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2022-07-31

異世界生理の話

※なお、「あのゲーム世界」設定なら全無視できます。(ナーロッパしか勝たん)

生理がきている時期に魔力は上がるのか落ちるのか

生理の時期は絶不調、ポジティブ期に絶好調って感じだろうか。魔法自体にも身体・時期・地域威力の変動ありそう。精霊様ご加護系ならなおさら

怪我が秒で治るなら生理痛や出血は和らげられるのか?

→適切な精霊様に頼むことができるなら可能

・その場合属性なによ

→人体のバイオリズムに関わるなら光闇あたり?月とか特殊なのがあればそれが一番効きそう。月精霊のご加護の強い地域生理が軽い!やったね!

薬草技術では難しそう。魔力込められた薬草高値なので貧乏人は買えない。闇中世じみてきたな。

ビキニアーマー戦士生理の時期どうしてるんだよ問題(或いはソシャゲファンタジー美少女全員苦労してる説)

→その時期だけローブきて魔法使いの真似して物忌みか?ファンタジー世界でも物忌みが当たり前なのかな。

→じゃあギルドとかひたすら男性優位になりませんかね。生理止めるための高額薬飲んでてなお物忌み不人気で低所得にならざるを得ないギルド所属魔法使いか…エグいな。

でも男性魔法使いもバイオリズムに合わせた物忌みがあるかもしれない。精霊信仰で「闇精霊の月は町自体物忌み月間」みたいな風習もあるだろうし…?

魔法使いのほうが魔力強い、みたいなゲーム的なやつはあるかも。ピーキーだ。

・やっぱり魔王突入前に緊張で生理きたりするんだろうな。気の毒にな。

・やっぱり女性ばかりパーティーだと周期かぶったりするね(うつる説もあるし)なんも考えず女ばかり集めると旅の途中で詰みます勇者様。

ナプキンタンポンに代わる有能アイテムありませんか

→紙の技術だとなーティッシュペーパーもなさそうだからなー…うんこもままならない世界で高性能ナプキンは無理かなー

→魔力を石に込めるのと同じノリでこう、血を痛みごと封じ込めるとかでワンチャン…その石の後処理どうすんだ。(闇市リカルメで販売してそう)

・魔族および魔王様(女)は闇の瘴気からまれ存在なので生理になりません!涙も汗もえっちな液体もおトイレ系も全部なし!※ただし定義による

エルフ生理にはならないかと見せかけて、300年周期とかかもしれない。

なんか思いついたら足すかも。

2022-03-08

anond:20220308133124

私たちはいから肉食になったのか?日本人の肉食の歴史を徹底解説

https://intojapanwaraku.com/culture/48024/

疲れている時、あるいは気合を入れて勝負に臨みたい時、もちろんなんでもない時にでも「お肉食べたい!!」と思うことはありませんか? 焼き肉から揚げ、ハンバーガー、さまざまなお肉をわたしたちはすぐに食べることができますしかし、こうしてお肉をなんのためらいもなく食べられるようになるまでに、わたしたちご先祖さまたちは葛藤を繰り返してきたのです。

日本人の肉食について『肉食の社会史』(山川出版社)の内容と、著者である上智大学教授中澤克昭先生お話をもとに追ってみました。

うつりかわる肉食への考え方

日本史教科書などで「文明開化」の言葉とともに「牛鍋」を食べる人の絵を教科書などで見て、なんとなく近代明治時代)以降に肉食が始まったと思っている人は圧倒的に多いのではないでしょうか。けれども中澤先生によれば、肉や魚を食べることは、伝統的な食文化だったそうです。ただ、平安時代からは「食べないことが高貴な身分のふるまい」「食べるのはいやしい」と思われるようになったとか。また、家畜労働力提供してくれる大切な存在であり、食べる対象としては見ていなかったようです。

3世紀ごろの日本ヤマト)には、誰かが亡くなった際、喪主は肉食をがまんする習慣があると『魏志倭人伝』に書かれているそうです。これは「物忌み」のひとつとして肉食を慎む「禁欲」だったと考えられています。つまりこの時点では日常における肉食は「禁忌」ではなかったのです。その後、6世紀仏教とともに「殺生」を「罪業」とする考え方が伝来します。喪に服したり何かを祈願したりする時に肉食をガマンする習慣と仏教の殺生罪業観、このふたつが融合して、のちの肉食忌避タブー)につながっていくのです。

中澤克昭著『肉食の社会史』(山川出版社

しかし、肉食忌避が強まるのは中世からで、古代には天皇も肉を食べていました。天皇は各地でとれたものを食すことで統治していることを示していたからで、イノシシシカも食べられていたことが、さまざまな記録や古代遺跡から出土した木簡からわかっています中澤先生によれば、「大地を象徴する生き物を狩ることで土地所有権確認する儀礼でもあった」と考えられているそうです。

貴族メインディッシュはあの鳥

古代には禁欲対象だったお肉も、平安時代になると禁忌まり忌避されるものへとかわっていきました。たとえばイノシシは何世代飼育されるとことで「豚」という家畜になりますが、奈良時代にはヤマトでも豚が飼育されていたそうです。ところが平安時代になると、食用に育てられている動物確認できなくなります。野生のイノシシを食べることは続くので、家畜は食べないほうがよいというメンタリティを持っていたことはまちがいなさそうです。

天神さま(菅原道真)の牛のように、神話伝承世界にも動物は出てきますが、家畜を食べるという物語はまずありません。タブーだったのです。死んだ家畜、いわゆる斃牛馬(へいぎゅうば)はいわば産業廃棄物で、専門の人々によって処理されましたが、その仕事にあたっていた人は捨てずに食べていたと思われます」(中澤先生)。ただ、そのことは公の記録には残っていません。馬刺しも牛の内臓ホルモン)も食べられていたはずですが、身分の高い人には忌避されていたのです。おおっぴらに食べられるようになったのは、近代以降ではないでしょうか。

新鮮な馬肉

では、鶏肉に関してはどうだったのでしょうか。「鶏も『時を知らせる、占いをする』という性質が強いので、おおっぴらには食べられていなかったと思います。卵は食べたはずですが、それもあまり記録にのこっていません」(中澤先生)。闘鶏に使われた軍鶏などは「筋肉質で硬くて、現在の鶏ほど美味しくなかったでしょうね」と先生はいます。「牛も体脂肪が少なく、現在の『霜降り』のような食感とはほど遠かったのでは」とのこと。

なお、近代以前に肉を地方から京都江戸へ運ぶとき塩漬けにするか干し肉にする場合が多かったそうですが、キジの新巻や干し肉存在していたとか。案外さまざまな加工肉があったそうです。……鮭では見たことがありますが、鳥が新巻にされるなんて想像もつきませんでした。また、少し前にグルメ界を席巻していた熟成肉もあったそうです。遠くから生で運ばれた場合、その可能性が高いとか。よく食べられていたのはシカイノシシでしたが、貴族社会宴会ではメインディッシュとして鳥のキジが好まれたそうです。焼くだけでなく、刺身でも食べられたそうですが、味付けは摂関家であれば、ひしお現在味噌醤油の原点と考えられている調味料)や酢などが使われたと考えられています

殺生禁止と生贄とのあいだで揺れた「鷹狩り」

肉食を考えるうえで必ず登場するのが「鷹狩り」です。鷹狩りは、神々へのお供え物の調達手段としても大切で、仏教の殺生禁断の思想が広まってからも続けられました。古代には貴族の間で行われて、鷹狩りのための狩場もつくられ、鷹狩りに用いる鷹の繁殖のために狩猟や入山を禁じた巣山や巣鷹山と呼ばれる山もありました。その後、貴族から武家権力が移ると、キジだけでなく白鳥や雁もよく狩られるようになり、小型の鶴が狩られたこともあったようです。武家食事マナーでは、鷹狩りの獲物は箸ではなく指で食べることになっていました。食材としての価値が高く、食べ方にも特別作法があったようです。

江戸時代になると、徳川家康が好んだ鷹狩りを、代々の将軍が受け継ぎ行っていました。江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉が発した「生類憐みの令」のころまでは史料確認できますが、その後しばらく姿を消してしまます。復活するのは8代将軍・徳川吉宗のころ。吉宗徳川家康尊敬していたので、家康が好んでいた鷹狩りを復活させたようです。その後、大政奉還が行われ明治新政府が発足した後は、鷹狩りは大名特権ではなくなりました。明治天皇御料場で鷹狩りを行ったようです。在位中の天皇狩猟に出かけたのは、白河天皇が1073年に嵯峨野鷹狩りをして以来のことでした。天皇800年ものあい狩猟をしていなかったわけですが、この800年はそのまま武士時代と重なっているのが興味深いところです。

明治天皇1872年牛肉を食べましたが、近代以降もしばらくは肉食に対する忌避感がありました。しかし、食の欧米化や大規模な多頭養豚経営、乳用種雄の肥育牛の食用への転用などにより、1955(昭和30)年ごろからは急速に肉食が一般化していきます。結果、戦後まれ世代からは肉食があたりまえの世の中になって現代に至ります。食肉生産が進み、ブロイラーが出てきたからこそ「帰りに焼き鳥ちょっと一杯」ができるようになりました。そんな生活高度成長期にようやく成立したもので、まだ現在のような「お肉を食べたい」「お肉を食べよう」の歴史は50年ほどしかないのです。

ジンギスカン用のラム肉

一方で2030年ごろには、世界人口の増加が食肉生産を追い越してタンパク質が足りなくなる「プロテイン危機」が起こるという研究があり、昆虫食研究などが進んでいます。今のようにお肉を食べられる時代は、日本史のなかの、ほんのわずかな期間で終わるのかもしれません。

動物を殺す」肉食に対してはさまざまな意見もありますが、人間の食欲がそれを抑え込んでいるのが今の時代です。お肉はいつでも好きなだけ手に入りますし、食べることもできます。「中世には動物を殺すことやそれを食べることがタブーとされていましたが、実際に食べる人は少なくありませんでした。うしろめたさと食欲との葛藤があって、そこからさまざまな言説が生まれました。現在も肉をめぐってさまざまな問題があります。もう少し葛藤があっても良いのかもしれません」と中澤先生は言います。「お肉が食べたい」という気持ち自由に満たせる今だからこそ、食文化についてちょっとだけ考えてみませんか。

2020-11-24

カーニバルギリギリビキニ、その歴史

ギリギリビキニとの出会い

思春期である普通プールに行くことを考えるだけでムラムラが収まらないのである。そんなさなかに教科書参考書の隅っこにビキニ姿の女性が踊っているのを見て、平常心でいられるはずがあるだろうか。

だいたい、カーニバル衣装ビキニパンツ部分から下がっているふんどしというか前垂れというか、極限まで深くしたスリットみたいな、あれをみても平静ではいられない。たまにファンタジーものでもそういう名前がわからないけれどもふんどしというか、マーニャ踊り子衣装みたいなのがあるのだが、あれってめくったらどうなっているんだろ。鳥山明に聞いてみたい。

カーニバルとは何か?

カーニバル、つまり謝肉祭とは、四旬節という物忌みの期間直前のお祭りであり、しばらくは肉料理が出なくなる。要するに遊ぶだけ遊んで翌日からは真面目にやる日、というわけだ。別の説によれば異教の祭り起源であるのだが、どちらにしても現在ではキリスト教の暦と密接に関係している日である。ちなみに、この四旬節が明けて過ぎ越しが明けた日がイースター復活祭に当たる。

リオデジャネイロではこの祭りは3週間続く。

サンバとは何か? (何気ないマンボサンバ師匠をきずつけた)

ウィキペディアによれば、黒人白人音楽の混交からまれ音楽ダンスを指すそうである。もう少し詳しく述べると次の通り。

音楽としてのサンバダンス音楽であり、19世紀の終わりごろブラジル北東部港町バイーア(現:サルバドール)で生まれ音楽が源流となった。当時のバイーアは、奴隷貿易によってアフリカから連れて来られた黒人が集められ、売り買いされた場所であった。その後、白人文化からの影響も受けながら1910年代確立し、1930年代に普及と隆盛を迎えたそうである。内容も黒人生活人種差別から抒情的な内容も含むようになっていった。

ダンスとしてのサンバもまたバイーアに住んでいたアフリカ奴隷の踊りが元となっていて、足や腰の動きを基本とし、ほとんど即興であるポルトガル文化と混交してリズムや踊り方が変化した。伝統的には音楽演奏しながら周りで手を叩きながら輪を作って踊り、交代で人が中に入って踊るが、これをサンバ・ジ・ホーダ、サンバの輪といい、都会のサンバ進化にも影響を与えた。これは今や、ブラジル文化的なアイデンティティとなっている。

現在サンバショーでは現代欧米ダンスを取り入れた振り付けだが、あくまでもサンバ基本的即興の踊りが中心で、またその醍醐味であるそうだ。

なお、日本に初めてサンバが紹介されたときには知識が不足していたせいかキューバマンボ混同していたり、なぜかメキシカンハットをかぶっていたりと文化考証がめちゃくちゃで、冒頭に引用した語句のように、今でもこの誤解を引きずっている人は少なくない。マツケンサンバだってサンバとはちょっと違う。

衣装の変遷

Rio de Janeiro's Carnival Costumes Throughout the Years - ABC News(不幸にして画像リンク切れ

The History and Tradition of Rio Carnival Costumes - Bucket List Events

カーニバル仮装イタリアにその起源を持ち、その伝統ポルトガルにまで広まった。それが植民地ブラジルにもたらされた。誰が誰だかわからない、そういう楽しみであろう。

1930年まではブラジル社交界の人々は平民たちの視線のなかで、豪奢な衣装仮面を見せびらかして歩いていた。仮面動物悪魔の形をかたどったものや、イタリア起源もつ道化の顔もあった。

1930年以降、庶民カーニバルに参加するようになった。しかし、当然のことながら高価な衣装は身に着けられないし、2月ブラジルは非常に暑い。そこで、明るい色を身にまとうことになった。カーニバルパレード1932年に端を発する。

そこから徐々に衣装の軽量化が始まった。1950年にはすでに男性上半身裸、女性ビキニ姿になっていたことが確認される。水着ビキニ1946年誕生しているので、非常に適応が早い。海以外でビキニ姿になったことを考えれば、全く持って革命である

1970年代になるとサンバスクール組織化され、現代のように洗練され始める。この産業衣装の豪華さを支えている。実際、テカテカビキニばかり有名だけれども、他のメンバー極彩色衣装露出が少なくても見ていて楽しい。こうしたサンバスクールエスコーラ・ジ・サンバ)は学校を名乗っているが実際は組織化されたダンスグループで、最大で4000人の規模にも達する。舞踏衣装スタイルに違いがあり、区別される。なお、ダンサーだけで4000人であり、衣装を準備する人やその他オーガナイザーは含んでいない。

また、同時期にサンボードロモ、つまりサンバ披露するためのエリアが作られる。ウィキペディアによれば、通常は、サンバスクールパレードが展開できるほど長い空間を、観覧席が取り囲むような構造になっているそうだ。阿波踊りの会場みたいなものか。そして、リオデジャネイロサンボードロモの場合中央パレード空間の長さは700メートルに及ぶとのことである。ブロコスカーニバルブロックもまた作られた。

現代では、ほとんどあらわになった胸に紐パン姿も散見される。英国タブロイド紙がこうした乳首の露出やフェイクの乳首について記事を書いている。

今のところ、全裸は許容されていない。とはいえルールを守らない人もおり、そのせいでサンバスクールが時折資格剥奪されることさえある。そういう格好で踊っている人が見たければxvideosかpornhubをご覧いただきたい。野外で全裸になるのは露天風呂でもわかるように最高なので気持ちはわかるが、ルールは守りましょう。

本当にこれでいいのか? テカテカビキニと7歳の少女

英国のインデペンデント紙には次のような記事がある。

Hyper sexual Carnival atmosphere has a dark side for Rio's women | The Independent | The Independent

ここで記者は、カーニバルビキニ女性たちは過度に性の対象となっている、モノ化しているのではないか、と指摘している。つまりパレード疲れた男性たちを鼓舞するように休みなく踊り続ける半裸の女性、いわゆるボンキュッボンの「理想」的な体型で選ばれるサンバ女王たち。少年たちがサッカー選手に憧れるように、テカテカのビキニ女性に憧れる少女という構図。一見エンパワーメントされているようだが、実際は? しかも、カーニバルでは性暴力の数が圧倒的に増える。その場の雰囲気強制されたキスだけでなく、強姦も含む。こういう空気を嫌ってか、カーニバルの期間は脱出する人もいるそうだ。

自分は、よその文化から評価できる立場にはない。ただ、たとえば「理想」的でない体型の女性も選ばれたらもっと素敵になるかもしれない、と思うのだ。昨今、モデルの体型をやせ過ぎにするのはやめよう、という運動が起こっている。それに、いわゆる美人ではないしスリムではない女性芸能界活躍することが増えた。自分の好みではないが、とてもいいことだと考えている。貧乳でもいい、毛深くてもいい、ぽっちゃりでもいい。そういうメッセージ社会全体に広がることで、あなたあなたのままでいいという空気を作ってほしい。あなたあなたのままで尊重する、そうすることで暴力の少ない社会にしていきたい。

過度に性的空気は似たようなイベントニューオーリンズマルディグラでも問題になっている。家族で過ごすイベントである側面もありながら、野外で全裸になる人も後を絶たないのだ。ブラジルから外れるので詳しくは述べる余地がないが、詳しくはウィキペディアを参照してほしい。

Child queen, U.S. stars to light up Brazil Carnival | ロイター

https://www.france24.com/en/20100215-controversy-over-child-performances-mars-rio-carnival]

あるいは、7歳の少女が躍る権利についても議論が巻き起こっている。子ども権利保護する団体が、彼女性的搾取されることを恐れたのだ。ハイヒールビキニ大人たちのいる場はどうしても性的だし、40度にも達する気温は子供身体有害である恐れがある。同時に、踊りたいという子供の夢をかなえたい思いもある。日本でも、浅草かどこかで踊る小学生ビキニ姿をアップロードする者は後を絶たない。

ちょっと前まで子どもすっぽんぽんで泳ぐのがかわいいとか言っていた時代だったかもしれないが、誰でも写真動画が容易に拡散できるようになってしまった時代、そうもいかないだろう。僕たちは否が応でも自分身体性的だと意識せざるを得ないし、子ども自分身体を守るための性教育必要性は高まっている。何も幼稚園からセックスについて事細かに説明する必要はない。ただ、身体特定の部位を覆い、むやみに他人と触りっこしないように教えて身を守れるようにすれば十分だろう。性教育とはセックス知識だけではないのだ。

カーニバル日本に定着するか?

2月祭りとしてはしないと思う。日本人は概して祭りが好きだし、海外祭り積極的に受容してきたが、イースターが定着するかどうかどうかという雰囲気であり、これ以上の祭りを受け入れるキャパティは少ないのではないか2月にはすでにバレンタイン商戦があるので、そこにねじ込むのは少々無理があるだろう。50年経てばパリピホーリー祭りまでやり始めるかもしれないが。あるいは、8月浅草サンバカーニバル5月神戸まつりのように季節をずらすかもしれない。大体ああいう格好をするのは単純に踊っているとめちゃくちゃ暑いってのもあるだろう。

私事だが、イギリス育ちの自分としては、日本に戻ってハロウィンイースターがないのが当然だと思っていたし、寂しいとも思っていなかった。触れるとすればせいぜい、NHKの「えいごであそぼ」や国際交流の授業で言及されるくらいであった。ハロウィンイースターを定着させようとする動きはごく最近のものだ。

それに反対するわけではないのだが、ハロウィンが終わって街の雰囲気がすぐにクリスマスになるのは風情がなさすぎる。米国ならクリスマスまでの間に感謝祭があるのでまだ11月を感じることができるのだが、日本ではそうもいかない。二十四節季を楽しんでいた先人のいる国とはとても思えないほどに大味だ。

商業主義との両立を考えるなら、11月にも何かイベントをやればいいのではないか2月には豆まきバレンタインがある。毎月2度のイベントをやれば、二十四節季めいていてまだいいのではないか

まとめ

今後の展望

今回はテカテカビキニ50年代にまでさかのぼることを示した。今後は、世界各国の祝祭の場における露出自由、野外全裸性的規範のゆるみについて調べるとともに、暴力を防ぐための対策についても調べていきたい。

また、ハワイアンダンスタヒチアンダンスについても調査したい。

あるいは女性ふんどしそれからファンタジーの前垂れの起源についても気になるところである

2020-01-01

何がめでたいのですか

物忌みもしてないくせに

形骸化した薄っぺら言葉一年を始めてるようだからこの国はダメなんです 

2019-03-12

寄り道したい気分のときは気軽に方違えしたいし、出勤したくないときは気軽に物忌みしたいよね。

2016-01-13

地元が妙に禍々しい

見たら目が潰れるので地元民は期間中祭の鈴の音がしたら家に閉じ籠り物忌みをする生首と胴体をもしたものを火をつけたり運んで引っ張る祭とか、呪われた木とか、何でなんだろう。

金田一が来てくれたりしたら嬉しいけど、ただ禍々しいだけなら嬉しくないんだが。

2015-08-23

仏教遷都と衛生概念

飛鳥奈良時代までは100年単位で割と頻繁に遷都をしていたが、平安時代以降、頻繁な遷都は行われなくなった。

これは、飛鳥奈良時代当時の人間が都に掛けられた呪いを非常に恐れていたからという話が伝わっているが、

その呪い実体とは急激な都市化により流行した各種風土病であった。

遷都を行い0から都市建設をすると、一時的に衛生環境改善され風土病が抑えられるので、当時の人間は「やっぱり呪いには遷都効果的なんだ」と思い込んでしまっていた。

これが収まったのが平安時代きっかけは仏教特にケガレ物忌み概念の普及

これにより人々に身体や身の回りを清潔にする習慣が普及し、都市生活を行ってもそんなに衛生状態悪化せずに済むようになったので

負担となる遷都は行われなくなった

 

という与太話を思いついたんだけど、これって似たようなこと書いている本とかないかな

 
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