はてなキーワード: 土地とは
20歳から65歳まで働くとして生涯賃金の期待値はどれぐらいなんだろう
65歳まで風俗で働けない(価値がなくなる)という場合は収入0とカウント
65歳まで会社勤めして何百万から数千万貯蓄が出来て騙しとられたりインフレになって金が紙くずになったりしても、
45年間のその経歴があればまた次の仕事は見つかるから挽回は早いよね
どこそこの会社で勤めているという肩書があれば家を貸してもらえたり金を貸してもらえたり社会的に信用される
65歳まで風俗で働き続ければ億単位の貯金が貯まるだろうけど騙し取られたりインフレになって金が紙くずになったりして
その金がなくなってしまったらその先はあるのだろうか
「昔」を知らない現代っ子の勝手な想像になるけれど、ドラえもんの空き地みたいなガキの遊び場って、最近になってから物理的に無くなったというより、「遊んで良い場所」なんて元々大してありやしなかったんじゃないかって気がする。
立ち入り禁止の場所に入って見つかれば怒鳴られるだろうし、ギャーギャー騒いでれば苦言の一つも呈されるだろうけど、そんな事はお構いなしに遊ぶ。入って良いとも悪いとも書かれてなければ遠慮なく入る。
対して今は、認められた場所や金を払った場でルールを守って「正しく」遊ばないと気が済まないんじゃないかって思う。それが出来ないなら、家でゲームする方がよっぽど魅力的という。
大人が寛容かルーズだったというのもあるのかもしれない。子供も精神的にタフだったのかもしれない。
最近はやめろと言われてやめる、「ダメ」と言われて諦めるような規範意識がメチャ強いというか、ある種潔癖じみた考えで生きてるガキが多いんじゃないかって気がする。子供に限らず、というかそもそも親のそれが内面化されたのかもしれない。
道端で遊ぶガキがうるせえカス、じゃあ他にどこか遊べる場所があるか考えてみろカス、というのはどちらの言い分も真っ当だし、解決する術がその場で出る問題でもないので、互いに常識の範囲で曖昧なままにしておく。という事をせず、どちらが正しいかで論争を起こす大人は珍しくない。
人の土地に勝手に入っちゃいかん、みたいな他者とその拡張の尊重は個人主義の原理原則だし、それは大事な社会性だと思うんですけど、規範ありきで生きるというのも些か人間性に欠けるなって思う。
安全の問題も、理屈として分かっていても言葉だけで実感を伴う事は難しいだろうし、取り返しの付く範囲で実際に痛い目を見てみる事ってかなり大事だと思う。納得って滅茶苦茶大事なので。
私もガキの頃、友達と石を投げ合うとか傘で本気のチャンバラをするとかの割と危ない遊びをしていた。サッカーやバスケなんかじゃ解消されない、衝動的で強烈な欲求に従ってだ。言葉なんかじゃとても抑えられない。
かなり楽しかったのだが、事前にお互い怪我したって良いと了承していたって、それでも相手が痛そうにしていると申し訳ない気持ちになった。
現代っ子が理性だけで規範を理解し納得までできるのなら無論それに越した事はないのだが、子供の好奇心や衝動とは実感のない言葉だけで抑えられるショボいものなんだろうか。
災害で廃墟になった土地を美しいって表現するキャラを異常だって指摘する人がいるんだけど。いや、廃墟は美しいだろ。有名な世界遺産だっていくつかは1000年前に大勢死んだ廃墟とかだろ。それを美しいって思うの普通だろ。10年前も2000年前も同じだろって思うんだけどな。
そもそもスマートデイズが破綻したのは、スマートデイズ本体の利益を全く無視したスキームになってたからだ
土地をもってる人にシェアハウスのオーナーになってもらって大家の代行を行うビジネスモデルだったんだが
実態はシェアハウスが事業としては成り立たないような部屋の狭さ・物件自体が悪条件の場所に建設されるなど
なぜそうなったかといえばスマートデイズはペーパーに近い存在で実態はシェアハウスを建設してる建設会社だけが儲かる仕組みになってたからだ
逆説的に言えば三好不動産がシェアハウス事業を取得してもふつうにやったら黒字になる可能性が限りなくゼロに近いことを意味してる
シェアハウス事業「かぼちゃの馬車」を運営していた株式会社スマートデイズが経営破綻。スルガ銀行の不正融資問題があったことから事態が重大化する
↓
スマートデイズの物件を持つオーナーたちを救済するための被害弁護団が結成される
↓
シェアハウス事業のみを三好不動産に事業譲渡、この際オーナーはシェアハウスの建築ローンを帳消しにすることと引き換えに土地を失う
↓
三好不動産は村木厚子、奥田知志と組んで生活困窮者向けに住宅を提供しようとかいう団体を立ち上げている
↓
暇空茜がColabo問題を追求し住民監査請求を行ったところ名誉毀損で訴訟される。Colabo側弁護団「オンブズマンでもない一般人が監査請求を出すなんてリーガルハラスメントだ!!」
↓
スマートデイズ被害対策弁護団に日本共産党と繋がりの深い東京・市民オンブズマン事務局長の谷合周三がいる
↓
先日、引っ越しのために物件を探している中で、マンションの規約に「当物件は楽器の持ち込み・演奏は禁止しております」とあるのを見た。
まぁよくあるやつだなと思っていたのだが、よくよく考えるとこれって可能なのだろうか?
もちろん、世間一般の常識の範囲でというのは理解しているが、規約の言葉をそのまま受け取ると仮定してちょっと考えてみる。
ドラムセットやグランドピアノ、アコギなどは容易に理解できそうだ。
DTMが一般的になったこの世の中、例えばピアノの音を出すことができるデバイスは無数にある。
どこまでが楽器と言えるのだろうか?
MIDIキーボードは見た目はピアノの見た目をしているが、それが問題なのだろうか?
音を鳴らしているのはパソコンの方でMIDIキーボード自体は音を鳴らす機能はないがそれを含めて楽器というのだろうか?
そうした場合、普通のキーボードでも擬似的に鍵盤として演奏することができるのでこれもだめなのか。
ルンバなんかもハックして音楽を再生することができてしまうのでだめ。
スピーカーがついている電子機器はほとんど楽器としても使えるのでだめになるのか。
もっと言えばモーターがあればPWM信号を制御して音階やリズムを鳴らすことができる。
さらに、電気自身をプラズマにして音楽を再生するなんて楽器も最近Youtube等でよく見る。テスラコイルのやつ。
なるほど、電気もだめだ。
打楽器という側面をみると、叩いたりして音が出るものもだめだろうな。
床や壁はどうか?
床や壁も叩いたり踏み鳴らしたりしてリズムを奏でることができる。
QueenのWe will rock youの冒頭リズムは床の踏み鳴らしと手拍子によって構成されているのはご存知のとおりだ。
どうしよう、家具も建物も存在できなくなって土地にテントでも張るしかなくなってしまった。
いや、テントもフレームに生地が貼ってあるという視点ではほぼドラムじゃないか。これもだめ。
人間はどうか?
さっきWe will rock youで手拍子してたな。
ヒューマンビートボックスなんかも問題になりそうだ。
当然歌も発声もできない。
そもそも空気が存在するから音が伝搬して問題なのでは、という気もする。
やっぱりこの規約は無理がありそうだ。
たとえば、むかし先祖が田んぼを他人から非合法でかすめとったりしたとかしたり、
ヤ〇ザ的な方法で地上げしたり、とかすると、子供とか孫が土地の因縁で苦しめられる、みたいな。
土地だけじゃなくてカネももちろんそうだし、あとは色情因縁ってのもあるみたいね。
こういうのはまじで一度勉強しといたほうがいいと思う。
片側二車線以上の道路と片側二車線以上の道路が直交する交差点において、対向車が左折して交差道路の左車線に入るのと同時に(対向車の左折完了を待たずに)自分は右折を開始して直交道路の右車線または中央車線に入る
…というのは道交法的にはどうなのか。
例の「実は加害者、ツイ消し逃亡」の件で改めて疑問が浮かんだ。
同時右左折は「左折した先では左車線に入る」「右折した先では右寄りの車線に入る」というルール共有が前提になる。
もう一つ、直交道路が片側二車線以上だと予め両者が知っている必要がある。
件のトラブルで、発端となった同時右左折についてのブコメ等での評は分かれている。
道路交通法第34条1項「交差点で左折するときは、あらかじめその手前からできる限り道路の左側端に寄り、かつできる限り道路の左側端に沿って徐行しなければならない」
が挙げられていた。
しかしこれだと左折終了と同時の車線変更(進路変更)は可とも読める。右車線からいきなり左折は絶対ダメだが、左折した先の車線は選べると。
自分自身は、同時右左折は絶対にやりたくないので右折側なら対向車が途切れるのを待つ。ウインカー出しといて「あっやっぱ直進しよ〜」と突っ込んでくるやつもいるし、「左折後は左車線、右折後は右車線」というルールは全員には共有されているとは思えずバクチ要素含みになるからだ。
でも後ろのやつが「今行けるだろ!」とばかりににじり寄って来たりはする。
あと、対向車がいなくても左折時はなるべく左車線に、右折時はなるべく右車線に入って改めて車線変更するが、すぐ先でまた交差点を曲がるような場合はその限りでない。
右左折後にどの車線に入っていくか道交法上の明確な規定はないのではないか?
つまりシンクロ右左折を可能にする前提条件に法的裏付けはないのではないか。
結論としては、同時右左折は絶対的にナシ。道交法第34条1項の規定は直接関係ない。
その上で、慣行的ローカルルールでシンクロ右左折がふつうになって(しまって)いる土地もある、といったところではないかと思っているのだがどんなものか。
私は都内で5万以下のボロアパーに住んでいます。断熱性能が無いので真冬はエアコンつけっぱなしです。
非合理に思えますが、電力料金が2万かかったとしても、家賃と合わせたとしても、そのへんのアパートやマンションの価格を超えません。とても経済合理的です。
もちろん春や秋のような温暖な気候の場合電気料金は2000円以下になります。
固定費を下げて、なるべく固定費に使われていた値を変動費のリスクに転換することで、全体としての出費を下げる事ができます。(快適な暮らしとは言っていない)
私は都内の広い公園を散歩します。もし私がこのレベルの敷地の庭園を個人所有しようとすると数千億円を払う必要があるでしょう。
しかし、私は公園に徒歩で行ける距離に住んでいるというだけで、この贅沢な土地を無料で散歩することができます。
個人で所有していないので土地や資産を管理しません。地域が契約している業者がトイレ、枯れ葉、倒木などを管理しています。個人で所有するならそれらと契約する面倒事も発生していたでしょう。
私はChatGPTに課金しています。月額20ドルです。この規模のAI学習モデルを作るには数兆円のコストが掛かりますが、私は一般消費者としてそれを20ドルで利用しています。
私が行っていることは、金銭的合理性に基づいて、自分に必要なものに対して支払う金額を最小限に抑えていることである。
豊かな生活を送るためには、高価なものを所有する必要はなく、コストを抑えつつ必要最低限のものを手に入れることができるということを示している。