はてなキーワード: 視力とは
なんとなく視力落ちそうだなと思いました
持病の手術のため、今日から入院する予定だったが、延期になった。コロナの影響だ。
延期といっても今度いつ入院できるのかはまだわからない。入院予定の1時間前に病院から電話が入り、近隣のコロナ患者の受入拡大のため急遽入院は延期したい、今後の予定はおって連絡すると伝えられたのみだ。入院が伸びたので手術も未定だ。
直前の直前になっての延期に困惑したが、すぐに理解した。当該病院のすぐ近くにある別の病院で、コロナの集団感染したというニュースを目にしたからだ。噂が事実なら、病院スタッフの感染が判明してからも外来診療を続けていたという。当該病院としては、新規受け入れを一旦止めるのも仕方ないことだろう。
持病は基本的に、すぐに死に直結するものではない。ただし視力が徐々に失われていく特徴がある。手術さえすれば回復するが、放っておけば失われたままだ。手術が遅れればそれだけ失明するリスクは高まる。
嫌な予感が的中してしまった。手術が決まったのは一ヶ月前だったが、それからずっと、自身や主治医がコロナに感染したり、院内感染が発生したりして、手術ができなくなるのでは、と考えていた。あと一日、いやあと一時間ちがっていたら入院できていたのに。入院してしまえば、手術もできたかもしれないのに。
好奇心でやったが、寝ても覚めても食いもんのこと。Youtubeで大食い動画ばかり見て胃液ダバダバ。水飲み続けても胃が痛え。
体軽くなるって言ってたけど、そりゃ4キロ減ったら体重減るんだから軽くなる。
ろれつが回らねえ、約束の日間違える、仕事の凡ミス、発疹、耳鳴り。
確かに寝付き、寝起きは良くなった。でも寝付き良いのは夜遅くまで起きとくだけの体力無くなっただけじゃね?寝起き良いのは腹減ってるからじゃね?
五感は研ぎ澄まされる。餌を探すために。
背後の音を認知出来るようになった。そして目が良くなった。視力は変わらんが物体を認知するスピードが早まった。匂いはもともと敏感だったが、感度が2倍に。街に出るたび油、ガソリン、洗濯物、香水、下水の匂いがランダムに押し寄せて、情報過多で吐き気が止まらなかった。森林に逃げたいと思った。
五感で認知しても思考には結びつかない。思考を通さずただ感じるだけ。
いつも思い出すのは、俺が作った飯だった。(ラーメン以外)
作って、食って、幸せを感じて、この苦労を喜ぶ。
もうこんな時間よと毎回言ってるような気がしないでもないけど、
そしてもうお昼も行ってきちゃいました。
そしてそして会議の後の資料に目を通してちゃわないといけないところなのよね。
パッと見て動体視力で流し見しちゃえばなんかなんとかなりそうなので、
残り50ページほどだけど一瞬よね!
内容は見ないの!
動体視力でなにかズレている箇所があれば間違ってる箇所なので、
それはさておき、
何を書こうかしらと思っていたところなんだけど、
結局はここに戻ってきても、はて?って感じだわ。
急ぐなら回れって言うけど、
もー!
時間はどんどん過ぎちゃって行くので
私は今日はもう定時で上がってそのまま銭湯に行くつもりだから、
本当に終業間際のギリギリのセーフで仕事持ってこないでちょうだいって思うし、
それセーフじゃなくてアウトだからね!って
ほらさ、
例のコロナの件もあって、
中国での生産や入荷なんかこれからどうなんだよ!ってマジリアルな話し
終息して欲しいところなんだけど、
私も私で机で
だからこうやって今日は珍しく書の類のチェックに勤しんでいるところよ。
勤しみまくりたいところだけど、
なんかまた私の机に書の類を持ってこないでって思うけど、
あのさ
そんなに乗っけなくても良いじゃない?
これ書類を置いたあなたが私をセントバーナード犬と共に書類の雪崩から救出してくれるの?
そう問いただしたいところだけど、
私は私で
自分の机をちょっと15センチメートルほどに積んだ書の類がプチ雪崩れ起こしている感じで、
この場合だともう慣れたもんよ!
ホラ整理できた!
そんな自分の机で雪崩が起こってることなんて日常茶飯事の大将の気まぐれ定食か!ってほど美味しいのよね。
なかなか
筆が進みにくいところで、
なんかずばばば!って
高田のばばばってゲゲゲの女房の感じみたいに言って行かないでよって
また私の机の上に書の類を置いていく困ったちゃんがいるから本当に仕方が無いわね!
もううやむやに、
言うと思わせといて、
徐に取り出したペンライトを振りつつ
うかうかしてると
うふふ。
お気に入りよ。
初めてアメリカに行ったときのファミリーの朝ご飯でカリカリカリにこれでもかと言わんばかりに
私これどうやって食べたら良いの?って思ったことを思い出すほど、
塩気の効いたベーコンで一緒に挟んである硬めにサニーサイドを焼いた目玉焼きもとてもご機嫌さんな味を醸し出しているわ。
要は最高に美味しい朝食!ってことよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
夜中になると、なぜ自分がこんな目にあわなければならなかったのかと思い、涙が止まらなくなる。現在21歳、大学3年生。半年前に目が8年ぶりにちゃんと見えるようになった。中学1年生の頃からである。8年間本当に長かった。
8年前の秋頃、中学1年生だった私は小学校以来のゲームのやりすぎで視力が低下していた私は黒板の字が見えづらくなっていることに気づいた。眼科に行き、視界が悪くなっていることを告げられ、まだ外見などあまり気にしていない半分小学生脳だった自分はメガネをかけることに決めた。いわゆるガチャ目で、左目が0.2とかなのに対し右目がほとんど見えない0.01みたいな状態だった。ゲームをやるときの姿勢が悪かったのが原因かもしれない
ここまではよくある話だし、目が悪くなるというのが怖かったとはいえ周りにもメガネをかけている子供はたくさんいたので、絶望感のようなものはなかった。メガネをかければ普通に周りが見えるようになったし、日常生活に支障はなさそうだったからだ。
しかしいざメガネ生活が始まると、以前とはどうしても変わってくることがあった。一つはメガネキャラが定着してしまったこと。もともとそんなに明るくない性格だったのがメガネをかけたせいでさらに暗くなってしまった。別に友達づきあいは変わらないんだけど、中3にかけて子供が見た目を気にしだすようになるなか自分の見た目の悪さも気になるようになってしまった。
そしてもう一つは激しい運動がフルでできなくなること。メガネをしているのでサッカーとか野球とかできるだけ端っこで見るだけになってしまった。中学の時はサッカーに無理やり参加してメガネが割れたことがある。中学3年生の頃には自分のことがのび太のように見えたし、周りからもそう言われるようになった。
ここで何故コンタクトを使わないのかと思うかもしれないが、これがこの悩みの大きな問題点だったのだ。自分はどうやらコンタクトが合わない体質らしく、眼科に行ってもガチャ目だからコンタクトが合わない、メガネじゃなければダメだと言われていた。実際コンタクトをつけてみると、とにかく気持ちが悪い。つけていると船酔いのような気分がして額から汗がだらだら出てくる。一回コンタクトをつけて学校に行ったことがあるが耐えきれずにコンタクトを外してしまった。いわゆる眼精疲労というやつなのだが、本当に眼精疲労?と思いたくなるような症状が出てくるので、いやいやメガネに戻さざるを得ない。
そして高校生活が始まると、この外見コンプレックスに散々悩まされることになる。もともとメガネが似合う顔でもなく、絶対ないほうが良いのだけど、メガネを外すことができない。この消せないコンプレックスが悩みの種で奥手な性格がさらに奥手になり、高校ではあまり周囲に心をひらけなかった。別にいじめられていたわけではないのだけど、とにかく自己評価が低くて周りと上手く接することができなった。なんというか顔に傷がある感じなのである。だから人前に出るのがいやだった。
それだけ自己評価が低いので、常になんか暗いオーラが出ていた。自分の姿が嫌で写真に写りたいとも思わない。だから高校時代の写真はほとんどない。だけど頑張れるところは頑張ろうと思って勉強は頑張った。順位が貼り出されて学年一位という経験もしたのだがクラスで友達がいないためご飯を食べる時は一人という惨めな思いを味わっていた。今思えばそんなの気にしなければいい話なのだけど、それがいやでいつも教室の隅っこの方にいた。運動も十分にできないのでだんだん運動神経は落ちていき、本当に勉強のできるのび太くんみたいになっていた。自分の長所が勉強しかないのが嫌だった。
だから高校1年生くらいの時から視力回復トレーニングを色々やって見たのだが、如何せん効果がない。あの手のトレーニングはたまにネット上で効果があったとか書いてあるが、ほとんど無理である。一度目は悪くなったら自力で視力は回復しないと思う。だから高校12年生の頃は本当にどうしようもなくて、とにかく外見コンプレックスに苦しんだ。
そうこうしてるうちに高校3年生になった。17歳という、人間として容色がもっとも美しくなる頃、受験勉強とともに私のこの外見・視力コンプレックスはさらに肥大化した。大学受験の不安よりも私は一生このままなのか、見た目にコンプレックスを抱え続けなければいけないのかという不安の方が大きかった。本当にメガネが外せないのかと悩み苦しみ、勉強そっちのけで眼科に何件も通い、なぜかメガネを10本近く買った。大学病院での検査も検討したが、大学受験との兼ね合いで断念した。そんなものだからそれまで維持していた成績は下がり始め、大学受験は第一志望に受かることはできず、コンプレックスも解消されないまま大学に進学した。浪人という選択も考えたが、当時のコンプレックスははっきり言って異常で、浪人したら今受かっているところにも受かるような気がしなかったため浪人を断念した。
大学に入ってからもこの外見コンプレックスに悩まされた。最初の頃は無理やりコンタクトをつけて登校していたが、だんだんきつくなってメガネに戻してしまった。そしてメガネにすると人前に出られない(?)ので、サークルも次第にフェードアウト。大学1年の秋には学内で自然と孤立の道を選んでしまっていた。そんな人間が生きる道はインターネッツで、授業から帰宅してはネットサーフィンをする毎日を一年冬〜二年秋まで送っていた。ネットサーフィンをしているうちにコンプレックスを忘れようとしていたのかもしれない。だが、20歳になったタイミングでまた忘れていたコンプレックスが再発がした。成人というのは大きなイニシエーションで、私の忘れようとしていたコンプレックスがまた復活していたのである。
今度はさらに孤独コンプもこじらせていて、高校の同期が大学で楽しくやっている中自分は部屋で一人ネットをしているのがコンプレックスになった。正直もう外見なんか気にしないで普通に人と付き合えばいいというのはわかっていた。でももう二年が終り、就活が始まるという段階で今更人付き合いを増やせるとも思えなかった。だから二年の冬休みはとにかく暗くて、どうすればいいんだろうという気持ちになった。不安と苛立ちが爆発し、家族にわけもなく当たり散らすようになった。散財もするようになった。一種のパニック症状である。原因不明の病というのはどんなに軽傷でも人の精神を不安にするもので、私の心は不安に押しつぶされていた。人間の思い込みというのも一つの病だと思う。
そして2019年の5月に、最後の望みをかけてそれまで行った事のない眼科を受診した。もう大方視力回復に間することはやり尽くしていたので、唯一やっていなかった。オルソケラトロジーという治療法にかけてみた。治療内容はググって欲しい。結果、オルソケラトロジーでも視力は回復せず、私のコンプレックスは解消されないみたいだった。
オルソケラトロジーを行う際に渡されたレンズを目にはめても一切気持ち悪くなかったのである。
オルソケラトロジーは夜間に角膜を矯正するためのレンズをはめて就寝し、翌朝になったら角膜が矯正されているので視界がよくなるという治療法である。この夜間にはめるレンズを昼間につけていても、全く気持ち悪くならなかったのである。
中学1年生以来、およそ8年の時を経て裸眼で見る世界はとにかく新鮮だった。少し度が弱かったが裸眼で道路を歩ける。水泳もできるしサッカーもできる。近くのビルの社名が裸眼で読める。夜は月がブレずに見える。鏡をみてもあの忌々しいメガネはない。あの時は嬉しかった。私が8年間、青春の間ずっと苦しんできた悩みはいとも簡単に解決したのである。
8年間の悩みが解決した理由もよくわからないのだが、私はどうやら「ソフトコンタクトだと体質的に無理なのだが、ハードコンタクトなら大丈夫」という事だったらしい。理解不能である。確かに私はコンタクトなんてどれも同じと思って、安いソフトの方を買っていたが、そんな意味のわからない解決法はネットでどれだけ探しても見つかったことがなかったし、中学一年生の時から百回は受診したどの眼医者もしてくれなかった。
目が治ってから、私は号泣した。普通病気が治ったら嬉しいと思うかもしれないし、私もそうだろうと思っていたが、こんな意味のわからない理由が原因だったこと、外見コンプレックスのせいで今まで失ってきたものが多すぎることに嗚咽し、自暴自棄になり、さらに家族に当たり散らすようになった。8年間もコンプレックスに苦しんだこと、そのコンプレックスが実はすぐに治ったことを受け入れることは難しかった。ストレスの度合いでは大学受験に落ちたことなんか大したことではない。私は12-20までの8年の間でもっと色々なことに挑戦できただろうし、もっと色々な人と仲良くなれたはずなのである。
8年間の理不尽は私から自尊心を奪い、一気に自暴自棄に陥らせた。3年春学期の単位は全て落とし、gpaは目も当てられない数値になった。部屋は片付けなくなった。暴食を繰り返し、体重は半年で10キロ増えた。家中の皿を割った時は家族から家を出て行けと言われた。
学生時代のほとんどを思うように過ごせず、就職というラウンドまで来てしまった。現実を受け入れられなかった。3年の秋はなんとか学校に行っていたが、授業を受けている間も病的にずっと後悔していた。後悔先に立たずだけど、あの時ああしていればというのをずっと考えてたら1日が終わるとかザラであった。留年したので就職なんてどうでもいい。21歳の誕生日は家族以外誰も祝ってくれなかった。家族からも暗くて一言も喋らないから怖かったと言われた。
カウンセリングに年明けから行ったが、正直今できることをやれ、気にするなとしか言われず、自分でもそれしかないとわかっていたので行く意味はないと思ってやめた。しかしテストを受けるまでずっと落ち込んでて、単位も半分くらい落としたと思う。せっかくコンプレックスが解消した顔は激太りした上にやつれきっていた。
ただテストを終えたくらいから、ずっとこのままでもどうしようもないというのは体がわかってきた。ようやく、現実に脳みそが追いついて気がする。もう一度三年生が始まり、就職活動も始まる。何一つ悪いことはしていないのだが、人生を再スタートさせなきゃ行けない。今まで失ってきた分、これからはいい人生を歩みたい。
自分は生まれつき目が悪くて、コンタクトがないと目先1mの看板もよく見えないレベル
たまに裸眼でしばらく過ごして、
「部屋綺麗だしまだ掃除しないでいいか」「毛目立たないし剃らなくていいか」「これはアイロンかけなくてもいいか」とか
思うんだけど
コンタクトして改めて見るとびっくりする
これ一生弱視の人には、一生気づけない細かい部分があるんじゃないかと思った
マジかよみたいな不潔な人ってたまに見かけるけど、みんな見えてないだけなのかもしれない
イケメンとか美女じゃないけど、それ風に振舞ってる人も視力が弱いのかもしれない