はてなキーワード: 玄米とは
精神を病んで15年以上になるわたしが今からマウンティングをかまします。
精神を病み始めた16歳くらいの頃から、すでに希死念慮という言葉はいろんなところで見聞きしていたのでとっくに知っていた。
希死念慮はどちらかというと一般的な用語で、学術的には自殺念慮という用語の方が多用されている印象がある。
顔にはずっとコンプレックスがあり、バイト先の綺麗なお姉さんからメイクを勧められて17歳のときにバイト代をつぎ込みいきなりデパコスデビュー。
メイクなんて右も左も分からなかったのでBAさんから手取り足とり教えてもらった。
ここである程度顔面コンプレックスはマシになったのだが、人生いろいろ煮詰まっていた19歳の頃、コンプレックスだった低い鼻を整形したいと思い詰め始める。
が、当時付き合っていた人から止められたのもあり、整形は断念した。そもそも金もなかった。
その当時はストレスによる過食から20kgも体重が増え、脂肪吸引も真剣に考えたが、これも金がないために断念した。
結局、その4年後、23歳の時に玄米菜食ダイエットで20kg落として元のスリムな体型を取り戻せたので、無駄な手術をしなくてよかったと今では思っている。
わたしも調子が悪いときは今でも死にたいという気持ちにとらわれる。
だが、生来の宗教アレルギーが幸いして宗教に走ったことは一度もない。
あとは自分のやりたいことだけをやって死のうと思ったわたしが今やっていることは勉強である。
社会適応力が低すぎて高校1年生の1学期で中退した中卒のわたしにとって、自分の視野を広げてくれる勉強はこのうえない娯楽となっている。知らないことを知るのは楽しい。
ひとまずこれが今の自分の生きがい。働くことが生きがいに入ってないのが我ながらどうかと思うけど、でもそれは自分には荷が重すぎたのだから仕方ないと思っているぴょん。
細菌もウィルス類も180度では死にやすい、油でエンベロープも分解されやすい。
大根おろしとおなじくらいおなかを壊しにくい。
納豆菌やウェルシュ菌のようなやつらも100度の煮物では死なないけどたぶん180度の揚げ物では死ぬ(少なくとも増えることはできない)。
つぎ足すことより、揚げカスと水分が飛ばないままにしておくことと、光にあてることが油を傷ませる。
さましてから「上澄みだけ」をガラス瓶にいれて保存でやってる。
あと、「凍ったまま揚げてよい」と書いてあるものをほんとうに凍ったまま揚げてはいけない。
チンしてもう少しで解けるくらいまで溶かしてなお凍ってたらそのまま揚げてもいい。
鍋はフライパンか卵焼きでよい。油も少量で済む。(スチームオーブンならなおいいんだろうけど持ってない)
揚げ物の2/3~1/2の高さまで油がとどけばひっくりかえして火が通る。
市販揚げ物総菜や冷凍から揚げの温めなおしは、鉄トレイ+魚焼きグリルが油も減らせておいしい。
玄米などの不溶性食物繊維は刺激が強すぎるが、難溶性デキストリンなどの水溶性食物繊維はわりとマシ。
生野菜もなるべく食べさせよう。
定期検診もしてね。
会社での昼食は家から持ってきているものを食べていることが多い。ごはんとおかずがセットになった質素な弁当。
今までは白米だったが、最近はなんとなく健康に良さそうな気がして買った玄米を食べている。玄米は特別好きというわけではないが、それなりに美味しいと思う。わたしのなかで白米と玄米の美味しさは並列で、それぞれに良いところがあり序列はない。
だが昼食をともにする同僚の女性にとってはそうではないらしく、
「うげ。また玄米か。うわー」
だったり
「玄米きらいなんだよねー」
とか
「玄米はまずい」
などと、毎日のように否定的な意見をくれる。わたしはなるべく波風を立てたくないので、
「匂い苦手な人多いみたいだね」
とか
「独特な味だよね」
とか
「そういう考え方もあるよね」
などとお茶を濁してから、まあわたしは好きなんだけどね、などと独りごち、食べる。
わたしはズボラな性格なので、お弁当づくりも適当である。だから先日はフードコンテナに豚の軟骨のはいった醤油ベースの芋煮をいれていた。特にそのことを告げず、昼食に豚の軟骨をボリボリと食べていたら、音を不審がられ何を食べているか彼女に尋ねられた。
わたしは
「ごめん軟骨」
とだけ言った。何かを言うときに相手にどこかしらマイナスの感情を読み取るとわたしはまず謝ってしまう癖がある。
彼女は
「うわー。気持ち悪い。嫌いな食べ物ベスト3にはいる。無理無理」
と言った。
人間にも軟骨あるじゃん、とわたしは言った。彼女は鳥にしか軟骨はないんだと思ってた、と言った。鼻と耳は軟骨だよと言った。どうやら硬骨もしくは肉の塊だと思っていたらしかった。
仕事が終わって道すがらこのやりとりを思い出した。すると、突如わたしは尋常じゃない怒りに駆られた。は?軟骨うめえし。玄米もうめえし。
怒りの感情は膨れ上がり、悲しみを通り越し、憎いと思った。なんだかよくわからないが、その時は心底彼女が憎かった。嫌な記憶が数珠繋ぎになって想起され、わたしは身動きがとれなくなった。
わたしはなんとなくだが、怒りという感情に鈍感だ。いつも適切なタイミングで怒れない。気がついた時にはすごく怒っている。
前述のできごとによって、わたしは強い怒りに駆られた。自分ではなんとなく、我慢できると思っていたみたいだった。だが毎日のように自分の口のなかにはいるものを気持ち悪いとか、食べるものじゃない、と言われて、自分のなかのバケツが溢れた。わたしは家で一人でとても怒っていた。制御できなかった。
なぜこれほど腹が立つのか考えた。そうしてわたしはひとつの考えに思い至った。わたしは彼女の好き嫌いの激しさを許容「してあげている」と思っていたのだ。本来は強く非難されてしかるべき好き嫌いの多さを、わたしが非難しないで「あげている」のに、それを無下にするなんてひどい、と思って怒っていたのだ。わたしはリベラルぶった偽善者だったというわけである。
もともと彼女は食べ物の好き嫌いが激しい。そのことによって冗談交じりに非難されているところもよく見るし、親しくなりたての頃はその好き嫌いの境界線(マグロの刺身はダメだがツナはOK)を探るのが楽しかった。しかし、なぜ好き嫌いが多いかという話になり、
「小さい頃、親がお腹こわすといけないって言って生魚とか食べさせなかったらしいんだ。それで食べられないんだと思う」
という彼女自身による原因分析を聞いてから、あまり好き嫌いに触れないようにしようと思った。それは彼女自身にはどうしようもなかったことだからだ。
誰にでも生きてきた人生がありバックボーンがある。わたしは彼女が生きてきた人生を愛しバックボーンを受け入れることが、今の彼女に対し親愛な気持ちを持つことだと思って疑わなかった。だから好き嫌いについて非難したり馬鹿にしたようなことを言わないと決めた。
だがわたしにとって、食べものの好き嫌いがないことは純然たる正義だった。
人間、生きている限り徳を高めなければならないとわたしは信じ、日々よりよい人間であろうと思っている。食べ物を好き嫌いなく食べることはそれの最たるものだ。馬鹿馬鹿しいかもしれないがそうなのである。
わたしは好き嫌いがほぼなく、大抵のものは美味しいと思って食べている。そもそも向こうは命を奪われているのである。関わってきた人もいる。美味しいと思わなければ申し訳ない。そんな幼稚ともとれる考えにいまだに支配されており、わたしは食べ物を好き嫌いなく食べることは純然たる正義だと信じていた。
わたしは自らの信じる正義を正義だと信じながらも、彼女のことを認めて「あげている」気持ちになっていた。わたしの本心としては、食べもののことを気持ち悪いということは信じられないことだった。わたしは食べられないものがあることを内心恥じていてほしかったのだ。わたしはわたしの正義を押しつけたかったようだった。
だが、人が今まさに食べているもののことを気持ち悪いと言うことについてはやはりやめてほしいと思う。わたしはそう言われるとえづいてしまいそうになる。不快である。テレビなどで独自の生活様式を持つ「部族」などと呼ばれる人が昆虫を食べる様子を気味悪がる場面があるが、あれも本当に失礼極まりないと思う。なぜ人のバックボーンを受け入れないのか。その人がそうしている歴史を受け入れないのか。わたしには玄米や豚の軟骨を食べたくなるようなバックボーンが存在すると、どうして考えてくれないのだ。自分勝手かもしれないがそう思う。
わたしは人間の独善的な有りようは紛れもない悪だと思う。だが独善的な有りように対し決して受け入れまいとするわたしもまた独善的である。だが独善的な有りようを許容してしまうとこの世は独善的な有りようが占めてしまう。ノーと言うべきか否か、ジレンマに板挟みになる。
わたしはわたしが食べているものを気持ち悪いと言われることが嫌なことがわかった。今後どうすべきか、方法は以下のとおりだろう。
①食べているものを気持ち悪がられると嫌だと伝え、控えるように言って一緒に食べる
②上記の理由を伝えたうえで一緒に食べることをやめる
③上記の理由を伝えず一緒に食べることをやめる
ぱっと見①がまっとうだが、考えるに、彼女にとって彼女の嫌いなものを目の前で食べられることがストレスなのだと想像する。また、自分の食べられないものを貶めることで、普段好き嫌いについて非難されることへのフラストレーションのはけ口にしているのではないか。よって①は却下である。
②はまず伝えることへのストレスがある。④はまだ玄米が8キロある。よって③が妥当だと考える。
うだうだ人の悪口を言うような奴は勝手に一人で食ってろって話である。わたしはまずこの徳の低さをなんとかしたほうがいい。考えすぎかなとも思う。書いてスッキリしたかというとそうでもない。
社会人になって親元を離れ家事が世間で言われてるように大変になりそうだと思ってた
けど、実際は何も大変な要素がなくてビックリした
ルンバ擬きで床はなんとかなる。風呂やら水場大雑把な掃除は二週間に1回シルバーさんに頼む。細かいとこはワンクールに1回これもシルバーさん。
基本スーツだから定期的にクリーニング。寝巻きや下着、靴下はまとめて1週間に1回ドラム洗濯機で洗って乾燥まで。まとめて籠に入れてそこからとって着る。必然的に靴下は同じものを買っとくことになるがそれは我慢。
洗い物
基本箸は割り箸、皿は紙皿を使う。洗い物は最小限に。
タンパク質はレンチン胸肉、ゆで卵、卵焼き、納豆、ヨーグルトなど
炭水化物は玄米やオートミール。米は炊飯器に入れ食べる分だけラップに包んでおにぎりみたいに
いずれも、レンチンか焼くだけ米に関しても炊飯器で炊くだけで済む調理しかしない
ビルダー食のようなものだが、簡単だし栄養価が高く安い。食いたいものは外食で済ませるようにする
片付け
基本余りものは持たない。捨てられないものは実家に送り、実家に置いとけないものは月額の倉庫サービスへ。ゴミをまとめるのは、二週間に1回のシルバーさんへお任せ。
こんな感じでやってたらなにも大変なことはない。1番のストレスはゴミ捨て。朝早いし曜日の問題もあるからシルバーさんに頼めないってのがつらい
ただそんなもん
家事が大変だとか宣ってるやつらどこのどいつだよ
仕事の100分の1も労力いらないじゃねーか。
人数が増えても一緒だ。シルバーさんに頼む分量が増えて多少金がかかるだけだ。
女はこんなもん大変がってないで社会進出しろ。仕事をすりゃ、家事なんてやらずに済む。悔しかったら男を養えるくらい稼いでみろ。
追記
なんか金持ち扱いされてるけど、普通の会社員だぞ。ちなみにシルバーさんはうちの自治体では3時間からで時給1000円かからん。飲み会我慢すりゃルーキーでも利用できる。ただ、1時間で済むことが3倍の時間はかかると思っとくのが吉。
夏になると海には一度は行きたいわよね。
なんか夏って感じじゃない。
夏子って海を見たことなくて、
昔、琵琶湖に連れてってあげたの。
そしたら夏子、
うわぁ海ってデカーい!って驚いてた。
夏子、それ海やない湖や!って教えてあげたわ、さすがに。
それから本当にまたあとで海に一緒に行って連れて行ってあげたけど
モノホンの海が見れて喜んでたわよ。
塩っぱくなかったの、
やっぱり海じゃないんだって。
私も知ったかぶりで海だと思ってたの。
でもその時確信したわ。
モノホンの海を味わうと、
あれ?こんなに塩辛かったっけ?って驚くわよね。
夏が来れば思い出すわ。
るるるるるーるーるるるるる。
うふふ。
ここ最近ずっと家ではご飯炊いてなかったので、
玄米ご飯炊いて、
隠し味に一つまみに塩を入れるわ。
寝中症対策もこれでばっちりよ!
水分補給はしっかりね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
朝鮮飴(ちょうせんあめ)は、熊本県の銘菓である。餅米と水飴と砂糖を独自の製法で捏ね合わせ、片栗粉を塗した求肥飴の一種である。
食感は餅に近い。
16世紀、園田屋の開祖、園田武衛門により作られた当初は長生飴と呼ばれていたが、文禄・慶長の役での朝鮮への出兵の際、
当時の城主・加藤清正の軍はこれを携行して篭城中の兵糧として役立てたことから、朝鮮飴と呼ぶ様になった。
江戸時代中期までこれは藩の買い上げで、製法は管理されて市販が許されていなかった。
代々の肥後藩主がこれを江戸幕府や朝廷への献上品、諸大名への贈答品として用いた。
当初は黒砂糖と玄米を使用した淡褐色の黒朝鮮飴しかなかったが、現在は白砂糖と精白米を用いた白朝鮮飴が大半を占めている。
1970年代前半には30軒以上が手がけて売上高の総計が10億円に達したが、1990年代後半には2-3億円に減少し、業者も園田屋など
数軒になっている。