はてなキーワード: 担い手とは
「あなたはコンビニまで歩いて行ける地域と、車に乗らないとコンビニがない地域では、どちらの地域を選びますか」(文章を多少改変した。)
とある講師は、このような質問を生徒にするそうだ。本人談である。名前は明かさない。
他の情報無しで考えれば、この2択では、あなたはコンビニが近い方を選ぶだろう。
利益をとるか、不利益をとるかという構図にすれば、利益が出る方を選ぶのに決まっているのである。
仮にコンビニがないというデメリットを踏み潰せるくらいの何かがあればべつの話だ。
好き好んで不利益を被る人は少数派だ。もし、ここが進んで不利益を被る人ばかりの世の中の場合、経済学でいうところの「見えざる手」が働かない世の中であり、それはつまり市場経済が機能しない事を意味する。よく自己犠牲精神が美徳とされるのも、それがある種特異なものだからである。
しかし、この講師からすると、それは「間違い」のようなのだ。だから、そちらの方を選び取った生徒に対して、「(授業の内容が)実感なく終わりかねないから、覚悟して取り組んでね」(文章を多少改変した。)と伝えるそうだ。
この質問を上級生にしていると、先生が伝えた授業で私が考えたのは、この質問に沿って例えると、そこの地域をコンビニがなくても魅力的な場所にすることが大事なのでは無いか、という事だ。
それには、受け手的ではどうしようもなく、担い手として地域に働きかけ、変えていく必要があるのだ。
しかし、「コンビニまでの距離が、」と聞く事で、完全な受け手である消費者的な視点で、生徒たちの考えを先生は縛るのである。先生は生徒を前者を選ぶように仕向けている。
罠を仕掛けて、かかったものには、
「(授業の内容が)実感なく終わりかねないから、覚悟して取り組んでね」という言葉を浴びせると先生は仰っているのだ。
さしずめ後出しジャンケン、”RickRoll”、”YOU JUST GET 〇〇(過去形)” とやっている事は同じなのだ。
なんて性格の悪い卑怯な先生だろう。この件だけで一気に嫌いになってしまった。
ちなみに化物語1期をアマプラで一気見してきたので文章がちょっと影響受けてる感じで恥ずかしい、自らで自らの痛さを感じる。西尾維新に文章力と文章量追いつけるわけがないのになに真似してるんだ俺
まぁだからこそこんなところに書いてるんだけどね
断言していうが、「文化の盗用」で擁護されたマイノリティ文化は滅びる。
文化というのは担い手の数そのものが、文化の維持と拡散、発展につながる。
マイノリティの文化ほど、多くの人間に活用され浸透されるなければ維持できない。なので、そのために広報活動を行い、多くの人に触れてもらって文化の維持を行っている。
文化体験であったり、文化事業であったり、普及啓発活動を行うわけだ。
しかし、「文化の盗用」とかいうポリコレお気持ち概念のせいで、この普及が支障をきたすわけである。
「マイノリティ文化はマイノリティの物」というのは一見正しいように見えるが、「マイノリティだけ担い手となってその文化を維持することはほぼ不可能」である。当然だ。新規の客がいないんだもの。
具体的に言おう。
例えば和服だ。和服は「日本ですらその文化維持が困難」だ。もう、ほっとけばそのうち滅ぶだろう。最低でも規模の縮小は免れない。
だから外国人に普及をしようと大変な努力を払った。これは当たり前だ。着る人が沢山いなければ、職人を養えない。職人が高い技術も維持できない。だから衣服は着る人を増やさねば文化が死ぬ。
職人を志す人もいなくなる。国が保護すると言っても、現在の技術力を維持は不可能だろう。だから海外市場に「和服を広めよう」とした。
というわけだ。
つまり文化の盗用が、文化維持の邪魔になるわけだ。日本だけでは近い将来、和服文化の維持は確実に困難になるだろう。少なくとも規模の縮小は免れない。いずれ滅ぶ。
言語についても同じことが言える。マイノリティの言語はいくつも滅んだ。担い手がいないからだ。
しゃべる人間を確保しなければ言語は死ぬ。だから日本でもアイヌ語は普及に大変な苦労を払っている。方言にしても、危機的な言語の担い手を何とか増やそうと公的な扶助や取り組みをいくつもやっている。普及の努力は甚大なものがある。しかしここでも「マイノリティの言語をしゃべっていいのはマイノリティだけ」なんて言ったらどうなるか。
「滅びろ。それまでにはアーカイブ化して博物館に飾ってやる」ぐらいの意味である。
柔道を例にとってみよう。柔道も世界に進出しなければ確実に滅んでいた文化だ。少なくとも今の技術水準の維持はあり得なかっただろう。門外不出の武術というのは、大体技術力が低下する。そして滅ぶ。柔道人口も、国内では減少し続け、海外勢が居なければ確実に今の状況はあり得ない。じり貧だった。
つまり「文化の盗用」というものは、強者が博物館でマイナー文化を滅ぼしコレクションするだけのものだ。当然だ。
「マイノリティの文化はマイノリティだけの物」としたら、メジャー化することがあり得ないんだから。
だから「文化の盗用」は、保護ではなく文化の安楽死を意味してる。
文化の盗用を適応されたら「マイノリティの中で文化を維持する」→「いずれじり貧になって滅ぶ」という呪いのようなものだ。「文化の盗用」という概念は、無自覚な白人優越主義とリベラリズムの悪魔合体で誕生し、間違いなく多数の文化を滅ぼすだろうと予想してる。
しかし、こういう当たり前のことを当たり前に言うと「レイシスト」と罵られて散々な目に合うのが今の世界的なリベラルの状況だ。どっちがレイシストだよ全く。
18歳から選挙権を持てるようになってからしばらく考えてたんだけど、誰に聞いても「倫理的に駄目」としか返してくれないからここで吐く。
「選挙権を持つこと」と「社会の担い手であることを意識すること」はイコールになってる。そして、18歳から選挙権を持たせるということは、若者に政治に関する意識を向けさせ、社会を担っていってほしい、ってことだろ。
「社会を担う」ってことは、働いたり子供を産んだりして、国の役に立つってことだろ。
じゃあもう働く年齢じゃない高齢者はどうなんだ?
年齢制限に下限があるんだから、上限をつけてもいいんじゃないか?
18~60歳までに投票権がある、でいいだろ。そうしなきゃ若者は投票したって高齢者向けの政策しかしてもらえないんだから政治に興味なんか向けねえよ。
この40年間の新自由主義の本質は「リスクは適当なことを言って弱者側に押し付けよう」というものだから、そのカウンターに立つとすれば左翼側になるのは当然でしょ。
もともとは、マルクス主義に対しては事業者よりだったケインズ主義を新自由主義が乗っ取ってしまってケインズ主義の担い手が誰もいなくなってしまったから。
所詮右左ってのは、フランス議会でブルジョアよりだった連中が右、弱者よりだった連中が左に陣取ったってだけの区分。ケインズとマルクスが競っていた時代には意味があったが、今はほぼ意味がない。
マルクス主義VSケインズ主義では、マルクスが左、ケインズが右だが、新自由主義VSケインズ主義では新自由主義が右ってのはそうだが、ケインズ主義は相対的に左になる。
わかる。
その手のものに金を出さないと「文化への理解が~~」とか言い出すクズも多いんだけど、自分らが文化の担い手だと誤解してるんだよね。
文化ってのは結果的に出来上がるものであって、もちろん情熱をもって支えようとしている人もいるんだろうけど、大衆が興味を示さなくなったなら文化でもなんでもない。
単に小数の趣味者がいるってだけ。
分かりやすい例は茶道とかだ。
なんちゃら流の家元がどうこうとかいってもそんなの全く権威を感じない。
美味しく飲めていい感じの雰囲気を演出する存在としては抹茶ラテを出してるスタバの方がよほど「茶道文化の担い手」だと思うわ。
これが一番分かる気がする。
「自分の将来がある可能性に狭められようとしていることへの恐怖」みたいなものか。
書いてて思うけど、ものすごい難儀な恐怖症だな、それ。
到来するものが幸福か不幸かではなく「決まってしまうこと」への恐怖。一般の人で言うと「マリッジブルー」みたいな状態が近いのではないか。アレの酷いヤツかと思うと、結構同情する。
でもって、対処法とかあるのかというと、おそらく一般的な不安神経症とかの対応になるんじゃないかな。投薬治療・カウンセリング。あと、なんとなく想像だが、発達障害が入ってると思うんで、そちらも念頭においておいた方がいいかもしれん。
ただ、人類の歴史の中では、こういう「なんもない所に何かを見付けてしまう存在」というのは、結構文化や文明におけるイノベーションの担い手になる人だと思うので、確かに現代社会で生きるには難儀な症状だけど、よき理解者やパトロン、そして、何か打ち込むことを見付けられたらすごい存在になりそうな気もするんだよなぁ。
先日「安倍の代わりを見つけるのは国民の仕事じゃない」という趣旨のツイートが盛り上がっていて、ふと思った。
結局、安倍政権は問題が発生するたびに、そこそこアウトな事をしている事がバレる(書類隠匿など)。そしてのんべんくらりとした対応を取っている。
問題が長引くのは安倍首相が辞める気がなく、これが他の大臣ならさっさと更迭しているが、総理大臣の次の担い手がいないので(菅官房長官か、麻生財務大臣くらいか?)自民党としてもなかなか辞めさせられないのではないかと思う。
また、辞めるべきか微妙な問題が多いし。ほぼ進展のない野党が騒ぐだけの構図は安倍政権が望んでいる図だろう。「野党は政策で仕事しろ」ってやつだ。
正直、安倍政権がどんな政治をしているのかよく見えない(最近知った唯一のニュースは英語の民間委託くらいだ)、ただ、政局をうまく転がしてるなぁと思った、今日この頃。