はてなキーワード: 場の空気とは
職場の飲み会とかでもそうだけどさ、食事の時にいちいち声に出して「おいしぃぃぃ~~~ン!!」ってテレビ番組の食レポやグルメ漫画みたいにリアクション取らなきゃいけないみたいなの
わりとなんでも美味いと思う方で外食の時は「こ、この世の中にこんなに美味いものが……!!??」ってファミレスのハンバーグとかでもすぐ感動する方だけどそれを口から発しようって気持ちにならない
職場の飲み会でその場を盛り上げるために言うならまだ分かるけど普段の生活で毎食「これ美味しいね!」って言いたいと思わない
なんか恥ずかしい、芝居っぽい、ドラマのワンシーンとかとにかく作り物みたい
それに毎食感想を口に出すことをルールとして決めてくるなら「正直これそんなに好きじゃないわ、まあ食うけど……」みたいな
普通の生活では場の空気を壊すから言おうと思わない感じ悪いことも言わなければならなくなるけどいいの?とも思う
美味い美味いって言っても喜ぶどころか「こんな特売品に感動するなんてw」とか「ふーんこれ冷凍食品なんだけど手作りのおかずよりそっちの方が美味しいんだ」とか「これ作るの大変だからそんな頻繁には食卓に出せないんだけど?」とかケチつけられそうで嫌だし感想は静かに心の中に秘めたい
結婚記念日とか何か特別な時にいつも美味しいご飯を作ってくれてありがとうって言うのはありだけど毎食それを求められるのはキツすぎる
でも増田はきっと「ママ!ママの作ったこれ美味しいね!」「あらありがとう、嬉しいわ」「パパもママの手料理がだーい好きだぞ!」みたいな会話が当たり前の暖かい家庭で育ったんだろうな
無理だわ
相手が意図的に不快な言葉を投げて気持ち良くなってる社会性のない奴だろうと、真性だろうと、どっちにしても言い返した所で意味はない。のれんに腕押しか、余計つけあがって喜ぶだけだから。
そういうゴミは相手にせず寛容さでもって許す高潔さを持とう、なんて溜飲を下げようとする。でもそれってなんか自己完結的というかルサンチマンそのものだと思う。
言い返しても無駄なのは、あくまで真っ当に論理的な返答をした場合だ。意見以前に事実すらも認めようともしない相手にはそりゃ意味もない。
「顔真っ赤」とか「効いてるw」みたいな使い古された汎用ワードではダメだ。確かに腹は立つが、深くは抉れない。いつものしょーもないインターネットの光景にしかならない。
という事で、最近YoutubeとかでMCバトルを観ている。いかに的確に、臨機応変にdisを繰り出すか。ちょっと自信がついてきたら言い返してやるのも悪くないかもしれない。
でもあれって場の空気の熱さとかも込みだし、顔も表情もない、フロウも乗らない、オーディエンスすらいないネットでそれやっても意味ないんじゃね?って気もしてる。
少子化の話になるとすぐに沸いてくる、日本の少子化は婚外子が少ないせい!シングルマザーを支援して女一人でも子供を育てられるようにすれば解決!
こういう人達って、人間を家畜と同じで男女を一緒の部屋に入れてさえおけば自然と発情して交尾し出すとでも思ってる?
そんな訳ないでしょ。
パンダだって、同じ部屋に入れておいても相性が悪けりゃ繁殖しないのに…
別に今の日本だって婚外子を産む自由はあるんだし、それでも増えていない以上は婚外子をどんどん産もうと推奨されたところでそんな簡単に産む訳ないでしょ。
あと、百歩譲って人間の男女も同じ部屋に入れておけば自然と繁殖するのだとしても
日本人の男女ってもはや殆ど同じ部屋にはいないと思うんだよね。物理的な話じゃなくて実質的な話で。
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20190624/1561360692
ここにあるように、現代日本の他人同士のコミュニケーションって、契約社会のロジックにしたがったコミュニケーションであって
同じ部屋にいたとしても、そばに誰もいないのと同じなんだよ。そこに繁殖に繋がるような人間関係は生まれようもない
現状、日本で男女が本当の意味で「同じ部屋にいる」空間って、学校の同級生や大企業の新卒入社の同期といったごく限られた場面だけ。
それ以外の場合、雑談をするにしても場の空気を乱さず目的に沿った会話しか許されないから、本当の意味では同じ部屋にいるとは言えない
「自分発信のことには積極的なところがあるけど、人からの発信に対して急に応えを返さなくなる」という謎の部分があった
これHSPじゃないよ。
最近こういう単に傷つきやすいだけで自分大好きな幼稚な奴が、市販の繊細さんHSP本を読んで、「私って、HSPなんだ!」って間違った認識持つやつ多いのよ。単に精神的に幼いだけの大人の免罪符として使われ出している。
HSPは繊細じゃなくて「敏感さん」なんだよ。
誤訳にも程がある。
敏感だから空気を読みすぎて気を使いすぎて疲れ果てたり、場の空気に影響されやすかったり、人の気持ちに敏感だったり、そういう人たちなんだよ本来は。
だから「自分発信は積極的」とか「人の発信に応えを返さない」のはHSPの特性じゃない。応えを返し過ぎて疲れ果てて返せなくなるのはあるかもしれんが。
でも、どうしても吐き出したくてもう一度載せる。何通か書いたものをまとめて載せる。追記の項に書いたけど、吐き出したいだけで、それ以上の意味はない。
思うままに書いたエントリを縦につなげただけなので、論理構成は無茶苦茶。
長男が発達障害だ。療育手帳は上から3番目の等級。これは、身体障害で言うと指の欠損とか嚥下障害とかと同じくらいの重さ。ただ、どこがどうと言うと、説明が難しい。
多動でもなければ注意欠陥でもない。ステレオタイプな目を合わせないような自閉症ではない。むしろかなり人懐こい。
知恵も遅れてなさそうだし、人と目を合わせられないとかでもない。
説明しやすい違いというと、喋らないことだけだ。5歳が近づいてなお、意味のある単語は喋らない。イーッ!アーッ!ばかりだ。手帳はほとんどそれで貰えたに近い。しかし、言葉を喋らないことは、育てにくさの一端でしかなく、本質じゃない。
彼の場合、ただただ、コミュニケーションに対する考え方が、行動が定型児とは違うのだ。無敵の人なのだ。
みな「うちの子もそうよ」みたいな話をする。そりゃ、どの子だって、自分の世界に入って周りの音が聞こえないことってあるだろうさ。我を通したいがためにスーパーで寝転がって駄々をこねるということもあるだろうさ。でも、頻度と質が違うんだ。
彼は楽しさを共有しようとする意思がある。テレビをみて、今のみたか?というふうに視線を送ってくる。無視していると、髪を掴んで強制的に鑑賞させられる。
その一方で、他者からの働きかけには興味がない。まず名前を読んでも反応がない。問いかけに対する反応もない。聞こえてないわけでも理解してないわけでもない。なぜなら、自分の利害と一致するような言葉はちゃんと拾うのだ。「買ってあげるから(スーパーの)カゴに入れて」とか、「児童館行くからおいで」という言葉にはちゃんと反応する。
そんななので、口頭試問という手段が使えないので、知能を測ることは難しいんだけど、親バカだがむしろ賢い。ひらがな、カタカナ、アルファベットは2歳くらいから読めてる様子。3歳になるとPCのキーボードでタイピングするようになった。数字は100くらいまで理解し、足し算のような演算記号も理解してる様子。機械の仕組み、道順、人の顔もすぐ覚える。
知能が測れないというのは地味に厄介だ。
何ができて、何ができない、何を知ってて、何を知らないのかが親にわからない。
ある日突然できている。いきなり意味のある文章をタイピングしたり、いきなりそれとわかる絵を描いたり、いきなり1人で着替えてる(もう一度してと言ってもしてくれないし、再現されることはまずない。いまだに手で食べ、オムツで、着替えは人任せだ)。
しかし、嬉しい驚きばかりじゃない。むしろ、それが一番困るところだ。
1歳で1人で外に出た。3歳くらいのとき1人でスーパーから消え近くの踏切にでた。やはり3歳で包丁で野菜を切ってたこともある。
目を離した親が悪いというけれど、本当に、「ある日突然なにかができてる」なのだ。
そして、これが特徴だけど、どんなに怒鳴っても、ほとんど響かない。嫌われることへの恐怖心というものが皆無だ。すごい剣幕に、近くにいた次男はギャン泣きなのだが、当の長男はというと、なんか耳元でうるさいなくらいの顔しかしない。
拳や足による制裁が加わっても、なにか面白いものを見つけると、次の瞬間に天使の笑顔である。憎しみや怒りに対して笑顔をぶつけられるチートスキル。明らかに不機嫌がおさまらず噴火寸前触るな危険な妻にも、キャッキャ寄っていく。価値判断が自分が楽しいかどうか、自分がしたいかどうかだけで、他者評価を一切気にしない。つまり、無敵の人なのだ。
袋詰めの一瞬の隙をついて、消えた。まさかの店外に出ていて、近所の踏切で確保された。何人かの大人に囲まれ詰問されていたが、喋れない。警官が駆けつけたところで、パニックになった妻が到着。地獄絵図だったそうな。
本人的には「俺は一回くれば道くらい覚えてるからさ、1人で踏切にくらい行けるし、車道や踏切の中で止まるほどバカじゃないよ」
って喋れたらそう言ってるだろう。
自分は、彼のことを95%くらい信じてる。口頭試問できないが、かなり賢い。たぶん信号を理解してるし、車道や踏切というものをたぶん理解してる。でも5%くらいは信頼できない。5%、つまり20回に1回はなにかある、そのくらいの信頼度だ。そういう意味でも、親は子供の「はじめて」の側にいたい。何度かの練習で失敗を繰り返し、99.99%成功、万が一くらいの危険度になってようやく1人でやらせたい。だが、彼の初めては、常に突然だ。気がついたらなにかしてる。無敵の人だからだ。幸いに事故はないのだけど、大人がすり減る。
こだわりの強さの話をしよう。
こだわりとわがままは違う。
我が家の場合、定型っぽい次男のイヤイヤ期のほうがよっぽど理不尽だった。
例えば、次男が牛乳のお代わりを要求するのに対し断ったとする。イヤイヤ泣く。渋々お代わりを与えても、「欲しかったのはさっきの瞬間で、今じゃない!あの時の俺の気持ちをどうしてくれる!」みたいな泣きがはじまる。
発達っ子の長男は、こだわりは絶対に譲らない。どんなに拒否されても、コンコンと要求を取り下げない。激しく叫んだり暴れたりしても、パニックではなく、伝えるためにそうしてるだけだ。30分でも1時間でもやめない。ちゃんと要求さえ通れば、それきりだ。要求を飲んでくれたことへの感謝もなければ、要求をしぶられたことへの恨みもない。
他のことに気を逸らすことが非常に困難で、まず無理だ。いわゆる子供騙しが通用しない。
本当に、無敵なのだ。
この子の母、自分の妻は、長男と180度違う。妻の性格はちびまる子ちゃんみたいと言えばいいだろうか。おだてられたら調子に乗り、怒られたら凹む。他人の成功を妬んだり、目の前の餌に釣られたり、ふと冷静になって後悔したり、劣等感にさいなまれたり、仏様に憐れまれそうな典型である。
妻は憐れな衆生の1人、お気持ちファーストなので、妻が長男を叱る時、響かないのはストレスらしい。凹ませるのが目的じゃないって正論を言っても、理性ではわかっても行動をアップデートできない。反省の色が云々は裁判官でも言っちゃうので、怒られてすぐヘラヘラされて正気でいるのは、解脱が遠そうな性格の妻には無理のようだ。
妻と衝突した時、次男は判断が気持ちできまる。こんな気持ちにさせられたという自分の気持ちがファースト、相手が怒ってるどうしようという相手の気持ちがセカンド、それを天秤にかける感じ。多くの場合、なぜ怒られたかすら理解してない。
対して、長男は、「かくあるべし!」っという戒律じみた強い信念と、好奇心が行動規範。話が聞こえてないわけではない。そもそも悪いと思ってないとこはなにを言われても取り合わないが、失敗(はしゃいで走って牛乳をこぼしたとか)を咎められると、バツが悪そうな顔をする。言葉は通じてるのだ(自分でタオルを持ってきて拭きはじめるが、拭き終える前に別のことを始めるのだが)。
どっちかっていえば、長男が人類のあるべき姿で、定型の定型たらしめる妻と次男の人間臭さこそ、現世の生きづらさな気がするのだ。長男はこだわりや好奇心の邪魔をされなければ、妻や次男に八つ当たりや理不尽な攻撃をされてさえ、「やれやれだぜ」くらいの顔しかしない。
でも、悟るのは成人してからにしてもらわないと困る。お釈迦さまだって結婚や育児が一段落してから出家したように、まずは社会通念に従ってくれないと、この世で生きられない。
社会のルールとか、貨幣制度というのは、幻想を共有することだ。長男はその能力が著しく低い。「僕が鬼で君が隠れる。見つかったら負け」こういうのはたぶん長男は理解しない。というか理解する必要性を感じない。鬼とか負けというのは、幻想だから。
理解するとしても、アルゴリズム体操のように、そういうアルゴリズムとして理解して、前後の文脈や場の空気からの理解じゃない。
長男はよく星のカービィ(WiiUのバーチャルコンソール)をしてるのだけど、ライフがゼロになるとか穴に落ちたら残機が減るというのは理解する。なぜなら、幻想じゃなく仕様だから。ゲーム機の充電、ゲームを起動、多彩なアクション、テレビゲームのルールこういうのは得意。
社会のルールは理解しないくせに、長男独自の数多のマイルールに縛られてる。多くの人がキッチンスポンジのほうが便器より汚いといわれても便器を舐められないように、長男としては譲れないポイントがそこらじゅうにある。親は全てに付き合わされる。例えば、妻がどんなに怒り心頭してても、次男が頭から流血してても、散歩のルーチンは譲らない。
それに加えて、子供の好奇心と目覚めた知能をフル活用した想定外の行動を起こす。無敵の人だから叱ることが抑止力にならない。
よく発達障害について、こだわりが強いとか、注意散漫とか、他人の気持ちを理解するのが下手とか、そういう説明がある。
言葉としてはあってるけど、ちょっとズレてる。そんなもんじゃなくて、生物として、もっと基本的なところでなにか違う。
天才も多いと言われるけど、たぶんそれも違う。認知や学習の方法が全く違うから、定型の知能と長男の知能の優劣はつけられない。
たぶん、長男は学業優秀に育てば、国語のテストで満点を取れるようになったりはするだろう。でもそれは文章は理解できるというだけだ。心がわからないというのではない。小説や映画に感動できるようになっても、この子が物語から感じる感動の質は、定型の人のそれとはおそらく違うと思う。寄生獣という漫画で、犬を看取った直後に、その犬をゴミ箱に捨てるシーンがある。ヒロインが「あなた普通じゃないわ」と言うが、主人公は「死んだら肉だ」と噛み合わない。この子は将来、そういう違和感を周囲に与え続ける。
どこまでいっても彼は異星人だが、寄生獣のミギーのように愛される存在になってもらいたいと親としては思ってる。
定型児は、音声の模倣から入る。最初は原始的なオウム返しだけ。そこから、過去の経験、前後の文脈から、それらしい語をつないで出力するようになる。
GPTのモデルと同じ。次にくる語を確率的に予測してつなぐだけ。「吾輩は」の後には「猫である」がくる。そこに理由などなく、確率論、経験則で。でも、それを高度に行えるようになると、知能と呼べるような振る舞いになる。
定型児の知能の獲得はコレに似てると思う。
ヒトは噂話をするために言語をさせたという説がバカバカしいが一番有力らしい。
サルの毛繕いのような、コミュニケーションをとりたがる本能があって、その延長に噂話、言葉と言葉をつなぐことによって、知能と呼べるようなものが生まれたと考えると、なるほどと思う。
定型児は、自分の言葉や行動が、前後の文脈や周囲の空気の中にから紡がれ、その言葉や行動が他人にも自分自身にも影響することを意識する。
知恵がつくから意識するのかと思ったが、GPTの仕組みを聞くと、意識することそのものが知恵の本質のように思う。
少し別の話。
長男の前で、ぬいぐるみを手に持ってぬいぐるみが喋ってるふうにして喋ると、怒る。
定型児にはごっこ遊びでも、彼にとっては「嘘」なのだ。やめろ気持ち悪いと感じてる様子。
ホモサピエンス全史がいうところの、「妄想を信じる力」が抽象的な概念の獲得なら、長男の知能は頭打ちしそうなんだけど、むしろ数字や文字は幼い時から好きだった。
どういうふうに育つのか、親としても興味はある。
ここ2週間くらいで、ようやく強く呼べば名前に振り向くようになった。
今までは、用があるときは長男から働きかけてくるが、こちらが何を言っても無視だったものが、進歩だ。
遊びに行った先でもう帰るよって言っても、抑えつけて車に放り込んで車が動き出すまで聞かなかったものが、すんなり諦めるようになった。
彼なりに、成長してる。
この駄文は、発達障害育児エントリに触発され沸き上がった心の叫びでしかないので、何が言いたいかわからんという感想はごもっとも。
目を離さない以外できることがない。
あと、言わせて欲しい。
座って待ってられるようになって食べられる食材が増えたら子連れで外食に行けるようになりたい。
列に並んで待てるようになったらテーマパークに行きたい。
俺がはっきり明確に憎悪を抱いてるのはバブル絶頂期のとんねるずだよw(←老害)
バラエティ番組とかで露骨に会場にいる観客のウケなんかを意識して
観客いじりや「僕らはこんなに盛り上がってるんだからお前も従え」という
当時リア充勝ち組気取りで仕切りたがりだが正統派のイケメンでない奴は
どいつもこいつもとんねるずのデッドコピーみたいな態度を取れば受けると思ってた
あれはネクラ(当時の用語での陰キャのこと)分類されるタイプには明確な暴力だったよ
そういう明るい場の空気ファシズムが個人の意見を言いにくい雰囲気を広めて
https://togetter.com/li/2118940
会社で優秀賞で表彰され感想を求められたが、自分の一言で場の空気が完全に凍りついてしまった話
これを見て思い出した話を吐き出しておく。
その時いた会社では、R&Dの若手社員は論文を書きなんらかの投稿や対外発表することを義務づけられていた。そこに営業のお偉い様の息子ということで何故かR&Dのメンバーになっていたぼんくらが引っかかった。別にブッチしても問題が無いが、奴は年齢的に主任昇格する事が決まっており、一本も対外発表したことがないのはまずいと言う。しかし「忙しいから書けない」
はあそうですか。
まずはここで「しらねーよ」と言う感想を持った人がいれば、その感覚は正しい。
そこで俺に話が回ってきた。そのぼんくらの代わりに論文を作れと言う。驚いたことにテーマすら決まっていない。そこでテーマを設定し、実験計画を作り、更に実験をした。ぼんくらは俺たちハケン(偽造請負)のエンジニアをメールで操る典型的メールエンジニアであった。そうして書き上げた論文をぼんくらに渡し、ぼんくらはそれに赤を入れて(普段からメールエンジニアをしつつ、上がってきた文章の枝葉の部分に赤を入れるのが彼の仕事)論文と講演会発表原稿が完成した。
筆頭著者がぼんくら、次がその直属の上司の主任、次が部門長、そして課長が来て、最後に俺の名前と言う形になった。ちなみに筆頭著者のぼんくらは一応赤を入れたが、残りの連中は執筆活動には一ミリも関わっていない。まぁ、残りの人たちは、論文の元ネタの製品開発に実質的貢献があるからマシか。
ぼんくら曰く「本当はハケンの人は入れられないんだけど、ぼくが頼んで入れてもらった」
はあそうですか。
なお、もちろん、研究者倫理的にバレたらヤバイ行為である。学会追放もありうる。
その後、講演会に出る事になり、中身をまるで理解していないぼんくらにレクをし、社内で模擬訓練をやった。想定質問集まで作らされた。
本来はハケンには研修出張は認められないところで「運転の交代要員」などと言う理由がつくられ、学会に同行した。そして、なんと優秀講演賞と、若手研究者奨励賞を取ってしまった。やりすぎである。
さらに、論文も数回やりとりをした結果、和文の論文誌ではあるが掲載された。
外部発表で賞が出ると、社内でも自動的に表彰と金一封が出る事になっている。そこには筆頭著者のぼんくら以下、流石に事業部長には出なかったが、課長クラスまで、そしてそのプロジェクトに関わっているメンバー全員がまとめて表彰されることになった。
ただし「表彰はプロパーじゃないとだめなので。ごめんね」とのこと。
ハケン(偽造請負)で来ている協力会社の社員には関係ないことであった。
流石に悪いと思ったのか、ぼんくらはその報償で出たAmazonギフト券(5000円)を渡してきたので、ありがたくもらった。確か卓上スピーカーか何かを買った気がする。
2010年代前半の話。なおその後、会社を移籍しないかという打診があり、一連の動きの中でもううんざりしており、ハケン元(偽造請負元)に引き抜かれそうになりました!!!!とチクって、受け元とその会社の関係をぐちゃぐちゃに煽ってやった。
今まで元増田は場の空気がめちゃくちゃにならないようにアレコレ気をまわして議論を議論たるようにしてきてたんだろうなぁ。
ただ、こういう「最悪な状況にならないように、少しでも有意義になるように」って心遣いって、まーーーーーじでホントこれっぽっちも褒められもせず、何だったら気がつかれすらしないことばっかだよな。
なぜかというと最悪な状況にならない努力というのは非常に見えづらいから。
「観測されていない事象」に心を向けられる人間は少ないんだよ。
そして、最悪の事態を想定、想像できてないからこそその同僚は不機嫌をいつも表出させてて、多分直す必要性も感じていない。
こういう手合いは非常に好ましくない状況になったとしても「別に俺悪くないし」と思っていられるメンタリティでしょ。
そういう時にまた元増田みたいな人がどうにかしてくれるし、おおかた最悪は回避される。
ただ、議論をなるたけ有意義にしたいと腐心してる側の人間にはそういうくそみてえな鈍感と甘えの構造が理解できても、同僚みたいな戦略は取れない気持ちも、現在感じているであろう「人間を落としてる」と感じる気持ちもものすごく分かる。
不機嫌になると黙る人間にまだまだ寛容なとこあるよね。他の国はどうか知らないから何と比べてる訳じゃないんだけどさ。
議論に強くなりたい(決して口喧嘩で勝つ話ではない)なら、最低「キレない」「泣かない」「黙りこくらない」くらいは一般的に周知されて欲しいね。
とにかく損な役回りだよ…
上司みたいな風見鶏がいると余計萎えるのもめちゃくちゃ分かる。
不機嫌になって黙りこくるやつらを一堂に会してデスゲームして欲しい。
誰かと話をしている時、一対一でも5、6人に対してでも、自分に関係することがその場の話題の中心になると、なんか緊張して涙が出る。
職場の飲み会とかで、年長者に自分の仕事とか結婚とかについて言及されて「これからどうすんの?」とか言われたらヤバい。
別に将来とか結婚とかについての不安はない。パートナーも普通にいるし関係も良好。でも仕事は非正規雇用で今の職場も任期付(あと一年くらい)。次の仕事は決まってない。
正規雇用の人たちから見たら若手の独身とか不安定そうに見えるだろうし、聞きたくなるのはわかる。
自分は頭は冷静に、何て返事しようか考えてるんだけど、だんだん混乱して顔がカーッと熱くなる。上手く堪える事もあるし、決壊して場の空気をヤバいことにしてしまうこともある。
一回泣き出したらなかなか泣き止めないのもつらい。
涙と鼻水がグワーーーと出て、気持ちは落ち着いてるのに、3時間くらいは余裕で止まらない。
動悸がして落ち着くのと、ぶわーーって泣くのを繰り返す。過呼吸になることもある。
長時間泣くから瞼も腫れやすい。普段は普通の二重だけど泣いた後はハム目になってしまう。ちいめろのすっぴんみたいになってしまってそれもすごい嫌。
もともと気持ちが落ち込みやすい気質ではある。病院に行ったことはない。
気分の浮き沈みはとりあえずいいとして、涙が出るトリガーが不可避(他人の話題の振り方に依存してる)なのと、泣き止みにくいところが嫌。大人なのに恥ずかしい。
奢る奢られる論争だけどさ
論争になるのも馬鹿らしいくらい本当はみんな答えを知っていると思う
言ったら終わりだし、みんな知ってると思うけど、最終結論として書いておく
男女に限らずあらゆるメンバーでの会の想定
お堅い会ならそもそも会費が決まっていて受付で払う
その会費を個人的に奢るとか奢らんとかはおかしいので、そこに奢る奢られは発生しないし、するべきでない
来賓や招待客は会費は払わないが、招待されれば寸志を払うのが普通だし、くれるならば受け付けは受け取るのが礼儀
もう少し気軽な会なら、幹事が決める
そのひとり分を個人的に奢ったりなどは嫌らしいのですべきでない
友人との会なら、どうするー?と言って、意見を出し合って決めればそれでいい
自分が正しいと思う意見が通らなかった場合、その会にはもう行かないほうがいい
基本はこんなもので何も難しくない
多人数なら要は場の空気、決定に従うだけでいい
合コン的なやつ
これは男女のパワーバランス、女に気に入られたい男と、男を品定めする女、という構図が多い以上、男側が多少見栄を張る流れになりやすい
これがいい悪いということではなく、女に気に入られたいと男が思うなら必然的に男が多めに払う必要がある
が、多くの場合、男側幹事と女側幹事がいると思うので、基本的には幹事同士でお互いのメンツをつぶさず、負担をかけ過ぎず、という額で落ち着くもの
幹事が決めたのなら、多少納得いかなかろうがそれに従うのがスマート
強硬に全額払うと言ったり、ぴったり割り勘にすると言ったりするとちょっと不格好
が、場の大多数のメンバーが、この会は失敗だったと思っている場合、ぴっちり割り勘にしましょうという流れになりやすい
失敗だったと思っている場合、女の方も借りを作りたくはないので割り勘を望む人が多いように思う
幸いなことに、男が全部払うものでしょみたいな女に出会ったことはないが、内心はどうかは知らない
奢るのが当たり前でしょみたいな女はごく一部のチヤホヤされている美人しかいないのか、出会ったことはないし都市伝説だと思っている
芸能人女ならそんな人もいていいのだろうと思うし、男もまあ払うだろう
ヨッピーが言ってた、男だけで女の分を全部持つ会
これは旧帝大サークルと女子大サークルの合同コンパなどでは発生する
逆に言えばそんな感じのコンパじゃない限りなかなか発生しない
要は男女であることをお互い色濃く意識する場で男女の人数差がそれなりにある大人数コンパでのみ発生する支払方なので、まあつまり、一定のメンバーがワンチャン狙ってる会であるケースが多いだろう
これは、当たり前のことだけど、個人と個人の関係なので、2人の同意で全てが決まる
お互い相手に気に入られたい場合、男は私が払いますよと告げ、女はいいです自分の分は出しますと申し出る
そこで男が少額受け取る場合もあれば、女が引き下がって次の店で女が奢ったり、後日プレゼントがあったりするケースが多い
奢り奢られは一時的に発生するがあるが、すぐに気遣いを返すのが大人の関係性だ
男からの好意がない場合、男は最初から割り勘にしましょうと申し出るケースもあれば、男である以上出そうとするケースもある
そういうケースで奢ろうとした場合に、いいよ出しますと女が言った場合、男は固辞せずにすぐに受け取る確率が高いと思う
女の方も、好意がない場合は借りを作りたくないので、割り勘を主張するケースが多い
好意ないのに来てやったんだから奢れみたいな女はほぼいないと思う
が内心は知らない
これはヨッピーなんかは否定しがちだったが、普通にお金持ってるほうが払うケースが多い
学生男と社会人女のデートなど、女が男に好意を持っていれば当たり前に女が払うケースが多い
学生男が社会人女を好きで、社会人女は好意はないけどたまたまデートしてあげた場合のケースなら、それは割り勘になるだろう
結婚相談所などでマッチングした初対面の男女のケースなら、その時どうするかのルールがあるのが基本
マッチングアプリなんかでルールがない場合は、関係継続を希望するなら男が奢ることを申し出て、継続がないと思えば男は割り勘を主張するだろう
そこで切られたことが露骨にわかるから、奢られない女は面白くなくて奢られないことに文句をいう構図が発生する
奢る奢らない論争の大部分はこの、初対面の品定め面接の場合でのみ発生している気がする
・場の流れ、幹事の決定、ルールがある場合はそこに従いましょう
要はこれだけでしかないし、皆が当たり前にやっていることだ
「奢るべき」「奢るべきはおかしい」みたいな「べき論」で語るからおかしくて、本当はべきも何もない人間関係の気づかいの問題
論争になるほうが不思議
「好意がないんだから得させてくれ」は人としては欠陥がある思考としか思えないし、そうでないならば、経済的に得させてもらえるだけの価値が自分にあると信じて疑わない人=美人芸能人くらいしか言えないような理屈だと思う
正直やり取りの内容にはそこまで興味ない。どっちの考えもあるだろうと思ったから。(批判してた増田はもっと冷静に意見表明すればいい議論にもなり得たのになと思ったけど。)それよりも私が興味深かったのは、自分を擁護する意見にひたすらカラースターを付けて回るその姿だ。これはもう、明確にダサい行為なのではないかと思った。
もちろん自分を擁護するコメントにカラースターを付けて回る行為ははてなの規約で禁止されているわけじゃない。でも皆がそういうことをすると場がめちゃくちゃになるから、みんなエチケットとして行ってないわけじゃん。自分が一番共感した擁護コメントにカラースターを一つ付けるのは全然ありだと思うけど、様々な擁護コメントにカラースターをつけて回るのは正直行儀の良い行為とは思えない。
明文化されてないんだから知らんと言われたらそれまでなんだけど、コミュニティって必ずしも明文化された規約だけで作られてるわけではないはず。何かのニュースに対する誰かのコメントに感動するほど同意出来たり、こんな上手いコメントが出来るなんてと心動かされたりした時、(ほんの少額だけど)お金がかかってでもいいねしたい気持ちを表すのがカラースターだと思ってるし、そういう空気感がはてブには根付いてると思っていた。それを今回、論争(というか喧嘩)で荒らしのように使っていたことにかなり幻滅してしまった。私は彼の書く文章のファンだったので、余計に。
こういうこと書くと老害だのはてなのムラ文化だのと叩かれてしまうのかもしれないけど、私は自分を擁護するコメントにカラースターを沢山付けて回るという行為は場の空気が悪くなるだけで何もいいことはないように思うので、今後は止めてほしいなと感じた。ヨッピーさん、少しお疲れなのではないかと心配です。