はてなキーワード: データ化とは
アイデアを並べてるだけです。開発力、資金力、時間のない自分は役に立たないのでアイデアだけでもネットに出しておきたい。あわ良くば誰か作ってくれないかなと他力本願な文です。
あと、
あと、思いついたら追記していく。
今回の震災で特にけがはないけどライフライン停止で困った増田です.
まず第一に、我々に見せつけられたのは、被災
元記事を知らないので,その方の考え方についてはわかりませんが,
地震やら台風やらで苦労するのは今に始まったことではないので,
その圧倒的な力の前で,今回いろいろとネットの力が発揮されたのは,
人類が(ちょっと大げさ)また一つ抗うための武器を手に入れたと喜びたくなるのでは.
やはり情報源としては強い.震災にあった時,まずTVを見たいと思いました.
twitter上では「ゆれた!」というtweetばかりでそれ以上の状況把握が困難.
最初の状況把握手段としてTVやラジオは圧倒的に強かったと思います.
東電の輪番停電情報とかニュースで聞いただけではほとんど意味不明でしたよね.
twitter経由で入手できたり地図化されたり表データ化されたりと便利になって流通.
これは放送ではなくネットという情報流通形態があってこそでしょう.
こういうネットの優位性の話は今に始まったことではないのだけど,
まぁ元増田が言いたいのは,元記事の人があまりにも小さな事例一つをとって
えーっと、これは説明しなきゃいけないのか、それともこの人が単にモノを知らないだけなのか。
それに、完璧にデータ化する必要なんてないしな。残されてないデータならそれは不要なものだったってことだろうし、現存するデータで最も情報量が多く時代も遡れる書籍のデータ化をグーグルがやってる。
グーグルは企業ではあるがすべての情報をデータ化することを目標にしてるから、ここら辺がやってくれるだろうし何か問題があるのか?もちろん、情報の収集と保存は世界中の国が国策としてやってる。
誰がどうやってデータ化すんの?
つか、あらゆる分野のあらゆる時代の学問をどうやって網羅すんの?
それもググれば分かるんだとよ(大笑)
MMOの話だけど、MMOに限ったことではない。たぶんすべてに適用できる話。
グローバル化したことで、何が一体「一番良い」のかが丸わかりになってしまった。
その結果、皆がそれを追従することになり、ゲームの多様性が失われつつあると思う。
しかしここで言いたいのは、だからなんとかしようということではなく、なぜ多様性が失われていくのかということへの考察。
MMOにはいろいろな種類があったんだと思うのだが、ここ最近は本当に「クリゲー」とそれ以外しかなくなってしまった。もちろん、それ以外の数はクリゲーとは比べられないほど少ない。
なので、量産クリゲは嫌だ、という人や、量産だというだけでプレイしないという人が増えてきているのだが、だからといって量産クリゲがなくなるかというとそういう気配はない。
これはつまり、ある一定の需要があるということで、嫌だと言っている人はかなりの少数派ということだ。もし嫌だという声が強ければとっくに量産クリゲなどなくなっているだろう。(量産クリゲを作っている会社の大部分は、競争力のない小さな企業)
で、この量産クリゲというものが一体どうして増え続けているのか、それを考えてみると面白いことがわかってくる。
巷でアンチクリゲ派が言っているような「簡単に作れて集金も楽」というのはあくまで金銭から見た、運営からみたメリットの一部分でしかない。
一番重要なのは、「プレイヤーがとりあえずプレイできてしまう」その安定感だ。
クリゲーはまず、操作が楽。クリックするだけでいい上、騎乗アイテムなどもあり、全体的に移動速度は速くなるようにしてある。
さらに、中毒性のある成長システムが多数存在すること。比較的長い期間、ユーザーの厳しい評価にもまれたおかげか、効率的かつ「楽に気持ちよくなれる」強化成長システムが実によくできている。
具体的に言えば生産や装備の強化、ペットの育成など。これらの成長システムをほとんどすべて詰め込むことで、量産であるにも関わらず「たくさんのシステムがある奥の深いゲーム」のように見える。実際は、ほとんどが流用であり開発側はそれだけたくさんのシステムを詰め込んでもあまり人員を必要としない。これはとんでもなく効率的な開発方法だと思う。
なぜ量産クリゲがはやるのか。ここまでくれば大体わかってくる。開発する側にとって、「これが一番効率的でいいものらしい」と認識されているからだ。
ユニクロのような個性的とは言い難い商品を売る企業が潰れないのも同じ理屈で、「苦労して作った」というのは、所詮はただの自己満足に過ぎない部分がある。苦労して作ったので量産品の3倍の値段です、と言われて喜んで出すのは金が余って困っている人間だけなのである。
MMOで考えると、FF14と量産クリゲが非常に好対照だと思う。
FF14はたくさんの人間を使って非常に苦労して作られたゲームのはず。なのに、レビューの点数は軒並み低く、クソゲーと連呼されてしまっている。
一方の量産クリゲーは、雨後のたけのこのように苦労せず次々出てきているにも関わらず、批判の声といえば「量産だからクソ」というもので、システム面が根本的にダメというのはあまり聞かない。
これは、MMOという市場におけるスクエニという企業と量産クリゲ開発ツールの熟練度の差なのだ。
スクエニは八年もFF11を運営していたが、そもそもFF11は同社の初オンラインということで、MMOでユーザーが一体何を求めているのかはほとんどわかっていなかったと思う。リサーチをかけたとしても、何年も運営してきたほかの会社と比べれば未熟そのもの。
にも関わらずこれだけ続いたのは、ひとえにスクエニが持つ「ブランド力」というMMOとは関係ない過去の遺産によるところが多い。つまり、スクエニが開発しなければ、そしてFFでなければあのゲームは淘汰されていたのである。
それは、量産クリゲにFF的な特徴を持ったものがほとんどないことからも裏付けられる。時間を使わせ、できるだけ攻略されないようにということだけでユーザーの快適性を考えなかったゲームのノウハウは、流用されることすらないのである。
現在のMMOにおける状況というのは、まさに黒船到来といった感じ。黒船とは量産クリゲで、開港させられるのはスクエニである。
量産クリゲのような「世界が認めた」システムの前に、独自性やグラフィックがきれいといった小さな利点は何の役にも立たない。非効率なシステムが生き残れるのは、グローバル化していない世界においてだけだったということだ。
そして、ここから考えるに、今後はゲームのみならず、あらゆる面で「量産型」が出回り、多様性が失われていく時代に入っていくと考えられる。というか、21世紀はそういう世紀になるだろう。
グローバル化がもたらしたものとは、「誰が一番なのかを見つけやすくする」ということだったのだ。
多様性は生まれるのではなく、失われていく。なぜなら、誰が一番なのかがわかれば、一番ではないと烙印を押された人間は、そこから撤退するか、一番のまねをするしかなくなる。
そうでなければ生き残れない。
グローバル化時代というのは、頂点とその模倣だけで構成される非常に「画一的」な世界であり、いままさにそれがあらゆる面で進行している。
世界はグローバル化しなかったからこそ多様な島宇宙を創りだしていたんだと思う。
たとえば都市。都市は効率化を進めることで巨大に、そして便利になれる生き物である。発達した都市は、皆同じような姿をしており、もはや「どこにいっても同じ風景」なのが当たり前なのだ。
人類は発展するにつれて次第に「他の場所に住む人類」との交流をするようになったが、そういった発展の過程で動植物は次々と絶滅している。これも、グローバル化によって多様性が失われていることの証拠といえる。
いまさかんに多様性を残そうという動きが高まっているが、残念ながら人類が発展し続ける限り多様性は失われていくだろう。ある一つの地域の多様性を守るための活動が、3つの地域の多様性を失わせているような状況である。人類の努力とはその程度のものでしかない。欺瞞と言われてもしょうがないと思う。
そこで、多様性を失わせないためにどんなことが必要なのか。これはもう、「過去の遺産」をデータ化して守るしかないと思う。
MMOの話でいえば、初期UOなどは、現在のMMOとはかなり趣が違うものであり、MMOの多様性を残すために、初期UOをエミュレートサーバで起動させ続けることは非常に意義がある。
量産クリゲではないものは、すぐにつぶれてしまうのだから、そういったものを忘れさせないためにエミュレートする。こういった努力は無駄ではない。第一、MMOの歴史など地球の歴史と比べればカスみたいなものだ、生まれた多様性もはっきり言ってほとんどあってないようなもの。だからこそ、守るのも楽だろう。地球が長い年月をかけてはぐくんできた生き物の多様性を守るのは人類には荷が重すぎる。
このように、グローバル化が進むと物事の淘汰が行われ一番のものだけが生き残り後はすべてその模倣になってしまうという話をした。
量産クリゲがはやるのは当然で、それを否定するのも意味がないだろう。ただし、それとは違う、すぐに淘汰されてしまうMMOを保護することはとても大切だと思う。
この先一体ゲームやそのほかの娯楽がどんなふうになっていくのか興味がある。もし多様性が失われ続ければ一体どんなことになるのか。時代が出す答えを待ちたい
なんかもう、普通に「自炊」って言葉使われ始めてるよね。マジコンやiPadの登場でにわかに顕著になった印象もあるけど。
そこに俺は大いに違和感を覚えるわけだ。
一応断っておくと、俺自身は「自炊」行為自体の是非そのものについてあれこれ言う気は無いし、ゲームのコピーや書籍のスキャンを「自炊」と呼ぶべきではないと他人に指図する気は無い。
なので、以下はあくまでも「トリビア」的なものだと思って欲しい。その上で、ゲームのコピーや書籍のスキャンを「自炊」と呼ぶかどうかは各自の判断に任せる。ただ俺は(少なくとも当分は)使わず、代わりに「コピー」「スキャン」などと呼ぶだろう。
「自炊」が「自ら炊くこと」に由来する事は、その言葉を使っている人なら知っていると思う。しかし、ゲームや書籍をコピー、データ化する行為と「炊く」という行為は今ひとつ馴染まないと思う人も多いんじゃないだろうか。
その疑問は当然である。そもそもこの言葉は、ゲーム基盤や書籍の電子化とは殆ど無関係な分野の生活用語だったのだから。
では本来の分野は一体何だったのか。ずばり、家事である。
三十代後半よりも上の世代であれば、「KOME」と呼ばれるジャパニーズソウルフードと、それに付け合わせる野菜のお総菜、及びそれらをやりとりするご近所コミュニティの存在は、聞いた事くらいはあるはず。
このKOMEを特殊な機械(羽釜・かまど)でKOMEからGOHANへ炊く行為こそが「自炊」の原点と言える。イメージ的には昔話のおばあさんの仕事に近い。
なので本来の意味での「自炊」とは、取れたての新米およびそれらを炊きあげる機材、炊きあげるノウハウを全て揃えた人のみが可能な行為で、およそ一般人が手軽に出来る事ではなかったのだ。
その後、家庭用炊飯器などもその対象となり、米を中心とする和食からパン、パスタなどへと食事が変化していった事や、それと同時期の白物家電の普及に合わせるかのように登場したIH炊飯ジャーによって、料理のレシピの共有と拡散は急激に進み(*1)、やがてはそれ以外の分野の食材の調理(ここでは家庭で食べられる状態にする事)にまで「自炊」という名前が付くようになっていった。
つまり、パスタをゆでたり、インスタントラーメン、インスタントカレー、その他レトルト食品を湯煎、もしくは電子レンジで暖める行為なども、一時期は十把一絡げに「自炊」と呼ばれていたわけだ。おそらく今でもそう呼んでる人はそれなりにいると思う。炊飯にこだわらない方が、より「炊事する」行為にイメージ的に近いだろうしね。
それを踏まえた上で、白米を炊きあげること「以外」を「自炊」と呼ぶ事に違和感を覚える人がそれなりにいるという事を、最近「自炊」という言葉を使い始めた人達には出来れば理解して欲しい。何十年以上日本で暮らしてる俺みたいな人間には「自炊」なんてのは「柴刈り」とか「掃除」とか「洗濯」とか「子育て」とか「介護」とかと同じレベルの言葉なわけ。
(*1) 炊飯器のレシピ 12539品 [クックパッド] http://cookpad.com/%E3%83%AC%E3%82%B7%E3%83%94/%E7%82%8A%E9%A3%AF%E5%99%A8
あなたのいう『二重盲検で集めるデータ』というのは「対症療法」を主眼に置く発想に基づくものだよね。
そのことによって薬効が確かめられる薬というものの効能を否定するわけではないけれども、それだけが
「効能」の在り方だとは思わない…人も多いから、多くの現場で漢方が処方される現状があるのでは。
それとも、西洋医学を専門に学んだ多くの人が、呪い的信仰に乗っ取って、あるいはそういう患者に
押し切られて、保険の無駄遣いと思いつつ漢方を処方しているのだと思うわけ?
漢方が「効く」仕組みを説明することは、将来的には不可能ではないと思うが、現時点ではその効能を
もう終わってだいぶたってるし、今更言うのもなんだけど、今年の日本シリーズはつまらなかったよな。あれだけ戦力そろってたら誰が監督やっても勝てるぜっての。そのあたりは清武オーナーも分かってるみたいで、優勝したのは当たり前、これから4、5年連続優勝が目標っていう話みたいよ。4,5年というのにはオイラも驚いたけど、今年の巨人はV9時代より強いんじゃないかって言われてたほどだから、それを考えるとうなずける話ではあるよな。そんなチームで1年や2年優勝したくらいで名将と言われるんだったら、巨人軍の監督ほどおいしい仕事はないんであってね。でもここ数年の巨人はめっぽう強くて、去年今年と優勝して、常勝軍団の貫禄があるのは事実なわけだよな。そういう状況だから、オーナーとしては舞い上がりたくなっちゃってもおかしくないんだけど、そんな中で冷静な価値認識のできる清武オーナーはなかなかにクールガイだよ。
そんなこと言っておいてなんだけど、オイラ、実は監督を客観的に評価することはできないんじゃないかと思うんだよな。胴上げで有終の美を飾ったノムさんは、最下位チームだった楽天をあそこまでのし上げたってんで手腕が評価されてるけど、その実、ナインから嫌われてたって話じゃねえか。ちょっと考えれば、ナインから嫌われるような監督が名監督になれるのかって話だよな。山崎がノムさんのアドバイスで息を吹き返したとかいうけど、そういうエピソードは誰が監督やってもなにかしら出てくるものなんであってね。そういう風にプラスの面ばっか集めてきて、だからノムさんの手腕でしたなんて都合がいいにもほどがあるぜっての。それから、ノムさんは細かい策をいろいろ使うっていうのもあると思うんだよな。そういう策がはまると野村イズムなんて言われて、いかにも知将みたいな扱いをされるけど実際失敗してる場合も同じくらいるんであってね。人間はなんでも理由がないと納得できないもんだから、特異な指導や作戦の成功を、ノムさんの知性の賜物ってことにしちゃうし、メディアもそういう風に宣伝する。それをみんながまんまと信じ込んじゃってるっていう側面が相当にあるぜって思うんだよ。その点、ノムさんをバッサリ斬っちゃうんだから三木谷はよく分かってるよな。一橋出身でMBAも取ったエリートだから、そういう非合理的な考え方には呑まれないんだろうね。「知将」像の再生産にはうんざりしてたんだと思うぜっての。
でもさ、清武といい三木谷といい、結局は野球経験のないしろうとが球団の舵取りをして、選手の獲得にも口を出している状況を見ると、上の人間はオイラが言ってることを当たり前のように分かってるんじゃないかと思うぜ。まぁ野球のルールなんてわりかし単純だし、実際は選手のあらゆる特性がデータ化されてるんだから、それらのデータを組み合わせれば、勝率を高める方法は自然と見えてくるんであってね。監督なんてのは、だれがやっても変わらねえよ、みたいに思ってる部分もあるんじゃないのかね。オイラなんかもっと極端でさ、それなりに野球を観たことがあってルールも熟知してるやつだったら、野球のしろうとでも監督やれるんじゃねぇのって思うぜ。
ただ実際は、そんな監督、選手のだれも慕わないからチームがまとまんねえよな。でも選手を洗脳すればどうだっての。洗脳の専門家の苫米地英人のおっちゃんを呼んでさ、ナインたちにオイラが上で書いたような持論を刷り込みまくってもらえば、未経験者が監督でも信頼するようになるだろうよ。そうすると球団は、いかに人気を取れる人間を監督にするかってことだけ考えればいいんだよな。ルールと基本的なノウハウさえ分かれば指揮とれるんだから、女の子でもいいんじゃねえのってね。そこでオイラは秋葉48のあっちゃんこと前田敦子ちゃんを薦めるぜ。注目度抜群だし、野球に興味のないオタク層を取り込めるから一石二鳥、チーム名はAKB69(シックスナイン)でどうだっての!ジャンジャン!
著作権者が正攻法でちまちまやってる間もGoogleはウマーだよね。
著作権とか和解案とかよくわからないけど、本の奥付にワンクリサイトよろしく「この本の複製、スキャン、テキストデータ化、データの公開を行う場合、1ページあたり10000円の販売契約を結んだこととします」とか明記しておいたらどうなるんだろう。
公開ダメ! ゼッタイ! じゃなくて認めてるからちゃんとお金払ってね、っていう姿勢にしてみる。
ワンクリサイトと違うのは当たり前だけどちゃんと出版社、あるいは個人の身元を明かしてることと、ノミみたいなフォントで気付かないようになんかしてないってとこ。
「シュリンク破ったら契約したと見なすよ!」っていう形態もあるんだし。
法的にはグレーのような気はするけど、戦う材料くらいにはなるような気がするな。
そんなふうに思ったりするんだ。
昔バイトで工場で働いていた時、ちょうど一部機械化された時で、現場の人が使いにくい使いにくいって文句を言ってた。現場の人ってのは、システムが変われば必ず文句を言うものではあるけども、それには理由がある。
まず一つ目は人間はシステムに順応しやすい。だから多少機械化された部分が不便でしょうがなくても、少しすれば人間が対応して問題なく動けるようになる。それは人間のよいところなんだけれども、逆に順応しやすいがために新しいものに変わった時に今まで順応して最適化していた作業を新しいシステムに順応しなおさなければならなくなる。これが案外めんどくさい。しかも大幅に変わっていればまだいいんだけど、ちょっとだけ変わりました、とかだとその微調整がいくら人間でも難しい。むしろ微調整は機械の方が得意だ。パラメータをぴぴっと変えるだけだから。人間には慣れるまでの時間がそれなりにかかる。これは結構コストなのだ。
二つ目は、現場の人の暗黙知というやつ。この作業をやっているときはこの作業をつづけてやるからある程度人の間に空間が必要だとか、工場内のこういう人の流れの時が最も効率がいいとか、はっきりとした言葉や文章にはなっていないけど現場の人たちには暗黙のルールがあって、それを持って最適化されている。でもシステム屋さんがいくら彼らの話を聞いてもその暗黙知というのは言語化されていないからシステムには組み込まれない。彼らがこうしてほしいといったことをシステムに組み込んでもだめなんだよね。これがあったらいいというのはあくまでもあったらいいであって今のところなくても問題が起きてない部分なのだ。最も重要なのは「特に不満が出ていないけれどもなくなると困る部分はどこか」ってのを理解すること。これは現場の人は言ってくれないけど(というか認識しているわけではない)、これがなくなるとものすごい勢いで不満が噴出する。今までできていたことができないってのはすごいストレスなんだよね。で、暗黙のルールが破壊されると一気に生産性が落ちる。現場の人が順応するまではかなりの時間がかかるし、もし順応しても以前の生産性には戻らないってこともある。
逆にいえば現場主義の人とか暗黙知とかってそれを言語化し、データ化するだけでもすごい価値のあることなんだろうなと思ったりする。現場はおろそかにしてはいけない。というか人間をおろそかにしてはいけない。その処理能力も適応能力もいまのところシステムには実現できないんだから。
はじめに
ログのすなどりに嫌気がさし、大半の人は「水伝」との係わりを渋ります。折りしも「●かな●さん(他称?のため)」のコメ欄で騒動が再開されました。予備知識がなく二の足を踏むのはもっともですが、人物が整理され、構図も実相も鮮明となっています。臆することなくフリーハンドで結び目を解く新人が参入して良い頃、読者にとっても良い機会ではないでしょうか。
人物(A・B・C・D)
!現在「共感派」を構成するのは、二年前の不用意な記事がやり玉となったブロガー同盟ではなく、Cを起点にはじけた「連座制が嫌で黙っていたけど、心中は穏やかではなかったです」タイプの中間層の繰り上げ。
四人には「蜜月時代が嘘のような」という紋切り型は相応しません。不即不離、木箱(親和的ではないサークルに向けるあなたの呼びかけは、共感、論理派以前の分岐点となります)に居心地良く収まった当時の様子はたやすく思い描くことができるでしょう。論理派(世間知を蔑ろにするトラブルメーカー!)が、数多のブログから応答が困難な共感派(反知性主義の擁護者!)の文章を今もこぞって俎上にのせるのは、私怨だけで説明がつくものではありません。
!水伝には「的確な人物評は罵倒と見分けがつかない」という魔法の言葉が存在する。
o A 「軽はずみな謝罪を行い、軽はずみに謝罪を求める」人物とされる。「怒りの表明と記事の削除、言明(反省)を促す行為は、謝罪要求にあたらない」といった理屈を受け止めることができるならば、あなたはこちらのグループ(論理派)に入る。
o B そのパートナー。踊り子の軽快なステップ、武道家の重厚なさばきを併せ持つ論客を自負する。まるで組み手上等の伊東富士子だが、場に響くのはきしみ、無理強いした関節の悲痛。
o C その友人。職業スキルに信頼を置く千の衆望を担った元メルマガ発行人。耳目をそばだてるフレーズを多用し、自身への火の粉を振り払うためでも、育成したスキルのネット社会での応用を頑なに拒む。
o D その崇拝者。コピペブロガーの上位にあたる引用ブロガー。三行を超えたコメントの通読が苦痛をもたらすのは、選択と長短が不適切だから。「違和感は読者を立ち止まらせるための文章術」という評判は拾えず。
人物(E・F)
先の四人とは趣が異なり、リアルで交流を楽しむ情景(たとえばBとEのテーブルを挟んでの談笑)は、どれほど想像をたくましくしても浮かびません。
左翼的言論を活発に展開していた四人は異質を迂回できず、受容か拒絶の択一を自身に課しました。Eグループが騎士団と呼ばれ、Fグループがカルト(信者)に喩えられたのは、EとFがシンボルに祭り上げられた(落とし込まれた)からです。二人への直接批判は無益と下部が了解している節があり、強い批判が引き受けた支持者らへ向きます(沈黙は肯定か逃亡とみなされます)。
E・Fにカリスマ性は露も認められませんが、サークルクラッシャーの資質は備えます。隙が多いのも特徴的で、Eはそれを「観測気球」、Fは「無頼」とする演出が見え隠れしますが、今に至るまでその効能は明らかになっていません。
背景
水伝一幕は、科学リテラシーを感情で語る者と品格を論理で語る者との争いでした。ネットの論争で前者に勝ち目はありません。その「論理」で科学を語り、ほころびが露になる前に敵失によりステージが一気に変動したのです(トラバ論争)。qed「水に脳はないから水伝はいんちき」は、外野の「理系」にも含みを招いたことでしょう(一人が対話を試みましたが、Eの「謝罪認定」で終了します。そのブロガーはようやく「事情」を悟り、取るに足りない汚名と引き換えに撤収できました)
前者が退いた後もネットリテラシー、主観論、運動論を引きずり、メンバーの参入と離合が劇的に行われます。グループ分け終了後の大きな対立軸としては、Eの「邪推が成り立つ」、Fの「ハラスメント」問題があります。語りつくされた疲弊感も漂いますが、「謝罪論争」直前のBの失言など踊る余地も残されています。
渦中へ
G(A)のコメ欄に向かう前に、読者は論点に対する見解を用意します。
o「双方論争」から引いた「卑怯者論争」は正当か?
o Gの回答(ハラスメント)はなぜ無効とされるのか?
o グループ内で発せられた嘲り、暴言に論理派が倫理の判定を「忌避」した理由は何か?(流れを読め、発言者本人に尋ねよ、罵倒芸だ、訴えればどうかと回答した人々の真意は何か?)
o 過去ログから相手側への謝罪が提出された場合、論理派は詰みではないか?
o 論理派の張った狭義(「双方」は頻度と深刻をデータ化し、等量である事を明示)、予防線(性的言辞は最大値、蔑称は最小値をとる)は妥当か?
o 一般認識、文脈大問題は「邪推が成り立つ」を問われた場合、詰みではないか?
o 「嘲笑」目的以外の、コメント削除を行いながら投稿禁止の処置をとらない理由は何か?
過去へ
ひと続きの古い結び目から解きたいと希望する読者は、出典をみずから発掘し、不明な部分の詳細を確認することが条件になります。引用を避けたのは、騒動の教訓に「人は埋め込まれたリンク先すら読まない」とあるからです。
関連を訪ね、水伝以前までログを遡ることで「神の視点」を体感し、デッドエンドの憂鬱な記録を「ハッピーな」団欒シーンで読み終えることができます。
「春樹受賞の弁」を踏み台にするのは良い考えではありません(デッドエンド)。会話はA・B・C・Dに限ること。他と応答する義務はなく、価値も認められません。四人は確かに傷を負い、自分に借りを作りました。伝言ゲームの応酬では勘定が合わないはずです。
おわりに
嘲笑や恫喝は慣れっこだが、家族への言及には耐えられない、尽力する保護事業に累が及ぶのは不当だと考えるなら、goo。
※劣勢の共感派への疑問を追加(しかしAE混成チームに痛み分け以上の戦績を残せる者が何人いることか)。
共感派は論理の不備を質されている訳ではなく、誰かのそれに乗じて済ました過去を見咎められている(みんなで笑ってやろう)。その「論理」が牙を向いたとき、なすすべもなく動転し、次に誰かの当てこすり、空騒ぎに乗った。以前の踊り場がどれだけ狭量なものであったかに目を背け、遥かに刺々しい場所を臨んだのではないか。
Windows Live Hotmailがリニューアルしたのは大分前なんだけれど、
そのオープニング書かれているこの文句がとても気になる。
今後数か月で更なる機能強化が実施されます。たとえば受信トレイの容量拡大2などを予定しています。
2Windows Live Hotmail の受信トレイ容量はニーズに合わせて適度なペースでのみ増やしていきます。例えば突然 Windows Live Hotmail にマンモスなんかを保存する場合を除けば、保存容量は十分にあります。ちなみにマンモスを保存しようとした場合は、Windows Live Hotmail メンバーサービスからマンモスを保存しないようにという内容のナイスなお断りのメールをお送りいたしますね (ただし、「あの肉」サイズを段階的に保存することは可能です)。
と色々疑問符が浮かんだけど妙に和んでいい。というかhotmailにマンモスを保存してみたいのでその手順を教えてMicrosoftさん!
そのチームカラーとやらが、漠然としすぎていていまいち信じきれないんだよなー。結局。
本当にそんなものあるか?幻想に過ぎないんじゃねーか
例えば応援してやらないとだめ、応援するとその気になる、っていうのを仮に全球団でデータ化してみたら、実際そう変わらない数値がでるんじゃねーのかなって気がすんだよ(大体応援するとその気になるって普通じゃねーか?)。「こういうチームカラーであってほしい」のを望むゆえに、そういう風に見ているだけなんじゃないかね。漫画みたいにそうそう分かりやすいチームカラーなんて現実ではそうそう出ないと俺は思うんで、どうも疑ってしまう。
その点、宝塚・高校野球・プロ野球という区切りはそんな曖昧なものではないから「好きな人がいるのは分かる」んだけどさ。(好きなわけではない)
以下では、官の頂点にある旧大蔵省をとりあげ、行政権力の根を見ます。行政権の枠を決めるのは法です。法は国会が決める。国会議員は国民が、代議員制度で選ぶ。
国民主権で国民の権力が至高だというのは、形式論です。実体論では、国民は統治される者であり、中央官庁が統治者であると言っても過言ではなかった。
キャリア官僚を選ぶ国家公務員試験第1種(上級公務員試験)には、昨年
38,841名が受験し、合格は1,228名。32倍の狭き門です。(試験は、隋・唐時代の、官僚選抜の科挙の伝統を引く感じです)
約半数くらいは東大で、国公立、私立が続きます。毎年1200??1500名くらいのキャリア官僚が生産され、現在5万人が在庫されていると見ていいでしょうか。
合格者の一次試験、二次試験の順位で、省庁への順列的な割り振りが決まります。各省庁は、競い合って成績上位者の確保を運動します。なぜでしょうか? ここに官僚が生産する「商品」の特殊性が関係しているのです。
1回のペーパーテストの成績が、能力やその後の仕事の成果と、どう相関するか?民間企業では、ほとんど無関係というのが結論でしょう。
企業が販売するのは「商品」であって、文書作成や言語能力ではないからです。
官僚の作業能力、そして行政権力のもとになるのは、文書作成と法の解釈能力、及び利害の調整能力です。それ以外に、商品はない。
(3)彼らが「生産する商品は文書」である、と言っていいのです。
(1)マスコミや野党から突かれる隙のない論理で武装した文書を作って、
(3)説得的に説明し、調整するのが官僚の仕事であり商品です。
【上級公務員試験と入省年次】
上級公務員試験の成績順位と、入省年次がその後付きまとい、事務次官候補のエース組みが選ばれ、将来のポジションの序列を決めます。その意味での「実力主義」です。次官競争での落伍者は、天下る。
成績トップクラスの入省先は、大蔵省です。大蔵省のみは官僚の中の官僚で、特殊ポジション。
言語能力の優秀さで政治家と他の省庁を説得し、切れる頭脳で他を圧倒しなければならない。
(01年1月6日から、省庁再編で財務省になり、金融部分が金融庁に切り離されました。実態はさほど変わっていない。以下ではあえて大蔵省という、伝統的名称を使います)
なぜ、大蔵省がこの国で特殊ポジションであったか、理由があります。
(1)80兆円の省庁の予算編成、配分権を持つ。(主計局)
(2)国債の発行権を持つ。(主計局)
(3)残高414兆円の財投の配分権を持つ。(理財局)
(4)民間金融機関の認許可、指導権を持つ。(銀行・証券・保険局)
(5)税を決め、徴収する権限を持つ。(主税局・国税庁)
以上5つで、国家のマネーの出入りの急所、及び民間銀行マネーの急所を、押さえていたのが大蔵省です。
他の省庁は、大蔵省に対して、一段低い予算申請団体の位置です。
信じられない位の、権限の集中です。
大蔵省の官僚は国税庁を含めると8万人。1%の800名がキャリア官僚。どの省庁でもノンキャリアは、1%のキャリア官僚の支配下にある。画然とした、不文律の身分制度がある。
公式的には三権分立で、行政は法の執行であり、法と制度を決めるのは立法(国会)です。
ところが立法の実務、つまりほとんどの「法案、予算案の作成」は、各省庁のキャリアが行い、自民党の実力者との調整で決めますから、実質権力と言えるのです。
【予算委員会という場の機能】
最も重要な「予算委員会」で、予算の中味の審議が行われますか?そこで、予算が変わりますか? 決まったことを通す、形骸化した儀式です。テレビ中継を見れば分かりますね。
質疑の内容は、マスコミが取り上げた問題や、大臣、首相の発言の追求です。予算配分の調整が問題になった審議は、見たことがない。国会の各委員会は根回し、調整が終った後に、野党の顔を立て、国民とマスコミへに対するガス抜きの場になっている。
▼ここで蛇足的な逸話:民間銀行に対する恐怖型支配
ある銀行の支店に大蔵検査が入った。検査官に混じって1人、入省2??3年くらいのキャリア組みがいた。銀行にとって、大蔵検査は鬼より怖い。次長が応対した。新米キャリア官僚が、銀行業務のイロハも知らないような質問をした。
次長は「これはどこの銀行でも同じでして・・・」と説明した。キャリア官僚は、「他行のことを聞いているのではない。この処理の説明をせよ」と、怒り始めた。無知をさらしたことを恥に感じたためです。そのキャリアは、怒りで手を震わせていたという。
次長は、思わず「こわっぱ役人が・・・」と小声でつぶやいた。それが聞こえたのか、後日、銀行に、「貴行の**支店で不穏当な発言があった」と伝えられた。その次長は、数日後に銀行を退職した。
これに類する逸話は、多数です。当然、公式には明らかにならない部分です。法に基づかない、恐怖権力です。大蔵省の銀行支配には、恐怖権力が根にあった。
省庁にタテをつくと、他の認許可や検査、指導のどこで仕返しされるか分からない。これが、民間企業が行政へ恭順を示す理由になっている。法や税法は、字義通りの執行を行えば、企業を潰すことくらいはできるからです。生殺与奪の権がある。
私の狭い経験からも、十分に首肯できる話です。
(ソースは明かせません)
▼銀行の3分類
銀行の頭取と頭取含みの役員は、大蔵省系、日銀系、独立系に分けることができます。独立系に対する大蔵検査は、厳しくなる。(現在は金融庁)
大蔵権限の根は、銀行が破綻した時、国家が国民の預金を保証することです。つまり銀行は、民間企業として実態的には独立した法人ではない。真の株主は、大蔵省でした。
民間銀行が天下りを受け入れるのは、行政指導と認許可で有利な取り計らいを受けること、行政のインサイダー情報の、取得のためです。
銀行は、箸の上げ下げに至るまで監視されていた。
大蔵権力に90年代後期から陰りが見えたのは、大蔵省が銀行の不良債権問題の深刻さ、巨額さを見誤ったことに起因します。
1997年の第一次金融危機が起こるまで、大蔵省は不良債権の寡少見積もりをしていた。対策が後手に回り、銀行の信頼と民間の信頼を同時に失ったのです。
▼しかし今後の政策の、裏の意味を「憶測」すれば
【ペイオフの裏】
2003年4月から開始される「ペイオフ」も、大和銀行NY支店の米国債ディーリングの巨額損失隠し事件が表面化した1995年から、事毎に、大蔵省に反発してきた銀行への、意趣返しといった面を含んでいると感じますね。
【95年の大和銀行NY支店事件】
大蔵省(西村銀行局長)は、大和銀行に<損失隠し>を指示していたことは明らかになっています。しかし、米国SECに叩かれると、大和銀行が勝手にやったと押しつけた。行政のこうした時の指示は、口頭です。
大和銀行NY支店の損失隠しは、象徴的な事件でした。
【ここまで言うと、危険でしょうか・・・】
2002年4月からのペイオフの実施では弱体銀行に預金引き出しが起こり、日銀特融、または政府資金投入、合併が必要になり、再度、世論とマスコミをバックアップに官の権力拡大をする機会を狙っているように思えるのです。
信用金庫や地銀では、すでに、預金減少が現実に起こっています。
米国の銀行でも、事実上のペイオフは金融システムの混乱の害が大きいので実施していない。米国情報は、選択的に利用されます。
【不良債権問題の早期解決】
小泉内閣が掲げる不良債権の処理も、銀行の自己資本と利益での処理では不足することは、誰が見ても分かる。
金融のシステミック・リスクを避ける手段は、政府資金注入になる。分かり切ったことですね。
政府資金注入は、金融庁、大蔵省、日銀の権益、天下り先の拡大です。国民の金融資産を守るために「やむを得ず」そうせざるを得ないというふうになるのが、一番望ましい。
こうして、時代、時代の世論、マスコミ論調、学説を使い、予算をつけ権益の拡大を行うのが、省庁の自己肥大の基本手法です。
以上は「憶測」です。しかし憶測しか方法はない。
誰も、言わないからです。
世の中の事象は、実は、語られないことに重要なことがある。
ペイオフの後、不良債権処理の後、銀行の支配がどうなるかを詳細に見れば、憶測が正しいかどうかわかるでしょう。観察して下さい。
キャリア官僚の最終的な狙いを判断する時は、「推理小説の手法」が、役に立ちます。
「この政策と予算で、誰が、またはどのグループが最終的なゲインを得るか」との方法です。
(1)高齢化社会に必要な「福祉」→福祉予算の拡大(極めて強い)
(2)国土の「均衡」ある発展→公共投資・公的事業の拡大(弱い)
(3)不況対策→公共投資・公的事業の拡大(極めて強い)
(3)地方分権
(5)郵政三事業の、公社化から民営化
(6)年金への401K導入
これで、予算が動きます。具体策の起案は、官僚が行います。その時、世論・マスコミ・ガイアツをバックアップにした新たな公的セクターの、認許可、指導のための組織ができる可能性が高い。
現在、公的セクターでも就業人口が多い50代前半の世代の、今後の行き先が問題になっているのです。
(一部:30%)キャリア官僚は、組織拡大の戦略的技術者であると認識したほうがいい感じですね。
今後3年間で、77の特殊法人、及び2万6000の公益法人から選択して民営化される<骨太の方針>は決まっています。
2000年12月、森内閣の閣議決定で、民間への天下りが解禁されたのはご存知ですか?今後は、大臣が許可すれば、民間企業へ公然と天下りができるようになっている。
民営化された特殊法人、公益法人のトップに天下るための決定でしょう。有力議員が官僚に恩を売って、利権の範囲にあった特殊法人、公益法人の民営化をおこなうために、官僚との綱引きで政治的取引をした結果と言われていますね。
加えて、今省庁が狙っているのは、官の文書のデジタル化予算です。膨大な官の文書、図面のデジタルデータ化で、30兆円が見こまれている。当然そこには、民間会社の受注活動が絡みます。週刊ポストの「覆面座談会」で、キャリア官僚自身が発言している。<電子政府>の情報化予算を無駄だと言う人は、まだいない。
官であることが問題ですね。官が食うのは<税>ですから。