はてなキーワード: タダ乗りとは
独身のおじさんだ。
タイトルの通りである。税金をうまく取ってくれ。俺のようなおじさんから。
税金を払うことが、俺の、自分が社会の歯車の一つであるという気持ちを肯定してくれるんだ。
俺は社会に貢献する仕事をしているつもりもない。ただエクセルとにらめっこしてカタカタするばかりである。誰も笑顔になどならない。
しかし俺が誰かを笑顔にせずとも、俺の払う税金は誰かの笑顔を作り、笑顔を守るだろう。
俺よりよっぽど価値のある人々や、これから産まれてくる子供のために、税金をうまく取ってくれ。
「社会の福祉にはタダ乗り」、心外だ! そう言うなら、そう言われないぐらいの税金を納めさせてくれ。
寄付とかでは実感が得られないのだ。俺の給与明細は渡された瞬間から何桁もの数字をむしり取られている、
それこそが「お前はこれだけ税を収めたな。ならばキモいけど生きていてもよいぞ」という実感だ。俺が生きていていい証だ。
だから取ってくれ。税を。キモ税でもおじ税でもいい。自動的にやってくれ。誰にでもわかるようにやってくれ。
キラキラした笑顔で堂々と社会に立っている人達のために税を使ってくれ。
俺が生きるだけで精一杯の人生しか歩めない俺には未来も何もない。
だからせめて、生きていて罪悪感を覚えないぐらいの税を取ってくれ。
日本人はこれからどんどん数は減っていって、納税者の頭数が減る。
今までみたいに薄く広く取ってたら金が足らなくなるから、狭く深くとっていくしかなくなるのは当たり前じゃないか?
防衛費だって、今までアメリカにタダ乗りしてた安全保障を自分達で責任持って金払いましょうってだけの話だろ?
安全と水はタダなんて時代はとっくに終わってるのに、お前らの頭の中昭和で止まってるのかよ?
無駄遣いが多い、無駄遣いを減らせって言うけど、それが本当に無駄かどうかは誰が判断できるんだよ?
ネットで声が大きいだけの奴らが、公務員より頭がいいとは思えないし、その悪い頭でことの是非を判断して責任取れるのか?
国のトップオブトップが考えるんだから増税が正しいはずだし、反対するのはおかしいと思うのに、何故みんなあそこまで批判するのか分からない。
お前らの頭は内閣総理大臣よりもいいのか?そんな訳ないだろ。人間の格が違うんだよ。馬鹿が必死に考えたことは、賢い人間の思いつき以下なんだよ。どう考えても、岸田の判断に従うのが日本人にとっての最適だって何故分からないのか。本当に理解に苦しむ。
人間様が手ずから描いた絵や書いた小説を大量に学習して出来てるのがその手のAIなんだろ?
AIは人間様という師匠がいなきゃ一切何も生み出す能力はない訳だよな
なのに何故か持て囃してる奴らは師匠へのリスペクトどころか師匠はもういらないだの廃業しろだの死ねだのギャーギャー猿のように喚き散らしている
それともああいう猿は自分達が絵師()やら小説家()と名乗れるならなんでもいいんだろうか
AIに呪文流して生成させてるだけだからやってることは編集者もどきでしかないんだが
変身ヒーローものや異世界転生もののように自分は何の努力もせずに何らかの能力を手に入れられたと錯覚してるんだろうか
2022年の夏から賃貸でセカンドハウスを借りてで二拠点生活を始めてみた。
始めた理由は、自宅の一部屋がコレクションで満杯になっているので、荷物を置く倉庫と別荘を兼ねたセカンドハウスが欲しかったからなんですが…
うわ、どうしても口喧嘩で勝ちたくて、他人の主張の主語をすり替えた次は、論旨をすり替えてきやがった。
「タダ乗りで上から目線の奴の批評は、制作側に軽んじられて当たり前」ということを指摘したに過ぎないのに、北朝鮮がどうとか何いってんのこの人。
(実際、元増田の指摘したような内容に、制作側の想いが至ってないとは思わない。意図的にライトに仕上げたに過ぎない話だろう。作家性とかフワッとした無責任な要求に媚びるより、よっぽど業界の人間として当事者性のある選択だと俺は思う。これで飯を食ってるプロ舐めんなってこと。)
金も払わずにそこそこ楽しませて貰った身分でいながら、同列で口出す権利があるとか堂々と主張すんのって、すげぇみっともねえと俺には映るけどね。いい齢してんならなおさら。
まして業界を憂いてみせるとか。正当化する理屈ならいくらでも捻り出せるだろうが、お前がこの世からいなくなってもこの業界に何の影響もないな。
「明らかに男よりも女の方が避けない」で一致していると思う。
これは自分の経験のみならず、過去の増田やその反応の数々(もちろん女性側からの声も含む)からも、そろそろ結論づけていいのではないかと考える。
個人的な印象としては、単体では「スーツの女性」の避けない率の高さが異常。
制服の十代女子は、一人だと道を譲りがちだが、「イケてそうな集団」では高確率で避けない。
地味な集団は道を譲る。
なぜか女子より「人来たよ」と注意する率も高い。
男子は何も考えていない。
そもそも「道を譲るグループ」「避けないグループ」で、自然と小隊がわかれる。
そして、たまに出てくる「イカツイ恰好をすれば避けてもらえる」というライフハックは、半分正解で半分ウソ。
それは、いかつくない人が「無理してイカツイ恰好をしてる異物感」に相手が反応して避けてる。
イカツイ・ガタイのいい人が道で避けられるかというと、意外と全然そうでもない。
身長180㎝以上でガタイが良い、武骨な顔のいわゆるゴリラである自分は、全然避けられない。
薄いサングラスをかけるとか、スーツに黒シャツレベルまでいけば別だろうけど。
(しかしブコメには坊主タトゥーですら、若い女性は避けないという報告もアリ)
ちなみにガタイと併せて、街中でテキトーな服に安いゴムサンダルとかを履いて歩くと、周囲は一気に避ける。
やはりガタイのよさ単体よりも、「不自然な格好」の方が避けられる原因だと思う。
特に若めの女性は自身の魅力を信頼しているからか、マジで避けない。
まっすぐ前を見て大股で歩きながら、絶対避けない。
「オスゴリラなんぞを私が避けてたまるか」という気迫を感じる。
なんなら、こちらに対し「道を譲らなかったら分かってんだろうな?」とばかりに、バッグや肘等での攻撃を準備し、「半身ですら避ける意思がない事」を執拗にアピールする。
(偏見だという人もいるだろうが、「道を譲る側」の人間なら絶対わかってくれるはず。マジで多いんだよ)
これらはガタイがいいスポーツマンなら共感する人が多いと思う。
こっちは縦一列になってるのに前方からきた女性二人組が一切避けず、コントみたいに壁に貼りついて避けたことがあった。
友人はそのことについて特に何も言わなかったので、(ここまで極端なことは例外としても)ガタイがいい人が避けること自体はあるあるなんだなと改めて思った。
人混みを見ていても、ガタイのいい人ほど実は人を避けるのがうまいと思う。
ぶつかってトラブルになったときに、見た目で「加害者」扱いされてしまうのだから、自然とそうなりがちなのだろう。
「ガタイがいい人間は向こうから避けてもらえる」というのは、実情と乖離した偏見だと思う。
ただ、一時期髪型をツーブロックにしていたことがあって、その際、「前髪を弄りながら避ける女性」が少し増えた印象だった。
この小さな出来事から、「イケメン・美女は、道を譲られることが多いのではないか」と推測している。
先ほど、イケメン・美女は道を譲られるのではないかと書いたが、
「避けない女性が多い」こともこれに絡んでいるのではないか、という仮説を思いついた。
「道を譲られない=美人扱いされていない」というプライドのために、「避けない女性が多数いる」のではないかという仮説だ。
実際、そうでもないと「若い女性に避けない人が多い」ことに、説明がつかない。
仮にもし、若い女性が「前方から時速4㎞(相対速度は8㎞?)で近づいてくる1.5m以上の物体」を認識して避けられないような空間把握能力なら、女性は日常を生きていくことなどできない。
小走りになったらほぼすべての物にぶつかることになる。
化粧品売り場など、ライブ会場のモッシュ状態になっているはずだ。
序盤に挙げた、「十代女子のイケてるグループは避けず、地味グループは道を譲る」も、この仮説を補強する材料だ。
もちろんこれはあくまで仮説にすぎず、安易な結論を出すつもりはないが。
人を避けながら道を歩けばわかることだが、「周囲の観察」が必要だ。
簡単に言えば、ぶつかる直前で不意に避けると、避けた先でさらにぶつかったり、隣の人がビックリしたりと不都合が多い。
それなりの人ごみだと、「その場で反応し、瞬発力で避けて対応すること」が困難になっていくのだ。
(多すぎると、逆に密な流れが出来て避ける場面も少なくなる)
そのため、道を譲る人は「常に(事前に)薄く広く」周囲を警戒し続ける必要があり、何mも手前から警戒することで人を避ける。
これをしていると、大体の流れや傾向がわかってくるのだ。
道を譲る人は、こちらと同じようにそもそもかなりの距離から予備動作に入っている。
そして避けない側は「避けないスイッチ」(なぜだ)を入れていることが結構多い。
「道を譲る側の人間」なら、避けない相手がこういう状態なのが、容易に認識できる。
この感覚を知らず、呑気に「心が広い方が避ければいいだけ」などと言っている時点で、「日常的に道を譲っていない人間」で確定なのだ。
※日常的に人混みを歩く必要がなく、その経験がないのか知れないが。だとしても、そもそも門外漢ということになる
※また、「前を歩く人間のあとをくっついて歩く」ことで、自分で回避する手間を減らすこともできるが、それも結局自分で「道を譲っている」わけではない。前を歩いている人間の労力を想像もせず、タダ乗りしているだけである
オッサンが道を譲らないという話もあるが、個人的な体感としては、
スーツを着てるときは避ける、私服でスーパーなどにいるときは避けない、という傾向がある気がする。
駅や街中などでは、老人未満(定年以下)の中年男性は、道を譲るというか、最小限の動きで自然にかわす側が多い印象。
この(長年の通勤生活で身につけた)「最小限の動きでかわす」という動きが、実はオッサン最大の特徴だと思う。
ここで思うのは、
世の中で「オッサンが道を譲らないでぶつかってくる」「ぶつかってきて睨んでくる」という説を提唱しているのは、
「一歩も避けない女性」ではないだろうか、ということ。
オッサンは最小限の動き(相手が少し歩幅をずらすか、肩を捻ればぶつからない)でかわしているつもりなのに、相手が「一歩も譲らない」ために結果的にぶつかり、「なんだこいつ」と睨んでいるのはないかと思うのだ。
そういう風に「わからせてやる」という意思でぶつかる人間は、ぶつかった後にわざわざ睨むことはないと思っている。
本来、「避けない」と「ぶつかる」は、厳密には違う行為なのだ。
「避けない人間」はぶつかった後に睨むが、
「わざとぶつかる人間」は下を向いてそのまま通り過ぎることが多い。
これは「道を譲る側」として、「周囲を薄く広く警戒」し、わざとぶつかる人も含め、オッサンを観察していて感じたことである。
しかし自分はオッサンにぶつかられる女性ではないので、詳しいことはわからない。
「小学生男子レベル」でマジで何も考えないで歩き、突っ立っているのをよく見かける。
(邪魔そうにして避けると、こちらに気づいて本当にびっくりしたような顔のオッサンとよく目が合う)
老人になると、
男女関係なく、道を譲る譲らない以前に、
「改札の出口で立ち止まる」とかそういう状態なので、これは話が全く違う。
老人はいたわりましょう。