「昔」を知らない現代っ子の勝手な想像になるけれど、ドラえもんの空き地みたいなガキの遊び場って、最近になってから物理的に無くなったというより、「遊んで良い場所」なんて元々大してありやしなかったんじゃないかって気がする。
立ち入り禁止の場所に入って見つかれば怒鳴られるだろうし、ギャーギャー騒いでれば苦言の一つも呈されるだろうけど、そんな事はお構いなしに遊ぶ。入って良いとも悪いとも書かれてなければ遠慮なく入る。
対して今は、認められた場所や金を払った場でルールを守って「正しく」遊ばないと気が済まないんじゃないかって思う。それが出来ないなら、家でゲームする方がよっぽど魅力的という。
大人が寛容かルーズだったというのもあるのかもしれない。子供も精神的にタフだったのかもしれない。
最近はやめろと言われてやめる、「ダメ」と言われて諦めるような規範意識がメチャ強いというか、ある種潔癖じみた考えで生きてるガキが多いんじゃないかって気がする。子供に限らず、というかそもそも親のそれが内面化されたのかもしれない。
道端で遊ぶガキがうるせえカス、じゃあ他にどこか遊べる場所があるか考えてみろカス、というのはどちらの言い分も真っ当だし、解決する術がその場で出る問題でもないので、互いに常識の範囲で曖昧なままにしておく。という事をせず、どちらが正しいかで論争を起こす大人は珍しくない。
人の土地に勝手に入っちゃいかん、みたいな他者とその拡張の尊重は個人主義の原理原則だし、それは大事な社会性だと思うんですけど、規範ありきで生きるというのも些か人間性に欠けるなって思う。
安全の問題も、理屈として分かっていても言葉だけで実感を伴う事は難しいだろうし、取り返しの付く範囲で実際に痛い目を見てみる事ってかなり大事だと思う。納得って滅茶苦茶大事なので。
私もガキの頃、友達と石を投げ合うとか傘で本気のチャンバラをするとかの割と危ない遊びをしていた。サッカーやバスケなんかじゃ解消されない、衝動的で強烈な欲求に従ってだ。言葉なんかじゃとても抑えられない。
かなり楽しかったのだが、事前にお互い怪我したって良いと了承していたって、それでも相手が痛そうにしていると申し訳ない気持ちになった。
現代っ子が理性だけで規範を理解し納得までできるのなら無論それに越した事はないのだが、子供の好奇心や衝動とは実感のない言葉だけで抑えられるショボいものなんだろうか。