「喪主」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 喪主とは

2021-09-03

同性「婚」にするかは別として

同性「婚」にするかは別として、同性カップルにある程度の権利を持たせる制度は作ったほうがいいんじゃないかと思う。

配偶者控除とかじゃなくて、例えば「死ぬ間際に病室で面会できる」とか「喪主になれる」とか。遺書がなくてもパートナーとして遺産を受け取れるとか。

このままだと50年連れ添った同性パートナーには遺産を渡せなくて、縁切ってた兄弟の顔も知らない子ども遺産が渡される…みたいなことが起こり得るわけでしょ。

※現状すでに甥・姪<特別縁故者なら勉強不足で申し訳ない。

それなら別に少子化対策に貢献しない同性カップル優遇されるなんて」ってならないし。それすらも駄目なんかね。

移民が増える〜って考えの人もいるけど、それなら若い外国人女性中年日本男性カップル婚姻届出すときに厳しく審査するのが先なんじゃない?

2021-08-24

母親が亡くなりました

これは過去記事から続いています

最終章ではありますがまだやるべきことが残っているので第1篇となるでしょう。


以前に語ったとおり、母親病気で自活が不可能となり父親による老老介護を受けた後に精神病棟に入りました。その後は体調不良のたびに転院を繰り返し、最後実家からほど近い病院で息を引き取りました。最期を看取ることはできませんでした。そもそも職場から2時間近くかかりますし一報があった時点ですでに危篤状態でした。

その少し前から体調不良が続きいつ旅立ってもおかしくない状態でした。でもコロナにより面会はかなりの制限がついていたので、病院からほど近い父でも最期を看取ることは難しかったのとこと。特に第5波の現在ではまともに病院に入れることすら怪しいのですが。


母親に関しての良い記憶殆どありません。私が子供の頃から彼女の周囲はストレス負の感情が渦巻いていました。あらゆることに怒鳴り散らし厄介事を量産します。隣人、宅配業者や取引先とのトラブル枚挙にいとまがありません。家族の中にあっても暴力暴言は絶えず、幼いときから母親嫌悪と畏怖の対象でした。常に誰かしらを敵に回すことでしか自分を保てず、最後は泣きわめいて八つ当たりを繰り返す人でした。機械音痴だったのが救いでしょう。彼女スマホPCどころか自身ケータイ電話すらもっていませんでした。仮にスマホを扱えたとしたらツイッターやらでどんなことを書いたかわかりません。


そんな母も亡くなりました。

一番最後家族が聞いた言葉は「来てくれてありがとう」だったそうです。数すくない面会の中で唯一話せたのはそれだけだったとか。そもそも4月以降の入院生活の多くで彼女は心を閉ざしていたようです。閉鎖病棟という空間が耐えられなかったのかもしれません。彼女自身介護状態になってから父への依存マックスになっていたこともあり、父に会えず家族の顔を見れない寂しさが彼女内向的にしていったのでしょう。だから面会時に言葉を話したことに周りの看護師が驚いた、と聞きます。おしゃべりだった母親がおとなしく心を閉ざすということはよほど病院生活が心を折るに充分だったに違いありません。

父はそれを後悔しているようです。

葬儀直葬でした。リーズナブルで早いというそれだけの理由でしたがコロナ禍では最善の方法だと思います母親の親戚縁者数名と私の家族だけで執り行いました。

葬式自体は何度か経験があるものの、直葬は初めてです。住職もなく火葬場に直接集まって遺体を焼いて納骨するだけというもので、移動時間を除けば1時間半で終わりました。


従来型のように通夜告別式を執り行うことが悪いとは思いません。故人を悼む人の多さや気持ちの整理をつけるために必要儀式もありますから

しかしこれから葬儀直葬が主流になると確信しました。

高くとも50万せず、極めて簡易的でスピーディ。遺族の負担が本当に少ないのです。

なぜ喪主大勢の人の前で挨拶をしなければならないのか。多くの時間お金をかけて悲しみと疲れをふくらませる必要があるのか。ほとんど交流のない親戚や会社の人々に頭を下げなければいけないのか。お坊さんの固いお話。。。

それらをすべて省くだけでここまで楽になれるのかと感動しました。いままでの葬式は何だったのでしょう。

コロナは多くのものを奪いましたが、葬式に対する考えを改める機会をくれたことだけはメリットと受け取っています

さて、旅立ちのあと家族と合流していくつかわかったことがあります

母親はいくつか不動産を持っているのですが、その一つが少々どころかかなり厄介な物件だということ。保険嫌いだったのにいくつか保険に入っていたこと。預貯金はそこそこあるのですが、額よりその中身についてここで書くことが憚られるものであること。デパートの預け金が結構な額になること。そして、母親が成人後に殆ど健康診断等を受けていなかったということ。

母親病院を嫌っているのはわかっていましたが、健康診断のものをまともにしていないのは驚きです。歯もぼろぼろだったので長く歯医者にも行っていなかったのでしょう。

思えば母親の数々の病気は、去年の夏に倒れてからようやくわかったものですばかりです。糖尿病やガンなど、本当は健康診断で発覚するものばかりです。少なくとも献血でいいからしておけばなんらかの予兆を見て取れたかもしれません。

恐らく長いあい健康上の不安を抱えていたと思います。でもそれを認めずに騙し騙し過ごしていた結果がこれです。

さら病気がわかっても頑なに医者を信用せずかなり説得が難しかったと聞きます

旅立ってからも人柄がわかってしまうのは苦々しいかぎりです。

自分家族崩壊寸前だった記憶が強いがために、幸せ家族という存在が実感できないのが本音です。配偶者実家にお邪魔したときリビング家族との写真が所狭しに飾ってあったのはかなり印象的でした。そうやって家族記念写真を撮って飾っておく習慣が失われた家庭でしたから。実家で目につく写真といえば、唯一仏間くらいにしかありません。本当は以前にもありましたが引越しの際に殆どなくなってしまいました。


今一番不甲斐ないのは、遺産や死後の手続きの諸々を実家家族に任せっきりだということでしょうか。でも多くがオートメーション化されているのでかなり手続き簡単とのこと。いい時代ですね。

遺産の整理がついたら第2編を書くかもしれません。

2021-07-11

仲が悪い母娘

母親がいわゆる「友達親子」になりたくて産み分けまでして産んだ娘と全く気が合わなかったという記事を読んで旋律した

私も娘を産んだので

息子なら気が合わなくても男と女は違う生き物だから仕方ないよねーで済むが娘と合わない母親つーのはショックだ

娘は今一歳で衣食住完全に親に依存してるから合う合わない関係ない生活してる

私が母親性格が合わないので、性格が合わない母娘のシチュエーションバッチリ

母親の図々しい性格が苦手

プレゼントを送ったあとにまた送ってねと言うところとか私は家をとっくの昔に出てるのに実家家電の修理費を払えとか、祖父オムツ替えを母親はやらないくせに私の妹にやらせようとするところとか

もう亡くなった祖父が昔排尿するときに私に尿瓶を持たせたところとか(大好きなおじいちゃんだったから下の世話をすることに当時なんの疑問も持たなかったけど今思うと立場的に母親が率先してやるべきだろ娘にやらせるなよ私なら父親おしっこするとき絶対大切な娘に尿瓶を持たせないわ娘が介護士になってお年寄りの世話をすることにはなんとも思わんけどプライベート祖父の下の世話は絶対やらせない)

出産ガチャから陰キャの私から陽キャの娘が生まれるかもしれないし陰キャの私を見て育ち陰キャの娘になるかもしれないし

とにかく子供ちゅーもんは親の思いどおりの人間にさせようとしちゃダメ

たとえ、私が娘に嫌われたって娘が幸せ人生を歩んでくれたらそれでいい。でも葬式喪主はやってほしいなぁ

とりあえず、旦那悪口愚痴子供には絶対に言わないでおこうと決めてる

母親から父親悪口を聞かされて心を病むお子さんたくさんいるから……

まぁ、母親父親愚痴を言わず飲み込んでても父親母親を苦しめるような家庭だったら子供は少なからず心を病むから

母親父親愚痴悪口さえ子供に言わなければいいということではないんだけれども

とにかく娘にはずっと健康幸せになってもらえたらそれでいいです

2021-06-22

喪主マジで嫌だったなあ

もう親戚もあらかた人間関係途切れた(か途切れてもいいようなのしかいない)から誰の葬式にも行かなくてよさそう。行きたくない

2021-05-26

anond:20210526084636

まあ結婚でもらえる法律バックアップマジでかいので子なしでも結婚してよかったとは思ってるわ

配偶者入院したり事故に遭ったりしたらまず自分が一番の支援者になれるし、法律的に家族とみなされるからそれ相応の立場でもらえる支援を受けられるし、医者の話は家族として聞けるし、相手が先に死んだら喪主もできるし、自分が先に死んだら相手に優先して遺産残せるし

2021-04-05

anond:20210404194759

喪主とか遺族年金手続きとか奥さん大変だろうから

手助けを受け付けてくれる立場にいるのなら手助けしてあげてほしい

あと遺児基金といってなくなった方の職場から募金を募るのもいいとおもう

前の職場で急に病死された方はそうだった

とにかく葬儀社とのやり取りだけでもどうにか一緒にしてあげてほしい

2021-03-29

anond:20210327225639

あ~うちの親もそれ 

感情が過剰(若いころからずっと) 

演技性人格しかみえんので電話しばらくブロックしてた

78歳になって介護に苦労するようになってからどっちかが死んだらいちおう喪主だし葬式の手配もあるだろうしと家電話だけつないだ

あのときはごめんねっていって電話口で泣いてた

2021-03-12

祖母介護ネグレクト

祖母の死から4年くらい経つ。

社会人になってから父宅から母宅へ移動したが、

半年で逃げ出して一人暮らしを始めた。やっぱり母はおかしい。

ちょうどその頃から祖母ボケ始めた。休日祖母の家に来てくれと電話が鳴り、母が出ないので私が取り、仕事で疲れているから無理だと断っていた。

社会人1年目の冬、知らない番号から着信があったので出てみたら、祖母のかかつりけ医らしい。

母と連絡が取れないので、祖母宅にメモがあった私の番号にかけたらしい。

祖母の病状が悪く、一度見に来てほしいとのことだったので休みを取って行った。仕事が佳境だったので恐る恐るだった。

祖母はがんにかかっていたらしい。顔が酷く腫れ上がって明らかに弱っていた。

小学生の時は私をネグレクトした母の代わりにご飯を作ってくれ、父宅に住んでいた時も、私を呼びだして会う度にご飯を奢ってくれ、お小遣いもくれた祖母だった。酷い状態に涙が止まらなかった。医師の話も聞いた。

何回か通ううちに、私のことを祖母の妹の名前で呼ぶようになった。それがつらくて行くのをやめた。

祖母親族と母に連絡するだけで自分の役目を終えたような顔をして、また仕事に行って休みは寝たり遊んだりする日々に戻った。

12月の夜、祖母危篤だと母より連絡があった。

仕事が終わって自宅の最寄り駅に着いたばかりの私は、「疲れているので行けない」と返した。

祖母はそのまま亡くなった。連絡が来てからやっと自分のししまたことに気づき、熱を出して寝込んだ。熱が下がらないまま遺品整理の手伝いに行ったがまるで役に立たなかった。

葬儀喪主は母だったが、やはり様子はおかしかった。親戚や父も含めて会食をしようとしたらしいが、場所を押さえてないので無理だった。八つ当たりされたので逃げ帰った。

小学生時代祖母に育ててもらったようなものなのに、大学生にもなってお小遣いを貰っていたのに、なんで仕事疲れたくらいであんなに簡単に切り捨てられたんだろう。自分はまともな人間だとばかり思っていた。おばあちゃんごめんなさい。

骨壷は母が持っていたが、どうも墓に入れるのを面倒がっていたので、私が行っている墓には祖母がいないかもしれない。墓越しに謝ることすらできない。

墓参りには線香しか持っていかなかった。あとは掃除だけして帰った。

祖母は私の着物姿を見て喜んでくれた。習字で金賞が取れなかった時だけ怒られたけど、私がもらった賞状トロフィーをたくさん並べていた。

次は花を持っていった方がいいだろうか。祖母の好きな花も知らない。仏花は菊だったっけ?

私が死んだら祖母に会って謝れるんだろうか。

比較的楽しく過ごしているけど、ふと祖母のことを思い出す度に罪悪感で苦しくて涙が止まらなくなる。本当にごめんなさい。父と母に振り回されていた私をかわいがってくれたのに、報いるどころかネグレクトで返した。

言い訳しようと思えばいくらでもできる。そう思う度に自分外道さに反吐が出る。仕方なくなんかない。疲れていたとか関係ない。祖母に比べれば大変なんかじゃなかった。休みには遊ぶ余裕があったのになんで行かなかったんだ。きっと私がそういう人間からだ。屑だ。生きていていいのだろうか。父と母が死ぬ時も私はこうなんだろうか。私が代わりに死ねばよかったのにな。ごめんなさい。ごめんなさいと伝えられない。ごめんなさい。おばあちゃんは許してくれるだろう。こんな屑に優しくしてくれたんだから

天罰を与えてくれ。

2021-02-13

両親が離婚したが全く悲しくなかった件

両親が離婚したんだけどタイトル通り全く悲しくない。

「そう・・・」ぐらいのもので、帰る実家がなくなるとかそういう感覚もないしこのあと二人と連絡を取るのかすら怪しい。

自分所謂「長女様」ってタイプ人間で、末っ子両親の間に生まれ二人姉妹の上、「下の子供の気持ちがわかってない」と怒鳴られて以降、

家族全員を弟や妹として捉える事で精神の均衡をなんとか保ってきた。

なるべく連絡も取らず、相続放棄喪主の果てまで娘たる妹に丸投げしようと心に固く誓っていた。

それがあっけなく離婚した。おそらく最近の情勢でずっと二人が家にいるようだったから、見えなかったものが見えてしまったんだろう。

「寂しい」だの「心配」だの、綺麗な言葉を並べてくる厄介極まりない元カノみたいな連絡のとり方をしてきた母親に対しても、

今更甘えてくるのか、とかそういう気持ちしかわかず、父親も「母親最近おかしい」というし、

何なら二人は夫の出来ること・妻の出来ることに限界を覚えたのか、「すべてを解決できるのは娘であるお前だ」と家族大黒柱にする始末である家族ごっこってめっちゃ疲れる。

今思えばSOSだったのかも知れないけど、今までのことを考え直すとここで娘が解決してくれると私を頼るのはナンセンスなんじゃないかなって思ってしまった。

不思議なことに申し訳無さもまったくないし、「私があの時連絡を取っていれば」みたいな後悔や自責の念が一切ない!面白いぐらいにない!!

いや本当に。きっと育ててくれた恩とかないのかって思うかも知れないけど、困ったことにそれを差し引きマイナスに出来るレベルのあーだこーだがあったので親子の情ってものがない。

家族愛って二次元ドラマの中にしかないんじゃないかなって思ってるし、母親旅行に行ったとかって話す人は随分幸せ人生歩んでるんだな・・って別次元の人として見てしまうし。

本当に困ったことに、やっと自分人生始められる気がしてきて将来の展望どうしようかなって前向きな発想しか湧いてこないんだなこれが。

結局私に兄や姉が出来ても、末っ子ではない私はあの家の家族には一生なれないし、末っ子っていう家族を作るためのゴミみたいな感覚で生まれてきたんじゃないかなって思えば

人生も多少楽になるんじゃないかって思ってたら家族がなくなっちゃったよ。最初からきっと家族じゃなかったんだろうけど。

これからも誰かを頼って生きていくんだろうけど頑張ってくれ。私は父と母のお姉ちゃんでいることにもう疲れた

私も人間になりたい。お姉ちゃんって生き物じゃないんだ。適当概念姉でも見つけてくれ。もう知らん。

ここまで五体満足で育ててくれた事には感謝しますが、歪んでしまったものを直し、欲しかったものを手にするために親は不要でした。

お世話になりました。さようなら

2021-02-12

anond:20210212101136

喪主創価学会員だと、葬式の仕切りは参列者は全く見知らぬ学会員さんで香典全部持っていくとか有名な話だよね

2021-01-27

都会の人はどうやって知人の訃報を知るの?

田舎だと地元紙におくやみが掲載されるからそれでわかるんだよね。

知り合いがいたら香典持って葬儀場とか喪主の家に空いてそうな時間を狙って挨拶に行く。

どうしても行けないとき電報を送っておいて後日香典を郵送する。

都会だと新聞とってる人も少ないし、地元紙があってもおくやみとか掲載されなさそうだし、どうしてるの?

2021-01-25

浄土真宗僧侶増田さんちょっと聞いて

十数年前に父方の祖母が亡くなったのね、99歳の大往生

祖母は夫を早くに亡くして戦後空襲の焼け跡に縄張ってバラック建てて子供を5人育てたような人。

私の母にはクソ姑だったらしいけどそれはご愛嬌

それはそれは信心深くて、離れて暮らしてる私達が訪ねて行っても法話会だ報恩講だって出かけてしまってたり。

やっぱり娑婆人間からすると身内の使ったお金は気になるもんで、御布施結構してたんじゃないかな。バラック跡に建てた小さい小さい家で何の贅沢もせず、シワシワのくちゃくちゃになって最後病院で看取られて亡くなった。

でね、私は新幹線距離にいたんだけど祖母葬式って事で駆け付けたのよ。やっぱりかそろそろだと思ってたってのと、もう一回くらいは会えるつもりでいたのになってのと半々。

どうしても気持ちが収まらなくて、通夜の夜に写経をしたのね。般若心経初音ミクとかでブームになる前だったかな、でもこっちはそれなりにハマってたのよ。封筒に入れて、葬儀の前に導師の方と喪主の父が話す時に同席して、棺に添えて入れていいかって聞いたらさ。ダメだって

なんかねーやるせなかった、祖母の影響も多少あって私なりに仏道とか色々と考えた上での般若心経であり、ひとつの見送るけじめだったんだけど。

結局封筒葬儀会館のゴミ箱に捨てた。

黙って入れて宗教的に何かダメだったら祖母信仰にミソがついたみたいで嫌だからさ。

でも遺族としての私の気持ちと、宗派排他性と、導師の方の事務的な問答と、信心深かった祖母預金は残り十数万円だったことと。

どうしたらよかったんだろう?

そろそろ祖母の供養も節目の年になるけど、モヤモヤしちゃってお寺さんにご挨拶に伺うのもしんどい

2021-01-15

anond:20210114104835

これ、宗教コロナ問題じゃなくて田舎の親戚付き合いの問題だと思った

増田一家はあまり親戚づきあいしてなかったんじゃないかな…

普通の流れだと、お通夜の前段階や亡くなる前に親戚に連絡して色々相談したりする

その時点でリモート葬式が明らかに許されない感じの反応を食らうので実現までいかない

(お通夜の前に法事とかやってもらってるお寺さんに連絡した時点でも多分わかる)

もっと前に、普段からその田舎空気がわかってる場合リモート葬式やりたいけど絶対反発されるだろうな…と言い出す前に挫折したりする

そういうのがなかった時点で恐らくもともと親戚とは疎遠で、リモート葬式やったからというよりも

もともと親戚関係微妙だったと思われるのであまり気にしなくていいと思う

親戚と密な付き合いがあっても色々大変なだけなので…

コロナがどうとかじゃなくて田舎ではどんな事情があっても法事葬儀などの行事普通にやらないと、そして行かないととんでもない反発を食らう

年末年始田舎の親戚の集まりクラスター発生した件も恐らく年末年始の親戚の集まりを中止にできなかったからかと)

ちなみに田舎でのコロナ対応葬儀として実現可能な案はそもそもあるのか?についてだけど難しい

高齢者が一番亡くなりやすいけど、普通葬儀やって呑んで喋って盛り上がりたいのは高齢者層なのでもう仕方がない

マスクなしの会食がまずいけど、恐らく会食前に喪主がどう気遣って言っても生意気扱いされるだろうし許されない空気になる

比較的角の立たない方法として、事前に葬儀会社やお寺さんに相談して

かに食事できるよう言ってもらうのは可能かもしれないけど、それでも確実に静かにできずマスク外したまま呑んで喋ると思う…

そんな田舎の親戚づきあいマイルド絶縁してもらえてむしろよかったのでは…

(そうじゃないと今後の法事葬儀もずっと思い通りにはいかないので)

うちの地方だけど葬儀じゃなくて法事すら末期ガンの人とか車椅子の人ですら欠席できなかったりするので

リモート葬式絶対無理というか提案するだけでドン引きされそう…田舎はめんどくさいね

2020-11-15

anond:20201115185334

恋愛工学徒と勝部元気系の女性理解ある男性って結局これ同根なんだよな。「相手に喜ばれそうなこと」を考えて選択肢ポチーっていう相手人間とは思ってない行動が取れる人間

とはいえ自分もそのケの人間なので実際よくわかる。そもそも恋愛に限らず人間関係はすべて人間の行動の「エミュレーション」してる気分だ。親の葬式での振る舞いすら「喪主ならこういう表情をするんだろうなー」「こういうこと言うと親戚にウケいいんだろうなー」って思ってやってた。悲しいは悲しいんだけど、自分にとって自然アウトプット他人にとってそうではなかったりするので注意してる

ただ自分場合恋愛にまでそういうスタンスでいるのはしんどそうすぎるし、そこまでやってモテたいというバイタリティがない。でも、その他の社会生活は大体それでやっつけてる

2020-10-28

親の介護のために実家に戻るかどうか

昨日、母親から連絡が来た。頸椎腫瘍があり手術することになったらしい。腫瘍は切除しなければ全身麻痺になる可能性もあるとのこと。手術はこれからだし何事もなく成功すれば介護必要なくなるので、成功を願うばかり。

ただ親ももういい歳だし、いつかは考えなければならないことだ。でも正直、実家に帰りたくないので、ここで吐き出す。

以下、私の家族

実家

祖父(80後半) 癌の経験あり。今は完治済み

祖母(80前半)

・父(65) 右半身麻痺

・母(64) 手術を控えてる

上京してる

・姉(38) スキルス胃がん ステージ4

・兄(34)

・兄(31)

・私(25)

書き出してみると兄弟の誰かしら実家に帰っては?と思う状況であるしかし兄2人は帰ることはないだろう。理由簡単だ。今でこそ右半身麻痺(理由は忘れた)の父親が昔からDV体質で特に上3人の兄弟は苦しめられたから。母はそんな中でも凄く頑張って私たちを育ててくれていたと思うが、新興宗教信者所謂毒親というやつだった。わたしは正直、そんな家族と離れたくて上京した身なので(ついでに田舎の超監視体質なところも嫌)親がどうなろうと帰りたくないと思っている。最近喪主って誰がやるんだろうと考えたりもする。

話を戻すが、母親が倒れたらもういい加減誰が実家に帰って介護をしなくてはと思っている。そしてそうなった時、おそらく介護させられるのは私だろう。

こうなった時、私はどうすればいいんだろう。

兄弟同士で連絡を取り考えるのが普通かもしれないが、私は兄弟の連絡先も知らないし(家族の近況は母親が知らせてくるのみ)、兄弟と話したくないしなぁ…上3人の誰かが何か考えてくれてればいいけど。

とにかくやっと自由の身になれたのにまた家族に縛られるかもしれないと言うことが非常に悩ましい。

2020-08-15

日中戦争従軍した祖父

過去記憶を頼りに書いているため、情報の正確性を保証できません。それを了承の上でお読みください。

前置きを飛ばしたい場合引用ブロック部分へ

今は亡き私の祖父は、日本軍兵士として末期の日中戦争従軍した。

10年前、祖父は私にその時の詳細を一度だけ語った。

第二次世界大戦が終わって75年、その話を自分記憶がこれ以上劣化しないうちに書き留めておく。

祖父1920年12月まれ1944年頃〜1945年従軍体験を語った当時90歳(認知機能正常)

・私 …1990年まれ、話を聞いた当時21歳

私は幼い頃から祖父中国戦争に行ったことを知っていた。

しかしそれ以上のことは何も知らないままだった。

大学2年のGW、私は両親、妹と共に父方の祖父母宅へ遊びに行った。

祖母と母が台所食事の片付けをし、祖父、父、妹、私が居間で団欒していたその時だった。

祖父が何の前置きもなく、そして極めて淡々と、幼少期から戦争体験を語り出した。


祖父淡路島の山深い農村で生まれた(長男ではない)。

高等小学校卒業後、街の酒屋で奉公した。

将来なりたい職業兵隊だった。

こんな田舎の子供でも「兵隊になる」と思わせる学校教育がなされていた。

奉公が終わった祖父本州民間企業就職した。

そして、徴集がかかった(徴兵検査1921年春?)。

戦地へ赴くよう命令されるまでは、日本国内で訓練を受ける。

兵隊には任期があり、その任期を過ぎると、戦場へ行かなくても良くなる。

任期陸軍・常備兵役現役の2年間?)

祖父任期満了の直前に「中国・石家荘」への出兵命令を受けた。

祖父の話しぶりからは、小学生頃は兵士に本気でなりたいと思っていたが、

いざ徴集される段階になってからは、出兵せずの任期満了を願っていたように感じられた。

ちなみに祖父JR国鉄と呼ぶノリで、中国全体を「満洲」と呼んでいた。

そのため私は石家荘を旧満洲国の都市勘違いしていた。


祖父日本から中国沿岸部まで船で移動し、その後陸路にて石家荘に到着した。

石家荘で祖父はある鉄道の警備を任された。

この鉄道を走る汽車日本軍の物資を運んでおり、これを中国側に妨害される恐れがある。

そのため駅だけではなく途中の線路も警備する必要があり、

祖父担当箇所は山あい農村に近い線路であった。

日本軍は農村占拠し、逃げ遅れたり抵抗した現地の民間人捕虜として捕らえ、使役していた。

しか日本軍に捕まっていない現地人もいて、

彼らが日本軍を襲ってくることがあった。

祖父は彼らに応戦し、山中を駆けずり回った。

当然ながら地の利日本軍より現地人にある。

それに山は樹木で覆われ視界が悪く、敵の姿が見えず、どこから襲ってくるかがわかりにくい。

彼らは銃を含む武器を持っており、しか自分たちの生活基盤を取り戻すべく必死こちらに向かってくる。

木と木の間からは、壮大な万里の長城が見えた。

祖父が戦ったのは民間人のみだったのか、民間人擬態した軍人だったのか、それとも両者混ざっていたのか」

という、かなり重要情報が私の記憶から抜け落ちてしまっている。


ある日、祖父は仲間達と共に銃の撃ち合いをしていた。

もちろん敵から銃弾自分達に向かって飛んでくる(祖父は「プププププッ」という効果音と共に

親指と人差し指でつまむようなポーズをとり、右から左に水平に移動させることで弾道を表現した)。

その時、横にいた年上の兵隊に弾が命中し、彼は息絶えた。

そしてその後、祖父の片脚にも弾が当たった。

祖父は山の中を担架で野戦病院へと運ばれた。

運んだのは、中国人の捕虜達だった。

銃創のでき方によっては、当時の医療技術では脚を切断しなければならなかった。

しか祖父場合銃弾は膝上を貫通しており、脚の切断は免れた。

ただ、祖父の傷の縫合は無麻酔で行われ、激痛が伴った。

祖父野戦病院入院している間、祖父のいた部隊中国側の総攻撃に遭った。

結果、部隊の多くの兵士犠牲となった。

祖父は小柄で屈強ではないため、戦友会では「あの時入院していなかったらお前も死んでいただろう」とよく言われたという。

祖父はその後、1945年8月15日太平洋戦争終戦」を現地で迎えた。

一ヶ月後に日中戦争終結したが、他の任務があったらしく、

祖父帰国は1945〜1946年の冬頃となった。

この部分を聞いた時、私は色々なショックを受けた。

戦争リアル、穏やかでニコニコしている「おじいちゃん」の抱える痛み、そして父や自分誕生紙一重だったということ。

私は祖父の膝上・その裏の傷跡をこの時初めて認識した。


祖父による戦争体験の話には後日談がある。

実は、祖父は膝上の銃弾貫通と同時に片足の小指を失っていた。

このことは、祖父葬儀喪主の伯父(祖父長男)が挨拶の場で初めて語った。

喪主挨拶では他にも、祖父が夜中に大声を出して飛び起きていた(のを幼き日の伯父が目撃した)ことが明かされた。

祖父戦地体験を引き金としたPTSD発症していた可能性がある。

これらの話を祖父がすることはなかったし、裸足の祖父を何度も見ているはずなのに、指が無いことに全く気がつかなかった。

銃弾効果音まぬけさといい、「自分中国人を撃った」経験を話さなかったことといい、

祖父の語りは孫娘用にかなりマイルドになされていたに違いない。

祖父がなぜあのタイミング戦争体験を孫に話したのか、その意図を聞くことはもうできない。

話に圧倒されてしまい、また深堀りを戸惑ってしまい、曖昧情報確認や疑問の解決ほとんどできなかった。

90歳で突如戦争体験を語った3年後、祖父は93歳で他界した。

2020-07-19

ある日の通夜のこと

引越しの準備をしていたら、昔のことを思い出したので、日記の代わりに書き残す。

その日は親族のみの通夜で、神式だった。

参列者も斎主も既に揃い控え室にいて、雰囲気は穏やかだった。

一つあったことといえば、斎主レイジ(位牌)に書く日付を間違えてしまい、今書き直していることくらいだ。

スタッフ葬儀担当者、司会の先輩、案内の私の3人。

そこは火葬場に複数併設された式場のひとつだった。

忙しそうな他の式場の様子を眺めていると、控え室にいた喪主が降りてきて「祭壇を見てもいいですか?」と言った。

神式の祭壇は、仏式とは雰囲気が違う。壇の上には鯛、生卵、生米、野菜乾物などのお供えが並び、白い陶器で出来たさまざまな神具。周りには花はなく榊が飾られている。

一頻り祭壇を眺めていた喪主が「あの中央の鏡はなんですか?」と聞く。

「あの鏡は御本尊のようなもので、一番大切な神具ですよ」

へー…この鏡が、喪主が祭壇と棺の狭い隙間に入った。

その瞬間。

ゴオッと音がし、「危ない!」と先輩の声がしたと同時に、物が壊れ割れる音が響き渡った。

顔を上げると喪主が倒れてきた祭壇と棺の間で潰れかかっていた。

慌てて駆け寄り祭壇を全員で押し戻す。神具と卵が割れ、供物や米や榊の葉があたり一面に散乱していた。

蒼白して辺りを見回すと喪主が「これ…」となにかを差し出してきた。鏡だ。

「思わず受け止めてました…一番大事なんですよね?」と言った。

開式20分前だった。


原因は、式場裏の搬入口を花屋が開けたことによる風圧だった。最悪だが、ままあることらしい。

喪主謝罪し控え室に戻ってもらった。

私はもう頭がパンクして事務所に送るメールのことを考えていた。

先輩が言った。「ご親族斎主に開式が遅れることを伝えてきますから、2人は式場を見れる状態にお願いします」

この人は女杉下右京みたいな人で、いつも冷静で優雅で、信頼できる人だった。この時も蒼白している私と担当者を尻目に、顔つきは変わらなかった。


掃除をしてわかったことがあった。

たくさんの細かな神具があるにも関わらず、割れたのは数枚の皿だけだった。

そして辺り一面は卵で汚れきっていたが、目の前にあった棺だけは何故かピカピカのままだった。

そして、本来ならもう置かれていたはずの位牌は、書き直しによりまだ斎主の元にある。

鏡も、喪主のおかげで無事だった。

そもそも、あの狭い隙間に喪主が入らなければ、祭壇は倒れ、棺は下敷きになり、ご遺体がどうなっていたかもわからない。喪主危険な目に合わせてしまったが、その可能性を考えたらゾッとした。


必要なのは卵と米と皿だけで、最悪だが、事態を見れば奇跡的だと思った。

そうこうしているうちに先輩が帰ってきた。

親族にも斎主にも事情お話しましたが、のほほんとしてました。これ位牌です。"書き損じてよかったな〜"なんて言ってました」

続けて「あとこれ、卵とお米です。料理屋さんにお話ししたら、神式って聞いて一応持ってきたんだそうです」

驚いた。と同時に外のガラス戸が空いた。胸にネームプレートがついている。他の葬儀屋だ。

「大きな音を立てて、申し訳ありません」と言い出ると、「いえあの、祭壇倒れちゃったんですか?うちも今日神式なんです。余ってる神具します、言ってください」と言った。

今度は先輩も驚いていた。今は多くが仏式という中で、併設式場6つ中2つの式場で神式をやっており、更にこんな申し出をしてくれる可能性がどのくらいか


そういった偶然や、優しさが重なって、20分前あの惨状だったにも関わらず、その式は18:00定刻に始まった。

何事もなかったかのように、厳かに、そして和やかに終わった。

最後に改めて全員で喪主謝罪するとと「びっくりしたけど、父にも皆にも何事もありませんでしたから。直前に鏡の話を聞いていてよかった」と笑っていた。


帰り道、先輩が言った。

「びっくりしたわ。定刻に始められるなんて思わなかった。こんな大事な日にこんなこと。ご遺族から斎主からも大変なクレームになると思った。本尊も位牌も棺も無事、御供物も揃って、神具まで貸していただけて…こんなことあるのね」

続けてこう言った。

今日のお式には、神様がいらっしゃいましたね」

葬儀仕事をしている間、不思議なことはいろいろあったが、この日は特に不思議な日だった。

わたしはこの言葉が忘れられない。

2020-07-17

anond:20200717124512

こういうバカに限って葬式に喪服で来たりするから質が悪い

喪服というのは喪主が着るもので参列者は死ぬことが予め分かっているわけではないので喪服で行くのは貴方死ぬのは知ってたので準備万端ですって言ってるのと同じ(生前葬なら問題ないだろうけど)、同様の理由香典ピン札を使ってはいけない

2020-07-15

田舎に帰りたい

私の祖母が亡くなったのは、この春の事だ。

世間は県外移動の自粛を求めており、不要不急の外出を控えるように、と声高に叫ばれてる、そんな頃だった。

彼女は90歳を超えた大往生であり、こればかりは致し方ない、というやつだ。

自宅の布団で昼寝をしたまま二度と起きて来なかった彼女は、穏やかな顔だった、らしい。

 

らしい、というのは、私は祖母葬式に出れなかったからだ。

東京という土地で住む私は、喪主たる伯父から直々に電話を貰い『申し訳ないが、葬式への出席を遠慮して欲しい』と言われたのが、理由だ。

正直、悔しかった。私は祖母が好きで、最後のお別れをきちんとしたかった。

けれど同時に、伯父が意地悪で言っている訳では無いとも、分かって居た。

田舎葬式だ。そして祖母の年齢になると、弔問客も、親戚も、高齢者層が増える。

そこに、東京から帰って来た孫が、まかり間違ってウィルスを持ち込みでもすれば。

伯父の苦渋に満ちた声に、私は泣きながら『分かりました』と返事をし、折れるしかなかった。

現地に居る兄が時折寄越すラインの画面を見つめながら、部屋で孤独に過ごす時間は酷く悲しかった。

 

あれから3か月。

私は、骨になった祖母にすら、まだ会えていない。

 

致し方ないと思う。

親戚の家だけではない。その近所にも沢山の高齢者が住み、そうして小さな村社会で生きている。

毎日都心100人とかニュースが出て、そんな私が田舎に帰って発生原になったら、と考える皆の意見は良く分かる。

それでも、祖母葬式にも出られず、位牌を拝む事も出来ず、骨壺を見て泣くことも許されず、今日まで生きて来た。

 

 

から、私はGoToキャンペーンが憎い。

私は未だ田舎に帰る事も出来ず、大事な人に手を合わせる事すら許されないのに、観光客は私の田舎に土足でやってくる。

旅行キャンセル料が勿体ないから、政府が後押ししてくれているから、という理由を盾に取り、ほいほいと流入する。

観光業はもういっぱいいっぱいなんです。死に体なんです。このキャンペーンが無いと路頭に迷うんです』というが、私の好きだった店で、もう何件も閉店をした所がある。

正直、苦しさであえいでいるのは観光業だけじゃないだろう。

死なば諸共、なんて意見が正しいとは絶対に言わない。誰かが痛い思いをしたなら、他に痛い思いをする人が出て来ない様、手当てをするのは当然だという理由も分かる。

けれど、どうしてあのお店達は助けて貰えなかったのに、観光業だけ助けて貰えるんだ、って思うと、尚憎い。

多分これは『自分禁止されていたのに、どうしてあの子は良いって言うの!?』っていう悔しさも、加味されているのだろうけれど。

 

知っている。これは全部八つ当たりであって、別に誰も悪くない。

それでも、不要不急でない、少なくとも帰る理由が過分にしてある私は田舎に足を踏み入れられないのに、観光客は知らん顔でやって来る。

観光客はその土地に住んでいる人間責任を負わなくて良い。だから彼らが発生原因になっても、別に私の親類縁者は何も困らない。

けれど、そこの出身地であるという私は、発生原因になると責任を負わなくてはならない。私の親類縁者に迷惑が掛かると言われ、それを承服するしかない。

 

 

繰り返すが、これはただの八つ当たりである

それでも、私はGoToキャンペーンなんて奴が大嫌いで、一刻も早く取りやめて欲しいと願っている。

そうやって歯を食いしばっている人間からすれば、観光客、なんて不要不急の人間のせいで、私の田舎クラスターが発生する事だけは、止めて欲しいからだ。

そこで発生したコロナで、また私の身内で、知人で、人死にが出たら、と想像するだけで堪らなく苦しくなる。

少なくとも、そういう所にしか、今の私の怒りの拳は、下ろす先が無いのだ。

 

 

一日も早く、コロナ収束して、あるいは特効薬が出て、私は祖母挨拶をしたい。

私は、田舎に帰りたい。

2020-06-09

社員の身内の不幸情報が集まってくる部署にいるんだけど

最近立て続けに社員の親とか祖父母まり高齢者バタバタ死んでる

昔の弔事連絡書には死因を書かせる欄があったけど今はそんなのないから分からない

急に暑くなったからなのか緊急事態解除で市中感染煽りを食ってしまったのか

あと喪主の欄「逝去者との続柄」って書いてるのに理解できてない奴多すぎ

祖父が亡くなって祖母喪主】なのに【逝去者との続柄祖母】とか

90近い爺ちゃん祖母喪主とかすげえな120歳くらいで喪主できるくらい健在なのかよバラエティ番組取材してもらえよ

それから手続き上は会社からの弔電とか花とか全部不要にしてもらえると助かる

名前出したからって威張れるような会社じゃないし何より手配がめんどくさい

頭のおかし社員だと親族が足りないから総務が通夜の受付やってくれとか誰か参列しろとか言ってくる

知らねえよお前がやれ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん