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2011-09-10

シナリオの変化と改良

ゲームには、システムキャラクターシナリオという要素があるなぁ、という所から始まって

この内システムシリーズで使いまわしながら変化や改良ができる(キャラも使いまわしはできる)、と考えて

そこからシステムと同じようにシナリオを使いまわしながら変化や改良をして、シリーズの一つだと主張したらダメなのかと考える。

さらに、何もこれはゲームだけに当てはまるわけではなく、漫画アニメなどのシナリオを含む作品全般について言えるんじゃないかと考えた。

シナリオを使いまわしながら変化や改良するとは、大筋で同じ設定やキャラクター物語を使うのだけれども

こうすればもっと面白くなる、あれはああすべきではなかった、こんな設定を加えてみたらどうだろう、

と変化や改良を加えていくことを想定している。

例えば、けいおん!だったら、唯以外のメンバーも全員初心者であるとか、1年の内に新しい部員が入るとか、

一部キャラの髪形が違うとか、そういう変化を付けて、高校生編をもう一度やってそれを新しい作品にしてしまう。

これって反則なのかな。

話をゲームに戻すけれども、優れたシステムキャラクターデザインすれば

それを何度も使いまわしてに一大シリーズを作れる可能性があるのに、優れた物語シナリオ)を作っても、それが一回きりで使えなくなるというのは

何かもったいない気がしている。

2011-09-02

http://anond.hatelabo.jp/20110831231802

http://yutori2ch.blog67.fc2.com/blog-entry-3116.html

764 :名無しさん涙目です。(iPhone):2011/09/01(木) 18:52:09.74 ID:07oTPCnV0

タナシュンのことが問題になった時の部長の発言

AMSの部長@de_la_chin

@de_la_chin でらちん

@rippall @ucockey

これ今までの大学生ツイッター事件の結果から考えると学校から本人に何かしらの処分が下る可能性が高い気がするけどAMSへの影響は大丈夫かしら?何かしら対処した方がいいのかな

@de_la_chin でらちん

@rippall @ucockey そうだよなあ 重くて停学ってとこか たしかにこういう事態を受けて部として除名処分に致しますって言うのがよい気がする もともと態度にも問題あったからなー笑

@de_la_chin でらちん

@Shimpei154

知ってます合宿で山に花火投げ込んだグループの1人です


766 :名無しさん涙目です。(iPhone):2011/09/01(木) 18:53:07.17 ID:07oTPCnV0

部員@rippall の発言

@rippall たちはらけんと

@de_la_chin @ucockey うちには大学から聞き込みきてせいぜい厳重注意だと思うよー 彼の行動とサークルは関係ないし でもうちから公認団体として部として処分をしたいのですが云々て大学に連絡いれたら心証良くなるんじゃないかな とりあえず辞めてほしくないか

@de_la_chin @ucockey 親が金持ちいからなあ うちとは関係が無いってのを大学から飛び火してくる前にアピールしときたいってのあるし そう言うなって笑



マジでこの記事どおりだねw

2011-08-05

あらすじ私的連絡用うぷ

「I Have a Dream」・登場人物表

神田 環(かんだ たまき)/カンダータ・マ・キ

…外見年齢15歳。ウテナ星の王子地球人に偽装し、高校に通う。地球風俗に疎く、とんでもない誤解をすることも。三白眼がトレードマーク。背が高い。偽装を解くと耳が尖っている。

シッダルタ王 …外見年齢30歳。環の上司でもある。環と血のつながりはない。アロハグラサンの色男。女にだらしない。

稲葉 つぶら(いなば つぶら) …15歳。大家娘。高校へ通うため、父の持つアパート管理人を兼ねて1人暮らしをしている。初対面の環にも親切。

城島 亜鈴(じょうじま あれい) …15歳。つぶらの親友。環を異様に敵視する。

宮沢(みやざわ) …15歳。環のクラスメイト。不良にパシリにされている。背は小さいがツッコミは鋭い。

小森信慈 …15歳。茶道家元の息子。父が死んでからは茶をたてていない。イケメン

ミッキー …つぶらの飼っているジャンガリアンハムスター。環からネズミと呼ばれる。




「I Have a Dream」・プロット・あらすじ

ウテナ星の王子であるカンダータ・マ・キは、このたび、惑星会議によりウテナ領となった地球の視察のため地球に降り立った。指示された居住地に向かう環。そこは廃墟しか言いようがないオンボロアパートだった。管理人を兼ねる居住者つぶらに挨拶をし、惑星間通信で王に連絡すると高校生として学校に通えという。しかたなく翌朝、学生服に身を包み登校する。偶然にもつぶらと同じクラスと知るが、つぶらの親友だという城島は環を敵視する。さっそくクラス宮沢と仲良くなるが、彼は不良にパシリにされていた。なにげなく鉄柱を飴のように曲げる環を見ておののく不良。つぶらが茶道部であることを知り調査を兼ね見学するが、華道部部員一人しかいない茶道部茶室の使用時間で揉めていることを知る。自らが茶道部新人であると宣言する環。宮沢追随するが正式な部員には足りない。そこで新人探しをする。茶道家元の息子の信慈に目をつけるが断られる。環は信慈をむりやり連れてきて茶をたてる。拙いながらも一所懸命茶をたてる環を見て信慈は茶道部に入ることを了承する。ある日王に、征服せず保護区とするわけにはいかないかと尋ねる環。しかし、この星に知的生命誕生させたのは自分である、また、この星の真の所有者は自分ではなくさらに上位の権力者であり、そのまた更に上位がありまた更に上位があり~誰が本当の所有者かはわからないという。では自分達も誰かに作られたのかと尋ねる環。ある日華部員が現れ、再び茶室を譲れと主張する。そこで環は華道茶道でどちらが優れているか勝負しようと言いだすが、つぶらに「茶道は人と争うものではない」と諭され、つぶらは茶室を明け渡してしまう。憤懣やるかたない環。しか城島能力のある人間にはそれにふさわしい待遇が与えられるべきだと言われ、言い返せなくなってしまう。やがて再び勝負を持ちかける環。つぶらから止められるが、時に相手にモノ申すのも茶の道ではないかと反駁する。第三者に茶道華道を体験してもらい、より素晴らしいほうを選んでもらうという勝負を行う。全てにおいて完璧華道部茶道部ミスを連発する。しか茶道部に軍配が上がる。(環は足の痺れたC子のために茶の席を早く終わらそうとし、それにC子は感じ入ったのだ。環は、素晴らしい席を設ける、客を思いやる、どちらも揃っていることが一番素晴らしいのではないかと語る)後日つぶらにデートを申し込み、遊園地で遊ぶ環とつぶら。宇宙人であることを告白しようとするが、自分が伝えたいのはそんなことではないと気付き、つぶらに告白する環。ふたりはキスをする。だが環は自分痕跡を消すため、友人たちから自分に関する記憶をすべて消し去ってしまう。宇宙船に戻る環。環は王に、この星を征服するべきではなく発展するまでひそかに保護下に置き、やがて対等に交易をするべきだ、と伝える。そして環は、そのときまで1人この星を見守り続けることを誓う。

2011-06-26

http://anond.hatelabo.jp/20110626173714

まあ確かに「お給料貰いながら勉強できる」ような恵まれた職場に入れたら最初から苦労しないとは思う。

ただ、会社の規模や業種を選ばなければ、Fランでも零細企業正社員くらいなら今でも行けるんじゃないの?

旧帝や早慶出て零細企業正社員ってのはプライドが許さない、と言うなら仕方ないけど。

わざわざ派遣バイトで職歴に空白作るよりはマシじゃね?

と、求人出してもなかなか応募が来ない零細企業管理部員としては思うんだが。

2011-05-16

生まれて30年弱だけど告白されたことない

タイトル通り、生まれて三十年弱だけど告白されたことない。

思えば中学入学部活に入ったとき、その場にいた部員十名に「告白されたことある人ー!」って先輩がやったら私以外皆手を上げた。

それから幾年大学に入り、一人ひとり友達は「告白された側」の人間になっていき、今や私だけ「告白?なにそれ?」の住人になってしまった。

うん。ああ、こういうのを喪女って言うんだねw

「○○がお前のことすきだってさ」みたいなのを、○○がいない場で言われた事は数度あるが、当の○○に告白されたことなんざ一度足りとない。

駅で待ち伏せ告白未遂めいたものはあったが、ホワイトデー、雪の日、あの駅で呼び止められた彼の声から私は逃げちまった。二度もw

当時自分の首絞めたいw

きっとアレが私の人生における最後のチャンスだったのかもしれないと、今は思う。

かといって今後誰かに告白された所でだから付き合うだのどうだのは考えてない。

人に好意を抱かれる事の実感が持てないから、それを確かめたいというのが一番のメインディッシュなのかもしれないとも。

うん、上司は時に庇って泣いてくれたり、顧客からは度々お褒めの言葉や贈答品をくださったり、そういった事はあるのだけれど

それが好意を抱かれている実感に殆ど結びつかないのが心苦しい

申し訳ない。

大事にされてる実感、頭では理解していてもそれに感極まったり心動かされたりということがない。

虐待されたからだの、12年虐められ続けたからだの、それは言い訳しかない。

って―主題がそれた


誰かを好きにはなれたのに、好きになられて告白されるほどの性格は持っていないのかw

性格悪いし喪女からさと開き直れればいいが、性格悪いなりに改善したいし努力したい。

今は誰に対しても優しいとか言われちゃう有様で、まぁ「いい人」と言われる位にはマシになったのやもw

嗚呼、人に好かれるってなんだろうな?

必要とされるってなんだろうな?

そしてそういう実感ってどうやったら得られるんだろうな?

表立って堂々と「すき」って言われたら漸くその実感を得られそうで、

ただそのリアルを感じたいが為に

告白されることをどこかで求めてるのかもしれないよ私は。

2011-04-23

牛頭さんの中学時代

中学1年の7月のことだった。私が朝学校に行くと、仲良しだった子が近づいてきて唐突にこう言った。「もう、ごずっちと口きけないんだ」 意味が分からなかった。転校でもするのかと尋ねても違うと首を振る。「もう決まったことだから。じゃあ頑張って」 そう言って彼女は去っていった。

彼女言葉は少なくて詳しい事情はまるで分からなかったが、悪い予感のようなものがあった。これはもしかしてあれじゃないか。どうしようどうしよう。背中を冷たい汗が伝うのを感じていた。教室へ向かう階段を登りながら、もうこのままずっと教室に着かないでしいと思った。知るのが怖かったのだ。

教室のドアの前に立った私は蒼白だったと思う。頭の中に色んな想像が駆け巡り、手のひらはじっとりと汗ばんでいた。ひざも少し震えていた。私は意を決して教室のドアを開ける。いつもと変わらない教室。でも私が入った瞬間、少しだけ空気が変わるのが分かった。スタート悪魔がせせら笑った気がした

はいつも通り「おはよー」と声をかける。だが挨拶は返ってこない。私の存在を無視してみんなはおしゃべりを続ける。目さえ合わせようとしない。女子男子も私がいないかのように振る舞っている。私は深く息を吐いた。泣いて騒ぎ出しそうな気持ちを必死で鎮めようとしたのだ。

昨日まで楽しかった学校拷問のように感じられた。誰からも話しかけられない。こちらから話かけても無視されてしまう。なぜ私なのだろう。何遍も考えてみたけど思い当たる節はなかった。実際のところ大した理由もないのだろう。何となく選ばれ何となく無視されているのだ。

私はこの状況をできるだけ軽い感じで受け入れようとした。これは思春期少年少女ありがちな他愛のないお遊びなんだ。こういうときは慌てず騒がず嵐が過ぎるのを待てばいい。恐らく長くても半年がせいぜいだろう。2年になればクラス替えもある。ちょろいちょろい。当時の私はそんな風に考えていた。

無視は1年生の間ずっと続いた。正直少し長いなと感じていたが、無視はあくまでクラス内だけの話で、他のクラスの子や部活内では普通に話をしていたので、思ったより辛くはなかった。学校勉強をする場所だと割り切ればどうということもなく、そんな自分の強さに少し驚いてもいた。

2年生になる際にクラス替えがあった。掲示されたクラス割を見ると、1年の時同じクラスだった子は4人だった。それも大人しそうな子ばかり。私はほっと胸をなでおろした。慣れてきたとは言え、無視されるのはやはり心地良いものはない。私は解放感を胸に新しい教室へと向かった。

私は教室に入った瞬間、既視感を覚えた。空気の流れや重さが変わる感じ。暗黙の了解に支配された教室。それは9ヶ月前と同じだった。私は自分の席に着いて隣の子に話しかけた。「おはよー。私ごずって言います。よろしくね」 隣の子は目を逸らした。私は四方に話かけたが全員同じ反応だった。

血の気が一気に引くのが分かった。寒くもないのに体が震えていた。何なのこれ。怖い。怖いよ。早く教室から逃げ出したい。家に帰ってベッドに入って布団を頭からかぶって、世界から情報を一切遮断したい。そんな気分だった。でも私は動けなかった。覚悟?諦め?違うよ。怖くて悲しかったんだ。

無視は一体いつまで続くのだろうか。2年生は修学旅行をはじめ色んな行事がある。中学生活を謳歌し思い出を作るにはうってつけの学年だ。それなのに初日から無視の洗礼だ。私は肩を落としながら部室へと向かった。部活けが私のオアシスだ。もし部活が無ければ私は登校拒否を選んでいたかもしれない。

オアシスは見るも無残に踏み荒らされていた。3年生を除いた1-2年生部員が私を無視し始めたのだ。このとき絶望は筆舌に尽くしがたい。もう学校に私の居場所はなくなってしまった。その日を境に私は部活に行かなくなった。

家に帰ってから枕に顔をうずめオンオン泣いた。枕カバーが涙とよだれと鼻水でべちょべちょになっても泣き続けた。夕食のとき目を真っ赤に腫らしていたら、お母さんが心配して「目どうした?泣いたの?学校で何かあった?」と聞いてきた。実は1年生の頃から無視されているんだなんてとても言えない。

「泣く練習してたんだ。演劇部に転部しようと思って」と私は苦し紛れの嘘をついた。お母さんは「そう…何かあったら相談しなよ」と言ってそれ以上何も聞かなかった。これは私の問題だ。お母さんを巻き込むわけにはいかない。登校拒否だって絶対するもんか。私はそう固く決意した

私は1日も休まず学校に通った。行事があるたびに孤立していたので、担任から牛頭さん、クラスのみんなと仲良くやってる?」と探りを入れられたが、「大丈夫です」と突っぱねた。一方で私は毎日誰かしらに話しかけるようにしていた。どこかに突破口のきっかけがあるはずだと信じていたのだ。

突破口などなかった。私とクラスメイトの間にはマジックミラーがあるのではと思うほど無視は徹底していた。正直頭がおかしくなりそうだった。何度登校拒否を考えた。転校も考えた。でも私は何も悪いことはしていない。逃げるような真似はしたくない。無視する連中に人生を左右されたくないと思った。

恐らく3年生になってクラス替えがあっても無視は続くのだろう。そう確信した私は中学を見限り、進学する高校を考えることにした。担任に頼んでうちの中学からの進学者が少ない高校をリストアップしてもらった。どこも私の学力では難しい学校ばかりだったが、毎日目標ができて私は嬉しかった。

それからというもの、勉強を聞くために職員室に足を運ぶことが多くなった。どの教科の先生も私の質問に快く応じてくれた。時たま内緒だぞと言ってお菓子をくれる先生もいた。考えてみればそれはごく普通ことなのだけど、 1年半以上も普通の反応をもらえない私にはそれがとても新鮮に思えた。

3年生になってクラス替えがあった。半ば覚悟していたが予想どおり無視されたときは思わず笑ってしまった。ひとり笑う私をクラスメイト不思議そうな目で眺めている。だから私は大声で叫んでやった。「無視生活3年目!落ち込んだりもしたけれど私は元気です!」 最高に気持ち良かった。

3年生になると周りが受験モードに移るので、以前ほど孤立は気にならなくなった。休み時間勉強したり、図書室で勉強したりする人の姿も増えてきた。その頃、私は職員室の常連になっていて、放課後先生達とコーヒーを飲むことさえあった。先生はみんな私に優しかった。

年が明け受験シーズンに入った。滑り止めの私立高校は受かっていたが、そこはうちの中学からの進学者がそこそこ多い。絶対に行きたくはなかった。本命の公立高校は共学でレベルがやや高い。先生からは「ボーダーからランクを下げた方がいい」と言われていたが、私が受験校を変えることはなかった。

合格発表はお母さんと見に行った。高校は受験生報道陣で混み合っていた。私は人波の隙間から自分の番号を探した。するとお母さんが先に見つけて「あった!あったよ!」と騒ぎ始めた。私は「もー!自分で見つけたかったのにー」と言いながらも、お母さんに抱きついて一緒に喜びを分かち合った。

私もお母さんも笑顔で車に乗り込んだ。でも運転席のお母さんが「お祝いに何か食べて帰ろうか」と言った瞬間、私は感情が抑えきれなくなり、声を上げて泣き出してしまった。助手席で嗚咽を漏らす私の背中をお母さんが優しくさすってくれた。そこで私の感情ダムは決壊した

気づくと私は今までのことを洗いざらいお母さんに話し始めていた。話すにつれ、お母さんの顔は驚きから困惑に変わり、さらに悲哀を帯び、最後は私と同じ泣き顔になった。お母さんは何度も私にごめんねと侘び、私も同じようにお母さんにごめんねと言い続けた。お母さんは痛いくらい抱きしめてくれた。

その後、私は学校に行き担任に合格を伝えた。あと一番気になっていたことを聞いた。「私以外の合格者は何人ですか?」「男子が4人で女子牛頭も含めて3人だな」 念のため名前も聞いたが、同じクラスになったことがない人ばかりだった。もう大丈夫だ。これでもうお母さんを泣かせなくてすむ。

卒業式は何の感慨もわかなかった。私の卒業式合格発表の日、あの車内で終わっていたからだ。式が終わって教室に戻ると、クラスメイトアルバムに寄せ書きをした写真を撮り始めた。その様子を尻目に私はさっさと教室を後にした。私に声をかける人はいなかった。

下駄箱で靴を履いていると「牛頭さん」と声をかけられた。1年生のとき私に「もう、ごずっちと口きけないんだ」 と言った子だった。この期に及んで私に一体何の用だろうかと思っていると、彼女は「あのね…ごめんね」と言った。なぜかその言葉で、私とお母さんが流した涙が汚されたような気がした

「ごめんねってそれあんたの自己満足でしょ!自分が後腐れなく卒業したいからって今更ごめんねは無いでしょ!こっちはようやく解放されたのに最後最後味噌つけないでよ!」 私は思い切り啖呵を切って、走るようにその場を後にした

帰り際、校庭脇の焼却炉に卒業アルバムを投げ込んで、私の中学校生活は幕を閉じた。…なお、高校に入学してから10ヶ月近く経つが、無視されることもなく、バカな友達に囲まれ毎日楽しく過ごしている。おしまい

2011-03-16

http://anond.hatelabo.jp/20110316172755

少なくとも日本語においては、「経済学者」と「エコノミスト」を使い分けるべきだと思う。

経済学者アカデミアの人で、学問としての経済学(の中の自分の専門領域周辺)については詳しいけど現実とは別の世界で生きてる人(学問としての経済学現実とは無関係と言ってもそれほど過言ではない)。

エコノミスト企業子飼いの「経済分野担当広報部員」といった感じで、経済学者ほどの知識も学術的能力も無く、都合のいいポジショントークしかしない(それが仕事)。

2011-02-11

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだらのインクさんのレビュー

http://www.amazon.co.jp/review/R92LAB0MXPIE0

話題の本ということで読んでみたのですが、予想以上に凄いシロモノでした

主人公の川島みなみちゃんは重い病気入院してしまった親友の代わりに野球部マネージャーとなり、彼らを甲子園へ導くことを決意します。

しか野球はもちろんマネージャーについてもよく知らないみなみちゃんは、それについて学ぼうと思い立ち、本屋ドラッカーの『マネジメント』を購入しました

ここから彼女人生は狂いはじめます

帰宅してマネジメントを読みはじめたみなみちゃんは本文に出てきた『真摯』の二文字を見て、突然泣き出します。

あまりにも唐突な事態に読んでるこっちが泣きたくなります

なお、この時みなみちゃんがなぜ意味もわからなかった『真摯』という文字を見て号泣したのか、その理由が後に語られることはありません。

そして翌日からみなみちゃんは何かにとりつかれたようにマネジメントを信奉しはじめます

問題が起きる→マネジメントを読む→解決!

終盤まで延々とこんな流れが続きます

一般的な物語ならそう簡単に話が終わるはずなどなく、むしろさらなる困難が待ち構え、それにどう立ち向かうかが重要になってくるわけですが、そんなものドラッカーマネジメントの前では無意味です

これさえ読んでいれば人生は全てうまくいく。週刊誌宣伝している願いのかなう宝石のような効果がマネジメントにはあるのです

少なくとも、本書を読んで私はそういう印象を受けました

そんなに凄い本なのだからみなみちゃんがより深くマネジメントにのめり込んでしまうのは必然でしょう。

病状が悪化して今まさに死にかけている親友が文字通り必死に何かを伝えようとしているのに、その言葉をさえぎってマネジメント朗読をはじめるみなみちゃんの姿は、カルト洗脳された信者そのものです

そして甲子園出場をかけた決勝戦当日に親友は亡くなりました

どう考えても、みなみちゃんのせいです。

マネージャーを失った悲しみを乗り越えて決勝戦に挑む野球部員たち。

ちなみに今までろくに練習もしてこなかった彼らは、マネジメントのおかげで普通に練習するくらいには成長していましたが、その程度の彼らがどうやって決勝まで進むことができたのかは謎です

決勝戦の相手は当然、甲子園出場のために日夜凄まじい練習と実戦で鍛えてきた強豪です

結論から言えば、みなみちゃんの学校はその強豪校に勝利して甲子園への切符を手に入れるわけですが、勝利できた理由は「なぜか」です

なぜか相手がどんな球を投げてくるのか分かった。なぜか今日調子がいいといった具合に、本文中ではやたら「なぜか」という言葉が繰り返され、選手たちは謎の覚醒をします。

もはやマネジメントは関係ありません。

それについさっき元マネージャーが亡くなったばかりなのに、今日はいつもより調子がいいというのはあんまりではないかと。

それとも、元マネージャーという大切な存在を失ったことで選手たちは自分の中に眠っていた未知なる力に目覚めたのでしょうか。

女子マネージャードラッカーの『マネジメント』を読んでいる隙に、他の部員たちは久保帯人先生の『BLEACH』を読んでいたに違いありません。

そして甲子園当日、野球部キャプテンインタビューを受けるところで物語は幕を閉じるのですが、

比較的まともだと思っていた人物が実は誰よりも洗脳されていたことが判明する、ホラーとしてはかなり秀逸なラストが待っています。

あらすじだけでも十分おそろしいのに

日本企業体育会系出身者が多いか運動部に所属していると企業採用されやすい」

など、お前それドコ情報だよと問い詰めたくなるようなことを平気で言う登場人物や

散々指摘されている通り、適当な英文を適当翻訳サイトで変換したような支離滅裂な日本語など、全てが不気味です

オススメはできませんが、本当に怖い本です

こんなものが出版されてしまったことに恐怖を覚えます

2011-01-10

○○大ラグビー部

※事件に関係ない人や現役部員を攻撃する目的はないです。

未だに、○○大ラグビー部と聞くと、10年以上前レイプ事件を連想してしまう。

自分記憶では「○○大のラグビー部が集団でレイプした」ということになってた。部ぐるみというイメージ。10数人とかそんなかんじの。

それであってるかな、と思ってググったら、実際はちょっと違うみたい

卑劣帝京大ラグビー部員 19歳OL集団レイプ!」、「カラオケボックスに誘い込み 10数人が関与!? 部員5人緊急逮捕!」

( http://www.bpo.gr.jp/brc/decision/001-010/006_k_ntv.html)

といったテロップを使ってたというから、それでイメージが刷り込まれたのだと思う。

報道の影響力ってすごい。

で、実際どうだったのか。

もしこの事件が事実だったら、もっと○○大学活躍ケチをつける人が湧いてそうだし

事実はなかったら、ずいぶんな報道被害だ。

気になって調べようとしたけど、示談起訴猶予のせいか、なかなかわからない。

2010-11-25

彼女が死んだ話を受けて

http://anond.hatelabo.jp/20101125170955←このURLクリックすると、「彼女が死んだ話」という日本語で書かれた、小説らしきものが読める。

思うところは人それぞれだろうから、僕もこれから彼女が死んだことを書き綴ろうと思う。

僕は生まれも育ちも同じ県で、地方の市立小学校に通い、そのまま市立中学校に進学した。

僕は、友達がするから、という薄い理由で吹奏楽部に入り、黒いから、という浅い理由でクラリネットを選んだ。オーボーは先に取られた上での、消去法だ。金も銀も好きじゃない。だいいちあすこの喇叭は緑青がびっしりで、磨きに失敗して管体は凸凹し、リペアに頼らない修復をしたおかげかバルブがありえない方向に曲がっていた。それでもあれは死んでないらしく、バズィングを終えた後マウスピースを填めて息を吹きこむと、ぼへーという気のない音が部室に響いた。

さて、吹奏楽部には定期演奏会というものがある。いわゆるおけいこの成果を、街の皆様方にアピールしようというわけであるしかしそれは建前であり、実際のところは街のお店から広告費をせびり、部員家族うちで盛り上がろうという、極めてクローズな発表だ。広告主もたかだか三年むすこむすめがその部活に在籍していたというだけで、今後十数年、あいや数十年集られることになるとは、まさか夢にも思わなかったに違いない。

定期演奏会はまじめなコーナーとふざけたコーナーの二種類楽しめる、ニコイチのようなものだ。先述したよれよれの金属体が、ぼえーとむせぶ、ゆるゆるなたいこが、どぅゎんどぅゎんと悲鳴をあげる。ニコイチでオトクな気分になろうとしても、こんな音では身内とて地獄であろう。

その定期演奏会では大抵、三年生のひとりひとりがソロのようなものを任されるのであるソロのようなもの、というのは厳密にはソロではない、みんなで吹くところを無理に一人で吹かせたり、挙句には前に立たせて、キュプーと吹かせるのだ、たまったもんではない。足りないならば音楽の加工さえ厭わぬとは、正に儀礼、避けては通れぬというものだ。

では、実際私はどうだったか

クラリネットは全体で10人からなるが、なんとその10人分を私一人に押し付けたのだ。一人で10人分の仕事をしろ、というのである。どんな馬力だ。

だいたいクラリネットというのはそんなに音を重ねても重ねた人数だけ音が増幅されるわけではない。いや、重ねただけ共和せず、うわあんうわあんという不快な耳障りばかりだけが気になるようになるだろう。そんな楽器なのだ、クラリネットというものは。

それを一人で吹けというのだ、ありがたいことじゃないか

というわけで、私は一人で揚々とステージの前に立ち、バックバンドのきちゃない演奏に合わせて、これまたきちゃない、でも聴きやすい演奏をしたわけだ。

で、その時にどうやら僕に惚れてしまった後輩がいたようで、演奏会が終わってから告白され、付き合うに至った。これが10年前のことである

これは先日の話だが、その彼女葬式を執り行なった。喪主彼女の兄である彼女白血病で亡くなり、僕にはどうすることもできなかった。来年には結婚しようという、ながい交際も一区切りするかしないか、といったところだ。

彼女は高校、大学と付き合いを重ね、別な学校に行っても、別な地方に進んでも、毎日の便りは欠かさなかった。彼女にだけはディジタル年賀とは別に、葉書に依る絵と言葉を惜しまなかった。どうやら親にはバレていたようで、手段を変えてくれとメールで痛切に頼まれたものの、僕はそれをしなかった。思えばある意味常識に欠けた配慮だった。

彼女の容態が不安定になったのはつい一昨年のことであるが、大学回生で、卒業論文を控えていた僕はそれでも彼女の見舞いに時間を割いた。夕日を背景としてこちらを向く彼女は美しい彼女の一挙手一投足が僕の人生の肥やしとなっていたのは言うまでもない。

しかしもう彼女はいないのだ。僕も先月親会社倒産の憂き目に遭い、わずかばかり用意された最後賃金を受け取り、それでなんとか首の皮一枚繋がっている。先に逝った彼女は僕に死んじゃダメ、とムチャクチャ約束をさせた。彼女のために生きるというのもわからないでもないが、僕は僕だ。僕のやりたいようにやる。

そこで早速駅から降り、歩いて十分とかからないおっぱいパブというところへ足を運んだ。彼女は胸が平均的で、乳首が大きく、吸いついていたとき、揉んでいたとき誠に幸せだったのだが、そのパブは誠に僕のささやか幸せを叶えてくれた。

バカヤロウ、満たされれば誰でもいいのか、と言われるかもしれないが、けしてそういうことではない。あくまで僕のイマジンを促進してくれるために通うのであり、眼をつぶったとき、そこにいるのは間違いなく彼女なのだ。脱線などしようものか。バカヤロウはお前というものだ。

明日もまた通いたいのだが、どうしようか。指名しようかしまいか。悩むところである人生は愉快だ。

2010-11-17

素直な学生

先日、久しぶりに大学時代の恩師に会った。

飲みながらあれこれ話していたが、少し思うところがあったので、質問してみた。

最近学生はどんな感じですか?」

あなたたちの頃は活気がありましたが、今の学生は少し違いますね。」

「大人しいですか?」

「そうですね。それもあります。」

「それはやはり、1987年生まれを境にですか?」

「というのは?」

「あまり言いたくはありませんが、ゆとり世代になりますね。」

「それが独立変数かどうかはわからないけどね。時期的にはそうなります。」

学生時代、私が部活部長をやっていた頃の新入部員がちょうど1987年生まれ世代だった。私は彼らの2つ上。彼らが入部してきた頃、1つ上とも、同期とも、1つ下とも違う妙な雰囲気を感じたものだ。そして今年、彼らが新入社員として入社してきたとき、私は当時と同じ感覚に陥った。別に彼らが使えないと言いたいわけではない。もし使えなかったとしたらそれは社員教育が悪いのだろう。私が学生時代も今年の春にも彼らに対して感じたのは、気持ち悪いくらいに素直だということだ。そして、その傾向は今の学生にも続いているらしい。

「私の記憶では、あの世代は素直な子が多かったように思いますね。」

「確かにそうです。素直なのは悪いことではないと思いますが・・・。」

「素直すぎますか?」

「そうです。」

そこからは今の学生の傾向を色々と聞いた。環境問題社会政策に強い関心があり、ボランティアセミナーには積極的に顔を出す。インターンシップにも関心が高い。ただ、ゼミ最中にはそのような積極性は影を潜め、借りてきたネコのようになってしまう、とかなんとか。一番たまげたのは、「なぜ発表者に質問しないのか」とゼミ長に聞いたところ、「答えられなかったらかわいそうじゃないですか」と返されたという話だった。おいおい。

「うまく使われてたりしませんか?大人に。」

「そういうフシはありますね。ゼミ生がその辺の議員の手伝いにも行ったりはしてますが、大して得る物はないでしょう。他の人もボランティアはやってはいるみたいですけどねえ・・・。」

就職活動のためというわけではないんですか?」

「そういうわけでもないみたいですよ。単純に、そういうことに興味のある子が多いです。」

その後も色々と話していたが、結局邪魔が入ってこの話は打ち止めになった。教員生活30年以上の先生が言うことなので、傾向としてはある話なんだろう。もちろん優秀な学生ばかりの集まる大学ではこんなことは起きていないはずだ。ただ私の母校は中くらいのレベルなので、多くの大学で似たようなことが起きている可能性はある。

ぼんやりと思うのは、今の学生達はもうちょっとひねくれた方がいいのではないかということだ。もちろん素直なのはいいことだが、大人にいいように使われるのではなく、逆に利用してやるくらいの野心を持った方がいい。大人は学生が思っているよりもずっと狡猾な生き物なんだから、それくらいでちょうどいいのだ。たぶん。

2010-11-01

皆、きまづくなりたくないから、やっている。

人を、部活の練習だとか仕事だとか、そーいうすべきことに縛りつけてるのって、

結局はしがらみなんだな、と思った。

私の所属しているサークルでは、定期的に、大会の運営等ののための会議がある。

色々事情があって、数カ月に一度のその会議は、全国各地の部の代表者が

日本全土のあちこちに集まらなくてはならなくて、時間的にも土日もフルに使わなくちゃで

結構真面目な会議だし、とてもヘビーなものだ。

その会議を尚更ヘビーにしているのは、恒例の毎度毎度の飲み会で、

金土日の夜に、大学生が飲みまくるのだから、それはそれは大騒ぎをする。

一回参加して、閉口した。

ほぼ皆勤の先輩に「なんでですか?」って聞いた。

その先輩は割と不真面目というか、テキトーな人だったので、余計に意外で。

そしたら、「会議常連メンバーの、他の大学のやつらと会いたいから」と言われた。

高校時代、私は某個人競技の部活を辞めようか悩んだことがある。

怪我をしたのだ。でも、やめなかった。

部活の友達と、友達でいたかったからだ。気まずくなりたくなかったからだ。

もちろん、その競技の魅力も無くはなかったのだけれど。

その先輩も、会議だとか、会議にまつわる雑務をきちんとしていたのは、

年に数度しか会えない友達と、心おきなく、後ろめたさなしで飲んで騒ぐためなのだろう。

きちんと運営をこなす達成感も、無くはないのだろうけれど。

「なんでまだ自分はこの競技を続けてるんだろう」って考えた時、

その競技の魅力というのは、あまり有効ではない。そんなに強い選手じゃないし。

勝つと嬉しい分だけ負けるのは嫌だし、練習自体は別に楽しくない。

ただ、部活の合間に皆とダラダラしたりするのが楽しくて、

あんなにしょっちゅう顔を出していたのだ。

思えば、結構ガチ部活上下関係厳しかったり、

先輩のおごりで一緒にご飯を食べる機会が多かったりするのは、

きっとそうやって、部活の人たちをシガラミで雁字搦めにする為なんだろう。

義理だとか、絆だとか、顔を覚えて後輩は先輩に借りを作って

練習から逃げづらくしているんじゃないだろうか。

勝手イメージだけど、義理人情が重んじられる世界って言うのは、

やっていることがキツそうな気がする。やくざとか。

会社とかでも、そーいう上下関係だとか、仲間意識を大切にする所って

もしかしてそれだけ、すべきことがキツいんじゃないだろうか。

濃い人間関係はちょっと古臭くて、もっとドライなのが流行りだけれど

それはそのぶん「効率化」とか「やりがいがある」とかいって、

キツさも減っているから、成り立っているんだろう。

すべきことのキツさと、人間関係の濃さは、比例しないと破綻する。

高校時代の部活では、年々部員数が(幽霊も含めると)減っていくのが悩みだったけれど、

練習出席のノルマをきつくするんじゃなくって、

もっと部員同士で仲良くならなきゃならなかったんじゃないだろうか。

ゆるい空気にして、馴れ合って。弊害もあるだろうけど。

空気を緩くしないで制度化すると、おごりだとか、挨拶しっかりしろ!ってなるんだろうな。

人はしがらみで縛られて、すべきことをしている。

良し悪しじゃなくて、ただの事実として、認識しておくといいかもしれない。

けいおん!」まんぞく順

Wiiの間を久しぶりに見たらなんかあった。

1位 #3「特訓!」

2位 #1「廃部!」

3位 #2「楽器!」

4位 #9「新入部員!」

5位 #6「学園祭!」

6位 #8「新歓!」

7位 #10「また合宿!」

8位 #7「クリスマス!」

9位 #4「合宿!」

10位 #5「顧問!」

11位 #12「軽音!」

12位 #11「ピンチ!」

13位 番外編「冬の日!」

・・・とりあえず#3まで観てみるか・・・

2010-10-10

http://anond.hatelabo.jp/20101010193818

はい。私は分析力と実行力を発揮し、成果を出します。

大学部員80人規模のクラブに所属していました。そこで約1年半、毎週木曜の放課後に、スペイン語授業を開く責任者を務めました。当初は参加者7人からのスタートでした。私は参加しない原因を3パターンに分析し、それぞれに改善策を考え実行しました。またHPを作り、意見や不満を授業に反映させ易くし、部員を「ただの参加者」から「授業を作るパートナー」へ変えていきました。この結果、1年後には毎週50人近い参加者が集い、語学を積極的に学ぶクラブへと変わりました。

また、物事に真剣に取り組む情熱が私の強みです。

学生時代スーパーアルバイトでは週4~5日と仲間の中で最も多くシフトに入り、忙しく人手が足りない日にはすすんで休日出勤し、アルバイト先を支えていました。日々の仕事ではお客様を第一に考えた接客を心掛け、どんなに忙しいときでもお客様への対応を最優先しました。その結果、多くのお客様からありがとうの言葉笑顔を頂き、自分幸せな気持ちになりました。これらの私の情熱社員の方に認められアルバイトリーダーに指名され、新人教育や売り場作りを任される存在になりました。

2010-08-15

逃げ癖

勝てない、辛い、と思ったら即逃げてしまうようになってしまったのは、

遡れば中1の部活からだったような気がする。

俺が中学生の頃は、バリバリスラムダンク世代ともいえる時期で、

バスケ部の入部希望が殺到していた。

当時の俺はその例にもれず、その地区でそこそこ強豪といわれてたバスケ部の門をたたいた。

運動は得意でない、でも何とかなると思った。

何ともならなかった。絶望の毎日だった。

そもそもボールを持った時頭が真っ白になり、何もできない。

そのうちなめられて俺にボールがきたら何人も群がられなにもできず被スティール

そもそもちょっと早いパスになるととれなくなる。指が痛い。

そのうちなめられてボールがこない。くるのはそもそも捕らせる気のない、おふざけの剛速球。

このあたりでレギュラー候補の同級生には軽蔑され、それ以外にはストレスのはけ口にされる生活に。

だんだん嫌になって、同じく何にも出来ない子と部活をさぼるようになった。

学校が終わったら、家が近いその子と毎日ゲームボーイ

そんな生活を半年続け2年に進学する時、俺は両親の転勤の都合で別の中学へ引っ越すことになった。

2年生、今度こそはと入ったハンドボール部。

サボることなく、卒業まで続けることができた。

いや、なんどもサボろうとしたけど仲良くなったキャプテンがそれを許さなかった。

でも、何もできなかったことに変わりはない。

顧問にセンスがないと一言いわれてへこみ、それをバネに努力することもせず、結局スタメンに選ばれるどころか

候補に挙がることすら1度もなかった。

高校はそんな努力をすること自体が苦痛で、でも部活に入るのが決まりだからって卓球部幽霊部員

残るものと言えば、同じ時間をなんとなく過ごしてきた部員とのなんとなくの繋がり。

大学でもサークル学祭の店のリーダーをやるも、計画性の無さと人間関係トラブルを全て他人におしつけ、さぼり

連絡に来る携帯のバイブに怯え何がしたかったのかわからないまま終わってしまった。

もう少し、自分暴力的な、暴走してでもいいからなにかエンジンみたいなものがあれば。

たとえば初めてバスケットボールを顔面に近距離で剛速球で投げられた時、

ただ泣くだけでなく全力でボール投げ返すことができていれば。

なにか変わったのだろうか。

おめーにだけは負けたくない、そう心から思って何かにとりくめる人間は強いと思う。

そりゃ動機は負の感情かもしれない、何かトラブルを起こすかもしれない。

けどそういった人間の爆発力には何か、とても憧れてやまないものが入ってる気がする。

なんでこんな事を書いたかっていうと、社会人1年目の今、同期と差が開いてきた気がして、

しかもそれが俺自身がさぼっている、+客にびびっちゃってるのが原因で、

その原因がわかっていながらもう嫌になっちゃって、また今日もサボるという悪循環

繰り返してしまったから。

自分なりに何とかしようと、本を読んだり戦略練ったりはするものの、実行に起こせない。

アウトプットできないなら本とか読んでも全く無意味じゃないと、

わかっててもできない。

染みついた負け癖逃げ癖不利になったら放棄する癖が

どうしてもどうしてもどうしてもどうしてもとれない。

一回ドロップアウトしてしまったらもう戻れないのかな。

家に帰ってきた今は、こんなにやる気なのに、

寝て目が覚めたらまたいつもの日常になってしまいそうなのが怖い。

http://anond.hatelabo.jp/20081218230426

2010-07-27

休み時間放課後

学校が終わり、それまで少しだった教室内のざわめきがそこに輪をかけて大きくなる。椅子を引く音、堰を切ったようにあふれ出すしゃべり声、廊下へ駆け出す足音。そんなさまざまな音が、それまで”うるさく”はなかった空間を埋めようと突然現れる。きっとそれは、場所は変われど、どんな学校でも見ることのできるありふれた情景だろう。授業の間、主役だった先生の役が終われば、それまで潜めていた自分たちの存在を何かにアピールするかのように、それぞれの生徒たちがそれぞれの音を発する。それはまるで、潜んでいた時間の分まで自分存在意義を取り戻さんとするかのようにも思える。

 小学校場合なら、それは尚更はっきりと現れる。

大声で騒ぎ出す子、隣のクラスへ友達を探しに行く子、放課後の下校時刻が過ぎるまで校庭で遊ぶ仲間を募る子供、それぞれが授業の間、今か、今かと最後のベルが鳴るのを我慢して待ち望んでいたことへと全力で走り出す。授業中に消費することのなかった分もあわせて、その日に使える全てのエネルギーを使い尽くさなければならないかのように、子供たちは動き出す。

 しかしそれは長い人生の中で見れば、ほんの一瞬の期間でしかないのだろう。休み時間放課後と毎回のように爆発的に発していたパワーは、中学生になり、高校、大学と年齢が増すごとに回数を減らし、いつの間にか、よほどのことがない限りそんな風に行動することはなくなる。

確かに高校生大学生でそういったことをしていたら大人気ない、と言われるのがオチだろう。そんなことを小学生のように毎日していたら、持つものも持たない、と指摘されてしまうかもしれない。確かにそれももっともだ。部活勉強アルバイト人間関係と、他に気をつかわなければいけないもっと大切な時間が他に十分あるだろう、と言われれば返す言葉もない。

 年を経て、さまざまな部分で自覚が芽生え、色々な場面で個人としての責任が出てきた結果、自分が、あるいは周囲の人が望んだ結果としての道に進むために勉強し、部員として部活動を行い、必要なものを得るのために働き、周りの人々との関わりを守るのに残った時間を割く。そこには確かに、自分の生活への意義があり、理由が存在し、その一つ一つに対して体力や精神力が必要とされる。

 そのためには、”余計な”場面で使うものはなるべく減らし、考えて行動しなければいけない。小学生のとき、授業中に使えなかった元気の一部は、最早使わないのではなく、使わずに”貯める”ものへと変わり、何をするにしても損得を考えて行動するようになっていく。

 それは年を経るにつれて学んだ、ということでもあり、言ってみれば、それが”大人になる”ということなのかもしれない。

 けれども改めてそのことを考え直すとき、それは本当に得なんだろうか?

 何も考えずに自分のしたいことに向かって純粋に走り出せた小学生のあの頃と、常に先のことを考えてから行動するようになってしまった今の自分、どちらが損で、どちらが得なんだろうか。

 確かに仮に今も自分があの頃の自分、そのままであれば、わがままであったり自己中心的な行動ととられてしまうだろう。けれどもそれを、小学生自分は”自由”と呼ぶのかもしれない。いや、むしろ、そんなふうに比べてしまっているその考え方がすでに”損得”で考えてるってことなんじゃないの、とそういわれてしまうような気がしてならない。

2010-07-24

現代日本切腹を見た。

切腹を本当に見たことある奴っているだろうか?

俺は本当にある。その男は目の前でカッターナイフを取り出して、自分の腹を切ったのだ。

部長そいつを抑えて、俺はあわてて救急車を呼んだ。

登場人物

 ・俺

 ・女

 ・腹を切った男(女の彼氏

 ・部長

ちなみに、女と腹を切った男は付き合っている。

場所栃木県の某国公立大学

ことの起こりはこうだ。

1、部室で漫画が大量に盗まれて、近くの古本屋で売られていた。

2、悪質だと判断して俺が調査した。

3、古本屋は履歴を残していなかったので、詳しくはわからなかった。おそらく名前を書いた紙ぐらいはあったはず。

4、古本屋に履歴が全て残っているというカマをかけたら、部員の一人の女が「私の友達犯人です」と名乗った。金は払うと言ってきた。

  ただし、友達に頼まれて売りに行ったのは私だとも言っていた。

5、俺は漫画を盗んだ犯人を目の前に連れてきて、謝らせなさいと伝えた。

6、その女は犯人を連れてこなかったので、俺は大学相談した。

7、大学対応すると言っていたのに、期日を過ぎても何も対応してくれなかった。

8、その頃から、なぜか女の彼氏が交渉するようになっていた。彼氏は女をかばたかったのだろう。

  彼は必死お金は払うと言っていた。でも俺は「ちゃんと、彼女に謝らせなさい」と伝えた。

9、ある日の休日、その彼氏に俺と部長が部室に呼び出された。彼氏は酒をかなり呑んでいた。日本酒のビンが空になっていた。500mmはあったと思う。

  そして、ちょこちょこと話した後、突然、彼氏がポケットからカッターナイフを取り出して自分の腹をかっさばいた。。。

  部長が手を抑えたので、俺は救急車を呼んだ。それで騒ぎを聞きつけた、隣の部室の人もきてくれて、何とか収まった。

10、その後、仕方なく近くの交番相談して大学の部室に入ってもらって形式上調査してもらった。

  犯人目星はついてるにも関わらず。 そして俺は何故か大学学生課の人間に怒られた。。。何で警察を呼ぶんや?

  お前らが対応しないからでしょうとハッキリ言ってやったが、それでも怒っていた。怒られた理由は未だに謎。

11、そして、警察の調書を受けてから半年ぐらいたったら解決していた。

  女が漫画を盗んだ犯人のはずだったのに、彼氏犯人になっていたwww

  いや、本当に凄い話だったよ。

  今でも畳に血は残っているんじゃないかな。

コメントのご指摘により、一部修正しました。

コメントのご指摘により、もう一度、一部修正して主語と述語をハッキリさせました。

スミマセン、何か書きながら興奮してきて、まとまりがなくなっていました。。。

2010-07-20

大学でなにを学ぶか

「どうしても東京に出たい」

高校3年の時そう思い立ち、猛勉強とはいわないまでも、それなりに勉強して、それなりの大学に入った。

合格発表の日、どうしても掲示板受験番号を確認したかったのに、おかんは上京する新幹線の中で電話で合否を調べてしまった。合格

センター試験の結果から当然受かると思っていて、あまり感動しなかった。でも、おかんは泣いていた。それに少しウルッときた。

大学につくと、もうピークは過ぎたのか受験生の数はまだらですこしがっかりした。運動部部員がもう少ししか居ない新入生を必死に勧誘していた。

受験の時以来に来た大学は、補修工事が終わっていてあの醜い足場やシートが取り外されていた。

その日にアパートを探した。おかんには大学の近くを勧められたけど、どうしても都心の近くに住みたかった俺は学校新宿の間に部屋を借りた。

初めての一人暮らし、しかも東京で。ワクワクしていた、今まで経験できなかったこと、会えなかったような人、東京にはたくさんのものが詰まっているように思えた。

家に帰った後、テレビを付けると東大生が胴上げされていた。うちの大学でもやってたのかな。

大学に入ってからは、きっと多くの学生がそう思うように、勉強も遊びもがんばるぞ!なんて思っていた。

しかし、そんな志もむなしく、おもえば小学生のときラジオ体操にも行かず、中学生の時遅刻が多すぎて昇降口に立たされ、高校の頃朝の補習にろくに出れなかった自分には、一人暮らし大学生活は厳しかった。

都心の近くに住みたくて、学校から少し遠い所に住んだせいで、朝起きれず、一限に出れない。

授業に出なくても誰からも咎められない環境に甘えてしまう。

友達ができれば、一緒にいる時間が楽しすぎて、毎日誰かの家で遊び、もちろん次の日の一限はもちろん出れない。

親も居ない、門限も無い、なにをしても良い。怒る人はどこにも居ない。

大学生は自由だ!なんも邪魔なものがない!」

今は思う、本当に「自由」だったのか、「自由」なのか。

たまに授業に出席しても、寝ているだけ。

テストの出来は前日どれだけ徹夜できたかで決まる。

高校時代と変わらない、いや、それ以下の「学」生生活。

もちろん単位なんて全然取れず。でも、同じくらい遊んでるはずの友達は着実に単位を取っている。

「そんな焦って単位とたってしょうがないじゃん」

そうゆう考え方が甘いって気付いたときには、皆との差はどうしよもないくらい広がってた。

金がなくなれば、親に連絡。

どれだけ無駄遣いしても何とも思わない、親が働いて稼いだ金だ、分かっているけど、手元に有れば使ってしまう。

おかん電話をしてきても、メールをしてきても、邪険な対応をしてしまう。

「今忙しいんだ」

でも、何に?

そもそも、なんで「東京に行きたい」と思ったのか、なんで「大学生」になりたいと思ったのか。

東京にあるものは地元にもあった。大学生になってまで学びたいことなんて無かった。

皆が行く、行かなきゃ就職できない、だから行った。

行くからには、ある程度の大学に行かなきゃ恥ずかしいと思ったから勉強した。

きっと、みんなも同じはずなのに、どうして自分は上手いことできなくて、みんなはできるのか。

どうして、そんなに、要領よくできるのか。

わからない。

大学は4年で卒業するもの、出来なかったら落ちこぼれ、そう思っていたけど、いまはそんなこといえない。

親の金勉強してるんだから精一杯やるべき、そう思っていたけど、がんばれない。

自分には「意志」が無い。何も無い。からっぽだ。

と、今日テストをぶっちぎった俺は思う。

2010-06-25

俺はサークルをよく欠席していた。

部活じゃあるまいし、好きなときに行けばいいと。

ある時友人がサークルを辞めた。この学校で出来た初めての友人だった。

軽くDQNっぽい奴だったけど、友人には変わりない。サークルにそいつの姿が無いのがなんだか悲しかった。

月日は流れ、だらだらサークルに参加していた俺は部長になった。なぜ選ばれたかはよく分からん

俺に出来ることは何か・・・盛り上げる?事務的なことをしっかりする?そういう方面に俺が有能だとはとても思えなかった。

やることが無いので、無遅刻無欠席を目指すことにした。

さらに時は流れ、もうすぐ引退。

今になって思うのは、俺がよく欠席していたのは他の部員からすると、

辞めちゃった友人と同じことだったんじゃないかと思う。

集まりが悪いとなんだか悲しい。当たり前のこと。

引退の挨拶ではこう言おう。

1年生はともかく、2年生3年生は多少忙しくても

レポートバイトの日程を出来る限り調節して出来る限り出席しよう。

仲間に悲しい思いをさせないために。

後輩達を見ていて、正直まだまだ不安だけど何かを感じ取ってくれたらいいな。

2010-06-13

http://anond.hatelabo.jp/20100613141658

周りは引いていた・・・

酔っぱらった部員たちに、

空気読めよ」「2年生になってサークルとか(苦笑)」

などなど言われ、その言葉が心にぐさぐさと刺さった。

周りはお前に対して上から目線だから犯罪を行っているにも関わらず心無い言葉を吐いてくるんだろ?

お前もやんわりと断るんじゃなくて怪訝そうな顔して「なんで未成年なのに飲んでるの?」とか「体に悪いから飲む訳ないだろ」とでも言えば良かったのに。

あと、酒飲んでた馬鹿は以後とことん見下していいよ。普通に酒が飲めない人に酒を飲ませる行為は犯罪だから。というか今から警察に通報する事をお勧めする。

誰かの健康に害が出る前に行動するべき。

未成年だからと新歓で酒断る奴

現在大学二年生。

一年生の時は特にサークルにも入らず、ぼちぼち真面目に勉強しながら過ごした。

あまり仲のよい友達もできず、休日も独りで過ごし、

充実した学生生活とは言えなかった。

学生生活の充実を求めて、二年生になった今年、サークルに入ろうと決意した。

入ったのは人数が8人くらいの料理研究サークル

そして一ヶ月くらい前の新入生歓迎会の事。

そこには新入生がお酒普通に飲む光景があった。

僕はそれがあまりにもショックで、頭が真っ白になってしまった。

しばらくすると、先輩や同級生(まだ19歳)が僕にもお酒を進めてきた。

しかし未成年だからとお酒を断ってしまった。

周りは引いていた・・・

酔っぱらった部員たちに、

空気読めよ」「2年生になってサークルとか(苦笑)」

などなど言われ、その言葉が心にぐさぐさと刺さった。

結局それ以来サークルには行っていない。

Yahoo知恵袋教えてgooなどを見ると、そういう場では

成人してようがしてなかろうが関係なく、お酒の力を借りて、

みんなでわいわいがやがやするものらしい。

もしこれを読んでる高校生浪人生がいたら、新歓お酒を断るなんてことはするな!!

本当に飲まなくてもいいけど飲むフリくらいはしろ!!

おまえがおまえを許さなくても俺が許す!!

2010-05-03

もし女子シリーズ

もし高校野球の女子マネージャー澁澤龍彦の『快楽主義の哲学』を読んだら
夜な夜な部員とあんなことやこんなことを
もし高校野球の女子マネージャー稲垣足穂の『A感覚とV感覚』を読んだら
白粉塗ってケツにバットをさして首をつる
もし高校野球の女子マネージャーマルチン・ハイデガーの『存在と時間』を読んだら
一番打者の現-存在存在における唯一のバッターとしての存在そのものにおける...
もし高校野球の女子マネージャーヘーゲルの『精神現象学』を読んだら
ピッチャーキャッチャーアウフヘーベンされてジンテーゼとしての三遊間が出現する
もし高校野球の女子マネージャー筒井康隆の『虚構船団』を読んだら
まずセンターが登場する。彼は気が狂っていた。
もし高校野球の女子マネージャーアンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』を読んだら
野球部皮肉で満ちる。

2010-04-09

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100409dde012010011000c.html

特集ワイド:ゆうかんなトーク 政治に体力、報道提言

小菅 ある記者から鳩山首相に『毎日は新政権のことを比較的好意的に書いてくれる』と言われた」と報告を受けました。政治家感謝されるのは気分はよくないし、是々非々でやっています。政権発足時には部員に「政権は迷走するかもしれないが、混乱、混乱と書くのはよそう。生みの苦しみもあるはずだ」と話しました。自民党政権時にはこんなことは言ったことがない。でも新政権は予想以上にもろかった。

こういう物言いに無自覚な所が毎日新聞記者毎日新聞記者たる所以か。

2010-03-30

自分クズな18年間を思い起こして、泣く

地方田舎に生まれた。

無口なので小学校では1年間くらいイジメをうけていた。成績は良いほうだった。というかずっと1番だった。小5のときにネットに出会った。最初はテレビゲーム攻略サイトとかチャットルームをよく見ていた。はじめはチャット荒らしまくっていた。まぁ普段無口な小学生ネット弁慶になるって言うのは今でもあるだろ。遊戯王とかパワプロホームページを作って遊んだ。中身はないようなものだったが。

今思えば中学時代が最も充実していたかもしれない。卓球部に入った。仲の良い友達もいたし後輩とも親しくなれた。しかし練習はちょくちょくサボっていたので中学最後の団体戦には1年生に枠を奪われて出られなかった。塾に通い始めたおかげで、学校での成績は良好だった。ホームページ作りに飽きて(人が集まらない)、ブログをやり始めた。が、書くネタも別になかったので何度も削除しては新しいブログを作った。塾と部活以外は本当にだらだらネットしている中学生だった。親にパソコンをねだったが却下される。

学区内で2番目の高校に入った。進学校を自称しているが、大半の生徒は偏差値55から60をさまよっているレベルだ。東大京大に受かる人間などまずいない。仲の良い友人たちは別の学校に行った。非コミュの俺はあまりクラスになじめなかった。

高校最大のミスは数ヶ月で部活運動部)の幽霊部員になったことだ。中学卓球部でだらだらしてた俺にとっては練習がおそろしくきつかった。廊下で先輩と顔を合わせるのがつらかった。

塾に行かず独学を決意したのが2つ目の大きな間違いだった。入学直後の進路希望には一橋大学社会学部早稲田大学社会科学部を書いた。当時は「働きマン」を読んでいて雑誌編集者になるつもりだったのだ。しかし数学理科は早々に理解できなくなったので私立大学を目指すことにした。

梅田望夫の本を読んでプログラマーになろうと決意した。志望を慶応SFC早稲田人科に変えた。再度、親にパソコンをねだったが却下される。

2年生のクラスではついにまったくのハブになった。学校祭とか体育祭が本当につらかった。昼休みトイレにこもって2chしてた。家に帰ってネットしたり漫画読んだりする日々。俺が短期間部員だった部活の人たちはすげえリア充になっていた。

塾という外部強制から解き放たれた俺は授業2年の冬まで全く勉強しなかった。得意科目偏差値やばいことになり、そろそろ勉強し始めた。プログラミングも文字を表示させるレベルで挫折して、志望はいつの間にか早稲田になっていた。将来のビジョンなど頭から消えていた。英語現代文ばかりやっていた。楽だったから。おかげで模試の判定はいつもEかDだった。だからといって焦ることもなかった。勉強する習慣が身に付いていなくて、30分くらいでネット漫画に走ってしまう。中学のときもほとんど塾で勉強していたからかな。大学に行きたい理由も特になかったんだと思う。大学に入ってからやりたいことをやろうと考えていた。俳優とか政治家とか記者とか証券マンとかなりたかったかも。どれも3日くらいで忘れたが。

3年生になってもダラダラで、歴史科目の勉強も苦しくて苦しくてやっていられなかったので成績は悪いまま。それでも英語だけは偏差値70だったのでまぁなんとかなるだろと思っていた。夏休みは全く勉強せず。図書館に行くふりしてネカフェまったりしてることも。家では部屋にこもっていたので、親は俺がそれなりに勉強していると思っていただろう。冬休みは冬期講習を受けたが、予習も復習もしなかったから金をドブに捨てたようなものだけど。歴史科目は半分くらいしか進んでなかった。親には偏差値50くらいの中堅私立大も受けとけと言われた。

明治に落ちて。

入試本番。早大入試の前日に秋葉原漫画を買ってマック食べながら読んでるレベル。それでも10パーセントくらいの確率でもしかしたら受かるかもしれないと思っていた。試験が終わった後は浪人を頼み込もうと思っていた。母親浪人も考えていてくれたようだが、父親は定年退職も近くてこれから給料が下がる、妹もいるということで浪人ダメだと言った。国立一本でがんばっていれば、浪人という選択肢も出ていたかもしれないことを後悔した。

早稲田。落ちた。

中堅私立しか受からなかった。

そして高校卒業

部活勉強中途半端な結果で、高校生活は幕を閉じた。

友達もできず、恋愛に夢中になることもなかった。

趣味もない。なにか熱中できることもひとつとしてない。

上に書いてあること全部こなしてるやつだってたくさんいるというのに。

小学生の頃から何かひとつ技術にはまって、今頃は全国有数の実力者になっているやつだっているだろう。

俺みたいな奴も少なからずいるだろうから、そういうやつは一度自分を見つめ直してほしいとは言わない。どんどん堕落しろ。他人の不幸は蜜の味。

受験勉強にすらがんばれなかったという後悔は今もある。学歴コンプレックスこじらせてるな。やっぱりネットとかが好きなのでそういうものに少しでも関われる仕事をしたい。



なんだかんだあって4月からとある都内の文系学部に進むことになった。

やりたいことにどんどんチャレンジしていこう。

役に立つスキル磨いていこう。

なかのいい友達を作ろう。

熱い恋をしよう。


大学デビュー乙って思うかもしれんが、それはなにか違うんだよ。

ただ春のやわらかな風が俺の背中を押しているのを感じているんだ。





俺は変わってやる。変わらなくちゃいけない。

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