はてなキーワード: ヒンドゥーとは
ついでに新年も、ケルトならハロウィンが一年の区切りだし中国の春節みたいに旧暦を重視しているひとたちもいる。ハッピーニューイヤーも辞めるべきでは?
一度虐殺器官を読んだ人(=自分)が内容を思い出すためのもの。
第一部
1
死者の国の夢と、そこに現れる死んだ母さん。
2
僕は「濡れ仕事屋(ウェットワークス)」として、二〇一〇年代後半に頻発する内戦をおさめるため、「レイヤーワン」を殺してきた。レイヤーワン――罪の多寡とは無関係に、それを殺すことでもっとも効率的に争いを終結させられる標的。
仕事で殺してきた数多くの(時に罪のない)標的のことは少しも心に留まらないのに、プライベートでの、母に対する医療行為の打ち切りを決断したことで、僕は気を病んでいる。
3
仕事で、二人の標的AとBを殺すように命じられ、異国に入る。標的Bについての情報は、上司から与えられているはずなのだが、それが上司の意図により隠されている。
4
標的Aはその国で虐殺行為を率いていた為に、ぼくの手により暗殺される。
ぼくは標的Aに、なぜそのようなことをしたのかをきくが、彼はしきりに「わからない」と繰り返す。
標的Bはすでにそこにはいなかった。
第二部
1
彼はしばしば「地獄は頭の中にある」と言っていた。
ぼくの父も、かつて自殺したのだった。
標的B――ジョン・ポールを追って、僕らは殺しを繰り返してきた。彼は内戦から内戦へ渡り歩いているようだった。
だが、ぼくらが暮らすアメリカは、「ドミノ・ピザやペイムービーのリピートの平和」か支配し、戦火とは無縁だったのだ。
2
ペンタゴンに召集される。
そこで「ジョン・ポールは軍とは無縁の文人、学者でいる」、「しかし、彼が関わった国は決まって内戦が起こる」と聞かされる。
彼は今度、ヨーロッパに入ったらしい。
ぼくの新たな任務は、チェコで彼を追跡すること。
3
死者の国の夢――「死体は物質にすぎない、生きた人間も」と母さん。
幼少時、僕は家の中で母さんの視線を感じ続けて育った。その視線から逃れるために、「濡れ仕事屋」を始めたのだった。
4
ジョン・ポールと関係を持つらしい女、ルツィアと接触する。チェコ語の講師をしている彼女の生徒として。
ルツィアに、「言語は進化によって獲得された『器官』である」という話を聞かされる。
5
チェコ・プラハで行方をくらませた人間(ジョン・ポールもそうかもしれない)のIDの追跡可能性はゼロらしい。
9・11のテロとの戦い以後、認証を繰り返さなければ買い物も交通機関を利用することもでしないのに。
ルツィア曰く、「ジョン・ポールはもともとMITの学者だったが、いつからかDARPAの研究(ぼくが使う武装、SOPMODを作ったのもDARPA)をするようになった」
6
ルツィアの部屋からの帰り、若者におそわれるが返り討ちにする。おそらくは、ジョン・ポールの協力者。
IDトレースによれば、かつてジョン・ポールとルツィアが密会していたとき、彼の妻子はサラエボで核に吹き飛ばされた。
第三部
1
死者の国の夢――夢の中のプラハでは、例の虐殺が発生していた。
その夢でも、母さんが現れる。
「母さんは意識はなかったけど、内蔵は動いていた。そして、ぼくが医療行為の中断を認証した。
……母さんが死んだのは、ぼくが認証でイエスと言ったときだったんだろうか?」
「あなたは、任務での殺しでは「それは政策が決めたことだ、自分が決めたことじゃない」と、責任の重みから逃れられた。
でも、医療の中断の責任からは逃れられない。あなた自身の決断だから。
……そう思っている。もしくは、中断をする前から私は死んでいたと信じたがっている。
けれど、本当は、私だけじゃなく、あなたがころしてきたすべての人々が、あなたの決断によって死んだ。
私を殺した罪を背負い込めば、あらゆることが帳消しになると思っているの?」
2
夢の虐殺後の静けさとは裏腹に、プラハのあるクラブには、生き生きとした騒々しさが満ちている。
そのクラブでは、IDを認証せずに支払いできる紙幣(みなくなって久しい!)を使うことができる。
「プライヴァシー(認証されない)自由と、テロの自由からの恐怖はトレードオフ。自由の選択の問題」
3
ジョン・ポールの妻子がサラエボで核の熱で蒸発したとき、彼女はジョン・ポールと不倫し、セックスを楽しんでいたという罪の告白。
罪悪感の対象が死んでしまうということは、いつか償うことができるという希望を剥奪されること。
死者は誰も許すことはできない。
4
「濡れ仕事」で数々の骸を見、中央アジアからワシントンに帰ってくると、母さんは事故で死んでいた。が、彼女の心臓は再び動き出した。――危険な軍隊へ行ってしまったぼくへの復讐として、ぼくに生き死にを決断させたかったから?
決断の材料を探す為に、母さんのいえ――ぼくの生家でもある――に行く。
かつてそこでも母さんの視線を絶え間なく感じながら、ぼくは育った。
見つめられることの安堵は、(認証され続けることの安堵は、)息苦しさの表面にすぎない。
結局、母さんの残したログは見ずに(ロックがかかっていて、他人が見ることはそもそもできなかった)、ぼくは母さんの「死」を決断する。
――母さんの視線の「気圧」から逃れたくて、ぼくは母さんを「殺した」んじゃないのか。
5
僕の告白に対してルツィアは、
「人間は生得的に善ね利他行動を行える。あなたの、お母さんを「殺した」決断も、本能による利他の行動。だから、あなたは許されるべき」
ルツィアとの帰り道、気を失う。
ジョン・ポールによる電撃を食らって。
6
とらえられた僕は、ジョン・ポールと会話をする機会を得る。
虐殺の言語は、僕の装備を作ったDARPAが協力した研究により生まれ、僕の殺す対象を選ぶのと同じシステムを利用してる。
7
ルーシャスは、〈計数されざる者〉という、ポールの協力者集団の一人だったのだ。
〈計数されざる者〉は認証を嫌う。プライバシーと平和はトレードオフの関係にあるはずなのに、実際は、認証をすればするほどテロが増加している。
それは、世界の人々が、自分のことにしか興味がないから。ドミノ・ピザとビデオクリップの平和に浸っているから。すぐに手にできるはずの現実に手を伸ばそうとしない奴らばかりだから。
ジョンとルツィアは去る。
僕はルーシャスに殺されかかる。その寸前のところで、ウィリアムズに助けられる。
第四部
1
旧印パ国境地区。そこにいるらしいジョンをとらえるように命じられる。
2
痛いと「感じる」ことはなくても、痛いと「知覚する」ことはできる。人をためらうことなく殺せても、その殺意を自分のことのようには感じない――僕は「濡れ仕事」をこなせるように、DARPAによって、そのように調整されている。
――「殺される」前の母さんと同じ、希薄な意識だ。僕が「濡れ仕事」をするために必要な、意識の希薄さ。
この殺意は、本当に僕のものなのか、僕が「殺す」前、母さんが本当に「死んで」いたのか、僕にはわからない。
3
4
ジョンを文化顧問として雇った、ヒンドゥー原理主義国、ヒンドゥーインディア。
その少年・少女の兵を、「他人の殺意」で殺しながら、ジョンのもとにたどり着き、彼をとらえる。
5
ジョンは、
「私が行っている「虐殺の言語」と、きみが施されている「「他人の殺意」による殺人」は同じだ。どちらも、良心を抑制する」と。
ぼくは、
「あんたには内通者がいるな。政府部内に。僕らの面子か、もっと上のほうだ」
ぼくらアメリカと同等の技術を持った敵によって、列車が襲われる。ジョンは僕たちによる拘束から逃れる。
僕たちも敵も、痛みを「知覚」するが、感じない。体の部分が吹き飛ばされても、戦闘は続く。お互い、「ハンバーガーになるまで弾と火薬をたたき込むしかない」。
リーランドはミンチになりながら、死の間際まで、冷静で希薄な意識で戦い続けた。
第五部
1
インドでミンチになったリーランドは、商品と違ってメタヒストリーを持たないから、つなぎ併せて一つにして、棺に納めるだけでも一苦労だった。
それでも、ミンチにさえならなければ、認証によるメタヒストリーを僕らは持つ。母さんもそうだった。
母さんのメタヒストリーがプロテクトされていなければ、僕は母さんを「殺す」か否かの決断を、認証の蓄積によるライフログを手がかりに探すことができた。
リーランドがミンチになった戦いがきっかけで、ジョンとの内通者が発覚する。
2
発覚した情報を手がかりに、ヴィクトリア湖へとジョンを追う。そこは、誰も追おうとしない人工筋肉のメタヒストリーの行き着く先。
〈ヴィクトリア湖沿岸産業者同盟〉は、人工筋肉の利権を得るために、独立しようとしている。
3
ジョンがいるはずのゲストハウスにルツィアを見つける。
ルツィアを探してゲストハウスに入ると、ジョンが待ちかまえていた。
4(物語のコア)
ジョンは、
「虐殺も利他も、進化によって得たモジュールという点で同じ。むしろ両立すらできる。生存のための大量虐殺というのもありうる。たとえば、食料を多部族から奪って自部族の仲間を生きながらえさせるためだったり」
ルツィアは、
「あなたは、サラエボの奥さんや子供を失って絶望しているから虐殺の言語をばらまいているのね?」
ジョンは、
「いや、愛する人々を守るためだ」
――そうだ。ジョンがいたどの国も虐殺に見回れていたはずなのに、彼の過ごしたアメリカとチェコでは、それが起きていない!
5(物語のコア)
ジョンは、
「人々はみたいものしか見ない。だから、いくら認証しても、テロはなくならない。
ならば、テロで爆発するはずの憎しみがこちら、アメリカやチェコといった先進国に向く前に、彼ら同士で憎しみあってもらおう。――そのために、虐殺の言語をふりまいた」
ジョンは、ぼくらの世界へのテロを未然に防ぐため、虐殺の旅を重ねた。
ルツィアは僕に、ジョンを殺さずに逮捕するように言う。僕らの世界の平和は、ジョンによる無数の死者の上に成り立っているのだと、みんなが知るべきだと。
と、ルツィアがヘッドショットを決められて死ぬ。
ウィリアムズによって。
「なぜ殺した」と僕。
「妻と子のためだ。彼女らは、この世界が虐殺の上に成り立っていることを知らなくていい。
ドミノ・ピザを認証で受け取る世界、くそったれの平和な世界を、俺は彼女らのために守る」
ウィリアムズはジョンを殺したがっているが、僕はルツィアの最後の言葉の通りに、ジョンを生きてアメリカにつれていき、証言の場に立たせたい。
ジョンとともに、逃げる。
「おまえを逃がせばまた、虐殺の言語を振りまくのだろう?」と僕。
「いや、死んだルツィアの望んだ通り、世界に真実を知らせよう」
タンザニア兵と合流しようとするが、それはタンザニア兵になりすました、僕の「濡れ仕事」の仲間だった。
彼がジョンを射殺し、僕の任務は(アメリカからすれば)成功裡に終わる。
〈エピローグ〉
……僕は、プロテクトがあるためにライフログを見られなかったのではない。ただ、漠然とした恐怖があって、ライフログの閲覧を申請しなかっただけだ。
僕は幼いころ、常に母さんに監視(ID)されているような気でいたが、母さんのログを読んでみると、必要最低限にしか、僕の存在が記述されていない。
母さんの記録の中に生きていたのは、圧倒的に父、自殺したはずの父だった。
僕は、ジョンからもらった手帳を元に、虐殺の言語を語る。虐殺の言語でもって、ルツィアの願い通り、真実を世に知らせるのだ。
そして、世界にとって危険な、アメリカという火種を、虐殺に突き落とす。
僕はこの決断を背負う。ジョンがアメリカ以外の命を背負おうと決めたように。
☆改変版
ジョンは、
「いや、私は米国内の後ろ盾を失った。深層構造の原理を知られれば、たかが言葉だ。応用されるのも時間の問題だろう。マスコミや政府公報で、いくらでも虐殺の言語を打ち消せるさ。
だが、私は〈計数されざる者〉という新たなバックアップを得られた。認証に対して憎悪を抱く、世界的な組織だ。この力を使えば、私たちのすむ「こちら側」を静寂に保つことができる」
「なにをするつもりだ?」
僕の「濡れ仕事」の仲間が、僕がジョンの答えを聞く前にジョンを射殺し、僕の任務は(アメリカからすれば)成功裡に終わる。
〈エピローグ〉
僕はジョンに、「真実」が書かれたテキストファイルを渡されていた。
それを世界に知らしめ、僕たちが虐殺の上にたっていることをみんなが理解することがルツィアの願いなら、僕はそうするべきなのだろう。
公聴会で、ぼくはジョンの件で見聞きしたものを語る機会を得る。
ジョンから渡された「真実」をオルタナに浮かべて話そうとする。
すると、僕が見ずにいた、母さんのライフログをオルタナに突きつけられる。――これが、〈計数されざる者〉、ジョンが最後に得た力か。
幼少の僕は、母さんに監視(ID)され続けていたと思っていた。しかし、母さんのライフログには、あまりにも父ばかりがいる。彼の死語ですら。
それを皮切りに、次々に、アメリカの全議員、いや、オルタナをつけているすべての人々の視界に突きつけられる、真実のログ。世界からアメリカに憎悪の数々が向けられているという真実。〈計数されざる者〉のルーシャスは言っていた。プライバシーの提供と、テロとのトレードオフの不均衡は、みたいものばかりを見ることによって起こると。認証の中に閉じこもり、ドミノ・ピザとビデオクリップの平和の外を知ろうとしないことで起こると。
ふと、アメリカはもう死んでいるのだと思った。母さんに視線を返せない、父さんのように。憎悪を浴び続け、しかしそれを無視しているアメリカは、死んだ父さんと同じだ。
……だが、アメリカに憎悪を向ける小国とて、自分の窮状をしらしめようと騒ぐばかりで、他の小国を知ろうとすらしていないのだ。僕が母さんのログを見ようとしなかったように。
ジョンが行った、〈計数されざる者〉の力の改変。それは、小国の内部で争いを起こす虐殺の言語よりも規模が大きなものだった。互いに無視しあっていたずの、小国と小国の視線をぶつけ合わせる。そして、小国同士で戦争を起こすことで、「こちら側」の平和を保とうとするものだった。
ジョンの考えと僕の考えは違う。
母さんが僕を見ないのは、父さんというすでに存在しない項があるからだ。アメリカからの存在しない視線を小国が期待するように。
存在しないものを、存在しないと意識させること。僕にはそれができる。ジョンから得た「真実」の欠片、虐殺の言語と、僕のマザータン、アメリカで語られる英語によった。
だって「今のパラダイム」の言葉じゃん「オバサン」てww そりゃ今のパラダイム内でケリついちゃうでしょ。
新しい価値観に移行させたいんなら再構築してみせてから言えよwww
君も言ってるように全部「女子」の亜種。
「オバサン」ではない。
「マダム」は輸入にちょっと失敗しちゃったせいでギャグだけど"Madame"は「女子」至上主義じゃないんじゃね?
俗に言われてるMademoiselleとの対比からして。
そしてたぶん、「オバサン」でもない。
「脱構築せよ」という話に対して
「脱構築せよ」だなどと突然言い出したのはお前さんだということはこの際措いてやろうw
なら「スタイル」だなどと既存雑誌メディアの武器を持ち出してくるべきではなかったんですよ。最初から。
それにやっぱり「オバサン」も持ってくるべきじゃあなかったな。せめて「失った人」に反駁する感じで解体して定義し直してくんないと。
つってもどうせやらねーんだろうから自分でちょっとだけやってみるけど、「小母さん」の定義は辞書によれば「よその年配の女性を親しんで言う語」だ。
で、本来年配の人っていうのは「失った人」というより「手に入れた人」のはずなんだよね。何をって経験とか人生とかを、だけど。
それがごっそり無視されてるというか、価値としてカウントされてないのがアレですよね。
つーても「年寄りをうやまえー」とかじゃなくて、ステレオタイプだけどいわゆる近所のおせっかいおばちゃんのポジとかかつてはあったはずなんだよねっつー。巻き戻しても詮無い話だけど。
あと「よその」とか「親しんで」ってのがすごく嫌な感じに作用してしまっていますね「オバサン」においては。
流行の潮流、渦中から見た「外部のサエない他人」感の強まり方が半端ない。
「毎食そのへんの犬を捕まえる部〇です」
ぐらいの人でないなら差なんかない。
いやいやwそれは単なる主観による決めつけだからww 根拠が薄弱、つーかもう無根拠の域。
キミ理論だと例えば昼は栄養点滴でしたって人と焼き肉食べて腹はちきれそうって人とに差がないとかになるわけ?ww
住んでるところとか勤め先とかイヌとイルカのペアよりはたぶん近いけどさwww
他の多様な可能性に圧力を感じるだの不快だのというのは理屈の通らない話だよ。
え…何を見て「女子」に慣らされてると思ったん?w 「オバサン」ディスってたから反射的にそう思っちゃったん?
むしろ馴染まないからウザいんだし、出てきたのがオバサンっていうのも事実として「コインの裏っかわ」で意味ねーから意味ねえよって言ったのよ。
反論するなら非コイン裏の「オバサン」をひとかけらでも具体的に提示してからにしな。
わからないだろう?
意味が判らない、と言ったんですよ。何が異様かわからない、ではなくて。というか強いて言えばキミの文章が異様だったわけだけど。
全然違う。
頭から毛がなくなったら尼か坊主でない限り不便に決まってるし、
安定収入が絶たれたら辛いのは当たり前だ。
そもそもがスタイルから意図的に降りる降りないの話じゃなかったんじゃね。スタイルから「外れる」とめんどくせえっていう話だったはず。
あと毛髪がないことの「不便」って何だよw 頭で床にモップがけでもするのか?ww 日焼け? 帽子かぶってろ。
「アレな目で見られる」っていう社会的な弊害は「スタイルから外れたせい」だから、不便ていうよりは先述の「同種の恐怖」にカウントですよ。
安定収入が絶たれてつらいってのももっともだ、だがそれだけで「リストラ=もう自殺」とは普通ならない。
そうでもないんじゃね。「死の覚悟」とか出したのはそちらさんだからこっちはよくわからんけど。いろいろごっちゃにして「死の覚悟」って言ってない?
まず自然の摂理として、老いるということはあれこれ出来なくなっていってごく緩慢に死んでくってことだから、ガチで直面するときは死に近づく覚悟が問答無用で必要なもの。
これは本来性別も問わないレベルの話で、女においてはその「老い(始め)」に気づく段階の象徴としてわかりやすく「オバサン」が置かれてるってだけ。
でこれに伴って、かつて出来たことが今出来ないってことで、「出来る」潮流からは外れざるを得なくなる。こっちの方が大半の「女子」には怖いんだと思う。
それこそ死のごとくっていうか、ある意味死そのものよりも怖いだろうな。身を包む「もうおしまいだ」感。グループからさしたる理由もなくハブにされたときのアレ。
これは「女子」至上主義の弊害に数えられなくはない点だけど、至上主義にまでなる前の時点で元々「女子」というものにそういう素地があった。小学生女子から続く素地が。
それが雑誌にフレーズとして拾われて振幅してるってのが現状、ではないかな。
「覚悟するくらいしかテがないのが怖い」って書いたけど、厳密には「事前に欲望を整理できなかったタイプの高齢女子がいざ直面しても覚悟できるかどうかわからない、その絶望の可能性が怖い」って感じだわ。
全員生誕30年も経てば地獄が迫りながら地獄に目をつぶる苦行地獄(君の言葉で言えば全員がん患者)
っちゅー教義となってるから
あとがん患者は地獄に目つぶらないから。比喩取り違えすぎですよ。
「直面したら覚悟するしかない」って言ってるでしょ。
無視なんかできねーの少しずつでも受け入れるしかねーのよ。老いのごとく。
「オバサンという消費スタイル」という概念がそもそもパラダイムシフトになってないんスよ。
という話ではあった。
宗教の中にいる人に教義を離れた大きな枠組みを検討させるのは簡単じゃないもんだけど。
ほら、出てくる検討ってこれでしょ。
君も言ってるように全部「女子」の亜種。
「オバサン」ではない。
「オバサン」は死の世界、という女子至上教義から1ミリも踏み出して無いとこで考えてるから
結論は女子至上教義の枠内に収まるに決まってるよ。
「乗らなかったらメディアのブームに乗れなくなるじゃん」というよりは、「乗らないという選択をスタイル創出という形式で取るとか無理じゃね」的な。
「脱構築せよ」という話に対して
君の一案は「ワタシスタイル」というきわめて既存雑誌メディアの文法やセンスに忠実なもので
だからそこから出ろということを再三述べてるからここで1から繰り返さない。
明らかに同じ土地に居ないし同じもん食ってないっしょw 絶対昼飯かぶらない自信があるぞww
「毎食そのへんの犬を捕まえる部〇です」
ぐらいの人でないなら差なんかない。
他の多様な可能性に圧力を感じるだの不快だのというのは理屈の通らない話だよ。
今のスタイルに慣らされすぎてる脳の形までそうなっちまってるだけだ。
雑誌がいい加減ブームを作り出せなくて売上ヤバくて迷走してるってのはあると思う。
わからないだろう?
もう骨身に食い込んでてその異様さどころか存在すら自分の目には入らないからだよ。
>30台以降をずっと目をつぶって生きていくような恐怖の人生が女に与えられている。
>目を開けて降りるには死の覚悟を要する。
いや同種の恐怖はオッサンにもあるんじゃねw
全然違う。
頭から毛がなくなったら尼か坊主でない限り不便に決まってるし、
安定収入が絶たれたら辛いのは当たり前だ。
探してもそんな不出来な例しか挙げられないのはつまりそういうことだ。
「そこから降りると死にそうな心地がする」のは
いや、「オバサン」というだけで死の覚悟が必要になるのは「女子」至上教義独自のものだね。
大変厳しい無茶のある教義を誇っている。
その風合いは一信徒である君の発言からもいくらでも拾える、こんな感じ。
オバサンって「失った人」ってことでしょ。
ある意味不治の病と似てる
ガン患者
覚悟するくらいしかテがない
こわい
しかも地獄の世界が現世に現れる構造になっているから死後の没落で脅すよりある意味えぐい。
今まだ女子至上教義の観点からしかオバサンを検討できないからだよ。
オバサンがコインのうらっかわなんじゃなくて、君がオバサンを「女子の裏」としてしか見られないだけ。
これも違う。
自分にあわないパラダイムに抑圧されて従順な人というのはいくらでもいる。
特に変わり目にはね。
新しいパラダイムどころかその予感にすら怯えて攻撃したりする。
ヒンドゥーの中で被差別階級生まれな人にはメリットだらけだね。
全員生誕30年も経てば地獄が迫りながら地獄に目をつぶる苦行地獄(君の言葉で言えば全員がん患者)
っちゅー教義となってるから
元増田です。ああ、そういう風に取られるかと思ったので補足。
私が「英語の時代」と言ったのはそういうことではなく、現在先進国の人間が誰でもその国の公用語を「国語」として、日常会話から高度な話題に至るまで読み書きできるようなことが英語において起こりうるということはないということです。中国語圏での北京語、アラブ圏での古典アラビア語、スイスでのフランス語、そういったものの地位に英語が就くことは無理です。その外の世界では英語をしゃべる集団が社会の中に形成されていないし、テレビやラジオで聞きかじっていれば身に付くなんてのはヨーロッパのゲルマン語圏でもなければ無理。
そして、エリートが英語の読み書きを寡占する状態なんてのは続きません。アンデルセンが偉人たる所以の一つは、作品を「デンマーク語で」書いたこととされています。当時デンマークでは、上流階級はフランス語、中流階級はドイツ語を話していてデンマーク語は下層階級の言葉のように扱われていたわけです(現代で敢えて近い例をこじつければ、台湾での北京語、客家語・台湾語、その他少数民族語の状況ぐらいでしょうか)が、こうした努力によってデンマーク語が独仏語にも劣らない機能を獲得することができたわけです。
「英語の支配」とは帝国主義まっさかりの19世紀に世界が逆転することです。そんなことを長く世界が許すはずはないでしょう。そして英語一極支配を肯定している「現地人」はそのうち必ずや顰蹙を買うことにも気づくべきです。
相対的少数派の東アジア、アラブ、東南アジアの大半なんかの人々だけが英語の支配する世界から取り残されていくと考えるべきです。
それだけの人間が世界の人口に占める比率は決して小さくないどころか非常に大きいわけですが。過半数になりこそしないかもしれないが、大雑把に見て3割は堅いでしょう。
となれば、たとえばアラブが(古典)アラビア語、東アジアが漢文、東南アジアがマレー語あたりで固まったとしてもこれは「ガラパゴス」とは言えず、むしろ現在の経済発展の流れが続くならばEUを上回る経済圏が出現することになる。これは「グローバル化」ではなく世界の「ブロック化」であり、つまり「英語」は「国際語」のうちの最大勢力ではあっても支配言語ではなくなってしまうわけです。要するに英語の影響力は弱まる。
ちなみに現在でもヨーロッパ人は「EUの共通語は英語よりもむしろフランス語」と意識している人は少なくないし(建前としては全言語が共通語)、アラブ圏での古典アラビア語は中国での北京語のようなもので、この地域の経済発展に伴ってこれらの言語の力が強まりこそすれ弱まることはないはずです。また、ブラックアフリカでもスワヒリ語やズールー語、東南アジアでもマレー語やインドネシア語の力が同様に強まるはずです。その方が自分たちの固有の文化(多くの場合言語も)に近いわけで、「近代語」をエリートに独占されずに誰でも学べる形になるわけですから(国民国家の出現と教育制度の整備に伴い、読み書き能力をエリートが寡占していた状態の破壊が進んだことを思い出してください)。
日中韓なんかでは確かに「そのような流れは一般化しえない」かもしれないけど、そんな地域は少数派なんだよ。地図帳と統計資料見ようぜ。インドとアフリカの人口なめんなよw
あなたに言われなくてもその程度の数字は知ってますけどね、日中韓の人口もなめんなよということです。こういう物事というのは多数決で決まるものじゃないのでね。
スペイン語、フランス語、ロシア語、ウルドゥー語etc.の「そこそこの努力で英語力を得られるインド・ヨーロッパ語族の言語を(少なくともエリート層は)日常的に使ってる地域」なんだよ。
残念ながら同じインド・ヨーロッパ語族であっても、ヒンドゥー語やウルドゥー語やペルシャ語は英語と文化が違いすぎて、もはや英語は「学びやすい言語」とは言えない。「難しいとは言えない言語」程度だ。トルコ語は日本語と文法が類似しているというが、日本人がトルコ語を理解するためには、イスラム教やオスマン朝のことをかなり体で理解しなければ礼儀作法といった文化コードまで含めたレベルでの習得は極めて困難だろう。それと同じ壁が存在する。
あなたも言ったように、高度な英語力を身につけられるのはエリート層にとどまり、それに対する非エリート層の不満は経済発展につれて急激に高まることは容易に想像できる。
「ヨーロッパ人は誰でも英語を話す、それに引き替え日本人は」云々という議論を耳にする。確かに英語が流暢なヨーロッパ人に「どうして英語がしゃべれるの?」と訊いたら、なんでそんなこと訊くのという顔で「学校で習ったから」と答えるのが常だという。これを見て、日本の学校英語教育がいかに腐っているかという結論に飛びつく人は少なくない。
確かに日本の英語教育は旧態依然であり、最近の研究成果が反映されていないということはあるかもしれない。しかし、問題はそれだけなのだろうか。ヨーロッパ人が英語を初中等教育の間にかなりのレベルにまで身につけられて、日本人ができないことには根本的な原因が他にあるように思えてならない。
以下は、米国の外交官が各地の言語をビジネスレベルにまで学ぶのにかかった時間の表である。孫引きご容赦。
分類 | 学習時間 | 言語 |
---|---|---|
英語と類縁性の高い言語 | 575-600時限 | アフリカーンス語、デンマーク語、オランダ語、フランス語、イタリア語、ノルウェー語、ポルトガル語、ルーマニア語、スペイン語、スウェーデン語 |
750-900時限 | ドイツ語、インドネシア語、マレー語、スワヒリ語 | |
言語学的・文化的にはっきりとした違いのある言語 | 1100時限 | アルバニア語、アゼルバイジャン語、ベンガル語、ブルガリア語、チェコ語、フィンランド語、ギリシャ語、ヘブライ語、ヒンドゥー語、ハンガリー語、アイスランド語、カナダ語、ラトビア語、リトアニア語、マケドニア語、モンゴル語、ペルシャ語、ポーランド語、ロシア語、セルビア語、スロベニア語、タガログ語、タジク語、タミル語、テルグ語、タイ語、トルコ語、ウクライナ語、ウルドゥー語、ウズベク語、ベトナム語、ズールー語 |
英語母語話者にはかなり難しい言語 | 2200時限 | アラビア語、中国語、日本語、韓国語 |
出典:http://en.wikibooks.org/wiki/Language_Learning_Difficulty_for_English_Speakers
この表は外交官というかなり限定された人を対象にした調査だが、すくなくとも英語母語話者にとっての言語の難易度の序列としてはだいたい合っているといえるだろう。そして、だいたいこの関係は逆に読み取ることもできて、たとえばオランダ人が英語を学ぶのは日本人よりもずっと簡単だということも言えるであろう。こう言うと「英語話者にとって日本語が難しいのは漢字が難しいからだ」と言われるかもしれないが、文法的に近似していて漢字がほとんど使われない韓国語が日本語と同じ分類に属していることから、そこはあまり本質的ではないであろう。
一方、学校での授業時間数を考えてみよう。日本の学校では年間授業日数は約200日である。毎日1時間英語の授業があったとして、中高6年間での英語の授業時間数は、定期考査や学校行事のことを考えればたかだか1000時限程度である。そしてヨーロッパの学校は日本の学校に比べて授業時間数が多いことはないだろう。
となると、結局「ヨーロッパ人は学校で習えば英語ができる」云々は
「ヨーロッパ人は学校で1000時限ほど勉強すれば英語をビジネスレベルに使えるようになるが、日本人はできない」
ということを主張しているに過ぎないことになるが、これは上の表を見れば何も不思議でないことになる。おそらく、日本人が英語を身につけるためには、ヨーロッパ人に比べて2-4倍の時間がかかるのである。
となれば、いったい日本人はどうしたらよいのだろうか。中等教育の1000時限ではとても足りないことははっきりした。あと1000時限ほどの学習が必要である。
この1000時限分、中高6年分を社会に出てから確保するのが絶望的でありしかも遅すぎるのは間違いない。といって、大学で毎日1時限を英語に充てることも無理だ(レジャーランド化したような大学ならともかく、まともな大学生にそんな時間はない)し、もし「日本人も英米の大学に進学すべき」という要求を満たさねばならないとしたらやはりそれでは遅い。
となると小学校の6年間を充てるかということになるが、小学生の読み書き能力が極めて低いということは忘れてはならない。ひらがなやカタカナを学んでいる子供にラテン文字を教えるのは負荷が大きすぎるし、漢字や分数・小数、あるいは都道府県の名前といった「一般常識」レベルのことを学んでいる子供にさらに負荷をかける余地も少ない。そしてこのくらいの年頃の子供は興味がなければ全く学ばないし、学んだこともすぐ忘れてしまう。実際、小学校の後半ぐらいから2言語ぐらいを学んでいるヨーロッパ人でさえ、「中学から勉強しなくなったドイツ語やフランス語は全部忘れちゃって何も覚えていない」という人は珍しくないのだ。英語が特に流暢な語学好きな人だってそうなのだから後は推して知るべしだ。
つまり、日本でできることはほとんどないのだ。香港やシンガポールのように屈辱的な歴史的経緯から日常生活に英語が溶け込んでいればともかく(それでも香港人やシンガポール人全てが英語が流暢なわけでは全くない)、日韓中のように大英帝国の支配を逃れ続けた国民にはそのような機会は全くない。実際、世界的にこの三ヶ国は英語力ワースト3と言ってよい(英語が流暢な中国人は多いように見えるが、その多くは移民の2世以降やごく一握りのエリートである。中国人は母数がめちゃくちゃ多いことを忘れてはならない)。
以上見たように、英語が世界を支配することは結局起こりえない。あるとすれば旧大英帝国と米国をたきつけて世界征服戦争を起こしてもらうしかないということだ。
結局「国際英語」の考えの欠陥はここにある。母語話者が自分たちの文化から逃れられない限り、自然言語を異文化圏に平和裏に浸透させることは無理だということだ。英語圏の文化を普遍的で上位にあるものとして強要しない限り、十分な英語力を得られない異文化圏の人間を無視して英語支配を正当化することはできない。だからといって「英語帝国主義」に開き直ることはそれ自体恥知らずというものであろう。
やれ英語の時代だ、やれグローバル化だということが近年安易に言われるが、ヨーロッパのような文化的に近縁な地域や旧大英帝国、また米国の勢力圏化にある中南米を除いてそのような流れが一般化しうるのかという検討が全くなされていないのは実に不思議だ。「英語がしゃべれるようになれ」といわれてできるのであれば誰でもそうするであろう。問題は「なぜできないのか」を考えるべきことではないのだろうか。無理なものを無理強いしてもどうしようもないということに早く気づくべきである。
遅くなってごめん。
http://anond.hatelabo.jp/20091011030744=http://anond.hatelabo.jp/20091011033130です
http://anond.hatelabo.jp/20091011140528
気持ち悪い偽善、というのはわかるけれど、この考え方はそもそも他の生命の犠牲なしには生きていけないという事実に対して感じてしまった罪悪感を軽減させるためのものでしょう。
もとの罪悪感がないところで服用されると副作用がでちゃう薬のようなものだと思う。
菜食主義者とかに対して、侮蔑を振りまくような人達を想定していた。
個人的に罪悪感を感じてそれを低減させるためにそういう考え方をとっていて、他人を攻撃しない人のことは考えてなかった。
言われてみるとそういう人にはいちいち嫌悪感を感じないかも。
http://anond.hatelabo.jp/20091011203011
横から悪いけど、そんなこと言い出したら、犬や猿を食べる民族だっているわけだからね。特に犬を食べる民族はすぐお隣にいるわけだが、君はそれを否定するわけか?
だいたい、知能が本当に重要なら、知能が相対的に高いとされる豚や牛よりも、相対的に低いとされる猫を食った方がいいということになる。でも、向こうの連中は「猫を食うのは野蛮人」だと思ってるわけで、そこでもまた破綻してるんだよ。
向こうの連中って誰?色々な意見を一まとめにして矛盾とか言ってもしょうがないよ。
俺からすれば「人道的な屠殺」という偽善の方がよっぽどおぞましい。
要するにこれは西洋風の信仰(人間は動物を獲って食っても構わないが、同時によき支配者・管理者たるべし、)と、東洋風の信仰(植物・動物問わず生き物を殺すことは本来は罪である、殺してしか生きられない業の重さをかみしめよ)の対立の問題なわけよ。だから、どっちが正しいなんて決められないし、決めるべきでもない。お互いを尊重して口を挟まないことが重要。でないと、ヒンドゥー教徒が「牛を食うな」とか、ムスリムが「豚を食うな」と言って介入してきてますます収拾がつかなくなるよ。
こっちはちゃんと私の意見への批判だね。
要するにこれは西洋風の信仰(人間は動物を獲って食っても構わないが、同時によき支配者・管理者たるべし、)と、東洋風の信仰(植物・動物問わず生き物を殺すことは本来は罪である、殺してしか生きられない業の重さをかみしめよ)の対立の問題なわけよ。
いや自分は西洋人ではないんだけど、西洋風の発想と言われてもな。
東洋ってどこの東洋?まず前近代の日本は違う。伝統仏教的にも動物と植物は区別されてて、そのために(動物を殺さない植物だけ使った)精進料理なんてものができたわけだし、前近代の日本では仏教的な発想のせいで肉食は抑制されていたよ。
中国についてはちょっと調べてみないとわからない。インドについては伝統仏教的な考え方のルーツで、基本的に慈悲の対象として想定されるのは動物で、植物は例外的。イスラームも動物愛護的な発想がある(審判の日に、人間に殺された動物が自分の殺害の不当性等を、神の前で訴えると言うハディース)が、植物の権利って話は聞かない。
何がおぞましいのかよくわからない。西洋的だから?
罪を自覚すると言いながら、動物の苦痛を低減させることさえ厭う、自称「罪の意識」の方がおぞましい。一種の自慰行為だよね。
他人を見下すための「罪の意識」って何の役に立つの?
だから、どっちが正しいなんて決められないし、決めるべきでもない。お互いを尊重して口を挟まないことが重要。
でないと、ヒンドゥー教徒が「牛を食うな」とか、ムスリムが「豚を食うな」と言って介入してきてますます収拾がつかなくなるよ。
西洋と東洋の対立って話自体があなたの妄想だし、現実的にお互いに口を挟まないなんて事は不可能。
ヒンドゥーが聖なる動物について「牛を食うな」はともかく、ムスリムがただの宗教的禁忌に過ぎない「豚を食うな」を押し付けてくるなんてわけがないじゃん。
http://anond.hatelabo.jp/20091011163548
ベジタリアンがアウトともセーフとも言ってないよ。ベジタリアンにはその反論は無効だと言ってるだけで。
http://anond.hatelabo.jp/20091011203305
個人的にはベジタリアン叩きの方ばっかりよく見るんだが。
http://anond.hatelabo.jp/20091011204130
自分を含むたいていの人にとって、DNAかどうかってあまり関係ないと思う。
人間と区別できない社会や精神を持った宇宙人と遭遇したとして、その宇宙人が遺伝を担う物質にDNAが使われてなかったとしても、その宇宙人を犬やネコより人間扱いするだろうさ。
http://anond.hatelabo.jp/20091011205224
目に留まったコラムがあったので急ぎ訳してみた。かなり意訳しているので英語を読まれる方は原文にあたられたい。
「一人一人が自律した社会を手にするための唯一の道(としての教育)」
(It is the only way to have an empowered society)
寄稿者―ヌズハト・フサイン(著者はナショナル・ブック・トラストのディレクター)
私の曾祖母はおそらく教育を受けていません。彼女には四人の娘がいましたが、息子はみな早くに世を去り、土地も一切ありませんでした。当時は、土地と息子を「社会的な安全の担保(social security)」とみなす固定観念が世間に広まっていましたから、曾祖母夫婦としては、それがないのを気にしていたに違いありません。彼女が確固とした先見の明を持っていた人なのか、それとも深い絶望から決意を固めたのか、私にはよくわかりません。でも彼女は娘を学校に通わせ、仕事に就かせました。それは今では極めて普通のことですが、彼女の時代には革命的で、周りから馬鹿にされるようなことだったのです(注1)。
曾祖母の信念の力は、彼女に自律する力を与えただけでなく、三人の娘を含む九人の子全員に教育を受けさせねばならない、という考えを祖母に植えつけました。祖母自身は、8年生まで進学しました。それが、アムローハ(Amroha)の町で、当時女性が到達できる最高学年だったのです。それでも、彼女の学びへの情熱を育むには十分なものでした。それは本当の意味で教育を受けたということです。祖母は本を読み、ラジオを聞き、テレビを見ました。おそらく、彼女がしたことは、曾祖母の手で蒔かれた真の自律の種を根づかせた、ということなのでしょう。
次の世代、彼女の娘(つまり私の母)が、私に教育を受けさせるのは、過去と比べて容易でした。今の私にしてもそうです。昔、私がインド警察職に就くにあたって、家族の反応はどうだったのかと聞かれたことがあります(注2)。この質問は固定観念にとらわれたものです。私はこう答えました。「家族は僕に教育を受けさせ、僕を支え、UPSC試験を受けさせ、合格させてくれたよ」と(注3)。事実祖母は、私がインド警察職に通ったと聞いて、その道に進むようにと背中を押してくれました。私は、この話をするにあたって、教育を大切にする家庭に生まれた自分が、とても幸運だったと認めざるをえません。あのような質問をされるまで、私は家の外の、また別の現実に向かいあわずにすんだのです。しかし、今日ここで書きたいのはそのことではありません。私が取り上げたいのは、とても基本的な問題です。教育とは何か、教育を受けたとは何を意味するのか、というものです。
教育とは何でしょう。
こう言っておいて何ですが、まずは、教育を受けたということが何を意味しないか、ということから考えてみましょう。教育を受けたということは、免許や学位を集めるかたわら、現状に疑問を差し挟まないようにする姿勢を学ぶのではありません。また、個々人の偏見から抜け出さないようにする姿勢を学ぶのでもありません。私にとって、本当の教育とは、人を研鑽と自律の道(the path of evolution and empowerment)へと送り出すものです。私たちはたくさんの科目を勉強しますが、時が経つにつれて大体は忘れてしまいます。しかし学んだ後に残るもの、残るべきものが重要なのです。それは、今までの到達点から更に先へと進もうとする態度(the need to stretch the boundaries)、新しいことを試みながら勘所をきちんと押さえようとする態度(the need to try and find equilibrium)です。例えば、良くバランスの取れた人(a well-rounded personality)と聞けば、XやYやZの専門を学んだ人というのではなく、ある種の心構えと教養を持った人を思いうかべるでしょう。
最後に強調します。教育がなすべきことは、私たちが持っている学びへの情熱に火をつけることです。ええ、貧乏の重みで足がぐらついているときに、教育のような問題について考えるのは難しいです。貧困に立ち向かうのにお金が必要なのは言うまでもありません。ですがその上で、金銭的な支援は常に仕事(work)と結びついていなければなりません。そうでなかったら、それは自尊心をむしばみ、ひいては単に大勢の依存者を生みだすだけになってしまうことでしょう。ただし、お金と仕事を結びつけることが重要なのと同じように、教育で心を豊かにすることもまた必要なのです。ですから、教育は実際に私たちの能力を伸ばし、自律した社会を作り出すのです。それは、正しいことと間違っていることとを区別できる人と社会です。教育は、私たちが持っている想像力を刺激します。私の場合、教育は先へつながる機会への扉を開いてくれました。教育は搾取に対するセーフティ・ネットです。教育をうけた男/女は、より良い生活を送るため、より良い市民であろうと努めるために、学んだ成果を生かすことができるでしょう。見聞を広めた人は、広めたぶん難しい問題に取り組んでいくことでしょう。そして彼らは、子どもたちがより良い機会を得られるよう取り計らうことでしょう。そう、かつて私の曾祖母がそうしたように。
出典:インドの新聞『ザ・ヒンドゥー(The Hindu)』2009年3月9日付
http://www.thehindu.com/mp/2009/03/09/stories/2009030950160100.htm
述べられている時代も教育史的背景も調べられていないので、過去の教育事情を推し量る参考までに識字率のデータを挙げる。
それぞれの調査に制約や統計の取り方の特徴があるようであるが、ここでは全て無視して数字を並べる。その上、元データにも当たっていない孫引きである。詳しくは以下のurlから参照した表1の注記を見よ。一例を挙げれば、1981年に、調査対象者の年齢の下限が5歳以上から7歳以上へ変更されたとのことである。つまり、以下に挙げる識字率はどれも15歳以上の総成人人口に対する割合ではないことにも注意せよ。
赤井 ひさ子、「独立後インドの初等教育及び初等教員養成」、『東海大学福岡短期大学紀要』、9号、2007年、p. 3. によれば、識字率自体は、1951年は18%、1971年は34%、1991年は52%、2001年は65%と報告されている。女性の識字率はそれぞれ9%、22%、39%、57%で、男女間格差も大きい(小数点以下は四捨五入した)。
http://www.pub.ftokai-u.ac.jp/bulletin/2007/2007akai.pdf (pdf注意)
簡単に言えば、インド警察職は、インド行政職などと並ぶいわゆるエリート公務員である。
いつの話かわからないので、その背景も不詳であるが、おそらく以下のような近年の事情からおぼろげに想像されるようなものなのではないだろうかと推測する。
http://www.hinduonnet.com/fline/fl2324/stories/20061215002503300.htm
http://www.hinduonnet.com/fline/fl2519/stories/20080926251908700.htm
http://www.hinduonnet.com/fline/fl1908/19080210.htm
あんまり気にしなくて大丈夫。
(韓)>でも敬虔なクリスチャンには、「イスラーム(?)が汚れの象徴の豚をキリストの聖女(主人公はジャンヌの生まれ変わり)に食わせようとしている」と映る。
手元にある「豚料理大全」にはフレンチの技法もイッパイ、なぜだろうねw
フランス人はレビ記や申命記の戒律(コシェルってヤツね)を嫌い、
以下、聖書はJSS版からの引用。新共同訳は探すのが面倒でね、すまん。
(旧約聖書)>
Gen 1:27 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
Gen 1:28 神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」
(韓)>ほかにもサブタイトルにいくつか性やら麻薬を連想させるものがあってアウト。
いやいや、そもそも聖書の記述が「性的恥辱を感じました」そのものだから。
(旧約聖書)>
Gen 3:6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
Gen 3:7 このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。
(韓)>イブ=ジャンヌ=まろん(主人公)という設定も完全にレッドゾーンらしい。
(韓)>仏教の考えである輪廻転生がなぜか使われていたりする。
(韓)>「これはクリスチャンぶち切れるよ」とのこと。
まあ確かに魂の継承や輪廻という概念はキリスト教からみれば「異端」だけど
(少なくともプロテスタント、カトリック、ロシア正教、ギリシャ正教はそうだろう)、
reincarnation や karma という言葉が一般的なくらいに神秘思想も知られているよ?
そもそも輪廻は仏教思想じゃなく、元はヴェーダから来たヒンドゥー思想。
(韓)>たぶんイブは誘惑に負けてリンゴを食べた者なのに…。ってことかな?
イブが食したのが「リンゴ」であるという記述は聖書のどこにも書いてないw
確かにヨーロッパで「知恵の樹の実」は伝統的にリンゴだとされているけど、
創世記の最初の舞台メソポタミア周辺の気候はリンゴ栽培にあんまり向いてないんだもの。
(旧約聖書JSS)>
Gen 3:1 さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」
Gen 3:2 女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。
Gen 3:3 しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」
Gen 3:4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
Gen 3:5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
蛇の言ったことの方が事実だったんだから。
神が自分を「われわれ」と呼んでいることにも注目!
これは多神教時代の名残の消しそこないで、「唯一神」の自己否定(w)が旧約聖書に載っている。
神の呼称のひとつ「エル」に複数形「エロヒム」が存在する理由でもあるw
(旧約聖書JSS)>
Gen 3:22 神である主は仰せられた。「見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。」
Gen 3:23 そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。
Gen 3:24 こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。
(韓)>ほかにも、(まあこれはこじつけ見たいにも思えるんだけど。)ロザリオの形がハーケンクロイツに見えるコマがあったり、
うん、こじつけ。
スワスティカは「調和」「秩序」のシンボルとして十字架よりはるかに長い歴史を持つ。
キリスト教自身でスワスティカを変形十字架として使ってた例がある(コレ重要w)。
ここ数十年の反ナチという刷り込み、思想制御、言論統制の方が私には恐いね。
(韓)>それと韓国人が「子供の頃フランス人の女の子にジャンヌダルクってあだ名を付けてからかったら、
(韓)>その女の子の父親がマジ切れして殺されかけた」ってゆってた。
日本人が韓国に行って、韓国人に「ヒデヨシ」と呼ばれ続けたら俺も怒るw
これはジャンヌうんぬんが問題なわけじゃないぞ。
(はてなブックマークで「あとで読む」タグをつける)の部分が限定用法なら、当たり前のことですね。黒い犬は犬、と同じことです。文法の授業はこれで終わりです、おいおい泣くなよ、先生だって悲しくなっちゃうだろ、おい…、やめろよ…、絶対に押すなよ…ウワー!押すなって言っただろこの野郎ぶっ転ばすぞ!
いやね俺、怒り狂ってるの。教育者として怒鳴りつけたいの。なに君のはてなブックマークページは。タグクラウド(笑)の「あとで読む」、文字でかすぎだろお前。おかしくない?さてはお前脳の出来が可哀想な奴だろお前?お前「いつか英語を勉強しよう」とか学生のころから10年くらい思い続けてるだろお前、いやそれは俺もお前も同じでなんとも不甲斐ないんだけどよっ。お前。けどお前、俺は8年にわたるラヴのおかげで中国語ちゃんとやったから、おお雷が鳴り出したな、ちゃんとやったから、正直いまウハウハだぜ。会社はそんな儲かってるわけじゃないけどよぉ、お前、中国語でニュアンスまで伝えられる奴なんて中小にゃ普通いねぇからよぉ、お前、給料あげてくれっつったら言い値よ言い値。ビビル。正直ビビル。こんなんでいいんですかっつぅくらいビビル。ほんと国立の教師とかマジやめていい、語学教えてるならもう高速で、引き受け手あるからさ、転職先探すのもいいぜ。アリだぜ。検討しとけや。すまんこれ中国語だけかもしらん。ヒンドゥー語を教えてる奴はそのまま研究してるほうがいいかもしらん。
はてブの話だよ。ボケナスがぁ。お前俺が調子乗ってるからって持ち上げんじゃねぇよお前、俺しゃべっちゃうんだからよぉ。んでな結論から言うと、「あとで読む」タグ、言ってみりゃ「 http://b.hatena.ne.jp/otsune/%e3%81%82%e3%81%a8%e3%81%a7%e8%aa%ad%e3%82%80/ 」みてぇなもんだよ、お、さすがナントカ族の、ゾッキーの統領は、こいつぁーエレーや、ねえな「あとで読む」がよォ。お前、じゃあお前。お前だお前馬鹿。おまえばか。おまえばかだろう。こち亀。おまえ、「 http://b.hatena.ne.jp/HOWAHOWA/%e3%81%82%e3%81%a8%e3%81%a7%e8%aa%ad%e3%82%80/ 」にちょっとアクセスしてみろや。もちろんHOWAHOWAはお前のidに書き直すんだよお前。とか書いたらお前、b:id:HOWAHOWAって居るんじゃねぇかと思ってためしにアドレス欄に貼っちまったじゃねぇかよ。居なかったよ、安心しやがりまくれ、ダボがぁ。
どうだった?
え?馬鹿お前、ちゃんと言ったろうがよ、
、「 http://b.hatena.ne.jp/HOWAHOWA/%e3%81%82%e3%81%a8%e3%81%a7%e8%aa%ad%e3%82%80/ 」にちょっとアクセスしてみろや。もちろんHOWAHOWAはお前のidに書き直すんだよお前。
ってよ。これだからChineseもEnglishもできねぇ奴はアイターだぜ。ところでお前さては「English」タグも膨らみまくってるだろ、お前そのブックマークしたサイトとかエントリーとかに「あとで読む」がセットでタグしてあったらお前、それお前、やべぇよwwwwwwwwwwww典型的だよwwwwwwwwwww
「English あとで読む」キリッ
だっておwwwwwwwwwwwwwwww読まないくせによく言うおwwwwwwwwwwwwこいつぁーヤヴェーぜっ……………(笑)自己啓発エントリブックマーカーの匂いがするゼェーっっっ!!!!!!
眠い寝る