はてなキーワード: セーフティネットとは
弱者男性と言っても、同年代の弱者女性と比べると社会的にも経済的にも恵まれている存在である。
なので弱者男性の人たちが主張している「女をあてがえ論」というのが、どうしても実感できない。
ネットで弱者男性論が盛り上がっていても、当事者の人たちは「あてがってほしいなんて思ってないよ」と否定していたではないか。
そこで出てくるのが、モテない喪女たちによる「男をあてがえ論」の擬態ではないかという仮説である。
より正確に表現すると「経済力のある男をあてがえ論」と言うことになるのかな。
いきなり唐突なことを言わせてもらうが、女にとって結婚とは生活のためのセーフティネットである。
弱者男性たちのように、一人で生きていく力も無ければ覚悟も無い喪女にとって「結婚しさえすれば自分は普通になれる」と本気で考えているヤツは多い。
「異性をあてがえ」という思想は、弱者男性よりも弱者女性(喪女)にとっての方が、はるかに切迫度の高い問題なのであるから。
しかし喪女がネットや実社会で「男をあてがえ」と主張したところで「ブスは消えろ」と叩かれるのは目に見えている。
高校入試の成績ラインの男女差の記事( https://mainichi.jp/articles/20210526/k00/00m/040/003000c )の感想。
これの要因の一つに、志望校受験が最大3回まで(高専、公立、私立。古い+地方の知識なので、今は違うかも)で、どれにも落ちたら留年か希望に沿わない追加募集しかないってことじゃないかな。
そうなったら高校に入れない人が出かねないので、どこにも拾われないようなバカな男子を下が救っている、っていう感じで。
まぁこれは想像でしかないけれど、志望校システムそのものは理解できるけれど、それとは別に共通試験で成績で割り振れるような仕組みもあったらいいのになぁ、と思った。学校のセーフティネットのような。
負の所得税という考え方をご存知だろうか。
所得に応じて税率を変化させる累進課税というのがあるけど、これを一歩進めて、所得が少ない人は所得税率がマイナスになる、つまり還付金のように返ってくるという考え方。
詳しくはウィキペとかを見てほしいけど、自分はこれわりとイケテるなと思ってる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A0%E3%81%AE%E6%89%80%E5%BE%97%E7%A8%8E
国民全員にベーカム配るとなると財源は?って話になっちゃうけど、負の所得税なら対象者がじゅうぶん絞れるし、生活保護みたいな所得ベースの様々な補助や助成もマイナス税率で包括的にカバーできるし、国民年金や国民健康保険もくっつけてしまえば低所得者福祉のすくいもれが勝手になくなってしまう。
閾値とする所得額とか税率とかを統計的にうまくチューニングできれば、所得税っていう単一のシステムだけであっけなくセーフティネットが構築できてしまうんじゃないかな?
(まあ所得をごまかすやつはいるだろうけど、ウィキペにもあるとおりそれは負の所得税とは関係なく所得税全般について言えることでね)
昔、と言っても大昔のことではなく9.11同時多発テロの記憶が生々しい頃だけど、「戦いよりも対話を」とか「処罰感情を満たすことよりも教育による更生と再犯防止を」とか「過度な自己責任論は止めて、社会的セーフティネットを」とか、そういったことをリベラルの人たちは言っていたと思う。
たとえ綺麗事とか理想論とか揶揄されても、あの頃は言っていたように記憶している。あくまでも、傍から見ていた者としての勝手な記憶だが。
私自身は自分のことをリベラルとは思わない(と言うか、己の思想的立場がいかなるものなのか、自分でもよく判らない)のだが、それでもリベラルの人たちからは学ぶことが多々有った(有る)と今でも思っている。人間、誰か一人だけが全て正しいという盲信を捨てれば、大多数の人間は誰でも大なり小なり正しい部分を持っており、したがって同様に学ぶべきところも有るものである。
しかし近年では、リベラルを自認する人たちの中に、自分と意見や思想が異なる人間に対して「あいつ(ら)は『あんな風』だから、口汚く罵られても構わない」「あいつ(ら)が『あんな風』なのはあいつ(ら)自身の責任だから、攻撃されても仕方がない」という態度や言動をあからさまに取る人が珍しくなくなってしまった。そういえば、まだ「ネトウヨなんかやっているのは、現実の生活が上手くいっていない人間が憂さ晴らしに暴れているだけ」という意見の方が主流だった頃、リベラルの人に「ネトウヨ的な人たちが暴走しないようにするためにも、社会的セーフティネットを構築する必要が有りますね」と提言したら「あんな奴らを救済する必要なんか無い!」と強い口調で言われて驚いたことがある。
他者との対話の可能性や、過ちを犯した人に対する教育による更生の可能性といった理想を、もはやリベラルの人たちは信じなくなった、或いは信じなくなりつつあるのだろうか?
リベラルの人たち自身が自ら掲げる理想を信じていないのだとしたら、これに非リベラルの人が耳を貸さないのも当然だろう。薬売り自身は「薬に効き目が無い」と思っているのに、それを売りつけてこようとしたら、売り込まれる側の人間は信用するだろうか?
差別主義者、不寛容な人間が社会から排除されるべきなのは当然の話なのですが。弱者男性全体がそうではなく、攻撃的な弱者男性は弱者であっても排除されるべきという話です
犯罪者も更生すれば(刑罰や社会的制裁を受けることを経れば)救おうという扱いをされてるだけなのですが?
しかも、犯罪者に並列すること自体が弱者男性を馬鹿にしていませんか?中には犯罪相当のひどい言動をしてる人もいるかもしれませんが、大部分はそうではない。
また、「貧困」を救ったところでここにいるような弱者男性様が納得しないのは彼ら自身が語ってることなのですが。彼らが必要としてるのはお金ではなく(年収は平均以上に持っていると自称している)愛情なのですから。しかし愛情を提供する弱者支援など存在しえないのが事実です。
そして、「セーフティネット」とやらを作り、それを担当するのを率先する義務は女性にはありません。むしろ弱者男性を搾取し、利益を独占してきたような(強者)男性がそうするべきなのです
弱者男性が精神障害者女性をサンドバッグにしてきたことについて anond:20210506234730
ここに書かれてる「弱者男性は、こんな言動をしていたんじゃ差し伸べられる手も差し伸べられないだろうな」という感情って
要は弱者なら私達が手を差し伸べたくなるような態度で振る舞えよ、そうじゃなきゃ助けたくないっていう潜在的ネトウヨとかレイシストとかが使い回すパターンだよね?
このパターンってものすごいネットの言説に多くて頭痛くなるんだけど、性格悪いクソ野郎だろうが犯罪者だろうが「弱者」の立場にいる人間は助けるんだよ
市民が社会的弱者に私達が望むような弱者として振る舞えよと言い出したら誰に利用されると思う?国家だよ
まず、感情論を抜きにして弱者救済は「社会のシステム」の機能なんだって考えていただけないでしょうか?
人間性的に好きになれない「弱者」もいるかもしれないけど、全部拾っていかないとセーフティネットが穴だらけになって社会の包摂を底上げすることなんて不可能になるんだよ
あと何故かいつも男女対立の構図にもっていかれがちだけど、弱者男性問題の基本は「貧困」だってことをもう少し自覚的になったほうがいいと思う
かつて男性の下駄を履かされていた男性の中に今は女性と同じような「貧困」という立場に存在する人たちが増えてきたということです
彼らは新参者なので特異に見えるかもしれないけど根本的な問題は「貧困」の問題で、この日本の底が抜けた「暴露」結果だと思います
まあ要するに、もう終わりだよこの国ってことです
「弱者男性は、こんな言動をしていたんじゃ差し伸べられる手も差し伸べられないだろうな」という感情って
要は弱者なら私達が手を差し伸べたくなるような態度で振る舞えよ、そうじゃなきゃ助けたくないっていう潜在的ネトウヨとかレイシストとかが使い回すパターンだよね?
このパターンってものすごいネットの言説に多くて頭痛くなるんだけど、性格悪いクソ野郎だろうが犯罪者だろうが「弱者」の立場にいる人間は助けるんだよ
市民が社会的弱者に私達が望むような弱者として振る舞えよと言い出したら誰に利用されると思う?国家だよ
まず、感情論を抜きにして弱者救済は「社会のシステム」の機能なんだって考えていただけないでしょうか?
人間性的に好きになれない「弱者」もいるかもしれないけど、全部拾っていかないとセーフティネットが穴だらけになって社会の包摂を底上げすることなんて不可能になるんだよ
あと何故かいつも男女対立の構図にもっていかれがちだけど、弱者男性問題の基本は「貧困」だってことをもう少し自覚的になったほうがいいと思う
かつて男性の下駄を履かされていた男性の中に今は女性と同じような「貧困」という立場に存在する人たちが増えてきたということです
彼らは新参者なので特異に見えるかもしれないけど根本的な問題は「貧困」の問題で、この日本の底が抜けた「暴露」結果だと思います
まあ要するに、もう終わりだよこの国ってことです
この増田が強者とは全く思わないが資本主義、自由主義的世界観はこれだよ
結局弱者男性問題は資本主義の敗北者が生活保護や最低労働賃金レベルのセーフティネットじゃ満足できないと言い始めているという話だ
でも、現状の資本主義はあくまでも敗北者がまた戦いに参加することを是としているだけで、敗北者のままでいることは否定している
勉強や努力をやめないことを前提として敗北者の命を保証している
なので資本主義は敗北者のままでいたいと言っている弱者男性は冷遇するのは当たり前なのだ
ちなみに女性や障がい者という弱者が生活しやすい社会を作ろうとしている理由もこれで説明がつく
そのままでは敗北者にならざるを得ない人たちには、資本主義は優しくなるのだ
そして、女性や障がい者が弱者にならざるを得ない理由を無くすことで、死ぬまで勉強し努力することが義務付けられた優しくない資本主義社会に女性や障がい者を引き摺り込もうとしているだけ
凄く面倒くさい人々に絡まれそうだからTwitterには書けないのでこちらに書きたいと思う。
という部分に集約されるのではないだろうか。
もちろん障害者福祉は健常者にとってもセーフティネットであり、無関係の負担で自分が受益者でないと考えるのは不適切である。
だけれども、セーフティネットはセーフティネットであり、その本質は保険である。
保険とはリスクに対して相応の分をかけるものであり、分不相応な保険は必要ないと感じるのは当たり前のことだ。
コストの大きすぎるセーフティネットに対して、「果たしてここまでの福祉が必要なのだろうか」と感じるのは、これも当たり前のことだろう。
KAMEI Nobutaka
少数派による鉄道利用の要望に対して、特権だのワガママだの感謝しろだの言っている多数派の人たちは、駅の階段を一段ずつ歩み、改札を素早く通り抜け、車内のシートに座り、車内放送や電光掲示板で情報を手に入れるたびに、毎秒毎分のように深々と頭を下げて感謝のことばを述べ続けたらいいと思います
そのくらい、多数派は、常日頃から、本人たちもまったく気付いていないくらいのレベルで、圧倒的に優遇され、保護され、配慮され続けているのです。
なぜ?それは、ただ単に「数が多い」というだけの理由によります。
そういう自画像をきちんと手に入れてから、考え、ものを言いましょうね
以上
このツイートに代表されるように、JRに対して感謝の気持ちがないのは当たり前であって、伊是名夏子は自身の当然の権利を享受しているだけであり恥じ入ったりいちいち感謝したりする必要はない。という意見がある。
それは法解釈や人権思想的には正しくそうなのだが、現実にはその負担は健常者社会が負担しているわけで、障害者が望む高福祉社会は健常者なしでは存在し得ない。むしろ、障害者が増えれば増えるほど福祉は下がっていくだろう。
(これは要介護の障害者が50%いる社会を考えてみればわかると思う。1%であれば要介護者にヘルパーが数人つきっきりで介護することは可能であろうが、50%ではどう頑張っても無理なことは自明)
その事実を考えると、やはり障害者サイドは健常者にある程度の感謝と慎みを持って生活していくしかないのではないかと思う。
障害者が生活の全ての面であまりにも多くの負担を健常者サイドに求め、バリアフリー化の工事を全駅で行う努力が必要などと言えば、セーフティーネットの維持があまりにも高くつくと思い、健常者は冷淡になる。
なんかいわゆる「あてがえ論」が
性欲解消の権利を訴えるものみたいな扱いされてて自分の感覚とだいぶ違うんだよな
もちろん純粋にそういう理由から主張してる人もいるとは思うけど
「あてがえ論」ってもともとは「本当に男女平等だというのなら(あるいは男に苦しみはないというのなら)男性に『理解のある彼女ちゃん現象』を起こしてみろ」という皮肉からきてると認識してた
どんなに綺麗事言っても
経済的に恵まれてるわけでも、心身が健康なわけでも、性的魅力があるわけでもなく、特別な努力をしているわけではないが
「女」というだけで有利な立場となれる現象が存在することは事実なわけで
そういう事実に対して
「男というセーフティネット」に心理的、経済的、あるいはその両方を守られてる分際で男はイージーモードなので弱者男性は甘えてるみたいな態度はなんなんだ
本当にそう主張するなら俺の前に「理解のある彼女ちゃん」を出してみろ(ほら、できないだろ?)
ってのが「あてがえ論」のスタートだと思うんだよね
もちろんそれって裏を返せば男は「セーフティネット」になれる力を得やすいってことでもあるんだけど
「セーフティネット」としてのポテンシャルをもつ女性が増えてきたにも関わらず、「女というセーフティネットに守られる男」はそこまで増えず
また女性のいう「男女平等」の先に、女性が「セーフティネット」に足る力を持とう、力を持っているなら「セーフティネット」にもなろうという意識が見られなかった
結果、男に守られながら「女は辛い、男は恵まれてズルい」という女性に対するカウンターとして「あてがえ論」が爆誕したわけだ
そこから派生して性欲の解消やモテに囚われてる結果「あてがえ論」を主張する人間もでてきたが
根本的な部分は上記のようなものなので、そのへん理解してない批判は
なんか噛み合わねーっ
一応言っておくけど
タイトルについては「理解のある彼くん」という言葉の方が「あてがえ論」より後に発生したものかもしれないけど、「理解のある彼くん」という現象自体は昔からあったよねって認識によるものだからね
この例とは別だけどセーフティネットを軽んじて踏みにじる奴がいざ自分が落下した時にセーフティネットに頼って不満を言い出すみたいな話は多いよね