はてなキーワード: 闘鶏とは
そしてファンの年齢層もすごい
まさに老若男女がポケモンを愛し、好み、様々なグッズ、ゲーム、アニメなどと親しんでいる
ポケモンsleepも登場し、ポケモンはもはや生活に溶け込んでいる、という人も多いだろう
我が家も例に漏れず、ポケモン第一世代の俺自身は相変わらずポケモンをやっており、小2の娘は最近ポケモンにドはまりしている
そうだよね、それみんな思っているよ
でも、ポケモンじゃなくとも、様々な魅力的な生物がこの世には存在しているし、ポケモンと同じく、トレーナーと心を通わせて、技を磨いて、勝負で戦う生き物もいる
枝に捕まえたカブトムシを歩かせ、友達のカブトムシとどちらが枝に残れるか戦わせるような遊びはシンプルだし、そこまでしなくともどちらが大きいか大きさを比べる勝負もしたことがあるだろう
もっと本格的になると、闘牛、闘犬、闘鶏などもあるし、タイではベタを使った闘魚もある
バトルをしなくとも、美しさを競う錦鯉や金魚の品評会もあるし、盆栽や菊、バラなどの品評会もある
このような、実在の生き物を一所懸命育て、競わせる遊びは、ポケモンゲームに負けず楽しいし、のめり込む価値はあると思う
では、最近のポケモンバトルと同じように、興行として他者の育てた生物を競わせる大きな大会があれば、ファンとして観戦し、それをもっと手軽に楽しめるのではないか?
金魚の品評会と異なり、できればトレーナーとの絆を感じる意思疎通があり、継続的にテレビで見れるような競技があるといいな
…あるんですよ、競馬って言うんですけどね
色も茶色から栗色、真っ黒、グレー、白もあるし、脚の色や額の模様なども馬ごとに随分違う
個人的には明るい栗毛がかわいいと思うし、美しさで言えばソダシに代表されるような白毛馬も最近は存在している
馬1頭1頭に持ち前のスピードやパワー、スタミナ、気性や性格のような、ポケモンで言う種族値のようなものが刻まれている
ポケモンの種族値というよりは、人間と同じ個性、特性かもしれないね
大回りコース向き、小回りコース向き、短距離向き、長距離向き、のような適性が馬ごとにあり、これはポケモンでいうタイプにあたる
さらにポケモントレーナーが頑張ってポケモンを育てるように、調教師がポケモンを育て、レベルを上げて、努力値も振ってくれる
そもそも、ポケモンでいう孵化厳選のような、出生ガチャも、牧場の人が頭をひねって最強の馬が生まれるように血統表を見て考えている
レースでは騎手と馬のコミュニケーションが大事で、これは本当に人馬一体となる勝負だ
馬は、ポケモンの技と同じように、スタートダッシュ、いい位置で折り合う、馬群をこじ開ける抜け出し、最後の末脚、並ばれても抜かせない根性、など、様々な特性や技を使って勝負をする
こうやって考えると、孵化厳選から育成し、実際のバトルまでするポケモントレーナーはマジで化け物だ
競馬で言えば牧場、育成、馴致、調教、騎乗まで全て1人でやるってことだし、オーナーブリーダートレーナージョッキーだな
競馬はギャンブル、のイメージがある人も多いと思うけど、別にギャンブル要素が100%ではない
賭けなくともスポーツ観戦として見ていれば楽しめる
スポーツ観戦、ポケモンバトル観戦的な楽しみがめちゃくちゃあることは知って欲しいなと思う
でも、見るだけじゃ足りないのよ、やりたいのよって思うかもしれない
そういう人は金魚のブリーディングとか菊の交配とかが競馬よりいいかもしれない
実際の馬の育成やレースに自分が関わることはお金的な意味で困難だけど、応援したい馬の馬券を買えば、本当に勝ってくれた時に自分にも賞金が出るようなもんで、喜びは何倍にもある
それじゃなんか違うと思う人は、一口馬主と言う手がある
1頭数千万円する馬を個人で持つことは難しいけど、それを数十人から数千人で分割して所有できるシステムが一口馬主だ
自分の出資馬が入賞すれば賞金は本当に自分にも分配されるし、馬券だとリターンがない4着以下でも、一口馬主なら賞金が配分される
応援する馬を見つけ、継続して見ていくことで本当に競馬は面白くなるよ
ポケモン好きな人は、わかってしまえば本当に競馬楽しいと思うんだ
ポケモン好きな人に競馬を浸透させていきたいなと本気で思っていて、ポケモン好きに競馬の普及活動をしている
私たちはいつから肉食になったのか?日本人の肉食の歴史を徹底解説!
https://intojapanwaraku.com/culture/48024/
疲れている時、あるいは気合を入れて勝負に臨みたい時、もちろんなんでもない時にでも「お肉食べたい!!」と思うことはありませんか? 焼き肉、から揚げ、ハンバーガー、さまざまなお肉をわたしたちはすぐに食べることができます。しかし、こうしてお肉をなんのためらいもなく食べられるようになるまでに、わたしたちのご先祖さまたちは葛藤を繰り返してきたのです。
日本人の肉食について『肉食の社会史』(山川出版社)の内容と、著者である上智大学教授・中澤克昭先生のお話をもとに追ってみました。
うつりかわる肉食への考え方
日本史の教科書などで「文明開化」の言葉とともに「牛鍋」を食べる人の絵を教科書などで見て、なんとなく近代(明治時代)以降に肉食が始まったと思っている人は圧倒的に多いのではないでしょうか。けれども中澤先生によれば、肉や魚を食べることは、伝統的な食文化だったそうです。ただ、平安時代からは「食べないことが高貴な身分のふるまい」「食べるのはいやしい」と思われるようになったとか。また、家畜は労働力を提供してくれる大切な存在であり、食べる対象としては見ていなかったようです。
3世紀ごろの日本(ヤマト)には、誰かが亡くなった際、喪主は肉食をがまんする習慣があると『魏志倭人伝』に書かれているそうです。これは「物忌み」のひとつとして肉食を慎む「禁欲」だったと考えられています。つまりこの時点では日常における肉食は「禁忌」ではなかったのです。その後、6世紀に仏教とともに「殺生」を「罪業」とする考え方が伝来します。喪に服したり何かを祈願したりする時に肉食をガマンする習慣と仏教の殺生罪業観、このふたつが融合して、のちの肉食忌避(タブー)につながっていくのです。
しかし、肉食忌避が強まるのは中世からで、古代には天皇も肉を食べていました。天皇は各地でとれたものを食すことで統治していることを示していたからで、イノシシやシカも食べられていたことが、さまざまな記録や古代の遺跡から出土した木簡からわかっています。中澤先生によれば、「大地を象徴する生き物を狩ることで土地の所有権を確認する儀礼でもあった」と考えられているそうです。
古代には禁欲の対象だったお肉も、平安時代になると禁忌つまり忌避されるものへとかわっていきました。たとえばイノシシは何世代も飼育されるとことで「豚」という家畜になりますが、奈良時代にはヤマトでも豚が飼育されていたそうです。ところが平安時代になると、食用に育てられている動物が確認できなくなります。野生のイノシシを食べることは続くので、家畜は食べないほうがよいというメンタリティを持っていたことはまちがいなさそうです。
「天神さま(菅原道真)の牛のように、神話や伝承の世界にも動物は出てきますが、家畜を食べるという物語はまずありません。タブーだったのです。死んだ家畜、いわゆる斃牛馬(へいぎゅうば)はいわば産業廃棄物で、専門の人々によって処理されましたが、その仕事にあたっていた人は捨てずに食べていたと思われます」(中澤先生)。ただ、そのことは公の記録には残っていません。馬刺しも牛の内臓(ホルモン)も食べられていたはずですが、身分の高い人には忌避されていたのです。おおっぴらに食べられるようになったのは、近代以降ではないでしょうか。
新鮮な馬肉
では、鶏肉に関してはどうだったのでしょうか。「鶏も『時を知らせる、占いをする』という性質が強いので、おおっぴらには食べられていなかったと思います。卵は食べたはずですが、それもあまり記録にのこっていません」(中澤先生)。闘鶏に使われた軍鶏などは「筋肉質で硬くて、現在の鶏ほど美味しくなかったでしょうね」と先生はいいます。「牛も体脂肪が少なく、現在の『霜降り』のような食感とはほど遠かったのでは」とのこと。
なお、近代以前に肉を地方から京都や江戸へ運ぶとき、塩漬けにするか干し肉にする場合が多かったそうですが、キジの新巻や干し肉も存在していたとか。案外さまざまな加工肉があったそうです。……鮭では見たことがありますが、鳥が新巻にされるなんて想像もつきませんでした。また、少し前にグルメ界を席巻していた熟成肉もあったそうです。遠くから生で運ばれた場合、その可能性が高いとか。よく食べられていたのはシカやイノシシでしたが、貴族社会の宴会ではメインディッシュとして鳥のキジが好まれたそうです。焼くだけでなく、刺身でも食べられたそうですが、味付けは摂関家であれば、ひしお(現在の味噌・醤油の原点と考えられている調味料)や酢などが使われたと考えられています。
肉食を考えるうえで必ず登場するのが「鷹狩り」です。鷹狩りは、神々へのお供え物の調達手段としても大切で、仏教の殺生禁断の思想が広まってからも続けられました。古代には貴族の間で行われて、鷹狩りのための狩場もつくられ、鷹狩りに用いる鷹の繁殖のために狩猟や入山を禁じた巣山や巣鷹山と呼ばれる山もありました。その後、貴族から武家に権力が移ると、キジだけでなく白鳥や雁もよく狩られるようになり、小型の鶴が狩られたこともあったようです。武家の食事のマナーでは、鷹狩りの獲物は箸ではなく指で食べることになっていました。食材としての価値が高く、食べ方にも特別な作法があったようです。
江戸時代になると、徳川家康が好んだ鷹狩りを、代々の将軍が受け継ぎ行っていました。江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉が発した「生類憐みの令」のころまでは史料上確認できますが、その後しばらく姿を消してしまいます。復活するのは8代将軍・徳川吉宗のころ。吉宗は徳川家康を尊敬していたので、家康が好んでいた鷹狩りを復活させたようです。その後、大政奉還が行われ明治新政府が発足した後は、鷹狩りは大名の特権ではなくなりました。明治天皇も御料場で鷹狩りを行ったようです。在位中の天皇が狩猟に出かけたのは、白河天皇が1073年に嵯峨野で鷹狩りをして以来のことでした。天皇は800年ものあいだ狩猟をしていなかったわけですが、この800年はそのまま武士の時代と重なっているのが興味深いところです。
明治天皇は1872年に牛肉を食べましたが、近代以降もしばらくは肉食に対する忌避感がありました。しかし、食の欧米化や大規模な多頭養豚経営、乳用種雄の肥育牛の食用への転用などにより、1955(昭和30)年ごろからは急速に肉食が一般化していきます。結果、戦後生まれの世代からは肉食があたりまえの世の中になって現代に至ります。食肉生産が進み、ブロイラーが出てきたからこそ「帰りに焼き鳥でちょっと一杯」ができるようになりました。そんな生活も高度成長期にようやく成立したもので、まだ現在のような「お肉を食べたい」「お肉を食べよう」の歴史は50年ほどしかないのです。
一方で2030年ごろには、世界の人口の増加が食肉生産を追い越してタンパク質が足りなくなる「プロテイン危機」が起こるという研究があり、昆虫食の研究などが進んでいます。今のようにお肉を食べられる時代は、日本史のなかの、ほんのわずかな期間で終わるのかもしれません。
「動物を殺す」肉食に対してはさまざまな意見もありますが、人間の食欲がそれを抑え込んでいるのが今の時代です。お肉はいつでも好きなだけ手に入りますし、食べることもできます。「中世には動物を殺すことやそれを食べることがタブーとされていましたが、実際に食べる人は少なくありませんでした。うしろめたさと食欲との葛藤があって、そこからさまざまな言説が生まれました。現在も肉をめぐってさまざまな問題があります。もう少し葛藤があっても良いのかもしれません」と中澤先生は言います。「お肉が食べたい」という気持ちを自由に満たせる今だからこそ、食文化についてちょっとだけ考えてみませんか。
長々としたのは好きじゃないので質疑応答形式で書かせてもらう。そこまでは詳しくないのでまあまあ間違えてると思う。ていうか俺自体は軍鶏育ててないという(笑)
Q1. なんで闘鶏なんてやってるの?
A1. 闘鶏をやってる理由は人それぞれ。金を賭けるのが好きでやってるやつもいるし、強い鶏を作りたくてやってるやつもいる。もちろん両方好きってやつも結構多い。
A2-1. よく動物虐待と言われるが、半分間違ってる。軍鶏は戦いたくない時はピーピー鳴いて逃げ出すし、そうなったら無理強いして戦わせることはない。というかあいつらは気性が荒すぎて、他の鶏と目が合っただけで勝手に喧嘩してるってことが多い。普通はどっちかの鶏が降参したら速やかに終了させる。
Q2-2. 勝手に喧嘩してるって言うけど、鶏同士を引き離せばいいだけの話じゃん?戦わせたいだけでしょ?
A2-2. 戦わせたい、ってのは事実なんだけど、鶏のストレス発散と運動不足解消のために戦わせてるっていう面もある。鶏も年中ステイホームしてたらストレス溜まるしね。
Q2-3. 運動不足って言うなら広いところで飼うなり散歩させるなりしろよ!言い訳すんな!
A2-3. 広いところで飼う、ってなると羊みたいに朝方に放牧させて夕方に鶏舎に戻すのが現実的なんだけど、いかんせんあいつらは気が短すぎて勝手に喧嘩するからそれができない。妥協策として広めの鶏舎で育ててる人もいる。あと鶏に散歩させるのは無理です。
A3. 金賭けたら違法だと思う。なので、金を賭けずにやってる人もいるし、こっそり金を賭けてるやつもいる。
Q4. 鶏の足に刃物を付けて戦わせるって聞いたけど?
A4. 東南アジアあたりでは付けてるらしい。日本ではやってないと思う。少なくとも俺はそういう話を聞いたことがない。寧ろ怪我をさせないようにグローブみたいなやつとか防具とかを付けて戦わせることの方が多いかも。大一番の時は外すけどね。
Q5. ドーピングとかさせてるんでしょ?
A5. これについてはマジで知らない。もしかしたらいるかもしれないが、聞いたことはない。ただ俺の憶測だと、ドーピング漬けの鶏は故障などで選手生命がかなり短くなるんじゃないかと思うから金好きくらいしかやらないんじゃないかな。
Q6. でも鶏が傷ついて使えなくなったら捨てるんでしょ?
A6. 捨てる人もいると思うが、普通は捨てないと思う。手当ての施しようがない時は絞めて鶏鍋にしたり、種鶏として残してると思う。完全に死んでる場合は遺棄する人もいるかもしれないが…
Q7. 足の指を切り捨てるって聞いたけど?
A7. たぶん蹴爪のことだと思う。文字通り爪のことなんだけど角みたいな感じになってて、大型の鶏の蹴爪が刺さると結構痛い。俺は足に穴が空いた。でもって基本的に蹴爪を切り落とされてる鶏は練習用だったり、変則ルールの試合用に使われてる鶏だったりする。蹴爪には神経が通ってて切られると痛がるらしい。可哀想ではある。
いじめで人を殺し損ねた。
ある時はとっくみあいになって目を潰すつもりでケリを入れたし、
ある時は舌を噛み切らせるつもりで頭突きをかました。
殺すつもりだった。
だけど彼らは大したケガはしなかったし、おかげで僕は「少年A」にならず、
今はいじめなんてなかったかのような、平穏な暮らしをしている。
そう、僕はいじめられていた。
解決?
少なくとも、いじめられている事実をできるだけ僕のプライドが傷つかないように公表して、
親になんて恥ずかしくて相談できないし、解決にならない。
今でもそうだが、昔から口べたな僕は、
もし先生に「○○君らにいじめられています」と言ったとしても、
その後どんな言葉を続ければ、この苦しみが理解してもらえるのかわからなかった。
ちっぽけな自尊心と、無理解への恐怖は、相手と同じ、いやそれ以上の暴力として発揮するしか突破口がないと思った。
いじめといっても、マンガやニュースで出て来るような葬式ごっこやら上履きが消えたり、
学校は楽しかった。それなりに仲のいい友達もいて、でも一部に暴力を奮ってくる奴がいる。
たしかに「じゃれあってくる」奴もいた。彼らのことは僕も嫌いじゃなかった。
たまにイラっとくることもあったが、たしかに彼らは僕と遊んでいたし、
彼らなりの愛情表現として寝技をかけてきたりヘッドロックをかましてきたりした。
それとは違って、サディズムめいた、小動物を殺さない程度にいたぶりたがるような、
「俺はお前より上なんだ」と自尊心を確認するために暴力をふるってくる奴らがいた。
当時はそんな言葉はなかったが、「スクールカースト」は非常に意識していた。
AランクからいじめられるBランクの奴を、Cランクの僕はAランク同様見下していたが、
僕はBの彼、Mのことが嫌いだったので(自慢話が多いMは多くの人から嫌われていた)、
やたら僕を見下す発言をしてきたのは、そうやって高い自尊心を癒していたのだろう。
ノースサウス・ポジションというよりは、お互いの足が顔に位置する態勢になった。
その時、お互いが抵抗をやめるはずもなく、頭に血が上っていた僕は、
「これは事を大きくするチャンスだ」と、彼の顔――目を狙って、かかとで思い切り蹴りつけた。
今思えば、狙うのは鼻でもよかったはずなのに、目だった。
目を潰すくらいのことをしなければ、僕が今まで受けてきた痛みとは釣り合わない、そう思っていた。
しかし幸か不幸か大したケガはせずに、部員の誰かが仲裁に入って、やめることになった。
どっちが勝つというケンカではなかったが、
「MがF(僕)に負けた」と誰かがからかい半分言い放ったのは、Mの自尊心をまた傷つけただろう。
これもやはり部活中で、スクールカーストでは最下位に当たるSと僕が、
どういう流れか対決させられることになった。
今思い出してもあれは気持ちが悪かった。
部員全員が輪になって僕とSと囲い、二人の対決を見守る。
背後からヘッドロックを決められたときに、精一杯僕は彼の口を目がけて頭突きをした。
これも歯を折るとかではなく、舌を噛み切らせることを明確に目的にしていた。
流血沙汰になって先生に知られれば、この見物人たちも「加害者」として裁かれるはずだ。
これは僕とSとのケンカではない。
部員が仕組んだ、自らの手を汚さずにサディズムを満たす卑劣な行為なのだ。
結局これも、Sが少し脣を切るくらいでおさまって、
あとは先生が来たのを気に、何事もなかったように部活が続けられた。
中三の秋だったか、自習の時に加害者二人に学校中を追い回され殴られ、
初めて先生に泣きついて、いじめの事実をようやく把握してもらった。
その後僕に暴力をふるわなくなった。
それを先生が見ていたのだが、「あんなあぶないことして!」と僕には怒って見せたが、
溺れさせようとしていた本人たちに注意することはなかった。
僕がそれまで断続的に、いろんな奴らから受けていた暴力はいったい何だったのか。
今となっては、僕がいじめられていた原因はなんとなくわかる。
そのわりに生意気な所があって、反抗してくるから、ますますいじめたくなる。
Twitterで見た発言だが、「いじめられる側にも原因はあるが責任はない」というのは、
いじめられっ子として非常に納得がいく。
そしてMやSを見下していた=いじめていた僕としても、非常に納得がいく。
ナマイキ。
俺より弱そう。
なんかムカつく。
殴ったあとの反応が面白い。
猫をかわいがっていて、つい嫌がる反応を見たくて抓ったりする。
それと同じだ。
お前より上だと主張しあう。
僕はあのとき、取り返しのつかない怪我を彼らにさせていればよかったんだろうか。
「少年A」になり損ねた僕は、この春入学する我が子がいじめられたら、どうすればいいのだろうか。
僕に似た息子は、きっといじめの相談なんて親に出来ないだろう。
いじめの現場を密かに録音しても、それを聞かれるなんて嫌がるだろう。
だからせめて、彼の行き場のない怒りを学校のテレビにぶつけろとでも伝えようか。
「もしいじめられて、堪えきれなくなったら、テレビを椅子でぶっ壊せ。
そしたらお父さんはすぐに駆けつける。
人に怒りをぶつけて怪我をさせたら、お前が嫌な思いをしてしまう。
人を怪我させたら大変だけど、学校のテレビくらいならいくらでも弁償してやる。
たった10分、15分の休み時間や、部活の時など、先生の目の届かない時に、
だから先生、お願いだから、いじめを無視して手を汚さない「加害者」にならないでくれ。
見て見ない振りだけはやめてくれ。
元「少年A」を増やさないために。