はてなキーワード: 左派とは
はてなーの多くが(とは知らんけど)Gotoキャンペーンを嫌悪忌避している事が理解できない、上位コメはまず反対。
政府の目指すところは「感染を抑えて経済を回す」と僕は理解しているので、大都市圏と地方は対応が異なっても違和感は無いし、状況を見ながら修正も必要だと感じている。昨日と違うこと言っても全然不思議じゃない。
経済が傷むということは失業者が増え、非正規職は優先的に解雇され、個人事業主が廃業することだ。政府はそれを最大限に恐れている。もちろん税収のためだ。
税収が落ち込めば社会保障や地方交付を削らざるを得ず(まぁ公務員の人件費とかを削れるのかもしれないけど、それも不幸だよね)、社会不安に陥ると思う。
これが前提。
ところがはてなーは「Gotoは全反対」で、そのせいか状況が変化しての政策変更は「論理整合性が無い」ということになってる。要は雇用のこと全無視で論理最重視に見える。立憲党もそう主張している、関係ないけど。
はてなーがGotoに反対している表向きの理由が「医療資源(従事者含む)」と「老人の安全」を守る、あと「与党への反発感」も少しというところかしら。少なくとも経済への言及が無さすぎる。
僕の理解ははてなーは「経済の痛みに直結しない層」ということかしら、例えばメーカー勤務(IT系含む)、年金生活者、学生か。
サービス業・女性・非正規が殆ど居ないのではと思わざるを得ない。
経済が傷み失業者が増えると、失業者が増え、税収だけでなく、厚生年金や健康保険も減収するし、生活保護も増えるであろう。
論理の美しさの為にこのような状態に陥ることを理解しているのかという疑問がある。
伝統的に左派は高学歴が多く、旧来の左派は上記の点は理解していての主張だと僕は理解している。
だが最近の毎日新聞東京新聞の暴走にコメを多数付けるとか、全面的にGoto反対には知性に甚だ疑問がある。
(最近NHKを重視する非ハテサ層も多いようだけどその反発なのだと感じている)
愚痴でした。
話題のnikeのCMに関する論争で思ったのは、ああ、アメリカで起こっている「分断」というのは、これが大統領選にまで拡大しているんだな、ということ。
このCMを批判している人の根底にあるのは「自分たちが無視された上に、会ったこともない他者に配慮する責任があると言わんばかりに説教された」という反感である。日本人の大多数が経験している学校の教室や部活の風景は、誰もが自ずと自分の過去の経験と記憶を重ね合わせるものである。その中で強烈で、かつ思い出したくない経験の筆頭こそが、やはり「いじめ」だろう。そうした辛い経験を、あたかもマイノリティだけが経験しているかのようなつくりになっているのを見て、自分たちの体験が否定されている、軽視されているように感じて反発していると理解することができる。
CMを評価しているリベラル派の人たちは、CM批判派を「差別の存在を否定するレイシズム」などと批判し、「マジョリティの特権を揺さぶられて動揺している」などと言う人もいる。はっきり言って的外れである。日本人の大多数が昨日のことのように記憶している学校の教室や部活の経験を、「差別問題」に回収されてしまったことに対する反発として理解されるべきである。それに乗っかったタチの悪いネット右翼が多数いることは確かだけど、そこに問題に本質を見ようとすると完全に誤る。
「学校のいじめはひどかったけど、差別などはなかったと思う」という経験を持つ人に対して、「お前に見えてなかっただけだろ」「それが特権なんだよ、自覚しろ」と頭ごなし言われ、て素直に「わかりました、考えを改めます」というなどという人はいない。自分が過去に経験して感じたことを否定されれば、誰だって怒りの感情が湧いてくるだろう。
最近のリベラル・左派は、貧困問題でも差別問題でも、「敵」がどんな感情を持っている人たちなのかの分析や理解を放棄して、とにかく批判して戦うという方向になってしまっているように感じるが、社会の分断を進めて問題解決から遠ざかるだけだと思う。
どんだけ韓国嫌いなん?で、韓国がお前らの生活にどんだけ関係あるん?こいつら全員竹島の周りで漁できない壱岐の漁師なん?
一企業が「ジャップって人種差別あるよね」(チョンだけじゃなくクロンボもいた)ってメッセージ発信しただけで、つべのコメ欄では反韓一色w
あのさ、どうでもよくね?消費税増税とかコロナの対応の方が優先順位高くね?
チョン嫌いなの利用できるわけよ。ジャップがコロナ対応にしびれ切らして政権交代したとして、チョンの大統領がちょっと竹島上陸したらいいわけよ。ジャップは竹島に強くいけって言うから、ジャップ政権はそこでどう対応するかを迫られるわけじゃん。つまりチョンに政権のタクト握られてんじゃんっていう
チョン嫌いの政策でお前ら得するんですかって言う。安倍のマスク代で慰安婦に賠償しとけよあほくせえ
コメすら食えない貧民のネトウヨはおとなしく左派政党さらに言うなら山本太郎に託しとけってこった
慰安婦問題は勘違いでした韓国が間違ってましたって文が土下座したらお前らの生活楽になるの?溜飲下がるだけでおめーらの生活変わらねーよ
赤い布に突進する牛かよまじで。それか光に集まる蛾か?
アショア代替、最低1900億円 最も高価な洋上装備に(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/2e7940f797e4a63effd0df2fccbf3338e793536a
当初ってイージス艦よりも安くできるとか、海自の負担を減らすとか、カバーするエリアとか、その辺の都合やメリットで陸上に作るみたいな話だったよね?
だけど値段が高くなるとか、やっぱり海にする。とかって当初のメリットが減らない?
まあその「メリットが減ってでも、カバーエリアの増強・再編が必要」というのは、理解できるけども。国防なので。
しかしコストがイージス艦よりも高くなるなら従来と同じイージス艦を増やせばよくない?って思うのですが・・。
でもその従来のイージス艦のレーダーがもう生産終了しちゃうって話もコメントに書いてあるので、それもできないのかな。海自も人手不足だろうし。
https://news.yahoo.co.jp/articles/203d7c6e461318d27f4556a9a36a02304e910a94
左派は分析が出来ない。批判はよくやるが直接的なものだけで、分析した上での批判ではない。表面情報を把握して騒いでるだけだ。
中道や右派は、何故そのようなことをしなければならないか、そんな状況にあるのか、打開策は何かを分析した上で、あえて竹槍戦法みたいなこと「も」やる。
いつかの8割おじさんと政府側の攻防もそうだった。医療側が一方的に言ってくる8割削減策を鵜呑みにせず、7割とか6割とかの代案を出して交渉した。これが民主党政権なら「8割以上削減は受け入れられない。だから削減なし」で終わっていただろう。
自殺の理由は一つではなく様々な要因があるし、男女でその要因の比率も異なる。
フェミニズムはそのうちの一部の要因となる問題を解決するための運動でしかなく、フェミニズムはそれ以外の要因を解決するためのものではない。
それ以外の自殺の要因は、貧困の問題、長時間労働の問題等であり、それらはそれらを解決するための左翼的な運動が別にある。
貧困の問題・長時間労働の問題等を解消することを目的とした運動も、フェミニズム運動と並行して社会が取り組むべき運動であり、
実際、Twitter上のフェミニストも社会思想的には左派寄りの人が多く、貧困の問題・長時間労働の問題等の是正についても言及・賛同している人も多い。
戸籍の考え方は家族の考え方であり姓というのは家族をまとめた記号である。男女が結婚した際に新たな家族が誕生するため新たな戸籍の作成が必要となるのだがこの戸籍の名前として姓を統一するというのが旧来ある考え方だ。
ここに男女の不平等は存在せずこの新たな戸籍の姓として夫妻どちらのものを使用しても構わない。妻が夫の姓にすることが多いという実態を指して女性差別であるとする論は基本的に筋が悪い。離婚時に親権が母親に行きがちなのは裁判官の判断に依るので、これは司法の男性差別であると言える。しかし結婚時の改姓に関してはこの離婚時の親権問題のように他の誰かが勝手に決めたりそれを強制させられるということはなく夫妻となる男女双方の一致する意志により行われるのであり法的にもそうなっているのであるから、差別であるという主張は無意味である。女性が姓を変えがちだというのは文化的なものであり、悪いのは文化の方である。夫婦同姓が女性差別であると主張する人達は男性側の改姓を促す運動をすれば良い。
改姓時に改姓する側がほぼ全ての書類の名前を書き直す必要があり大変に手間がかかるという問題もよく夫婦別姓が解消するものとして例示されることがある。これに関しては夫婦同姓が悪いというよりも姓の変更を要求する機関が悪いと言える。社会のUXが悪いのが問題である。このUXの悪さに関して声を上げる人は少ないように見受けられる。
姓の変更によるアイデンティティーの喪失を問題とする人達もいるが、これも姓で相手を呼ぶ文化が悪いと言える。先述した通り姓は家族の記号であるのであるから、これを個人特定の記号として使うことがそもそもの間違いであり、姓にアイデンティティーを見出すのがそもそもの間違いである。姓ではなく名があなたのアイデンティティーである。
姓の変更により家族を移る感じなのが嫌だという意見もあるが、この主張も筋が悪い。姓はそもそも家族の記号であるのであり、新たな家族が誕生するのであるから新たな家族の記号が嫌であるというのはただのワガママでしかない。夫婦別姓よりも夫婦が同意した自由に新姓をつくることができるようにするとした方が戸籍の考えに合っているのではないだろうか。
戸籍の考え方がそもそも古いしおかしいという主張がある。これには一理ある。本籍地などといった完全に形骸化したものが未だに使われているのはIT全盛の時代にそぐわないだろう。夫婦別姓論を唱える人々は現在の戸籍の拡充ではなく、戸籍の基本となる日本における家族そのものの考え方にチャレンジしなければならない。夫婦別姓反対派が夫婦別姓は家族の破壊であるとし反対しているのに対し、改姓後の書類の手続きの面倒さのみでこの制度の改修を要求するのは筋が悪いと言わざるを得ない。なぜ夫婦新姓でもなくなぜ夫婦別姓にこだわるのか。なぜ改姓時に手間を要求する社会を責めないのか。
夫婦別姓に関しては日本の立法制度に起因する問題もある。例えば自民党は夫婦別姓に反対であり、自民党を負かしたい野党は国民に人気のある法案を用意する。私達の党は夫婦別姓を支持しますという宣伝をして票を集める。問題なのは日本にはまともな野党が一つもないことだ。仮に夫婦別姓を支持するからと野党に投票して野党が勝ってしまうととんでもないことになる。自民党が危険な左派の考え方であるとして夫婦別姓を切り捨てるのにはこのような背景もある。夫婦別姓は進めたいが野党には勝ってほしくないといった人達は野党に投票しないため、結果夫婦別姓の実現はいつまで経っても実現しない。アメリカではpropositionに投票することが可能であり、法案ごとに住民投票で可否決することがあるが、日本でもそれをやれば良いのではないか。こちらからの攻め方もあろうになぜ手続きの面倒臭さや多様な家族観などといった点で攻めるのか。夫婦別姓に反対する人を古いとか頭が悪いとか決めつけたところで争いが起きるだけで何も変わらない。