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はてなキーワード: 反抗期とは

2024-02-08

馬鹿10の特徴

2024-02-06

俺の実家は太い

実家が太い云々という増田を目にして、俺もつ自分人生について書きたくなった。

約30年前、俺は両親が医者の家庭に長男として生まれた。

医者というとなんとなく世間的にもお金持ちのイメージがあるだろうが、事実裕福な家庭に生まれたと今でも思う。

そんな俺だが、結局30も手前になって職歴なしどころか学歴すらない立派な引きこもりに成り果ててしまった。

まず前提として俺の家系は代々医者一族で、父方の祖父地元(と言っても俺の住んでいる市内)でおそらく一番大きい総合病院理事長をしていた。

その祖父思想が強く、医者でなければ人間でないと言わんばかりの態度を常に振り撒いていた。

母方の祖父母は確か医者ではなかったと記憶しているが、いつだったか父方の祖父母の家に連れて行かれた際、「あまりあっちのじいじ・ばあばと話をすると頭が悪くなっちゃうぞ」などと耳打ちされたことを今でも覚えている。

当時は家や身なりも立派で見るからに"偉い"祖父漠然尊敬していたためにその言いつけを守り、母方の祖父母とはほとんど口も聞いていなかった。

俺がそんなだからか、或いは母親か誰かがそんな祖父辟易したのかは知らないが、小学校の高学年くらいから母方の祖父母に会うことは無くなった。

そんな祖父プレッシャーのせいか物心がついた頃にはもう塾に通っていた。

習い事も多くさせられ、ピアノバイオリン空手水泳テニスを確か幼稚園くらいから習っていた。

これは気質もあるのだろうが、自分の意に反して何かをさせられるのがかなりのストレスのようで、あまりにも習い事に行きたくなくてよく体調を崩していたり、時には仮病を使ったりしていた。

また、センス問題なのかモチベーション問題なのか、どの習い事も全く上達せず、発表会や大会のたびに親に恥をかかせてはよく平手打ちをされていた。

ある夜、何かをしたくてリビングに降りた時、両親が俺が何もできない無能である事について真剣に話し合っているのを耳にしてしまい、眠れなくなってしまたこともある。

いつしか出来損ないのレッテルを貼られた俺は、それでもなんとか医者に仕立て上げなければならないという強迫観念を持った両親の元で家にいる間は四六時中机に縛られ、常に勉強をさせられていた。

朝起きたら強制的に机に座らせられ、親の指定する量の勉強をこなすまでは朝食すら取れないような生活だったので、朝起きるのが苦痛睡眠障害になってしまい、次第に学校にすら行けなくなってしまった。

勉強ストレスで常に吐き気がしており、食欲もなく、睡眠不足も相まって頭も余計に回らず、さらに両親に叱られるといった感じで完全に負の連鎖に入ってしまっていたと思う。

ネットテレビに触れなかったためか、「自殺」という概念が当時の自分の中になかったために踏み切ることがなかったものの、もしもその概念を知っていたなら、間違いなく自殺を選んでいたと思う。そんな精神状態だった。

そんな両親の下なので中学受験をさせられ、結果としてはそれなりの中高一貫校入学することはできた。

しかし、高ストレス下で勉強だけをさせられて育った結果、いつしか俺は著しいコミュニケーション障害を抱えていた。

小学生の頃に友達と遊ばせてもらうことができなかったせいか、両親に過度に気を使う癖が付いてしまったせいか、原因は今となってはわからないものの、とにかく友人とフラットコミュニケーションを取るということが全くできなくなっていた。

当然の帰結かもしれないが、イジメにあった。

と言っても育ちのいい生徒ばかりだったので、ドラマアニメで見るような苛烈ものではなく、ただ無視されるとか陰口を言われるとか、そんなレベルではあったが。

いずれにせよ学校に居場所をなくした俺は、いつしか不登校になっていった。風邪で休んでそのまま復帰できなくなったとか、そんなんだった気がする。

クラス替えというシステムがない学校だったため、一度不登校になってしまったら人間関係を取り返す術はなく、そのまま5年半ほど不登校を続ける形になった。

留年して再スタートすることも提案されたが、両親の面子を保つためか受け入れられず、(どういうシステムかは今思えば謎だが)とりあえずそのまま進級し、卒業を迎えることになった。

当然医学部を目指させる家庭方針だったため、塾・予備校には通わせられていたし、家でも小学校の時さながら机に縛られる生活だった。

しかしながら、反抗期を迎えたこともあり、また俺の体格が大きくなってきたこともあるのだろうが、小学校の時ほどは勉強強制されず、俺も次第に家の中でも部屋に引き篭もるようになった。

もちろんある程度独学はしていたものの、受験の結果は案の定ダメで、箸にも棒にもかからないような成績だった。

とは言ってもMARCHくらいなら合格できる成績だったのだが、医学部以外の受験は認められなかったため、全落ちのまま浪人生となった。

それ以降は特に語ることもないが、2浪、3浪とする中で、親の洗脳も次第に解けていった。そうすると、ただ親の意向のためだけに医学部受験をしていることの虚しさを目を向け始めてしまい、勉強にも身が入らなくなっていった。

そうはいっても医学部以外への進学を認めないという親の方針は変わらず、一応俺は10浪中ということにはなっている(と思う)。

が、2年前くらいかセンター試験(共通テスト)の出願すらもしないようになった。そのことに両親が気づいているのかもわからないが。

もちろん住む場所にも日々の食事にも何一つ困ってはいないのだが、俺はきっと社会に出ることはできず、ひたすらに自我と向き合いながら、この広い実家幽閉され続けるのだと思う。

もう30も目前となった今さらになって、軌道修正を図る気力も無いし、仮に何か行動したとて無意味なんだと思ってもいる。

そしておそらくは両親も、こうなってしまった俺をどうして良いのか、そして俺と、ひいては自分たちの過ちとどう向き合って良いのかがわかっていないんだと思う。

から今日も変わらず義務のように母親は俺の食事を用意し、父親は何も言わずに俺のボロいスマートフォン通信量を払い続けいてるんだと思う。

多分お互いに、行動を起こすのが怖いんだろうな。

から現状維持に甘んじて、昨日と変わらない今日を過ごすことで失敗から目を背けているんだと思う。

こうやって気づけば10年以上が経っていて、きっとそのまま老いて死んでいくんだろうな。

いつだったかネットで『5億年ボタン』のコピペを読んだ時に感じた、途方もない無の中に幽閉される恐怖。

思えば俺はその中に今居るし、ついぞ抜け出すことなどなくそのまま死ぬんだろうと思う。

とりとめもなく書いてしまって終わり方もわからなくなってしまったが、一旦この辺で終わりにする。

読んでくれてありがとう。これを書くことをコミュニケーションとまでは言えないだろうが、誰かに自分気持ちを表明する経験が無さすぎて、書きあげるとともに凄いカタルシスのようなものを感じている。

2024-02-02

認知が歪んでたり性格おかし人間って親からも嫌われてることが多いと思うんだけど、人生のどのあたりで嫌われるんだろうな

赤子や幼児の頃は普通に愛されていただろうから

中学反抗期の辺りからだろうか

2024-01-29

彼女彼女の娘と俺の3人で数年間一緒に暮らしてたんだけど、彼女の娘に反抗期が来たあたりから一緒に暮らすことが難しくなって、同棲を一旦止めることになった。←これが半年

その後も別れたわけではないので、彼女世間話だったりデート約束だったりをずっと続けていたんだけど、昨日になって「娘に手を出した男と付き合っていたことが信じられない、二度と連絡してこないでください」ってメッセージが届いた。

勿論そんなことはしていないから弁解しようとしたけれど、その後は連絡しても一切音信不通に。

別れる別れないは男女の仲だし良くあることだけど、長い間付き合っていて事実無根の嘘で最後を迎えることになるとは思わなかった。

2024-01-26

正気子供持つ選択できる?

https://anond.hatelabo.jp/20240126162507

子供の話が盛り上がってるから自分語りさせて。

30代夫婦。うちも子供について絶賛検討中

どちらも欲しいよりの人間ではあるけど改めて子供持つハードルって高すぎない?

増田記事にもある通りまず痛み。

 よく考えてほしい。女の小さい穴から子供1人出てくるんです。怖くないわけない、痛くないわけない。聞いただけで死がよぎる。

 子供が欲しいって気持ちだけで乗り越えられるとは思えない。普通に欲しいけどただ単に怖い、痛そう、辛いのは怖い。出産死ぬ母体もいる。やっぱり怖い。

②生まれ子供博打すぎる。

 子供は欲しい。でも各種障害ある子供を育てる自信はない。

 障害持ちの子供は嫌だと言うとひどく聞こえるかもしれない。でもよく考えて欲しい。

 自分が生きていくだけでも簡単じゃない世の中で、もう1人の人間金銭身体の世話を死ぬまでする可能性があるなんてこわすぎる。恐ろしい。

 子供は欲しい。楽な子供でも夜泣きの短時間睡眠にはじまり反抗期、進学の金銭負担病気罹患等悩みは尽きないだろう。でもそこまでなら自ら進んで困難に立ち向かう気持ちはある。耐えられるかは知らんけど。

 それでもしんどそうなのに、それ以上しんどいかもしれないなんて考えたくない。可能性が1%でもある以上こわい。

これらの恐ろしさに立ち向かう気持ちでなお胸を張って「子供が欲しい」なんて言える人いるの?本気で、、、?

欲しい派夫婦私たちですらめちゃくちゃ悩んでいる。

だっていいことある気がしないから。

しろどうして欲しいのかもう一度自分に問いたいレベル。でもなぜだろう。愛する夫との子供、何となく欲しい。

ああ。どうしよう、どうしよう...

皆さん子供を持つのにそんなに覚悟しました?各種リスクを考えても、それを乗り越えられると思って子供を持ちました?正気になったら子供なんて持てなくないですか?

子供産めば一生お金に困らないとか一生生活サポーターさんがつくみたいに乗り越えられそうなインセンティブとかあればまた違うけど...

気持ちでは子供が欲しいのに理性がリスクを負うなと言っていてここずーーーっっと2人で悩んでいます。。

子持ちのひと、ほんとすげえよ...すげえ...

anond:20240126170727

いかにも反抗期だね

あとで枕に顔を埋めて足バタバタする時が来るよ

娘の顔が元嫁に似てきた

正確には不倫して子供ほって消えた屑女に似てきた

吐くほど気持ち悪い

正直言って早く出て行ってほしい

クソ女の血入ってるのがよく分かるお前の顔見たら

全部滅茶苦茶に引っ掻き回したクソ女の本性とか

全部フラッシュバックして吐き気するねん

稀に来る親や兄夫婦がお前の事を綺麗なった言う度

顔だけは綺麗やったクソ女がダブって気分悪くなる

まれ持った性格なんてどうにもならんから

お前も母親と同じように容姿が美しい事を利用して

いつか誰かの人生ぶっ壊していくのかもな

俺は元嫁に容姿が似てるお前が心底気持ち悪いし

何をどうしても一生好きにはなれん

俺は義務から法律でそうしないとあかんから

ルールを守ってお前を育ててるだけやねんで

ついでに言うとクソ女が出て行って以降、

「あそこ父子家庭らしい、おかしいんちゃう」って

「娘おる家は気を付けたほうが良いかも」なんて

適当な噂で近所でも避けられるようになったか

周囲に助け求めたり相談するのなんて早々諦めたわ

都度ネットで調べて全部その通りに対応しただけや

からお前を育てたのはネットに転がってる情報

俺の愛情とか思い入れとか、すまんけど一切無いわ

今、学校友達や進路の事相談してくる時もそうや

「今いいですか」「すみません」って言われる度

そんなん進路なら学校先生に言えやって

人間関係なら友達愚痴れやって本心は思ってるで

突き返さんのは仕事やって割り切ってるから

仕事で部下の話を聞く時と同じ対応してるだけや

俺がお前に必要最低限しか接して来んかったせいか

お前は一回も反抗期が無かったな

それだけはありがたいと思ってるわ

反抗されて腹立つとかそんな次元じゃなくて

嫌いなお前が、何に腹立てて何が不満なのか

理解しようとすら思えず放ったらかした筈やから

多分そうなったら俺は何も解決できんかったやろな

もう自分の娘やと思って扱ってすらないんかもな

だって俺の血入ってるかどうかすら怪しいもんやで

それはそれで仕事では毎日偉そうに命令するくせに

本性はええ歳して匿名ネットポエム書くような

こんなつまらオッサンの子じゃなかったとしたら

お前にとっては嬉しい事やと思うけど

お前次第やけど、一応お互いあともう数年の辛抱や

金なら必要なだけ渡すし

行きたい学校、やりたい勉強

全部お前の好きなように勝手にしたらいい

俺はお前の夢も成績にも全く興味ないか

全部好きに決めて何もかも自由にしたらいい

法律で決まってる義務を守っただけで

何でお前の人生にいちいち口出しせなあかんねん

頼むから一日でも早く出て行ってくれ

俺には嫁も子供も生涯おらんかった事にしたいんや

出て行ったら一生連絡して来んな

二度と俺のところに帰って来んな

そうしてくれたらやっと俺は

この世で最も憎い人間の事思い出さずに済むねん

2024-01-22

〇〇ちゃんと遊んじゃいけません

子供の頃、親に言われたことなかったか?。誰それと遊んではいけないとか、関わってはいけないとか。自分はは有った。

そういう子の家はバラックみたいなアパートだったり父親がいなかったりした。もちろん勉強もできないし毎日同じ服を着ている。

小学生ぐらいまでは「そういうものなのか」と大して気にしていなかった。

中学生ぐらいになるとその子は大体、「母子家庭」だったり「生活保護世帯」だったりという事に気づいて「うちの親はなんて冷酷非道なんだ!」と反抗期も重なって憤ったものだった。

高校生になるとそもそもそういう家の子と関わることがなくなり、大学生になると存在すら忘れた。そして大人になった。

自分独身なので、自分の子供にそういう事を言う機会は無いのだけど、兄弟自分の子供達に同じようなことを言っている。

話題に「放置子」の問題だ。放置子はほぼネグレクト被害者で、その子の親たちは大体上記の特徴に当てはまる。一部地域では「団地の子と遊ぶな」というのもあるらしい。自分団地のない地域に住んでいたので知らなかったけど。

今思えば親の言いたいことも分かる。自分の知っている限り、そういう家の子達は結局警察の世話になったり、女子ならば10代で妊娠出産して「放置子」の再生産をしている。そういう子に関わるとろくなことが起こらない。小学校低学年のうちはお菓子タカられる、家にいつかれるレベルだけど、高学年以降になると高確率で悪い遊びに誘ってくるようになるからだ。

中学受験やら公立移民なんてのがあるのも理解できる。そういう家庭とのエンカウント率を減らすためだ。

はてなにいる人達は優しいから言わないんだろうけど、結局自分の親たちが言った「〇〇ちゃんと遊んじゃいけません」に帰結すると思う。社会的解決方法もない。児相警察権限を強化してそういう毒親から放置子を召し上げたところで、違う歪が生まれるだけだ。放置子家庭は畑を荒らすイノシシのようなものと思うしか無い。

精神年齢が人より10歳くらい遅れているのでライフイベントについていけない

反抗期がきたのは大学生ごろだったし、ちゃんとした職についたのは30歳ごろ

40手前になってやっとアイデンティティ確立してきた気がする

いまさら結婚とかそれに準じた人間関係の構築とか無理

2024-01-13

出産した 育児している うれしい

https://anond.hatelabo.jp/20230112145739

母子手帳を取得して、はてな日記を書いて、一年が経過した。

今は出産して子育てをしている、育休中だ

妊娠出産産後と、色々とトラブルもあったけれど、全て結果オーライ。ベイビーは健康で丸々としていてよく笑う、超可愛い、大好き!

夫はベイビーに夢中で、家にいるときは、ずっとカワイイカワイイ言いながら抱っこして、チュッチュしている

ベイビーも夫が大好きみたいで、抱っこされてるときはとても機嫌がいい

大好きな夫が幸せそうで、

大好きな二人が、仲が良さそうで本当に嬉しい

産んで良かったなと毎日から思っている

気苦労は増えたけれど、夫と二人でベイビーの何か言いたげな顔や仕草一生懸命夫婦で読み取りながら、家族三人で協力しあって生活ができている

夫とは色々話し合う。

「この子左利きかもよ、オモチャ左手ばかりで触ってる」「野球やらせれば左打ち左投げ選手になって重宝されるね」

「愚図ったときに『ガンダーラ』を子守唄に歌ったら泣き止んだよ」「この前、『いい湯だな』をYouTubeで流したら、すごくテンションが上がってた」

「あと15年もしたら、ババアうぜーとか言うかもよ」と言われたときは、ムカついたので私も「親父、臭いんだよとか言われないようにね!」と言い返した


そのうちテキトー反抗期を迎えるのがいいよ、親の顔色ばかり伺うよりよっぽど良いよ、20年くらいかけて、ゆっくり大人になればいいんだから、と日々ベイビー本人に言い聞かせてるけれど、伝わっているかはわからない。

どうかこの柔らかな生き物が、周りからたくさん優しさを分けてもらえますように。

だいたいで良いから、健康に過ごせますように。

好きなものや人を見つけて、楽しく過ごすことができますように

から祈りを込めて。

父ちゃんとお母ちゃんより

………

以前書いた日記が、たくさんの方からコメントブックマークをいただけたこと、嬉しかったです。

辛いときに何度も読み返しては元気をいただいていました。

かいコメントをくださった方々本当にありがとうございました

これから育児生活に、頑張ってまいります

2024-01-11

高齢出産のはなし

高齢出産ってやっぱり親子ともどもデメリットの方が大きいからよしたほうが良いとおもう

何が最悪ってタイミングによっては思春期/反抗期更年期障害の併発で家庭が壊れるからですね。ソースは俺

いやこれはシングルの家に限られるかもだけど

2024-01-08

anond:20240107121447

アラフォー地方公立だったけど、小学校はほぼ毎日殴り合いがあったよ。イジメでの暴力ケンカでの暴力もあった。

ケンカの仕方を知らないといじめられっ子になるのに、うちの母親左翼で頭花畑だったからいっさい武道ケンカの仕方を教えられずに学校に放り込まれて苦労したよ。

小学校の頃は突然殴られてどうすればいいかからず「やめて」と言うだけで何もできなかったな。しかも親のアドバイスマジでクソで「話せば分かってくれるから暴力ダメ」と言われて、当然効果なくてイジメターゲットになるだけで殴られ続けてた。

中学校に上がってからやっとやり返さないとやられると気づいて相手が倒れるまでやってやっとイジメが終わった。

小学校特に大きなイベントはなかったけど、中学校の時は隣の中学校のやつらが20~30人やってきて近くの空き地乱闘になってた。あとは原チャリ盗んで乗ってる不良とかはいたけど、一般生徒だったので遠くで見てる程度だった。

ちなみに反抗期の頃は母親ボコボコにしながら「話せばなんとかなんだろ?話でこれ止めてみろよ」と言ってた覚えがあるわ。何回か繰り返したら母親もやっと理解してバカなことを言わなくなった。

イジメ回避する方法は『その時その場で相手が後悔するほどやり返す』。これしかない。

子どもには武道ケンカの仕方を絶対に教えろ。身を守るために絶対必要だ。

高校進学校行って、旧帝大行ってからはあまりそういうこともなくなったけど、世の中の半分くらいはそういう殺伐とした奴らで構成されてると思って生きてる。

2024-01-07

年末祖父母宅へ行く道中の1時間半、昔は長くて長くて仕方がなかった。

車内にモニターがついて映画を流せるようになったりDSを手にしたりで、娯楽を得てからはいくらかマシだったけれど、それ以前はもう退屈で仕方がなかった。

しりとり手遊び20分が限界だ。じゃがりこで気を紛らわすのも5分で終わる。高速の景色なんか5秒で見飽きる。眠って時間を消し飛ばそうにも活力が有り余って眠れやしない。反抗期で常時不機嫌だった姉とよく喧嘩になっていたような気がする。車に酔うなんて感覚がまるで分からなくて、狭い車内を動ける限り動き回っていた。

小学校高学年くらいの頃、車の運転に拘束されている親は気が狂わないんだろうかと思った。自分も窓の外だけを眺めて過ごしてみようと試してみた。最初は車間距離の表示を眺めてスピードを感じてみたり、少しでも情報量の多い中央分離帯や遠くの景色を眺めて気を紛らわした。その内何も考えずボケーっとする無の境地に至り、そこに入れば到着までは案外すぐだった。落ち着きというものを手にし始めた頃かもしれない。

今は手元の板でいくらでも時間を潰せる。そればかり見つめても酔ってしまうので、ラジオの音を右から入れて左から流してみたりもする。

中央道の山々をボケーッと眺めるのもいい。自然に癒やされるだとか、情報量の少ない景色を前に自分内面意識を向けるとか、そういう事ではない。マジで本当にボーッとしている。

眠たれば眠ればいいし、眠れずとも目を瞑ってうつむき意識ログアウトさせる術は身につけた。

無為時間を潰せるようにならなければあまり苦痛な場面が人生には割とあるようで、それは必要な道具なのだとは思う。でも限りある人生時間を消し飛ばす術を身に着けてしまったのはちょっと恐ろしくもある。子供の頃のあの焦燥感や落ち着きのなさをすっかり忘れてしまえば、人間はただのロボットになってしまう気がする。

2023-12-28

小学4年生のとき友達二人が荒れた

もう20年以上前の話になる。荒れたと言っても、先生に歯向かう、言うことを聞かない程度で、今思えばかわいいものだった。



反抗したのはA君とB君。A君とは家が近く、1年生のころから仲良く遊んでいた。小さいころから剣道をやっていて、とても背が高く、足が速く、頭も良くてかつおしろい子だった。B君についてはよく覚えていない。学校では割と仲良く話していたが、学校外で一緒に遊ぶことはなかった。B君も割と体は当時から大きめだった。


小学3年生でクラス替えが行われ、私はA君・B君と同じクラスになった。担任40代くらいの男の先生で、特に問題なく1年間を過ごした。小学4年生になるまで先生に歯向かう児童を見たことが無く、荒れた様子もまるでなかった。


小学4年生になり、担任先生が替わった。30代半ばくらいの女性先生だった。割とハキハキとしていて、怒るときには物おじせずにしっかりと怒るタイプだったが、今思えば「口うるさいお母さん」みたいな先生だった。若めの女性であったこと、体罰がなかったこと(当時はもう体罰時代遅れ、という雰囲気だった)、お母さんみたいなタイプだったことが、周りよりも少し早く成長期を迎えた二人の反抗心を呼び起こしてしまったのかもしれない。


最初に反抗したのはA君だった。最初きっかけはわからない。注意をする先生に口答えをする、歯向かう、無視する、言うことを聞かないといった、まさに反抗期男子母親に歯向かうそれに似ていた。その様子を見たB君も同様の行動をとるようになり、いつしか二人はその学校問題児となった。二人が問題児となって以降も、先生はめげずに立ち向かい続けていたが、いかんせんアプローチ方法最初から変わらないため、特に改善兆しが見えないまま月日は流れていった。なお、期中に二人が校長室に呼ばれ鉄拳制裁をくらう(最初にB君が殴られ、それを見ていたA君はよけることができたらしい。A君とB君が逆かもしれない)こともあったらしいが、その二人の態度が変わることは無かった。

二人とも似たような行動をとっていたが、どちらかというと主犯がA君でB君が追従者といった印象だった。A君はもともと芯のある人間で、自らの考えで主体的に反抗している印象があり、そこには当時の彼なりのフィロソフィーがあったと感じた。一方B君にはそのような印象が無く、なんとなくむかつくからA君の真似をしていた、程度の印象だった。これは卒業以降の二人の歩む道の伏線でもあった。

二人が問題児となって以降も、クラス運営は(ほかの児童目線では)問題なく続けられていた。二人は担任先生に反抗するだけで、授業の邪魔をしたり他の子いじめたりといった周囲への妨害がなかったかである。というか、その二人を含めクラス男子基本的にみな仲良く1年間を過ごしていた。そのため、その二人の反抗をスルーすればクラス運営機能していたように思う。

ただ、みな仲が良かったこともあり、同じクラスの他の児童特に男子)へは悪い影響を及ぼしていた。二人のような表立った反抗はしないものの、先生の話を話半分で聞き流す、誰かが怒られていると別の子が「短気は損気~」なんて歌をわざと先生に聞こえるように歌う、など男子を中心にうっすらと先生に歯向かう雰囲気が醸成されていった。なお、女子集団には特にそうした雰囲気は感じられなかった。

前述の通りこれまで先生に歯向かう友達学校内で見たことが無く、私はそれまで、先生学校側)=絶対的存在とみなしていた。先生に反抗するなど夢のまた夢と考えており、そのためこの二人の行動は衝撃だった。そんな私も周りの雰囲気に流され「この先生むかつくな」など軽い反抗心を抱いてはいたが、一部の友達のように反抗を匂わせる行動はついに最後までとれなかった(びびっていたのである)。


小学5年生になり、クラス替えが行われた(このタイミングでのクラス替えは例年通りである)。私はA君と同じクラスになった。B君は別のクラスになった。4年生の時に担任先生は他の学校へ異動となった。私とA君のクラスには、新たに別の学校からきた男性教諭担任に就いた。当時40代半ばで中学教諭経験しており、背は低いながらも厳しい先生であった(なお、この先生が私の父親同級生であることが後日判明する)。B君のクラスにもおそらく男性教諭があてがわれただろうが、よく覚えていない。


5年生になって以降、A君とB君は急におとなしくなった。今思えば、この男性教諭はA君への刺客だった。A君とB君がお互い離れ離れになったこと、それぞれ厳しめの男性教諭担任になったことで反抗的態度をとりにくくなってしまったのだろう。5年生以降のA君の様子はむしろ優等生寄りで、赴任時にかなり身構えていたであろう男性教諭は拍子抜けしたかもしれない。そして特に問題を起こすことなく、二人はそのまま小学校を卒業し、私とその二人は地元の同じ中学校に進学した。

中学生になってからの二人はまったく別々の道を歩んだ。先にB君について話すと、いわゆる「不良」になった。数世代前にめっぽう荒れた中学校で、不良自体は当時もまったく珍しくなかった。引き続きB君とはたまに話をするくらいの間柄だったけど、がたいがよくたまに人を殴っていたので「殴られたら怖いな」と思い内心びびっていた。中学卒業後の進路についてはよく知らない。高校に進学したのかどうかもわからない。

A君は、小学5年生の「更生」路線中学でもそのまま続けていた。引き続き頭がよく成績も優秀、さら生徒会に入りついには地元進学校に推薦で入学してしまった。中学時代も引き続き仲良くしていたしB君みたいに周囲を怯えさせるような人でもなかった。普通の「いいやつ、おもしろいやつ」で、もし中学から友達が彼の小4時代の話を知ったら多分びっくりしていたと思う。本当にあの1年間だけだった。たぶん、早く到来してしまった反抗期とあの先生が悪い意味でうまく組み合わさってしまったんだと思う。


私はA君とは別の高校に進学し、それから連絡もとっていないため彼のその後についてはよくわからないが、高校卒業後は東〇電力に入社したらしい。てっきり大学受験をするのかと思っていたため、少々驚いたのを覚えている。B君についても詳しくは知らないが、中学同級生結婚して子どもがいるらしい。


思い出話はここまでである特にオチが無くて申し訳ない。年末帰省準備をしていてふとA君のことを思い出し、書きたくなってしまった。A君はいま何をしているのだろう。芯のあるしっかりした人間で柔軟な思考も持ち合わせているから、問題無くやっているとは思う。もしA君がこの文章をみたらすぐに自分のことだと気が付くと思う。書き手についても大体察しがつくだろう。

今の彼にとって、あの1年間とその1年間が彼のその後に与えた影響をどう考えているんだろう。中学時代話題に出したことはあるけど「あの先生がうざかったからね~w」くらいの話をした記憶しかない。30歳を過ぎた今なら、その「総括」もできているんじゃないだろうか。私個人勝手な考えだけど、あの1年間は彼の精神成熟に多大に貢献したと思う(当時の先生不憫に思うが)。彼がいまどのように感じているのか、一度話をしてみたいものである

2023-12-23

anond:20231223204558

それでちょっと思い出したが、相談したいことがあるんです。特に腐女子に。

うちの子は上が腐女子。親としてそういうことに理解があることを示してたら、部屋に堂々とHなBL本を置くような子に育っちゃった。

の子は歳が離れた男の子で、小さいころから姉の部屋でBL本をちょくちょく読んでいることが判明し、上の子に、「部屋に置くな」と言ってるんだけど反抗期から聞いてくれなくて。

の子最近になって、

同級生男子が好きなんだけど、その男子は当然女子が好きなわけで、そのことが辛くて悲しい」

と悲しそうに告白してきた。

それがとても不憫で。

最初に見た性的もの男性同士の恋愛だったから、それに影響されたのか、それとも先天的ものなのかはわからない。

せめて部屋にあるBL本をどうにか処分して欲しいんだけど、反抗期ものでまあいう事聞かない。

この増田の息子も激怒しているように、いくら奇麗ごと言ったって、同性愛者は普通恋愛と異なり成立する可能性は極めて低いわけだし、こうやって苦しむのが宿命なわけでしょ。

どうしたらよいのでしょうか。

2023-12-19

anond:20231219161923

反抗期セックスってどんなだろう

まだイッちゃダメ みたいな感じ?

子供の頃できなかった父親への反抗期彼氏にぶつけてしま

やめたいのにやめられなくて辛い

病院とかカウンセリングとか行ったらなんとかなるもの

2023-12-17

[]

こんにちは

やっぱり国立医学部医学科は自分には無理かもしれない、そんな不安と闘いながら勉強に励む千葉大学医学部医学科落ち早稲田大学先進理工学部生命科学科卒おじさんです。

模試の日程や種類を確認していたところ、高校時代に当時交際していた女の子との避妊に失敗してしまたことを思い出しました。

河合塾で行われた模試の後でした。

あの時、既に反抗期は終わっていましたが気恥ずかしさや受験ストレスで両親との会話は殆どなかった時期です。

交際相手の両親が自宅まで来た時は「もう終わりだ。受験すらさせてもらえないかもしれない」という恐怖に襲われました。

しかし、全てを僕の責任にしようとする相手の両親に対して両親は僕を守ってくれました。普段言葉も交わさずカリカリイライラ勉強している息子のために物凄い剣幕の相手両親に引くことなく、キッパリと言うべきことを言ってくれた両親に家族愛情を感じました。

その出来事以来、僕は両親を大切にするようになりました。

さて、先ほどまで昨夜に読みかけたまま就寝した生物総合講義読み切りました。読み終えた後に志望大学生物過去問を参照したところ、現役時代に苦労した物理よりも抵抗感がなかったことに気がつきました。

得点の安定度や知識の少なさ、周りの影響で自分に向いていない物理固執していたことも敗因だったなと反省です。

午後は化学過去問を参照し、夜に文系科目の概観を済ませ来週一週間の勉強スケジュール、直近一ヶ月の勉強方針作成していきます

それではまたノシ

2023-12-16

anond:20231216013156

パヨパヨパヨっぴ~

社会お荷物パヨっぴ~w

大人のくせに反抗期の甘えん坊パヨパヨちゃ~んww

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