はてなキーワード: ファンタジーとは
>「男性向けコンテンツを『性的消費』という言い方をして批判する人々は同じように腐女子のことも『性的消費』という言い方で批判すべきなのに、
ツリー下まで見てきて思い出したけど、
同性愛当事者から腐女子に対する「オナネタとして消費するな」って批判は、たしかまさにここ「はてな」で一時期活発に見た覚えがあるんだけど。
ゲイ、ビアン、バイ、それぞれのセクターから総袋叩きになってたな。腐女子。
だって、そりゃ、自分のオナニーの為に相手に幻想を擦り付けて「その通りに振る舞いなさいよ!」的アピール平気でしたたし。
リアルのゲイに対して「それは私の妄想するBLと違う!」とかって、平気で言って回ってたりしてたんだぜ。
で、日々同性愛者として生きにくさの中を生きている当事者たちから、理論だてられた批判をバッチリ受けてたけど(当然だ)、
当時のやりとりはまるで今にいかされていないんだね、ってのがよく分かるエントリ。
あと、「男性向けコンテンツを『性的消費』」って批判なの? 男性向けコンテンツでそれが性的に消費されているのって、
その性的消費の中での性的ファンタジーがリアルの女を阻害している云々の批判はあると思うけど、
男側がきちんと消費の中で自己完結してリアルの女にそれを持ち込まなければ、別に男性向けコンテンツで男が性的消費をしていることが批判されるいわれはない。
余計なお世話、って話。
階級は「血筋金銭出自」に拠ってるのか「魔法」に拠ってるのかはっきりしろよ。
・物心ついた頃から孤児ってことは「血筋金銭出自」は無くしてそうだがなんで特権側に居られるんだよ。
・少数特権階級なのに同じ階級と認める孤児を少年兵にするの?変な奴等だなあ。
おいおいおい、近いところにラスボス居るなあ。
これもまた意味わかんない設定だなあ。
おおおい!
そこは非合法でもばれないようにうまく殺すこと考えろよ。
ばれない殺人を完遂する難易度より革命成し遂げる難易度のほうがはるかに高いだろ。
男がイカレポンチ過ぎて少しも葛藤できない。
みんなが苦しんでるのも全部そいつのせい(主人公の苦しみも含む)とか
殺すしかなさ過ぎるだろ。
父の仇とかどうでもいいレベルじゃねーか。
男「私が特殊能力によって世界、人々を操作、この歪を作り上げたのだー!
お前の父親が邪魔だったのだー!」
↓
反応が違うだろ
主人公「え、俺の親父始末するだけの為にどんだけ労力かけるの?
だろ。
↓
世界中の人類を救える(そんなアホ1人に追い込まれる世界人類に大草原や)んだから
お前の設定は
・あまりにも不合理でリアリティのかけらもない(リアルかどうかと言ってるのではないぞ)
・お前が得たいカタルシスにとってすら辻褄が合ってない(別に主人公が自己中になれてない)
中学生なのか?
それがあってこそ突飛なファンタジー小説のようなものも描けるようになる。
革命から一世代も過ぎてないのに歴史抹殺に成功してヒロインしか真相知らないって設定ガバガバすぎるし
あとヒロイン別にいらねえよなそのプロットだと。本ぐらい拾えばいいし。
ラッキースケベ要員かなんか?
そうですよ、
なんなら女性は白馬の王子様像を3歳ごろから消費しているわけです。
性的ファンタジーの消費は恋愛できる素地をつくるのに必要なことなのですよ。
そういうの見たくない。セクハラだ。って粘り強くいっていいんだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20151019213445
「努力が足りないのだ」と叱責する者が多いが、まるで見当違いだ。あなたは全然悪くない。ユーモアのつもりであなたを責め、戯れ言に興じる小物たちの言葉など聞く必要はない。
なぜ魔法少女になれないのか。
なぜならそれは、魔法少女になった人間がこの世に存在しないからだ。あなたに絡んでくる者、あるいはあなた自身も、その残酷な事実を受け入れられない。いや、分かっていても分からないふりをして、虚構の世界と夢を守ったフリをして気取っているのだ。しかし、前例がないからといって、イコール魔法少女になることが不可能なわけではない。
あなたがこの世界で最初の魔法少女になればいいのだ。最初の魔法少女なのだから、自分自身がルールなのだ。ただし、「俺は魔法少女だ!」と高らかに宣言したとき、そこにいる観衆の大半が「こいつは本物だわ」と納得しなければならない(もちろん、他者を納得させる必要はないという論もある。しかしここでは取り上げない)。つまり、俺ルールを作り上げてもいいが、他者をも納得させる妥協点を探る必要がある。「魔法」とは何なのか。「少女」とは何なのか。その言葉が規定する可能性をどこまでも掘り下げ、2つの概念を矛盾なく結合させる点を探る。そしてそのプロセスを雄弁に語る必要がある。
困難な作業になる。しかし、不可能ではない。もし行き詰まるようなら、著名なテキストサイトの管理人やネタブロガーを見習うのがいいだろう。
「いや、そんな理屈をこね回してネタで魔法少女になりたいわけじゃないんだよ!」
その気持ちもわかる。だが、あなたの知っている魔法少女もそうやって出来たものではないとどうして言えようか。演出やエフェクトが描き出す「魔法少女感」の裏に、必ず、どうしたら「魔法」で「少女」に「見えるのか」という生みの苦しみがあったはずだ。そうしたネタ出しの初期の姿は歪で陳腐なものだったかもしれない。
何かを生み出す時には、つねに柔軟な発想が求められ、そうして出来たものを貫き通すことが説得力を生む。たとえばあなたの知っている魔法少女の中に、魔法は使わない物理攻撃型の少女はいないだろうか。しかしあなたは彼女を「魔法少女だ」と認識している。あるいは、もはや少女とは言えない体格の魔法少女もいるかもしれない。でも受け入れているだろう。それはどういうことだろうか? 契約をしたから? 体や装備が魔法体だから? 本当にそうだろうか? そういう説明をされる前から、あなたはコンテクストで「この子たちは魔法少女」と確信していたのではないか?
このことは、表現を受け取る側の人間も、相当に柔軟になりうるという事を示している。それは人間の美しいあり方でもある。柔軟になるだけのコンテクストを共有していない人間からみれば、その発信者も受信者も「宗教くさい」と蔑視されることもあるだろう。しかし、そのような美しくない眼差しを考慮する必要はない。あなたと、受け手が信じてさえいれば、そこには何だって降臨し得るのだ。実際、あなたは創作上の魔法少女という存在を、彼女らが与えてくれた感動と社会的ムーブメントを、虚像だとは思っていないだろう。そこに「ある」と信じることで物は生み出され、定義される。それは儚くも尊い、人間の壮大な営みの一部だ。魔法少女なんてものはその極致のようなもの。それに素直に憧れることができたなら、もう一歩先に進む人がいてもいいはずだ。
……ここまでの内容を消化し昇華するだけでも、魔法少女になれる可能性は十分あるだろう。だが依然として困難を感じている人も多いことと思う。それは、「魔法」というものに対して説得力を出すことが難しいためだ。
あらかじめ潰しておくと、「少女(見た目)」についてはどうとでもなる。仮に、あなたが男性だったとしても、いまは「男の娘」なんて言葉があるくらいに、男子が女子と見られるためのノウハウや文化の蓄積がある。あなたが青少年とはかけ離れた年齢だったとしても、歳をごまかすテクニックはそれ以上に長年の蓄積がある。なんなら手術という手もある。その上、それらが完璧でなくても、受け手の柔軟さを上手に喚起してやれば受け入れられるはずだ。あとは自分自身が自らの姿を受け容れるだけの精神性を築き上げればすむ。
だが魔法はすこし性質が異なる。魔法というものはこの世に存在していない。いや、ありふれていないと言ったほうが正しい。馴染みのない概念は、当然ながら受け入れるのが難しくなる。創作上の魔法を受け入れているのは、「これは創作だから」というモード切替スイッチが人々の頭についているからだ。とはいえ、現実世界にも「魔人」「魔法使い」と称されるような人間は存在する。スポーツ選手などが思い浮かぶだろう。しかし彼らは「魔」や「魔法を使える」存在ではなく、同じ人類だ。比喩的表現。つまり、同じ時代に生きている人類とは思えないほどの所業をやってのけることが「魔法」なのだ。「高度に発達した科学は魔法と区別がつかない」という言葉を引用するまでもなく、我々は魔法という言葉に魔法性を過剰に感じすぎているせいで、自ら「魔法」の枠を狭めがちなのだ。創作上の魔法は、ファンタジーと分類されることが多いが、細かい原理を説明していないだけの超科学が常識的に利用されている世界と捉えれば、SFと同列である。
とは言ったものの、我々のような凡人が、人々の目を欺くような超科学、最先端技術を操れるわけではなかろう。習得しやすいのはマジックような技巧の類だ。現実世界ではマジシャンが一番「魔法使い」の称号に近いところにいる。なので、順当に考えれば、「マジック少女」から「魔法少女」に昇華させる線が現実的に思える――ところがここで問題が起こる。我々の知っている魔法少女は、マジック少女のすごい版ではないのだ。人のために働く、助ける、守る、攻撃する、あるいは駆けつける、着替える、契約する、それらのタイミングで魔法が行使されるのが普通だ。なのでベースの行動をそのあたりに設定する必要がある。その際の「普通のやり方」を「魔法みたいにすごいやり方」に変えることが、魔法少女の必要条件だといえるだろう。ただ、これだけでは、「早着替えをマジックと映像技術で魅せるパフォーマー」程度どまりだろう。
魔法少女たるには、「魔法」的存在である事の他にもう一つ欠かせない要素がある。ヒロイックであることだ。すなわち、何かの使命をおびている。何かを背負って、何かに突き動かされている。別に世界を救うレベルでなくもいい。ご当地ゆるキャラ並の小さな使命感でもいいから、何がしかのパッションが滲み出る象徴的なキャラだと認識されなければならない。
さて、私の陳腐な魔法少女論はここまで。あとは「自分の頭で考えよう」。長年夢見てきたあなたの中には、きっと何らかの「魔法」の種火と、小さな使命感の欠片があることだろう。あと生まれ持った体と。それらの調理法を考えるだけの話だ。理想の魔法少女像との乖離は、きっとあとから埋まってくる。最後に叱咤の一言で締めくくろうと思う。
「努力が足りないのだ」
いまどきの日本映画にはマンガ原作のものが多いのは周知のとおりよね。
で、いわゆる「少女マンガ」原作のものには少しばかり男性が近寄りがたい雰囲気を醸し出してる気がするの。
『L♥DK』
『ホットロード』
『近キョリ恋愛』
『クローバー』
『アオハライド』
『娚の一生』
『ストロボ・エッジ』
『海街diary』
『ピースオブケイク』
『ヒロイン失格』
『俺物語』
『orange』
あたりかな?
wikipedia から適当に見繕ってきたんだけど、見落としがあったらごめんね。
少女マンガじゃないものもあるかもしれないし、逆に載せなかった中にも実は少女マンガってのもあるかもしれないけど、そういうのがあったら教えてね。
実写映画なだけにファンタジー的なものは少なくなってるのはしかたないにしても、
よくまあ恋愛要素が大きそうなものばかり集めたものだ、という印象を持たざるをえないと思うわけ。
『脳内ポイズンベリー』は『インサイドヘッド』ではあるんだけど結局は恋愛してたわけだし。
『ピースオブケイク』や『ヒロイン失格』は恋愛ものではあるけどおもしろかったわ。
あ、上記の作品を全部見たわけじゃないので、これは恋愛だけじゃねーぞってつっこみも歓迎よ。
そんなわけで、実写化映画ベースで見ると、少女マンガってやっぱり恋愛ものばかりってイメージは払拭できてないよね、という話をしたかったの。
「ファンタジーの一形態」として正しく認知されてるならそれ”しか”ないのは変だと言ってる。
いやまず俺は男だ。
で、そういうファンタジーについてはわかるしケチを付ける気は毛頭ねーよ。
そういう方面で言えば俺なんか昏睡姦ものとかタイムストップもののエロ漫画が好きだ。
二次元限定で言えば昔の774が描いてたような角材突っ込んでズタズタにするようなのでも抜いてた。
俺はそれらで抜くときあんたが言うような欲望とファンタジーを自覚して抜いてたわけ。
でも三次元、特にAVってその境目が曖昧だったりなかったりするでしょ。
「派手に責めてるのに興奮する、女の快感はどうでもいい」っていう欲望の一形態はわかるけど
男の欲望にそれ”しか”ないとはどーしても思えない。
意図的に、わかってて、特殊な欲望の一形態として高速手マンしてるんじゃなくて
あれで女が気持ちいいって本気で思ってる男が多いんだよ。