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2024-04-25

anond:20240425165849

要約。

この日記は、29歳の男が、友達結婚飲み会出来事によって、相当気持ちが揺れてる感じやねん。

友達結婚して、自分結婚願望や自己評価社会的地位について考えさせられて、なかなかモヤモヤしてるんや。

それに、飲み会女の子男の子ちょっとセクシーすぎる振る舞いしてるのを見て、自分の性欲やモテなさについても深く考えてるみたいや。

自分人生観価値観についてもめっちゃ悩んでるみたいで、それが日記にもぶつけられてる感じやねん。

生きづらい哀れなオス

29歳男性のこじらせ日記。よかったら読んでって。


直近こじらせたきっかけは多分2つ。

1つめは大学来の親友結婚報告を受けたこと。

2つめは飲み会の場で男も女も下心丸出しで異性にべたついているのを見て、なんかいろいろ気持ち悪く見えてしまたこと。


それぞれのきっかけと自分精神状態思考方法思想、そういったものを絡めながら言語化していく。


大学来の親友結婚した。彼がもうすぐ結婚するであろうことは、なんとなく察していた。

彼の家には社会人になってからもよく遊びに行っていた。洗面所にはずっと歯ブラシが2本あった。

彼に彼女いるかは聞いたことがなかった。そもそも自分は、友人に恋人がいるのか聞くことが割と苦手だ。

から聞かなかったけど、長いこと付き合っている風だし、もうすぐ結婚すると思っていた。


先週あたりにその連絡がきた。普通にしかったし、本当にめでたいことだと思った。

ただ、恋人がいない自分のことをやはりネガティブに捉えてしまう。「結婚」というワードは、いまだに自分に対して大けがを負わすらしい。


匿名で書き込んでいるか説明しておくと、私は一昨年末離婚している。当時27歳だった。

1年保たずに空中分解した自身の情けなさに対して、当時は大いに病んだ。

そこから恋人はいない。結婚願望が自分の中にあるのかは正直分からない。


ただ自分あさましいというか、自分が叶えられなかった幸せ他者が、それも境遇が近いような人が掴もうとするその姿を、100%の祝福で見ることができない。

どうしても羨望とか嫉妬とか、そういう感情コンタミする。それに端を発し、また自己否定フェーズに入る。


我々はそれなりにいい大学卒業した。もっと自分留年して学部卒、友人は修士卒なんだけど。

学歴至上主義否定できない現代日本で、母校の新卒カード結構な効力を持っていることを、今なら知っている。

ただ当時はすべてがアホらしかった。ガクチカとか資格とかTOEICとか。自分は専門を活かしつつ、会社雰囲気が良い小企業入社した。

社内環境には本当に不満はない。同世代の全国平均以上の給料ももらえているし、友人と飲みに行ったり遊びに行ったりするくらいの余裕はある。恵まれている自覚はある。

ただやはり、新卒カードを上手に切った同級生たちは、名だたる大企業就職して、それなりに稼いでいる。

経済的に羨ましいとは思うが、努力した彼らとそうでない自分の差を無視し、一方的に羨望することはお門違いだと承知している。だから他人を呪ったりはしていない。

ただ、自分生き方の下手さにほとほと愛想が尽きて泣きたくなる。

社会人になってからは、老後とかも見越した資産運用を始めたりしたが、学生の頃は本当に刹那的に生きていたと思う。その結果を今になってまざまざと見せつけられているに過ぎない。生きるのが下手くそすぎる。


からそうだ。

第一子として生まれて、親との喧嘩も何度もしてきた。言葉を文面通りしか捉えられないような節があることも自覚している。愛想のよい会話も苦手で、可愛げがないと何度言われたことか。

弟はそのあたり非常にうまくやっている。ユーモア大人を笑わせ、親が望むような労いの言葉を見逃さずにかける。そういうのを見るたび、やるせなさが募る。


幸い、頭だけは良かった。特に物事法則性を見出す能力に優れていると思う。まあ、自分より優れた人間なんて掃いて捨てるほどいるんだけどさ。

から勉強には困らなかった。自分の身の丈に合った環境に身を置くことが幸福につながると信じていたから、特に苦労しないで入れる高校大学に進学した。

そこで出会う友人たちは、どことな自分と同じところがあった。頭のデキとか、公立故の家庭環境とか。そんなに大差ない半生を送ってきたんだろうなって。


ただ、社会進出孤独だ。それまでの半生の判決が下されるような感覚

特に何もなさなかった自分と彼らの差は、いったいどこで決定的になったのだろう。

俺は知らなかったんだ。そんな判決が下る日が来るってことを。

頭がいい友人はみんな気が付いていた、早い奴は高校生のころから気付いていたと思う。そのあたりは、本当に馬鹿だなって今でも思う。


自分にもポテンシャルはあったはずなんだけど、どこで失ってしまったのか、または持っていると錯覚していただけなのか…。そんなことを考えて少し病んだ。

まあ、優秀な同級生自分の対比はよくやってる内省テーマから、大きくこじらせることはないはずなんだけど。





続けて、先日の飲み会の話。

その飲み会には酒癖が悪い女の子が来ることになっていた。みんなそのことを知っている。

酔っぱらうと、男との物理的な距離ゼロになる。

自分飲み会の前までは、隣にその子が来てベタベタされたらラッキーくらいには正直思っていた。

ただ席が割と離れたので、なんとなくその子の周りを見ていた。


案の定、男が寄って行った。男がトイレ等で席を立つたび、他の男が代わる代わるやって来た。

それが素直にきしょいと思った。彼らと同じことを考えていた自分もきしょいと思った。

どいつもこいつも、「自分は介抱しているだけで、下心なんてありませんよ」みたいな顔して近づいていく。なんかそれが無理だった。

もうおっぱい揉んだりキスしたりしろよ。その方が素直だよ。もっときしょいけど。

自分よりイケてない(と自分勝手に思ってる)やつが、その子イチャイチャしてるのを見て、なんか正解が分からなくなった。恋愛とか人生とか、そういうのの正解。


の子彼氏いるんだけど、なぜこんな行動がとれるのか。

たまたま先日開いたまとめサイトで、「外国人日本人の女をスケベだと認識している」というレスを読んだ。

この女もスケベか。じゃあこのスケベ女にも相手にされない俺はもう終わってますね??(謎理論

自分は、女は淑やかであるべき、みたいな思想を持っている。割と封建的昭和チックな価値観を持っていると自覚している。

からこそだらしない女を見てるとウザイなと思う反面、「ヤレそう(ヤレない)」とも思うし、その自己矛盾気持ち悪いし、そこに群がる男もきもい


うーーーーーん、わからん。べつにその特定個人から好意を持たれたいわけじゃない。


他にも夫子持ちの既婚女性が叫んでたり、恋人がいる男女がなんか楽し気に盛り上がっている様を見ながら、理性とか本能ってなんだろう…と一人沈んでいた。

なんか矢印がいっぱい見えちゃって非常に疲れた。という話。








最近は金の事ばかり考えている。なぜか。

やはりモテる男は顔がいいか金を持っていると思うので。

ならば自分モテたいのか?自分の性欲を直視するのが気持ち悪くて、そのあたりは考えないようにしている。でもこれを直視しないといけない。


モテたい。もっというとセフレが欲しい。

離婚してから性風俗以外で性行為をしていないが、セックス普通に好きなので。

自分セックスに対するコンプレックスもあるが、最終的にヤリたいに帰着する気がする。


恋人とか新婚夫婦って、ほぼ確実にセックスしてるじゃないですか。

死ぬほど羨ましい。そういう愛の確認がしたい。愛がなくてもいいけど。

同棲してます」は、「昨日もセックスしました、今夜もします」にしか聞こえないし、

結婚します」は、「今までいっぱいセックスしました」にしか聞こえないし、

子供が生まれました」は「NNしました」にしか聞こえない。


おかしくなるって。いやもうなってる。なってるからこう聞こえてるんだって

どこでこんなにこじらせた??????

男子中学生レベル100か???

男子中学生男子高校生も、ここまで人生観やライフステージ愛について解像度は高くないと思う。

からこの拗らせ方は、セックスコンプレックスを持った哀れなオス特有のものでは。


風俗行けや」と思われるかもしれないが、安い店はそれなりの嬢しかいないし、それなりに高い店は経済的に厳しい。

からこそ、セフレを作って性的にも経済的にも得をしたいと考えてるんだけど、これは異常者の発想なのだろうか。


言語化しなくても気が付いている自分本心直視するのが本当につらいんだ。なんやこのバケモン。

から漠然と「モテたい」と、万人にも分かる言葉で言い直す。


色々努力したつもりなんだ。

元嫁にはそういった「努力」が足りなかったから見放された節があることも分かっている。

そのへんの1000円カットからカットパーマで15000円する美容院鞍替えした。

眉毛の処理は欠かさずするようになった。

爪磨きを買って爪を磨くようになった。

風呂上りには化粧水とか美容液を付けるようになった。


こういうのを当たり前にできる人もいるんだろうけど、自分はできていなかった。だから努力の一歩目を踏み出した。

ただまあモテない。顔が悪いか会話が壊滅的に下手か金がないか。まあ全部か。

結局、自分でもコンプレックスがある金にとりあえず行き着く。


マッチングアプリモテてる男を見てみると、盛ってるのかどうか知らんが、同年齢の連中は軒並み年収1000万を超えている。勝てないって。

女さんサイドもなんでそんな男がアプリやってるのか考えろよ。よほどの異常者かヤリモクの二択だぞ。

ヤリたいなら知らん。マザーファ●カー。


…で、ごく平均的で顔にも金にも取り柄のない自分は、埋もれていくしかない。

自分が好きになるような同年代女性の大半には彼氏がいる。

正直この歳で彼氏がいない女は、別れた直後かよっぽどヤバいしかいない思っている。

からこそ、自分はよっぽどヤバい奴だという論が成立して萎える。

そしてそのヤバさを自覚できていないから、方向性修正仕様がない。

もしくは高望みしすぎか。





学もある。職もある。顔も終わってない(はず)。

ただこの普通過ぎる男でも、「つまらない」という理由で、加熱した恋愛市場では全く相手にされない。狂ってないか???

というか、自分モテなさを棄却しようと色々論じてるのが情けなさすぎる。

なんのために「努力」してきたのかもも分からん。ぶつかりおじさんになった方が幸せである


弱者男性言動思想を追っているうちに、えっげつないエコーチェンバー引き起こして、思想汚染されている自覚もあるが、生きづら過ぎる。

自分の性欲が本当にノイズしょうがない。ヤリたいのにヤレない哀れなオスでいることが精神的にきつすぎる。

去勢したら楽になれるのか。ただ、生命活動の一端をそこで止めてしまうことのリスクがあまりにも大きいことも確かだろう。

なんかもう詰んでね?

2024-04-22

anond:20240422215327

実際に加害事例が多すぎるから警戒されてるだけで、平和場所では全く警戒されないよ

悪いのは犯罪男と本気で止められない男だよね

犯罪者多数で犯罪対策軽視、スラム街作っといて警戒されて辛いはさすがに甘すぎでは

普通に暮らしてるだけでうっすら警戒されたり嫌悪される

私人逮捕文句言う人いたけどばっきーチャンネル鉄道会社のおじが「あなたたちが放置してるから痴漢蔓延してるんですよね」に「その認識はある」ってはっきり言ってんだよね



女もだよね

人間大体なんらかの成果を上げないと評価なんかされないよ

金がないと彼女ができない?シンママ育児負担を限りなく0にして女の賃金爆上げすれば?経済力のない男と結婚不可能な状況を自分らで自民投票してわざわざ作ってんだしな

人生観が甘すぎでは

只生きてるだけでは価値を認められず特筆すべき成果を上げないと評価されないこと?

2024-04-01

anond:20240401201057

人生観が変わったとは言ってない

衝撃的とも言ってない

◯◯に出会って人生が変わった

ネットで見かける自分語り定番だけど、人生観を変えるほどの衝撃的な出会いってそうそうあるんかい

ある程度盛ってるだろ?やっぱり

2024-03-31

anond:20240331024438

旦那馬鹿正直すぎるのも良くないけど

30代後半での相談所経由とかでの結婚なんでしょ?

お互い性的な魅力も少ない余り者同士のお似合い結婚だったんじゃないの?

 

語れるほどの魅力があなたにあるの?

あなたでよかった」と言われるほどの他者より素晴らしいところがあなたにあるの?

 

あなたもも40歳過ぎてるおばさんなんだからいつまでも10代の生娘みたいな人生観でいたらダメだよ

2024-03-22

anond:20240322174613

大企業勤めや士業で与信が大きい人は買った方が明らかに得。

賃貸の方が得なのは自営業家賃を経費にできる人だけ。

リセールバリューの無い郊外戸建ては損得で言ったら損だけどあれは人生観の話だから金銭には換算できない。

2024-03-20

anond:20240320093951

海外旅行好きの女性って何か特徴ってあるのかな。

そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。

国内海外わずだし、男女問わずだけど。

旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所食べ物を入念にチェックする。

現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動がみられる。

最近では、インバウンド来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。

映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。

旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。

日常との差異体験やよその世界ちょっとだけ繋がったりできたことの証明自己顕示が欲しいのだ。

その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したこと証明するうえでとても重要

このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、

現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。

さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、

東海道五十三次時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。

日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。

ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。

そんな男性立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。

それは、旅先で一時的体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。

旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。


「おもいでぽろぽろ」というジブリ高畑勲監督映画(1991)がある。

都会育ちのOL女性田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、

最終的に田舎暮らし決断するところで終わる。

この映画場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、

いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをしばしばきてきた。

アジアアフリカ中南米で。かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。

「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば

海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。

また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップ意向が高いのに対し、女性男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。

男性女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、

だが!しかし、、、、

果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。

それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。

まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。

突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。

瀬戸内海小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。

あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」

当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、

ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟必要だった。

ドラマおしん」(1983年)も思い出す。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。

そこでは、さらもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイ過酷人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつ小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性共感を呼んだ作品だった。

孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、おしんドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしん過去を振り返るために旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。

アウェイ世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。

「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じるエネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性文化的に育まれものなのかもしれない。

昨今では、結婚就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。

男性は芯がないくせに保守的で臆病だからこそ外の世界渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリホームにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなもの男性社会のものがもっていた。ふるさと家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。

一方、女性は嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界

「嫁ぐ」という習慣、因習宿命からまれた、抑圧される女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。

これはなかなかパラドックスだと思った。

翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイ世界に飛び込むという意味

かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟必要だということだ。

若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分覚悟能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。

嫁ぎ先である日本社会日本人男性漠然失望している場合

希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイ世界で生きる宿命ならば、

いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚深層心理にあるのではないか妄想する。

一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というもの概念として存在していた時代都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀)は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。

かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。

「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」

この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイ世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。

なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、温かい視線旅人である自分に向けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテン寅さんとほぼ同じ世界観だ。

そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。


民俗学者宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人考察した文章のなかで、そうした旅人

地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域活性化寄与する機能果たしていたことを、

世間師という言葉表現した。そんなことも思い出した。

世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。

嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会リーダーシップをとっていかなければならない男性潜在的意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。

かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。

男の旅というのは、ちまちましたもの火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。

しかし、この四半世紀、女性社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性模索する時代になった。

テレビドラマも、90年代以降、女性社会進出を反映して、トレンディドラマ代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストラン食事する、みたいなシーンが増えた。

東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマ世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。

しかし、現実女性社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性役割押し付けられていたのが現実だ。その現実90年代ドラマショムニ」でよく表現されていたように思う。

しかし、時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。

中長期的には東京一極集中トレンドは変わらないものの、それは不動産価格トレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省必要な人というのは減っているのではないか首都圏の人は首都圏世代を重ねるし、地方の人は地方価値見出し仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方ふるさとホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。

そうなると、都会の人間地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。

その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、女性理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。

一昨年のドラマファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業テーマ女性自画像模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。

ファーストペンギン」のように地方移住テーマにした作品は、アウェイ環境女性ポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。


そんなことをおもった。そもそも旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。

とりとめもないメモです。

2024-03-11

難関大学中退者には性犯罪者と同じ評価を下す

性犯罪者に対する社会の風当たりは厳しい。 最近四谷大塚講師Mが女子生徒をロリコン性犯罪者グループに売ったことで 中学受験業界全体が揺れている。 Mはおそらく大した罪には問われないだろう。 だからこそかも知れないが、「Mを死刑しろ」という声が絶えない。

なぜだろうか? それはきっと、以下2つの理由によるものだろう。

1.性犯罪社会にとって危険である

2.性犯罪者はどうせまた再犯する

1は自明だが、2の理由はなんだろうか?

そもそも犯罪者とは何だろうか? それは、犯罪を冒した人間のことである。 ではなぜ人は犯罪を冒すのだろうか? それは、犯罪を冒すことがその人にとって有益だと判断されたからだ。

ふつうの人は犯罪を冒さない。 なぜならば、犯罪を冒さなければ平穏生活が手に入るからだ。 言い換えると、ふつうの人の中では平穏生活が手に入ること > 犯罪を冒すこと という不等式が成り立っている。 しかし、犯罪者にとってはこの不等式が逆になっているのだ。 特に性犯罪のように意思を持って行わなければ成立しないもの場合はそうであるといえる。

この不等式は、ふつうの人にとっては絶対に逆にならないものだ。 でも犯罪者にとっては逆になっている。 これが何を意味するかというと、犯罪者は明らかにふつうでない感覚、あるいは人生観を持っている ということだ。

なぜだろうか? それはきっと、脳の気質レベルでなにかがふつうではないからだろう。 だから犯罪者のこの気質修正不能であり、 犯罪者はどうせまた再犯するということになる。 事実性犯罪者再犯率は極めて高い。

対象者のうち,調査対象となった性犯罪事件裁判確定から5年が経過した時点において服役中等の者を除いた1,484人について,罪名は問わずいずれかの再犯を行った者の比率である再犯率は20.7%であった。性犯罪再犯率は13.9%であり,全再犯を行った者のうちの約7割を占めていた。

昨今、東大京大といった難関大学中退する人間が目立つようになった。 SNSの影響うんぬんの前に、はっきりいって、頭が悪いんだろうと思っている。 ガイジと言っていい。

大学を22歳で卒業し、大学院を24歳で卒業するストレートに失敗する要因としては、 浪人留年中退の3つがあるが、 このうち就職における影響は、大きい順から 中退留年浪人となる。

中退は、そもそも高卒と同じ扱いになっているからというのもあるが、 特に難関大学においては別の理由もある。

難関大学卒業して、例えば京大卒になることと、 中退して高卒になることには大きな開きがある。 人生は全く違ったものになるだろう。 しかし、彼らはそれを放棄して中退という道を選んだことになる。 つまり彼らは、難関大学卒業して輝かしい学歴を手に入れることより、 中退して勉学の苦しみから解放されることを優先したのだ。 これは明らかにふつう感覚ではない。 これらの高みにたどり着くために、多くの人は子供の頃から塾に通い、 時には泣きながら勉強して、 それでもなお届かずに諦めたのだ。

日本大学卒業することはそう難しいことではない。 だから、あと少しだけ努力すればその高みに届いたはずなのに、 それすら辛いという理由放棄して中退してしまったということになる。

これは、平穏生活を手に入れることを難関大学卒の学歴を手に入れることに対応させて、 犯罪を冒すことを中退して楽になることに対応させれば、 性犯罪者論理と全く同じことに気づくだろう。

難関大学中退する人間は、大抵の場合仕事が出来ない。

これは以下のような理由による。

まず、仕事をするためにはそのプロダクトなりビジネスを ある程度はジブンゴト化する必要がある。 難関大学中退者というのは、自分人生という最重要プロダクトすら まともにジブンゴト化出来ずに放棄した人間であり、 このような人間が しょせんは他人定義したプロダクトなどをジブンゴト化することが出来るはずがあるだろうか(いやない)。

次に、なぜ彼らが大学中退することを選んだかというと、 これは大抵の場合勉強が嫌だったからだ。 彼らは多く場合アスペルガー気質があり、 好きなことはとにかく熱中するが、嫌いなことは絶対にやらないという 傾向がある。 このような傾向は、仕事をする上では致命的となる。

一方でふつう人間というのは そのような近視的なもの見方はせず、 より高い視点物事を見ることが出来る。 つまり自分人生にとって卒業ないし学歴がどういう価値があるかという包括的視点ものごとを見ることが出来るから、 興味のない科目や授業があったとしても、ある程度は受け入れることに成功し、 単位を落とすまでには至らない。

最後に、彼らは努力出来ない。 これは、嫌いなことに対して努力することが出来ないということでもあるが、 彼らは内心、中退したことを悔いている。 この後悔は、履歴書門前払いされるごとに深くなっていき、 次第に、こんなはずじゃなかったという思いに支配されることになる。 世の中のほとんどの大人は、もっと勉強して少しでも上位の大学に行けばよかったと後悔しているのである。 であれば、大卒になる権利すら自分放棄してしまった人間の後悔というのはこの比ではなく、 場合によっては自分を認めない社会に対する恨みすら抱くようになる。

このような人間は、中退せずに難関大学卒業した人生と、今の人生比較してしまい、 今の人生をこれ以上改善しようとは思わない。 なぜならば、その努力は、前者の場合に比べて報われる可能性が低いと考えるからである池江璃花子白血病から立ち直り、世界水泳に出場するまでに復活をしたが、 大抵の人間白血病になったら、仮にそれが治ったとしても、またトップレベル選手を目指そうとはならない。 なぜならば、白血病治療において抗がん剤放射線治療をした影響によって 自分身体は確実に弱化しており、努力しても虚しいだけだと考えるからである。 こうした状況において最大の努力をしてトップレベルまでカムバック出来るのは、 池江璃花子池江璃花子からに他ならない。 ふつう人間は、今日ほんの少し疲れているだけでも、今日はお休み明日から本気出すと言って それを繰り返すものである

では、低学歴はどうだろうか。 低学歴も、高学歴になることを諦めているのだから、 同様の論理適用出来るのではないかと思うかも知れない。

その考えは、大体は合っているが、性犯罪者というほどにはならない。

東進林修は、最後の授業においてこのようなことを言うらしい。

「これから一ヶ月間、必死勉強しろ必死勉強すれば、結果がどうであれ、人生の糧になる。 必死勉強しなければ、結果がどうであれば、 自分は一ヶ月間すら必死努力出来ない人間なのだと 生涯苛まれることになる。」

この論理学歴の高低に適用すると、 仮に必死勉強した結果が低学歴なのだとしたら、それは別に構わない。 しかし、必死勉強せずに低学歴なのだとしたら、その人は確実にだめだということになる。 ただ残酷なことに、最大に努力した結果低学歴なのだとしたら、 それはやっぱりだめということになるから結論として低学歴はやっぱりだめということになる。

実際、使えるか使えないかは概ね出身大学偏差値と相関がある。 特に論理思考力など仕事をする上で重要能力は、 低学歴の人には備わっていないことが多い。 生まれつき知能指数が低い場合受精しかやり直すしかないが、 そうでない場合でも、思考力というのは思考しなければ養われることはない。 難関大学問題思考力を要求するため、受験生の中には その訓練のために難問を何時間も考え続けたという経験をしたものが少なくない。 中学受験出身者の論理思考力が高いのは、膨大な量の論理パズルを幼少期に訓練しているからだ。 だから低学歴基本的には使えない。

しかし、その使えない度は、難関中退者よりはマシだとは言える。 大学受験は時の運もあるし、環境によって十分な準備を出来なかった人もいるだろう。 それに、大卒高卒の差に比べれば、大学偏差値の高低はそこまで大きな問題ではないから、 誰しもが最大限の努力をするという前提には無理がある。 実際、マーチ関関同立レベルで十分に高学歴という価値観を持っている人の方が大多数であることは間違いない。

から偏差値が低い大学出身人間でも、 大学に入ってから努力をして、そこから伸びてくるというケースはある。 しかしそれは決して一般的ではない。

2024-02-27

anond:20240227121042

その店はじめて知った。

いやー、本当に東京は新しい店がどんどんできるね。

そんなに立地がいいとは思えないのにGoogleマップ評価めちゃ高いやん。

コーヒーは好きだけど人生観変わるレベルで美味しいコーヒーはまだ一度も飲んだことがない。気が向いたら行ってみようかな。

しかHARIO V60ドリップスケールって中身がドリテックですげえ使いにくいし壊れやすいのに業務用として使ってる店があるのねえ。

デザインがいいからかな。

2024-02-21

ブックサンタしろ寄付しろフードバンクしろ虫唾が走る

賃金に結びつくことをしろ

稼げることをしろ

現代の衰退する日本ではみんな少しの余裕もないんだ。

自分でどうにかできない奴なんて老若男女問わず見捨てろ。

大学生の甥っ子も最低時給で学習支援ボランティアみたいなことをしている。姉も甥も人生観が甘過ぎる。最低時給で学習支援ボランティアなんてやってクズ親のクズガキの面倒見るくらいなら予備校学習塾でアルバイト始めてくらいついて人気講師になって稼げ。

慈善事業なんてこの世から無くなれ。

慈善事業の施しを受けてるやつも提供する奴らもみんなムカつく。

消えろボケカス

今日仕事頑張って自分で稼いだ金でねぎ牛丼とスト缶買って、自分家賃払ってる部屋で寛ぎながら晩酌楽しむぞ。

2024-02-17

ネトウヨ保守に対するペナルティ

障害者の世話を10年間義務ずけること

完璧に世話を続けるうちに人生観が変わる

2024-02-05

anond:20240205071133

『しあわせをたしかめる』のも、『ふしあわせをたしかめる』のもって、

そんな言葉が素で出てくる人の人生観他人に寄せる感情、ほんと怖い

なんでそんなに他人に対して復讐心や見下し心があるんだ?

『ご機嫌な人生を歩んでますように。また会えたらいいね』とかで結んじゃダメなの?

 

たとえば、これを↑ 下記↓のように置き換えればわかりやすいと思うけど、なんでそんなこと気にしてんだ?ってなるだろ

『金に余裕があるかをたしかめる』のも、『貧乏かをたしかめる』のも、

『髪に余裕があるかをたしかめる』のも、『ハゲかをたしかめる』のも

2024-01-31

沈黙自由

https://anond.hatelabo.jp/20240130130430

沈黙自由あるかないか」と考えたら「ないはずはない」「ない理由がない、あるはず」ってなるはずで、実際に調べたらやっぱりでてきた。

沈黙自由

ちんもくのじゆう

一般には,自己思想もしくは良心について表明することを強制されない自由とされ,日本国憲法 19条保障する思想もしくは良心自由の一内容とされる。その場合,通常思想もしくは良心とは人格形成の核心をなす主義世界観人生観などを意味するとされるから一般道徳上,常識上の事物の是非の判断事実に関する知識などは,沈黙自由の内容に含まれないことになる。なお,信教の自由 (20条) からも同様の自由が出てくる。

沈黙賛同と同じという考え(相手に何かしらの意志表示を強要すること)はこの沈黙自由に反しているのではないだろうか。

後半何言ってるのかわからないけど。

2024-01-17

あ〜〜暗殺者キャラかっけえ〜

仕事に私情を持ち込まないのに

倫理観が尽く欠如してて、そのクセ自分なりの人生観というか芯はしっかりあって

無茶な殺しの依頼にも顔色変えず眉一つ動かさず淡々とこなして

一々誰かの正論に揺さぶられないで

依頼者に対して

「一番死ぬべきはお前みたいな奴だけどな」って心の奥底では見下してて

誰かをみだりに敬うことはせず、命の軽さを知っているからこそ神に祈ったりはせず

とは言え自分の腕の中で正に今生を終えようとしている儚き命には多少同情が湧いたりして、

何も言えないまま抱き締める力だけ込めたりして

自分人生に関わらせた事を後悔しながら心のしこりとしていつまでも抱え続ける

暗殺者キャラかっけえ〜〜

2024-01-14

anond:20240113205718

増田は正しいよ

インドア系の男性馬鹿にしてただろうことが想像できるし、人生観人間性が合わないか離婚すべき

話し合いとか言ってるやつはナンセンスすぎる

2023-12-19

俺は明日アナル専科へ行く

人生が変わるほどの体験ができるらしい

人生観が変わったらここにレポート出そうと思う

ただ読まれないと悲しいので、読みたい人がいればだけど

読みたい?

2023-12-06

anond:20231206102002

彼が実子におこなった名付けに関する批評は彼が経験してきた血縁関係の無い兄弟との死別という人生観から辿らないとできないんやで

2023-11-27

[]11月26日

ご飯(自炊パワー充電中のため食生活適当)

朝:生ハムチーズワインピザ。青豆。ポテト。昼:なし。夜:ラーメンライスキムチ。間食:ポテチチョコ

調子

むきゅーはややー。お仕事は、おやすみー。

○死噛~シビトマギレ~

・はじめに

心霊ホラーシリーズ第三弾となるアドベンチャーゲーム

1作目死印の主人公とその仲間たちが新たに高校に潜む怪異と立ち向かう展開で、2作目NGとはうっすら繋がっているものの、死印の続編色の方が強い。

前作、前々作と骨子は同じで、非業の死を遂げた人間の残した無念が怪異となって事件を巻き起こすホラーエピソードが展開する。

システム面ではかなり変化していて、移動画面や探索画面がDRPG調からスクロール(トワイライトシンドロームっぽい)に変わっていたり、怪異との対峙におけるTRPG的なフレーバー要素がちゃんシステムに組み込まれている。

あくまテキストを読むのが主体でそのような要素はオマケなのだけど、ホラー作品らしい恐ろしい雰囲気作りに一役買っている。

昼間の当たり前な日常高校が、夜には恐怖に満ちた恐ろしいオカルトスポットに変貌する差が面白いところだ。

ホラーな恐ろしい何かではあるが理解不能な化け物ではなく、人間が残した無念な感情がその化け物の根幹にあるため、それを理解することで事件解決できる点は今作も同様。

なので、人間を逸脱した怪異現象が起こるものの、怪異との対峙のために必要情報収集推理、考えるパートミステリ的な楽しみもある。

ファンサービス要素は薄め

前作の主人公と仲間たちが大勢登場するも、ファンサービス的な側面はかなり控えめ。

スチルや印象に残るエピソードも少なく、中には登場しない仲間もいる。

このバランス感は難しいが、その代わり新キャラ達の掘り下げはしっかりしている…… というわけでもないのが悩ましいところ。

各々のエピソードは前作でやり尽くしている…… とも言い難く、この辺はハッキリとボリューム不足を感じたところだ。

僕が大好きな真下さんは、主人公相棒ポジションガッツリ食い込んでおり、互いの人生観などを語らうパートもあるので、個人的キャラ萌え目線では良いところもあった。

・様々な恋愛の形のエピソード

死ぬ間際の強烈な心残りが怪異という異形に生まれ変わる設定なのだけど、今作は悲恋エピソードが多め。

怪異人間が残した無念である設定は同じであるものの、この恋愛にまつわる心残りが多いことから、今までは少し違った読感になっていた。

過去作では正直少し突飛な前提や心残りが多く、あくま都市伝説怪異な側面が多かった。

今作は亡くなった恋愛の心残りを解きほぐす展開であるため、より怪異過去人間だったときの側面の掘り下げがされていて面白かった。

特に僕が好きなのは第二章トイレ華子

学校のジメジメした陰湿な展開ながらも、恋愛気持ち関係性でそれに立ち向かう様が良き。

とはいえ、このゲームホラー悲劇陰鬱とした作品なので、希望があっさり打ち壊されてしまうのが悲しい。

怪異はもちろん悪いやつなんだけど、そこに至るまでの人間の悪意も大概にイカれている逃げ場の無さがまさに心霊ホラーシリーズらしい良いお話だった。

そんな恋愛にまつわるエピソードは、怪異だけでなく、典型的朴念仁キャラ主人公恋愛なやり取りに組み込まれしまうのが全体的なホラーな恐ろしいストーリーの中で清涼剤的な役割果たしてくれる。

・絹川みちほが可愛い

そんな今作のメーンヒロイン絹川みちほが可愛い

生徒会副会長ながら不真面目なところがあり髪を独特な色に染めていて、噂好きで人懐っこいキャラ

虫好きという奇妙な一面も持っており、虫にまつわるエピソードの際はこの知識が役にたつ展開もある。

全体的にボリューム不足感が否めない今作ながら、彼女に関してはたっぷりストーリーが詰まっている。

この作品においては深夜のオカルトスポットがどれだけ恐ろしい場所理解していてもなお、イチャコラシーンでは朗らかな気持ちで読めてしまった。

真面目なキャラが多い中、軽口や冗談を言ってくれるので一緒にいて欲しくなるし、序盤から好きな気持ちを隠さずに主人公に接してくれるのも好印象。

ダブルヒロインのもう片方堂領姫子が真面目でツンケンしている対照さとが合間ってかなり好きになれたキャラだ。

・怪医家を自称する決意が沸る

前々作ではされるがままに巻き込まれ、命を守るために怪異と立ち向かっていた主人公

そんな彼が異名である怪医家を自ら名乗り、自分がこれから怪異にどうやって向き合うのかを決意するシーケンスは最高に決まっていて燃えるシーンだった。

怪異医者であることの意味自覚して、何を救うのかを決めるためにも、今作のテーマが“悲恋なのは納得。

シリーズを通して描いていた「怪異の恐ろしさ」と「怪異の無念を生んだ人間の恐ろしさ」の二面を上手く解決する良いシーンで、思わずコントローラを握る手が熱くなって沸る。

かなり難しい苦難の道であることは目に見えてわかっているので、これからもこの異名意味を踏まえて活躍してほしいと願うばかりだ。

・おわりに

死印メンバー総出演のファンディスク…… としてでなく、死印の主人公があの事件を踏まえた上で新たに怪異と向き合うことの意味を考え直す新しい作品として面白かった。

恋愛エピソードが多めなのは最初は少し露骨な媚びを感じてしまったのだけど、絹川みちほの魅力的な立ち回りで一気に物語に引き込まれた。

そして何より怪医家として怪異に立ち向かう主人公が最高に決まっていて魅力的。

それを引き立てる相棒真下さんも、価値観が違い衝突するからこその魅力があって良きだった。

3作目ながらマンネリ感は全くなく、むしろシステムや素材は可能な限り使いまわしてでもいいから、いつもの面々に今作からの面々も加えた新作がまた遊べる日が来ると嬉しいな。

2023-11-16

お前たちに足りてないのはワーク・ライフバランスよりもプレイライフバランス

遊びすぎてるんだよ。

遊ぶことに取り憑かれすぎている。

人生を楽しまなければいけないという広告業界洗脳人生観が完全に押し潰されてしまっているんだ。

ただそれなりに暮らしたいだけなのに必要労働量が多すぎることを嘆いた時、それを変えられる人間のほうが少ないんだ。

共働き絶対的スタンダードになっているわけでもないのだから家族全員分の食い扶持を一人で稼いでる人が大勢いる。

彼らがパートタイム並の労働時間と給料になったら家族全員が路頭に迷う。

フリーターなんて結局は自分一人養うので精一杯だ。

家族3人4人、時には5人6人を一人で食わせていくために必要仕事アルバイト情報誌には載ってない。

降りられないデス・レースに組み込まれることでしか家族を守れない人が大勢いる。

彼らに「君ね。君の人生の悩みはワーク・ライフバランスが壊れているからだよ👆」なんて指摘した所で救いなんて起きねえんだ。

でもライフをなんとか守らねえとならないとき、まだ捨てられる荷物がある。

遊ぶことだ。

酒を断ち、ゲームをやめ、ドラマも見ない。

そんな人生意味なんて無いから辞めたほうがいいなんて一々他人が引き止める声を聞いちゃ駄目だ。

息抜きをしなければいけないという強迫観念こそが息抜き邪魔しているんだ。

飽き始めたスマホゲームがなんであんなに疲れると思う?

強要されているからだ。

遊ぶことを強要されてしまえば、それはもう第二の労働なんだ。

ワークとライフを切り分けるためだったプレイはいしか第二のワークとしてライフを痛めつける敵となる。

焦るな。

幸せになろうと思いすぎるな。

遊ぶことを手放せ。

ふと振り返った時、仕事して飯食って風呂入って、たまに家族雑談するぐらいの1年だったことを後悔するな。

それでいい。

無理に幸せになろうとするな。

野生動物はそれで十分やっていけてる。

日中駆けずり回って飯を食って、家族と過ごしてあとは死ぬだけだ。

それでいい。

人生の最小単位はそれでいい。

底辺レベルを上げすぎるから自分底辺未満を生きていると思い込む。

人生に多くを求めることを一度辞めろ。

2023-11-13

anond:20231113202348

普通に人生観とか価値観合わんだろ……となる

若い子の選択肢狭める罪悪感無いのかとも思う

2023-10-23

偏差値が30以上違う大学に進学したら、中学時代から親友と話が合わなくなった

自分の中のどうしようもない気持ちを勢いで書き殴ります

中学時代からのすごく仲の良い友達がいた。

趣味が合って、毎日メッセージを送り合ってしょっちゅう合ってお泊まり会も何回もした。

それぞれ別の高校に進学して、お互いそこまで馴染めなかったこともあって、より一層親密になった。

高校時代は住んでいる場所もかなり離れてしまったけれど、時間が空いてさえいればずーっとLINEをして何度も何度もやり取りをして、時間を見つけてはskypeを何時間も繋いで、お喋りしたりだらだら過ごしたりした。お揃いのスマホケースとかもつけていた。

たぶんお互いがお互いを恋愛対象ではなかったんだけど、大人になったら同性婚できる国に行って結婚しようか、みたいなことを話したりした。

共依存関係になっていたと思う。

どっちも東京大学に進学することになって、距離が離れていてもそれだけ親密だったんだから距離が近くて気軽に会えるようになったら、今後もずっと関係が続くと思っていた。

友達偏差値40くらいの大学で、私は偏差値70くらいの大学に進学した。もともと具体的な受験勉強の話はほぼしなかったし、特にこれまでと変わることもないかなと思ってた。

大学入学後もお互いの家には頻繁に遊びに行ったりした。

でも、どんどん話が合わなくなってきた。

もともと私は地元小学校中学校で浮いてて、友達も多くなく、いつも馴染めない気持ちが強かった。しかし、大学に進学したら自分と同じような考え方や価値観を持っている人とたくさん出会えてものすごく感動した。

同じような価値観の人たちの中で過ごす時間が増えるにつれて、どんどん友達との話が合わなくなっていくのを感じた。

とりあえず大学生になることくらいしか考えてなかった高校時代と違って、具体的な将来について考え始める時期になったことも大きいかもしれない。

来観人生において重要視する価値観社会問題に対する価値観政治観など、根本的な考え方がかなり違っていて、話をしていてもいまいち噛み合わない。

将来の進路や夢について熱く語る自己効力感の強い同級生たちとは全然違って、何か大きな夢を抱いていたりチャレンジしたいというような話はなく、会社に望む労働条件に関しても必要最低限さえあればよくて低姿勢だった。

言葉の通じなさも気になるようになった。熟語雑学新聞などでよく出てくる用語など、大学同級生たちだったら当然知っていて通じるような言葉を使った話も、通じない/伝わらないなと気づくことが増えた。

徐々に、将来の話や人生観の話といった、私にとって根本的で重要な話を友達とすることが減っていって、そういう話は大学でできた友達と主にするようになっていった。

大学3〜4年は就活時間を使ってものすごく大変な思いをしたけど、就活の話も、私がどういう企業を受けているのか、どういう選考を受けているのか、進捗はどうかなどを具体的に話すと、自慢のようになってしまうと思って、ほとんど話すことはなかった。

その分同級生たちとは、企業ジャッジされることにピリつきながらも情報交換や悩みの話などをよくした。

この頃には、1〜2週間に数回やりとりする程度で、会う頻度も2ヶ月に1度〜2度くらいになっていた。

さらに顕著になったのは、大学卒業して働き始めてからだった。経済状況の違いがさらに加わって、食べるものや身だしなみ、身の回りのものなども合わなくなってきた。

特に私は食べ物はそこそこお金をかけて美味しいものを食べたいし、お酒料理と一緒に美味しいものを飲むのが好きなのだが、友達ご飯を食べに行く場合は、大幅に予算を下げて、いつも物足りない内容になる。

趣味に対してどの程度お金投資できるかという点でも、どんどん差ができてしまった。

もともと私達の家庭環境には差があって、そもそも金銭感覚もややズレがあった。

私の家は両親はいずれも大卒で家にもお金はそこそこあったが、友達の家は親が専門卒で、お金もそこまで裕福ではないようで、家族で行ってたファミレス旅行の話など、やや差を感じることがあった。

からの小遣いや申し訳程度のアルバイト代をやりくりしていた頃はまだ良かったが、会社員としてフルタイムで働いて稼いだお金を、自分のためにじゃんじゃん使える状況になったら、本当に差ができてきてしまった。

お互いの価値観や取り巻く環境の差が大きくなってしまい、話が合わなくなったこともあるけれども、友達に対して自由に話ができない/できる話がグッと減ってしまったというところも大きい。

私にもっとコミュニケーション能力があったなら、こんな状況でも問題なく話ができたのかもしれないが、私は中学スクールカーストでずっと下位だったコミュ障で、自分に関することや自分にとって重要なことを話そうとすると、友達に対する自慢やマウントになってしまわないか?という思いから、素直に話せない。

逆に、同じような大学を出て同じくらい稼げる会社就職した人や、自分よりももっといい会社で働いている人に対しては、そのような気遣いをする必要がなくてとても楽だ。私にとって「当たり前」にある物事の話を、私は気兼ねなく「当たり前」のものとして話すことができる。行きたい価格帯の店に行ける。

環境が変わってしまうことによって、付き合う相手も変わっていくことは自然なことで、みんなそういうものなんだろうと思う。

友達とも定期的に会えてはいるし、趣味の話に関しては以前のようにできる。

けれども、私にとっても友達にとっても、もう一番親密な相手はお互いではない。同じ東京に住んでいるのに、長距離でも毎日絶え間なくやり取りをしていたあの頃の関係よりも、ずっと遠くなってしまった。

たまに中学時代高校時代の頃2人でいたことを夢で見たりして思い出して、感傷に浸っている。

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