はてなキーワード: ff7とは
今から10年前、香川県でゲームは1日1時間とする条例が施行された、香川県から始まったこの条例が10年間でゲーム全体にどう影響したかを残しておこうと思う。
最初は猛反発していた香川県民も施工されたらしぶしぶ従うしかなかった。
1日1時間しか遊べないので自然とRPGなどの長編ものは遊ばれなくなってきた、ジャンル別の売上統計を取ると香川県だけミニゲーム系のジャンルの売り上げが上がり、RPG、シミュレーションなどの長く遊ぶ必要があるジャンルの売り上げが落ちた、当然の結果だ。
ただし、まったく遊ばれていないわけではなかった、香川県民でもRPGやシミュレーションを遊ぶ人達はいた、中には禁断の技ゲームマンオーバーアタックを決めるものもいた、ゲームマンオーバーアタックが出来る人間は羨望の的であった。
説明しよう!
23時から翌日の1時までの間に連続して2時間のゲームプレイをする大技である。
2日分のゲームプレイを一気に消費してしまうためその日に帰宅してもゲームがプレイ出来なくなってしまうのである!
また、眠気に打ち勝ちこの技を決めれる子供は夜に強いとしてクラス中から尊敬された。
ゲーム側から香川県民に対応する動きが出てきた、中でも特徴的なのがKAGAWA MODEの登場だろう。
このモードは所謂EASY MODEよりもさらに優しいモードで、例えばアクションゲームなら体力がEASYよりさらに増える、落下死をしない、RPGなら敵の経験値がめちゃくちゃ増える、ダメージをほぼ受けない、などのゲームプレイを長引かせてしまわないような対策を取られた。
このモードが標準装備されたが香川県民には不評であった、優しすぎてつまらないとの声が多く、KAGAWA MODEでしかクリア出来ない奴という烙印を押される始末であった。
香川のある大学が画期的な装置を開発した、その装置は人体の残留うどんを計測する装置なのだが、うどんを常食している香川県民を判別するのに極めて有用であった、PS6以降のゲーム機にはこの装置が標準装備され、香川県民は脱法的にゲームをする事が事実上不可能となってしまった。
このゲーム、KAGAWA MODEではクラウドの最強武器アルテマウェポンが入手出来ない、一度でもKAGAWA MODEにせずにいるとエアリスを復活させる事が出来る、などの噂が広まり、香川県民は何とかしてKAGAWA MODE以外でプレイしようと必死になっていた。
中にはなんとか残留うどんを抜こうと断うどんを試みようとする香川民がいたがとても苦戦しているようだ。
最終的に断うどんに成功したものだけがゲームプレイを楽しむ事が出来ていた、香川県から逃亡を図ったものも多くいたがうどんを欲する香川の血からは逃れられなかった。
セフィロスは嘘つき。
セフィロスのクラウドに関する暴露話と、クラウドが病んでからの回想がどうにも噛み合わなくて、混乱しながら遊んでたけど、クリア後に考察サイトを読んでたらセフィロスが嘘を付いてるやん。人形じゃねーだろ。
それにムックなんかでFF7が紹介される場合だと、必ずセフィロスが「お前は人形」ってシーンが貼られてるけど、あのシーンは嘘っぱちなんだから、話をややこしくするシーンをワザワザ貼るなよ。あと、そういうムックのせいで、ラスボス戦はクラウドとセフィロスの一騎打ちだと思ってたけど、実際は片翼の何かよくわからんセフィロスを倒した後、ほぼイベントみたいな戦いで一騎打ちがあるだけだし。
日々生きてると実感しづらいかもしれませんが、現代社会は日々向上しています。
とくに科学技術やテクノロジーはレイ・カーツワイルが指数関数的に伸びてるとか言ってますが、それを信じるしんじないにしろ今の所確実に成長を続けています。
なにか買っても数年後にはテクノロジーの向上で、価格が大幅に下落したり飛躍的に向上した製品が出現するので、現段階の商品はサービスを無理して買う必要はありません。
確かに今までもテクノロジーの変化のせいで過去の遺産がだめになることがありました。レコードからCDへ変わったりVHSからDVDへ変わったり。その変化にかかる期間が狭まってます。
家庭に電子機器が入ってくる
無線通信で動画コンテンツをストリーミング消費、発信するようになる
社会の動きも目まぐるしく、当たり前だと思われていた年賀状を書く文化ももうありません。携帯にストラップをジャラジャラつけていたのさえほんの10年前だし、物理鍵や財布など、今まさになくなろうとしているものもたくさんあります。
自動運転が出来るっていうのに免許を取るだとか、電気自動車が主流になるかもしれないのにガソリン車を買うだとか、新しい断熱材や最新の施工技術が出てくるかもしれないのに家を建てるだとか、日毎変化しているなかでものを所有するリスクが日々高まっている。
ゲームは描写されてない部分は想像でおぎなうもので、その想像が楽しさの源でもあるのだが、
グラフィックが美麗になると「描写されてない部分」がどんどん狭くなるから、想像で補えない部分が出てきてしまうという話。
ガードスコーピオンが飛び回って壁に貼り付いたり、攻撃を避けるために物陰に隠れたりと、
リメイクで物凄い頑張ってるのは良く分かったけど、違和感も凄かった。
どんな部分に違和感を感じるかというと、一つには攻撃のエフェクトが滅茶苦茶派手なわりに、相手が恐るべきタフネスで全然ダメージが入ってるように見えない事。
もうちょっと荒ければ「もうこの敵ボロボロだろ。え、まだ死なねえの? すげえ」って感じで手汗がじんわり出て来るところだが、
グラフィックが美麗なせいで「傷ついてないじゃん! ピンピン動いてるじゃん! さっきのダメージなんだったの!」って妙な理不尽さを感じる。
理屈の上では、ちゃんとダメージも通ってるし、単にグラフィック上ダメージが無いように見えているだけなのは理解できるのだが、
「ダメージの有無」がプレイヤーの想像力ではなく、見た目で分からないと違和感を感じてしまうほどグラフィックが綺麗になってしまっているのだ。
畢竟、相手にダメージが無さそうなのは意識からシャットアウトしてひたすら殴るという作業感が増大する。
これは地形も同様で、工場みたいなところでミサイルやら極太レーザーやらブチかましながら巨大重機が跳ね回ってるのに、地形が変わらないという理不尽。
あんな鉄板の上でビームだぞ。床に穴が開かないまでも、赤熱してとても歩ける状態じゃなくなるくらいでなきゃおかしいだろ。ああ、はい破壊不能オブジェクトなのね、と思ってしまう程度にはグラフィックが綺麗なのである。
もう一つには、フィールド狭しと飛び回るような戦闘となると、必然的に湧いてくる疑問が、
「援軍は? こんなに長時間ドッカンドッカンやり続けてるのに援軍ないの?」というのと、
「もうちょっと地形を活用した戦い方できない? でかい相手が入ってこれない狭い通路に逃げ込むとか、敵の方は高い位置の作業用通路か何かから狙撃するとか」というもの。
1997年版の時の時のバトルは、両陣営とも足を止めての殴り合いだったので、(というかそれ以前が2Dグラフィックで画面の左側と右側で撃ち合いしてたので)、
あくまで「2Dバトルの延長」としてグラフィックすげー! 3Dスゲー! そして「背景スゲー!」だったのだが、
今はオープンワールドが普通の時代である。「見えてるのに使えない」とか論外なのである。
昔は、グラフィックは綺麗になればなるほど良かった。2Dならば、あくまで捨象され抽象化された世界としてゲーム世界を見ていたのだから、画が綺麗なのは何のデメリットももたらさなかったのだ。
しかし3Dは違う。3Dでグラフィックを綺麗にするというのは「現実に近づける」という行為なので、画以外が現実に近づいていないと、そこにギャップが生じるのだ。
正直な話をいうと
って言われて頭の中に思い浮かぶのはクリムゾンの表紙なんだよね。
それよりもニーハイを穿いてくれたこと、黒インナーを着用してくれたことでプレイの幅が広がった。
拙者ね、「クリムゾンを視る者」だからSなのかな?って思われがちだけど、実際はも○おとか○嘘とかを視る者だからMでもある。その2つを兼ね備えているので君たちより強いから、胸が小さくなったこと如きでガタガタいわない。これ、強者の余裕。
余裕のないものは、性癖に固執し、「ロリが成長すると嫌だ」、とか、あるいは「メガネを外すな」、とか、もしくは「猫耳はケモノじゃない」とか、そういうちっちゃな事をいつまでも気にする。そして弱き者故に世界をだんだん閉じていく。
FF7ティファ胸小さくなった騒動もそういった、弱き者の余裕の無さの結果である。
確かに、俺は昔、焚き火の近くでティファに胸でプレイをしていただける同人アニメで抜いた時にパイズリというものをしった。
俺の頭の中にも「ティファ」=「巨乳」の図式はある。それこそクリムゾンが頭に最初にでてくるわけだから。
ティファの胸ももしかしたら「あれ?昔はポテトチップスってもっと大きかったよな?」という相対的に小さく見える感覚で小さく見えるのかもしれないのは野村によって打ち砕かれてしまったが、そんな事でガキみたいに泣きわめいても仕方がない。
俺は、ニーハイと黒インナーに無限の可能性を見出して生きていく。
君達はどう生きる?一生、そこで胸が小さい事を気にして生きるのか?