はてなキーワード: 正論とは
エアプで二次創作、『Aルートは台詞覚えるくらいにやり込んだがモチベの理由でBルートとCルートはエアプ(or動画で済ませた)』な場合って結構ギリギリだよなあと思った。技術や財力じゃなくてあくまでモチベが理由で他ルートできません的な。
Aルートで語られなかった重要事項はBルートCルートでプレイヤー側に提示されるが、そのかわりBルートCルートではAルートで活躍したキャラクターが背景扱い、または悲惨な目に遭うのが分かりきっているのでやる気が起きない、みたいなやつ。最近だとFE風花雪月が良い例だろうが、あそこまで極端でなくても、分岐によって大きく話が変わる(特に分岐にキャラクターの生死自体が関わってくる)タイプのゲームは多かれ少なかれそういった面を抱えているように思う。
もちろん推しキャラの背景を全部知ってこそファン活動なんだからたとえ推しが酷い目に遭うシナリオでも推しが関係する以上は全部プレイしろ、が正論ではあるのだろうが、酷い目に遭う推しをわざわざ自分から進んで目の当たりにするというのもそれなりなメンタルが必要とされるだろうし、個人的には難しいところだよなあと。
反フェミのみなさん。あなた達は本当にフェミニストに思いやりを待って発言してますか?どこか正論で論破してストレス発散していませんか?
そのやり方だと反発され争いを生み出すだけですよ。
フェミニストを守りながら、伝えていくこともできるはずです。— フリークス=ゴン (@damarekozou3) 2019年11月5日
前提条件として、女性の権利だの男女平等だの子供の権利だのポリコレだのを振り回し、延々と奴等が規制強化を行ってきた点。
10年前に至っては児童ポルノ禁止法や都条例等、法規制マスメディア何でもありで創作物規制やネット規制等を行ってきた経緯もある。
今も国連や相も変わらずマスコミを使い、今は野党側に働きかけ、様々な工作で創作物規制を行おうとしている点。
そして何よりオタクはイベントなどでフェミ側団体も呼ぼうとした事もあったが、奴等は全てその表に立つ行動自体キャンセルして、話し合いの場にすら出てこなかった点。
またそのお気持ちに配慮し続けた結果、徐々に規制が押し進められ、奴らが際限なく規制を押し進めてくる点。
これ等の事があってオタクや表現の自由戦士は徹底抗戦するしかないと判断しただけなので、上記の発言自体愚策も良い所だと言える。
何より10年前は嵐が過ぎるまで頭を下げているオタクやゲーム会社、そして出版などのスタンスがより、規制を悪化させ、更にそのお気持ちを聞いて、規制強化やらゾーニングやら行った結果、余計に奴等が増長して踏み込んできた経緯があるからな。
フェミナチって言葉がある様にこれ等の人間に対して宥和政策的な行為を行う事自体、相手をより調子付かせる悪い結果しか招かない。
この手のは本質的にはクレーマーであり、自身が気に入らないから叩いているだけであって、本来は無視すべき存在なんだよ。
そいつらが屁理屈の為に女性の権利や子供の権利を持ち出して、規制を喚き、世間も配慮し続けた結果、相手の増長を招き、今や表現規制に限らず、多方面において歪んだ規制がなされる事になってしまった。
更に言えば、そいつらが子供の権利を悪用したせいで、児童保護の予算がつかない等の弊害を生み出しているし、女性の権利の悪用に至ってはこいつらがおかしく振り回したせいで、今はレースクイーンやグラビア叩き等、女性の職業叩きまで行いだす結果まで招いているからな。
そもそもオタクなんて、自身に危害がなければ、元々何もしない連中だし、本来は趣味の方を優先し、その時間すら割く事ももったいないと考える連中なので、現在交戦中の状態になっている事こそ、どれだけ彼等が危害が加えられ、危機感を持っているかと言うバロメータにもなるのだけどね。
日本が落ち目に入って、生活が苦しくなり出したにも関わらず、趣味があそこまで票に繋がる事自体、本来異常事態なのだからさ。
しかし昨今急にこの手の相手に配慮しろ的な意見を言い出す奴が沸き始めた気がするのだけど、これも何か裏があるのだろうなと勘ぐってしまうよ。
そもそも今のフェミニストは本来のフェミニズムからかけ離れたものだし、その根幹がラディカルフェミニズムをより悪化させたどうしようもない代物なのもあるからね。
どんな言い訳も通用する国と怒らない国民/鴻上尚史 | 日刊SPA!
それでも俺達は何もしない
どれだけ増税されようとブラック企業がのさばり自殺者がたくさん出ようと外国人実習生が酷い目にあっているのを知ろうと
企業が老人騙してのさばろうと税金無駄遣いされようとネット上には批判や同情文書き込むけれども実際には面倒だから何もしない
どれだけこの国がこの先悪くなろうと全ての負債を先の子供たちに押し付けようとネットに書き込むだけで実際には何もしない
一度決まった制度やルール大企業や国に反抗はしないけれども個人は徹底的に叩くさまを嫌というほど見てきた
だからそれが怖くて何もしない
「では今は?」と問われたら、趣味と言えるものが無くなってしまった。
ニュースは通勤前のテレビと通勤時間のウェブニュース、気になる名前や情報は検索で解決。
気になる本はKindleで積み本するものの読むのは半分以下。時間が足りないのではなく、明らかに食指が動かなくなった。
暇さえあれば本屋に入り浸り、少ない小遣いで新しい作家に出会うべく古本屋に足を運び、新書は図書館で予約して読むほどに活字中毒だったのに、活字への欲求は今やインターネットの横書き文字で満たされてしまう。
読後の余韻に浸り、あとがきを読んでさらに余韻を深め、本を閉じると共に脳内に感想のインデックスを作っていたはずなのに。
傷ついた男性女性を集団でリンチする文字列や、脳内に留めておくべき駄文を斜め読みするだけで活字欲を消耗してしまい、後には一生何にも活かされないであろう他者への呪詛や正論の鎧を纏った批判の伝え方ばかり。
「いかがでしたか?」と感想を求められるたびに、自分の中に何かの感想を探そうとするが無。驚く程に無。何も感じてない。ただ時間と活字欲を消費したという事実だけ。
ところで、吊るしあげるならこの連中の方がいいなぁ。扇動タイトルに見事に扇動されて、経緯も見ずに叩いて互助会スターもらってるこの連中。リスト化得意そうだからやってよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASMD261GBMD2UHNB00M.html
増田、「正論」「火の玉ストレート」とちやほやされてて嬉しくなってるところかもしれないけど、増田自身も元増田の職場の人も差別者そのものだよ。
Domino-R 「差別」されたことを「特別扱いされない」ことへの不満だと決めつける詭弁。被差別者が対等な扱いを求めることを「越権」とみなし、形式的にでもそれが実現されると「特権」と呼ぶだろう典型的な差別者の論理。
right_eye 「ちやほやされる事を求めていた」というより「ちやほやされない事を突き付けられない環境を求めていた」でしょう。見た目で扱いを変えられるのは差別ではない?疑問だわ。ましてこんな罵倒する様な勢いで。
brighthelmer 言うほど正論かなあ。人を見た目で評価する場から自由でありたいと願ったのに見た目という評価が職場に入り込んでしまった。元増田が差別されたか否かは意見が分かれるだろうが、差別的な要素と完全に無縁ではない。
耳が痛いだろうけど苦言を素直に受け止めなさいね。
正論を申すでない!
はてブでは「正論!」と大絶賛だが、違和感があるので書いてみる。
話は飛ぶのだが、マイケル・ウォルツァーという政治哲学者が「複合的平等」という考え方を提起したことがある。
社会のなかには様々な領域があり、カネを稼ぐ人が優遇される領域、野球が得意な人が優遇される領域、プログラミングが得意な人が…(以下略)など無数の領域が存在する。ところが、往々にして人間社会ではそのなかの特定の領域で優れた人が、他の領域にまでその影響力を行使してしまうことがある。たとえば、カネを稼ぐのが得意な人が、なぜか専門知識もないのに教育の領域に口を出してくるとか。
ウォルツァーは、特定領域で優れた人が、その事実によって別の領域にまで支配力を及ぼしてしまうことをやめて、さまざまな領域の自律性を担保することで平等を実現しようと主張する。つまり、いくら金儲けが上手だろうとも、教育の知識がないなら、教育の話に口出ししてくんな、このスットコドッコイ!というわけだ。
他方、この考え方に従うなら、ある領域でものすごく能力が乏しい人であっても、そのことが別の領域におけるその人の評価に影響を及ぼすべきではないという話になる。要は、いくらスポーツが苦手だからといって、プログラマーとしてのその人の評価に何ら影響を及ぼすべきではないという当たり前の話。
ところが、世の中ではそういうことがしばしば起きる。なかでも重要なのが、人の「見た目」。確かに、ファッションモデルやアイドルが「見た目」で評価されるのは、ある程度やむをえない。そういう領域で活動しているからだ。だから、複合的平等の発想に立つなら、ミスコンテストやミスターコンテストは別に否定されないと思う。だが、ほとんどの人はファッションモデルやアイドルではない。
実際のところ、男性もかなりそうなのだが、とりわけ女性の場合、その「見た目」がその他の様々な領域での評価に大きな影響を与えがちになってしまう。
ここでようやく話が元増田に戻ってくるのだが、この元増田の場合、「仕事の実績で評価される社会人」と書いているから、まさに「仕事の実績」という領域で評価されたことが素直にうれしかったんだろう。ところが、見た目の麗しい新人が入ってきたことで、「見た目」という評価基準が不当にも拡張されているという感覚を抱いてしまった。
元増田自身も追記で「差別っていうのは確かに言い過ぎだったかもね」と認めているように、新人が入ってきたことで元増田に対する周囲の評価が変わったのでないのなら、元増田が差別されたどうかは微妙なところ。でも、複合的平等が達成されているかに見えた領域だったのに、また「見た目」という評価が不当に入ってきたことの失望は理解できる。
こういう観点からみると、元増田も「女子としてちやほやされたかった」という増田は、元増田の主張を不当にゆがめているし、言っていいならハラスメントですよ、それ。
モラルパニックを起こしている人間に対しては、そいつが主張する罰を鏡返ししたくなる。
そういった罰を主張したとき、その主張が鏡からのものなのか、モラルパニックからのものなのか、判別ができない。
つまり第三者からすると、モラルパニックの元凶は分からず、鏡も一緒くたに見えるわけである。「罰の程度の差」は、第三者は興味ないのである。
故にモラルパニックに対してはもはや近づかないか(これで自然に温度感が収まっていく。ゲス直後と今の「不倫」のように。)、もしくは第三者をうまく説得するしかないのである。これが「根回し」である。
モラパ者を論破することは不可能。なぜなら多くの場合は”正論”を巨大化して振りかざしており、加えて論破を認めないメンタリティを持つため。仮に裁判で勝っても無意味である。世間はそこに興味を持たない。
日本の、「こうした方がいいよね」
「こうあるべきだよね」という同調圧力が過激なんかじゃないかと思うようになりました。
他人は他人。1人1人の違いや個性が互いに分かり合い受け入れられている文化が根付いているなと感じました。
正論で言い負かし。優越感を満たしているそんな人が多く見受けられます。
別にいいじゃないですか、他人のことはどうでも自分のことさえしっかりやっていればいいんですよ。
特にバラエティ、同じようなキャストで同じような番組ばっかり留学先では有名人よりも
お笑い芸人もいましたが、みんな誇りと自信をを持っていて自らバカをやったり笑われるような芸はしていませんでした。
日本にいたままでは気付けない。
一度全く違う文化の国で生活した経験がここまで人生観を変えるようなものだとは誰が想像をしたでしょうか。
実は僕は生粋の日本人ではありません。
初めて日本を訪れた時はなんと素晴らしい国だと思いました。しかし最近どうも様子がおかしいと日本人は親切です。けど心のうちでは何を思っているか見えないのです。
皆んなが同じように一致団結しなければ生きていけないそんな時代があったとききました。
未来のJAPANではアメリカがモデルケースのように1人1人の個性や価値観の多様性が大切なことに気づくでしょうね。
そう変わっていくと思います。
ありがとうございました。🙄