はてなキーワード: 詭弁とは
「差別」の語を用いた表現批判は、事実上の表現規制だということを理解しない人、多いねえ。
本当に差別的表現なら、公共空間に出せないじゃん。規制と何が違うんだ。
問題はその「叩き方」なのよ。
「我々は規制を求めていない」て詭弁、とっくにバレてるからね…
つりがねむし @Tsurigane_mushi
表現の自由戦士って「表現物への批判も表現規制」と言いながら、自分の嫌いな表現は叩きまくる(けもフレ2、遊戯王政治表現etc.)から、決して表現リバタリアンではないんだよね 「オタク側がやる場合は表現も表現批判も何でも可」だから、「表現の自由」を笠に着た「オタクの特権階級主義」でしかない
https://twitter.com/tsurigane_mushi/status/1413713070560485380
「なぜ緊急事態宣言を再出するなら、前の宣言を延長しなかったのか」という批判への「宣言にはメリハリが必要」という回答に対して、「意味がわからない」という批判が多いけど、自分は非常によく理解できるけどな。ロックダウンじゃなくて罰則なしの要請なんだから。さすがにもうメリハリも全くきかないレベルの限界だと思うけど、政府の詭弁や馬鹿さ加減として嘲笑するのはひどいと思う。
ていうか、ロックダウンのような厳しい措置がとれないことにたいして、いまだにリベラル派は「やる気があれば法改正できる」という精神論を言い続けるばかりで、そのやる気を挫いてる要因は何なのか、何が原因で法改正が提起されないのかという根本的な問題についてさっぱり語られない。リベラル派にとって自民は「悪の組織」で思考停止しているから、説明の必要もないのだろうが・・。
「日本人が日本人であることによって侮蔑を受けている」ユニヨシの描写と、
というか、
必然性のカケラもなく、映画の中で延々と茶番を演じ続けるユニオシと(https://www.youtube.com/watch?v=Hb3gdUrIC4Q)、
劇中でその身体的特徴をネタに蔑まれることの全くない宇崎花では、比較にならないよ。
両者には「フィクショナルな表象である」という共通項しかないのに、
それらを単に「身体的特徴を過度に誇張した描写」と括り、主観の問題として相対化するのは、詭弁だと思うよ。
としている人がいるが、これは違うんじゃないかな。
その作品の文脈と、それらを受け止める社会的コードの両方があって初めて、視覚的表象に意味が与えられるんだと思うんだよね。
そうして与えられた意味こそが差別性を帯びるのだ、とするのは言い過ぎだろうか。
時には主観的で多様であり得る社会的コード(その肌の露出は性的だ、いや性的でない、など)を考えるだけでなく、
例えばアニメや映画のキャラクターなら物語やキャラクターの設定など、その作品固有の文脈をそこに加えて、両者の関係性を取り上げてこそ、
客観的な差別の存在についての議論ができるように思うんだが、いかがだろうか。
「ティファニー~」についてはそこまでよく知らないけど、あの出っ歯や眼鏡に物語上の必然があり、尊厳ある一人の人間として扱われていれば、
よってここは
「①映画やアニメにおける視覚的表象は、物語から独立してそれ単体で差別性を帯びることはない。」
が正解じゃないの?
もう少しパラフレーズすれば、
宇崎ちゃんポスターやミニスカポスターについて、本当の世間の支持不支持はどうか?
「どうでもいい」が圧倒的1位だと思いますよ。
規制派にはここを百ぺんくらい読んでほしいわ。
増田の意見とは反するかもしれないが、何が人々に害を為す規制されても仕方ない表現かというのは結局、人の快・不快とは無縁ではいられないし、だから多数決とまで言うのは極端だけど、『一般的な感性においてどう受け取られるか?』というのは考慮されらべき要素だと思っている。
例えば、人の腹が開かれた写真を往来に張り出して良いか? と訊かれたら、過激派とか原理主義者とかいう言葉が枕につくような人達以外は、普段から表現の自由を守ろうと言っている人も規制に賛同するだろう。
この反対は具体的な根拠に依る規制というよりは「ふつーに考えてそこまでは駄目だろ」という一般感覚に依るモノだと思う。
でもだからこそ、この表現は許さないという個人の感覚が果たして本当に一般感覚に叶っているかは慎重に議論しなくてはならないと思う。
よく規制派『他人の迷惑を省みず性的表現を好むキモオタ』VS『その被害に遭う一般人』みたいな対立構図を作ろうとするけど、この考えは『どーでも良い派』を規制派に勝手にカウントしたご都合主義極まりない詭弁であって、絶対に認められるモノではない。
『どーでも良い派』は中立、もしくは、表現の自由というのは自由が原則で、規制は人々に多大な被害を及ぼすモノに対してのみ最小限の範囲で行われるのが正しい状態と考えれば、規制のされていない現状の消極的肯定とカウントされるべきだろう。
これはその通り。
もう一つ踏み込むなら、大野先生の言う「性的」は、単に不快だからダメなのか、
それとも「女性」なる集団の、何某かの権利を侵害するからダメなのか、
大野先生に限らず、◯◯差別の存在を訴える側が、不快感と差別の境界についての言語化を怠っている。
フェミニズムの詭弁の一つに、「その表現は◯◯差別を助長する可能性がある」がある。
・その表現の、何がどうしてどういうメカニズムで◯◯差別を助長するのか
・その表現が人々の意識を変え、◯◯差別を助長したというエビデンスはあるのか
こうした問いに、アカデミズムですら答えようとしない。
「バイデンが福島の井戸に毒を入れているのを見ました」という書き込みについて、「差別を煽動している」と断言した津田大介が、何がどのようにどうやって差別が煽動されるのか、そのメカニズムを一切語れないのと同様に。
中の人と思しきアカウントが「本当に文体変えても捕捉してるなら指摘してみてほしい」と言っていたので、自分がメモしてる中からいくつか「国語力増田と同一人物だろう」と思っているものをメモ。
誤爆もあるだろうが、そこそこ捕捉精度は出てると思う。傾向としては:
国語力と論理力を云々する割に、自分は的外れな比喩を使ったり、相手が言ってないことを拡大解釈して藁人形論法をやってることが多い。本人曰く「テクニック」らしいが。もう1年ぐらいウォッチしてみようかなと思ってたけど、書く内容に全く新味がなくなってきたので、ここで記録のストックを御蔵出し。
自分よりずっと前から国語力増田の同定を楽しまれているid:Silicaさんが、上のリストで未言及の増田としてブコメで以下ご提示くださいました。「ラブコメは最も執念があった人に勝ってほしい」は、自分は判定に迷った末に外したのだけれど、じっくり読んでみると「ああ、なるほど」と思う増田確定キーワード『無明』が入っていて、お見それしました。
別に、「ヒトラーは悪」という話はヒトラーだけが悪ということを含意していないのに、どうしてもっとひどいあっちは悪だと言わないんだっていうやつ。「これはどうなんだ」って事例は次々と挙げられるから全部挙げるわけにはいかないし、そもそも話題とそれる場合も多いのにさ。
『どっちもどっち論法』とか『誤った等価関係』はちょっと違うけど、確かこれも詭弁法として類型化されて名前がついていたよね。
それこそ詭弁
実際にはここの歯医者は治療がうまい、あそこの歯医者は下手くそだなんていう口コミがあるんだぞ
そしてその口コミが廃業まではいかなくても歯医者の流行り廃りも左右するもんだ
口コミが本当にその歯医者の能力を正しく示しているかはわからないが
思ってるより社会は懐が広いぞ。
昭和のおっさんおばさんならそう思うかもしれないが、令和の現在、コロナ禍を経て社会の許容性、多様性は極めて小さくなってるぞ
声を上げられない市井の民は虐げられる一方
https://anond.hatelabo.jp/20210628075114
なんか説得されている人がたくさんいるので、以下に間違いを指摘しておきたい。
「「絶対悪」というのは宗教とかイデオロギーの概念であって「ナチスが1個でも良いことをしたかどうか」のような事実を争う話への反論たり得ない。」
→「良いこと」も価値判断であって事実ではない。「ナチス」と「良いこと」をつないだ瞬間に、ナチス体制全体を部分的にでも肯定したことになる。百歩譲って増田個人の意図はなくても、意味としてはそうなる。以下にくどいほど繰り返すけど、増田の基本的な間違いはここにある。
「ある政権が戦争とホロコーストを引き起こしたことはその政権の全ての施策が間違っていたとする根拠になるだろうか?」
→おそらく田野先生もそんなことは言っていない(と思う)。それをナチスの人種差別的な政策理念と切り離して「良いこともした」という言葉にまとめてはいけないというだけ。
「「絶対悪」だの「悪の権化」だのという変な匂いの言葉をやたらに好むこの筆者は一体何を専門とする先生だろうか?」「「絶対悪」という幼稚な概念は本当にポリコレなのだろうか?」
→これに関しては若干同意で田野先生の脇が甘いと思うが、ジェノサイドについては「絶対悪」と表現されても個人的にはそれほど違和感はない。
「ナチスの話に中国共産党の話を引き合いに出されて何の不都合があるのか?」
→これは典型的であまりに幼稚なネトウヨ論法だろう。ある問題の「悪」を論じているときに、別の「悪」を持ってきて批判するのは、「悪」の相対化以外の何ものでもない。田野先生が「中国共産党は香港の統治でいいこともしている」などと言っているなら別だが、そんなこと口が裂けても言うわけない。あと中国共産党は民族差別を党是や国是としているわけでは全くないので、公式的政策として組織的に虐殺をしていたナチスとは同列にできない。例えば難民申請者を餓死させている日本もナチスと同列にしなければならない。
「ナチスに何か一個ぐらい優れた政策があったとか、なにか凄い発明があったとか、仮にそういう事実があったとしてもナチスの人種主義や虐殺を正当化しない。そもそも全く別の話の筈だからだ。」
→別の話ではない。そもそも別の話にされて一番憤慨するのはヒトラーとナチスの指導者たちだろう。しつこいほど繰り返すが、「優れた」とか「凄い」という価値判断含みの形容詞を、「ナチス」と並べてつなげて使うこと自体が非常に問題なのである。「ナチス」を主語にした場合、「必ずしも人種主義やジェノサイドを含意しない」という詭弁は、およそ狭い日本のガラパゴスなネット空間でしか通用しない。数年前に日銀の審議委員が「ナチスの経済政策は正しかった」で(意図は一応ナチスに対して否定的なもの)、国際的に非難されたことを思い出してほしい。
「ナチスが何か良い政策も打ってたとか、良い発明をしてたとか、それが何故ナチスの免罪になるのか。それらの事実はいくらあってもナチスの免罪に繋がらない。」
→くどいようだけど、「ナチス」と「良い」をつなげて書いて表現すること自体が、ナチスの免罪を(意図していないとしても)意味するので非常に問題なのである。やはり増田は「良い」という表現が主観的な価値判断だと反省できていないように思える。「ナチス政権は失業者の減少によって国民的な支持を得た」と「ナチスは…良いこともした」が、文章として意味するものが全然別だということがわかっていない。
「以前からあった計画を採用して成功したら、それは政権の加点でいいんじゃないの?」
「「プロパガンダ的な性格が強かったら得点ゼロ」ってどういうルールなの?」
→同じく、「得点」=「良いこと」かどうかも価値判断なので、やはり「ナチスを相対的に評価している」ことになってしまう。ただ田野先生の書き方は、「当時のドイツ国民はプロパガンダで騙されていただけで、具体的な政策で支持していたわけではない」と読めるので、これは少し問題だとは思う。
増田がどこかの大学の教員だった場合、この書き込みがバレたら間違いなく大問題になって、下手すると失職だと思う。そういうことを書いているという自覚が足りない。
ちなみに元々の田野先生の文章も個人的にはいまひとつだった。自分だったら、「良いこともした」を正面から否定するのではなく、「良いこともした」ように見える具体的な事例を取り上げて、それがいかに人種主義や戦争とつながっているのかを丁寧に説明すると思う。
それは詭弁。
「お前ワクチン打った?」
「いや、打ってない」
「券まだ届かないの?」
「いや、届いてる」
「いつ打つの?」
「俺打たない」
聞かれたことに答えただけなのに。
単純に、大多数が悪と考えるものを貶めて「私はまともです」アピールして自分の地位とか発言の正当性を上げたいよくいるやつでしょ
目的からして詭弁だから感情優先で論理が成立しないし、ほんと読む価値もない
んで実名出すのSNSとか媒体はほぼこんな順張りおじさん・おばさんの真似っこしかいない