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はてなキーワード: 闘鶏とは

2023-08-02

ここ数年必死にシコシコ婚活とかやってる男女見てて思ったけど意味ないって立証されただけだよな

原始人にスマホ渡したって木の実割ることくらいにしか使わないから金の無駄であるように

結婚できない男や女なんて結婚するに値する能力水準に達してないか人格子供残したらアカレベル人間しかいないのはネット見ても明らかだし

結局婚活サービスなんてそう言う醜い化け物を晒し者にする見世物小屋以上のソリューションを生まなかっただけだな

そう言うバケモン同士のおぞましい駆け引きみたい闘鶏みたいなコンテンツに切り替えるしか利益出せる方法がなくね?

2023-07-14

闘鶏135度

戦わせすぎだろ…

"闘鶏135度" 約 1 件 (0.19 秒)

2023-03-08

現実世界ポケモンに相当するもの

ポケモンブランド力はすごい

そしてファンの年齢層もすごい

まさに老若男女がポケモンを愛し、好み、様々なグッズ、ゲームアニメなどと親しんでいる

ポケモンGOでついに高齢層にも認知された

ポケモンsleepも登場し、ポケモンはもはや生活に溶け込んでいる、という人も多いだろう

我が家も例に漏れず、ポケモン第一世代の俺自身は相変わらずポケモンをやっており、小2の娘は最近ポケモンにドはまりしている

そしてついに、本当にポケモン存在して欲しいと言い出した

そうだよね、それみんな思っているよ

だが残念なことにこの世にポケモンはいない

でも、ポケモンじゃなくとも、様々な魅力的な生物がこの世には存在しているし、ポケモンと同じく、トレーナーと心を通わせて、技を磨いて、勝負で戦う生き物もいる

ポケモンそもそもの発想と言われる昆虫採集もそれだ

枝に捕まえたカブトムシを歩かせ、友達カブトムシとどちらが枝に残れるか戦わせるような遊びはシンプルだし、そこまでしなくともどちらが大きいか大きさを比べる勝負したことがあるだろう

もっと本格的になると、闘牛闘犬闘鶏などもあるし、タイではベタを使った闘魚もある

バトルをしなくとも、美しさを競う錦鯉金魚品評会もあるし、盆栽や菊、バラなどの品評会もある

このような、実在の生き物を一所懸命育て、競わせる遊びは、ポケモンゲームに負けず楽しいし、のめり込む価値はあると思う

しかし、そのような育成すら、自分で行うのはなかなか大変だ

では、最近ポケモンバトルと同じように、興行として他者の育てた生物を競わせる大きな大会があれば、ファンとして観戦し、それをもっと手軽に楽しめるのではないか

金魚品評会と異なり、できればトレーナーとの絆を感じる意思疎通があり、継続的テレビで見れるような競技があるといいな

…あるんですよ、競馬って言うんですけどね

競馬ポケモンバトルと同じだ

馬はポケモンと変わらず可愛い

色も茶色から栗色、真っ黒、グレー、白もあるし、脚の色や額の模様なども馬ごとに随分違う

個人的には明るい栗毛かわいいと思うし、美しさで言えばソダシに代表されるような白毛馬も最近存在している

馬1頭1頭に持ち前のスピードやパワー、スタミナ、気性や性格のような、ポケモンで言う種族値のようなものが刻まれている

ポケモン種族値というよりは、人間と同じ個性特性かもしれないね

大回りコース向き、小回りコース向き、短距離向き、長距離向き、のような適性が馬ごとにあり、これはポケモンでいうタイプにあたる

さらポケモントレーナーが頑張ってポケモンを育てるように、調教師ポケモンを育て、レベルを上げて、努力値も振ってくれる

そもそもポケモンでいう孵化厳選のような、出生ガチャも、牧場の人が頭をひねって最強の馬が生まれるように血統表を見て考えている

そして本番のバトルは、直接の戦闘ではなくレース

レースでは騎手と馬のコミュニケーション大事で、これは本当に人馬一体となる勝負

馬は、ポケモンの技と同じように、スタートダッシュ、いい位置で折り合う、馬群をこじ開ける抜け出し、最後の末脚、並ばれても抜かせない根性、など、様々な特性や技を使って勝負をする

こうやって考えると、孵化厳選から育成し、実際のバトルまでするポケモントレーナーマジで化け物だ

競馬で言えば牧場、育成、馴致、調教騎乗まで全て1人でやるってことだし、オーナーブリーダートレーナージョッキーだな


競馬ギャンブル、のイメージがある人も多いと思うけど、別にギャンブル要素が100%ではない

賭けなくともスポーツ観戦として見ていれば楽しめる

スポーツ観戦、ポケモンバトル観戦的な楽しみがめちゃくちゃあることは知って欲しいなと思う

でも、見るだけじゃ足りないのよ、やりたいのよって思うかもしれない

そういう人は金魚ブリーディングとか菊の交配とかが競馬よりいいかもしれない

ただ、そっちにいかなくとも、競馬でも関わり方は色々ある

実際の馬の育成やレース自分が関わることはお金的な意味で困難だけど、応援したい馬の馬券を買えば、本当に勝ってくれた時に自分にも賞金が出るようなもんで、喜びは何倍にもある

それがギャンブル的な要素の利用方法

それじゃなんか違うと思う人は、一口馬主と言う手がある

1頭数千万円する馬を個人で持つことは難しいけど、それを数十人から数千人で分割して所有できるシステム一口馬主

自分出資馬が入賞すれば賞金は本当に自分にも分配されるし、馬券だとリターンがない4着以下でも、一口馬主なら賞金が配分される

応援する馬を見つけ、継続して見ていくことで本当に競馬面白くなるよ

ポケモン好きな人は、わかってしまえば本当に競馬楽しいと思うんだ

ポケモン好きな人競馬を浸透させていきたいなと本気で思っていて、ポケモン好きに競馬普及活動をしている

さあそこのポケモン好きなみんな、もし興味を持ったら大阪杯皐月賞などを見てもらたらなと思う

一口馬主なら、DeNAヌーシーとか、広尾サラブレッドが手ごろな値段でお勧め

2022-10-14

母集団ってママ友の集まりだろ?

子供が作った昆虫の標本がいかに素晴らしいかで競い合う

まるで闘鶏のように

2022-09-11

動物を甚振って怒らせて行う闘鶏闘牛などは虐待として禁じられているが、裏ではなくなっていないらしい

一方、ある種の虐待愛好派は言論の自由理念理解せず、ネットを利用したりして、人を甚振る言論を垂れ流すのだから

変態が生き生きしている残念な国ですね

2022-03-08

anond:20220308133124

私たちはいから肉食になったのか?日本人の肉食の歴史を徹底解説

https://intojapanwaraku.com/culture/48024/

疲れている時、あるいは気合を入れて勝負に臨みたい時、もちろんなんでもない時にでも「お肉食べたい!!」と思うことはありませんか? 焼き肉から揚げ、ハンバーガー、さまざまなお肉をわたしたちはすぐに食べることができますしかし、こうしてお肉をなんのためらいもなく食べられるようになるまでに、わたしたちご先祖さまたちは葛藤を繰り返してきたのです。

日本人の肉食について『肉食の社会史』(山川出版社)の内容と、著者である上智大学教授中澤克昭先生お話をもとに追ってみました。

うつりかわる肉食への考え方

日本史教科書などで「文明開化」の言葉とともに「牛鍋」を食べる人の絵を教科書などで見て、なんとなく近代明治時代)以降に肉食が始まったと思っている人は圧倒的に多いのではないでしょうか。けれども中澤先生によれば、肉や魚を食べることは、伝統的な食文化だったそうです。ただ、平安時代からは「食べないことが高貴な身分のふるまい」「食べるのはいやしい」と思われるようになったとか。また、家畜労働力提供してくれる大切な存在であり、食べる対象としては見ていなかったようです。

3世紀ごろの日本ヤマト)には、誰かが亡くなった際、喪主は肉食をがまんする習慣があると『魏志倭人伝』に書かれているそうです。これは「物忌み」のひとつとして肉食を慎む「禁欲」だったと考えられています。つまりこの時点では日常における肉食は「禁忌」ではなかったのです。その後、6世紀仏教とともに「殺生」を「罪業」とする考え方が伝来します。喪に服したり何かを祈願したりする時に肉食をガマンする習慣と仏教の殺生罪業観、このふたつが融合して、のちの肉食忌避タブー)につながっていくのです。

中澤克昭著『肉食の社会史』(山川出版社

しかし、肉食忌避が強まるのは中世からで、古代には天皇も肉を食べていました。天皇は各地でとれたものを食すことで統治していることを示していたからで、イノシシシカも食べられていたことが、さまざまな記録や古代遺跡から出土した木簡からわかっています中澤先生によれば、「大地を象徴する生き物を狩ることで土地所有権確認する儀礼でもあった」と考えられているそうです。

貴族メインディッシュはあの鳥

古代には禁欲対象だったお肉も、平安時代になると禁忌まり忌避されるものへとかわっていきました。たとえばイノシシは何世代飼育されるとことで「豚」という家畜になりますが、奈良時代にはヤマトでも豚が飼育されていたそうです。ところが平安時代になると、食用に育てられている動物確認できなくなります。野生のイノシシを食べることは続くので、家畜は食べないほうがよいというメンタリティを持っていたことはまちがいなさそうです。

天神さま(菅原道真)の牛のように、神話伝承世界にも動物は出てきますが、家畜を食べるという物語はまずありません。タブーだったのです。死んだ家畜、いわゆる斃牛馬(へいぎゅうば)はいわば産業廃棄物で、専門の人々によって処理されましたが、その仕事にあたっていた人は捨てずに食べていたと思われます」(中澤先生)。ただ、そのことは公の記録には残っていません。馬刺しも牛の内臓ホルモン)も食べられていたはずですが、身分の高い人には忌避されていたのです。おおっぴらに食べられるようになったのは、近代以降ではないでしょうか。

新鮮な馬肉

では、鶏肉に関してはどうだったのでしょうか。「鶏も『時を知らせる、占いをする』という性質が強いので、おおっぴらには食べられていなかったと思います。卵は食べたはずですが、それもあまり記録にのこっていません」(中澤先生)。闘鶏に使われた軍鶏などは「筋肉質で硬くて、現在の鶏ほど美味しくなかったでしょうね」と先生はいます。「牛も体脂肪が少なく、現在の『霜降り』のような食感とはほど遠かったのでは」とのこと。

なお、近代以前に肉を地方から京都江戸へ運ぶとき塩漬けにするか干し肉にする場合が多かったそうですが、キジの新巻や干し肉存在していたとか。案外さまざまな加工肉があったそうです。……鮭では見たことがありますが、鳥が新巻にされるなんて想像もつきませんでした。また、少し前にグルメ界を席巻していた熟成肉もあったそうです。遠くから生で運ばれた場合、その可能性が高いとか。よく食べられていたのはシカイノシシでしたが、貴族社会宴会ではメインディッシュとして鳥のキジが好まれたそうです。焼くだけでなく、刺身でも食べられたそうですが、味付けは摂関家であれば、ひしお現在味噌醤油の原点と考えられている調味料)や酢などが使われたと考えられています

殺生禁止と生贄とのあいだで揺れた「鷹狩り」

肉食を考えるうえで必ず登場するのが「鷹狩り」です。鷹狩りは、神々へのお供え物の調達手段としても大切で、仏教の殺生禁断の思想が広まってからも続けられました。古代には貴族の間で行われて、鷹狩りのための狩場もつくられ、鷹狩りに用いる鷹の繁殖のために狩猟や入山を禁じた巣山や巣鷹山と呼ばれる山もありました。その後、貴族から武家権力が移ると、キジだけでなく白鳥や雁もよく狩られるようになり、小型の鶴が狩られたこともあったようです。武家食事マナーでは、鷹狩りの獲物は箸ではなく指で食べることになっていました。食材としての価値が高く、食べ方にも特別作法があったようです。

江戸時代になると、徳川家康が好んだ鷹狩りを、代々の将軍が受け継ぎ行っていました。江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉が発した「生類憐みの令」のころまでは史料確認できますが、その後しばらく姿を消してしまます。復活するのは8代将軍・徳川吉宗のころ。吉宗徳川家康尊敬していたので、家康が好んでいた鷹狩りを復活させたようです。その後、大政奉還が行われ明治新政府が発足した後は、鷹狩りは大名特権ではなくなりました。明治天皇御料場で鷹狩りを行ったようです。在位中の天皇狩猟に出かけたのは、白河天皇が1073年に嵯峨野鷹狩りをして以来のことでした。天皇800年ものあい狩猟をしていなかったわけですが、この800年はそのまま武士時代と重なっているのが興味深いところです。

明治天皇1872年牛肉を食べましたが、近代以降もしばらくは肉食に対する忌避感がありました。しかし、食の欧米化や大規模な多頭養豚経営、乳用種雄の肥育牛の食用への転用などにより、1955(昭和30)年ごろからは急速に肉食が一般化していきます。結果、戦後まれ世代からは肉食があたりまえの世の中になって現代に至ります。食肉生産が進み、ブロイラーが出てきたからこそ「帰りに焼き鳥ちょっと一杯」ができるようになりました。そんな生活高度成長期にようやく成立したもので、まだ現在のような「お肉を食べたい」「お肉を食べよう」の歴史は50年ほどしかないのです。

ジンギスカン用のラム肉

一方で2030年ごろには、世界人口の増加が食肉生産を追い越してタンパク質が足りなくなる「プロテイン危機」が起こるという研究があり、昆虫食研究などが進んでいます。今のようにお肉を食べられる時代は、日本史のなかの、ほんのわずかな期間で終わるのかもしれません。

動物を殺す」肉食に対してはさまざまな意見もありますが、人間の食欲がそれを抑え込んでいるのが今の時代です。お肉はいつでも好きなだけ手に入りますし、食べることもできます。「中世には動物を殺すことやそれを食べることがタブーとされていましたが、実際に食べる人は少なくありませんでした。うしろめたさと食欲との葛藤があって、そこからさまざまな言説が生まれました。現在も肉をめぐってさまざまな問題があります。もう少し葛藤があっても良いのかもしれません」と中澤先生は言います。「お肉が食べたい」という気持ち自由に満たせる今だからこそ、食文化についてちょっとだけ考えてみませんか。

2021-12-31

野蛮な闘鶏真実について語ってみる

長々としたのは好きじゃないので質疑応答形式で書かせてもらう。そこまでは詳しくないのでまあまあ間違えてると思う。ていうか俺自体軍鶏育ててないという(笑)

Q1. なんで闘鶏なんてやってるの?

A1. 闘鶏をやってる理由は人それぞれ。金を賭けるのが好きでやってるやつもいるし、強い鶏を作りたくてやってるやつもいる。もちろん両方好きってやつも結構多い。

Q2-1. 動物虐待して楽しいわけ?

A2-1. よく動物虐待と言われるが、半分間違ってる。軍鶏は戦いたくない時はピーピー鳴いて逃げ出すし、そうなったら無理強いして戦わせることはない。というかあいつらは気性が荒すぎて、他の鶏と目が合っただけで勝手喧嘩してるってことが多い。普通はどっちかの鶏が降参したら速やかに終了させる。

Q2-2. 勝手喧嘩してるって言うけど、鶏同士を引き離せばいいだけの話じゃん?戦わせたいだけでしょ?

A2-2. 戦わせたい、ってのは事実なんだけど、鶏のストレス発散と運動不足解消のために戦わせてるっていう面もある。鶏も年中ステイホームしてたらストレス溜まるしね。

Q2-3. 運動不足って言うなら広いところで飼うなり散歩させるなりしろよ!言い訳すんな!

A2-3. 広いところで飼う、ってなると羊みたいに朝方に放牧させて夕方に鶏舎に戻すのが現実的なんだけど、いかんせんあいつらは気が短すぎて勝手喧嘩するからそれができない。妥協策として広めの鶏舎で育ててる人もいる。あと鶏に散歩させるのは無理です。

Q3. 闘鶏って違法じゃないの?

A3. 金賭けたら違法だと思う。なので、金を賭けずにやってる人もいるし、こっそり金を賭けてるやつもいる。

Q4. 鶏の足に刃物を付けて戦わせるって聞いたけど?

A4. 東南アジアあたりでは付けてるらしい。日本ではやってないと思う。少なくとも俺はそういう話を聞いたことがない。寧ろ怪我をさせないようにグローブみたいなやつとか防具とかを付けて戦わせることの方が多いかも。大一番の時は外すけどね。

Q5. ドーピングとかさせてるんでしょ?

A5. これについてはマジで知らない。もしかしたらいるかもしれないが、聞いたことはない。ただ俺の憶測だと、ドーピング漬けの鶏は故障などで選手生命がかなり短くなるんじゃないかと思うから金好きくらいしかやらないんじゃないかな。

Q6. でも鶏が傷ついて使えなくなったら捨てるんでしょ?

A6. 捨てる人もいると思うが、普通は捨てないと思う。手当ての施しようがない時は絞めて鶏鍋にしたり、種鶏として残してると思う。完全に死んでる場合は遺棄する人もいるかもしれないが…

Q7. 足の指を切り捨てるって聞いたけど?

A7. たぶん蹴爪のことだと思う。文字通り爪のことなんだけど角みたいな感じになってて、大型の鶏の蹴爪が刺さると結構痛い。俺は足に穴が空いた。でもって基本的に蹴爪を切り落とされてる鶏は練習用だったり、変則ルール試合用に使われてる鶏だったりする。蹴爪には神経が通ってて切られると痛がるらしい。可哀想ではある。

ざっとこんな感じで。質問あればどうぞ。間違った回答しかできないかもだけど。

2021-03-31

闘鶏史を飾る名羽を集めて

育成してチャンピオンを決めるゲーム

サイゲに作らせれば勝てるな

トリ娘って名前で。

2020-03-24

anond:20200324113524

お互い剣持たせて斬り合うのもありなん?

闘鶏とか闘犬とか動物同士ですら非難されてるのに

なぜ人間が殴り合ってるのか

2020-01-18

闘牛

闘鶏闘蟋ニワトリ同士コオロギ同士で戦わせているのに、闘牛だけ人間リスクとってリベラル気取ってる

2017-12-13

anond:20171213140916

スポーツフィッシング闘鶏等はどうなんだよ。」

いいんじゃない

 

俺としては犬や猫を放して弓の的にしても構わないと思う。

anond:20171213012204

スポーツフィッシング闘鶏等はどうなんだよ。

人道的立場に立って大人視点で見てみろ、これだって相当罪深いぞ。

2012-11-14

http://anond.hatelabo.jp/20121114201431

闘犬闘牛闘鶏

異種ならハブvsマングースあたりがあるが

最近動物擁護から風当たり強くなってるらしい

今後存続できるのかどうか

2012-07-28

いじめで人を殺し損ねた

いじめで人を殺し損ねた。

ある時はとっくみあいになって目を潰すつもりでケリを入れたし、

ある時は舌を噛み切らせるつもりで頭突きをかました。

殺すつもりだった。

だけど彼らは大したケガはしなかったし、おかげで僕は「少年A」にならず、

はいじめなんてなかったかのような、平穏な暮らしをしている。

そう、僕はいじめられていた。

相手を殺すことでしかいじめを解決できないと思っていた。

解決? 

少なくとも、いじめられている事実をできるだけ僕のプライドが傷つかないように公表して、

今後一切のいじめを断つには、それしかないと思っていた。


親になんて恥ずかしくて相談できないし、解決にならない。

先生だって、なんて言えばいい。

今でもそうだが、昔から口べたな僕は、

もし先生に「○○君らにいじめられています」と言ったとしても、

その後どんな言葉を続ければ、この苦しみが理解してもらえるのかわからなかった。

ちっぽけな自尊心と、無理解への恐怖は、相手と同じ、いやそれ以上の暴力として発揮するしか突破口がないと思った。

いじめといっても、マンガニュースで出て来るような葬式ごっこやら上履きが消えたり、

というのはなかったが、毎日のように暴力を奮われていた。

学校は楽しかった。それなりに仲のいい友達もいて、でも一部に暴力を奮ってくる奴がいる。

しかに「じゃれあってくる」奴もいた。彼らのことは僕も嫌いじゃなかった。

たまにイラっとくることもあったが、たしかに彼らは僕と遊んでいたし、

彼らなりの愛情表現として寝技をかけてきたりヘッドロックをかましてきたりした。

それとは違って、サディズムめいた、小動物を殺さない程度にいたぶりたがるような、

「俺はお前より上なんだ」と自尊心を確認するために暴力をふるってくる奴らがいた。

特にしつこい奴は、殺したかった。


当時はそんな言葉はなかったが、「スクールカースト」は非常に意識していた。

AランクからいじめられるBランクの奴を、Cランクの僕はAランク同様見下していたが、

Bの彼からすれば、Cの僕から見下されるいわれはない。

僕はBの彼、Mのことが嫌いだったので(自慢話が多いMは多くの人から嫌われていた)、

彼を避けていたが、Mの方からちょっかいを出して、

やたら僕を見下す発言をしてきたのは、そうやって高い自尊心癒していたのだろう。

Bの彼とは一度部活中にとっくみあいケンカになり、

ノースサウス・ポジションというよりは、お互いの足が顔に位置する態勢になった。

その時、お互いが抵抗をやめるはずもなく、頭に血が上っていた僕は、

「これは事を大きくするチャンスだ」と、彼の顔――目を狙って、かかとで思い切り蹴りつけた。

今思えば、狙うのは鼻でもよかったはずなのに、目だった。

目を潰すくらいのことをしなければ、僕が今まで受けてきた痛みとは釣り合わない、そう思っていた。

しかし幸か不幸か大したケガはせずに、部員の誰かが仲裁に入って、やめることになった。

どっちが勝つというケンカではなかったが、

「MがF(僕)に負けた」と誰かがからかい半分言い放ったのは、Mの自尊心をまた傷つけただろう。

もう一人は軽度の知的障害の子Sだった。

これもやはり部活中で、スクールカーストでは最下位に当たるSと僕が、

どういう流れか対決させられることになった。

今思い出してもあれは気持ちが悪かった。

部員全員が輪になって僕とSと囲い、二人の対決を見守る。

まるで闘鶏でも観るような、少年たちの異常なサディズム

Sは知的障害があるとはいえ、筋力はそれなりにあった。

背後からヘッドロックを決められたときに、精一杯僕は彼の口を目がけて頭突きをした。

これも歯を折るとかではなく、舌を噛み切らせることを明確に目的にしていた。

流血沙汰になって先生に知られれば、この見物人たちも「加害者」として裁かれるはずだ。

これは僕とSとのケンカではない。

部員が仕組んだ、自らの手を汚さずにサディズムを満たす卑劣行為なのだ

結局これも、Sが少し脣を切るくらいでおさまって、

あとは先生が来たのを気に、何事もなかったように部活が続けられた。


中三の秋だったか、自習の時に加害者二人に学校中を追い回され殴られ、

初めて先生に泣きついて、いじめ事実をようやく把握してもらった。

それで中三の時に主にいじめてきた奴二人は反省し、

その後僕に暴力をふるわなくなった。

中二の夏のプール時間、溺れさせられそうになった。

それを先生が見ていたのだが、「あんなあぶないことして!」と僕には怒って見せたが、

溺れさせようとしていた本人たちに注意することはなかった。

から先生がどうにかしてくれるとは思いもしなかったが、

先生が注意すればいい程度のものだったのなら、

僕がそれまで断続的に、いろんな奴らから受けていた暴力はいったい何だったのか。


今となっては、僕がいじめられていた原因はなんとなくわかる。

背が小さくて痩せ形だったから、暴力をふるいやすかった。

そのわりに生意気な所があって、反抗してくるからますますいじめたくなる。

Twitterで見た発言だが、「いじめられる側にも原因はあるが責任はない」というのは、

いじめられっ子として非常に納得がいく。

そしてMやSを見下していた=いじめていた僕としても、非常に納得がいく。

ナマイキ。

俺より弱そう。

なんかムカつく。

殴ったあとの反応が面白い

いじめる原因はそれで充分なのだ

小動物をいたぶるのに、大した理由はいらない。

猫をかわいがっていて、つい嫌がる反応を見たくて抓ったりする。

それと同じだ。

もしくは、お互いがお互いのちっぽけなプライドを賭けて、

お前より上だと主張しあう。

学校という狭い世界での存在証明に、誰もが必死だった。


僕はあのとき、取り返しのつかない怪我を彼らにさせていればよかったんだろうか。

少年A」になり損ねた僕は、この春入学する我が子がいじめられたら、どうすればいいのだろうか。


僕に似た息子は、きっといじめ相談なんて親に出来ないだろう。

いじめ現場を密かに録音しても、それを聞かれるなんて嫌がるだろう。

からせめて、彼の行き場のない怒りを学校テレビにぶつけろとでも伝えようか。

「もしいじめられて、堪えきれなくなったら、テレビ椅子でぶっ壊せ。

 そしたらお父さんはすぐに駆けつける。

 先生がなんといおうと、お前がいじめられてる証拠だと言う。

 人に怒りをぶつけて怪我をさせたら、お前が嫌な思いをしてしまう。

 人を怪我させたら大変だけど、学校テレビくらいならいくらでも弁償してやる。

 だから人を傷つけるくらいなら、テレビ椅子で殴りつけろ」

たった10分、15分の休み時間や、部活の時など、先生の目の届かない時に、

その暴力は奮われる。ならば、先生に見せつけてやるしかない。

から先生、お願いだからいじめ無視して手を汚さない「加害者」にならないでくれ。

僕らはいつも見えない涙を流し、聞こえない悲鳴を上げている。

見て見ない振りだけはやめてくれ。

元「少年A」を増やさないために。

 
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