。
・人との関わりを避け、ゲームやアニメ、マンガなど1人で没頭出来ることを趣味としている。
・子供の頃は親や周囲の大人の言う事をよく聞き、大人になってからも自立せず囲いの中で生きている。
・親との仲が良い。その日の出来事は包み隠さず親に話す。母親は息子を王子様扱いし、他人にはばからず話すので、周囲からは息子はマザコンだとばれている。
・論理的、合理的な思考を重んじる。
・女性にモテるイケメンやDQNに対して強い不快感と憎しみを持つ。
・恐怖心から他人を名前で呼ばない。タメ口や馴れ馴れしい言葉遣い、呼び捨てにされると強い不快感を示す。
・基本的に声が小さく、よく人に聞き返される。女性との会話は普段よりかん高い声になる。コミュニケーション能力も乏しい。
・人と交わらず苦労してないので年の割に顔にしまりがなく、ファッションに対する意識は中学生の時から進歩していない。
・淋しがり屋だが団体行動が苦手、ワイワイ盛り上がるのも苦手。逆にみんなが盛り上がってると妙に冷める。
・静かで清楚な女性が好き。これは好きと言うより、自分が主導権を握るためで我が強い。
・大事件や大災害が起こらないかなぁ・・・と毎日心の何処かで期待している。
・逃避するだけの毎日、過去の失敗を引きずっていてそのことを思い出す度に思わず声が出そうになる。
・容姿や身長、体格になんらかの強いコンプレックスを持っている。
・絶対に自分の非は認めず、何かあれば「他人が悪い、社会が悪い」と責任転嫁する。女性にモテない理由は「最近の女は男を見る目がない」から。
私も悪いところがあるので、決して相手だけ悪かったとはいいません。
…が、一方的に悪者扱いされて、でも周囲に「反論したりしたら泥沼だよ」と言われて我慢した分のうっぷんをここで晴らさせてください。
あまり面白いものではないのかもしれないので、気分悪くなりたくない方、あと時間のない方(長いっす)は回れ右、でw
私は、恥ずかしながら小説を書いたりするのですが、ある小説コンテンツ上で公開した小説に「すごい面白かったです。漫画化していいですか?」と書き込みしてきたのがその相手でした。
ほかにも面白かった、というコメントはあったのですが、実際に絵がうまい人に、漫画化までしてもらえる、というので、私は舞い上がりました。
彼は、自分の境遇とその主人公が似ていると言っていて、かなりのスピードで、実際に漫画を描いてくれました(でも、完璧主義らしくて気に入らないところがあったとか言って消されて結局見てませんが。。。)
なので、私も資料探しなんかに協力していたのですが、そのうちにいろいろ話がもりあがり、ほぼ毎日メールをするようになりました。
ところがあるとき、突然彼が登録していたSNSのアバターを女性のようなものに変えたので、その意図を問うたら、謎を解いたうえで自分に会いに来い、と言ってきたのですが、いろいろ問い詰めているうちに結局性同一障害で、体は女なのだ、と告白してきました。
そして今まで話をしていた内容のほとんども嘘だ、と。
それでも私は仲良くなった相手だし、その時はまだ常識のある人物のように感じられたので、いろいろと嘘をつかれていたことを全部水に流して、そのあとも付き合いを続けていくことにしまた。
けれどおかしくなってきたのはそのあとです。
ちょうど去年の今頃くらいからでしょうか。
彼の作っていたSNS上のサークルに参加したのですが、メールでやり取りしていた時とは違い、気に入らないことがあると雑談版に書き込み、その後とにかく攻撃的なメールを携帯にしてきて、ぼこぼこにされたのです。
そのあまりの内容に、私が泣きながら電話をして謝って仲直りをして、を繰り返していました。
はっきり言って今思えばその内容も、矛盾だらけだったし、「それ私悪くないじゃん」的な内容や、彼が勝手に事実を捻じ曲げて発言していたり、自分が言ったことを責任転嫁していた部分も多かったのですが、人格否定するような言葉の羅列に打ちのめされてしまって反論もできずにいたんです。
そのため、もう縁を切ろう、と毎回思いました。ですが、相手は自分を信じていろいろさらけ出してくれたのだし、それを突き放すのはいけない、と我慢して電話をしてつなぎをつけていました。
そうして、ほぼ月一で、ほとんど喧嘩、というより人格否定のオンパレードのメールが来きて、それに私が電話して謝って、の儀式が続いていたある日、突然『忙しいから』と彼がサークルを脱退しました。
その直前にサークルメンバーへのバッシングを書き連ねていた彼は、新たにサークルを立ち上げる宣言をしていましたが、それらのコメントも全部消したうえで突然の脱退……
管理人は直前に私に委譲されていましたが、実質上の管理者の脱退でサークルは混乱しました。
けれどつながってすぐぶち、と切られる始末。
メールも送ったら「アドレスが不明です」といったエラーメールが返ってきて、ほんの一昨日送った時には通じたメールがアドレス変更されて通じなくなっていたのです。
加え、SNSでは私はブラックリストに入れられて彼のプロフも見れない状態となり、完全に連絡が取れなくなってしまいました。
しかも彼は別のサークルを立ち上げ、そこで楽しく新しいメンバーと活動を始めただけでなく、ブラリしてない旧サークルの一部のメンバーだけそこに誘ったり、していて、私もブラリされたほかの子も「ああ、切り捨てられたんだな、と実感していました」
そんな扱いをされてはもうしかたない、と、私を含めたサークルメンバーは、見切りをつけて自分たちで新しいサークルを立ち上げよう、と動き始めたのです――が、その矢先です。
大体1か月くらいたったころですかね。
それも、恐ろしく普通の感じで。
「ちょっと忙しかったから全部シャットアウトしてたんだ、うん。携帯壊れたからここに連絡くれ」
と番号付のメールが来ました。
ガチャ切り、アドレス変更、理由のわからぬブラックリスト入り、突然のサークル脱退。
それで、かなり頭に来ていた私は、完全に無視していたのですが、そうしたら私の小説を上げていたHPブログ、ヤフブロ、どころかアメーバピグのメッセージも送ってきたうえ、私のピグライフの庭にまで出没し、私の名前のわかるところすべてにコメントをしてきました。
バッシングもあれば、すがるようなコメントもあり、日と時間でコロコロと内容の変わるメッセージやコメントがずらずらとならんだのです。
私はペンネームをそのままハンドルネームにしていたので、簡単に追跡できる状態だったとはいえ、ほとんどストーカー状態で付きまとわれ、しかも彼自身の開設したブログで「あいつの書いている小説は俺の盗作だ」とか「サークルの世界観も似たようなの知ってるしな。パクリと言われないといいけど」といったバッシングには、精神的に参ってきてしまいました。
そこで、サークルで関係したメンバー全員で文面を考え、彼がよくメンバーにやっていたように「返信不要」とつけた一方的なメールを送り、絶縁状を叩きつけたのですが、そうしたら今度はトーンの変わったメールが全員に送られてきたのです。
「このたびは迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。一言電話で直接お詫びをさせてください。それができなければ自分は存在する価値がないため、今日中に自殺します」
いや、こけおどしと分かっていたんです。仲間には放っておけ、という人もいました。
でも、自分のせいで死なれるなんていやだ、と思い仕方なく電話しました。
ですが、そこでまた、さらに恐ろしいことを言われたんです。
「いや、実は一回会った時(一回リアで会ってたんです)からマジで好きで、どうしてもつなぎ取りたくて、でもやり方がわからなかったからあんなやり方したんだ」
――正直、馬鹿じゃないの、と思いましたよ。
たとえどんな理由だとしても、一生懸命書いた小説を盗作扱いされ、世界観を馬鹿にされ、それで好きと言われて「本当に???」と喜ぶ女がどこにいよう。
その時はとりあえず、すでにリスカしたとかいう相手を刺激しないように、と温和な感じで話をしましたが、もう話をする気ないことは伝えていました。
でも、私の中にはぐるぐると「盗作」「パクリ」という言葉が渦巻いていました。
何時間もかけ、創意工夫を凝らして書いたものをそういわれるのがショックで、それに正直、相手のことはもうどうでもいいと思っていたし『ネット絶ちする』と言っていた言葉を試す意味で、ブログにこの落ち込みを書いていました。
「お前、ブログに書くな言うたやろ。それに、今思えば俺だけが悪いわけじゃないし、手打ちするなら今まで、俺が更けてるとか、描いてる絵は老け顔が多いとか言ってきた件についてそっちが謝ってこい」
とのこと。
古い喧嘩の内容を蒸し返して…というなら、まあブログに書いた私も私なので納得がいく。
でも、自分が老け顔だ、とか絵が老け顔が多い、と最初に言ったのは自分なのに、それをその場のノリでいじっただけの私が悪いことになっていて、それを謝ってこいという。(逆に何かで私がいじられたことも多々あった)
しかも、前の件って一方的に縁を切ってたのは自分なのに、古い昔の件があるから私が悪いっておかしいでしょ。
あと、
「謝ったら許してやっていい」
あの時は私が「許してやる」はずの立場なのに、なぜ下から私が「許してもら」いに行かねばならないのか。
「俺は精神的に普通じゃないんだから、変な行動をするかもしれないって言ってあっただろ」
それらがあまりにばかばかしかったし、周りみんなから無視するようにアドバイスされていたので、数分おきに入っていた着歴もブログコメントも全部無視していたら、
「もうお互いのことは忘れよう」
とか
みたいな内容のメールが来て、それを最後に連絡は途絶えました。
ようやく連絡が途切れてほっとしているものの、おかげで2作ほど盗作扱いされた小説はあげられなくなりましたし、もやもやしたものが私の中に残りました。
そうしてしばらくもやもやしていたのですが、ふとした拍子に「ボーダー」という存在を知り、ああ、全くあてはまるな、と思ったのです。
来歴の嘘をつき、相手の同情を誘う。
きつい言葉を叩きつけ、激怒するくせに、少しするところりと機嫌が変わって普通に接してくる。
逆にきつい言葉を言われたり、無視されたりすると、自分の存在自体を否定するような言葉を言って消えようとする。
何かあると自殺をほのめかす。
自分が悪かったことを捻じ曲げ、相手のせいにする。
などなど。
でも、今境界性人格障害について知ったのちは縁をきれて本当に良かったな、と思っています。
なんていう考えの人間のそばにいられはしないし、そんな人が支配するサークルではやっていけませんからね。
彼曰く、私は悲劇のヒロインらしいですが、別に同情なんてほしいと思ってません。
ただ腹が立つので吐き出す場がほしいだけです(笑)
そして私の場合、吐き出すのに一番いい方法が文章を書く、というだけです。
これ見つかってまたメール面倒ですが、その時はその時です。
12月下旬に請求した、ソフトバンクから送られてくるはずの書類が
2週間過ぎても送られてこなくて、157に問い合わせたら、登録住所が誤っていて返送されてきたとのこと。住所変更は電話でしたし、確認もしたのに。登録者の誤りとしか思えない。
住所を訂正し、再配送をお願いした。これは約10日はかかるとのこと。(前回も聞いてる)
さて、10日経ってもまだ届かない。
もう一度157に問い合わせする。
この件については責任者に代わってもらう事となり、2日かかり電話がかかってきたのが昨日。
責任者は「発送手続きは今月11日ちゃんと行われているから、郵便局に尋ねろと」のこと。
いや、だから10日過ぎてるよ、郵便局に責任転嫁しちゃったよ。
そもそも11日に発送されてるなら、郵便物が10日もかかるわけない。その辺りきくと
「発送業務はこちらで行っていないから、郵便物として投函された事を証明する手立てはない」
どうも別の部署で準備を行いそれで10日前後かかるらしい。なるほどね。
そしてその書類は早急に必要なもの。もうこれ以上待てない。請求してから1ヶ月以上は待ってる。
責任者はもう一度発送準備を行うのが解決法だというが、それだとまた10日待たなければいけない。
早急に欲しい旨を伝えても、これ以外の方法はないといい、「申し訳ありません」と平謝り。
「私も会社員ですから、会社の規則に背く訳にはいかない」頭にくる。
いやいやいや。いやいやいや。そんな事言われても。そらあんたの都合だろ。
トラブルを柔軟に解決するのがあんたのいうところの「責任者」だろ。
マニュアルに無い事はできないの?責任者なのに?名ばかりの責任者????
2回目請求時に届けば、住所誤りについての責任追及などしなかった。
今回も迅速に対応してくれればこんなに腹が立つ思いはしなかった。
責任者なら10日かかる発送の作業を1日に縮める手続きぐらい行えるだろ。
そんなに難しい事いってる?会社の規則?言い訳じゃないの。これは例外なんじゃないの?
請求してから1ヶ月も待ってるのよ??必要なのよ??
おいおいおいおいおい。そんな暇あるなら明日あんたが書類作成して郵便局言って発送しろよ!
ていうかそれを判断できる部署があるなら最初から言えよ!時間無駄にしたわ!
大馬鹿野郎。お前がは言っているのは只の責任転嫁だ。自分のやったことを自分の親に責任転嫁しているだけだ。
周りに迷惑をかけるような人間で世の中が溢れ返るくらいなら少子化になってくれた方が遥かにマシだよ。
それに、なぜ「責任を負うものは誰か一人でなくちゃいけない」という方向に話を流してるんだ……。
責任についての話をすれば、
どう言い訳したところで、「子供A」を作り育てたのが「親A」であるのなら、「子供A」についての責任が「親A」に発生することは免れない。
そして、たとえ「親A」が「親Aの親」からロクな教育を受けることがなかった為に「親A」は「子供A」をうまく育てられなかったのだとしても、
「子供Aを作ろう」という選択肢を「親A」が自分の責任で選んだのであれば「親A」に発生することに変わりはない。
自分でソレを選んでおきながら、それすらもお前は「親の親」のせいにする気なのか?
だが例外もある。
自分の責任で選ぶことができないような状態で「子供A」を作ってしまった場合などだ。
例えば「親Aの親」から「親A」に「子供を作らないと殺すぞ」と脅された、とかな。
そして最後にもう一度言うが、別に自分は「人格障害・発達障害の子」は後天的な理由でそうなったと決めつけるような事は全くしていないし、そうだと決め付けるつもりもない。
先天的な理由なのか後天的な理由なのか確証が得られないことを、「先天的な理由のせいだ」と決め付けるような真似をするな、という当たり前のことを言っているだけだ。
もう少し、冷静に人の話を聞いてくれ。
そーいう言い方する人って世の中でたくさん見かけるけど、考え方が間違ってるような気がする。
「○○の所為にしてる」んではなく、「○○の所為で(も)ある」ことは「事実」なんだろうと思う。
でも、だからといって、それを理由に何もせずにいることが許される訳ではなく(それが理由で何もできない場合もあるだろうが)、「諦めたら試合終了的」なことが言いたいんだろうけど、
そういった相手の事情を無視して「努力不足」だの「甘え」だのと罵声に近い言葉を一方的に浴びせるのはかなり「乱暴」だと思う。
そういう言い方は相手の為にならないし、そういう考え方は自分の為にもならない。ロードオブザ鬱だよ。
――いや、相手によるかな? DQNみたいに調子に乗ってるタイプになら有効かもしれない。
少なくとも自責してるような真面目なタイプの人には逆効果なんだろうなと。
自分で自分を責めているのだからその人のことはもう責める必要が無いわけで、追い詰められてる人を更に追い込んでるのだから、
なぜ「乱暴」になるのかと言えば、「甘え」や「努力不足」という無神経な言い方自体が相手を無意味に逆なでるものだからということもあるけど、
その人が「そうなってしまった事に○○の影響があったのは事実」である以上、
「○○の所為でもあることを度外視して、完全にその人一人だけの所為にしてる」事になるわけだから、それこそ責任転嫁をしてることになる。
そういうことを言われる側からしたら、「責任転嫁をするな!」という言葉で責任転嫁をされてることになるので、かなーりタチが悪い。
なんでも多数決、なんでも話し合い、って国際連盟みたくするつもりですか?
多くの人に伺いをたてたり多数決をしても、気休めか他人への責任転嫁(=うやむやにして消す)にしかならないことは多いぜ。
気分だけ安全なつもりなら良いのかな?
橋下氏だって、まったく一人で情報を仕入れて方針を策定したり意思決定してるわけじゃないだろ。
それとも、ごまかし市政の平松氏みたいな人にわざわざ拒否権持たせるつもりかな?
世間では現行のまま何も変えないほうがいい場合もたくさんあるけど、
一東京人からしても、大阪市の政治はめちゃくちゃだと思うもん。(もっとも殆どの情報はマスコミ経由だから嘘が入ってるかもしれないけど)
その1:元々真意は伝わりにくくて当たり前、って考えにはっとしたんだけど、
ハイクでは誤解以前の問題で(意図的に/悪意を持って)元には書いていない尾ひれを付け加えた挙句
吹聴する人もたまーにいるので困惑してるとか何とか。
世の中の人間はみんな大量のスターを欲しがってると考えるのって典型的ハイク脳だと思う。批判はしないけど私は入信してません。
ハイカーにとってスターが後生大切なもんだってのはわかったから、ただ他人がすべて自分と同じ思考回路だと断定するのはやめてくれ。
(望まないしがらみがあるのはともかく)筆不精な人間もいるんだよぉ~・・・・
その2:ファン欄って望んでなくても目に入ってくるのが理不尽だと思う。favoritesを左カラムにしてほしい人も結構いるんじゃないの?
大部分の人(絵師さんとか、普通の方)は進んで見に行ってるけどさ。まあその・・・悪意をぶつけてくる人や、なにかと電波撒き散らす人とかはあまり見たくないのよ。
その3:いやだ、こいつウザイっていいながらお気に入り登録してるのは勝手ですが、
増田の親はおそらく「こんな奴」なんだろうが
なぜならモトマスダの子供は普通程度には幸せな可能性があるからだ
モトマスダは怠惰な責任転嫁厨だが子供の教育には少なくとも興味があるらしい
「こんな奴の子供として生れる子の身にもなれと言いたい」?
増田はこんな奴の子供として生まれた自分に同情してほしいのか?
それともこんな奴の子供に同情している自分を否定されたくないのか?
非常に残念だが同情だけでは世界は変わらないよ
愛が世界を救わないのとは同程度に
まったく関係のない蛇足だが、
どんなに親が幸せを注いでも、残念ながら、満たされない子供というものはいる
育てかたの違いではおそらく、ない
奴らは声高に自分の親を責め、
自分の理想からちょっとでも外れると「おまえは毒親だ!」と罵ってくる
そういう自分が毒を振りまいていることには目を閉じてな
毒になる親という本は確かにセンセーショナルだった
この本で救われた人間も数多くいるだろう
だが、一部の「毒になる子供」はこの本を利用して
ただでさえずるがしこい性悪に余計な知恵をつけさせた、という点では罪深い本だ
確かに「親がこうだと、こうなりやすい」という傾向というものはある
ただし、それは絶対ではない
増田はおそらく同情心に富んだ優しい人間なんだろうと想像するが、
あまり周りを見過ぎないほうがいい
深い面識もないのに「親が」と言ってくる奴がいたらスルーしたほうがいい
利用されるだけ利用されて吸い取られるぞ
1: 笑顔がない
2: お礼を言わない
3: 美味しいと言わない
4: 精気がない
5: 自信がない
6: 掃除をしない
7: 愚痴をこぼす
8: 綺麗に見せない
9: 希望や信念がない
10:いつも周囲が悪いと思っている
12:声が小さくイジける
13:なんでもないことに傷つく
14:他人に嫉妬する
15:目が輝いていない
16:いつも口がへの字の形がしている
17:いつも眉間にシワができる
19:他人をうらやむ
20:悲観的に物事を考える
21:問題意識を持っていない
22:他人につくさない
23:他人を信じない
24:意欲がない
25:謙虚さがない
29:存在自体が周囲を暗くする
30:嘘を言う
31:弱い者の立場を考えない
32:約束を守らない
33:挑戦を否定する
34:新しい可能性を考えない
35:変化を受け入れられない
36:必要な時に必要なことをしない
37:流れに反発する
38:勇気が無い
39:不満はためて一気に出す
三つ以上当てはまる人は生き方を見直したほうがいい。
三つ以上当てはまる人を見かけたら近寄らないほうがいい。
とにかく自分本位。自分の望む要件を満たしてくれない相手を見下したがる。
道理で話に筋が通ってないと思ったら根本から何かおかしいというのはよくあること。
彼の頭の中では理想郷が描かれている。
知っていることを指摘されるとそれくらいは知ってますよ、とか言っちゃう。
行為を叱った時に発する「じゃあどうすればいいんですか!」も得意ワード。
前者はお前クズだなと言われると全力で否定する。
後者はもうどうしようもない。
どうするのお前?って聞かれてどうしましょうかねえとか言っちゃう。
90%助けてもらっても最後の10%を自分の力でやっただけで自分の手柄と勘違いし調子に乗る。
謝罪なし、感謝なし、自覚なし。
彼らに近づいてはいけない最も大きな理由。
自分以外の要因で都合が悪くなったなら何でも許されると思っている。
例えば教授にヘルプを頼まれたら無言で輪講の約束をブッチしてもいいと思っている。
勿論出来ない。
言った通りにやらない→間違った行動を逐一叱る→じゃあどうすればいいんですか!
上の条項を全て乗り越えて彼を救ったとしても、彼は後続者に何一つ学んだことを伝えられない。
ちょっと前に40歳を超えたおっさんなんだけど、ここ半年ほどとても不思議な感覚に包まれている。
なんか、周辺が自分に対して優しいのだ。以前よりはるかに自分は他人に優しく接せられていると思う。これが例えば、家族の中だけとか、会社の中だけであったとするなら、たんに自分の評価が上がってきたとか、ゴマスリされてるだけという可能性もあるんだけど、初対面であるはずの、コンビニのレジの人やら、道を聞く為に呼び止めた通行人やら、キャバクラのお姉ちゃんまでもが優しいのだ。決して自分はダンディなオジサマではなく、そこらの"おっさん"であるのにだ。歳相応に老けてもいる。ここに歳相応に力が抜けてきて雰囲気が良くなってきているとかそんな話は無いと思う。ほんとにタダのおっさんだからだ。適度に不潔だったりもするし、中年太りでもある。
酔っ払って帰宅する際に、マクドナルドに立ち寄ってコーヒーを飲む事がしばしばある。酔っている程度に合わせて、店員さんに声をかけてしまったりする。スマイルLサイズでくれとか、お姉さんのスマイルは持ち帰り出来ないのとか、酷い酔っ払いジジイである。シラフでこう書くとホント酷いな。タダのおっさんではなく、酷い方のおっさんだな。
で、こういう事をする際、当然のごとく、露骨にイヤな顔をされたり、事務的にいなされたり、奥のキッチンにいる男が睨みつけてきたりとかって話しになる。一応、冗談でやっているだけで、しつこくはしていないので、トラブルになるような事はなく、せいぜい店長さんに窘められる程度でしかない。向こうからしたら迷惑なんだろうけど、こっちは遊びなんだ。まあそりゃ迷惑なのは解ってるけどさ。
このように世間では迷惑行為と言う事になっているとは思うんだけど、ついやってしまうのだから仕方が無いと最近は諦めているんだけど、どうも最近、みんな優しいのである。まあマクドナルドの方針が変わっただけかもしれないのだけど、スマイルLサイズくれと言ったら、すいませんSサイズなんで。と胸を押さえて見せる店員さん。スマイル持ち帰りについては、袋に入れて置いたから家に着いたら見てくれとニッコリ言う店員さん。顔なじみでも無いのに・・・
そこらの居酒屋で、めちゃめちゃ混んでるのに、これってどんな味がするの?とか質問してもイヤな顔1つせずに教えてくれるし、タクシーの運転手だって、細かい指示したってウザがられない。まあ細かい話をするとキリが無いくらい、なんだか以前より確実に優しくされている。会社の中なんかだともっと顕著。別に偉くないし、仕事できる人間でも無いのはみんな知ってるのに。
いったいなんなんだろうねと考えている所に、
http://anond.hatelabo.jp/20110913113734
↑これを見た。
まあこういう人もいるんだろうけど、ちょっと違う意味でピンと来た。
いわゆる、おっさんになると、きっと周りが勝手に、"この人は偉いんだ"って思いがちになるんじゃないかなって。
会社でけっこうありがちなんだけど、先輩や上司にアドバイスを求めにきているんだけど、勝手にこうしたらいいですかね、ああしたらいいですかねって、なんだか妙に大変な方向、ツライ方向に持って行く人が多い。そしてその大変な事に取り組む姿を見てくれ!みたいな。ボクが頑張っている所を見てくれ!みたいなそんな感じ。問題解決する事よりなんかズレてんの。
こっちが、客の無理な要求は聞くな、そこは上司の判断を得ないとダメと言われていますと逃げろ、責任転嫁しろと言っているにも関わらず、俺は逃げない、媚びない、カッコイイみたいなアピールをする。そうは言っても、そういう訳には行かないじゃないですかとか勝手に無理をする。
こっちは、なーんにも偉くなって無いし、こっちも俺は偉いんだぞ!みたいな態度で接してもいない(そもそも偉くない)のに、勝手に変にへりくだってきやがる。この増田みたいに言って来る奴なんて皆無。好きな事を言えばいいのに。もっと楽にやればいいのに。別に年取ったからって偉くもなんとも無いんだから。
数多くの男が、心を煩わされ、病み、憔悴し、時に、恐れ、逃げ回わったメンヘラビッチ。
この問題を、真剣に捉える必要がある。これ以上、被害が拡大しないために・・・。
メンヘラビッチは、特に、ゆとり世代のネット充女子に、多数生息する。
彼女らは、承認欲求から、数多くの男を、ある種、身体を伴い、虜にしてきた。
彼らを救わなければいけない。そして、もうこれ以上、被害を増やしてダメだ。
「なぜ、ここまで、20代、特にネット充に、メンヘラビッチが多いか。」
そして、本質的な問題は、「自己表現とか、自分らしくという名の弊害」であると考える。
※以下、文章は、個人的な積年の恨み節で、書くことを了承いただきたい。
何にもねぇ自己主張の強い女子らが、「らしく」「らしく」と多用する。
彼女らのコミュニケーション活動を通じた自己実現の過程を考察すると、
リアルとバーチャル(←あえて)の二つの外部環境と対峙しているのだ。
そして、「らしく」生きたい思いを
「らしく」いられないのは、
そこには、全くコミットせず、
「らしく」なれないけど、
いつかは、なりたい、私らしさを、夢見ながら。
なりたい自分のような他者と関わることができる。
関わり続ければ、少なくとも、バーチャルでは、
「なんか、こんな人とも繋がってる私はスゴイ。」である。
しかし、それは、私ではない。
彼女らは、ソーシャルメディアの無数の情報を読み、理想をポストし続ける、動物的に。
そして、「らしさ」を持続するためには、バーチャルに、住み続けなければならない。
恒常性が求められるのだ。
自己成長のために、本来するはずの「リアルの自身を再定義して、内部環境(精神と思考)を掘り下げる」行為はせず、
リアルにおいては、自分らしくなく、ネットにおいては自分らしそうという狭間で、
最終的には、
ココではない、どこかに、行きたいけど、
いけないので、承認欲求が高まる。
その不安定性を埋めるのが、リアルで、ビッチになることなのだ。
少しでもルックスがよければ、うってつけである。
なぜなら、彼女らは、リアルでは承認されてはいないが、ネットでは承認されている。
最も簡単な行為は、触れるである。・・・触れたあと、互いの承認行為として、最も簡単なのはry。
みなさん、所詮この程度なのだ。
大いに刹那的な今を生きよう。
そして、精神性を、持ち込むな。
これを読んでいたらもやもやしてきたので書く。
4つだけは本当だということじゃない。
8つすべては「真実」に近いと思う。
実践できれば楽に生きれると思う。
それがいいとか悪いとかいう問題じゃない。
ただ、この理論だけでは結果的に不十分だとおもう。
いったいなにを欺いているのか?
リンク先で語られている内容よりも
語られなかった内容に注意してほしい。
1、今に生きる
過去を悔やんでたらればを繰り返したり、起きてないことをあれこれ憂いたりするのは時間と労力の無駄遣いで非生産的。
2、人や社会に期待をしない
求めたり「こうあるべき」とイメージを持ったりすれば、現実との差異にがっかりすることになる
自分が見ている他人は、他人という物質に反射して映った自分だと考える。
その出来事を通して味わいたい思いや学びたいことがあるからそれを引き付ける。
こうしなきゃ、こうでなきゃ、というのは自己満足であって、大抵の場合は不必要
6、ワクワクするものごとを選ぶ
選択の連続の人生で、自分の心がワクワクする方を正直に選ぶのが一番スムーズ。これができないと葛藤やジレンマに苦しむ
7、自分の行いは必ず帰ってくる
きちんと受け止めないでぶつかった時に、痛いと言って責任転嫁しようとしても事は進まない。
自分が受けたい言動をとればそのまま返ってくる。
8、物事は全て中立
「悪い出来事」「縁起の良い場所」なんてのは本当はなくて、全て中立な物事に自分が意味付けをしてるだけ。
たとえば同じ場に居合わせて災害にあったとしても、ある人はたまたま見舞われたと感じるし、ある人は自分の宗教の教えを遵守しなかったからと捉えるかもしれない。
ぐうの音もでない。
いろんな本を読んだり、テレビを見たり、人と話したりすれば
わりと納得できる考え方だなーと。
(というかこれがわからないとしんどい)
しかし、正しいということとそれが妥当であるということはまた別の問題だと思う。
でも、とりあえず
ということはほぼ間違いないと思う。
世界じゅうの人がみんな
この方法を身につければ
きっと生きやすい世界が目の前に広がると思う。
ちょっと想像してみよう。
(親、兄弟、親戚、同級生、上司、同僚、社会のしくみ、政府、日本、テロリスト、なんでも)が
もし、これらの特性を身につけたならと考えてみよう。
こりゃパラダイスだ!
ぼくたちはお互いがお互いを認められるような
真に寛容な社会を実現できる!
誰と遊んでいようが楽しい!
よーし!あの丘の上まで競争だ!
これらの方法に従うことで楽に生きられると思う。
でもそれは「従うことができれば」の話。
実際、どこの場でも目にする。
「人生論」でも、「大往生」でも、「論語」でも、「エセー」でも、「徒然草」でもなんでもいい
長く広く読まれている「人生の教え」的な本を読んでると
最後にはだいたい前の8つくらいに収まる
(代わりにどっかの社長の話を聞いてもいいし、テレビで美輪明宏さんの話を聞いてもいい)。
昔の人は偉いなあと思う。
そういう感じの本はいろいろ読んだ気がする。
もちろん、まだまだ読み足りない。
なにせぼくはまだ今年から活字に触れはじめたばっかりだ。
きっと死ぬまで読んでも読み足りないのだけど
個人的には、ぼくの考えを
そういう本が「間違っている」と指摘してくれることを期待して
今のところ、ぼくの考えを「否定してくれる」本は見つからない。
いや、正確に言うと、否定してくれはするけども
それが納得できないのだ。
ぼくの読解能力がないだけならそれでいいんだけど
もしヒマならちょっとぼくの考えを聞いてほしい。
まず1つめのウソ。
ぼくが言いたいのは
すべての人間がこれらの方法を実行するのは不可能だということだ。
古今東西のえらい人がみんな同じ結論にたどりつくなら
さっさとそれを実行すればいいのに
なんで同じ内容の本ばっかり書かれていくんだろう。
それが人間全体に広くみられる普遍的な問題だからじゃないかなあと思うけど
じゃあ、なんでその普遍的な問題が
大昔から今まで解決されないままなんだろう。
般若心経の新訳を読んだ。
ぼくらはなんで2000年も前の真理がいまだに実行できないの?
そりゃあれじゃないの?
大笑いしながら観ていた。
その中の一作で寅さんの「おいちゃん」が
実は若い頃は文学をやりたいと思っていたと話すシーンがある。
おいちゃんは父親にこう言われたらしい。
「団子屋に文学なんか必要ない」
団子屋が文字を読む必要がないなら、
本なんてまったく読まない人がいてもおかしくないんじゃないだろうか。
これは団子屋だけの問題か?
かなり多く存在してるんじゃないのか?
それでなんの不自由もなく生きていけたなら
感覚だけで生きていくことを恥じることもない。
それどころか、論理的なことをバカにさえするかもしれない。
難しいことはわからない。
バック・トゥ・ザ・フューチャーを何十回も観てるのに
なにがどうなっているのかいまだに理解できてない。
でもそれがどうした?
バック・トゥ・ザ・フューチャーの理屈がわからなくてもなんの不自由もない。
熱心な仏教徒や
わかりにくいな…。
その最初の救いを信じていたら
いつのまにか犯罪者の仲間入りをしていたことだってあるみたいだ
(オウム真理教の元信者のそういうエピソードを読んだことがある)。
「念仏を唱えれば救われる」って
そそのかされただけじゃないのか?
バック・トゥ・ザ・フューチャーがわからないお父ちゃん。
念仏を唱えるだけの百姓。
そういう人たちがいるかもしれないと思ったことは?
つまり、ぼくが言いたいのは
読めない人がいるかもしれないということだ。
読んだ人に待ち受けているのは
でも、読んでない人はどうすりゃいい?
で、その論理を理解できなかったら?ほったらかし?
そりゃあもう素晴らしいことになるとおもう。
でも、現実はそうじゃない。
何を語っていないかをもっとよく考えたほうがいい。
この人生訓がなぜいいのかということを
絶望的なまでに理解できない人がいる。
そういう人たちは人生訓が提示されるたびに足場が少なくなっていく。
要するに勉強ができない、感覚で生きている人たちをないがしろにしているのだ。
このたぐいの人生訓すべてが。
掛け算までしかわからない子どもに、方程式の素晴らしさを説いているようなもんだ。
上から目線で「こうしたらいいのに」と言ってしまってることになる。
いつまでも掛け算のところでつまづいて
文句ばっかり言ってる子どもはほったらかして先に授業を進めるべきなの?
掛け算のところに戻って教えなおしたほうがいいんじゃないの?
やっと言いたいことの一つが終わった。
冗長になりそうだけど
もうひとつ言いたいことがある。
更に絶望的な想定だ。
さて、こんな文句をどこかで見たことがあるだろうか。
(まちがってたら言ってください)。
なんかさぁ…
内容自体はそんなに変わらないのに
急にうっとうしくなった気がしない?
どこかで見たことあるなあ…
これどこで見たんやろう…
ああ、そうか
「これ、うちの経営理念やわ」っていう人いる?
その時どんな気分がした?
殺したくなった?
泣きたくなった?
正義づらした誰かに強制されるのだ。
それが「楽に生きる」とは真逆の事態を連れてくる。
この想定のたちの悪いところは
その大義名分が「間違ってない」というところだ。
誤解なら間違ってると指摘することはできるけど
ほぼ正しいと思う。楽に生きるためならね。
え?
間違ってないなら実行できない人が無能で怠惰なんだから仕方ないって?
wikipediaによると2009年の時点で日本のニート総数63万人
彼らがみんな死んでしまえばいいと思うの?
賢くて強い人だけ生き残ればいいと思ってるの?
ニートだけじゃない。実際働いている人でも
(実際これだけの説教レパートリーがあれば人格を破壊するには充分すぎるとおもう)。
(統計を出すつもりはないけど)。
1つめのウソで言及しているような
感覚で生きていて、なおかつこういう人生訓に苦しめられている代表選手は
2つめのウソで言及しているような
こういう人たちはまとめて死ぬべきなのか?
損する人のほうが多くないか?
そう考えたら、「人生を楽に生きる8つの方法」が最後の答えだと思えない。
この考え方を否定してもらいたくてそういう本を読んでいた。
でも納得できない。
これでは救いにならない。
でもいつまでも状況に進展がない。
だれか否定してくれよ。
「おまえ間違ってるよ!」って。
1つめのウソについては別の解決策が見当たらないし探そうともしてないけど
そして、その解決策をこの場で披露することを許していただきたい。
枠組みを作ろうと思う。
ほとんど働かなくてもいいような枠組み。
楽観的な言い方をすると、これは収益を生み出せるかもしれない。
そうして、口やかましい人たちを黙らせる
http://auauai.tumblr.com/post/9080858048
これはブログでも書いてるけど
やりたいことはphaさんのギークハウス構想に似てると思う。
優しくて閉鎖的な空間だ。
個人的にはなるべく一人でいたいんだけどそのためのコストが高い。
そういう人と連帯を組むことはしたくない。
じゃあ、ぼくが怖がらずに近づけるのは
そういう人たちととりあえずお互いを認め合う。
自信を少しずつ取り戻す。
まずはそこからだ。
誰だって生きていていいんだという相互理解をつくることだ。
心底、世の中に絶望していた。
どれも納得できなかった。
共感をもたらしてはくれたけど
やっぱり現実はしんどいままだった。
山の中に草庵でも建てて住もうと本気で思っていた
(いまでもその選択肢を考えてる)。
いくら本を読んでも
現在の恐怖と、わずか数年後の不安を解決してくれるものすらなかった。
でも最近考え方が変わった。
それもやはり本を読んで変わった
(次に挙げるだめ連の本とはまた違う本だ)。
だめ連の本によると
連帯すると分散される(当たり前か)。
家賃10万円の家を10人で借りたら一人1万円だ。そういうことだ。
近隣の人の援助もあったらしい。
それはちょっとできるかどうかわからない。
でもぼくらにはインターネットというツールがある。
レゴ作って2chにスレ立てるだけでプロビルダーになる人がいたり
自分の顔を毎日撮って繋げただけの動画がYoutubeで何万再生もされたり
「ありがとごじゃいます」って歌って動画として公開するだけでテレビに出演できたり
要するに「好き」とか「やってみた」とかの
ということは
そういうしょーもないアイディアが収益化する可能性があるのだ。
ちょっとでもおもしろそうなことはなんでもやってみりゃいいのだ。
社会不適合者が集まっているということだけでもちょっとおもしろいかもしれない。
誰が許さなくても本当は関係ないんだよね。
心苦しさを飛び越えるほどの、欲求があればぼくらは動ける。
外にある楽しいことに手を出すのは怖いしめんどくさいけど
ネトゲくらいならちょっとやってみようかなーなんて思える。
とりあえずヒマならその家に集まってみて
生きるのに向いてない人がリラックスできる場をつくる。
なんかちょっとやる気出たり、アイディアわいてきたら
そういう人たちの「好き」とか「アイディア」を片手間でネットに発信してみる
(ぼくもいくつかアイディアがある)
奇しくもこの考え方は
楽しいことだけを追い求めて生きていくことが可能かどうか確かめたいのだ。
しかし、生きるのに向いてない人がラクになれる場所
(SNSでの付き合いで世界のツラさを「ごまかす」だけじゃない場所だ)
これができるだけでも意味はあると思う。
もうだから早く家借りよう。
とりあえず、ツイッターかmixiかメールかなんでもいいから連絡をください。
http://twitter.com/yukkun1986/
http://mixi.jp/show_profile.pl?id=25533767&from=navi
breed0902@gmail.com
(悪いことをまったくやってないってことじゃないけど)。
たすけてくれよ。「私も怖かった」って言ってくれよ。
怖いよねー(*´・ω・`)(´・ω・`*)ネーって慰め合おうよ。
別に住まんでもいいのよ家には
慰めとか遊びとかアイディアの拠点にするねん。
もう疲れた。
もう待てない。
もう泣きたくない。
誰かが泣くのも見たくない。
きみは死ぬな。
それでも生きれるようにしたいのよ。
ぼくもきみも。
これがぼくらの「楽に生きるための一つの方法」じゃないかと思うんだ。
コメントに返事を書く!
なげーよ。
ごめんなさい。短くしようともしてませんでした。
短く的確に書ければいいなと思います。
書いていくだけでその練習になればいいななどと虫のいいことを思ってます。
誰も強制してないし、できない奴を馬鹿にしてもいない。自意識過剰/自分以下を眺めて満足したいだけでは?/「5. 自分がいなくても世界は回る」の「自分」は語り手を選ばないからこそ「楽」につながる
http://d.hatena.ne.jp/islecape/20110801/yome
上の2つのエントリーなどで、有名ブログ「中国嫁日記」が差別的かどうかという話題が妙な盛り上がりを見せているようで。とはいえ、この手の議論の常として、互いに感情論を飛ばしあうだけの、ぐだぐだな結末になっているようですが。
少なくとも今回の議論に限り、ここまでぐだぐだになった原因は問題提起側、すなわち「嫁などという性差別的な言葉を使うとは何事か!」と言い出した側にあります。なにしろ、嫁という言葉を再三再四あげつらっておきながら、なぜ「嫁」という文字の使用に問題があるのか一度も説明していないのですから。
たったこれだけの「自分の感覚」をよりどころに、あれだけの長文を書き上げ挙句社会まで語ってしまうと言うのは、その壮大な構成力に賞賛を贈らせて頂くより他にありません。その果て、このブログ主さんは
しかしそれにしても、前述のTogetterの ものの役に立たなさはどうしたことでしょうか。「これが差別なんて、なにを考えているのか」という自身の感覚の披瀝や、「こういう人は他人を差別するために機先を制して自分が差別と言っているだけ」という主張に熱心な人が多いのですが、 …(途中略)… だいたい未来にむけて記録すべき思考の痕跡とも思えません。「当時」の大衆の程度を知る材料にはなりますかね。
と嘆いておられるのですが、そりゃ「嫁なんて言葉はけしからん!」という「自身の感覚の披瀝」に過ぎないtwitterに対して、客観的かつ論理的な反論を要求するのは無茶というものでしょう。自分が見えていない人間とはよくよく怖いもの無しのようです。
しかし折角なので、ここではその無茶への挑戦をしてみたいと思います。上のエントリーの中国嫁けしからん!嫁は差別!精神が疲れる!という切なる悲鳴に対して、どこまで客観的な「反論」をなし得るのでしょうか。単純化のために、ここでは内容については一切議論せず、「中国嫁日記」というネーミングの是非だけを考えましょう。
さて、客観的と言うからには、ここで「俺は嫁って別に差別的じゃないと思うけど」と張り合ってみても意味がないのは明らかです。ここで必要なのは中立的な第三者の視点であり、そして私の手元にはこれ以上は望み得ないくらいに客観的な視点があります。広辞苑と新漢語林。要するに辞書です。
広辞苑によると、嫁は
(1) 息子の妻
(3) 結婚の相手としての女。嫁した女。妻。
(4) 「嫁が君」(ネズミ)の略
とあります。二番目の意味から、まず中国嫁日記の嫁の使用法が間違ってはいないことが分かります。まだ新婚さんみたいですから。さらに漢語林を引くと、
とあります。恐らく、嫁という字が一部の人たちから忌み嫌われる理由の一部がここにあります。家の従属物的な意味合いを感じ取って、それが性差別であるという論法のようです。とりあえず事の是非は置いておいて、代替語についても調べておきましょう。
妻: かんざしに手をやり、髪を整え飾る女性のさまから、つまの意味を表す。
奥: 貴人の妻の称。貴人の居室。大切にすること。など多数の意味を持つ。室も同義。
婦: 女+帚。帚はほうきの意味。ほうきを持つ女性、家事に服する人の意味を表す。転じて、一家の主婦。一家の切り盛りをする女性。または子の妻。
細君: 細は小さい、かぼそいことを示す字。愚妻などと同じ謙譲表現。ただし、最近は細にこまやかという意味もあるせいか、他人の妻をいう語に用いられることが多い。
他にも連れ合いとか家内とかありますが、もう十分でしょう。妻というのはなかなかに色っぽい文字で、言葉自体には結婚関係を表す意味合いがないのが嫁との違いです。ちなみに、夫も大人が冠を付けている様をしめすだけの文字なので、夫妻という言葉は男女という言葉と解字上はあまり差がありません。一方で生活感が溢れまくっているのが婦の字で、家政婦や助産婦など、女性が多く働く職業にこの文字が使われるのも、事の是非はさておき自然と言えるでしょう。
奥・室は、元々家の神を祀る場所を意味したこともあって実にエレガントな言葉で、自分の配偶者を「奥さん」と呼称する人もいるようです。しかし、元は貴人の妻を表す表現である以上、日本語表現としては非常に据わりが悪い。そもそも、定義から言えば自分が貴人と言うことになってしまいます。配偶者は実に中立的ですが、3文字を費やした挙句に性別も分からないというのは、法律用語としては便利でも本のタイトルとしては問題外です。
こうしてみると、本のタイトルとして使い物になりそうなのは嫁か妻かの2択と言うことになりそうです。この2つの文字が決定的に違うのは、嫁には「移動する」という概念が強く存在する点です。生家から夫の家へと。だからこそ、嫁に来る、嫁に行く、という表現はあっても、妻に来る、という表現はあり得ません。責任転嫁に嫁の字を当てるのも同じ理由からでしょう。中国嫁日記というのは、中国からやってきた奥さんが異文化の日本で楽しんだり悪戦苦闘したり、旦那さんと新婚生活をエンジョイするのを描く日記です。ならば、単純に中国人の配偶者であることしか意味しない中国妻よりも、「中国から来た嫁の日記」とするほうが遥かに適切でしょう。
もちろん、このように語を連ねずとも、常識的な日本語感覚を持つ人にとっては、中国嫁日記の方が据わりが良いというのは直感的に明らかなのですけれども。
さて、問題の差別性の有無についてですが、今回の騒動でひとつ明らかとなったのは、「嫁という言葉は差別的である」と思う人とそうでない人が両方存在すると言うことです。どちらかといえば、差別的と感じない人の方が多いようにも見えます。ここからは私個人の主観になりますが、嫁が嫁ぐ「家」の概念が過去数十年で大きく変わったためであるように思います。昔は女性の嫁ぐ先は夫の実家であり、夫の親兄弟との同居を意味しました。ここでの家は正に「夫の家」であり、「妻の家」にはなりえません。ついでに、義理の親兄弟の世話まで任されることも多かったわけで、妻にとってはなかなかにストレスのたまる環境であったことでしょう。この状況下で「嫁」という言葉にネガティブな意味合いが生まれるのは無理からぬ事かも知れません。
しかし、核家族化の定着すると、花嫁が嫁ぐ「家」には夫と妻の二人しかいません。この「家」を夫の家、と考えるのには無理があります - この「家」はふたりだけのものなのですから。多くの日本人にとって、この「家」に嫁として嫁ぐこと自体は、特にネガティブな意味を持たなくなって来ているように思います。もちろん、女性であるが故のディスアドバンテージがこれで消えたわけではないでしょう。しかし、それはもはや「嫁」であることのディスアドバンテージではなくなってしまったのです。
こう考えると、嫁にやたらと苦痛やら疲労やらを感じてしまう人たちは、非常に古い「家」の概念の持ち主なのかも知れません。運悪く嫁がこき使われる大家族に生まれてしまったとか、時代遅れのフェミニズムの教科書(そんなものがあるのかは知りませんが)にかぶれてしまったとか、そもそも核家族化が進む前に生まれたお年寄りであるとか。どちらにせよ、嫁の字を見ただけで辛い思いをするというのは、同情に値する境遇であることは間違いありません。嫁でこれなのですから、女に帚の婦を見た日には心臓発作でも起こしかねない。全国津々浦々の結婚式場で「新婦入場です」のアナウンスがかかるたびに、その言葉の差別性をこんこんと説き起こし説伏する。その果てにしか彼らの心の平穏はあり得ないのです。彼らフェミニストの想像を絶する試練の日々を、私は涙と共に見守りたいと思います。
「娘の結婚運は父親で決まる」と言う本がありました。
女性批評はデリケートな問題なので、そう言ったタイトルの書物は無いのだろうとは思いますが、
親への責任転嫁は逃避であると同時に、親からの影響は全く無いと言い切るのは驕りであるとも言えます。
親や学校、世間などを筆頭とした外部から受ける影響に翻弄されて生きています。
癌の痛みについてのCMの「痛い時は痛いと言って良い」ではないですが、
「痛い」と感じた時に発言をしなければ、他人はその痛みはわかりませんので、
「痛いと感じている」と発言する事は間違っていないと思いますよ。
宇野常寛「南京大虐殺が捏造か実在か、戦後民主主義が虚妄か否か、 好きなほうを信じればよい」 (宇野常寛『ゼロ年代の想像力』50ページ)
宇野常寛は南京大虐殺について、大きな物語が失墜したから捏造か実在か「好きなほうを信じればよい」と書いた。
意味不明である。大きな物語云々という話と、歴史学における個別の実証研究に、何か関連があるのだろうか?
加えて宇野は、自身の利益に直結する論争ともなれば、東浩紀を「嘘つき」だと批難する、実証主義の立場から反論した。
wakusei2nd:
嘘をついて自分の罪を後輩になすりつけ、それを彼我のフォロアー数の差を利用して論点をずらし、ストーリーをでっちあげてのりきろうとする人には無論ライダーの資格はない。無論会社社長や文学者の資格も。
東浩紀のツイッター論争テクニックは、とにかく自分の捏造したストーリーをフォロアー数の差を利用して喧伝する、というもの。だから今回も読者に証拠まで突きつけられているのに、そこはスルーして全力で別の話題にシフトしようとしている。もう誰もそんな手には乗らないし、呆れてものも言えない。
自身の利益保護についてだけ「実証研究」を求めるのは、明らかにアンフェアだろう。
youtubeに上げられた動画を見れば、宇野は笑いながら東浩紀に相槌を打っている。
東「知ってる?黒瀬が俺に言ったの。カオスラウンジのメンバーの一人は年収7000万なんですよ」
http://www.youtube.com/watch?v=qyV1okRD1rU
よく読めばわかるけど、この文字起こしは「宇野が黒瀬の年収は7000万と語った」などと書いてないよね。
そして東浩紀は、「宇野が黒瀬の年収は7000万と語った」などと責任転嫁していない。
宇野のいう「自分の発言を本気で僕(及びその友人筋)のせいにして押し通すつもりだった」という東浩紀像は、どうみてもフェアじゃない。
それに、あなたもustreamで「7000万ちょっと黒瀬君名言すぎるよそれはw」と参加しているじゃない。
自身も制作と流布に関与しているのに、<東の7000万発言がデマだとは知らなかった>という自分の(法律的な意味での)「善意(・知らなかった)」だけは絶対の前提にする。
しかし東が「善意」から“カオスラウンジのメンバーの一人”の年収を間違ったり忘れていたりしたかもしれない、という可能性は全否定する。
これはフェアな思考じゃないでしょう。
流布における瑣末な間違いを、さも論敵の能動的で極悪非道の悪意のごとく、繰り返し執拗に印象操作するのはどうなんだ?
どうやら、宇野常寛自身の「小さな物語」だけは圧倒的に正しいようだ。
しかも、東浩紀に対してだけではない。これまでも宇野の信じる小さな物語を害する『小さな物語』を語る相手には、高圧的な恫喝をくりかえしている。
「宇野常寛の想像力とかの批評」批判として成り立っているのかいないのか
はあ? そんなこと言った? あなたこそ勝手に人の主張を誇張して批判して悦に入っているだけでしょ?
RT @teramat セカイ系好きな連中はオタクのマザコン野郎でレイプ願望もってる、って冷静に考えるとありえないでしょw
wakusei2nd 2011/01/19 00:09:58
挙句の果てに「トンデモ」認定されました。批判する対象の主張を適当なイメージに基づいて罵倒して、ご満悦の人に。うわー。
RT @teramat 【結論】宇野さんはコンスタティブに読むとトンデモ。しかし「あえて」やってるのだとしたら、つまりパフォーマティブに読めば、これほど影響力のあ
↓こんな雑で恣意的なマッピングで無数の作家や読者を貶めてきた奴が、よく言えるよ。
http://nariyama.sppd.ne.jp/comment0707b.html#070722
これでも宇野常寛の自己イメージは「適当なイメージに基づいて罵倒して、ご満悦の人」ではないんだろうな。
どうやら、宇野常寛自身の「小さな物語」だけは圧倒的に正しいようだ(大切な事だから二回言いました)。
これらの振る舞いって、どうみても彼が批判する「決断主義者」そのものでしょ。
東浩紀氏は、「自分の思い通りにならない玩具は床にたたきつけて壊す」という人で、周囲に対してそんなコミュニケーションを繰り返してきた。しかしそれでは仕事仲間からも、読者からも信頼されない。僕はそのことを彼から反面教師的に学んだ。
wakusei2nd 2011/06/12 13:17:49
その結果が、今の「裸の王様」的な「東浩紀3.0」で、挙句の果てに堂々と嘘をつき、他人を陥れ、それが追求されても誤魔化すようなことを平気でやるようになってしまった。震災以降、言動が以前にも増しておかしくなってきたが、ついにここまで墜ちたか、と思う。
wakusei2nd 2011/06/12 13:19:40
そう思って周囲(僕含む)が、「東さんはそういうキャラだから」と彼の横暴と嘘と卑劣さを結果的に承認してきた。それがこのような事態を招いているのだと思います。RT @soujibucho: @wakusei2nd 東さんが子どもっぽいところがあるのは今に始まったことじゃないし
「結果的に承認してきた」とか言って、宇野は全ての罪悪を東浩紀に押しつけているけど、
例えば↓大澤信亮を東浩紀が批判したとき、宇野は 主体的に大澤バッシングに便乗している。
「責任を仕事で取る方法を探すつもり」)なんて曖昧模糊とした事を言う前に、まず公然と大澤信亮などに謝るのが、
もしも反省しているなら自然な感情だと思う。( http://twitter.com/wakusei2nd/status/79915073577025536 )
吉六会/AZM48による 大澤信亮+文芸誌へのクロスカウンター
大澤信亮: 枝葉末節をつっついて本題をなし崩しにする汚いやり口はよくわかっています。僕はべつにあなたたちを憎んでいない。
ただ、誰かに釣られて振るってしまった暴力をなかったことにせず、内省してほしいと思うだけです。
叩けそうなものを叩いてすっきりする敗北の人生や、子分として忠誠を示し続ける惨めな生き方を克服し、個として生きてほしいだけです。
要するに、全然信頼できないんだよこの人の言動。
決断主義批判していて自分が決断主義者だし、東と宇野というホモソーシャルな関係でとんでもない言葉の暴力の応酬に発展した点で、
同性間の友愛をもちあげてみても説得力が無いし。
宇野氏はまた、
「今回の震災で明らかになったのは、こういう事態が起きたときには、今あるリソースをどう活用するかが問われるということ。そういうときには、原理論ばかりをふりかざして、テンプレ的な批判を繰り返しても話はまったく進まない。中間的なものを考える想像力の不足を感じる」
これもね。
さっさと相反する2つの批評家をつなぐ「中くらいのもの」への想像力とやらを発動してくれよ。
議論における寛容さを。
口だけかよ。