はてなキーワード: 殺虫剤とは
そしておくさんといっしょに笑いあって殺虫剤をまくんだね
バス会社営業所内での敷地内撮影について、バス事業者とマニアのもめごとは、自分が知っているだけで今年に入って3件あった。自分が知らないだけでもっとあるのだろう。
1件目は四国の事業者、2件目は東北の事業者、3件目は中部地方の事業者で、3件目は本当かどうかわからないが、職員がマニアに殺虫剤を吹きかけたとマニア本人がツイートしている。もっとも、これはマニアの言い分なので、実際のところはどうかわからない。
マニアの方であればなんとなくわかっていると思うが、もしかしたらマニア以外の人が読むかもしれないので、ここでバス会社営業所での敷地内撮影について、どのようなものか述べたいと思う。
インターネットが普及する以前から、バス会社営業所の事務員から許可を得れば、マニアは敷地内で撮影ができるというところが多かったという。このダイアリーに書いている「敷地内撮影」はこのことを指す。以前はマニア個人の自己満足だったのだろうが、近年はインターネットの発達でマニア間同士の画像の載せ合い(=人よりいかに早く撮れたか)が盛んになり、Twitterなどでも敷地内撮影の画像をよく目にするようになった。
また、近年はバス会社のバスを貸し切り、マニアの参加者を募って各地の営業所に乗り込み、バス車両を順光になるように置いたうえで撮影するツアーが組まれることもある。ツアーと言ってもマニアが企画・参加者集めをしたうえでバス会社に申し込んでバスを貸し切っているので、個人的なツアーであり、バス会社主催ではない。敷地内撮影と区別するために、こちらのことは順光撮影会と呼びたい。
自分は営業所での敷地内撮影を検討・実行する際は、事前に以下のようなことを確認している。
③本社併設かどうか
④窓口があるかどうか
⑤田舎かどうか
①は大事だ。基本的に画像がネットにあがっていないところは、よほどの田舎でマニアが寄り付かないか、そもそも敷地内撮影が禁止されているか、突っ込み駐車で前から撮れないかのどれかだ。バスマニアは少ないとはいえ、よほどの田舎でもここ10年で撮影された画像がないところは、敷地内撮影は禁止されていると思っていいだろう。かといって、半年前に撮影された画像があったので、敷地内撮影の許可が下りるだろうと思って行ってみたら「うちはそういうのは禁止」と言われたところや、自分が撮影したあと、別のマニアが何かやらかして敷地内撮影になったらしいというところはあるが。また、基本的に許可は下りるが、マニア嫌いの事務員さんが点呼係という日だけは許可を出さないといった事例も聞いたことがある。
②については、やはりマニアがその1人しかいないような田舎か、その1人がバス会社の中の人、あるいは知的障害者でバス会社はネットに載せるなと注意しているが無視している(日本語が通じない)のどれかであることが多い。マニアが1人しかいないような田舎、あるいはその1人がバス会社の中の人であれば特段問題はないのだが、最後に述べたのは基本的に敷地内撮影は禁止されていると思った方がいいだろう。この件についてはのちほど言及する。
③は、本社併設の時点で敷地内撮影のハードルがあがる。本社併設でないところでもそうだが、敷地内撮影は、誰が敷地内撮影の許可を出したのか、何か起こったときどう責任を取るのかという難しい問題が付いてくる。偉い人がいるところは余計そういうところに細かいし、何より本社併設のところは営業所の規模が大きく、バスの出入りが多いため許可が降りにくい。以前田舎の本社併設のバス営業所を訪ねたとき、観光部の部長だという方が車両を案内しながら車庫内を一緒に回ってくれたことはあったが、そんなことはごくまれで、本社の人は基本的にマニアにはいいイメージはない。本社でなくてもそんな気がするが。
④だが、一般人向けに高速バスの乗車券を売っているところは、一般人が出入りしやすいため、マニアも受け入れてくれやすい。窓口がないところは、バス会社関係者以外の人が来ただけで身構えてしまうように感じる。また、敷地内撮影の帰りにお礼として回数券を買うと、意外とマニア向けのお話しをしてくれる(○○号車はもうすぐ廃車など)のだが、それがないところは結構マニアへの対応は厳しい印象だ。
実は⑤が一番重要だ。なぜなら、都会は敷地内撮影の基本的に許可が降りないからだ。南関東、名古屋、近畿など大都市圏は基本的に許可が降りない。既にインターネットに画像が上がることなどへの対策として一律に禁止しているからだろう。地方でも一律に禁止になっている事業者もあるほか、県庁所在地の営業所での敷地内撮影は禁止だが、車両が10台ほどの片田舎の営業所では敷地内撮影OKという事業者もあるらしい。
⑥は複数の事業者で取り入れられている。車両内に立ち入らないことなど注意事項が書かれた紙に住所や連絡先を記入し、宣誓書として残す。自分の経験だけで地方問わず6社くらいはあったと思う。うち1社は免許証のコピーをとられた。もちろんやましいことはないので、どんどんやってもらって構わない。どこもをこういったことをやっていただければいいのにと思う。
今度はバス事業者から見た敷地内撮影の許可を出すことのデメリットを書きたいと思う。
④一度ネットに画像が載せられると、どんどんマニアがやってくる
一番危険なのは①で、これが起こったら敷地内撮影は禁止になるだろう。②は心無いマニアが勝手に部品をもっていく可能性がある。もっとも、以前2社で残高がなくなったバスカードの束をお土産代わりに渡されたことはあったが…。③は事務員や運転手がマニアに聞かれたので善意で未公表情報をしゃべったが、それをマニアが勝手にネットに載せてしまうことだ。これはしゃべった事務員などが処罰されるので、本当にやめていただきたい。ただ、近年は中の人自らが会社非公認の個人のTwitterで廃車予定や新車導入といった情報を流している事例もあるが…。④は言葉の通りで、一度画像がネットに載ると「あの事業者は敷地内撮影の許可が出るんだ」と、マニアがやってくるようになるのだ。
それにしても、なぜもめごとが起こっているのだろう。原因はいくつかあるだろうし、何よりそれは当事者間でしかわからないことだ。しかし、ここであえていくつかの原因を推測したい。
1つ目は、「ネットに載せるなと言ったのに載せられた」である。バス会社において、ネットに載せられては困るものはいくつか存在すると言われている。どこまでを困るものに分類するのか、マニア間で長きにわたって論争しており、未だに結果は出ていないが、事故を起こしたバス車両などとされる。このほか、ネットへの画像掲載禁止が敷地内撮影の許可を出す条件とされることもある。
2つ目は、「マニアの無断立ち入り」である。これは言語道断だが、残念ながら時々ある。その中でも知的障害者によるものが多い。以前あるバス会社を訪問した際、運転手から「いつも勝手に入ってきて写真を撮るやつがいて、以前は注意していたのだが、知的障害者なので注意しても通じない」という話を聞いたことがある。この手の話は複数の事業者で聞いたことがある。正直、日本語が通じない知的障害者なので、対策のしようがない。しかし、バス会社からしたら知的障害者であろうがなかろうがマニアであることに変わりはないので、何か問題を起こした場合、ちゃんと敷地内撮影の許可を得ているマニアに迷惑がかかるので、無断立ち入りは本当にやめてほしい。知的障害者に向けてこれを書いたところで、読んでも理解できないのだろうが…。
3つ目は、「短いスパンで訪れる知的障害者に嫌気がさした」である。知的障害者は加減がわからないため、週に何度もやってくる。そのため、知的障害者に敷地内撮影の許可を出さないようにする。すると、無断立ち入りをするようになるのだ。あるいは、他のマニアが来ているときに知的障害者が来たり、運転手などから他のマニアが敷地内撮影できていることを聞いてしまったりすると、「なんで自分だけ入れないんだ」と知的障害者はパニックになってしまい、知的障害者と事務員との間でバトルになってしまう。先ほどあげた中部地方の件はこれに該当するような気がしてならない。
最近ではマニアがマニアを注意している事例もみられる。これ自体はいいことなのだが、その多くは順光撮影会ができなくなることを危惧しているのであり、本心からマニアのマナー向上を願っているわけではないのが実情だ。
個人的には、敷地内撮影に関するバス会社とマニアのもめごとの多くは、知的障害者が原因であると思っている。なぜなら、普通の人なら注意できることやものの限度が、知的障害者には実行・理解不能だからである。知的障害者であれば、注意事項を理解したとする宣誓書が書けないであろうから、宣誓書を書いたうえで敷地内撮影の許可を出す方式にすれば、多少は知的障害者を敷地内撮影させられないのではないかと思うが、それでも無断立ち入りの問題は解決できないであろう。
これらは難しい問題で、敷地内撮影を禁止すること以外に解決方法はないだろう。しかし、そうされると困るのはマニアである。それゆえ、マニアは注意して行動したい。
ちゃうね
だから基本的にはノータッチだし、別の利害によっては殺虫剤撒くみたいな気軽さで規制仕掛けることは有り得る
逆に言えば「クールジャパンだぞ」とか「世界から注目されとるんやぞ」とか働きかけも取引も出来るし
オタク側も外国人や蛮族とコミュニケーション取る感覚なのでさほど保守ウヨに感情的憎悪は持たない
だからオルグしようとしてきたし、「当然お前らは俺達の尖兵になるんだよ?」みたいな感覚だった
オタクが思い通りに動かない気付いたら激昂して見下してるの丸出しにしてきたりして、言葉は通じるけど話は通じない
※この文章には少しグロテスクな表現が含まれます。虫表現あり。
突然だが、これを読んでいる人は子供の頃、アリの後を追ったことはないだろうか。
アリを追って巣穴まで辿り着き、巣穴に水を入れたり、砂をかけて穴を塞いでみたり。アリでなくともダンゴムシを無理やり開いてみようとしたり、ミミズをスコップで叩いてみたり。
自分はアリの巣穴を砂で埋めたことはあるが、水を入れたりしたことは無い。そういうことをやる人もいると聞いただけの話だ。ダンゴムシを開いたのは小学生の頃の友人だし(そのダンゴムシは無理矢理開かされて逆に反り返って死んだ)ミミズをスコップで叩いていたのは小学生の頃の男子同級生だ。
ここで少し自分の話をしようと思う。
自分はどういう人間かと言うと、飲食店で「ごちそうさまでした」を店員さんに言うタイプの人間である。コンビニの店員さんにもタメで話しかけたこともないし、レジのあとは「ありがとうございました」を言う人間である。むしろこれが普通で当たり前の世の中であって欲しいと思っている。
動物は好きだ。猫も犬も兎もハムスターも可愛いと思う。動物虐待のニュースを見ると心が痛む。虫だって出来れば殺さずに逃がたいので部屋の電気を消して窓の外に懐中電灯で誘導することだってあった。
自分はミミズをスコップで叩いていた同級生を「やめろ」と止めた側だし、反り返されたダンゴムシをみて怯えた側である。花の蜜を吸ったこともあるし、たまに野生の桑の実を食べていたこともあるので普通と言うよりは野生寄りだったかもしれないが、「他者の痛み」に関しては普通の感覚を持つ、普通の人間である。と、思っていた。(アリの巣を砂で埋めた件はあったが、水を入れた話を聞いて自分はむしろそんな残虐なことはしないと思った)
話を戻す。
何故自分の残虐性が抜けてないと感じたのかについて話そう。 数日前に外掃除をしていたら職場の駐車場隅に不自然な土の盛り上がりを発見した。ホウキで軽く散らしてみるとアリがわんさか出てきた。どうやらアリの巣があるようだった。
アリくらいいるだろうと思って気にせず雑草を抜いていると次はムカデが出てきた。さすがにビックリして自分の方に来ないように気をつけつつ外掃除を終えた。
子供も多く来る職場なのでさすがにムカデはマズいと感じ、上司に報告したところ殺虫剤を渡された。バリア機能がどうとかで即殺す力はないが家の周りに撒けば寄り付きにくくなるという粉末殺虫剤だった。
アリの巣があった所に粉を出すと目に見えてアリがそこを避けていく。なんなら気づいていなかったムカデまでうじゃりと出てきて飛び退いたほどだ。
そこで薬剤だけ撒いて帰るのが普通の大人だったのだと思う。しかし自分は出てきたムカデに殺虫剤をかけた。嫌がって逃げて動き回るムカデの後を追った。即効性のない殺虫剤だからその場では死ななかった。
ムカデは隙間に逃げ込んだ。なのでそこが巣かと思って粉をかけてみた。(あとから調べて知ったのだがムカデは巣を作ることはないらしい。卵から孵る場所はあるらしいのでおそらくこの隙間がそうだったのだろう)
すると外に出ていた別のムカデが帰れなくなった。薬剤の周りをウロウロしている。そのムカデにも私は薬剤をかけた。同じようににげまわるムカデをさらに追って周りに薬剤をかけて袋小路にしてみた。
ムカデも移動するので完全には囲い込めずムカデは別の隙間の中に逃げていった。
自分も別の業務に移らなければ行けなかった時間なのでそこで殺虫剤を撒くのをやめた。
そう感じた自分を振り返って愕然とした。自分はもういい歳をした大人である。その大人が虫を追い回して逃げ惑う姿を「おもしろい」と感じたのである。
よくよく思い返すと近い事例がほかにもあった。これを読んでいる人は「Godus」というゲームを知っているだろうか。簡単に言うと自分が神となり人間を発展させるゲームである。地形を変えて人間を導き、発展させるシュミレーションゲームである。
このゲームの中で自分は神であるので、その指先ひとつ(文字通り指先ひとつ、タップ1回だ)で人を殺すことも、家を燃やすことも、隕石を降らすことだって出来る。
ゲーム的には自分の信者を増やすことが目的なので、用意された道に従い自分は土地を広げ、人に家を建てさせ発展させて遊んでいた。
このゲームには自分を信奉する信者とは別の民が存在する。その民とこちらの民の幸福度によっては、こちらの信者は向こうへ逃亡して人口が減ってしまう。その幸福度は簡単に確認できるので逃げられてしまわないように自分の信者の幸福度を上げてゆき発展させていくという遊び方なのだと思う。
だが自分は自分の信者の幸福度をあげるのではなく、相手の幸福度を下げる方に傾いた。なぜならゲーム的にはそっちの方が楽だったからである。
手始めに、ワンタップで殺してみた。それからギミックである底なし沼を発動させて溺れさせて殺してみた。最後に集落に隕石を降らして殺してみた。隕石の火で火事が起きて集落の燃えている木を慌てて消す動作、木ではなく民自体が燃えて逃げ惑う様を見ていた。
楽しかった。多分笑っていた。
ゲームとしては「文化的決着」というのがあって、手順を踏めばその民もこちらの信者に出来る。それを知ったのはその民が全滅してからだ。
そこで自分が思ったのは「あーあ」であった。別に信者を増やせてゲームがやりやすくなる機会を逃したからではない。
1人か2人この民を生かしておけばまた増えて、プチプチ出来たのにな。と思ったからだ。実際山火事を起こして全滅しそうになった時は雨をふらせて全滅しないようにしていた。隕石を降らしてちょっと余所事をしているうちにこの民は死んでしまった。失敗したなぁ。とそれだけ思った。
記憶力が残念なので最近の出来事だとこの2つしか思い出せない。思い出せないだけで他にも自分の残虐性を認識する事柄はあったのかもしれない。
こういう残虐性って子供の頃の上手く命を理解してない頃特有だと思っていたのでいい歳した自分がこんなことを楽しんでいる事にかなりビックリしたのでこの文を書いてみた。
でも多分反省してる訳では無い。またムカデが出てきたら殺虫剤をかけて逃げ惑う様を見るだろう。
どうしたらいいんだろう。ちょっとよく分からないのだ。このまま他人に気づかれない残虐性を抱えて自分は普通の人間であるように生きていくんだろうな。
うだるような暑さの、盆の夜である。
駅中にあるバイト先のパン屋は、帰省ラッシュの異常な忙しさの一日を終えようとしていた。
列車の時間に合わせてお客は押し寄せては退いてを繰り返し、気が付いたら私は閉店作業の掃除をしていた。
とにかく疲れた。
早く帰りたいのに頭が働かない。
手だけは動かし、イートイン席のテーブルを拭いているが、もはや世界と自分の境界が分からず、
それは眠りにつく直前のようだった。
別のスタッフが掃き掃除を終えた床に向かって「50倍液」と書かれたスプレーを吹きかけ、雑巾で磨く。
この50倍液は、強力な洗剤を水で50倍に薄めたもので、汚れを削るように落とす代物である。
50倍に薄めたこの液でさえ素手で触らせたくないからゴム手袋は必ず着けてね、と教わった当時、店長が言っていた。
押し寄せては退いていく今日のお客の事を考えながら、汚れた箇所にスプレーしては磨くを機械のように繰り返していた。
ふと少し先を見ると、1センチくらいの黒い汚れがあった。
チョコの欠片が落ちていると思ったが、それは虫だった。
ちまちまと歩きながら私を横切っていく姿をしばらく見ていた。
私は手に持っていたスプレーを、虫に向かって吹き付けた。
50倍液を浴びた虫は急ぎ足で逃げていく。
また私は虫に向かって吹き付ける。
逃げていく虫を追いかけては吹き付ける。
何も考えてはいない。押し寄せては退いていくお客達の事以外は。
やがて虫が動かなくなるまで、私の手は止まらなかった。
洗剤で溺れ死んだのか、洗剤による成分で死んだのか、さっきまでよりも小さくなった虫を見て、私はゆっくりと立ち上がった。
振り返ると、50倍液で出来た長い道が出来ていた。
虫が生きようとした道である。
ここで私は言い難い後悔に襲われ、虫を箒でチリトリに入れた。
ガコンというチリトリの蓋が大きく響く。
私は50倍液を急いで拭き取った。
昔、家の中に現れた蜂に殺虫剤を吹きかけ、殺したはずだったのに、数時間後に飛び回っているのを見た事がある。
当時の私は再び殺虫剤を掴み、構えたのだが、
それは幻覚だったのか、羽音もなく一瞬でいなくなってしまったのだった。
「いやー、お疲れ」
最近レジ締めを任され、慣れない作業をした為かかなり疲れたらしい。
しばらく彼と話しながらも私は考える。
チリトリの中にいる虫は、
ゴミに埋もれながら傷を癒して、数時間後にまた動き出すのだろうか。
いや、もう死んでいるはずなのだ。
私が殺したのだ。
「あ、行こうか」
と言う彼と一緒にホールへ向かう。
「あ」
先に歩く彼が何も知らずにそれを踏んだ瞬間、私は肩をびくっと震わせ、
そして深いところにまで突き落とされた気分になった。
何とも言えない最悪の気分で、私は従業員の輪に入る。
こんな気持ちは二度とごめんだった。
最後に見たあの小さな汚れは何だったのか分からないが、ずっと私は深いところから戻れずにいる。
うだるような暑さの、盆の夜である。