はてなキーワード: 失業問題とは
私は怠けたい。
なまけてなまけてなまけ倒したい。
必要のない物を作るために働きたくはないし、他人の財布のために働きたくもない。
人類が中世を抜けだして以来、技術は進歩し生産性は向上し続けてきた。過去に比べて「生きるために必要な労働」は減っているはずだ。なのに労働が一向に減る気配がないのは何故か。
それは世の中に蔓延する無駄な労働が、われわれの足を引っ張っているからだ。それら無駄労働の蔓延を招いたのは、「経済成長」を至上のものとする価値観と、それを信奉する人々である。
彼らは「労働は増え続けなければならない」という謎の理屈を振りかざし、我々怠け者たちを虐げ続けてきた。
タイダニアとは、怠け者の、怠け者による、怠け者のための国家であり、怠惰な社会についての提言である。
「全ての国民は、ただ何もせずにだらだらとしていても良い」というのがタイダニアの崇高な理想であり、最終目的である。あらゆる社会制度は、その目的を果たすために設計される。
怠惰な社会を実現し、それを持続可能なものにするためには、いかに労働を最小限に抑えるかが鍵になる。「最小労働社会」を目指す、と言い換えても良い。
そのために必要なのは、経済をサイズダウンさせ、効率的な社会を作ることだ。
自由経済は本来、その経済規模を縮小して労働を削減する仕組みを備えている。
過去に起きてきた様々な”経済不況”がその証拠である。自由競争によって需要の無い事業は潰れ、労働の効率化は進み、経済は縮小してゆく。この働きがなければ、我々は文字通り寝る間もない労働を強いられることになるだろう。
だが、政治家や経済学者たちは、その働きを阻害する政策を次から次へと考え出し、実行し続けてきた。経済の縮小を否定して成長と言う名の肥大化を続けた結果、今や経済は巨大な雪だるまと化し、その自重で潰れる日を待つばかりになっている。
彼らを狂っているのだと断ずるのはたやすい。実際、「持続可能な成長を目指す」(実現不可能なことは明白だ)だの、「雇用の創出のために財政出動をするべき」(金を出してまで労働を増やす???)という彼らの意味不明な言動の数々を見れば、狂っていると考えるしかないように思える。しかし、彼らがなぜ狂ってしまったのか、彼らを狂わせたものは何なのかという事も考えなければならない。
経済成長論者たちがのさばり、経済の縮小が許されないものとされてきたのは、それが失業を発生させるからだ。
失業者の増加は不満の増大を生み、社会の不安定化をもたらす。様々な革命や動乱の背景に失業問題があったことは良く指摘されている。
失業はタイダニアにおいても深刻な問題だ。善良なタイダニア国民にとって失業者とは羨望と嫉妬の対象であり、理由もなくそれを手に入れる人間が増えることは、社会に著しい不公平感を蔓延させることになりかねない。
ではどうすれば良いか。
失業問題を解決させるために消費を増やすなどという狂った解決策は、タイダニアではもちろん採用しない。
結論を言うと、失業問題は一人あたりの労働時間を減らすことによって解決されるべきだ。これによって労働者の余暇は増え、労働力を失った企業は新たな求人を行うことになるだろう。
労働時間をどれだけ減らすべきかについては、その分野の失業率や有効求人倍率によって決定すれば良い。労働時間を減らす方策については、単純に長時間労働を禁止するのも悪くないが、ペナルティとして税金を課すなどした方が、弾力性のある運用が可能になる。
また、労働時間を減らせば当然収入は低下する。それによって生活が不可能になる人たちが出ないように、経済弱者を保護するための施策も同時に行なってゆくべきだ。
タイダニアにおいては、貧富の差はできるだけ抑えられるべきである。過大な富の行使は無駄な労働を生んでしまうからだ。
富を持つということは、労働を強いる権利を持っているということだ。
貧富の差について、「3割の人間が7割の富を持ち、7割の人間が残り3割の富を分け合っている」という言葉がある。
貧富の差が縮小し、3割の金持ちが残りの大多数と同じ水準の生活を送るようになったと仮定する。大雑把に計算すると『0.7−0.3×(0.3/0.7)≒0.57』となり、5割以上の労働が削減できることになる。あなたが今、週5日にも及ぶ長時間労働を強いられているとすれば、それは週2日半の労働で済むようになるということだ。
もちろん、これは乱暴すぎる計算だ。経済格差をそこまで縮小させることも容易ではない。ただ、貧富の差を縮小することが怠惰な社会にとって非常に重要だということは理解してもらえるだろう。
行政に付きものだったムダな公共事業と非効率な役所仕事、これらを削減できる事はタイダニアの大きなメリットの一つだ。
まず、タイダニアでは経済の拡大を目指さないのだから、景気浮揚のために行われていた公共事業は全て削減できる。国の大型事業はもちろん、「地域の活性化を目指し」だの「経済効果を期待して」などの理由で行われていた自治体の事業も同様だ。
その他の公共事業や行政サービスについては、「余暇を増やすこと」という基準を設ける。つまり、「その事業を行うことで削減できる労働時間」と「その事業にかかる労働時間」を比較して、削減できる時間の方が長い事業だけを存続させる。
この基準の導入によって削減できる事業と、経済の活性化のために行われてきた事業。これらを廃止することで、相当な規模の行政コストを削減できるはずだ。税金は減り、我々はその分労働を行わなくても良いようになる。
また、成長論者たちが言っている「乗数効果」が本当に正しいのであれば、削減したコストの何倍もの労働を社会から追放できるはずだ。
成長を前提とした社会は、決して人を幸福にはしない。持続可能なものでさえ無い。
すべての資源を取り尽くし、消費し尽くした後で、自分たちの築いてきたものがガラクタの山に過ぎなかったことに気づくのでは遅すぎる。
消費は適正な程度に抑えられなければならない。過剰な消費と労働を礼賛し、怠惰の価値を認めない社会は、早晩行き詰まる事になるだろう。今すぐに完全なタイダニアを作るとまで言わずとも、その一部を取り入れることはできるはずだ。
過労死や自殺、平均寿命の低下、精神疾患、家庭崩壊。過剰な労働は我々の人生を奪い続けている。それらを取り戻すために、そして何よりも子供たちの生きる未来が喰らい尽くされないために、我々は勇気を持って主張するべきなのだ。
「怠けたい」と。
経済的に追い込まれた国は戦争起こしたり、暴動、革命起きてパラダイムシフトを図ろうとするけど、
原発は他の発電方法と比べたとき有用だが、今回の震災であらたには立てられないだろう。
そうすると、ほかの発電手段+節電に。
節電の影響で今までコンピュータで行ってきたことを人力で行うようになる。
人力なので、画一的な製品ではなく多様な価値観に合わせた個性豊かな製品ができてくる。
そもそも復興のための仕事が東北、関東にできるので、失業問題が軽減。
もちろん今の生産効率は保てなくなるから、生活レベルは下がる。
でも今いらないけど、みんな持ってるからって持ってるものたくさんあるよね。
貧しさをシェアする時代の到来。
問題はどのていど、経済的に貧しくなるか。
経済面で死ぬようなことが発生しうるのか。
金融日記なんかが注目してるのは潜在成長率(=最大供給力=労働力×生産性)で、リフレ派が注目してるのが需給ギャップ(=供給-需要)。
この2つと現実の成長率の関係は「現実の成長率=潜在成長率-需給ギャップ」みたいな感じになってる。
ここで需給ギャップが正(供給>需要でデフレ)の場合、需要を増やして需給ギャップを0に近づければ失業者が減って現実の成長率も上がるけど、潜在成長率(最大供給力)を大きくしても、供給が増えた分だけ需給ギャップも一緒に大きくなるから、現実の成長率はあまり変化しないし、失業問題も解決できないことになる。
こうして考えると今の日本には、リフレ政策のほうが方向性としてあってると思う。
ちなみに需要>供給でインフレの時に潜在成長率を大きくすると、現実の成長率を下げずにインフレ抑制ができるので、インフレの時には潜在成長率が重要になると思う。
ざっと書いてみたけど変なところあるかな?
http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-10362886455.html
湯浅誠氏の活動についてはその意思の美しさや動機については個人的には素晴らしいと思っているんだけど、自分の中の”かわいそうな派遣社員像”を他者に押し付けすぎのような印象を受ける。
たとえば学者を目指すも学者になれず、塾の講師に甘んじている人間が居るとする。
でもそんな人に、「この人は塾の講師の仕事に誇りを持っていると言っているけど、本当は学者を志して失敗したからその惨めさを払拭するために"塾の講師という道で青少年の学業を導く"という看板を背負ってだましだまし生きているんだ」などとは、たとえ真実でも言わないだろう。
そう考えると日雇いなどで働くことに納得している人に対して、メチャクチャ失礼なことを言っていると思う。
そこまで人の"生き様"におせっかいを焼く資格が、果たして湯浅誠氏と言えどもあるのか疑問。
繰り返すが俺は湯浅誠氏のことは偉い人だと思う。だけど、"派遣切り問題をなんとかしたい"という気持ちを派遣村の設営というエネルギーに費やすのはもったいない気がする。何万人も居る"かわいそうな"非正規雇用者のうち、対症療法的に微々たる人数を救っても意味がない。
おまけに、湯浅誠氏が手を組んでいる相手は労働組合側の人間も居たりする。これは事実だ(調べればわかる)。湯浅誠氏が嘆いているはずの就職難、失業問題の原因と言って差し支えない存在であるはずの労働組合を、氏は"仲間"と考えているフシがある。
彼らは、既存の労働者の雇用を守れというばかりか、賃金を上げろとまで言っている人間たちだ。そんな人に湯浅誠氏は何も思うところがないのだろうか不思議だ。
無論、"社会的名声"を得た湯浅氏にしてみれば、"派遣社員かわいそう"という看板は生きる上で大きなモチベーションになっているのだろう。だからおいそれと振り上げた拳をひっこめるわけにもいくまい。
だけど、それでも言いたい。湯浅誠氏には、間違いに気づいた時には潔く自分の行いを訂正する勇気、引き返す勇気を持ってほしい。
ベーシックインカムが導入されれば日本の諸問題は一気に解決する
いいことずくめだけど、ほとんどまともに議論されてないんだよな。こないだの衆院選でも新党日本が言ってただけで争点になってない。
なんでかねえ。
財源?それはやると決まってからの問題だろ。
金がなくったって今まで景気対策とかなんとか理由つけてダムとか道路とか空港とか新幹線とかハコモノとか外郭団体とか作ってきたじゃん。大企業に公的資金注入してたじゃん。
財源がないなんてのは「やらない理由」なんだよ。やりたくないから財源財源ってバカの一つ覚えみたいに騒ぐんだよ。
日本、大人になる
先週、民主党が、半世紀近くもずっと政権を握っていた自民党を政権から追いやったとき、一部報道機関は革命であると評した。
古い人たちはいなくなり、新鮮な風が吹き込んだ。
でもどうして人々は嬉しそうに見えないのか?
どんな政府あっても彼らの問題を解決してくれないことを、日本人は認識しつつあるからだ。
しかし、これはいいことである。日本はついに成長しているのだ。
メディアは街頭にレポーターを派遣して、新しい政権に何を期待するか聞いている。
人々はマイクに近づき、「景気をよくしてほしい」「社会保障を充実させてほしい」「失業問題を解決して欲しい」などと率直に述べる。
しかし彼らの表情は憂鬱そうで、これらの意見にどこか偽りがあるような感じがする。
昔は、政府が私たちの問題を解決することができた。戦後、日本の成長の大部分は政府主導であった。
国民は、政府が道路や病院を作り、商売を守り雇用を保障することを期待した。
今は、高齢化と年金問題が原因の一端となり、政府には物事を良くするだけの金がない。
自民党内の大勢は、民主党が勝ったわけでないと結論付けた。自民党が負けたのである。
これはレッドソックスがヤンキースに負けたときに、レッドソックスのファンがするひいきと同じである。
自民党が国民に幸福を届けられないことを、未だに理解していない人々がいる。
自民党は、農家、建設会社、中小企業に金をつぎ込むことで、地方有権者の支持を買ってきた。
戦後間もない頃、政治家の主な関心ごとは、コネと水面下の交渉によって企業を自身の選挙区に誘致することのようであった。
彼らは政治家というよりもロビー活動家として機能していたのである。
こんな楽な仕事は他にないだろう。だから彼らは自分の子供に継がせたがるのだ。
豊かなる日々はいつか過去のものとなったが、政府の大盤振る舞いを求める競争は続けられた。
ある選挙区で、政府に高速道路建設の補助金を欲しがる人々がいる一方で、別の人々は病院の建て直しを望む。
悪化する景気動向の中での、ここでの重大な問題は、病院は財政危機にあるということだ。
だが民主党が圧勝したからといって、道路の建設と病院の助成の両方をする金はない。
このような状況で政権が変わって歓喜するほど日本人はうぶではない。
もしくは生活がこれから向上すると信じるほど馬鹿ではない。
日本社会の一つの層が政権交代によって利益を得ると、他の層が損をする。
大企業は減税で救われるかもしれないが、労働者の給料は低迷したままかもしれない。
全てが夢のようにうまくいき、生活水準が上がり続けた時代はもう終わった。もうずっと前に。
今となってはもう金がないのだから、日本国民は厳しい選択をしなければいけない。
心の底では、私たちは皆このことを知っているのである。
だから街頭の人々の憂鬱そうな表情は変わっていないのだ。
しかし、だからといって低迷や衰退の危機にあるわけではない。
私たちはただ、子供が大人になっていくときの憂鬱さを経験しているだけなのだ。
http://www.nytimes.com/2009/09/08/opinion/08murakami.html
はてなブックマーク - 「日本は大人になる憂鬱を味わっているのだ」 村上龍氏が政権交代で米紙に寄稿 - MSN産経ニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/politics/election/090909/elc0909090830000-n1.htm
さて、このような閉塞的な状況を打開する方法はあるのか、ということですが、
よく最近はてなで話題の「解雇規制の撤廃」で果たして問題は解決するのでしょうか?
この労働力の流動性を高めることで雇用の維持を図っている国にスウェーデンがあります。
スウェーデンではイェスタレーンとルドルフメイドナーという二人の「ブルーカラー」の労働組合の理論的支柱が作り上げた
要点は賃金交渉を中央集権的に行うことで、儲かっている産業がむやみに賃上げするのを抑えつつ、
非効率な産業をつぶし、その労働力を儲かっている産業に雇用させる、というスタイルなのです。
コレだけを聞くと労働力の流動性が高まれば、失業問題は解決するように思われますが、
このスタイルが実現しているのは、スウェーデンが小国で高負担に裏打ちされた
非常に強力な失業給付、生活保護と職業訓練機能を持っているからです。
現在の日本が、その薄弱な生活保護(GDP比でOECD中ブービー)ですらも
「自己責任論」の元に断ち切ろうとしている姿を見ると
とても実現するものとは思えませんし、
そもそも数千万の労働人口を調整することは不可能に近いのではないでしょうか?
安易な解雇規制の撤廃は社会不安を増し、景気の悪化を促進することはこの20年の日本の低迷を見れば
容易に想像ができる気がします。
私がスウェーデンから学ぶべきだと思うのは
「労働者の理論的支柱」が政治にコミットしている、という点だと思います。
やはり労働者は団結すべきなのです、お互いに憎みあうべきではない。
嫌な例ですが、今の橋下徹のように、政策提言をしながら政治に選択を迫ることもできるはずです。
その為には連合は支持政党をあらかじめ決定するのではなく、自分たちに有利なように説得し、
また組合員に対し、そのメリットを説得する努力をすべきでしょう。
私が個人的に労働者として要求すべきだと思っているのは
労働市場の監視の強化、具体的には労働基準監督局の権限、及び、人員の強化。
といったような政策を連合が要求し、政権に擦り寄らせる、というのが有効な方法だと思います。
長々と長文失礼しました。
その後、スティグリッツやクルーグマンが新自由主義批判を行いますが、ここからは日本に焦点を絞って考えようと思います。
日本人は元々「ワーカーホリック」と呼ばれるほど異常に働いてきましたが、
なぜかと言うと日本は経済成長のおかげで、ほぼ非自発的失業がない完全雇用に近い状況にあり、
「働きすぎによって他者の雇用機会を奪う」社会への悪影響があまり認知されてこなかったことが大きな要因のように思います。
しかしその中でも若い人たちの間で、特にバブル期頃から
「自分らしさ」とか「がんばれば夢はかなう」といったような主張をan・anやHanako系の雑誌が行い
フロムAが「フリーター」なる造語をつくり「アルバイトでも正社員でもない第三の働き方」とポジティブに扱うなど、
「脱・社蓄的働き方」志向は芽生えてきていたように思います。(香山リカ調べ)
しかし残念なことに「社蓄」の皆様は自分たちの働き方を否定するような彼らの生き方を
「いつまでも夢見てるんじゃない」、「早く大人になれ」などと非難し、
彼らの生活が困窮したときにも我らが日本人が大好きな「自己責任」論を浴びせました。
しかしバブル崩壊の大波が彼ら正社員たちにも大きなダメージを与えました。
企業は正社員をコスト削減の名の下に非正規労働者へと変えていき、労働者の平均賃金は上昇しなくなりました。
ここでケインズの主張に立ち戻ってみると
「むしろ賃金の引き下げが総有効需要の構成要素であるところの消費と投資を減少させ、雇用状況をかえって悪化させる」
という負のスパイラルが日本の不況をさらに悪化させた側面は否めないと思います。
ケインズは賃金引下げが総需要を引き上げる効果を持つためには資本の限界効率が上昇する必要がある、としていたため、
フリードマンらにが将来にわたる所得が消費を決定付けるという仮説の下では総需要は増加する、と反駁されていました。
しかしながら、フリードマンらの「恒常的に得られる所得」というのはすなわち身分の安定がもたらすものです。
したがって所得が不安定化したばあい、消費が収縮し、貯蓄傾向が増し、投資が減少するのはありうべき事象でしょう。
こうなると負のスパイラルから、一度正社員の身分から脱落した人間、または正社員になれなかった人間は
なかなか正社員の身分に戻ることができません。
本来は供給過剰に陥った社会の需要を喚起して、失業者を正規労働者へと回収していかなければならないのに、
経済が成長していかない状況になると、企業は新たな投資(人材含む)を行うことに躊躇し、
利益を出すためにコストをカットし、ますます投資と消費を減衰させました。
企業はバブルの教訓から、労働者雇用の硬直性が不況時に大きなダメージをもたらすことを警戒し、
オリックスの宮内氏に代表されるような企業側の圧力から、政府は1999年、2004年に構造改革の名の下に
労働者派遣法を改正し、対象業種を拡大し、製造業においても派遣が認められるようになりました。
2008年の金融危機以降、本来労働者の味方であるべき労働組合は
正社員の雇用を守るので精一杯、と派遣切りに対して何の行動もしてきませんでした。
これははっきり言って組合と使用者の「共同犯罪」だと思います。
2008年の10月以降の失業者のうち、
正規雇用者は僅かに6000人、非正規雇用者は12万人以上といわれています。
労働組合がこのような事態を甘受していたのは明らかです。
このようにバブル崩壊以降、日本の労働組合は自らの権利を守るために、
他者を犠牲にする、という戦略の上に使用者側と交渉をしてきました。
この状態こそが、ブラックに勤める正規雇用者を我慢させる要因だと思うのです。
正規雇用者(労働組合を構成)は自分たちが誰かの犠牲の上に守られていることを自覚しているため、
自分がその犠牲者側に回ることを極度に恐れているのではないでしょうか?
しかし正規雇用者がそのように思うのはあまりに当然で、非正規労働者は実際にその労働に対して十分に報われていません。
ここで注意したいのは非正規雇用者にとっての正規雇用者も、正規雇用者にとっての非正規雇用者も
憎むべき敵ではなく共に働く仲間である
という当たり前の事実です。
これを憎んでしまうと、非正規雇用者は正規雇用者の権利を奪おうとするし、
正規雇用者はますます非正規雇用者との関係をとろうとはしなくなるでしょう。
非正規労働者が「不当な扱いを使用者から受けている」わけです。
そのことによる労働ダンピングによって正規雇用者もまた苦しんでいます。
非常に当たり前のことですが、労働組合の力とは組織率、数の力です。
非正規雇用者と正規雇用者は対立するのではなく、共闘すべき存在なはずです。
ここまでを整理しますと
①日本は戦後ずっと右肩上がりで成長してきたために、失業問題に大きく悩まされる時期があまりなかった
②それがゆえに社蓄の害が単に個人の人生観に回収され、社会的問題とならなかった
③バブル後の増加した非正規雇用者の悲惨な状況を見て(または未必に協力して創出し)失業への強い恐怖を抱くようになった
④失業への強い恐怖から、不当労働行為を甘んじて受ける(法律上は勝てても経済体力的に持たないという理屈もあるだろう)
という流れかと思います。
提言編に続きます
素人です。
ですのでこの項に登場する経済学者の言説は大いに誤った解釈をしている可能性が高いです。
でも気にせず逝きます。
*クソ長くなったので先に結論部分をまとめます
②ケインズの理論に欠点があったために、労働市場の積極的改善というその利点もろとも葬られてしまった。
④その為労働力ダンピングや失業率の高止まりが防がれにくい素地が築かれた。
後編:日本においてブラックがのさばっている理由についての考察
①日本は戦後ずっと右肩上がりで成長してきたために、失業問題に大きく悩まされる時期があまりなかった
②それがゆえに社蓄の害が単に個人の人生観に回収され、社会的問題とならなかった
③バブル後の増加した非正規雇用者の悲惨な状況を見て(または未必に協力して創出し)失業への強い恐怖を抱くようになった
④失業への強い恐怖から、不当労働行為を甘んじて受ける(法律上は勝てても経済体力的に持たないという理屈もあるだろう)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まずブラック企業がのさばりやすい理由、つまり労働力のダンピングがおきやすい理由を最初に考えた(としてください)のはアダムスミスみたいです。
「使用者達は、暗黙のうちに、しかし恒常的かつ一様の団結を結んで、労働の賃金を実際の額以上に上昇させまいとしている。
我々がこのような団結をめったに耳にしないのは、誰もが耳にしないほどそれが通常の、ものごとの自然の状態といっていいものだからである。」
また労働争議の段に際しては
「それまでの蓄えから、使用者は1年から2年耐えられるのが普通なのに対し、
労働者は仕事がないと1週間で困窮するのがほとんどで1ヶ月耐えられる労働者は稀で1年持つ人はまずいない。
長期的にみれば、雇い主にとっても労働者が必要だとしても、その必要性は切迫したものではない」
あらかじめ使用者側にハンディを負わせないと(つまり自由を制限して)労働力のダンピングが起きてしまう、
アダムスミスは良く知られているように自由放任を是とした学者ですが、
こと労働市場に関しては、積極的に自由競争市場を作り出す必要性を主張していました。
しかしアダムスミスの後、デヴィッドリカードらから連綿と受け継がれてきた
自由放任主義にはこの視点が欠けていました。
「労働市場も自由競争させれば、労働の需要と供給は長期的には均衡する」と考えていました。
20世紀に登場したケインズはこのような自由放任主義に対し「貨幣改革論」の中で
「現在の状況に対して長期的な視点と言うのは見当違いである。長期的には我々はみな死んでいる」と強く批判しました
(ひょっとしたらアダムスミス的な意味で需要と供給の均衡を労働者が待つことができないといいたかったのかもと私は思いますが、如何せん切り貼りなので文脈がわかりません)
ケインズはリカード以降の古典派が、経済システムの調整不良の原因を貨幣賃金の硬直性に求め、
賃金体系を引き下げれば、生産物の価格低下をもたらし、それが新たな需要をつくり、
「ある個別産業について賃金を引き下げれば、それは総有効需要にも影響を及ぼす。
古典派の主張はある産業における賃金引下げが総有効需要に影響を与えない場合にのみ有効であるが、
賃金引下げが総有効需要を引き下げないという保証はどこにもない」
とし、
「むしろ賃金の引き下げが総有効需要の構成要素であるところの消費と投資を減少させ、雇用状況をかえって悪化させる」
可能性すらあることを示しました。(つまり賃金引下げがもたらす総需要減と生産価格の現象がもたらす需要増の比較で、いつも需要増が大きいわけはないと言っている)
(一般理論)
ケインズの登場後、しばらくは国家が経済に積極的に関与する必要が問われ、
世界恐慌を乗り切るために世界中で(戦争を含んだ)公共事業が行われました。
時代は流れて、1970年代に入るとミルトンフリードマンらの影響を受けた新自由主義が台頭してきました。
彼らはケインズが主張していた現在の所得が消費行動を決定するという主張を限界資本効率がケインズの予想に反して逓増していたことを示し、
その乗数効果に疑問符を投げかけ、金融政策による事態の解決が最も適切な行動だと主張しました。
政治的にも英国のマーガレットサッチャー、米国のロナルドレーガンという人物を得て、
マネタリズムはその全盛を迎えます。
英国、米国ともに結果的にインフレの抑制に成功しますが、失業率が高止まりし、社会情勢は不安定化していきました。
彼らは労働市場ももちろん完全な自由競争にあるべきだと考えていました。
しかし現実には給与格差が大きく広がり、賃金に収縮性が生まれたにも関わらず
日本でも中曽根⇒橋本⇒小泉と連綿と新自由主義的「構造改革」は受け継がれてきました。
ここまでを整理すると、
②ケインズの理論に欠点があったために、労働市場の積極的改善というその利点もろとも葬られてしまった。
④その為労働力ダンピングや失業率の高止まりが防がれにくい素地が築かれた。
という感じかと思います。
後編に続きます。
十通目にようやく理由が書いてある。
世の中いろんな人がいるよね。
----------------------------------------------
投資家富裕層による日本の北朝鮮的独裁社会化の現実を心配してメールを送らせて頂きます。
投資優遇税政により、現在の日本経済は、バランスを崩しています。投資減税により庶民の生活とは関係ない、金融、投資経済にお金が溜め込まれて投機的投資に利用され散財されると同時に、庶民経済(庶民が日常で生産、消費で使用する実物経済、実体経済)が年々縮小し続け、弱者や地方がワーキングプアに至るとともに不景気となり、国全体の消費が伸び悩んでいる現状は政府の政策ミスであると考えます。
最低賃金規定を設けたり、投資家や企業が投資で儲けたお金を庶民経済に還元して不景気感の強いワーキングプアや地方の労働者層の景気を刺激してあげる必要があると考えます。
彼らワーキングプアに、テレビ番組の『いきなり黄金伝説』の様な『月1万円生活』の我慢を強要するのではなく、せめて
中古車、買えない、軽自動車→カローラ、プリウス等の普通小型車
が買える様に、彼らの給与を上げる事によって労働者層の購買力を高めると同時に、日本の外貨稼ぎの中心である国内製造業の景気上昇を図るべきです。
(私は投資、金融産業を国家の基幹産業とは思えません。むしろ労働者の経済を細らせ労働意欲をそぐ、寄生虫的悪魔のシステムと考えます。しかし国内の1、2次産業を海外に移転させて国内産業空洞化を招く様な事をしておいて、外貨稼ぎの為に国家の基幹産業として投資、金融産業を国家の経済の中心に据えるのなら、他の第1、2次産業の企業の経常利益に課税する様に、配当課税や株譲渡税等に対して、しっかりと課税して国民に富を還元させる責任を担わせるべきと考えます。)
わたくしは、声を発しなければ世の中は、良くならないと考えています。
メールを送りつけられた人にとって迷惑でしょうが、弱者の野垂れ死にの競争社会である『グローバル化競争社会』を気にやんで、日々ネット言論による啓蒙活動を図々しくも犯罪的にしています。
政治家、政府、自治体、労働組合、弱者援助団体は、いまいちグローバル化に対する根本的問題[失業問題や、貧困問題や、投資、金融経済優遇政策によって労働者層の経済や生活に掛かる負荷の増大化現象(労働者の家畜化、奴隷化現象)]に理解が無い様で、弱者救済や、弱者や国民に対するグローバル化の問題点に対する啓蒙活動に、二の足を踏んでいる、論点がずれた真剣みのない国会中継などを見ながらイライラしているのです。
(国民の弱者を、おためごかし的に騙し、投資家富裕層による日本の貧困労働者層を奴隷として搾取する様な北朝鮮的独裁社会を作ろうとして、国会を空転させている様にさえ見えます。)
従って、不特定多数の庶民の方々にも、グローバル化や構造改革による弱者野垂れ死にの日本の問題点と未来を理解して貰えたらと、テロ的に啓蒙活動をしようと考え、迷惑メールぐらいのつもりで図々しくも(迷惑でしたら消去してかたずけてください。)送り続けています。
内容を読んで理解して賛同して下さるなら、知り合いのワーキングプアやネットカフェ難民等々の貧困層の人達にメール転送して下さると助かります。(この文章は迷惑メール、チェーンメールであり、どの程度の犯罪に抵触するかが問題ですが…。)
私はワーキングプア等の貧困層の方々が政治や経済に疎い事で、自らの人権や国の未来を選ぶ権利すら剥奪されて野垂れ死にしていると考え、テロ的啓蒙活動を正義と考えて日々不特定多数の庶民の方々にメール送信活動をしています。
弱者にとって、ホロコーストに近いジャーナリズムの欠落したグローバル化、グローバリゼーションの流れの中で、弱者に注意喚起の必要性を感じ、闇や負の部分について啓蒙活動の広報の必要性があると考えます。
このまま何も考えなく、経済、社会のグローバル化を押し進めるのは、世界をごちゃ混ぜのお好み焼き状態にし、庶民の人権(『人間の安全保障』)を脅かすとともに、個性ある独立国家の経済、社会、文化の死を早めます。(ナショナリズムが必要です。また、アイデンティティを高める為の市民運動も必要ですが、非正規雇用の派遣労働者層のワーキングプアは生き延びる事に精一杯で、文化や思想、また、理想や人生を選ぶ権利すら持てません。)
『グローバル化』だからこそ、国家よる弱者の個性ある庶民文化や生活の保護の為の経済、社会、文化に対する『反グローバル化』の考えも必要と提唱します。(富裕層や投資に対する重課税による国家の共産性の維持も必要と考えます。)
このまま弱者の自己責任として、過激な『グローバル化競争社会』を肯定して、共食いや階層社会を容認しないでください。負け組の弱者がホロコースト状態になる阿鼻叫喚の地獄の大失業時代の未来に対する現実から目をそらさらぬ様お願い申しあげます。
※現代を読み解くキーワードを以下に記します。ネット検索などして調べて下さい。
[『現代用語の基礎知識』なども総合的に勉強するのに役立ちます。過去の新聞資料、ドキュメンタリー番組等も役立ちます。ネット世界は、株で食べている人や企業広告で食べているネット企業の流れの人達だらけの『改革推進派』で牛耳られていると考えます。(若い人がネット管理者ですから…。)古い資料程、データに嘘がなく役に立ちます。現在のネオリベラリストによる国家のメディア・コントロールの状態に注意して下さい。]
※『ダーウィンの悪夢』『華氏911』『シッコ』『誰も知らない』
※『小泉構造改革』『外為法改正 1998年』『金融システム改革法』『金融改革』
※『年次改革要望書』
※『配当減税』『贅沢税』『関税』
※『21世紀ビジョン』
※『グローバル化』『グローバル化競争』『グローバル化競争社会』
※『反グローバル化』『反グローバリゼーション』
※『修正資本主義』
※『ホームレス 支援』『ネットカフェ難民 支援』『生活保護』『民生委員』
世界はグローバル化によって経済、産業の国家vs企業vs資産家vs投資家vs労働者層によるやらせの第3次世界大戦状態です。
負けたら奴隷的労働者階級(ワーキングプア、失業者、ホームレス、貧困理由の犯罪者、野垂れ死に者、自殺者)にされてしまいます。
弱者の自己責任として放ったらっかしにしたまま過激な競争を続けている、アメリカ的な投資、金融の競争と支配による『グローバル化』『グローバル化競争』『グローバル化競争社会』の問題を国民全員が認識するとともに、政府はその是非と対策を国民全員に問うべきです。
日本の投資、金融に対するモラルの崩壊や個人主義は、おそらく80年代後半の土地バブルの頃から始まったものと思われます。
が、それと同じ様に1998年の『金融システム改革』『外為法改正』『金融ビッグバン』の時期にも国民のモラル崩壊が起こっていると疑います。
この年に大部分のお金に貪欲な日本人の一般庶民までもが『金融の規制緩和』により、バブル期に地上げや株や為替やアメリカ的金融工学等を用いた経営をやって儲けていた銀行や証券会社や大企業や投資資産家のやり口や考え方を見習い、投資や金融に対するものの見かたを、新自由主義的な『投機』の部分だけの価値観に変えてしまったのではないでしょうか…?
サブプライム問題で、急激なアメリカの不況と物価高と円高が進んでいますが、2008年の日本は1998年に輪をかけた経済、社会の混乱に巻き込まれ、更なる自殺者の増加現象が起こりそうで心配です。
新自由主義によるグローバル化を当然として行なっている改革の是非を問うべきと考えます。
政府、官僚にモラルが無い事が行政非難の的になっていますが、それを盛り上げているマスコミもまた、新自由主義者の官僚&投資資産家&経営者と結びついて国民の労働者層を騙し、国民を奴隷化して搾取する社会を作ろうとしている単なる拝金主義者の新自由主義者と疑います。
(それは、彼らが1998年以来の失業、貧困問題に起因する、自殺、野垂れ死に、殺人事件、ワーキングプア問題に対してジャーナリズムがない点で明らかです。又、配当減税等の資産家優遇の減税処置により作った享楽的なセレブを持ち上げつつも、行き詰まった失業者やワーキングプアやホームレスに、貧困の責任とモラルを強要しているだけで、構造改革とグローバル化に伴う失業、格差、貧困問題というジャーナリズムが無い点もです。資産家に対する減税処置の非難を一切しない点でジャーナリズムがありません。弱者を救う財源の税金をどう取るか?どの程度まで救うかの問題です。富裕層優遇政策のせいで北朝鮮並の気違い国家になるかの瀬戸際です。)
投資、金融によるグローバリズム推奨派と、新自由主義の意向にそったメディア・コントロールを、未必の故意のまま黙認し、ジャーナリズムを出し惜しみしている政府、テレビ局、経済新聞、ネット業界に責任があります。
サブプライム問題による、これからの不況に対する認識や知識は、国民全員が受け取る権利がある筈です。また、それに対する救済を求める権利も国民全員にある筈です。
政府が1998年より経済、社会をメディア・コントロールにより勝手に操り、(現在の若者の『ニート』『ネットカフェ難民』『ワーキングプア』はテレビ、インターネット等により作為的に1999年??2004年当時の就職難を無視されて作られた被害者世代です。1999年??2004年迄高校新卒者の求人数が求職者数を下回っています。また1998年??2006年迄就職内定率も50%を切っています。)国民の政治や経済に対する認識や考えを新自由主義方向に操りつつ、旧来の修正資本主義の考え方の羊的な人々を、おためごかし的に、なだめすかしながら認識に混乱や欠落を作って、将来的に行き詰まらせそうな迷走国政をしている様では、盲目の彼らの野垂れ死に者が増えるだけです。
新自由主義vs修正資本主義の対立の構図に絞った、21世紀の国家、国政の主義の議論や政党の主義の主張、国会議員のイデオロギーをあらわにした国会を見たいです。
ちゃんと『グローバル化競争社会』の問題点や、『修正資本主義』vs『新自由主義』のイデオロギーの違いを国民全員に認識させるべきです。
気違い通り魔殺人をした犯罪者などは『金融、構造改革』『グローバル化競争社会』『新自由主義者』『未必の故意のメディア・コントロール』の被害者と考えます。
彼らが行き詰まり、気が狂って殺人に至る前に、せめて『グローバル化競争』『新自由主義 vs 修正資本主義』『憲法25条』『セーフティネット』『民生委員』『生活保護』『援助団体』の存在を知っていたら気違いや犯罪者にならなくても済んだかも知れません。
彼らの減刑を求めるとともに、弱者の自己責任として個人で世界企業と戦う事を強要する様なメディア・コントロールを行なっている、税金を払いたがらない新自由主義者の構造改革推奨団体を、1998年よりの未必の故意で国民の弱者10万人を自殺に至らしめていた罪で訴えてやりたいです。
こんな感じで10通もきてるんだ。読みたい奴いたら続きをアップするよ。
これにグラフ画像(多分新聞の切り抜き)が添付ファイルとして5枚貼り付けてある。やりすぎだ。
------------------------------------------------------
最近の自殺、殺人の横行はグローバル競争社会とアメリカ型の投資、金融の自由競争と市場原理主義において負け組が奴隷化、野垂れ死の危機に達し、絶望した人達の悲鳴だと思います。
投資、金融に興味のない庶民にとっては理解不能のステルス的な社会の変革です。
問題は、それをテレビ等のマスコミがほとんど問題提起することなく、又、国民もほとんど気にしないで、投資にあけくれたり、日本国内における産業(仕事とお金)の奪い合い競争を無為に続けていることです。
政府が国民に、世界全部がアメリカ型競争社会に変わって行くグローバル化の闇や負の部分を公言、広報して注意喚起しないでいるせいで、政府は年1万人、10年で10万人の自殺者を大量生産し続けています。(1998年よりの自殺者増加分)
10年前の1997年より日本はアジア通貨危機から始まった金融、投資、経済、産業のグローバル化競争(政治、経済、産業の支配者層の、半分やらせの出来レース)に巻き込まれ、経済、産業、社会の混乱状態が続いています。
現在セレブ盛況の裏側での弱者の野垂れ死にの現状の『グローバル化競争社会』を問題提起するのが禁句にでもなっているのか、庶民に伝わってくる現状の異常とその原因を伝えるジャーナリズムが少ないです。
弱者、庶民は現状のグローバル化社会における政府、経済と社会問題に対する理解、認識が欠落しており、仕事とお金の奪い合いの世界競争の中で、政府にたいして救済もされず絶望して自殺、野垂れ死に、犯罪、殺し合いの共食い状態を続けています。
グローバル化競争社会の原罪、構造(金融)改革の目的、アメリカ型自由競争、市場原理至上主義の投資、金融支配社会における格差と世界恐慌の危険性を正しく国民に認識させるとともに、きっちりとしたセーフティネットを設けて国民の弱者を守るともに、再起可能社会を構築すべきです。又は、高税率の福祉国家とすべきであると考えます。
(1998年以降の国の異常を単なる不景気と片付けて、国民を惑わし混乱を作り、株や投資で儲けているセレブや政府官僚、又、旧来の既得権益でのさばる公団、公共事業主や、政府とつるんで新たな既得権益を得た公共事業、補助金成金やインサイダー投資家を、10万人を殺した大量殺戮の罪で訴えてやりたい。)
地方、現場労働者の不景気感が拭えない割に日本経済のGDPは伸び続けています。が、政府が政策と税政を誤っているせいで、日本国内の庶民の実体経済を細らせ、金融、投資経済にお金が流れ込む様に優遇しているせいで地方、労働者の経済が細り、ひいては国全体の景気回復も進まないのです。又、ワーキングプアや貧困層も発生させ続けています。
政府、投資家、企業が本来庶民が生産、消費で行なう経済活動(実物、実体経済)を細らせておいて、金融、投資経済にお金を集めて海外投資に熱を入れているようですが、金融、投資で儲けたお金を地方や労働者に還元して庶民の実体経済を太らせるのを忘れているせいで国内経済の活気が本格的に戻らないのを彼らは気付いているのでしょうか?
日本の地方や労働者層が不景気なのは彼らのセコさ狡さが原因です。
金融、投資主体の社会は利己的、独善的であり、官僚、公務員の行政主体社会と同じくらいモラルに欠けたもので、信用に足りるものではないと思います。
彼らに任せておくといたずらに国民を苦しめて国を滅ぼしかねません。
株価、為替、金利、相場、配当等の投資、金融経済だけが経済ではなく、経済を回し、社会を発展させ維持、管理、保護し続ける原動力は、何も効率重視の投資ではなく潤滑、バランス機能も兼ね備えた課税とその交付によって成されても良いのではないでしょうか。
グローバル化競争によって膨らみ過ぎた金融、投資経済に対する十分な課税と、厳重な利権監査と課税のシステムを整えたうえでの、国家による非営利目的の福祉事業や社会保障(富の再分配)の交付、公共事業(社会投資)や補助金の交付によって経済、産業の成長戦略や社会、経済の安定が行われる、課税と税の再分配による共産性や社会主義性を取り入れた国政でもよいのではないでしょうか?
特に少子高齢化の現状では、無理な利益追求をおし進める投資社会より、高税率の共産的福祉社会の方が日本にはあっていると思います。
本来庶民が生産、消費で使っていた分のお金や税金で集めて共産的に公共サービスや福祉、社会保障で使っていたお金を、富裕層や企業が減税、補助金で吸収し、海外投資等に使って儲けてバブル状態となり、庶民は生産、消費で使用できるお金の量が年々減って貧困に至ったり、必要な公共サービスや福祉、社会保障を受けれなくなっていると疑います。
又、企業の高業績や投資の配当が好調にも拘わらず国全体としての政府発表の個人消費が思った程伸びないのは富裕層は飽食気味で、貧困層は欲しくても買うお金が無いという事ではないかと推理します。
課税対象、課税方法を変える事によって国民生活の為にまともな経済バランスをとる事を政府に提言します。
現在の投資、金融経済主導の社会で今の税政だと投資、金融経済が社会に及ぼす影響と支配力が強く、弱者が仕事(産業)と財(不安定な低賃金非正規雇用生活によって疲弊)を奪われ失業、貧困に至るとともに投資家、企業の投資、金融経済にお金が溜め込まれるシステムになっています。
バブル状態の投資、金融経済から税金を取って弱者、貧困層に還元したり最低賃金規定を設けて給与を上げてあげないと縮小している労働者層の経済は萎んだままで弱者、貧困層の消費はいっこうに上がらず国内全体の経済と社会の活気は戻りません。
株主の利益追求、高配当の為の労働者の非正規雇用化以外にもグローバル化競争の為、産業の衰盛が地域、業種で激しく、それにともない労働力の需要も地域、業種で変動が激しく労働者を正社員よりパート、派遣雇用する企業が多いです。
グローバル化競争の為に企業は産業の衰盛に素早く対応しなければならずこれからも流動的な労働力としてパート、派遣社員を便利な使い捨ての低賃金労働者として利用し続けるでしょう。
企業の都合で一生をパート、派遣雇用で生きてゆかざるを得ない人達がかなり発生する訳ですが、彼らの未来、将来のことを何も考えていない企業任せで、このまま彼らを便利な使い捨ての低賃金労働者として利用させ続けて良いのでしょうか。
将来的な国力の衰退( 人口減少、人材不足)を考えた時にパート、派遣労働者を低賃金の奴隷的アルバイトではなく非正規雇用の準社員として捉え、パート、派遣社員でも結婚して家庭が持てる様にパート、派遣社員の権利を保護、育成してあげる必要があると考えます。
同一業界内での最低賃金の規定とその保護やアップを勝ちとる為の労働組合の設置、福利厚生システム(労災、雇用保険、厚生年金、交通費の支給、作業着等の備品の支給、育児や介護の為の有給休暇)の設置と補助義務の規定、正社員と同じ労働基準法の適用、派遣元会社の中間搾取の監視と禁止規定を等を設るべきです。
この過激な競争社会のなかで安価な低賃金労働者として必要以上に買い叩かれ、バブル的金融、投資社会のなかで奴隷的立場になっしまっているワーキングプアの人達の人権を、同じ国の現代社会人の一員として守ってあげる必要があると考えます。
現在の労働者層のワーキングプア問題は日本が不景気だから労働者が失業するのではなく、グローバル化競争社会における投資、金融の高配当目あての高収益化を目指した労働者の低賃金化とリストラによる失業問題なので、賃上げ要求することは恥ずかしいことではなく労働者の権利だと思うべきです。
現在、貧し過ぎてまともな現代人の生活が出来ていないワーキングプアの労働賃金アップによる貧困層の消費拡大による日本全体の景気回復や、貧困層の結婚、子育てを賃金アップにより推奨することにより将来的な国力の維持(少子化問題、人材不足等の解決)を考えるべきです。
これ以上、投資家富裕層による投資が過熱することは国力低下につながります。
彼らバカは優秀な人間や企業にただ、たかって投資すれば大儲けできると考えているだけです。
日本円が高いことをいいことに、安い途上国の企業や人材や労働力に投資でたかれば高効率の配当や売買益を得られると無責任に考えているだけで、日本国内の労働者や地方の実体経済や庶民生活の細り具合が目にはいらず、自国の将来的な国力低下に気付いていない。
さもなければ今だけ儲かっていれば本国である日本が将来的にどうなろうとも気にもせず、夕張市の公共工事にたかっていた建設業者や市職員みたいに国が傾いたら海外移住でもするつもりの無責任な人々なのではないしょうか。
日本の貧困層の生活を保障したり、奴隷的ワーキングプアを学ばせたり教育させたりして、将来を担うべき層の厚い人材を確保する考えのない、想像力の足りない愛国心ゼロの寄生虫的バカ投資家のせいで、将来的に日本は海外に比べて人材不足に陥ることが予想され、日本の未来が危なくなっています。
人は育てなければ育ちません。企業や労働者は競馬の馬でも家畜でもありません。
投資家は一人で育って優秀になったつもりなのでしょうが、本当はかなりの思いやりある人と運に恵まれて投資に対する知識や人間性を形成してきた筈です。それと同じ様に、庶民も社員も周りの人間や社会に支えられ、学びながら成長していきます。
グローバル競争社会において投資により、その庶民社会をぐちゃぐちゃにして庶民の生活を破壊し、放ったらかしにして成長を妨げておいて、能無しの奴隷、家畜としてたかっているのが利己的なバカ投資家です。
もし、日本の支配者層としての自負があるのなら、人材育成や教育、社会維持に対する考えを持ち、庶民を含めた日本の将来を担うべき人材を育てあげたり、社会維持のための納税や投資を惜しまずに、日本の未来に対しての責任を持つ考えを持って欲しいものです。
1月7日のNHK「クローズアップ現代」ので、グローバル化による金融、投資経済の1京6000兆円(実体経済の3.2倍)にのぼる膨張とアメリカのサブプライム問題による先物投資過熱と原油価格高騰、アラブ、ロシアによる投資支配戦略によって、アメリカの投資による世界支配が揺らいでいる現状をスクープしていました。
国内外の金融、投資のお金をかき集め、それを一斉にファンド等々にして世界にばらまき、発展途上国等や先物商品に投資することで、他国、企業、労働者の実体経済にたかるアメリカの金融、投資による世界支配の実態と、投資の配当等による収益や、投資対象(住宅等)の値上がりをあてにしたローン等によるアメリカの大衆消費促進経済の限界を問題提議し、世界におけるアメリカの投資、金融支配社会の信用低下をスクープしていました。録画等があったら是非見て下さい。
日本にはアメリカみたいに、金融、投資により他国(企業、労働者)にたかり、その配当で豊かに生活を送る海外投資による大衆消費社会に変えることが出来る国力はありません。
日本はアメリカと違います。日本円はドルと違い基軸通貨ではありませんし、低金利政策です。お金は発行されず国内外で流通する円の総量は一定です。それを証券、債券等により、見せかけのお金を増やしてファンド等々により海外投資して他国にたかろうとしているのでしょうが、バカ投資家連中はその元になる投資の資金を地方や労働者層に求めて彼らを苦しめつつ地方交付税の削減や、労働者の低賃金化や、配当課税の減税によって得ているのです。
投資家、企業は焦って利己的に利益追求や保身にはしらずに国民全員に還元すべきです。いずれ途上国の通貨切り上げによって円の価値は下がります。その分の保険としての海外投資なのでしょうが、通貨切り上げ、切り下げは国家間での話し合いなので、投資をしていない庶民に還元することで通貨切り上げ幅を小さくする容赦を途上国に提案するべきと考えます。日本の金融、投資経済に課税する事で途上国の溜飲を下げるとともに国民生活の為にまともな経済バランスをとる事を政府に提言します。