はてなキーワード: 日本国民とは
「シェア」とか「繋がり」とかが、時代のトレンド、テーマのように考えてたけど、なんか違和感が芽生えてきた。
何をもってシェアや繋がりが大事なのか。今まで、若い世代は近所付き合いなどの繋がりが薄く、それを円滑にするためにシェアが大事だ!って言ってると思ってたけど、今の世代はメディアが言うほど繋がりに植えていないし、自己中心的な人や空気を読めない人は排除されるコミュニティに成り立ってて、繋がりに飢えているはずがない。(あるのは、自分が誰かを演じてる違和感の方だ。)
人付き合いが薄くなってるっていうのは、単純にコミュニティの形成、形式が変わってきただけなんじゃないか。
その中でも、若い世代はコミュニティをきちんと生きてるように俺には感じる。「人間観察が趣味です。」とか意味不明なこと言いながら、必死に空気を読みながら生きているじゃないか。
それでもなお、やれ「シェア」やれ「繋がり」などと、背中を押されているように見えてきたのだ。
では、何故シェアや繋がりをテーマにもってきたのか、それは時代や世代がそうさせたんじゃなく、社会や企業がそうさせたに過ぎなかったと思ってきた。
仮定する筋書きは以下。
→若い世代の消費行動とか、もう全然わかんない、全然予想できない。困った。てわけで、シェアさせよう。ネットに赤裸裸に書いてもらおう。
→メディアでまず、「若い世代は人間付き合いが下手。」「昔みたいな人情も無い。」レッテルをはろう。
→レッテルを貼ったら、あとは若い世代向けトレンド(ケータイなど)から「シェアせよ!繋がりが大事!」と号令をかける。
→流れに敏感な若い世代は、自分を”ウィキリーク”させていき、消費行動や世代性を惜しみなく公開。
→ああね、なるほどね。新しい消費行動もだいたいわかったから、もう号令かけなくていいよ。 ←今ココ
シェアって、そもそも何を指してたのか。
みんな情報は金になるのを知ってるくせに。海外にどんどん負けながらも、国内での生き残りも大変な企業。畳み掛けるように現れた、「スーパーコンペティション」の現象で、有益な情報はもっとシェアされなくなっていく。
政府や東電が情報を公開しない事を全面的に否定できないのは、自分たちだって重要な事はシェアしないからじゃないのか。
日本国民がもってる問題は、ほんっとうに根が深い気がした。
インターネット上でのシェアなんて、まだ「エンターテインのシェア」と「自分ウィキリーク」どまりなんだと思う。
元記事
http://yorogame.blog137.fc2.com/blog-entry-513.html
9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。
また、ネットとTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネットの人間がTVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。
そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上位である憲法の重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。
現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法の理念に基づいた行動というのを国民が意識するようになったら、憲法の解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。
そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙で当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民にポジティブな意識、モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVもネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。
そしてネットとTVと新聞の世界を繋げるために、政治家はTVで希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。
大阪の政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。
また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国等海外で人気があり日本でも知名度の高いこの文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。
私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットのTV、新聞がどのような役割を果たしているかということある。
TV・新聞といったオールドメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネットが日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から、今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。
まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である。
という見知でこの文章では、各メディア(主にネット・TV・新聞)の主張を捉える。
そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民の感情について考える。
まず、311の地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。
この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。
私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫氏である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。
当然である。原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。
そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。
私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見が交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年~一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会に意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。
その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織が善意でネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTVの比重が大きい人間に、ネットの情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。
だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人が原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人は政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報は政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本のネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発の科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民の意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネットの情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。
原発の科学的情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的の効果を最大化させるために取り得る方法は何か。
国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民は政治に希望と期待などのプラスの感情、モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報を自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。
当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付けが全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。
それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院に入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。
病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語の勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダーに全然アクセスしなかった。
それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当にblogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福を志向する事の美しさみたいなものを学んだ。
話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットのblogにも情報は届くからだ。
そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。
その方法論を私なりに書きたい。
まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法は理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。
また、ネットとTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネットの人間がTVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。
そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上位である憲法の重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。
現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法の理念に基づいた行動というのを国民が意識するようになったら、憲法の解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。
そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙で当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民にポジティブな意識、モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVもネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。
そしてネットとTVと新聞の世界を繋げるために、政治家はTVで希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。
大阪の政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。
またこれらの考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国等海外で人気があり日本でも知名度の高い蒼井そらが社会の理想と希望について語りながら、性的な事を行う映像を創ることもまた効果的であるといえる。
その理屈を使って、ネット上で論じられる著作権問題を憲法が持つ全体の利益という視点を重視して、多少厳密さを欠いたうえで語るなら、インターネット上の無料コピーは日本人が一般的に思っているほど、あまり悪いこととも言えないという理屈も導ける。
ネット上の無料コピーによる、著作権侵害が違法であるといっても、動画サイトで見るのは良いが、ツールを使って落とすのはよくないとかそういうのは根本的に考えたら些末な問題でやってることは本質的には同じとも云える。それを差異があるように演出しているのはあまり社会を善くするという意味は無いと云う事もできる。なぜなら、どのような方法であれネット上で無料コピーにより著作権を侵害するという行為によって逮捕される人は現状、全然居ないに等しいからだ。なのでこのような違法としていて一部はそれを遵守せよ!と感情的になっているがその視点は近視眼的ということもできる。そういったあまり根本的に考えなていない意見によって脅迫をかけるような同調圧力と化していると思う。全体の利益という視点を重視したら、違法としててもろくに取り締まりもおこなっていないやったもん勝ちみたいな、現状の無料コピーに対する意識というのは不自然です。赤信号は場合によっては無視してもいいという意識は誰でももっているように、無料コピーにしても、目立つ形でやった人間以外ととても運の悪い人以外には、取り締まりなど無いに等しいから、やるのは個人の判断で赤信号を渡ることと似たようなこと。という意識を多くの国民がもっていたほうが国家としては健全だと私は思う。その国民の意識に応じて法を変えれば良い。
そのようなそこの浅いときに、脅迫的ともいえる同調圧力意見というのはネットにはありふれていて、その思考方法を変化させるためにも、国家はどうあるべきかという形を分かり易く国民全員に伝えなければいけないと思う。
(終わり)
日本のメディア間の隔絶について 日本のおけるネットとオールドメディアの最適な関係の構築方法の模索
この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。
私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネット、TV、新聞がどのような役割を果たしているかということある。
TV・新聞といったオールドメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネットが日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から、今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。
まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である。
という見知でこの文章では、各メディア(主にネット・TV・新聞)の主張を捉える。
そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民の感情について考える。
まず、311の地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。
この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。
私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫氏である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。
当然である。原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。
そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。
私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見が交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年~一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会に意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。
その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織が善意でネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTVの比重が大きい人間に、ネットの情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。
だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人が原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人は政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報は政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本のネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発の科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民の意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネットの情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。
原発の科学的情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的の効果を最大化させるために取り得る方法は何か。
国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民は政治に希望と期待などのプラスの感情、モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報を自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。
当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付けが全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。
それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院に入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。
病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語の勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダーに全然アクセスしなかった。
それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当にblogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福を志向する事の美しさみたいなものを学んだ。
話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットのblogにも情報は届くからだ。
そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。
その方法論を私なりに書きたい。
まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法は理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。
また、ネットとTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネットの人間がTVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。
そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上位である憲法の重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。
現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法の理念に基づいた行動というのを国民が意識するようになったら、憲法の解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。
そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙で当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民にポジティブな意識、モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVもネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。
そしてネットとTVと新聞の世界を繋げるために、政治家はTVで希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。
大阪の政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。
また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国等海外で人気があり日本でも知名度の高い
この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。
私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットのTV、新聞がどのような役割を果たしているかということある。
TV・新聞といったオールドメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネットが日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から、今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。
まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である。
という見知でこの文章では、各メディア(主にネット・TV・新聞)の主張を捉える。
そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民の感情について考える。
まず、311の地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。
この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。
私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫氏である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。
当然である。原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。
そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。
私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見が交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年~一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会に意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。
その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織が善意でネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTVの比重が大きい人間に、ネットの情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。
だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人が原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人は政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報は政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本のネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発の科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民の意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネットの情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。
原発の科学的情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的の効果を最大化させるために取り得る方法は何か。
国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民は政治に希望と期待などのプラスの感情、モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報を自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。
当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付けが全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。
それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院に入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。
病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語の勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダーに全然アクセスしなかった。
それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当にblogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福を志向する事の美しさみたいなものを学んだ。
話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットのblogにも情報は届くからだ。
そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。
その方法論を私なりに書きたい。
まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法は理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、Permalink | トラックバック(0) | 04:44
http://www.afpbb.com/article/politics/2846317/8208785
この記事だと高齢者の扱い悪いよねってアルカイダに言われちゃってるって話なんだけど、そもそも儒教文化がかつてはあって、老人大切にしようずって教えも親から受けてたはず。なのに何で老人の扱いが悪くなったのか?と。社会に出てお金を稼いで税金納めたりしてるなかでその使い道とか、それを決定している政策や政治やら投票やら諸々見聞き体験して、ギリギリ若者側に位置する30歳男子としては思う所あるんですよ。
老人って大切にしなきゃならんのか?という疑問。
まずこれが生まれちゃってるからそもそも大切にしない。大切にしなければなららないという確信持ってないんだったら迷いが生じる。当たり前の様に助ける行動に躊躇やスルーが選択肢に生じる。この選択肢は自動選択されるので本人が意思決定してるわけではないってところもポイント。だから目の前で倒れてる老人が居ても、普段の思想や行動力から勝手に決定されるので、何で助けなかったの?って聞いてもいや、べつに、とかこれと言って意思決定された形跡がある回答は得られない。
こういう現象の積み重ねがリンクの記事とかに現れてるに過ぎないんだと思うんだな。
俺自身も老人たすけなきゃならんの?とは思ってるけどね。倒れてる人は老人に関わらず助けるよ。そりゃ。こないだも大岡山で倒れた老人介抱した。周囲に東工大生とおぼしき大学生いっぱいいたけど誰も助けないのな。びっくりしたわ。老人だからなのかどうかは分からないけどね。
で、なんで老人大切にしなきゃ成らないの?と思わせてしまったかについては諸説あると思うんだけど、俺が思う老人大切にする必要無い風潮の原因をいくつか挙げてようと思う。
* 投票権に関する問題
この3つ。
一つ目の投票権に関する問題は、20歳以上の日本国民男女に与えられるが、その後、剥奪される事は無い。
15歳くらいには政治に関して関心を抱くし、10代で興味持ったものって凄い勢いで知識を吸収して行くから20歳までは正確な判断できないと断定しちゃうのはちょっと無理がある。まぁ20歳以前までは煽動に乗せられやすいから非知識層に与えるのはどうかとは思う。暴走族やってる輩とかは背後に893だし893は日本国民でないものが多く混じってるっていうから若者を使っていくらでも糞政治家に有利にできてしまうだろうし、まぁこれは20歳以上までって切り捨てておいた方が安全だわ。
一方、引退してあとは老後の生活だけって老人達、たとえば65で引退して80で死ぬとすると、あと15年分は社会の荷物になるわけだ。その間の15年感は年金だとか生活保護とかで確実にお金がもらえる。負担はそれ以下の年代全体で受け持つ。そして投票の歳も残りわずかな人生のための投票を行う。誰のためって自分の為。
49 名前: 名無しさん@涙目です。(東日本) 投稿日:2011/12/17(土) 14:08:10.54 ID:kmN9yLA+0
要は、こういった輩が大半を占めてるし、その結果、若者世代からしたらこいつらのこういう思考には反吐が出る訳で、Hateも溜まるよね。
だからさ、昔の話じゃないけど、税金を一定以上納めてる人間でないと投票すべきじゃないんだよ。
■現状
■理想
とういうわけで20歳以下を切り捨ててるのと同じ理論で、60歳以上の人間からは投票権を剥奪しましょう、というのが一つ目の問題と解決案。
橋本徹がねずみ講って言ってる通りだし、若者から搾取しすぎて疲弊してるじゃん。さっきの投票権の話でも言ってるけど未来ない老人に金使っても何も良くならないわけで、それなのにこれからを作り出す若者を疲弊させてどうすんの?
情報の乖離なんて何処の世代でもあるんだけど、根性論とか精神論ベースにしている老人団塊世代以上は非常に厄介で、事実に基づいた話も可哀想とか主観的感情で無駄な行動に終止するし、その無駄のとばっちりは良く受ける。これは近くは自身の両親との乖離、遠くは現役政治家のネットに対する理解度の低さなど、幅広い所で存在している。
例えば、アパートに一人暮らしの老人がいました。家族は2ヶ月に1度ほど会いに来ます。暑い夏、エアコンを設置する話をしてましたがエアコンは身体に悪いと老人は断りました。家族は本人が我慢するのであればと引き下がりました。老人は熱中症で死にました。熱いので腐敗の進行早いです。部屋には強烈な腐臭がふちゃくしましたとさ。
これ、老人死んでるだけじゃん、と思うかもしれないけどアパートの持ち主はアパートに損害出されてて、価値を定価させられてるわけ。財産を傷物にされてるんだよね。老人の無知が招いた結果なわけです。
他にもね、抱きぐせが付くから赤ん坊は抱きません、という主義の老人は多く居る。これはちょうど今団塊の世代がやっていたことで子供をだっこすると何でもかんでも抱っこしてくれって癖がつくから止めましょう、という理論から発生して、この手の情報が古いままな事に起因する。現役で子育てしてればその手の情報を新しいものに置き換えて行くだろうけど、子育てが完了したらわざわざアップデートはしないから仕方ない。が、孫が生まれてもそのままの知識を適用したがる。
ちなみに現在ではスキンシップによる精神発達と脳の発達に大きな影響があることがわかってるので、積極的におこないましょう、だっこもしておきましょう、という話が主流だ。統計も取られているしぐぐったらかなりの量の情報が出て来る。
これにより老人に育てられた子は発達が遅い可能性があり、社会の一員の能力を著しく損なうわけだ。ちょっと極端だとは思うけど。
まぁ、老人からうける損害によって単純にHateが溜まるよね。という話でかまわない。
これら3つの理由によって溜まるHateの量と、理由1で見られるふんぞり返った老人たちに業を煮やす若者、理由2で疲弊して余裕を失った若者は、老人に敬意をもって摂することなんてあるだろうか?
東北復興を差し置いて韓国に支援する意味があるのかわからなかったので、今回のスワップ協定について各所に電話して質問しました。
Q1:今回のスワップ協定を最初に提案したのは日本と韓国どちらか?
Q2:この協定を結ぶために費やした議論の日数は?また、その議論は公開されているか?
A2:韓国から最初に打診があったのは10月4日のこと。議論内容については市場に与える影響が大きいため非公開。
Q3:この協定を結ぶことで日本にはどのようなメリットがあるか?
Q3-1:ならば韓国市場が崩壊したときに日本が受ける影響を試算した上で今回の額を決めたと思うのだけれど、その試算額はいくらか?
A3-1:その試算はしていない。今回の額は非常に大きいが、これは韓国市場に安心感を与えるための見せ金としての役割が大きい。全部使うつもりで設定した額ではない。
Q4:今回はIMFを通さなかったのはなぜか?
A4:IMFを通すと、融通額の20%以上を引き出すときに制限がかけられる。これがあると市場に安心感を与える効果が薄れてしまうため、今回は直接の協定となった。
Q5:今回財務省が用意したのはドル建ての資金、日銀が用意したのは円そのものという認識は正しいか?
A5:そのとおり。
Q5-1:日銀が用意した円は普段から通貨危機のために積み立てていた円なのだろうか?
A5-1:日銀のことはちょっと良く分からない。日銀に問い合わせて欲しい。
Q5-2:今回ドルと円を用意してあるが、なぜ両方必要だったのか?
A5-2:国際的な通貨であるドルと、アジアで強い通貨である円の両方が必要だった。
とお答えを頂いたので、お礼を述べて電話を切りました。私の一番の疑問は日本円を東北のために使わず韓国に出すのはなぜかという疑問でして、一番肝心な部分は日銀さんの領分だということが分かったので日銀さんにもお電話しました。
Q1:今回のスワップ協定に対して用意した円は、普段から通貨危機のために積み立てていた円なのか?
A1:日本銀行は円の発行が出来る機関。今回の円は新規発行分として用意した。韓国中央銀行から要請があれば、最大300億ドル分の円を刷って対応する。
Q1-1:となると、今回用意した円が東北のために使えなかったのかという質問は全くの的はずれなのか?
A1-1:これに使うはずだったものを横に、という意味では全くない。
というわけで一番聞きたかったところにお返事をいただけたので、こちらもお礼を述べて電話を切りました。日銀さんは政府の要請にべったりではなく、韓国中銀と独自にやり取りしているというニュアンスのことをおっしゃってました。
財務省の、韓国市場の崩壊時のシミュレーションをしてないという答えにはものすごくがっかりしました。なんだかなぁ。
とまれ東北を差し置いて韓国に援助か!?というところが一番知りたかったことでして、財務省が用意したドルよりも日銀が用意した円の出所のほうが気になっていました。ドルは円と比べたら復興に使いにくいので韓国に回すのもまだ分かりますが、円そのものはその気さえあればすぐに国内で使えるじゃないか、そう思っていたのです。でもまさか円の新規発行で対応するという答えは予想外過ぎました。予想外ではありましたが、円の新規発行そのものは単純に円高対策になるし、それでウォンを買えばウォン高に市場が振れるので、ちょっと考えただけだと有効な手段に思えます。
これからこの点についてよく考えてみます。皆さんもご意見ください。
普通にただの一般人として、以下のページに掲載されている電話番号にお電話しました。
http://www.boj.or.jp/announcements/release_2011/rel111019a.htm/
住んでいる県と氏名をちゃんと名乗り、日韓スワップ協定についての問い合わせであることを明らかにしたらどちらでもすぐに取り次いでもらえました。正直、取次ぎを渋られると思っていたので、自分は日本国民だ日本の主権者であり投票の義務を適切に果たすために今回のニュースの詳細を云々と理論武装していたので意外でした。
後は電話に出てくださった方に全ての権限や責任があるわけではないので、怒ったり攻め立てたりするようなことは一切しないように気をつけました。
韓流もアニメもAKBも、一定のコアなファンは付いてるけど、国民全員が知ってて当然という程のものではないはず。
日本国民みんなが韓流スターを知ってる前提で番組作られても、殆どの人はついてこれないし、反発も食うだろう。
ゴールデンタイムでいきなり「チャン・グンソク1時間スペシャル」とかやったら、そりゃ「チャン・グンソクって誰だー!」ってことになる。
昼下がりや深夜にひっそりやってたら、誰もここまで反感持たなかったと思う。
ゴールデンタイムの番組で、いきなり「ゆるゆり特集」とか「竹達彩奈スペシャル」なんかやってたら、
かつて純真だった若者は、あるとき世の中にある『利権構造』というものを教えられたとき、社会の全てのカラクリが解けたような気になる。
それまで、どうして貧富の差が大きいのだろう?どうして政治家は馬鹿なことをしているのだろう?どうして愚かな戦争が起こるのだろう?・・・と、純粋なる心で不思議に思っていた疑問に対して、『カネ』とそれに執着する『悪い人』の存在をベースにした説明は明快で、非常にわかりやすい回答を与える。
そしてそれを知ったとき、世の中の汚さを知り、若者はひとつオトナになる。
---ただ、いつまでたってもそれ以上に考えを進めず、それで自分が賢くなった気でいる"オトナ"があまりに多い。
「それが世の中の全てさ」とそこで思考停止し、シニカルに批判してペシミストを気取る。
それは究極、「みんな『悪い人』が悪いんだ!」と誰かのせいにしているだけである。これが本当にオトナの考え方だろうか?
本当に様々な経験を重ねたオトナなら、一度は、こんな経験をするはずだ。
「誰も何も悪くないのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろう・・・」
正義と正義がぶつかった諍い。善意が招いてしまった失敗。一部でなく全部を満足させようとして結局全部ダメに。
悪人はどこにもいなかったのに、結果的に誰かが酷い目にあってしまう哀しい構図。
---『悪い人』がいなくても、結果として『悪いこと』は起こり得る・・・
それを知ってから、改めて歴史や社会を見直す。すると、かつて「一部の悪い人の利権」をベースとした説明ですっかり理解した(つもりになっていた)『悪いこと』を起こした原因に、『悪い人』は誰もいなかった-無知や誤解や失敗があっただけ-というケースがとても多いこともわかってくる。
だからこそ、我々は、自らの『正しい』行為が意図せず『悪』に転じないように、よく学び、よく考えて、慎重に自戒しながら、生きていかなくちゃいけない・・・。
ところが、残念ながら、そこの段階に進まない人は多い。
進まない人をここでは「第1段階のオトナ」、そこから先に進んだ人を「第2段階のオトナ」と呼ぶことにする。
第1段階のオトナは、前述のような、誰も悪くないのに結果として失敗してしまったような状況で、自分の世界観に合わせて『悪い人』を探し出そうとする。
”私達と逆のことを言う人間は全員、真実がバレたら『都合が悪い』連中で、つまり『利権』を受け取っているに決まっている。
「そうじゃないよ、悪い人のせいじゃないよ」と語るマスコミや知識人はみんなその利権に買収されている御用業者だ。
一般人で彼らを擁護する人達は、みんなオトナの知識(利権構造)を知らないコドモだから、すっかり騙されているんだよね。バカだなあ。”
---と。
そうして、一切を『悪い人』のせいにして、その証拠が無いのは『隠蔽』されてると決めつけて、それに対する反論はすべて陰謀と無知によるものと相手にせず、自分は「騙されない人間」「裏事情通」という"高み"にいるつもりになっているのである。
さて、誤解されてはいけないが、第2段階のオトナは、世の中に『利権』『保身』による悪なんて全く無い、などと言っているわけではない。
第1段階を一度は経ているから、大企業や財界、政界がそれに染まっていることは当然、社会人の常識として知っている。
第2段階のオトナは、利権構造の悪を知りつつ、それを自分とは全く関係ない他者のものとしては捉えない。
我々に出来るのは、「他人のせい」にせず、すべてを自らの問題に布置して考えることだということを知っている。
家族持ちの正社員がある日突然「お前の業務なんてアルバイトで充分だから、明日からバイトの身分になれ」と言われたら、給料・社会保障という『利権』を守るため、正社員の地位を守るため『保身』に必死になるだろう。
あなたが中小企業の社長で、もし最大の取引先から突然「もっと割のいい会社と取引することにしました、サヨウナラ」と言われたら、部下の社員達のために『利権』を守ろうと必死で裏接待でも賄賂でも何でもして、取引先から得ている『既得権益』を守るために必死になるだろう。
それを責められるだろうか?
トップになればなるほど、多数の部下を護る責任は大きくなる。最終的には日本全体に対しての責任が出てくる。
彼らが背負っているのは決して「自分の贅沢」「地位」「名誉」だけじゃないのだ。
そして彼らは、日本代表として不当なほどの『利権』を世界の中で奪ってくれてきた。
結果は、税金などを通して、我々日本国民全員の豊かな暮らしにちゃんと反映されている。
彼らの『利権』に与かってきたのは、誰あろう私たち全員だ。我々は決して、無垢な第三者ではない。
日本はなんだかんだ言いながらちゃんと民主主義国である。制度に問題はあれど、究極は一票一票の積み重ねが、現政府を選んだ。
なのに第1段階のオトナはしばしば、『政府』というものを、どこか自分とは縁のない陰謀世界から派遣された『恐ろしい権力』と考えてるとしか思えない言動をする。
困ったことに知識人とされる人の中にも第1段階のオトナがいて、コドモから第1段階に至ったばかりの人たちを扇動し、居りもしない架空の『闇の勢力』を攻撃することに無駄なエネルギーを注がせている・・・
第2段階のオトナは、利権構造や人間の保身的な行動というものをちゃんと認識しながらも(第1段階)、全てを『悪い人』のせいにして思考停止せず、自分自身の問題に敷衍して全ての情報を考える。
そして意志表明の手段として、選挙に行く。
菅首相は25日、自らの退陣のめどとして「今年度第2次補正予算案の成立」など3条件を掲げていることについて、さらに「原発から放出されたプルトニウムの放射能半減を見届けたい」と周辺に話していることが明らかになった。この発言に対し与野党双方から「政権の延命を図る露骨な後付け」との批判が噴出しており、今後さらに首相への退陣圧力が強まりそうだ。
25日夜、首相は都内の料亭で自らに近い議員数人と会食。その中で「『退陣3条件』と言ったな。あれは嘘だ」と話すとともに、「一国の主(あるじ)として、原発事故を終息まで見届ける義務がある」として、3条件成立後の続投に意欲を見せた。また、「終息」の定義については、「放射性物質の中でもひと際毒性の強いプルトニウム239の放射線量半減が一つのめど」と語ったという。
一般にプルトニウム239の半減期は約2万4000年とされており、首相の発言通りなら、菅政権は今後さらに2万4000年間続くことになる。
この発言が報道されると、まもなく与野党の双方から不満が噴出。ある与党議員は「日本国民がどこまで首相に我慢できるかというストレステストのつもりでやってるのではないか」と話した。また野党幹部も「プルトニウムが半減される頃、菅氏は2万4065歳。どこの閣下だよ」と憤りを見せている。
首相の発言を受け、与野党幹部は同日深夜、非公式に接触。「ここまでしぶとく政権にしがみつく首相は、わが国の憲政史上最も醜態をさらしている」との認識で一致した。また今後の政治日程として、退陣3条件の成立後さらに首相が続投の意思を見せた場合、「そもそも菅政権はなかったことにする」として、首相を土に埋めて中国式に在任の証拠を隠ぺいする予定だ。
埋める場所については、首相官邸の庭園にあるソメイヨシノの根元が有力。官邸筋によると、ここにはすでに鳩山由紀夫前首相と名乗る人物が埋まっているとのことだが、この人物の詳細について前述の官邸筋は「この人もなかったことになっているのでよく知らない」と話した。
by虚構新聞
私は基本的人権を理解していないが、ほとんどの日本人も基本的人権を理解していないと思う。
高校無償化問題だ。朝鮮学校の生徒は無償化される権利があると考えているらしい。
当然、弁護士が付き、専門的に正しく主張しているのだろう。
よく分からないので、例え話をしたい。
私は多くのお金を持っている。これを、近所の子供に分け与えることにする。
近所に子供は100人いた。そのうち1人は私自身と国籍が違うので、あげないことにした。
問題があるのだろうか。
自分自身の財産を誰に対して処分するかは、その人の自由であると思う。
日本国は、日本の主権の及ぶ範囲に住む人から、税金を取る。日本国は、その範囲の内の秩序を保ち、住む人はその恩恵を受けるからだろう。
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/sp/movie.cgi?das_id=D0001410387_00000
朕深く世界の大勢と帝國の現状とに鑑み非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し茲(ここ)に忠良なる爾(なんぢ)臣民に告く
朕は帝國政府をして米英支蘇四國に対し其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり
抑々帝國臣民の康寧を図り万邦共榮の楽を偕にするは皇祖皇宗の遺範にして朕の拳々(けんけん)措(お)かさる所
曩(さき)に米英二國に宣戰せる所以も亦実に帝國の自存と東亞の安定とを庶幾するに出て他國の主權を排し領土を侵すか如きは固(もと)より朕か志にあらす
然るに交戰己に四歳を閲し朕か陸海將兵の勇戰朕か百僚有司の励精朕か一億衆庶の奉公各々最善を尽せるに拘らす戰局必すしも好轉せす世界の大勢亦我に利あらす
加之敵は新に残虐なる爆彈を使用して頻(しきり)に無辜を殺傷し惨害の及ふ所眞に測るへからさるに至る而(しか)も尚交戰を継続せむか終に我か民族の滅亡を招來するのみならす延て人類の文明をも破却すへし
斯の如くは朕何を以てか億兆の赤子を保し皇祖皇宗の神霊に謝せむや是れ朕か帝國政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり
朕は帝國と共に終始東亞の解放に協力せる諸盟邦に対し遺憾の意を表せさるを得す帝國臣民にして戰陣に死し職域に殉し非命に斃れたる者及其の遺族に想を致せは五内爲に裂く且戰傷を負ひ災禍を蒙り家業を失ひたる者の厚生に至りては朕の深く軫念(しんねん)する所なり
惟ふに今後帝國の受くへき苦難は固より尋常にあらす爾臣民の衷情も朕善く之を知る然れとも朕は時運の趨く所堪へ難きを堪へ忍ひ難きを忍ひ以て万世の爲に太平を開かむと欲す
朕は茲に國體を護持し得て忠良なる爾臣民の赤誠に信倚し常に爾臣民と共に在り
若し夫れ情の激する所濫に事端を滋(しげ)くし或は同胞排擠(はいせい)互に時局を亂り爲に大道を誤り信義を世界に失ふか如きは朕最も之を戒む
宜しく挙國一家子孫相傳へ確く神州の不滅を信し任重くして道遠きを念(おも)ひ総力を將來の建設に傾け道義を篤くし志操を鞏(かた)くし誓て國體の精華を発揚し世界の進運に後れさらむことを期すへし爾臣民其れ克く朕か意を體せよ
<てきとうに現代風にしてみた>
世界の情勢と日本の現状をよくよく検討した結果、ありえないと思われる方法をあえてとることにより、この状況を収拾したい。常に私に忠実であるあなたがた日本臣民の皆さんに、今から私の決断を伝えよう。
私は日本政府担当者に米国、英国、中国、ソビエト連邦の4カ国に対して、日本が(ポツダム)共同宣言を受け入れると伝えることを指示した。
そもそも私たち日本国民が穏やかで安心な暮らしができ、世界全体と繁栄の喜びを共有することは、歴代の天皇が代々受け継いで守ってきた教えであり、私自身もその教えを非常に大事なことと考えてきた。最初に米英2カ国に宣戦布告した理由も日本の自立とアジアの安定を願う気持ちからであり、ほかの国の主権を侵したり、その領土を侵したりすることが、私の目指すところであったわけではない。 けれども戦争はすでに4年も続いており、我らが陸海軍人たちの勇敢な戦いぶりや行政府の役人らの一心不乱の働きぶり、そして1億人の庶民の奉公、それぞれが最善を尽くしたにも関わらず、戦況は必ずしも好転せず、世界情勢を見るに、日本に有利とはとても言えない状況である。その上、敵は残虐な新型爆弾を使用して多くの罪のない者たちを殺傷し、その被害の及ぶ範囲は、測ることもできないほどに広がっている。もしもこれ以上戦争を続ければ、最後には我が日本民族の滅亡にもつながりかねない状況であり、 ひいては人類の文明すべてを破壊してしまいかねない。そのようなことになれば、私はどのようにして1億人の民を守り、歴代天皇の霊に顔向けすることができようか。これが私が政府担当者に対し、共同宣言に応じよと指示した理由である。
私は、アジアを(西欧列強から)開放するために日本に協力してくれた友好国にたいして大変申し訳なく思う。また、日本国民であって戦地で命を失った者、 職場で命を落とし、悔しくも天命をまっとうできなかった者、そしてその遺族のことを考えると、 心も体も引き裂かれんばかりの思いがする。戦争で傷つき、戦災被害にあって家や仕事を失った者たちの暮らしについても、非常に心配に思っている。この後、日本が受けるであろう苦難は言うまでもなく尋常なものではないであろう。みなさん臣民の悔しい思いも、私はよくよくそれを分かっている。けれども私は時代の運命の導きにそって、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、これからもずっと続いていく未来のために、平和への扉を開きたい。私はこうやって日本の国の形を守ることができたのだから忠誠心が高く善良な臣民の真心を信頼し、常にあなたがた臣民とともにある。感情の激するがままに事件を起こしたり、もしくは仲間同士が争って世の中を乱したり、そのために道を誤って世界からの信頼を失うようなことは、最も戒めたいことである。何とか国全体が1つとなり、子孫にまでその思いを伝え、神国日本の不滅を信じ、任務はとても重く、行く道は非常に遠いことを覚悟して、将来の建設に向けて総力を結集し、道義を守り志と規律を強く持って、 日本の力を最大に発揮することを誓い、世界の先進国に遅れをとらずに進むのだという決意を持とうではないか。私の臣民たちよ、ぜひともこの私の意思をよくよく理解してもらいたい。
北海度のキャラクター、長万部のまんべくんが戦争に関するコメントをして、運用会社が契約をとかれ、twitterアカウントは停止となったという。おそらく停止にいたるまでは、また現時点で役所等には色々と意見がよせられているだろうが、マスコミがとりあげる情報は、ただそうした状況の描写にとどまっている。民主主義国家である以上、言論の自由を尊重し、意見を交換し、またメディがそれをフォローするのが当然だと思うのだが、どうも日本ではそういうことはおこらないらしい。
なぜこういうことがおこるのだろう。日本に暮らす友人は、震災と原発事故をうけてなお、人々は社会的に沈黙をたもっている日本国民の有り様に違和感を感じると伝えてくれた。なぜ、日本の人々は喋らなくなったのだろう。私は、90年代から興った個人主義を軸にしてとらえることはどうだろうかと思う。
日本における90年代(起源としては、70年代のいわゆる革命闘争の敗北以後)の個人主義の高まりは、高度成長期とバブルを抜け、さらなる発展をシステムへの依存から脱却することを願ったというマクロな視点と、日本社会に横たわる社会的な慣わしを越えて個人の人となりを尊重しようという人権的ミクロな視点、こういったものがあわさっていたのだろう。だが結果としてはこれを小泉政権を象徴とした資本原理主義に射貫かれてしまった。「自己責任論」という奇妙な言葉は「下手なことやったら自分で自分の尻ぬぐえ、誰も助けてくれんで」と日本の国民に語りかけ、それが日本社会の通念として起上げてしまった。儲けれる人間がその立場をとどめるには、儲けれられない人間をそこから動かしたくなかったからだろう。
本来、90年代の個人主義の高まりは、先の通り社会(人と人が共に助け合う集まり)に決して抗うものではなく、先の通りむしろその発展を願ったものであったろうが、資本原理主義者たちの言動のもとに用いられる個人主義は個人を社会から引きはがし、国民に沈黙と絶望を与えてしまったのではないか。「沈黙は金」とは例え言葉であって、決して直接に儲かる,儲からないと関わる言葉ではないはずだ(同様にTime is money.のproverb。)。この沈黙は結局状況として既得権益を持つものを利し、システムの脱却を願った90年代個人主義の高まりとまるで逆な状況をつくりだしているのではないか。
まんべくんの件は、こうした日本社会の有り様を端的に現しているように思う。自虐史観にせよ正当史観にせよ、議論しつづけるという行為そのものが重要であることは、いうまでもない。歴史とは私たちがつくり積み重ねていくものなのだから。
またこうした「他者」への向かい合いを尊重する雰囲気こそ、全てを失い、光明を得ず、路傍にいきつく人々、あるいは教養を得る機会にめぐまれず育った人々をうけいれ、共に生きようという社会をつくりあげていく、礎になると私は信じる。
抗議?そうだ、抗議だ!
・毎日毎日韓国人を紹介するテレビはどこの国のテレビなんだ(そうだ、日本だ)
・日韓でなく、韓日。米日・露日とでもいうのか?いわないだろう、おかしい。
お台場合衆国に来ている観光客だって、薄々おかしいと思う連中が多いはずだ。
隣の参加者はこう声を張り上げた。
「そんなことより、朝鮮人を捕まえろよ。お前達がちゃんとやらないからこうなるんだよ。」
朝鮮人が嫌い?思想信条の自由はこの国で保障されているからそう思うのは自由だ。
でも、それって声を張りあげることか?韓国に偏ったテレビ局への抗議デモじゃないのか?
警察官は注意しただけで去った。肩でもつかんだらとんでもないことになったかもしれない。
ほどなくフジテレビへ皆が出発した。
すごい、どんどん人が増える。体感だが、潮風公園を出発した列がフジテレビ前に着いたとき
人数は1.5倍にはなったのでは?様子見だった2ch住民が次々列に加わったのだろう。
列の先頭がフジテレビから道路をはさんだ向かい側に差し掛かったとき、声は一段と大きくなった。
フジテレビの観光客がどんな反応をしているのか、興味があって先回りした。
フジテレビ前の観光客はざわついていた。反応のほとんどは「何?何が起こったの?」
「ああ、なるほどね。。」
あるカップルの彼氏がつぶやいた声を聞いて、道路を渡り、列の先頭に報告した。
「悪いけど、ぜんぜん観光客に伝わってない。これじゃただ喧しいだけだ。
メッセージはシンプルにしないと。でも日本人が出演した~は伝わっているみたいだ。」
「何いってるんだ、わからなくったっていいんだ。とにかく、フジテレビに不満があることを伝えればいい」
確かに先頭の黒シャツはこう言った。
ああ、これはダメだな。目的がただ単にフジテレビ前で騒ぎを起こすことになってる。
これじゃ観光客には伝わらない。(どうせフジテレビは聞く耳を持たない)
フジテレビ潰れろ!っていったって、何ソレ?になる。
もう離れようと思ったが、最後まで見届けようと思い、そのままついていった。
最悪だったのは10人程度いたガラの悪い連中だ。(念のため書くが、ほとんど大勢の人は理性的だった。)
彼らは大声で考えられる限りの罵詈雑言を繰り返していた。
フジテレビをぐるりと回り、裏門に達した時がひとつのピークだった。
「フジテレビは潰れちまえ!」「捏造を繰り返しやがって!」「売国奴!」
彼らはフジテレビに向かっていってたのだろう。
しかし、裏門にはお台場合衆国に来ていたたくさんの観光客がひしめいていた。
彼らはカキ氷を食べ、ホットドックをほおばり、次はどこいく?と相談している普通の日本国民だった。
フジテレビに向けた罵詈雑言を自分達に向けられていると勘違いする人が大勢いた。
一様に顔をしかめ、あからさまな敵視も感じた。怖くて泣き出す子もいた。
一緒にいるのが恥ずかしくなった。
彼らの楽しみを奪う権利、オレ達にあるのか?
親子連れが多かった。夏休みの思い出作りにテレビで盛り上がっているテーマパークに来たのだろう。
フジテレビは憎たらしい。だが、お台場合衆国にいる観光客に罪は無い。
目的を単一にすべきだった。
韓流の押し付けはやめろ、韓国人ばかり毎日出すのはやめろ、それだけでよかった。
統一が取れてないから、それぞれ好き勝手なことばかりしゃべり、多数の観光客に不愉快な思いを
させただけだった。(これも念のため書くが、デモの目的を正確に理解し、拍手を送っている人もいた。)
デモは21日もするらしい。だが、彼らが21日に来て同じことを繰り返すなら、絶対にすべきじゃない。
目的を単純化して、ひとつの強力なメッセージだけを伝えるようにしないと、
デモ参加者のイライラ解消しても、観光に来ている多数の人にイライラが発生してしまう。
もう少し、うまいやり方は無かったのか。やはり、最初に声をあげて仕切るべきだったのか。
主催者でもない運動などしたことが無い人間が仕切れるわけもない。
悶々として酒を飲んでも眠れない、日曜日の夜。
はーーい、じゃあ
統計も根拠もねえのに
「意志薄弱理性薄弱のクズはボクチンだけじゃないもん!みんなそうだもん!」
いや、クズはお前だけだよw
百歩譲ってお前の生活圏やお前と知り合うレベルの人間は同レベルのクズなんだろう。
チャンスがあれば女レイプして「男だもん仕方ないよね、テヘッ」で通る文化圏なのかもしれない。
でもそれを男全体に広げられたら迷惑だわ。
何言われてるかぐらいわかるよな?
また発狂してどっから出たのか不明な関係ない話長々始めないでくれよ?
「ボクチンがこの漢字読めないからこんな字難しすぎるんだもん!みんなも読めないもん!」とか
「ボクチンはパチスロしか人生の楽しみがないから、パチスロ無くなったら日本国民全員人生の楽しみなくなるんだもん!」とか
そういうレベルの発言だよね。
まあこういう破綻したこと言い出す奴って
言いにくいけど、頭悪い、視野の狭い、学歴のアレな人…に多いんだけどさ。
いや、君の学歴とかは決め付けるつもりないし
フジテレビの韓流推しがすごいことになっている。私的には、あれはとにかく否定した方が良いと感じる。「幼稚な批判カッコ悪い」「嫌なら見るな」という論では済まない。なぜならば「電波は国民の財産」であり、民間企業であろうと公共性を持たなければならない。
「公共性とは何か?」。それは「共通の利益」「共有財産(公共財)の維持管理」「共有する規範(常識)の創出」「共通の関心事(ニュース)などの伝播」などが挙げられる。このことから、フジテレビが行っているのは、明らかにサブリミナル的に韓流を押しつけるという「恣意」と「自己都合」によるものだ。我々国民全体が「共通」として韓流を全面に推したいというのであれば、話は別だ。しかし、そんな話は聞いたことがない。あればご一報お願いしたい。
そして何が一番の問題かというと、それは今後起こりかねない「事実の捏造」だ。サブリミナル的に韓流推しが成功した場合、その次はCMやドラマで前面的に韓流を推すだろう。そしてCMの内容やドラマの内容は韓国が良しとする、日本とは異なった歴史や思想ということも十分に有り得る。
内容や時代背景、文化は日本そのものだが、核の部分は韓国の思想ということが有り得るのだ。ドラマやアニメで流れた情報が、現実に起こった歴史と勘違いする人もいる。実際はストーリーを盛り上げるための脚色であってもだ。しかし、その脚色が何度も流れると、そういう意識が植え付けられるだろう。そこまでいくには多くの時間が必要であろう。しかし、そうなるともう遅い。
賢人がどんなに日本の事実を叫んでも、その声というのは一部の人にしか届かない。また、そんな声が一般に届いたとしても、韓流推しの御用賢人が一声で覆されることも大いに可能性としてある。
私が書いたこの内容は、本当に日本国民がどうしようもないバカであったときの未来予想だ。韓流推しに勢いよく流された場合の話だ。この記事を書いたのは、愛国心のためではない。我々の苦労の末、いまの日本がある。君らの親、祖両親、その先の親族。そんな人たちの苦労の積み重ねで、いまの我々がいるのだ。そんな苦労をねじ曲げられたり、無かったことにされるのはバカげていると思わないか。積み重ねたものが全て良いものかというと、それは違うだろう。日本にも残念な歴史がある。しかし、それを顧みたから、いまの我々がいるのだ。
韓国の偽剣道などが話題になった時期もあったが、あれは結局、我々の先人達が苦労して編み出した精神や技術を踏みにじるものなのだ。他の分野でもそういうったことは許されないだろう。苦労の末に得た独自の富を「あっ、それ私達が先に見つけてたんだよね」と嘘をつかれ持って行かれるようなものだ。そうやって日本の富を削り取り、自分たちのものにしていく。
今一度、テレビ局として、我々としての「公共性」を考えるべきではないだろうか。