はてなキーワード: 喪主とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/chidaism/n/n148c43a75952
i**** | “「国葬」であるにもかかわらず、「喪主」が「国」ではなく、「安倍昭恵」だった”マジかよ草 |
s************ | え、奥さんが喪主なの? |
s******** | 閣議決定で法の根拠なく税金使って行われる国葬の喪主が私人と閣議決定された昭恵夫人で内容もお友達のお友達によるお友達のためのイベントでしかない印象。親の会社経費で高級外車買って遊び回るバカぼんみたい。 |
指摘している常識ある皆さん
O********* | 通常、「喪主」はイベントの主催者を指さない(例えば、社葬であっても喪主は遺族 https://www.e-sogi.com/guide/1563/ )のだが、人に「ものすごくアホ」とか言う割には、この人はどうも一般常識に欠ける節がある |
l*** | 間違いは誰にでもあるけど「『右翼』における『新右翼』という位置付けのものは存在していません」のとこ注釈なしで修正してるの狡いなあ。あと喪主は団体葬でも遺族やろ。中曽根さんの国葬でも長男がやった。 |
c**** | 「喪主 施主 違い」ググれ。 |
過去の事例から見ると、そもそも戦後の国葬自体が皇族を除くと吉田茂しか例がないのでなんとも言えないが、吉田茂の時の喪主は息子だったらしい。
一部のはてブをみてると、安倍総理の国葬で昭恵夫人が喪主を務めたのが気に入らない人がけっこういるようだが、社会経験がないお子ちゃまなのかアホなのか。
あのね。喪主ってのは遺族がやるの。
家族葬とか一般的な個人の葬式だと喪主ってのは遺族代表と葬儀の主催者みたいな位置づけだけど、社葬とか大きな組織の団体葬とかだと、普通は“葬儀委員長”ってのを別にたてて、葬儀委員長が喪主のかわりに葬儀全般を取り仕切るの。
はてサはわりと年齢層たかそうだけど、取引先の社葬とか、いったことないの?
遺族でもない社長とかが喪主やってたら“なんなんだ?この会社”と常識ある大人は思うのよ。
同族会社の先代の葬式で、社長が喪主だったりすると、別に番頭格の人が葬儀委員長やったりするのよ。
“国葬なのに昭恵夫人が喪主なんておかしい”と主張するおこちゃま達は、誰が喪主だったら納得したの?
岸田総理?
いやいやいやいや。
もし岸田総理が喪主になってたら、それこそ大騒ぎだったろうよ。
“安倍氏は日本人すべてのお父様ということなんだろ。岸田は全国民を代表した長男ってことだよ”
みたいなことになってたはずである。
今回の国葬では、喪主は遺族を代表して昭恵夫人。主催者のトップとして葬儀全体を取り仕切る責任者である葬儀委員長は岸田総理。
国葬として安倍氏の葬儀をやるなら、まあ常識的にはこうなるよね。
ちゃんと国葬の中のアナウンスではずっと“岸田葬儀委員長”といってなかったっけ?
もうね、“ああ、国葬反対するような奴ってのは非常識野郎なんだな”って思われるだけだから、少し静かにしてたら?
いや、そう思わせるのが目的なら仕方ないけど。
14時時点の話
私も女に生まれたけど、どうしてペニスが無いんだろう、男が羨ましい、どうして自分は好きな女の人と子供を作れないんだろうと、セックスするたびに思う。
女としてではなく男として、同性とセックスがしたくてしょうがない。(叶わないけれど)
そういう性自認なんだけど、多分外からはどっからどうみても私は女性にしかみえない。
胸を強調する服を着るし、スカートは好きだし、メイクもしっかりするし、髪は巻く。
なぜそうなるかというと、現在持っているからだを少しでも美しく見せようとしたときのコスパ的な最適解がそこだからだ。
俺は男だ、と関わる全ての人に認めさせたがるあれ(女にしか見えない睫毛や二重目をもち、女が無理やりだす男声を使い、常に男子トイレに入りたがるような)になりたくない。
事前知識のない人をつどぎょっとさせることになるなんてこちらにとってもストレスだ。
FTMというのは「わあ男らしい!どこからどうみても男ですね!」といわれたい人間ではなく
自分の体について、特に性的なシーンにおいて、強烈な違和感と空虚を感じる人間なのだと、伝えたい。
そしてそれってパートナー以外にはあまり意味がないし披露する機会もないので
というわけで、私は多分「女装が好きなFTM」ということになるんだが
FTMって言ってみたいだけの自称同性愛者としてコミュニティに野次馬しにきたなにかにしかみえないからだ。
https://note.com/fuku0206/n/nfced8b56365e
こんなnoteも。
『過剰に男性らしさを纏おうとすることに、そうしないと男性として見なされないとか、男性として立っていられない痛みがある』とあるが
多分私はこれを10代前半に一人で卒業してしまったんだろうと思う。
実態として、法的な保護はないし、周り(親、親戚、会社の同僚)から一切認められないままだけど
14歳のときに出会った彼女と、22年つきあい、15年一緒に住み、相手は専業主婦、こちらは稼ぎ頭として働いて生きている。
(そういう意味ではりゅうちぇるが性自認あやふやなままちゃっかり子供作ってることには嫉妬しかない)
ひっそり生きていければそれでいいと思ってたけど
声を上げないと不満があることにも気付いてもらえないし、お互いの喪主になれない。遺産管理のときに彼女をネグレクトした相手の親が舵取るとか鬱だよ。
「自分の知ってる世界」だけで無理やり理解しようとする人にはいつまでも誤解される。
面倒くさい。は~~~。
究極、同性愛者かどうかって
性的興奮を同性にしかできないかどうかなんだけど(どっちもいける、誰にもしない、もきちんとカテゴリがあるので、ほんとにこれだけが同性愛者を決定づけるものだと思う)
りゅうちぇるはもう妻とセックスできなくなっちゃったんじゃない?と思う
でも親ではあれる。それはそうだ。
セックスレスでも子育てはちゃんとしてる夫婦、たくさんいるんじゃない?
妻に勃起しない自分をわざわざ公表して、りゅうちぇるは生真面目だなあと思う
けじめつけたかったんだろうなぁ
なので今回のコメントを見るに
「妻をオンナ(性的対象)としてみれないので離婚するが、親としての義務は一切逃げる気はない」という公表だなと思うんだけど
コロナ禍じゃなければ多分、危ないですって連絡が事前にきてたんだと思う。
それでもまだ生きてる内に会いたかったなぁ。
入院前に会った老人ホームで車椅子に腰掛けて、こちらを見てくれる祖母はちっちゃかった。
この日が生きてる内に会える最後かもなぁとぼんやり思ってたけど、振り返るとやっぱり最後だった。
私も母も隣の市に住んでいて、コロナ禍での病院の規定上、面会は一度もさせてもらえなかった。
受付だけ済ませて車内で待ち、タブレットを受け取ってほとんど返事も目線も返ってこない祖母を少し見ただけ。
しかもそれも一回。
小さな頃、ほとんど祖母に育てられていた期間があって、とある宗教を信仰している祖母はよくその教会に私を引き連れた。
教会にいくと祖母には祖母の仕事があり、事務所のようなところに籠もるので私は寂しかった。
同じような子どもたちもいたけれど、私はあまり人と仲良くなるのが得意ではなく、誰ひとり好きでもなかった。現に今でも誰一人として顔も名前も覚えていない。
私はその宗教を信仰していなかったし、神だ教えだは興味がなかった。
それでも少年部に属されることになり、何度か導師(式典においてメインで読経する位置)もさせられた。祖母は鼻高々って感じだったのを覚えてる。
属しているかと言って全員が全員式典などで導師をできるものじゃないんだろうと思う。
高校生にもなれば自らの意思で参加不参加を決められたので、(祖母的には出てほしかっただろうが)基本的にそういったものは以降すべて不参加にした。
そんな宗教も祖母が亡くなったことでもう完全に抜けさせてもらえると思う。母も私も信心深くなければ御布施も払わないタイプなので。
あぁでももっと、行ってあげたら良かったのかなぁ。
おばあちゃんがそれで、喜んでくれるのなら。
おばあちゃんがお墓参りのときに作ってくれる鬼まんじゅうが好きだった。蒸しパンと呼んでいたが、多分鬼まんじゅうだったと思う。
おばあちゃんがよく作ってくれたヒメジの酢漬け、何故かいつも口内炎があるときに作ってくれるから、よく泣きながら食べてたな。
祖母の家に泊まって迎えた日曜日の朝、「ピザにしてあげようね」と作ってもらえるピザトーストが大好きだった。
なんか食べ物の話ばっかりだな。
8/25 追記
でも思い出すのはあの日差しの差し込むキッチンだから、まだまだ話すね。
フライパンみたいな形状のたこ焼き器でたこ焼きを作ってくれた。十五夜にはふたりで白玉団子をこねて、丸めて、みたらしをかけて食べた。
今日白玉団子を作ったらあの匂いがして、懐かしい気持ちでいっぱいになった。
また書きながら泣いちゃったよ。
追記終わり
皮のたるんで柔らかい腕が好きだった。冷たくてぽってりしている耳たぶが好きだった。「ただいま」と言う時のイントネーションが好きだった。(中一高で完全に“ヘタリア”と同じだった)
今考えたら軽度の認知症が出始めた頃、週に一回くらい祖母の家で一緒に食事を摂っていた。基本的に祖母が食事の準備をしていくれていたのだが、一度、私が食べたいからという理由で筑前煮を作ったことがある。
「おいしいねぇ。これで○○ちゃんもいつお嫁に行っても困らんねぇ」
これを50回位言われた。
当時私には恋人がいたが、最悪なことにその恋人には妻子がいた。
ごめんね、お嫁には行けないかも。
内心でめちゃめちゃ泣きながら「大げさすぎん?」って言いながら祖母の倍食べた。食べたくて作ったのですごい美味しかった。
妻子がいる人とお付き合いするのは本当に最低なのだが、一番最低なのは妻子がいる身分で新入社員に手を出したそいつだと思う。あとこの世にいるご結婚なさってる方々、指輪嵌めろマジで。知らなくて好きになったあとだともう狂ってるから遅いんだよ。
言い訳はこの辺にしとく
あの世がもしもあるなら、どこも痛くなといいな。
輪廻転生をすることがあるのなら、次はおばあちゃんのなりたいものになって、幸せに過ごしてもらえると嬉しいな。
火葬ボタンを喪主に押させるのって酷だね。震える母の背中を見ながらそう思った。
思い出すといつもちゃん付けで呼んでくれてたなとか、眠りが浅くてすぐに起きてしまうのに何故か毎晩ラジオをつけて寝ていたこととか、こたつで眠る私に毛布をかけてくれたこととか、思い出すのは些細なことで、そしてちょっとずつ美化されてる。
ちょっとうまれが複雑な私に思うところとかたくさんあったと思う。叔母に幼少時首を締められた私としては叔母を擁護する家族に思うところもあったし。
今年入ってから、兄(40代)、祖父、祖母が相次いで亡くなった。
兄が独身だったのと、長男代理だったので頑張れるから(あと父も高齢だから)全部喪主やった。
普通に仏教なのだけど、結構信心深い母方の宗派とそんなに信心深くない父方の宗派の両方経験した。
でも、どっちも葬儀で20万、初七日で3万プラス、お車代とお膳代で葬式やるだけで25万かかる(関西の相場)。葬儀代は別(これについては200万とかそれぞれかかったけど、次からは2~30万かもっと安くできる知見が得られた)
車で5分の葬儀場往復で1万とかないやろ(火葬上の往復まで全部タクシーとかなら5kは超えるかもだがそれなら車手配する)、親族の食事代は酒入れても一人5000いってないのだが? とか不満はありまくる。
けど、信心深くない人(本人が坊主呼ぶなと言い切ってる)を弔う、かつ世間体とか気にしないほんとに身内だけの家族葬以外では、言い値(相場)で払うしかない。
で、今ってまだ信心深い人が弔われるのが多いから、故人の遺志とかでお布施してるけど
数年後以降ってお寺ってどんどんどうにもこうにもならなくなっていきそう
うちの実家の地域が古いムラみたいなので、お寺改修するとかで億集めれる感じのとこだけど。
その次の世代って、寄付とかしなさそうだし、そもそもそのムラから出てたりする
この前の同性婚必要なくね、みたいなやつで話題になってたけど、同性婚とまではいかなくても「結婚しないけど生涯一緒に暮らす予定です」みたいなのを表明できる制度あってもよくない?
扶養控除みたいな法律的な金銭的なメリットはないけど、喪主にもなれるし病院にも付き添えるぜ!みたいな証明書みたいな(そもそもこの辺はなくても出来るようにしようよ!って思うけど。家族でなくてもやってくれる人がいるならそれに越したことないんだから)。
わんちゃん民間のサービス(ケータイの家族割とか)は受けれるようにしてさ。
これから独り身増えるだろうし、逆に独り身同士で面倒見合える制度あればいろんな人が楽になりそうだけどな。
介護はしないけど入院の面倒くらいは見てもいい人っていると思うんだ。
数は多くないけどそれなりに需要はあると思う。
それとももうあるのかな?
架空OL日記ってあるじゃないですか、バカリズムさんの。銀行勤めのOLの日常を赤裸々に綴ったすべて嘘の日記っていうわりとヤバめの発想の。
映画を見たんだよね、主演、バカリズムさんだった。やばいよね発想が。企画立案からプラン実行まで隅から隅まですべてやばいんだけどこれが面白いんだな。いるいる!てなる。OLの日常知らんけど。
いーなーわたしも、そういうの、そういうのやりたい!て思って。やっぱ人生現実一本だと正直キツいんだわ。まじで。長すぎない?人生。そんでもってしんど過ぎない?ていうか、労働時間長くない?給料、少なくない?なんかもう楽しくパロディみたく生きていたい。
で、ハッと気が付いたんだわ。
自慢じゃないんだけど、というかまじどこをどういう角度で切り取っても自慢になり得ないんだけど、高校〜大学時代のあだ名が「人妻」だった。
さすがに社会に出てからはそんなトンチキなことを言ってくる非常識人には巡り合わず、なんなら24歳バリバリ職場でいっちゃん歳下なのでみんなにでへでへ可愛がりしてもらってた。のだけど。
こないだ数ヶ月振りに再開した会社の同期から言われました。開口一番。
「未亡人感が増したね」と。
待て、夫よ。いつ死んだ。
わたしの知らぬ間にわたしは結婚し団地に暮らし夫の帰りを待ちながら昼下がりに宅配業者を誘惑したり義父と密会したりしていつのまにか夫が死んでた。
なんでなのかな。
なんでなんだろ。
そんなに幸、薄そうかな。
成人式に振袖着た写真を見せたら色んな人に「喪主か極妻」って言われたんだよね。岩下志麻に弟子入り志願だわ。あんたら覚悟しいや!
よしわかった、今からお前らの欲望を全部受け止めてやる。人妻団地妻未亡人枠として腹を括った悲しき24歳独身バリバリ労働者。扶養はしてもされてもいないし、なんなら夫どころか彼女も彼氏もおりません。
人妻ってでも、言ったらわたしの母上も人妻な訳で。でも、人妻ってそういうことじゃないんよね。ファンタジーなんよ。人妻は。
リアルガチ人妻は仕事に家庭に忙しいスーパー現代女性なわけですが、ファンタジー人妻はファンタジーだから。夢を見させてくれる存在だから。
所帯持ち感とかゼロ。エプロンは白。髪は黒。夫という連れ合いはいるけれどもいつもどこか頼りなげ。何処の馬の骨とも知らない野郎に連れてかれそう。押しに弱い。流し目が得意。儚さの中に漂うエロス。判子を押したあとの上目遣いでノックアウト。そのまま家主のいない部屋へと雪崩れ込み…………
親戚が裕福なので支援もしてたし、もうちょっとなんとかならんかったか、とも思ったが、悔やんでも仕方ないのでどこかのタイミングで割り切れたことが救い
父は他界しており、母も高齢なので喪主が回ってきた(残った兄弟で一番上だったので)
大往生まであと一歩というところ。最後は風邪こじらしてしまったらしい。ホームから連絡来た。
当日まで元気だったし話もしてたのでちょっと理解が追いつかなかったが90超えてたのでまあしゃーないか
喪主は色々案が出たし初めは頼まれて引き受けるつもりだったけど最終的に叔父に任せたが、兄と同じところの会館だったので、勝手もわかってるからとサポートに回った
打合せとかは同席して
ほんとあっという間。遺品とか全然片付いてないし、兄の手続きも全部は終わってない
祖父は増田兄弟に負担をかけないように後見人つけててくれたので、葬儀以降はほとんどすることないけど、
祖母のほうは、叔父が遠方で仕事もしてるということもあって、頼まれて市役所とかは済ましたけど、まだ銀行とか相続関係とかほとんど手をつけてない
葬儀費用はケチらなかったのと、父の意向もあって、200万弱、150万、300万とか
祭壇とか馬鹿高い
とりま流れで元々会員入ってた葬儀やとかホームが紹介してくれたとことかで他を調べずにやってみたけど
まず会員入ってたところはお勧めしない。安くなるよーって耳障りのよい営業で年寄に契約(予約)させるけど。
部屋のサイズとかも選べなかったり。入会から式まで何十年も経てば参加者の数も大幅に増減(大体減だろうけど)するし、
コロナとか色んな事情も変わってしまう。ただサービスとかは良かったので、いきなり葬儀社選びから始める面倒さを無くす意味では助かった。
ホームの紹介のところもめちゃ高かった。こちらは打合せすることがほとんどなかった家族葬だったので楽だったが。
(花のランク決めるぐらいで、オプションの選択がほとんどなかった。こだわりたい人にはちょっと物足りないだろう)
基本パックに入ってないこまごまとした追加料金が発生することもあるし、棺桶ひとつとっても5万が基本プラン込のやつで、三面彫りとかになると30万とかもっと上のランクがあったり、しょぼしょぼ葬儀を回避しようとするとあっという間に何十万という金額足されていく
あと俺が喪主しそうな人とは話して、最低ランクで簡素に済まそうということになった。
それだけでも、霊きゅう車の手配とか棺桶やらドライアイスやらなんだかんだで何十万円になるだろうけど。お寺高いし、高齢の親戚への体裁とか考えたら初七日もやらんとだし。
そんで、市役所からは5万円しかもらえないけど。(あー、健康保険かなんかの5万といっしょに暮らしてたらまた数万年金のほうから出たんだっけ。手続き多すぎて忘れた)
しばらく葬式はしたくない
母が亡くなって、1年ほどになりました。
時折ふとした瞬間に、そうだ、この世の中には、もうお母さんはいないのだなあ……、としみじみ思い出して寂しくなります。
母親が亡くなると、大げさにいえばそれ以前とそれ以降で、自分の心持ちががらっと変化してしまったような気がします。
抱えている寂しさや空しさの量が少し増えましたし、自分自身の死ということにも、よりリアリティを感じるようになってきています。
とはいえ、人生は続いていくわけで、時間が解決することもあるけれど、この寂しさや空しさを、当たり前にそこにあるものとして、これからは暮らしていくんだろうと思います。
ただ、今日この場で語りたいことは、現実的(で大切な)話、葬儀・供養についてのお金の話題です。
私、母以外にも肉親をもう2人、既に亡くしていまして、喪主の経験が3回あります(3回あれば、語る資格ありますよね?)。
さて皆さん、人がひとり亡くなると、葬儀・供養にどれくらいのお金がかかると思いますか?
もちろんケースバイケースですが、私の母のケースを参考までに述べますと、
・ほぼ家族葬、参列者が15人以下。
・コロナなので、会食はなし。
というもので、
(高齢化社会になると、高齢で亡くなるため、すなわち、葬儀に参加する仕事のつながりや友人知人もいなくなります。なので近年は、家族葬の割合が増えていると聞きました)
位牌・・・4万円
合計・・・180万円
でした。
(これに加えて、香典をもらうとしたら、平均ひとり1万円いただくことになり、その半分を返礼品でお返しすることとなります)
わりとメジャーな葬儀社で、いちばん簡素なプランを選んでの金額です。
お布施は付ける戒名のランクによって金額が変わるというお寺のシステムがあり、こちらも最低ランクの戒名でお願いしました。
なので、自分が亡くなる時には180万円くらい残しておかないと、残された人たちが困るかもしれません。
たとえ自分が「葬式不要・戒名不要」と遺言を残していたとしても、実際には、残された親族親戚からすると、それでは気が済まないから、
皆でお金を出し合って最低限の形にしよう……という話になる可能性もおおいにありえると思うのです。そこは、自分だけの合理性では済まない部分もあるといいますか。
私自身、もちろん亡くなった家族を悼む気持ちはありますが、宗教的な信仰心が厚いわけではないので、
葬儀・供養については、できるだけシンプルな形でと考えていたのですが、それでもこの金額になりました。
ちなみに葬儀社には「互助会」というシステムがあり、生前に入会して積立金を支払っておくと、費用の割引を受けられるというシステムがあります。
(なので、互助会に入会していないと費用が割高になるようです)
亡くなった親が既にどこかの互助会に入っていたり、どこかのお寺の檀家になっていると、このあたりについては選択の余地はないですね。
小さめの家族葬をメインとしたセレモニーホールだと、価格が抑えられたかもしれないなとは思います。
しかし、決して安くはないけど、ネットで調べた相場よりも高くはないようなので、まあ、こんなものかなという感想です。
ただ、お墓への戒名彫りと納骨費用の10万円は、調べると相場は3~5万円ということらしいので、ちょっと高かったのです。
(あと、戒名彫りのフォントが野暮ったくて、それも不満に感じています)
石材店に依頼して、お墓の側面に戒名と没年を彫り、骨壺をお墓の下に収納するわけですが、墓地には「指定石材店」という制度があり、
決められた石材店にしか依頼することが出来ないルールなんです(公営の墓地にはそういう制度はないようですが、民間墓地にはあるそうです)。
それを聞いたときには、ちょっと疑問は感じました。シンプルに独占禁止法にひっかかるのではないかと思ったのですが、それにはあたらないという見解もあるみたいで。
とはいえこのルールでは相見積もりも取れないし、これが適正価格なのか信用はできないな……、と思います。
そういった独占的な商売を、消費者としてどこまで信用してよいのでしょうね。
だけど、お墓はトラックが横付けできないような山あいにある墓地ですし、近年の様々な材料の高騰の影響もあるのでしょう。
素人にはわからないコストもあるでしょうし、ネットで調べた相場感だけで軽々には判断できません。
ところで、その石材店の社長名でfacebook検索してみると(そういうこと、しますよね?)、
自宅ガレージの前には、レクサスはおろか、BMW X4 M Competition、フェラーリ ポルトフィーノ、488ピスタ、などの写真が並んでいて、
私たちはいつから肉食になったのか?日本人の肉食の歴史を徹底解説!
https://intojapanwaraku.com/culture/48024/
疲れている時、あるいは気合を入れて勝負に臨みたい時、もちろんなんでもない時にでも「お肉食べたい!!」と思うことはありませんか? 焼き肉、から揚げ、ハンバーガー、さまざまなお肉をわたしたちはすぐに食べることができます。しかし、こうしてお肉をなんのためらいもなく食べられるようになるまでに、わたしたちのご先祖さまたちは葛藤を繰り返してきたのです。
日本人の肉食について『肉食の社会史』(山川出版社)の内容と、著者である上智大学教授・中澤克昭先生のお話をもとに追ってみました。
うつりかわる肉食への考え方
日本史の教科書などで「文明開化」の言葉とともに「牛鍋」を食べる人の絵を教科書などで見て、なんとなく近代(明治時代)以降に肉食が始まったと思っている人は圧倒的に多いのではないでしょうか。けれども中澤先生によれば、肉や魚を食べることは、伝統的な食文化だったそうです。ただ、平安時代からは「食べないことが高貴な身分のふるまい」「食べるのはいやしい」と思われるようになったとか。また、家畜は労働力を提供してくれる大切な存在であり、食べる対象としては見ていなかったようです。
3世紀ごろの日本(ヤマト)には、誰かが亡くなった際、喪主は肉食をがまんする習慣があると『魏志倭人伝』に書かれているそうです。これは「物忌み」のひとつとして肉食を慎む「禁欲」だったと考えられています。つまりこの時点では日常における肉食は「禁忌」ではなかったのです。その後、6世紀に仏教とともに「殺生」を「罪業」とする考え方が伝来します。喪に服したり何かを祈願したりする時に肉食をガマンする習慣と仏教の殺生罪業観、このふたつが融合して、のちの肉食忌避(タブー)につながっていくのです。
しかし、肉食忌避が強まるのは中世からで、古代には天皇も肉を食べていました。天皇は各地でとれたものを食すことで統治していることを示していたからで、イノシシやシカも食べられていたことが、さまざまな記録や古代の遺跡から出土した木簡からわかっています。中澤先生によれば、「大地を象徴する生き物を狩ることで土地の所有権を確認する儀礼でもあった」と考えられているそうです。
古代には禁欲の対象だったお肉も、平安時代になると禁忌つまり忌避されるものへとかわっていきました。たとえばイノシシは何世代も飼育されるとことで「豚」という家畜になりますが、奈良時代にはヤマトでも豚が飼育されていたそうです。ところが平安時代になると、食用に育てられている動物が確認できなくなります。野生のイノシシを食べることは続くので、家畜は食べないほうがよいというメンタリティを持っていたことはまちがいなさそうです。
「天神さま(菅原道真)の牛のように、神話や伝承の世界にも動物は出てきますが、家畜を食べるという物語はまずありません。タブーだったのです。死んだ家畜、いわゆる斃牛馬(へいぎゅうば)はいわば産業廃棄物で、専門の人々によって処理されましたが、その仕事にあたっていた人は捨てずに食べていたと思われます」(中澤先生)。ただ、そのことは公の記録には残っていません。馬刺しも牛の内臓(ホルモン)も食べられていたはずですが、身分の高い人には忌避されていたのです。おおっぴらに食べられるようになったのは、近代以降ではないでしょうか。
新鮮な馬肉
では、鶏肉に関してはどうだったのでしょうか。「鶏も『時を知らせる、占いをする』という性質が強いので、おおっぴらには食べられていなかったと思います。卵は食べたはずですが、それもあまり記録にのこっていません」(中澤先生)。闘鶏に使われた軍鶏などは「筋肉質で硬くて、現在の鶏ほど美味しくなかったでしょうね」と先生はいいます。「牛も体脂肪が少なく、現在の『霜降り』のような食感とはほど遠かったのでは」とのこと。
なお、近代以前に肉を地方から京都や江戸へ運ぶとき、塩漬けにするか干し肉にする場合が多かったそうですが、キジの新巻や干し肉も存在していたとか。案外さまざまな加工肉があったそうです。……鮭では見たことがありますが、鳥が新巻にされるなんて想像もつきませんでした。また、少し前にグルメ界を席巻していた熟成肉もあったそうです。遠くから生で運ばれた場合、その可能性が高いとか。よく食べられていたのはシカやイノシシでしたが、貴族社会の宴会ではメインディッシュとして鳥のキジが好まれたそうです。焼くだけでなく、刺身でも食べられたそうですが、味付けは摂関家であれば、ひしお(現在の味噌・醤油の原点と考えられている調味料)や酢などが使われたと考えられています。
肉食を考えるうえで必ず登場するのが「鷹狩り」です。鷹狩りは、神々へのお供え物の調達手段としても大切で、仏教の殺生禁断の思想が広まってからも続けられました。古代には貴族の間で行われて、鷹狩りのための狩場もつくられ、鷹狩りに用いる鷹の繁殖のために狩猟や入山を禁じた巣山や巣鷹山と呼ばれる山もありました。その後、貴族から武家に権力が移ると、キジだけでなく白鳥や雁もよく狩られるようになり、小型の鶴が狩られたこともあったようです。武家の食事のマナーでは、鷹狩りの獲物は箸ではなく指で食べることになっていました。食材としての価値が高く、食べ方にも特別な作法があったようです。
江戸時代になると、徳川家康が好んだ鷹狩りを、代々の将軍が受け継ぎ行っていました。江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉が発した「生類憐みの令」のころまでは史料上確認できますが、その後しばらく姿を消してしまいます。復活するのは8代将軍・徳川吉宗のころ。吉宗は徳川家康を尊敬していたので、家康が好んでいた鷹狩りを復活させたようです。その後、大政奉還が行われ明治新政府が発足した後は、鷹狩りは大名の特権ではなくなりました。明治天皇も御料場で鷹狩りを行ったようです。在位中の天皇が狩猟に出かけたのは、白河天皇が1073年に嵯峨野で鷹狩りをして以来のことでした。天皇は800年ものあいだ狩猟をしていなかったわけですが、この800年はそのまま武士の時代と重なっているのが興味深いところです。
明治天皇は1872年に牛肉を食べましたが、近代以降もしばらくは肉食に対する忌避感がありました。しかし、食の欧米化や大規模な多頭養豚経営、乳用種雄の肥育牛の食用への転用などにより、1955(昭和30)年ごろからは急速に肉食が一般化していきます。結果、戦後生まれの世代からは肉食があたりまえの世の中になって現代に至ります。食肉生産が進み、ブロイラーが出てきたからこそ「帰りに焼き鳥でちょっと一杯」ができるようになりました。そんな生活も高度成長期にようやく成立したもので、まだ現在のような「お肉を食べたい」「お肉を食べよう」の歴史は50年ほどしかないのです。
一方で2030年ごろには、世界の人口の増加が食肉生産を追い越してタンパク質が足りなくなる「プロテイン危機」が起こるという研究があり、昆虫食の研究などが進んでいます。今のようにお肉を食べられる時代は、日本史のなかの、ほんのわずかな期間で終わるのかもしれません。
「動物を殺す」肉食に対してはさまざまな意見もありますが、人間の食欲がそれを抑え込んでいるのが今の時代です。お肉はいつでも好きなだけ手に入りますし、食べることもできます。「中世には動物を殺すことやそれを食べることがタブーとされていましたが、実際に食べる人は少なくありませんでした。うしろめたさと食欲との葛藤があって、そこからさまざまな言説が生まれました。現在も肉をめぐってさまざまな問題があります。もう少し葛藤があっても良いのかもしれません」と中澤先生は言います。「お肉が食べたい」という気持ちを自由に満たせる今だからこそ、食文化についてちょっとだけ考えてみませんか。
コロナ禍じゃなければ多分、危ないですって連絡が事前にきてたんだと思う。
それでもまだ生きてる内に会いたかったなぁ。
入院前に会った老人ホームで車椅子に腰掛けて、こちらを見てくれる祖母はちっちゃかった。
この日が生きてる内に会える最後かもなぁとぼんやり思ってたけど、振り返るとやっぱり最後だった。
私も母も隣の市に住んでいて、コロナ禍での病院の規定上、面会は一度もさせてもらえなかった。
受付だけ済ませて車内で待ち、タブレットを受け取ってほとんど返事も目線も返ってこない祖母を少し見ただけ。
しかもそれも一回。
小さな頃、ほとんど祖母に育てられていた期間があって、とある宗教を信仰している祖母はよくその教会に私を引き連れた。
教会にいくと祖母には祖母の仕事があり、事務所のようなところに籠もるので私は寂しかった。
同じような子どもたちもいたけれど、私はあまり人と仲良くなるのが得意ではなく、誰ひとり好きでもなかった。現に今でも誰一人として顔も名前も覚えていない。
私はその宗教を信仰していなかったし、神だ教えだは興味がなかった。
それでも少年部に属されることになり、何度か導師(式典においてメインで読経する位置)もさせられた。祖母は鼻高々って感じだったのを覚えてる。
属しているかと言って全員が全員式典などで導師をできるものじゃないんだろうと思う。
高校生にもなれば自らの意思で参加不参加を決められたので、(祖母的には出てほしかっただろうが)基本的にそういったものは以降すべて不参加にした。
そんな宗教も祖母が亡くなったことでもう完全に抜けさせてもらえると思う。母も私も信心深くなければ御布施も払わないタイプなので。
あぁでももっと、行ってあげたら良かったのかなぁ。
おばあちゃんがそれで、喜んでくれるのなら。
おばあちゃんがお墓参りのときに作ってくれる鬼まんじゅうが好きだった。蒸しパンと呼んでいたが、多分鬼まんじゅうだったと思う。
おばあちゃんがよく作ってくれたヒメジの酢漬け、何故かいつも口内炎があるときに作ってくれるから、よく泣きながら食べてたな。
祖母の家に泊まって迎えた日曜日の朝、「ピザにしてあげようね」と作ってもらえるピザトーストが大好きだった。
なんか食べ物の話ばっかりだな。
皮のたるんで柔らかい腕が好きだった。冷たくてぽってりしている耳たぶが好きだった。「ただいま」と言う時のイントネーションが好きだった。(中一高で完全に“ヘタリア”と同じだった)
今考えたら軽度の認知症が出始めた頃、週に一回くらい祖母の家で一緒に食事を摂っていた。基本的に祖母が食事の準備をしていくれていたのだが、一度、私が食べたいからという理由で筑前煮を作ったことがある。
「おいしいねぇ。これで○○ちゃんもいつお嫁に行っても困らんねぇ」
これを50回位言われた。
当時私には恋人がいたが、最悪なことにその恋人には妻子がいた。
ごめんね、お嫁には行けないかも。
内心でめちゃめちゃ泣きながら「大げさすぎん?」って言いながら祖母の倍食べた。食べたくて作ったのですごい美味しかった。
妻子がいる人とお付き合いするのは本当に最低なのだが、一番最低なのは妻子がいる身分で新入社員に手を出したそいつだと思う。あとこの世にいるご結婚なさってる方々、指輪嵌めろマジで。知らなくて好きになったあとだともう狂ってるから遅いんだよ。
言い訳はこの辺にしとく
あの世がもしもあるなら、どこも痛くなといいな。
輪廻転生をすることがあるのなら、次はおばあちゃんのなりたいものになって、幸せに過ごしてもらえると嬉しいな。
火葬ボタンを喪主に押させるのって酷だね。震える母の背中を見ながらそう思った。
思い出すといつもちゃん付けで呼んでくれてたなとか、眠りが浅くてすぐに起きてしまうのに何故か毎晩ラジオをつけて寝ていたこととか、こたつで眠る私に毛布をかけてくれたこととか、思い出すのは些細なことで、そしてちょっとずつ美化されてる。
ちょっとうまれが複雑な私に思うところとかたくさんあったと思う。叔母に幼少時首を締められた私としては叔母を擁護する家族に思うところもあったし。
備忘録。前にも確か書いたけど、編集中に消してしまったので修正加筆してもう一度。
1.なんで子供欲しくないの
2.子供嫌いなの
3.なんで結婚したの
4.将来後悔するよ
6.結局どうしたいの
欲しくないから。
なんかここに壮大な理由を求められたり悲惨なバックボーンを想像されたりすることがよくあるけどマジのガチで普通に欲しくないだけ。
宇宙飛行士は確かに立派で尊敬すべき職業だけど私はなりたくはない。同じように、母親という存在は立派で尊敬すべき職業だけど私はなりたくはない。
あとSNSやら何やらで流れてくる「妊娠はこんなにも辛くて出産はこんなにも痛くて産んでも誰も助けてくれない乳痛い飲みに行きたい自由になりたい死にたい」という母親の本心を見ているとああはなりたくないなと思ってしまった。本当にお疲れ様です。
苦労されてるんだろうと思うので、子育て世代のための納税や日々子供さんを見かけたときにサポートできることがあればお手伝いさせていただく、くらいの距離でいたい。
ハチャメチャに子供好きなのでようつべで「赤ちゃん 予防注射」とか「赤ちゃん お食い初め」とか「幼稚園 お遊戯会」とか調べまくって癒やされてる。こう言うと「やっぱり産みたいんじゃん!」って言われるので普段は絶対に言わないが、私は自分の子供は絶対に欲しくないだけで子供そのものは好き。
というか、好きなもの=絶対に手に入れて手元に置いておくべきって考え方はちょっとやばいんじゃないか?と思う。しかも対象が人間て。
そもそも「かわいい子供」だけが欲しくて子供産んじゃうのは流石に無責任すぎて私にはできない。子供は確かにかわいいけれど、その子も永遠に子供でいるわけではないので「かわいい子供が好きなら産むべき」っていうのは暴論だと思う。
その子供が大人になっておっさんおばさんになった後の方が人生で関わる時間は長くなるのに。
かわいい子供を楽しみたいからという理由で産んでしまうのって、我が子をアイテム扱いしてるみたいでなんか嫌なんだよな。
猫ちゃんも好きだけど同じように飼おうとは思えない。
子供大好きなので子供の話とかは遠慮してもらわなくても大丈夫。なんか世の中、子無し夫婦の前では子供の話はNGみたいな風潮あるけどアレも寂しい。むしろ聞かせてほしい。好きな漫画の話くらいは盛り上がれるし話したいし聞きたいので。
これめちゃくちゃ聞かれるけどやっぱり世間一般では結婚=子供なんだろうか。
私は法律のバックアップが欲しくて結婚したんだけど、やたらと「なんで子供欲しくないのに結婚したの?同棲でよくない?」という声をいただくことが多い。
結婚と子供って別に繋がらなくね。同じ道の上にはないよね。最初から「結婚はしたくないけど子供が欲しい」と未婚の母を選択する人もいるし、「結婚はしたけど子供はいらない」っていう私みたいな人もいるし、私は結婚そのものは子供とは繋がらないと思っている。
結婚すると、配偶者が困った時に一番先頭で支援する立場に立てるようになる。親族、それも一番親しい人としてあらゆる書類にサインができる。突然の事故や病気の際、医者から直接説明を聞ける。入院しても家族として助けられる。介護が必要になったら私が相手のおむつを替えられる。死の床でも一番近くで手を取れる。喪主ができる確率も上がる。私が先に死んでしまったとしても、財産を相手に優位に残せる。これは同棲では無理な場合やいちいち説明が必要な場合が多いから、私は結婚した。
むしろ結婚する理由ってほとんどこれらを得るためだと思ってたけど、これを説明すると「そんなこと考えたこともなかった」っていう既婚者がめちゃくちゃ多くてビビる。
子供を産まずに生きて後悔するかどうかは分からないけれど、子供を産んだら100%後悔する未来が見えているので…子供産んで後悔するより子供産まずに後悔した方がずいぶんマシじゃない?
ぶっちゃけてしまうと、大人は親業をやめることができる。親であることをやめたいと願ったとき、その方法はいくつか合法で用意されている。
仕事が嫌なら転職する、配偶者が嫌なら離婚するのと同じで、親が嫌なら親をやめられる道が親には存在している。
親子とは言っても思想も思考も全く違う他人なので、性格や体質の致命的なミスマッチが発生する場合もある。そんなとき、親側から離れることはできても子供側から親の元を離れることは法律上難しいのだ。
子供が親の子供をやめられるのは何か大きな事が起こってからで、その時には既に親子共に大きな傷を負ってしまっている可能性が高い。
下手したら人が死ぬ。
そんな重大な責任を私は負えない。私という人間の元に一人の他人を縛り付けるなんて怖いことはできない。
それにもしも私が産んでその子を合法的に手放したとしても、子の戸籍には私の名前が永遠に残り続ける。私が死んだら、その子に死後処理と相続放棄の負担をかけることになってしまう。
今一番やりたいのは卵管結紮。だけど今の日本で手術をするには「既婚者」かつ「子供を数人産んでいるor配偶者の同意が必要」で私にはほとんど手が届かないものになってしまっている。
既婚者ではあるけれど子供は産んでいないし、夫は「ピルを飲んだりミレーナを入れることには同意するけれど、体に穴を開けてまで避妊手術をするのは同意できない」とのことで、こちらも難しい。そもそも「or」と書いたけど、現実的には「&」を条件にしている婦人科ばかり。本当に困っている。
自分が子供を産める体であることがおぞましくてたまらない。ピルをやめると子供を産める体に戻ってしまうことが苦しくて気色悪い。憎悪感しかない。なのに、手術は受けられない。
本当なら子宮摘出したい(ホルモン由来の病になりたくないので卵巣は残したい)くらいなのに。
なんなら不妊治療にも子宮移植の話が出てきてるし、私の子宮で幸せになれる人がいるならそうしていただきたい。
性別適合手術は未婚者でも可能なのに、性別違和の無いシスジェンダー女性が子宮を取るには配偶者と配偶者の同意が必要というのもよく分からない。
世の中には、子供が欲しくない既婚女性を良しとしない人が多い。女性はみんな将来的に子供を産むもんだと思われているし、子供を望むもんだと思い込まれている。
子供の頃から「将来はいいお母さんになるね」「赤ちゃんのお部屋を守るためにお腹は冷やしちゃだめだよ」と言われるたびに感じてきた違和感が、大きな嫌悪感になって今の私を苦しめる。
思い返せばおままごと等でも母親役は絶対に避けていたし(妹役やペット役や親戚役など赤ん坊の世話をする人とは程遠い役を買って出ていた)将来の夢にお嫁さんもお母さんもその名が上がったことはなかった。
子供が欲しいと純粋に願う女性もいれば、子供が欲しくないと純粋に願う女性もいる。なんならここで言う「女性」は他の性別に入れ替えたって問題ない。とにかく、世の中には本気で自分の生殖機能を閉ざしてしまいたいほど子供が欲しくない人がいるということを分かって欲しい。