はてなキーワード: 喪主とは
同性「婚」にするかは別として、同性カップルにある程度の権利を持たせる制度は作ったほうがいいんじゃないかと思う。
配偶者控除とかじゃなくて、例えば「死ぬ間際に病室で面会できる」とか「喪主になれる」とか。遺書がなくてもパートナーとして遺産を受け取れるとか。
このままだと50年連れ添った同性パートナーには遺産を渡せなくて、縁切ってた兄弟の顔も知らない子どもに遺産が渡される…みたいなことが起こり得るわけでしょ。
それなら別に「少子化対策に貢献しない同性カップルが優遇されるなんて」ってならないし。それすらも駄目なんかね。
移民が増える〜って考えの人もいるけど、それなら若い外国人女性と中年の日本男性のカップルが婚姻届出すときに厳しく審査するのが先なんじゃない?
最終章ではありますがまだやるべきことが残っているので第1篇となるでしょう。
- 母親の介護から逃げてから、その後 anond:20210322144223
- 母が精神病棟に入院した anond:20210403022555
以前に語ったとおり、母親は病気で自活が不可能となり父親による老老介護を受けた後に精神病棟に入りました。その後は体調不良のたびに転院を繰り返し、最後は実家からほど近い病院で息を引き取りました。最期を看取ることはできませんでした。そもそも職場から2時間近くかかりますし一報があった時点ですでに危篤状態でした。
その少し前から体調不良が続きいつ旅立ってもおかしくない状態でした。でもコロナにより面会はかなりの制限がついていたので、病院からほど近い父でも最期を看取ることは難しかったのとこと。特に第5波の現在ではまともに病院に入れることすら怪しいのですが。
母親に関しての良い記憶は殆どありません。私が子供の頃から彼女の周囲はストレスと負の感情が渦巻いていました。あらゆることに怒鳴り散らし厄介事を量産します。隣人、宅配業者や取引先とのトラブルは枚挙にいとまがありません。家族の中にあっても暴力と暴言は絶えず、幼いときから母親は嫌悪と畏怖の対象でした。常に誰かしらを敵に回すことでしか自分を保てず、最後は泣きわめいて八つ当たりを繰り返す人でした。機械音痴だったのが救いでしょう。彼女はスマホやPCどころか自身のケータイ電話すらもっていませんでした。仮にスマホを扱えたとしたらツイッターやらでどんなことを書いたかわかりません。
そんな母も亡くなりました。
一番最後に家族が聞いた言葉は「来てくれてありがとう」だったそうです。数すくない面会の中で唯一話せたのはそれだけだったとか。そもそも、4月以降の入院生活の多くで彼女は心を閉ざしていたようです。閉鎖病棟という空間が耐えられなかったのかもしれません。彼女自身が介護状態になってから父への依存がマックスになっていたこともあり、父に会えず家族の顔を見れない寂しさが彼女を内向的にしていったのでしょう。だから面会時に言葉を話したことに周りの看護師が驚いた、と聞きます。おしゃべりだった母親がおとなしく心を閉ざすということはよほど病院の生活が心を折るに充分だったに違いありません。
父はそれを後悔しているようです。
葬儀は直葬でした。リーズナブルで早いというそれだけの理由でしたがコロナ禍では最善の方法だと思います。母親の親戚縁者数名と私の家族だけで執り行いました。
葬式自体は何度か経験があるものの、直葬は初めてです。住職もなく火葬場に直接集まって遺体を焼いて納骨するだけというもので、移動時間を除けば1時間半で終わりました。
従来型のように通夜と告別式を執り行うことが悪いとは思いません。故人を悼む人の多さや気持ちの整理をつけるために必要な儀式もありますから。
高くとも50万せず、極めて簡易的でスピーディ。遺族の負担が本当に少ないのです。
なぜ喪主が大勢の人の前で挨拶をしなければならないのか。多くの時間とお金をかけて悲しみと疲れをふくらませる必要があるのか。ほとんど交流のない親戚や会社の人々に頭を下げなければいけないのか。お坊さんの固いお話。。。
それらをすべて省くだけでここまで楽になれるのかと感動しました。いままでの葬式は何だったのでしょう。
コロナは多くのものを奪いましたが、葬式に対する考えを改める機会をくれたことだけはメリットと受け取っています。
さて、旅立ちのあと家族と合流していくつかわかったことがあります。
母親はいくつか不動産を持っているのですが、その一つが少々どころかかなり厄介な物件だということ。保険嫌いだったのにいくつか保険に入っていたこと。預貯金はそこそこあるのですが、額よりその中身についてここで書くことが憚られるものであること。デパートの預け金が結構な額になること。そして、母親が成人後に殆ど健康診断等を受けていなかったということ。
母親が病院を嫌っているのはわかっていましたが、健康診断そのものをまともにしていないのは驚きです。歯もぼろぼろだったので長く歯医者にも行っていなかったのでしょう。
思えば母親の数々の病気は、去年の夏に倒れてからようやくわかったものですばかりです。糖尿病やガンなど、本当は健康診断で発覚するものばかりです。少なくとも献血でいいからしておけばなんらかの予兆を見て取れたかもしれません。
恐らく長いあいだ健康上の不安を抱えていたと思います。でもそれを認めずに騙し騙し過ごしていた結果がこれです。
さらに病気がわかっても頑なに医者を信用せずかなり説得が難しかったと聞きます。
自分の家族が崩壊寸前だった記憶が強いがために、幸せな家族という存在が実感できないのが本音です。配偶者の実家にお邪魔したとき、リビングに家族との写真が所狭しに飾ってあったのはかなり印象的でした。そうやって家族と記念写真を撮って飾っておく習慣が失われた家庭でしたから。実家で目につく写真といえば、唯一仏間くらいにしかありません。本当は以前にもありましたが引越しの際に殆どなくなってしまいました。
今一番不甲斐ないのは、遺産や死後の手続きの諸々を実家の家族に任せっきりだということでしょうか。でも多くがオートメーション化されているのでかなり手続きは簡単とのこと。いい時代ですね。
遺産の整理がついたら第2編を書くかもしれません。
母親がいわゆる「友達親子」になりたくて産み分けまでして産んだ娘と全く気が合わなかったという記事を読んで旋律した
私も娘を産んだので
息子なら気が合わなくても男と女は違う生き物だから仕方ないよねーで済むが娘と合わない母親つーのはショックだ
娘は今一歳で衣食住完全に親に依存してるから合う合わない関係ない生活してる
私が母親と性格が合わないので、性格が合わない母娘のシチュエーションはバッチリ
プレゼントを送ったあとにまた送ってねと言うところとか私は家をとっくの昔に出てるのに実家の家電の修理費を払えとか、祖父のオムツ替えを母親はやらないくせに私の妹にやらせようとするところとか
もう亡くなった祖父が昔排尿するときに私に尿瓶を持たせたところとか(大好きなおじいちゃんだったから下の世話をすることに当時なんの疑問も持たなかったけど今思うと立場的に母親が率先してやるべきだろ娘にやらせるなよ私なら父親がおしっこするとき絶対大切な娘に尿瓶を持たせないわ娘が介護士になってお年寄りの世話をすることにはなんとも思わんけどプライベートで祖父の下の世話は絶対にやらせない)
出産はガチャだから陰キャの私から陽キャの娘が生まれるかもしれないし陰キャの私を見て育ち陰キャの娘になるかもしれないし
とにかく子供ちゅーもんは親の思いどおりの人間にさせようとしちゃダメ
たとえ、私が娘に嫌われたって娘が幸せな人生を歩んでくれたらそれでいい。でも葬式の喪主はやってほしいなぁ
とりあえず、旦那の悪口や愚痴は子供には絶対に言わないでおこうと決めてる
母親から父親の悪口を聞かされて心を病むお子さんたくさんいるから……
まぁ、母親が父親の愚痴を言わず飲み込んでても父親が母親を苦しめるような家庭だったら子供は少なからず心を病むから
ちょうどその頃から祖母がボケ始めた。休日に祖母の家に来てくれと電話が鳴り、母が出ないので私が取り、仕事で疲れているから無理だと断っていた。
社会人1年目の冬、知らない番号から着信があったので出てみたら、祖母のかかつりけ医らしい。
母と連絡が取れないので、祖母宅にメモがあった私の番号にかけたらしい。
祖母の病状が悪く、一度見に来てほしいとのことだったので休みを取って行った。仕事が佳境だったので恐る恐るだった。
祖母はがんにかかっていたらしい。顔が酷く腫れ上がって明らかに弱っていた。
小学生の時は私をネグレクトした母の代わりにご飯を作ってくれ、父宅に住んでいた時も、私を呼びだして会う度にご飯を奢ってくれ、お小遣いもくれた祖母だった。酷い状態に涙が止まらなかった。医師の話も聞いた。
何回か通ううちに、私のことを祖母の妹の名前で呼ぶようになった。それがつらくて行くのをやめた。
祖母の親族と母に連絡するだけで自分の役目を終えたような顔をして、また仕事に行って休みは寝たり遊んだりする日々に戻った。
仕事が終わって自宅の最寄り駅に着いたばかりの私は、「疲れているので行けない」と返した。
祖母はそのまま亡くなった。連絡が来てからやっと自分のしてしまったことに気づき、熱を出して寝込んだ。熱が下がらないまま遺品整理の手伝いに行ったがまるで役に立たなかった。
葬儀の喪主は母だったが、やはり様子はおかしかった。親戚や父も含めて会食をしようとしたらしいが、場所を押さえてないので無理だった。八つ当たりされたので逃げ帰った。
小学生時代は祖母に育ててもらったようなものなのに、大学生にもなってお小遣いを貰っていたのに、なんで仕事で疲れたくらいであんなに簡単に切り捨てられたんだろう。自分はまともな人間だとばかり思っていた。おばあちゃんごめんなさい。
骨壷は母が持っていたが、どうも墓に入れるのを面倒がっていたので、私が行っている墓には祖母がいないかもしれない。墓越しに謝ることすらできない。
墓参りには線香しか持っていかなかった。あとは掃除だけして帰った。
祖母は私の着物姿を見て喜んでくれた。習字で金賞が取れなかった時だけ怒られたけど、私がもらった賞状やトロフィーをたくさん並べていた。
次は花を持っていった方がいいだろうか。祖母の好きな花も知らない。仏花は菊だったっけ?
私が死んだら祖母に会って謝れるんだろうか。
比較的楽しく過ごしているけど、ふと祖母のことを思い出す度に罪悪感で苦しくて涙が止まらなくなる。本当にごめんなさい。父と母に振り回されていた私をかわいがってくれたのに、報いるどころかネグレクトで返した。
言い訳しようと思えばいくらでもできる。そう思う度に自分の外道さに反吐が出る。仕方なくなんかない。疲れていたとか関係ない。祖母に比べれば大変なんかじゃなかった。休みには遊ぶ余裕があったのになんで行かなかったんだ。きっと私がそういう人間だからだ。屑だ。生きていていいのだろうか。父と母が死ぬ時も私はこうなんだろうか。私が代わりに死ねばよかったのにな。ごめんなさい。ごめんなさいと伝えられない。ごめんなさい。おばあちゃんは許してくれるだろう。こんな屑に優しくしてくれたんだから。
天罰を与えてくれ。
「そう・・・」ぐらいのもので、帰る実家がなくなるとかそういう感覚もないしこのあと二人と連絡を取るのかすら怪しい。
自分は所謂「長女様」ってタイプの人間で、末っ子両親の間に生まれ二人姉妹の上、「下の子供の気持ちがわかってない」と怒鳴られて以降、
家族全員を弟や妹として捉える事で精神の均衡をなんとか保ってきた。
なるべく連絡も取らず、相続放棄・喪主の果てまで娘たる妹に丸投げしようと心に固く誓っていた。
それがあっけなく離婚した。おそらく最近の情勢でずっと二人が家にいるようだったから、見えなかったものが見えてしまったんだろう。
「寂しい」だの「心配」だの、綺麗な言葉を並べてくる厄介極まりない元カノみたいな連絡のとり方をしてきた母親に対しても、
今更甘えてくるのか、とかそういう気持ちしかわかず、父親も「母親が最近おかしい」というし、
何なら二人は夫の出来ること・妻の出来ることに限界を覚えたのか、「すべてを解決できるのは娘であるお前だ」と家族の大黒柱にする始末である。家族ごっこってめっちゃ疲れる。
今思えばSOSだったのかも知れないけど、今までのことを考え直すとここで娘が解決してくれると私を頼るのはナンセンスなんじゃないかなって思ってしまった。
不思議なことに申し訳無さもまったくないし、「私があの時連絡を取っていれば」みたいな後悔や自責の念が一切ない!面白いぐらいにない!!
いや本当に。きっと育ててくれた恩とかないのかって思うかも知れないけど、困ったことにそれを差し引きマイナスに出来るレベルのあーだこーだがあったので親子の情ってものがない。
家族愛って二次元やドラマの中にしかないんじゃないかなって思ってるし、母親と旅行に行ったとかって話す人は随分幸せな人生歩んでるんだな・・って別次元の人として見てしまうし。
本当に困ったことに、やっと自分の人生始められる気がしてきて将来の展望どうしようかなって前向きな発想しか湧いてこないんだなこれが。
結局私に兄や姉が出来ても、末っ子ではない私はあの家の家族には一生なれないし、末っ子っていう家族を作るためのゴミみたいな感覚で生まれてきたんじゃないかなって思えば
人生も多少楽になるんじゃないかって思ってたら家族がなくなっちゃったよ。最初からきっと家族じゃなかったんだろうけど。
これからも誰かを頼って生きていくんだろうけど頑張ってくれ。私は父と母のお姉ちゃんでいることにもう疲れた。
私も人間になりたい。お姉ちゃんって生き物じゃないんだ。適当な概念姉でも見つけてくれ。もう知らん。
ここまで五体満足で育ててくれた事には感謝しますが、歪んでしまったものを直し、欲しかったものを手にするために親は不要でした。
お世話になりました。さようなら。
祖母は夫を早くに亡くして戦後空襲の焼け跡に縄張ってバラック建てて子供を5人育てたような人。
私の母にはクソ姑だったらしいけどそれはご愛嬌。
それはそれは信心深くて、離れて暮らしてる私達が訪ねて行っても法話会だ報恩講だって出かけてしまってたり。
やっぱり娑婆の人間からすると身内の使ったお金は気になるもんで、御布施も結構してたんじゃないかな。バラック跡に建てた小さい小さい家で何の贅沢もせず、シワシワのくちゃくちゃになって最後は病院で看取られて亡くなった。
でね、私は新幹線の距離にいたんだけど祖母の葬式って事で駆け付けたのよ。やっぱりかそろそろだと思ってたってのと、もう一回くらいは会えるつもりでいたのになってのと半々。
どうしても気持ちが収まらなくて、通夜の夜に写経をしたのね。般若心経。初音ミクとかでブームになる前だったかな、でもこっちはそれなりにハマってたのよ。封筒に入れて、葬儀の前に導師の方と喪主の父が話す時に同席して、棺に添えて入れていいかって聞いたらさ。ダメだって。
なんかねーやるせなかった、祖母の影響も多少あって私なりに仏道とか色々と考えた上での般若心経であり、ひとつの見送るけじめだったんだけど。
黙って入れて宗教的に何かダメだったら祖母の信仰にミソがついたみたいで嫌だからさ。
でも遺族としての私の気持ちと、宗派の排他性と、導師の方の事務的な問答と、信心深かった祖母の預金は残り十数万円だったことと。
どうしたらよかったんだろう?
これ、宗教やコロナの問題じゃなくて田舎の親戚付き合いの問題だと思った
普通の流れだと、お通夜の前段階や亡くなる前に親戚に連絡して色々相談したりする
その時点でリモート葬式が明らかに許されない感じの反応を食らうので実現までいかない
(お通夜の前に法事とかやってもらってるお寺さんに連絡した時点でも多分わかる)
もっと前に、普段からその田舎の空気がわかってる場合、リモート葬式やりたいけど絶対反発されるだろうな…と言い出す前に挫折したりする
そういうのがなかった時点で恐らくもともと親戚とは疎遠で、リモート葬式やったからというよりも
もともと親戚関係は微妙だったと思われるのであまり気にしなくていいと思う
親戚と密な付き合いがあっても色々大変なだけなので…
コロナがどうとかじゃなくて田舎ではどんな事情があっても法事や葬儀などの行事は普通にやらないと、そして行かないととんでもない反発を食らう
(年末年始田舎の親戚の集まりでクラスター発生した件も恐らく年末年始の親戚の集まりを中止にできなかったからかと)
ちなみに田舎でのコロナ対応葬儀として実現可能な案はそもそもあるのか?についてだけど難しい
高齢者が一番亡くなりやすいけど、普通に葬儀やって呑んで喋って盛り上がりたいのは高齢者層なのでもう仕方がない
マスクなしの会食がまずいけど、恐らく会食前に喪主がどう気遣って言っても生意気扱いされるだろうし許されない空気になる
比較的角の立たない方法として、事前に葬儀会社やお寺さんに相談して
静かに食事できるよう言ってもらうのは可能かもしれないけど、それでも確実に静かにできずマスク外したまま呑んで喋ると思う…
そんな田舎の親戚づきあい、マイルド絶縁してもらえてむしろよかったのでは…
(そうじゃないと今後の法事や葬儀もずっと思い通りにはいかないので)
恋愛工学徒と勝部元気系の女性に理解ある男性って結局これ同根なんだよな。「相手に喜ばれそうなこと」を考えて選択肢ポチーっていう相手を人間とは思ってない行動が取れる人間
とはいえ自分もそのケの人間なので実際よくわかる。そもそも恋愛に限らず人間関係はすべて人間の行動の「エミュレーション」してる気分だ。親の葬式での振る舞いすら「喪主ならこういう表情をするんだろうなー」「こういうこと言うと親戚にウケいいんだろうなー」って思ってやってた。悲しいは悲しいんだけど、自分にとって自然なアウトプットは他人にとってそうではなかったりするので注意してる
ただ自分の場合、恋愛にまでそういうスタンスでいるのはしんどそうすぎるし、そこまでやってモテたいというバイタリティがない。でも、その他の社会生活は大体それでやっつけてる
昨日、母親から連絡が来た。頸椎に腫瘍があり手術することになったらしい。腫瘍は切除しなければ全身麻痺になる可能性もあるとのこと。手術はこれからだし何事もなく成功すれば介護も必要なくなるので、成功を願うばかり。
ただ親ももういい歳だし、いつかは考えなければならないことだ。でも正直、実家に帰りたくないので、ここで吐き出す。
以下、私の家族
・祖母(80前半)
・父(65) 右半身麻痺
・母(64) 手術を控えてる
上京してる
・兄(34)
・兄(31)
・私(25)
書き出してみると兄弟の誰かしら実家に帰っては?と思う状況である。しかし兄2人は帰ることはないだろう。理由は簡単だ。今でこそ右半身麻痺(理由は忘れた)の父親が昔からDV体質で特に上3人の兄弟は苦しめられたから。母はそんな中でも凄く頑張って私たちを育ててくれていたと思うが、新興宗教の信者で所謂毒親というやつだった。わたしは正直、そんな家族と離れたくて上京した身なので(ついでに田舎の超監視体質なところも嫌)親がどうなろうと帰りたくないと思っている。最近は喪主って誰がやるんだろうと考えたりもする。
話を戻すが、母親が倒れたらもういい加減誰が実家に帰って介護をしなくてはと思っている。そしてそうなった時、おそらく介護させられるのは私だろう。
こうなった時、私はどうすればいいんだろう。
兄弟同士で連絡を取り考えるのが普通かもしれないが、私は兄弟の連絡先も知らないし(家族の近況は母親が知らせてくるのみ)、兄弟と話したくないしなぁ…上3人の誰かが何か考えてくれてればいいけど。
※過去の記憶を頼りに書いているため、情報の正確性を保証できません。それを了承の上でお読みください。
今は亡き私の祖父は、日本軍兵士として末期の日中戦争に従軍した。
第二次世界大戦が終わって75年、その話を自分の記憶がこれ以上劣化しないうちに書き留めておく。
・祖父…1920年12月生まれ、1944年頃〜1945年従軍、体験を語った当時90歳(認知機能正常)
しかしそれ以上のことは何も知らないままだった。
大学2年のGW、私は両親、妹と共に父方の祖父母宅へ遊びに行った。
祖母と母が台所で食事の片付けをし、祖父、父、妹、私が居間で団欒していたその時だった。
祖父が何の前置きもなく、そして極めて淡々と、幼少期からの戦争体験を語り出した。
こんな田舎の子供でも「兵隊になる」と思わせる学校教育がなされていた。
祖父の話しぶりからは、小学生頃は兵士に本気でなりたいと思っていたが、
いざ徴集される段階になってからは、出兵せずの任期満了を願っていたように感じられた。
ちなみに祖父はJRを国鉄と呼ぶノリで、中国全体を「満洲」と呼んでいた。
祖父は日本から中国沿岸部まで船で移動し、その後陸路にて石家荘に到着した。
この鉄道を走る汽車は日本軍の物資を運んでおり、これを中国側に妨害される恐れがある。
日本軍は農村を占拠し、逃げ遅れたり抵抗した現地の民間人を捕虜として捕らえ、使役していた。
彼らが日本軍を襲ってくることがあった。
それに山は樹木で覆われ視界が悪く、敵の姿が見えず、どこから襲ってくるかがわかりにくい。
「祖父が戦ったのは民間人のみだったのか、民間人に擬態した軍人だったのか、それとも両者混ざっていたのか」
という、かなり重要な情報が私の記憶から抜け落ちてしまっている。
ある日、祖父は仲間達と共に銃の撃ち合いをしていた。
もちろん敵からの銃弾が自分達に向かって飛んでくる(祖父は「プププププッ」という効果音と共に
親指と人差し指でつまむようなポーズをとり、右から左に水平に移動させることで弾道を表現した)。
そしてその後、祖父の片脚にも弾が当たった。
銃創のでき方によっては、当時の医療技術では脚を切断しなければならなかった。
しかし祖父の場合、銃弾は膝上を貫通しており、脚の切断は免れた。
祖父が野戦病院に入院している間、祖父のいた部隊は中国側の総攻撃に遭った。
祖父は小柄で屈強ではないため、戦友会では「あの時入院していなかったらお前も死んでいただろう」とよく言われたという。
この部分を聞いた時、私は色々なショックを受けた。
戦争のリアル、穏やかでニコニコしている「おじいちゃん」の抱える痛み、そして父や自分の誕生が紙一重だったということ。
このことは、祖父の葬儀で喪主の伯父(祖父の長男)が挨拶の場で初めて語った。
喪主挨拶では他にも、祖父が夜中に大声を出して飛び起きていた(のを幼き日の伯父が目撃した)ことが明かされた。
祖父は戦地の体験を引き金としたPTSDを発症していた可能性がある。
これらの話を祖父がすることはなかったし、裸足の祖父を何度も見ているはずなのに、指が無いことに全く気がつかなかった。
銃弾の効果音のまぬけさといい、「自分が中国人を撃った」経験を話さなかったことといい、
祖父の語りは孫娘用にかなりマイルドになされていたに違いない。
祖父がなぜあのタイミングで戦争体験を孫に話したのか、その意図を聞くことはもうできない。
引越しの準備をしていたら、昔のことを思い出したので、日記の代わりに書き残す。
一つあったことといえば、斎主がレイジ(位牌)に書く日付を間違えてしまい、今書き直していることくらいだ。
忙しそうな他の式場の様子を眺めていると、控え室にいた喪主が降りてきて「祭壇を見てもいいですか?」と言った。
神式の祭壇は、仏式とは雰囲気が違う。壇の上には鯛、生卵、生米、野菜や乾物などのお供えが並び、白い陶器で出来たさまざまな神具。周りには花はなく榊が飾られている。
一頻り祭壇を眺めていた喪主が「あの中央の鏡はなんですか?」と聞く。
へー…この鏡が、喪主が祭壇と棺の狭い隙間に入った。
その瞬間。
ゴオッと音がし、「危ない!」と先輩の声がしたと同時に、物が壊れ割れる音が響き渡った。
顔を上げると喪主が倒れてきた祭壇と棺の間で潰れかかっていた。
慌てて駆け寄り祭壇を全員で押し戻す。神具と卵が割れ、供物や米や榊の葉があたり一面に散乱していた。
蒼白して辺りを見回すと喪主が「これ…」となにかを差し出してきた。鏡だ。
「思わず受け止めてました…一番大事なんですよね?」と言った。
開式20分前だった。
原因は、式場裏の搬入口を花屋が開けたことによる風圧だった。最悪だが、ままあることらしい。
私はもう頭がパンクして事務所に送るメールのことを考えていた。
先輩が言った。「ご親族と斎主に開式が遅れることを伝えてきますから、2人は式場を見れる状態にお願いします」
この人は女杉下右京みたいな人で、いつも冷静で優雅で、信頼できる人だった。この時も蒼白している私と担当者を尻目に、顔つきは変わらなかった。
たくさんの細かな神具があるにも関わらず、割れたのは数枚の皿だけだった。
そして辺り一面は卵で汚れきっていたが、目の前にあった棺だけは何故かピカピカのままだった。
そして、本来ならもう置かれていたはずの位牌は、書き直しによりまだ斎主の元にある。
鏡も、喪主のおかげで無事だった。
そもそも、あの狭い隙間に喪主が入らなければ、祭壇は倒れ、棺は下敷きになり、ご遺体がどうなっていたかもわからない。喪主を危険な目に合わせてしまったが、その可能性を考えたらゾッとした。
必要なのは卵と米と皿だけで、最悪だが、事態を見れば奇跡的だと思った。
そうこうしているうちに先輩が帰ってきた。
「親族にも斎主にも事情をお話ししましたが、のほほんとしてました。これ位牌です。"書き損じてよかったな〜"なんて言ってました」
続けて「あとこれ、卵とお米です。料理屋さんにお話ししたら、神式って聞いて一応持ってきたんだそうです」
驚いた。と同時に外のガラス戸が空いた。胸にネームプレートがついている。他の葬儀屋だ。
「大きな音を立てて、申し訳ありません」と言い出ると、「いえあの、祭壇倒れちゃったんですか?うちも今日神式なんです。余ってる神具貸します、言ってください」と言った。
今度は先輩も驚いていた。今は多くが仏式という中で、併設式場6つ中2つの式場で神式をやっており、更にこんな申し出をしてくれる可能性がどのくらいか。
そういった偶然や、優しさが重なって、20分前あの惨状だったにも関わらず、その式は18:00定刻に始まった。
最後に改めて全員で喪主に謝罪するとと「びっくりしたけど、父にも皆にも何事もありませんでしたから。直前に鏡の話を聞いていてよかった」と笑っていた。
帰り道、先輩が言った。
「びっくりしたわ。定刻に始められるなんて思わなかった。こんな大事な日にこんなこと。ご遺族からも斎主様からも大変なクレームになると思った。本尊も位牌も棺も無事、御供物も揃って、神具まで貸していただけて…こんなことあるのね」
続けてこう言った。
私の祖母が亡くなったのは、この春の事だ。
世間は県外移動の自粛を求めており、不要不急の外出を控えるように、と声高に叫ばれてる、そんな頃だった。
彼女は90歳を超えた大往生であり、こればかりは致し方ない、というやつだ。
自宅の布団で昼寝をしたまま二度と起きて来なかった彼女は、穏やかな顔だった、らしい。
東京という土地で住む私は、喪主たる伯父から直々に電話を貰い『申し訳ないが、葬式への出席を遠慮して欲しい』と言われたのが、理由だ。
正直、悔しかった。私は祖母が好きで、最後のお別れをきちんとしたかった。
けれど同時に、伯父が意地悪で言っている訳では無いとも、分かって居た。
田舎の葬式だ。そして祖母の年齢になると、弔問客も、親戚も、高齢者層が増える。
そこに、東京から帰って来た孫が、まかり間違ってウィルスを持ち込みでもすれば。
伯父の苦渋に満ちた声に、私は泣きながら『分かりました』と返事をし、折れるしかなかった。
現地に居る兄が時折寄越すラインの画面を見つめながら、部屋で孤独に過ごす時間は酷く悲しかった。
あれから3か月。
私は、骨になった祖母にすら、まだ会えていない。
致し方ないと思う。
親戚の家だけではない。その近所にも沢山の高齢者が住み、そうして小さな村社会で生きている。
毎日都心で100人とかニュースが出て、そんな私が田舎に帰って発生原になったら、と考える皆の意見は良く分かる。
それでも、祖母の葬式にも出られず、位牌を拝む事も出来ず、骨壺を見て泣くことも許されず、今日まで生きて来た。
私は未だ田舎に帰る事も出来ず、大事な人に手を合わせる事すら許されないのに、観光客は私の田舎に土足でやってくる。
旅行のキャンセル料が勿体ないから、政府が後押ししてくれているから、という理由を盾に取り、ほいほいと流入する。
『観光業はもういっぱいいっぱいなんです。死に体なんです。このキャンペーンが無いと路頭に迷うんです』というが、私の好きだった店で、もう何件も閉店をした所がある。
正直、苦しさであえいでいるのは観光業だけじゃないだろう。
死なば諸共、なんて意見が正しいとは絶対に言わない。誰かが痛い思いをしたなら、他に痛い思いをする人が出て来ない様、手当てをするのは当然だという理由も分かる。
けれど、どうしてあのお店達は助けて貰えなかったのに、観光業だけ助けて貰えるんだ、って思うと、尚憎い。
多分これは『自分は禁止されていたのに、どうしてあの子は良いって言うの!?』っていう悔しさも、加味されているのだろうけれど。
知っている。これは全部八つ当たりであって、別に誰も悪くない。
それでも、不要不急でない、少なくとも帰る理由が過分にしてある私は田舎に足を踏み入れられないのに、観光客は知らん顔でやって来る。
観光客はその土地に住んでいる人間に責任を負わなくて良い。だから彼らが発生原因になっても、別に私の親類縁者は何も困らない。
けれど、そこの出身地であるという私は、発生原因になると責任を負わなくてはならない。私の親類縁者に迷惑が掛かると言われ、それを承服するしかない。
それでも、私はGoToキャンペーンなんて奴が大嫌いで、一刻も早く取りやめて欲しいと願っている。
そうやって歯を食いしばっている人間からすれば、観光客、なんて不要不急の人間のせいで、私の田舎にクラスターが発生する事だけは、止めて欲しいからだ。
そこで発生したコロナで、また私の身内で、知人で、人死にが出たら、と想像するだけで堪らなく苦しくなる。
少なくとも、そういう所にしか、今の私の怒りの拳は、下ろす先が無いのだ。
一日も早く、コロナが収束して、あるいは特効薬が出て、私は祖母に挨拶をしたい。
私は、田舎に帰りたい。
最近立て続けに社員の親とか祖父母つまり高齢者がバタバタ死んでる
昔の弔事連絡書には死因を書かせる欄があったけど今はそんなのないから分からない
急に暑くなったからなのか緊急事態解除で市中感染の煽りを食ってしまったのか
あと喪主の欄「逝去者との続柄」って書いてるのに理解できてない奴多すぎ
【祖父が亡くなって祖母が喪主】なのに【逝去者との続柄:祖母】とか
90近い爺ちゃんの祖母が喪主とかすげえな120歳くらいで喪主できるくらい健在なのかよバラエティ番組で取材してもらえよ
それから手続き上は会社からの弔電とか花とか全部不要にしてもらえると助かる
名前出したからって威張れるような会社じゃないし何より手配がめんどくさい
頭のおかしい社員だと親族が足りないから総務が通夜の受付やってくれとか誰か参列しろとか言ってくる
知らねえよお前がやれ