はてなキーワード: マスコミ批判とは
史上3人目だそうで、内閣不信任案を出すの出さないのが1年に一度は出る国からすると大統領制ってのはすげぇなぁと思ってしまう。
なにせ、こちとら桜を見る会だ。首相が率先して買収、さらには反社との繋がりまで疑われている。
大変重要事項である。しかも反社の定義はできないとか、ここまで暴力団対策をしてきた関係者は忸怩たるものがある。見過ごすわけにはいかない。
トランプ大統領の話と安倍首相の話を並べたのは例によって野党とマスコミ批判を書きたかったからである。
つーのもロシアンゲート以来トランプ政権はこの疑惑について対応をしてきたからだ。これは下院などで議論が行われてきたはずだ。
しかし、うちら日本人が日本で見るニュースはトランプ政権の実績ややろうとしていることが報じられる。つまり、政治の話が主になっている。
トランプ政権は移民政策をこうしようとしているとか、対外政策はこうなりそうだとか。報じられないこともあるだろうが、とりあえずシングルイシューではない。
これは大統領制と議院内閣制の違いなのかもしれないが、街頭演説をする野党議員もテレビも桜を見る会の話ばっかりだ。絶対今のうち知っておくべき内容があると思う。せいぜいが大学入試の問題くらいだ。近年に受験を受ける人には同情するしかない。
政権の見通しよりも、省庁の考えが優先されるので見るべきところが発散してしまい、番組的にまとめ辛いとは思うが、それをどうにかするのがプロってもんだろう。
ほとんど話したこともないような奴で京アニに就職したというのも風の噂のようなものだ。もしかすると全く別の会社で働いているかもしれない。
それでも京アニのような名声を集めてやまない企業に、机を並べた人間が働いているかもしれないということは、僕にとってちょっとした誇りになっていた。
あの事件が起こってから彼のことが気がかりだったが、卒業後全く連絡をとっていなかった輩がとってつけたように心配の言葉を周囲に投げかけまわるのは醜悪だと思いずっと黙っていることにした。
京アニにとって僕は一視聴者一ファンでしかない。その僕が心配のポーズをとって感傷的な言葉を撒き散らすのは、関係者や遺族にとって目障りになるはずだ。「本当に悲しい」「犯人を絶対許さない」という類の言葉が彼らの励みになる筈はないし、そんな当事者意識の強い言葉を吐く資格が僕にはあるのだろうかとも思う。僕らは所詮野次馬になるのが精一杯で、京アニと因縁があったヤマカンにすら視線を合わせることができない。僕らが遺族に同情したりあまつさえその心情を代弁しようというのはおこがましいことこの上ない。
応援なり追悼なら募金とたわむけの花で充分。金がないなら近くの寺や教会で手を合わせてひとしきり祈った後で京アニに向けたファンレターにひとしきりポジティブな言葉書いて送ればいい。
なんか勘違いしてね?遺族を疲弊させるのはマスコミじゃなくて野次馬になった僕ら"一般人"なのよ。マスコミはきっかけ作ってるだけにすぎない。
マスコミが被害者情報という餌をちらつかせても一般人が食いつかなければ問題はない。世間にいるのは下衆い奴ばかりということをわかってて、中にはそれを利用するつもりでマスコミは報道していると側面は確かにあるが、遺族のもとに凸ったり誹謗中傷を浴びせたり根も葉もない噂を流すのは結局僕ら側の野次馬である。
心配する声やよかれと思っての情報拡散すら被害関係者にはノイズとなるかもしれない、下手すればそのせいで間違った情報が広まり状況を混乱させるかもしれない。
京アニが今どんな状況か僕は知らない。来年公開予定の映画の進捗状況の詳細や公開の行方、そしてその後の京アニがどんな企画にどんな形で携わっていくつもりなのかに関する確証がある情報は何一つ知らない。僕と同じようなネット記事やSNSから情報を得るだけの一ファンの皆さんもそれは同じだろう。
その程度の人間があたかも京アニは再起不能だと言うような大げさなコメントを投げかけている様子は多々見受けられるが、彼らは自分の言っていることの意味を理解していてその責任を負うつもりでちゃんと発言しているのだろうか。
京アニには焼けたものとは別のスタジオが二つあってそこで70名近い社員が働いていることは流石に僕でも知っている。今回の事件で京アニが死に体になったかように語るのは働いている社員の方々に失礼だし、京アニの経営存続が難しいという印象が一人歩きして風評被害にもなりかねない。アニメーターとすれば9月に公開される新作映画に作品と無関係の事件を結びつけてネガティブな印象を持たれることもなるべく避けたいとも思っているかもしれない。
この事件は遺族の情報が公開されなくてもその分野次馬は京アニという会社や八木社長といった著名な関係者に飛びついていたんだろうと思う。紋切り型の「遺族の心情に寄り添わない傍若無人なマスコミ報道」批判がどれだけ吹き上がっても、京アニという会社そのものが好奇の目に晒されているのではないかと危惧する声はあまり見られない。こういった様を見ると結局僕ら一般人はマスコミ批判の出汁に事件を利用しているだけで、関係者のことなんて本当は考えていないんだろうなとなんともなしにため息が漏れでてしまう。
何か事件や事故が起きるたびに、ネットではマスコミの横暴さや酷さが鬼の首を取ったように取り上げられ拡散される。
被害者への対応や現場での振る舞いなど、確かに、もう少し控えろよと思う事はある。
しかし、マスコミに対するここ最近の総叩き、マスコミ相手には何やってもいいんだという風潮も冷静にならないとやばいと思う。
マスコミをマスゴミと呼び排除したその先にあるのはなんなんだ。
左か右か極端な方向からしか物事を捉えられないネットメディア。
それらだけが生き残った先に、まともな情報が見つけられると思う?
テレビ局や新聞社が持っている組織力や資金力というのは権力云々ではなくて、時間をかけて取材をするのに必要なお金や人の多さでもある。
ちょっとした事件事故を取材するのにどれだけのお金と労力がかかるだろうか。
もちろん、個人であれば組織に縛られない自由な取材、発言が出来ることは大きいだろう。
しかし、大手が発信する情報の責任は、個人による発信の責任の比ではないから、相当の正確さが求められる。
それから、テレビや新聞で報道をやりたい、ドキュメンタリーをやりたいと、その道に足を踏み入れた現場の人達は、少なからずジャーナリズム精神をもっているわけで、それは要するにお前らと似たようにどちらかと言えばリベラルな人達が大多数なんだよ。
それを忘れてはいけないと思う。
他社との競争で取材が過熱してしまうのは、構造上、仕方がない部分もある。
そこについてはメディア同士で取材のルールを厳しく作り直した方がいいと思うし、
結局は個人の問題もあるから、本当に救いようもないクズも業界には沢山いるだろう。
だからといってテレビいらない。ネットで十分とかアピールをしてどうなる?
それは個人の自由だけど、テレビ見ない事をシンプルでスタイリッシュな生き方みたいな感覚で公言する人多いけど、なんなんだろ。
よくメディアを揶揄する画像として出てくる、シルエットの画像あるけど、
https://fhome.hateblo.jp/entry/2018/06/27/161743
コメントでやりあっていいのか、じゃあやろう。
一般的に、匿名だったらなんでも無礼なことをやり放題で、それは「俺たち」のネット空間だから許されるんだ、という極めて歪な、リアル社会では到底通用しない論理で、そういう反論をよこす人間は思考しています。
それを匿名で言ってんの?
わざわざはてなに新規アカウントを取って自分の今までの行動を全部隠蔽した上で?
お前、自分の住所氏名年齢電話番号マイナンバー全部提示できる?
できないでしょ、じゃあお前も匿名じゃん。
自分の本体は汚さないように正体は明かさないけど俺様は高いところからお前らを批判しますよって結局匿名の卑怯者と同じじゃん。なんで自分が運営してるブログでやらないの?
Hatena界隈というか、そこのイジメ、ネットリンチ、誹謗中傷常習犯は、身勝手なので、自分のことを批判されてもその正当性なんて示せるわけもないので、単なる言い訳、自己正当化するだけにきまっています。
決まってるんだ、誰が決めたの?そもそもお前の正当性とやらはどこから来てんの?
俺から見たらお前みたいなどこの誰だかわからん人間が外部からいきなり来て「これがはてなだ!」なんていい出すことについて一切の正当性を認めたくねえんだけどそれでも正当性主張すんの?
ああ、そうなったら「はてなの連中に批判されたでちゅーえーんえーん」とか言って同情引いて相手を悪者にすればいいんだから楽だわな。
本来は、FacebookやTwitterのように、このような状況はHatena運営が厳格に対処して場を正すべきでしょうが、2ちゃんねると同様に、この手の輩には放任主義を取っているようです。
「FacebookやTwitterのように」って寝言ですか?
Facebookで誹謗中傷しまくってるやつなんていくらでもいるしTwitterでも同樣、と言うかTwitterなんて複垢やなりすましのオンパレードで嘘やデタラメで相手を凍結させられたり個人情報バラマキされたりで完全な無法地帯なんだが。
はてなは何もしないって言うが、俺は今日個人情報を含むブコメを削除依頼出して当日中に削除してもらったけどな。
増田(はてな匿名ダイアリー)は個人に対する記事は本人からの申し出があればほぼ無条件に削除対象だし、実際に削除させたことも何度もある。
あ、あとFacebookもTwitterも匿名でいくらでもやれるから。
ここは一発で論破できる。
お前が引用してる増田、逆恨みや鬱憤ばらしのために書かれてる可能性もあるだろ、それこそお前が批判してる歪ななんとかかんとかのもとにおいて。
それなのになんで「ほらみろ!増田はこういう事を言っている!俺様の主張通り!増田がこう言ってるんだから増田はダメだ!」みたいな自己矛盾起こしてんの?
お前結局都合のいいますだと都合の悪い増田を選別してるだけじゃん、お前も十分卑怯者だしよくそんなので長文書こうという気になったな。
松本英光氏の義憤は、いじめやネットリンチを憎悪する一般的社会の健全な価値観そのものであり、殺害動機となる義憤自体の妥当性、正当性と、実際に犯した犯罪とは問題を分けて論ずるべきで、義憤は正当であること
これも同じ。
正当な義憤と正当じゃない義憤をお前が勝手に選別して「これは俺の意に沿った義憤だから正当!そうじゃないやつは不当!」って勝手に判断して選別してるだけじゃん。
もっというとお前がはてな叩くために無理やり低能先生の義憤を正当化して利用してるだけ。
低能先生もお前みたいなどこの誰だかわからん人間に自分の義憤を正当化してもらおうなんて思ってねえだろうよ。
いや、でも駄目だよ、結局人殺しちゃったんだからさ、と続けたくなるのは理解しますが、松本英光氏はあくまで、ネットリンチする下劣なグループのほうではなく、我々健全な社会で認められる価値観、もっと言えば正義感で行動していたと言えます。
お前は知らんのだろうが、ほとんどの義憤はその人間が正義と信じるものによって引き起こされてんだよ。
ネトウヨは愛国という正義、マスコミ批判はネットこそが真実という正義、そして犯罪者の家に嫌がらせの電話をかけるような人間には「犯罪者は完全悪なので何をやっても構わない」という歪んだ正義がある。
ネットで殺害予告されまくってる弁護士がいるが、殺害予告している人間の中には「あいつは馬鹿だから殺害予告で遊んでやるのが正義」と思っている人間も信じられないだろうが存在する。
そいつらの中ではそれが健全であり、俺から見たらそれは不健全なんだよ。
お前みたいな人間が健全不健全をジャッジできるような世界じゃねえんだよ。
この「赤いアイコン」氏に、Hagex氏は実際何もたいしたことはしてない、と擁護させてしまうのが、Hagexはじめとするこのネットウォッチクラスタの狡猾かつ悪質なトリックです。こういう狡猾な言い分が虚構であることは、すでに引用した多くのコメントでもわかるとおり、大方の内情を知る、しかもネットウォッチという下劣な行為に加担せず苦々しく思っていた他のHatenaユーザーには完全に見透かされています。
俺ははてなユーザー歴15年ぐらいの新参だが、勝手にユーザーの意見を代弁しないでくれねえかな。
俺からしたらお前の言ってることのほうがよっぽど狡猾で虚構だよ。
Hatenaネットウォッチという名のネットいじめクラスタ では、自分たちの異常な行動をまったく棚にあげて、ついに松本英光氏にたいして、集団賠償請求訴訟を起こすとか言い出します。
俺は1週間で30回近い中傷コメントを低能先生から送られてるが、それはどうなんだ?
突然背後から100人ぶん殴ってそのうちの10人から殴り返されたら集団リンチか?
1人でやってれば集団じゃないから問題はないのか?じゃあ俺はてなの誰にも助けを求めずずっとお前に粘着し続けるけど、それは集団リンチじゃないから問題ないんだな?
どっちの主張を採用するのか知らんけど、どっちにしてもお前は矛盾してんだよ。
3分(インスタントラーメンが茹で上がるような簡易な印象を筆者などは受ける)で簡単に凍結されますよ、ともうさすがネットバトルのスキルが高いだけあって、画像つきでこれでもかと神経を逆なでするように書かれています。
あれ?はてなは異常者を放置する無能な運営だったのでは?ねえ異常者は3分で凍結されるんでしょ?放置してるっていうのはどこに行ったの?ちゃんと仕事してるから3分で凍結されてんじゃん、そこのところはどうなの?ねえ?
あ、低能先生とだけ書いて通報するのは俺もどうかなと思っていたので俺は毎回「こうこうこういう理由で規約違反です、それはそれとして運営もちゃんと仕事しろや何度同じこと繰り返すんだよ」と書き添えて通報してたけどな。
あっ自分語りしちゃったメンゴメンゴ。
ネットいじめなんて下劣なことをやっている連中を自分は正義感で攻撃したら、その反撃として、単なる彼らの遊びのノリで自分はここまで追い詰められなければいけないのか、と松本英光氏の絶望感は想像できます。
お前みたいに都合のいいことばかり寄せ集めて「はい俺が正しい、お前らは間違い、じゃあ匿名で叩きまーす、言い逃げでーす、じゃあねバイビー」みたいな何の覚悟もない匿名の書き逃げ野郎に人を刺す覚悟までした低能先生を理解できるわけねえだろ。
「はてな村の吊し上げ」が実現している、とか書いてるんだから、当事者連中は、そういう「ネットリンチをやっている」という自覚があるってことでしょう?じゃあなんで今になって、そんなネットリンチなんてなかったとか嘘言ってるんですかね?
当事者が書いたってなんで決めつけてんの?お前みたいな自己顕示欲満たすための正義感で書いた人間かもしれないじゃん。
また自分の都合のいい正義の旗を物干し竿にくくりつけて振り回してるんですか?
増田の人間はネットリンチするから信用ならないって増田に叩かれてるから増田の言うことを信用して増田を叩こうってそんな理屈小学校で教えてもらったの?
さらに、ネットリンチ常習犯たちの「良い子ちゃんアピール」にほだされて、Hatena運営という体制はもう向こうサイドの味方になってしまっていて、自分は完全に悪者認定されていることも巧妙に効果的に印象づけられています。
えっちょっとまって怖い怖い。どこからそんな結論が出てきたの?何と何を悪魔合体したらそんなとんでもない化物が生まれるの?
俺、低能先生の発信者情報開示請求したときに運営から「お前もあんまり調子乗ってると請求されるぞ」って警告されたんだけど、そっかーネットリンチの味方だったんだー。
知らなかったわー、じゃあ俺ネットリンチの被害者だわー、俺の言うこと全面的に信用してくれるんだよな、今までのお前の主張からしたら。
オマエモナー。
まさか自分の言ってることは総意だけど相手の言ってることは総意でも何でもない、我は神である、我を崇めよ讃えよ鉄カブトみたいなこと思ってないよね?いやー思ってるよなーお前の文章見たらそれ以外考えられないわ。
お前これ書いてて楽しかったか? 楽しかったよな?何せ自分の気に入らないHagexを叩いて巨悪の根源だと決めつけ匿名で無責任に言いたい放題言えていつでも逃げられるんだから。
わかるよー、わかるよその気持ち。
人を論破して糾弾した気になるの楽しいもんな、自分の正義感だけを信じて他人を叩くの楽しいもんな。
人が自分の意見に賛同してくれるの想像したらゾクゾクしちゃうもんな。
でも1つだけわからねえんだ。
ももクロ:コンサート、大勢のファン予想に近江鉄道苦悩 - 毎日新聞
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20180419/k00/00e/040/216000c
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https://twitter.com/momowgp/status/987222574022078464
(実質的な訂正記事)ももクロ:さあ3万人いらっしゃい 21日からコンサート - 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20180421/k00/00m/040/103000c
これで今回きちんと訂正や謝罪をしたブックマーカーっているの?
いるよね?
昨今のマスコミ批判において、頻繁に取沙汰される問題の一つに「報道しない自由」がある。
この語は「報道の自由」に引っかけた単語であるが、要するに「メディアは自分たちの主義・主張にとって都合の悪いことは報道しない」というものである。最近の例では、加計学園の獣医学部新設をめぐる一連の報道の中で、マスメディアは前川前文部科学省事務次官の国会発言ばかり取り上げ、加戸前愛媛県知事の発言はごく短い時間しか取り上げないか、あるいは存在すらしなかったかのように無視したことが問題視された。「放送法順守を求める視聴者の会」がテレビ報道の在り方について新聞に意見広告を出した他、主に右派系のネットメディアでも頻繁に取り上げられていた。同様の批判は安保法制や共謀罪に関する報道でも行われた他、日常の事象においても「犯罪報道において犯人が報道関係者だったら追及が甘い」など、「報道しない自由」の事例は枚挙に暇がない。
この問題に対しては「マスメディアは自分たちの都合の悪いことを隠蔽せずに報道しろ」という旨の批判がなされることがあるが、私はそれは不可能だと思う。何故なら、媒体を問わず、偏向しないメディアなど存在しないからである。
ある事象において報道がなされる際、メディアが割ける報道資源には限りがある。テレビであれば一つの番組の中で数十秒~数十分。特番を組んだとしてもせいぜい2時間程度だろう。新聞であれば紙面の数%~全面、マックスでも広告欄を除いた全ページである。イラク戦争開戦の際に、新聞がほぼ紙面の全てをイラク戦争に割いていたのは、非常に印象的であった。
一方で、報道の元となる一次ソースは、膨大な量となる。行政機関が発行する資料では、少ない物でもA4で1枚、多い物なら数百枚にものぼる。これらの内容を、テレビや新聞で一字一句逃さず報道するのは不可能であろう。ネットであれば可能かもしれないが、そんなに大量の情報に全て目を通す人はそう多くはない。これが事件報道になれば、事件の経緯、加害者の背景、被害者の背景、関係者の証言、その他諸々…「事件に関わる全ての情報」を挙げていけば、際限が無くなってしまう。
そもそも全ての人が一次ソースを参照するのであれば、報道など不要である。一次ソースをかいつまんで分かりやすく説明したり、内容を解説して理解しやすくすることが、報道に求められることであろう。それがいわゆる「編集」と呼ばれる作業である。
そして、編集の過程において、どう頑張っても排除される情報というのは生じるものである。その事象にあまり関係のない情報、専門的過ぎたり限定的過ぎたりするために掲載しない方が理解しやすくなる情報などは、むしろ省いた方が視聴しやすくなる。また、編者の意見に会わない情報は、意識的か無意識的かに関わらず、省かれてしまうこともあるだろう。すなわち、一次ソースをそのまま掲載しない限り、テレビだろうが新聞だろうがネットだろうが偏向は必ず生じるものなのである。掲示板の書き込みを編集した「まとめサイト」などはその典型例で、記事の主旨とは異なる書込みは省かれるし、管理人の主義主張に反する書き込みも、もしかしたら排除されているかもしれない。いくらメディアが「公平公正」を標榜していたとしても、それを100%成し遂げることは、到底不可能なのである。
だから私は「報道しない自由」自体は全てのメディアが持っているものだと思うし、それ自体を批判することは的外れであると考えている。その批判は容易にブーメランになり得るからである。テレビにおいては放送法第4条を根拠に公平性を求められるケースもあるが、放送法自体問題が山積みの法律であるため、早急な改正が必要と言える(テレビ局の人間が「倫理規範だからセーフ!」とか言ってる時点で機能してない)。
では、マスメディアの持つ本当の問題点とは何か。当たり前すぎて今更語るまでもないことかもしれないが、今一度整理したみたい。
ネットとの比較という意味で、最も顕著なのはこの点だろう。テレビ、新聞などの既存メディアは、発信者と受信者が固定されており、受信者が発信者に対して同じ立場で発言することができない。テレビは総務省の許可が無ければそもそも放送できないし、新聞なら発行すること自体は誰でも可能かもしれないが、一般人が大手メディアと同じ量の情報を発信するのは、現実的ではない。
一方でネット上は、基本的に誰でも平等に発言することができる。もちろん、発言の影響力は立場によって異なるが、例えばツイッター上で批判されたら同じくツイッター上で反論することも可能だし、ブログの意見に対して別のブログを自分で立ち上げて反論することも可能である。グーグルなどのポータルサイトやSNSの運営会社が強い影響力を持つことは否めないが、利用者はそれらのサービスが気に入らなければ、容易に他のサービスに切り替えられる。また、例えば国が法律によってネット上の情報発信を規制したとしても、法の及ばない海外のサーバーを利用することだってできる。ネット上には絶対的な情報発信の強者は存在しないのだ。
これは利用者にとって、単一方向メディアにはない大きな利点である。今までは情報発信はマスメディアが独占していたが、現在では個人が自由に発信者になれるのである。その一方で憶測や捏造に基づいた情報を発信すれば、簡単に批判を受けてしまうというリスクも負っている。これまで独占的な情報発信者としてその恩恵を最大限に受けて来た既存メディアにとっては、到底受け入れがたいことだろう。だが残念ながら、どんなに望んでも時代が遡ることはない。
いわゆる「記者クラブ」に関しての問題点である。マスメディアの記者のほとんどは業界団体で作る「記者クラブ」という組織に属している。記者クラブには、行政組織や大企業の記者会見に優先して参加でき、クラブに属さないフリーランスの記者などはそもそも会見に参加すらできないことが多い。すなわち、日本ではマスメディアによって、ジャーナリストに対する言論弾圧が行われているのである。
また、記者クラブの中で、異なる報道機関の記者同士が取材した内容を互いに確認し合っているという問題も指摘されている。取材メモの内容を他の記者と「答え合わせ」し、内容に漏れや間違いがないかを確認しているという。これは関係者が著書などにおいて発言した内容であるため、事実か否かを確認する術を私は落ち合わせていないが、もし事実であるとすれば、報道機関としていかがなものかと思う。扱うのが情報だという点を除けば、他業種における「談合」と何ら変わりない。
記者クラブの存在を別にするとしても、報道内容が画一的であるという点は批判されるべきだろう。特にテレビ報道においてその傾向は顕著で、芸能人のスキャンダル、政治問題、相撲界の不祥事、どの事象においても、全てのチャンネルにおいて、まるでコピー&ペーストのように同じ論調でしか報じていない。ワイドショーだけならまだしも、ニュースにおいても同様である。そして、同業他社であるマスコミ各社の不祥事については、どの報道機関も一斉に口を閉ざすのである。これではマスコミ同士の相互チェックは全く機能せず、業界全体が腐敗してしまう。
さらに、冒頭に挙げた前川氏にまつわる報道では、読売新聞が「前川氏が未成年が働いている出会い系バーに出入りしていた」ことを報じ、他のマスメディアから一斉に批判がなされた。全く意味不明である。読売新聞は報道の自由に基づいて報じただけであるし、元文科省の役人が、任期中に児童買春を行っていた疑いがあるのだとすれば、報道すべき大問題であろう。マスメディア各社の中で前川氏に関する報道姿勢について合意がなされており、それを読売が「抜け駆け」したことに対して怒っているのであろうことは、想像に難くない。前川氏自身は(苦しい言い訳をしながらも)出会い系バーに出入りしたいたこと自体は認めており、読売の報道内容は事実であった。事実を報道したことに対して批判をするのであれば、日本のマスメディア各社は報道機関として終わっているとしか言いようがない。
もはや誰がありがたがっているかよくわからない年中行事の一つとして、自由国民社という一出版社が数人の選考委員会を集めて勝手に決めている「新語・流行語大賞」というものがある。最近では野球業界以外では全く流行っていない言葉や、日本に対するヘイトスピーチに当たる言葉を流行語として選び、物議を醸している同賞だが、先日発表された2017年の流行語のトップテンの中に「フェイクニュース」という言葉が選ばれた。その定義は、新語・流行語大賞のホームページを引用すれば、「ネット上でいかにもニュース然として流布される嘘やでっち上げ。」だそうだ。
このように、マスメディアがネット批判を行う際の常套手段として、「ネット上には嘘や質の低い情報が多く含まれている」という主張がある。「それに対して新聞やテレビは、社内で十分に内容を確認・検証しているから、正しい情報である」と言いたい訳であるが、ちゃんちゃらおかしいとしか言いようがない。
ネット上の情報に嘘が多いというのは事実であるし、そんなことは普段ネットを利用している人であれば十分承知の上である。一部の情報弱者が、良く調べもせずにその情報を鵜呑みにしたり、タイトルだけ見て記事の内容を読まずに早合点したりして、騙されている訳である。ネットを使っていれば関連する情報をその場ですぐに参照することは容易だし、先述した通り間違った内容であれば他者が指摘することも容易である。
対して新聞やテレビは、偏向や捏造があっても、個人が指摘して正すことはできない。サンゴ・グリコ・アジトや、椿事件、慰安婦問題などは、捏造が明るみに出たため、謝罪、訂正した例であるが、間違いを指摘されても訂正・謝罪していない例もいくらでも存在する。そもそも先に挙げた「フェイクニュース」という単語自体、元々トランプ大統領が言い出した言葉で、「テレビなどの既存メディアの捏造」を指す言葉であるが、マスメディアはこれを「ネット発の捏造・誤報」という意味に「捏造」しようとしているのである。
近年、「若者のテレビ・新聞離れ」を憂う声がメディアから上がっているが、若者に原因があるのではなく、自分たちに原因があることを理解しているのだろうか。メディアにとっての商品は「情報」である。その商品の品質が低ければ、顧客が離れるのは当たり前だ。提供する料理がマズい店は、客足が遠のくのと同じである。これまでは情報そのものが大手メディアにより独占されていたが、現在はネットの出現によってその独占状態も瓦解してしまった。既存メディアがいくら「ネット情報は玉石混淆だ!」と叫んでも、石しか扱っていない既存メディアは一笑に付されて終わりである。
徒然と書き殴ってしまったが、ひとまずここまでにしたい。他にも、視聴者が直接の顧客ではないこととか、テレビ局が国民の資源である電波を独占していることとか、新聞社が企業買収から守られていることとか、メディア自体が権力化していることとか、いろいろと問題はあるが、ともかく「既存メディアがネットよりも優れている」というのはまやかしでしかない。「ネットの情報ばかりでは偏る」という意見もあるが、それはテレビや新聞でも同じことである。メディアの媒体問わず、一つの報道だけを鵜呑みにせずに、様々な情報を加味して判断すべきなのだ。要は個人のメディアリテラシーの問題でしかないのである。
また、単一のメディアの情報だけを信じてしまう人の特徴として、「自分で判断することを放棄している」という点が挙げられる。そういう人ほど誤報・捏造報道があった時に、「騙された!」と叫ぶのである。もちろん、捏造したり、ちゃんと確認をせずに報道したりするメディアは悪であり、糾弾されなければならない。しかし本来は、何が事実で何が嘘かは、情報の受け手個人個人が、自分の責任において判断しなければならない。それができない人間が「情報弱者」と呼ばれるのである。
メディアはその媒体を問わずに「報道しない自由」を有している。だからこそ受け手は偏向・誤報・捏造に踊らされないように、一人一人がメディアリテラシーを身に着けることが重要なのではないだろうか。
辻元清美が誤報だと反論しているけれど、党の会議で「飲み会自粛令」が出されたことは事実だよね?
(太字引用者)
まず、「自民党議員との夜の飲食を見合わせる方針」を決めた、という事実はありません。
そして、報じられた発言や提案をしたのは私ではなく山内康一議員です。
そして山内議員の提案の意図は、いまは野党がバラバラの状態。立憲民主党の会議のなかで、「まずは野党同志が食事をしたり親睦を深め、コンセンサスをとってほしい。自民と懇親するのは、どう考えているのか、ある程度まとまった後の話し合いの先にしてもらいたい」という主旨でした。
もっともな意見なので、私も賛成しました。野党と先に飲んで、だけですので、「辻元が『自民と飲み会自粛令』」という報道は事実ではありません。
「野党と先に飲んで」と要請することは、とりもなおさず当面は自民党との飲み会を自粛せよという意味になる。
もちろん、これは立憲民主党が正式決定した方針ではない。それに自粛するにしても、最初の短期間ですむことだから支障はないと思う。この程度の束縛を「自粛令」という強烈な言葉で表現してよいかどうかは、たしかに疑問符が付く。
ところで、党内会議では山内康一が「野党と先に飲んで」と提案して、辻元はそれに賛成しただけなのだという。
ここで重要なのは、最初に提案したのが山内だったということではなく、辻元が党内では国対委員長という偉い立場にあったことの方だろう。
山内がこの提案をして、辻元がそれに賛成の発言をしたとき、その場にいた議員たちはそれを辻元の"指示"と捉えるはずだ。党幹部である辻元の意向に従って、ひとまず野党同志で数回の飲み会をやるまでの期間、自民党関係者との飲食を自粛せねばならないと考えるだろう。
この点を踏まえると、やはり辻元が「野党と先に飲んで」という指示を出したことになる。そしてこれは、自民とは先に飲むなという自粛要請だと言わざるをえない。
『飲むなら野党同士で! 立憲民主党が異例の「自民党との飲み会自粛令」』
http://www.sankei.com/smp/politics/news/171102/plt1711020047-s1.html
本文はやや控えめな筆致になって、『自民党議員との「飲み会自粛令」ともとれる異例のお触れ』という表現に留めている。
これは論評として当然許される範囲だろう。人がいつ誰と飲食をするか、本来個人の自由なのだから、それを束縛しようとする提案に皮肉をこめて「自粛令」と呼ぶことは、そこまでおかしな論評ではない。
国対幹部が各委員会の理事らに「党が費用を出すのでまずは野党の理事同士で交流を深めよう。自民党とは野党の結束が固まった後にやるべきだ」と呼びかけた。
従って、誤報ではない。
産経新聞に対して、誤解を招くタイトルを付けるな、皮肉まじりの論評をするな、という批判は可能だろう。
しかし、産経新聞を「完全な誤報」などと非難することはできない。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201711/CK2017110302000134.html
辻元清美の名前をあげて、その辻元が「飲み会禁止令」を出したと報道したメディアは、東京新聞である。
はてなブックマークでは、あたかも産経新聞こそ悪者だと言わんばかりの論調だが、産経新聞は辻元を名指ししていないことに注意するべし。
立憲民主党の辻元清美国対委員長は二日の党会合で、国会の委員会活動を巡り、自民党の理事から夜の飲食の誘いがあっても断るよう指示した。野党第一党として、自民党への対決姿勢を強める狙いがあるとみられる。
理事は委員会の審議日程などを調整する責任者で、与野党の第一党の理事が「筆頭」として折衝の中心になる。立憲民主関係者によると「飲み会禁止令」は懇親の場を通じ、自民に取り込まれることを防ぐためとしている。
これは「飲み会禁止令」が永続的なものであると誤解させる報道だ。この記事では、「飲み会禁止令」があくまで一時的なものであることは読み取れない。
しかしながら、辻元が議員たちに、「自民党の理事から夜の飲食の誘いがあっても断るよう指示」したということ自体は、事実なのだろう。その理由は私が上述したとおりだ。
ゆえに、これを「完全な誤報」とまで言えるかどうか微妙なところ。
これは言うまでもないことだが、誤報、フェイクニュースを許してはいけない。
そのためには、どの新聞社のどの記事に誤りがあったかを明確にするべきだ。そうでないと、辻元が誤報のせいでデマ被害を受けたという話も、これまた事実かどうか検証することができない。
本件で「飲み会自粛令」という表現を用いた報道は、おそらく産経新聞だけである。東京新聞は「飲み会禁止令」となっている。ゆえに辻元が今回投稿したブログ記事『自民と飲み会自粛令の謎』は、産経新聞の方を批判しているかのように思われる。
だが、辻元は産経新聞が悪いと名指ししていない。辻元側の主張によると、「一部メディア」が「完全な誤報」をしたということらしいが、このような当てこすりでマスコミ批判をしたり、自分はマスコミに叩かれた被害者だとアピールして同情を引こうとする態度に、私は憤りを感じている。これは第三者による比較検証を不可能にするものであって、政治家にふさわしい態度ではない。もし産経新聞に何か問題があったり、産経新聞が誤報を流したと言いたいのであれば、辻元ははっきりとその社名とその該当記事を示したうえで抗議するべきだ。
はてなのリベラル、はてサたちは、揃いもそろって辻元を甘やかしすぎているし、産経新聞を憎みすぎたせいで目が曇っている。すでに述べたとおり、東京新聞も似たような表現で「飲み会禁止令」と報道をしたことには留意しておきたい。はてなブックマークでは右翼が悪い、すなわち産経が悪いというブコメが多かったけれども、これは産経一社の報道ではない。
そして重要なことなので繰り返しになるが、本件では産経新聞が誤報をしたわけではない。むしろ産経新聞に誤報のレッテルを貼ることの方がデマである。今回、辻元はこのデマを煽る側にいるのではないか。
安倍首相は自身が朝日新聞にバッシングされている被害者だとアピールし、その手法によって朝日新聞に不信感をもつ者たちからの同情を集めている。辻元が今回やっていることは、朝日を産経にそっくり入れ替えたようなものである。辻元がデマの被害者だとアピールすれば、産経新聞を快く思わない者たちの同情を引くことは容易なのだ。
無論、辻元がデマ被害を訴えるのは自由であるし、デマはどんどん撲滅するべきだと思う。
しかし、「一部メディア」による「完全な誤報」があったなどという検証不可能な主張をするべきではない。あいまいな言い方でそれとなく産経新聞への敵意をあおりたて、自身をかわいそうな被害者に位置づけるとすれば、それは安倍首相と同じ姑息なやり口だ。我々はこのような大衆煽動の政治家を許してはならない。
ベッキーとかいう「お前はそいつではないだろ・・・」みたいな相手と不倫してイメージ落ちてあーあって思ってたけど、
マスコミ批判を報道するのはマスコミなわけで、ぜったいマスコミに叩かれて終わるのに、マスコミ批判する姿勢がサイコー
ベッキーとかいう「お前はそいつではないだろ・・・」みたいな相手と不倫してイメージ落ちてあーあって思ってたけど、
マスコミ批判を報道するのはマスコミなわけで、ぜったいマスコミに叩かれて終わるのに、マスコミ批判する姿勢がサイコー
マスコミ批判ってのは、批判者に「あるべきマスコミの姿」が当然あるわけだ。
マスコミのあるべき姿ってのはあるのかね。
マスコミの歴史的経緯や、その影響力に鑑みて、何かしらの使命が導かれるのだろうか。
研究者なら格別、マスゴミと日々マスコミを罵っている人々は、その点明確になっているのだろうか。
放送法4条にしても、その形式的な文言だけでなく、実質的な趣旨からの比較衡量を経た解釈を志向できているだろうか。
自分にとって都合の良いマスコミ像を前提としてはいないだろうか。
影響力が大きいのであるから、恣意的な運用は許されないというのは分かる。
それなら、マスコミの自助努力を促すだけでなく、自分たちでマスコミの評価機関NPOでも創設すればいい。
偉そうなやつを叩きたいだけだよなぁ……